- 11 名前:ドレミファ名無シド [2011/04/02(土) 00:54:10.85 ID:2CtIjAjs]
- むかし、日本語ロック論争というのがあった。
明治よりは新しい話題だが、やはりとても古い話題だ。 現代では論争は終結している。 日本語ロック論争は、はっぴいえんどと内田裕也が論争したというのが事の経緯だ。 だが、彼らは誰ひとりとして日本語ロックをやらなかった。 日本語推進の側であったはっぴいえんどにしても、 旧来の歌謡曲的な日本語しか実行しなかった。 日本語ロックの実質的な創始者は、鮮烈なデビューを飾ったサザンの桑田だろう。 一文字一音という特徴のため、英語よりも言葉が少なくなりがちで軽快さに欠けるという弱点を、 旧来の日本語曲よりも早口でたくさん言葉を使うという方法で、完全に弱点を克服したわけだ。 また、サザンよりも早くこれを行っていた吉田拓郎の影響力も忘れてはならない。 吉田拓郎はロックという流れで語られることは少ないが、日本語をあてはめる技術面としては無視することはできない。 その後、ほとんど全ての日本語ロック・ポップスがこれらの影響下にあるといっていいだろう。 こうして、数多くの日本語ロック・ポップスが人々に受け入れられ続けることがじっさいに証明されたため、 論争することがなくなり、論争は終結したのである。
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