- 347 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2007/06/02(土) 21:35:29 0]
- >>345
実際、レベルが低すぎて反論するモチベーションも沸いてこないんだが。 >戦前主力艦の建造数はすべて条約によって決定された。 >日本の戦艦に対する空母保有率が英米に比べて高かったのは >ワシントン条約の時点では制限されていなかった空母を主力艦の >保有比率の差を埋めるために建造しただけ。 日本の翔鶴、瑞鶴が設計建造されたのは軍縮条約脱退以後だ。 そしてアメリカのサウス・ダコタ級までは確かに条約型だが、 これは牽制艦隊思想そのままの旧態然とした設計なんで、 高速戦艦にする案があっても採用されず、 砲火力や装甲を重視して空母に随伴するには速力に難のある半端なものになっている。 ましてやアイオワ級は条約以後の戦艦だな。 マレー沖海戦で航行艦船に対する空母の有用性が証明されてからも、 既に建設が進んでいた武蔵やサウス・ダコタはそのまま戦艦にするしかないにせよ、 アイオワ級は空母に改装するなりいくらでもやりようがあったはず。 しかし結局はそうならず、アイオワ級4隻の内、まともな海戦に参加できたのは2隻だけ。 無駄な労力だったとしか言いようがないな。 >タラント空襲の情報を得た時点で真珠湾空襲によって敵戦艦を撃沈し、後の >海戦で有利になろうとする構想を持った。 大間違い。日本の機動部隊建設が青写真より先に進み始めたのは 昭和14年6月。海軍航空制度研究会が航空艦隊編成の必要を答申し、 防衛研究所に補完されている小沢司令官提出の原本には、軍令部第一課長の 「この方針にて進みつつあり」という書き込みがあることからも すでにこの段階では軍令部も航空艦隊編成に乗り気であったことがわかる。 これはタラント空襲の一年も前のことだ。
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