- 686 名前:名無し三等兵 [2011/09/24(土) 00:12:40.87 ID:sJxAnGwL]
- 米英可分論から不可分論への流れ
昭和15年7月27日(この時点では米英可分論) 大本営政府連絡会議 「世界情勢の推移に伴う時局処理要綱」 「武力行使に当たりては戦争対手を極力英国のみに局限するに努む。 但し此の場合に於いても対米開戦は之を避け得ざることあるべきを以て之が準備に遺憾なきを期す。」 昭和15年11月28日(海軍は米英不可分論で結束) 海軍図上演習にて伏見宮軍令部総長に次のように進言した。 「1.米国の戦備が余程遅れ、又英国の対独作戦が著しく不利ならざる限り、蘭印作戦に着手すれば早期対米開戦必至となり、 英国は追随し結局蘭印作戦半途に於いて対蘭、米、英数カ国作戦に発展するの算極めて大なる故に、 少なくとも其覚悟と充分なる戦備とを以てするに非ざれば、南方作戦に着手すべからず。 2.右の如き情況を覚悟してなお開戦のやむなしとすれば、むしろ最初より対米作戦を決意し、 比島攻略を先にし、以て作戦線の短縮、作戦実施の確実を図るにしかず。 蘭印作戦は其資源獲得にあり、之を平和手段にて解決し得ざるは米英のバックあればなり。 もし米英が到底立たずと見れば蘭印は我要求に聴従する筈なり。 故に蘭印との開戦やむなき情勢となるは即ち米、英、蘭数カ国作戦となるべきは当然なり。・・・(後略)」 昭和15年12月12日 海軍国防政策委員会発足
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