- 589 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2008/08/24(日) 03:15:17 ID:???]
- >>534
オーストリアの軍事力が弱体化していた要因はいくらかあるけど、第一にハンガリーの抵抗が大きい。 ハンガリーは一貫して共通軍の軍事予算を増やすことに抵抗を示した。(帝国では1867年にハンガリーと結ばれた アウスグライヒに則って、オーストリアとハンガリーのどちらとも独立した軍隊を設けて、維持の費用は 共通予算から取り付けていた。そこで両国には予算承認権があった。)これは1848年革命で 帝国軍とロシア軍に鎮圧された歴史もあるし、不信感によるものだった。そして陸軍には皇帝が多大な影響力を持っていたことがある。 フランツ・ヨーゼフは若い頃から陸軍好きで、軍隊の気風は几帳面な彼の性格に良く馴染んでいたようだ。 また彼は新絶対主義者だったから、王が軍を率いることに義務感も感じていたようである。なので先のアウスグライヒでも、 軍隊に関する影響力はできる限り失なわれないように腐心した。その為、彼の統治期間では宮廷に通じた 旧守的な指導部が置かれることが多かった。陸軍への皇帝の専権とも言える影響力は、オーストリア側の ドイツ人自由派からも不満だったようで、それは予算拡充への消極的対応に繋がることになる。
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