- 592 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2011/09/22(木) 00:46:00.89 ID:???]
- >第一委員会は軍令部、海軍省から選りすぐられた大佐中佐が集まっていた。メンバーは軍令部作戦課長富岡大佐、軍令部大野大佐。海軍省 高田大佐 海軍省 石川大佐 ら7人。
>本来作戦を練るのが任務である軍令部員が陸軍、政府関係者と連携し政治への影響力を強めて行った。 >第一委員会が結成されたころ、軍令部総長副官の末国大佐は、第一委員会のメンバー達が、組織のルールを無視して次々に決裁を得ていく様子を眼の当たりにした。 >「強引に印を押させた。次長をすっぽ抜かして総長へ持って行ってはんこを押す。一部の人は陸軍と通謀して政治を玩ぶことに快感を感じていた。 >いわゆる小僧に中佐 少佐 あるいは大佐ぐらいの小僧に、そういうこと(政治)をやらせる制度をつくった。これに問題がある。」 >昭和16年4月9日、永野修身大将が軍令部長総長に就く。この3か月後、天皇に開戦を進言した。 >軍令部佐薙元大佐、開戦の進言のきっかけは第一委員会の報告書だったと指摘する。永野総長は「非常によく勉強してる。」と、これ(第一委員会報告書)を鵜呑みにしてしまった。 >第一委員会の資料が出て以降、永野総長の言動がより強硬になった。非常に影響を与えたということは間違いない。 ttp://blogs.yahoo.co.jp/xkoe_asahicom/60648793.html
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