- 65 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2011/09/11(日) 20:53:14.35 ID:???]
- 連合艦隊司令長官に就任した山本五十六は日米開戦はもはや避けられないものとして、
いつの間にか真珠湾攻撃を口にするようになる。 欧州ではすでに昭和14年(1939年)9月3日、第2次世界大戦が勃発してドイツが破竹の進撃を続けていた。 欧州で苦戦を続ける英仏を救済しアメリカを参戦させることはアメリカ大統領フランクリン・D・ルーズヴェルトの 基本戦略であった。ルーズヴェルトは英首相チャーチルと共謀して日本を追い込み、 先に攻撃を仕掛けさせてアメリカの世論を激昂させ、その怒りで対独伊戦、対日戦を正統化しようと目論んだ。 フリーメーソン山本五十六はルーズヴェルトとチャーチルに協力してハワイ奇襲攻撃の構想を練ったのである。 山本五十六が連合艦隊司令長官に就任して半年あまり経った昭和15年3月、真珠湾攻撃を想定した 実戦さながらの雷撃訓練が行なわれた。五十六の計画の中には、すでに機動部隊による真珠湾攻撃の具体的構想があったのである。 ハワイ奇襲攻撃の猛訓練は鹿児島県志布志湾を中心に行なわれた。こうして訓練に訓練を重ねた第一航空艦隊 (空母6隻を中心とした機動部隊。司令長官は南雲忠一中将)は択捉島単冠(ひとかっぷ)湾に集結、 昭和16年(1941年)11月26日、秘かにハワイに向けて出航した。日本時間12月8日午前3時25分、 6隻の日本空母から発進した第一次攻撃隊183機は、ハワイ・オアフ島パール・ハーバーにある アメリカ太平洋艦隊の基地を奇襲した。 アメリカ大統領ルーズヴェルトはこの奇襲攻撃を事前に知っていた。 日本の外務省が使用していた「紫暗号(パープル)」はアメリカに筒抜けであったが、 この裏には日本に暗号解読の協力者がいたと見なければならぬ。 真珠湾に集結していた米太平洋艦隊は、主なもので戦艦が8隻、重巡1隻、軽巡3隻、そして駆逐艦5隻で、総計17隻であった。 不思議なことに空母レキシソトンはミッドウェーに飛行機を輸送中であり、エンタープライズはやはり飛行機を輸送しての帰路で不在、 サラトガはアメリカ本土西海岸にいたために無事であった。
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