- 1 名前:世界@名無史さん [05/02/20 19:30:58 0]
- あの陳舜臣も鮮卑トルコ系説を支持している。
- 2 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/20 19:42:11 0]
- test
- 3 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/20 19:52:34 0]
- 北アジア遊牧民はある意味じゃみんなトルコ
- 4 名前:世界@名無史さん [05/02/20 20:03:27 0]
- >>3
ああ、匈奴時代のことね。 正直いってその頃はモンゴルもトルコも区別が無かったらしい。 ただ、ツングースはシベリア・イヌイットとゴチャゴチャしていたらしい。 当時の蒙古高原やシベリア(北アジア)にいた北方塞外遊牧民は、 アルタイ語派、若しくはアルタイ諸族の呼称が的確だったらしい。 ウラル語派のサモイェード族も含まれるのかな?
- 5 名前:世界@名無史さん [05/02/21 21:48:10 0]
- そういえばトルコってアルタイ語派の先祖説もあるらしい。
元はといえば、モンゴルもツングースも古代トルコの後裔らしい。 飽くまでも推測だが。
- 6 名前:世界@名無史さん [05/02/21 22:30:36 0]
- >>1-5
トルコ語、モンゴル語、ツングース語などをひっくるめて、 アルタイ諸語というが、これらの間には、互いに類似した 語彙、共通の語彙があり、さらに、文法的な類似性もある が、それらがもともと同じ言語から生まれた娘言語である ということは、言語学的には全くいえないので、まあ、 文化を共有していたので、日本語に大量の中国語系語彙が あるとか、それを、韓国、日本、中国、台湾で共有している とかいうのと同じであって、語族としての意味はない。 フィン・ウゴールは、一応、言語学的にみて共通の祖語 から派生したことがあるていど立証されているようだ。 まあ、もともと、広い範囲にいて、それぞれの家族の伝統 として、トルコ系とかモンゴル系とかツングース系とかの 言葉をしゃべっていたとしても、だれもが、ちょっと家族 以外の人としゃべるとなると、それら三つか四つの言語を 平気で使い分けるような人たちに、家族の言葉がトルコ系 だからといって、あんたトルコ系ですか?と聞くのも野暮 だっていう意味で、共通の文化基盤があるってことだろう と思う。
- 7 名前:世界@名無史さん [05/02/21 23:29:44 0]
- 鮮卑発祥の地と言われる大鮮卑山が黒竜江省だから
ツングースの可能性が最も高いんじゃないかな 女真・満州と同類の狩猟民族で 遊牧系のトルコ・モンゴルとは違うような気がする
- 8 名前:世界@名無史さん [05/02/21 23:46:17 0]
- 実は満洲地方には様々な種族がいた。
現在のウラジオストクでもウデゲやナナイ族は 民族的にはツングースだがモンゴルやチュルクと 古くから複雑に混血していたらしい。 つまりユーラシア大陸の多様さを物語るな。
- 9 名前:世界@名無史さん [05/02/22 02:01:02 0]
- >>6
トルコ語と日本語にも共通語彙が複数ある。 一番有名なのが、イイ=(いい、良い)。 外にもテペ(てっぺん、頂上)、ス(すい、水)、ヤク(焼く)など。 まだまだあるけど忘れた。 あとトルコ語の母音は8個なんだけど、奈良時代の日本語も母音が八個で 似てるそうだ。 アジアの最西端と最東端で、ここまでの共通性があるのは決して偶然じゃ ないとか。
- 10 名前:世界@名無史さん [05/02/22 02:31:08 0]
- 語彙の異同は後代の文化圏によって異なるので、むしろ基本文法の異同に着目すべきですが、トルコ語と日本語の文法の共通点は結構感動的です。特に助詞、助動詞の用法。
- 11 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/22 02:39:35 0]
- >>1
陳舜臣なんてドキュン作家が何を言おうが関係ない。 鮮卑語はモンゴル語に一番ちかく、若干ツングース語も入ってる程度、 よって言語的にはモンゴル系ということで大昔に決着がついており 有力な異論は存在しない。 2chでは以前からトルコ、トルコといってる馬鹿がいたのだが そうか陳舜臣がネタ元だったのか…。やれやれ。
- 12 名前:世界@名無史さん [05/02/22 02:51:21 0]
- >テペ(てっぺん、頂上) *頂上ではなく天辺
>ス(すい、水) 中国語も似たような発音だよ。 (あげあしとってごめんね)
- 13 名前:世界@名無史さん [05/02/22 03:06:26 0]
- >>10
トルコ語と日本語の語順はほぼ同じだね。最後に動詞が来る。 トルコ語、中央アジア諸語、モンゴル語、満州語、朝鮮語、日本語 のウラル・アルタイラインは全部そうだけど・・・・
- 14 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/22 03:38:28 0]
- >>13
インドの印欧語族もそういう語順なのを知らないのかね。 語順なんてのはわりと簡単に変わる。 言語分類では語順なんてのはそれほど重要視されていない。
- 15 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/22 03:42:09 0]
- 固有名詞(発音は推定)がチョボチョボあるだけの鮮卑語を
その当時存在していたのかも怪しいテュルク語やモンゴル語と 比較しようなんてのは無理な話。 この手のスレよく立つけど、具体例の提示もなしに 妄想の垂れ流しだらけ>あげく毎回ケンカで終了。
- 16 名前:世界@名無史さん [05/02/22 03:52:34 0]
- 極端な朝鮮主義者の世界地図
img19.exs.cx/img19/6281/asiamap1.jpg 平均的な朝鮮主義者の世界地図 img19.exs.cx/img19/7968/asiamap2.jpg 平均的な中華主義者の世界地図 img19.exs.cx/img19/6404/asiamap3.jpg
- 17 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/22 06:18:07 0]
- アルタイ諸語と日本語の共通性は印欧語族や漢語よりは近いだろうが、
日本語と大きく違うのは、名詞を修飾する人称は後置したり(突厥語もこの特徴有り)、 基本語彙でも閉音節語彙が多すぎたりする点があげられていたはず。(朝鮮語も閉音節が多い) 一応日本語でアルタイ諸語と関係がありそうなのは、 「槍ヶ岳」というときの「岳(たけ/だけ)」が突厥語などで「山」を意味する「taγ」と 起源がおなじ単語ではないかと云われていたような。 (トルコ語でいえば「tag」)
- 18 名前:世界@名無史さん [05/02/22 10:52:35 0]
- >>17
名詞を修飾する人称は、それを誰が所有してるかを明確に示す為のものだね。 例えばアドゥ(名前)にゥム(自分の)を付けてアドゥムにするとか。 アラビア半島の厳しい環境が(財産の所有競争)、後にそれを形成したんだろうよ。 あと閉音節が多いのは、周囲のアラビア語の影響による。
- 19 名前:世界@名無史さん [05/02/22 10:59:35 0]
- >>14
語順の一部が似てるという話じゃないよ。 日本語とトルコ語は、全品詞の並び方がほぼ一致してる。 つまり、日本人がトルコ語を話す時は、日本の単語をそのまま トルコ語の単語に置き換えていけば、一応ちゃんとした文になるって事。 それに、語順はそうそう変わるものじゃない。どこから聞いた話かな。
- 20 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/22 16:02:24 0]
- >>15
具体例はたくさんあるよ。あなたが無知なだけ。
- 21 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/22 16:15:02 0]
- >>18
いや、名詞を修飾する人称語尾の存在はキョルテギン碑文やトニュクク碑文といった 7世紀の突厥の諸碑文から既に現れてる特徴だが、これは別段テュルク語に限ったことではない。 人称語尾は例えば当時の印欧語族でいえばパフラヴィー語やパルティア語、 ソグド語、バクトリア語などの中期イラン語でも持っているし、 現在の近世ペルシア語でも名詞を修飾する人称語尾がある。 最古の印欧語族であるヒッタイト語などのでもそれぞれ人称語尾はあり、 さらにアラビア語のみならず古代のアッカド語やヘブライ語、アラム語などのセム系言語にもある。 テュルク語は歴史的には、アラビア語のようなセム系言語よりも圧倒的にイラン諸語からの 影響が強い。 借用語などは当然閉音節が多いが、たとえば馬を意味する「at」や水を意味する「suv」など ウイグル王国時代のウイグル語などはすでに元来のテュルク語でも 自らの言葉に閉音節語彙が存在していることを認識していた。 突厥文字ではどうだったか・・・ でも確か突厥の碑文でも閉音節の固有名詞はいくつもあったはず。
- 22 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/22 16:30:45 0]
- 鮮卑というか、北魏の皇帝も
柔然の可汗と同じく「可寒」と称していたって話は出たっけ?
- 23 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/22 17:39:21 0]
- これ↓立てたの>>1か?
誰か「鮮卑語」の語源の系統を教えてくたされ! academy3.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1095872378/l50
- 24 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/22 20:10:17 0]
- ここまで、鮮卑語の単語が何も出てこないんだから
どうしようもないな。終了終了。
- 25 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/22 20:54:41 0]
- 阿干=兄
- 26 名前:世界@名無史さん [05/02/22 23:12:09 0]
- 鮮卑語で『Büri』という言葉がある。
これは原チュルク語で狼の意味だそうだ。 特に北魏の太武帝の拓跋Zの鮮卑名らしい。
- 27 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/23 07:20:13 0]
- >>24
オマエが知らないだけ。
- 28 名前:世界@名無史さん [05/02/24 22:01:25 0]
- 亀レスですまんが、
鮮卑語かどうかはわからんが、ナラ=Nara=納刺という単語がある。 これは原トルコ語で『国』『邑』を意味するそうだ。 日本の奈良もそれが転訛した地名なのかその名残らしい。
- 29 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/24 22:07:10 0]
- 「ナラ」っていう単語が中国も朝鮮も通らず
空飛んで日本にやってきたっていう説ねw
- 30 名前:世界@名無史さん [05/02/24 23:00:43 0]
- ウリナラ?
- 31 名前:世界@名無史さん [05/02/25 00:29:20 0]
- >>29
>>30ってことで
- 32 名前:世界@名無史さん [05/02/25 16:08:11 0]
- 司馬遼が「トルコ語のカラと日本語のクロは似てる気がする」とか書いてたな。
- 33 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/25 16:15:51 0]
- それを言い出したら、英語の「guess」は「下衆の勘ぐり」に近いとかいっていたどこかの学者が
- 34 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/25 17:25:02 0]
- 新境地を切り開く学説だって出発点はそんなもんだ
思いつきの段階でペラペラ口走っちゃう人→素人 調査し裏付けをとってから仮説として提示する人→学者
- 35 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/25 17:27:12 0]
- ついでに
結論が最初から決まっていて、その結論に都合のいい 資料だけ使ったり、歪曲したり、捏造したりして 自説の論証とする人→デムパ(トンデモ)
- 36 名前:世界@名無史さん [05/03/02 00:08:07 0]
- どうやら鮮卑はブリヤト族に鍵がありそうだな。
- 37 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/02 00:15:46 0]
- >>28
朝鮮の前の高麗は、蒙古の大元国に占領されてたろ。 鎌倉で首を刎ねられた大元国の使節のうち2人はウイグル人、つまり、 トルコ人だ。
- 38 名前:世界@名無史さん [05/03/02 00:18:48 0]
- (コピペ)
>シベリアとシベ族(中国の少数民族)は、 >同じ語源なんだという説を聞いたことがある。 >「シベ」(鮮卑?)という部族が、 >チンギスハンの軍隊の一部として移住し、 >シベリアという地名の由来になったそうだ。
- 39 名前:世界@名無史さん [05/03/02 00:29:11 0]
- >>37
ああ、元の礼部侍郎の杜世忠の使節団ね。 回紇族が二人もいたのは知らなかった。
- 40 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/02 01:24:29 0]
- > 説を聞いたことがある。
> になったそうだ。 だが、その出典が何かは一度も聞いたことがない ある種の人たちの典型
- 41 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/02 11:08:22 0]
- >>36
なんで?関係ないと思うけど。 >>37 奈良時代よりはるかに後の時代じゃんかよw >>38 シベリアの語源は「シビル汗国」だけど、この先祖は明朝&チムール帝国の 時代にあった「イビルシビル」で、さらにその前はササン朝の頃にコーカサス あたりにいた「サビル人」で、さらにその前がモンゴル高原にいた「鮮卑」。 中国の少数民族の「賜伯」族は満族の一派で清代のはじめにウイグル方面に移住。 チンギスハンとは関係ない。
- 42 名前:世界@名無史さん [05/03/03 01:22:24 0]
- 昔はソープランドをトルコ風呂と呼んでいて、トルコ人のクレームでソープランド
に変更になった。 だから今度はトルコ系民族風呂に呼びなおしてみて怒って来た やつがいたらそいつらがトルコ系だ。これではっきりするぞ。 ちなみになんであれをトルコ風呂と呼んだのだろう?
- 43 名前:世界@名無史さん [05/03/03 01:26:33 0]
- ドイツだか、イギリスだかでは、いわゆる特殊浴場のことを、
「タイ風呂」って呼ぶって聞いたことがあるぞ。 まあ、トルコってば、ローマ時代以来の伝統の風呂文化がある ところだと思うが。
- 44 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/03 11:42:13 0]
- >>42
中東のハンマーム(浴場)は掛け湯用の湯船もあるけど、 基本的には蒸し風呂が主流で、欧州伝統の箱形の湯船や シャワーやプールとは趣が異なる。 18〜19世紀末にオリエントブームが巻き起こって 中東風の蒸し風呂屋がフランスやイギリスで流行ったそうだ。 オスマン朝とのつながりで中東風のものは何でも「トルコ風」と名付けていたので、 ハンマームっぽい蒸し風呂は「トルコ風呂」と呼ばれるようになった。 オスマン朝のおかげでハンガリーやオーストリアなど中欧では 風呂は珍しくなかったけど、英仏など西欧では珍しがられたらしい。 (ドイルのシャーロックホームズにも出てくる) 中東ではハンマームは基本的に銭湯と同じ感覚なので貴顕から庶民までの社交の場だった。 しかし欧州での風呂屋はだいたい売春宿的なところも多かったから、 「オリエント風」「トルコ風」に隠微なニュアンスを持つのが 当時の流行りだったこともあって、「トルコ風呂屋」は売春宿の代名詞となっていた。 日本でも戦後の売春規制でソープ系の店は職種の改称を迫られたので、 西洋風に「トルコ風呂」と称するようになった。本国トルコでは西洋での 何かとセクシャルなものに「トルコ」「トルコ」と名付けられる伝統に 辟易してたのに、「トルコ風呂」の存在を知って 「同じアジアの日本で西洋と同じことが言われてる!」と大ショックだったらしい。
- 45 名前:世界@名無史さん [05/03/03 18:49:25 0]
- まぁ「同じアジア」なんてもの本来存在しないんだけどね本当は。
トルコの気持ちはわかるよ。
- 46 名前:世界@名無史さん [05/03/05 19:25:24 0]
- 少々亀レスっぽくなるが
弥生人の先祖ってNHKでバイカル湖発祥のブリヤト人ということは、 周知の通り。だが、地理学や民族学的にはモンゴル系らしいが、 トルコなどの血も濃くが混じってるしどうも複雑な要素があると俺は思うな。 多分弥生人が原トルコ人と民族的にも人種的にも近いんじゃないかな。 (もちろん、黄河文明を生んだ北漢民族=華北人とも混血はしてるが) この辺に日本人とトルコ民族の関連性の鍵があると思うな。 まあ、全世界のどこの民族でも混血はしているがね。
- 47 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/05 20:54:27 0]
- >>41
フンの一派でブルガールやハザールと近縁の部族Sabir/Seberと シビル→シベリアが関係あるらしいことはわかっているが、 鮮卑とSabirの関係を示す証拠はないだろ。 「鮮卑○○部が西遷した」とか「サビルと鮮卑の祖先神話が 共通する」とかの証拠でもないと、単に名前が似ているだけじゃ 関係を論ずるのは無理だね。
- 48 名前:世界@名無史さん [05/03/05 21:28:59 0]
- ところで、鮮卑の実質上の創始者の檀石槐は
親父の投鹿喉の跡を継いで、鮮卑の各族長から 盟主となり、大人(または単于か?)に即位したらしいが。 彼の部族は、鮮卑段部出身でいいのかな。 どの文献でも資料が少ないから、多少漏れの妄想もあるけど…。
- 49 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/06 00:28:03 0]
- 檀石槐の「檀」て氏族名とか部族名なのかな?
そのわりには、檀石槐の後継者連中(和連、歩度根、扶羅韓)に 「檀」がついてるの見たことないんだけど。
- 50 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/06 03:51:47 0]
- 名前の一部でそ。
- 51 名前:世界@名無史さん [05/03/06 08:41:19 0]
- あるサイトでは檀石槐の次男の和連が『檀和連』となってたけど。
それはサイト管理者の誤りの解釈なんかな?? それに和連は文献よっては『われん』や『かれん』という呼称があるが。
- 52 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/06 09:04:06 0]
- >>51
「あるサイト」じゃわからん。アドレス晒せ。 「われん」「かれん」はどっちも現代日本語訛りの読み方で当時の発音と関係ないからどっちでもよし。
- 53 名前:世界@名無史さん [05/03/06 09:29:24 0]
- これでいいかな。
cache.yahoofs.jp/search/cache?u=www.chinaknowledge.org/History/Division/xianbei.html&w=%22%E6%AA%80+%E5%92%8C+%E9%80%A3%22&d=CE658F7E2A&ou=%2fbin%2fquery%3fp%3d%25a1%25c8%25c3%25c9%25cf%25c2%25cf%25a2%25a1%25c9%26fr%3dtop%252c%2btop
- 54 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/06 09:58:25 0]
- >>51-53
ソースがわからんから多分でたらめ。三国志の鮮卑伝には「和連」としかない。 檀石槐の親父は投鹿侯で、べつに檀氏ではないし。
- 55 名前:世界@名無史さん [05/03/06 11:30:57 0]
- ふと思い出したんだが、水滸伝に出て来る
地狗星の金毛犬の段景住って、架空の人物かも知れんけど、 金王朝の昭夜ノ玉の獅子馬を盗んで梁山泊に入山する途中で、 満洲系の富豪の曾一門にその名馬を奪られた話は周知のこと。 その段景住は河北の涿州出身とあるから鮮卑段部ゆかりの 人物と設定されたのかな?
- 56 名前:世界@名無史さん [05/03/06 11:51:37 0]
- >>55の続き
他に檀石槐の腹心の燕茘游という鮮卑の一酋長もいたが、 水滸伝で登場する有名な北京っ子の浪子・燕青も、 鮮卑ゆかり人物と設定されてるのかな。 なにしろ、肌が透き通るほど白いとされてるからな。
- 57 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/06 12:22:59 0]
- 燕青は相撲も強いんだったよな、モンゴル相撲?
- 58 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/06 14:14:49 0]
- >>55-56
時代ちがいすぎるだろ。過疎だからって無理にネタふらなくていいよ。
- 59 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/06 19:51:32 0]
- >>51 >>52
和連はGhoren(赫連に同じ)、歩度根はBuduken、扶羅韓はVuloghan という推定復元がある。
- 60 名前:世界@名無史さん [05/03/06 20:42:49 0]
- >>59
ということは鮮卑と匈奴はある意味繋がってたのか。 赫連といえば匈奴の単于家の後裔で劉姓と称して、 夏(北夏?)を建国して、最後には鮮卑系の吐谷渾に滅ぼされたっけ。 まあ、周知の通り匈奴は遊牧連合国家だから、 鮮卑もそのグループであって当然だが。 そういえば、匈奴赫連部って単于家だから前趙の劉淵と親戚になるのかな?
- 61 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/06 20:49:32 0]
- まあ推定(仮説)だからw。仮説を基準に色々論じても
あまり意味はないよ。
- 62 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/06 21:03:08 0]
- 赫連勃勃は後秦に従っていた時に、鮮卑部落を傘下に置いていた
から、その関係上鮮卑的な氏名を名乗るようになった、と考えることも できるが・・・。 それよりも、まず読みが正しいか、もっと議論された上で先へ 進まないと電波ゆんゆんになっちゃうぞ。相変わらず鮮卑語の 話が全然出てこないんだけど。。。
- 63 名前:世界@名無史さん [05/03/06 21:18:18 0]
- >>62
それならここにあるけど…。 誰か「鮮卑語」の語源の系統を教えてくたされ! academy3.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1095872378/ ここでは鮮卑をも含めた遊牧民の話ならなんでもOKなのでは?
- 64 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/06 21:31:27 0]
- >>63
見たけど、 >靱帯(バックル)=Särbe 以外鮮卑語らしきものは全然出てこない羊頭狗肉の悲惨なスレだったね。 ここでも「鮮卑はトルコ民族か?」っていうテーマなんだから、鮮卑語と テュルク系言語の比較で話を進めないとどうもこうもない。 なのに鮮卑語(例が少ないから固有名詞を使ってもいい)に全然 触れないで、周囲をグルグル回ってるだけじゃ意味ないよ。
- 65 名前:世界@名無史さん [05/03/06 22:39:21 0]
- >>64
よくわかった。 じゃ>>26で鮮卑語に関する書き込みがあるから。 それを見て話を進めたいと思うが。
- 66 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/07 03:50:25 0]
- 鮮卑語はモンゴル語の系統。おわり。
- 67 名前:世界@名無史さん [05/03/07 20:49:43 0]
- >>66
モンゴル系という根拠は??
- 68 名前:世界@名無史さん [05/03/07 21:11:39 0]
- モンゴル語由来の借用語が多いだけの別系統言語、
という線もありえるのでは。
- 69 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/07 21:33:14 0]
- 具体例がない議論はデムパ扱いされるよ
- 70 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/08 18:19:51 0]
- オマエが知らないだけw
- 71 名前:世界@名無史さん [05/03/13 23:59:27 0]
- ヤクート語も系統はテュルク系だが、語彙の3分の1はモンゴル語からの借用語が
占めているそうな。
- 72 名前:世界@名無史さん [05/03/19 06:15:09 0]
- 話が何も始まらないうちにネタ切れかよ
じゃ、これでもたたき台にして。 方壮猷 「鮮卑語言考」 燕京学報 第8期 1930-12 鮮卑語○意義□通古斯語△蒙古語◇土耳其語 鮮卑○祥瑞□Sabi△−◇− 慕容○富□Bayan△Bayan◇Bayan 吐谷渾○塵土□−△Toghosun◇− 乞伏○児子□−△Köbön◇−
- 73 名前:世界@名無史さん [05/03/19 06:18:21 0]
- 檀石槐○霊異□−△Tangsuk◇Tangsuk
託鐸○黠慧□−△Zik-tai◇− 可寒○皇帝□加,干△Khagan◇Khagan 可孫○王后□−△Khatun◇Katin 莫賀○父,爺□Amha△Abaga◇− (「厤」の下に「女」)敦○母,媽□Mama△−◇− 阿干○兄□Aga△Aka◇Aga 貲虜○奴□Ze△Jarucha◇− 處○爾,唯□Dje△Dje◇− 祁連○天□Kulum△−◇−
- 74 名前:世界@名無史さん [05/03/19 06:19:34 0]
- 弾汗○白□Sagyan△Čagan◇−
饒楽○黄□Šara△Šira◇Sareg 鳥侯秦○土□−△Toghosun◇− 屈海○青海□−△Kükü◇Kök つっこみ所満載のはずだから、あとは張り切ってどうぞw。 このテーマでネタ振るなら、最低このレベルから始めてほしいね。
- 75 名前:世界@名無史さん [2005/03/30(水) 11:24:21 0]
- >>72-74
凄いな。漏れはドイツ語とかを習ってるけど、 こんな豊富なスペルは見たことが無い。 漏れももっといろいろ学んだほうがいいかな。
- 76 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/03/30(水) 18:42:35 0]
- 鮮卑は東胡の末裔、ということでトルコ系。
−−終了−−
- 77 名前:世界@名無史さん [2005/03/30(水) 22:03:48 0]
- >>76
鮮卑が東胡の後身って結論的に早過ぎないか? 鮮卑のグループのうち東胡系の部族がいたのは確かだが、 全てがそうだとはいえないだろう? むしろ山戎の後身のほうがしっくり来るが…。
- 78 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/03/30(水) 22:12:30 0]
- 朝鮮と同じ字が使われているのが可哀相すぎる
- 79 名前:世界@名無史さん [2005/03/31(木) 01:15:44 O]
- 東から西にいくつも民族が追いやられては国作ってるけどな。
- 80 名前:世界@名無史さん [2005/03/31(木) 01:31:54 0]
- 今は滅びたアルタイ語ってのがあって、それがトルコ語や
モンゴル語に大量の語彙を提供した、とかいう考え方は できないかな。そうすると、その古アルタイ語の民族が、 いわゆる、そういういろいろ。
- 81 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/03/31(木) 02:43:34 0]
- このスレだめだわ
- 82 名前:世界@名無史さん mailto:sage [エジプト暦2329/04/01(金) 07:06:23 0]
- >>76-77
東胡の後身は鮮卑じゃなくて烏桓だろ。
- 83 名前:世界@名無史さん [エジプト暦2329/04/02(土) 00:37:52 0]
- >東胡の後身は鮮卑じゃなくて烏桓だろ。
周知かも知れんが契丹も該当する。
- 84 名前:世界@名無史さん mailto:sage [エジプト暦2329/04/02(土) 01:21:55 0]
- 契丹が東胡の後身?そうだっけ?ソースは?
- 85 名前:世界@名無史さん [エジプト暦2329/04/02(土) 01:43:57 0]
- ソースかどうかわからんけど、このコピペが有力かな。烏丸も含むけど。
>:04/09/08 04:13 >>456 >契丹と烏桓は別のようだよ。契丹は古くは「比麗」とかなんとかいって >広開土王碑文にもでてくる。だからかなり古い段階で烏桓とは別のものになってる。 >烏桓は南匈奴とならんで魏の騎馬軍になったがそのまま中国人に吸収されて消滅? >しかし魏に服属しなかった烏桓は、北に逃げて鮮卑とか突厥とか柔然とかの >新興の騎馬帝国に吸収されて消滅?(どっちにしろ吸収されて消滅か…?) これは漏れの推測判断ミスを認める結果となるかも知れんが、 最近では東胡自体がコーカソイド説もあるらしい。 もしそれが事実なら、今までのモンゴロイドの契丹が東胡の後身説が否定されるかも…。
- 86 名前:84 mailto:sage [エジプト暦2329/04/02(土) 02:15:50 0]
- >契丹と烏桓は別のようだよ。契丹は古くは「比麗」とかなんとかいって
>広開土王碑文にもでてくる。だからかなり古い段階で烏桓とは別のものになってる。 >烏桓は南匈奴とならんで魏の騎馬軍になったがそのまま中国人に吸収されて消滅? >しかし魏に服属しなかった烏桓は、北に逃げて鮮卑とか突厥とか柔然とかの >新興の騎馬帝国に吸収されて消滅?(どっちにしろ吸収されて消滅か…?) ↑これ漏れが書いたやつだよ。 ちなみに「比麗」はまちがい。正しくは「稗麗」。
- 87 名前:世界@名無史さん [2005/04/08(金) 21:07:42 0]
- 北周時代には鮮卑語リバイバルがあって、
漢字で書かれた鮮卑語文書が結構あったらしいんだが、 どっかに残ってないもんかねえ。敦煌莫高窟みたいな 場所、他にないもんかねえ。それさえ見つかれば、 こんなスレなんか立たないのにな。
- 88 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/04/08(金) 23:51:30 0]
- 書物なんて案外簡単に散逸してしまうもんだからな。
現在の日中韓の古典をすべてあわせても 名前だけ伝わる書物の100分の1もないんじゃないか?
- 89 名前:世界@名無史さん [2005/04/12(火) 09:23:07 0]
- >>87
北周は多分鮮卑化した匈奴系の宇文部が建てた王朝だからな。 だから鮮卑ナショナリズムが強く、民族固有の危機感があったのだろう。 例えば、北魏の孝文帝の時代に漢風に改姓された鮮卑貴族に対して、 鮮卑風に復姓させている。隋・唐なんかそうだな。 隋は楊氏→普六茹部、唐は李氏→大野部…の構図になってるな。
- 90 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/04/12(火) 17:32:02 0]
- >>89
の割には周礼体勢だけどな
- 91 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/04/13(水) 04:46:57 0]
- >>90
それこそ“漢”民族以前への回帰・復古でしょ。
- 92 名前:世界@名無史さん [2005/04/13(水) 22:07:36 0]
- >>91
鮮卑宇文部の北周はそういうイメージはしないが、 同じ鮮卑系の隋・唐は“漢”民族以前への 回帰・復古を故意に意識してる感じはあるな。 原型の積み重ねによる中国伝統の科挙を生み出したのも該当するな。 あとは屈強な漢族の徴兵による府兵制度は北周から受け継いだみたいだ。
- 93 名前:世界@名無史さん [2005/04/23(土) 16:47:24 0]
- 関連スレ?
漢民族ってどこいったの? academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1113524534/ 現在の華北の漢民族って先祖が鮮卑族が多そうだね。
- 94 名前:世界@名無史さん [2005/04/24(日) 04:29:29 0]
- んなこたぁない
- 95 名前:世界@名無史さん [2005/04/24(日) 11:35:11 0]
- >>94
ソースは??詳しく!
- 96 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/04/24(日) 21:20:19 0]
- 中国は何度も民族交代があり鮮卑が入ってきたのはその中のひとつにすぎないから。
五胡十六国の乱から現在まで1700年もの間同じ民族ということはあり得ない。
- 97 名前:世界@名無史さん [2005/04/25(月) 13:40:15 0]
- >>96
これことか? 『19 :世界@名無史さん :2005/04/16(土) 23:14:28 0 >1 朱元璋は江南人だからモンゴル時代の「マンジ(蛮子)=南人」。 モンゴルの言う「キタイ(契丹)=漢人」ではない。 モンゴル時代の「キタイ(契丹)=漢人」というのは いわゆる契丹でもなくいわゆる漢民族でもなく 12世紀以後の華北人のことで、契丹人・女真人・高麗人・渤海人など 八民族の混血。これが現在の華北中国人の直接の先祖。 (鮮卑がどうしたという話はこれよりもさらに以前の話であって 現在の華北中国人の直接の先祖ではない。) モンゴル時代の「マンジ(蛮子)=南人」というのは 南北朝時代から唐にかけて徐々に漢化した南蛮系の諸部族の子孫。 現在の江南中国人の直接の先祖。』…と。 因みにマンジはマンツ・マンズという発音もある。 南蛮系でも楚の原タイ族、越の古代ヴェトナム人と分かれていた。 また楚は三苗とも呼称され、越部族は一部が広東からインドシナに 移動した連中以外は江蘇南部も含めて、南漢民族と同化したらしい。
- 98 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/04/25(月) 15:42:56 0]
- >>97
そう。それ。
- 99 名前:世界@名無史さん [2005/04/25(月) 21:14:38 0]
- 渤海人ってよく民族定義はわからないけれど、
モンゴル系とツングース系の混合体でいいのかな。 例えば、契丹人のような…。 わかることは、鮮卑系の唐に滅ぼされたツングース系の高句麗 の亡民や靺鞨人が集結形成されたことしかわからない。 その指導者は高句麗人の大祚栄と靺鞨の酋長の乞四比羽ら…。 それとも渤海は民族呼称でなく、国家民の呼称なのか? 因みに渤海国はモンゴル系契丹の迭刺部の耶律阿保機(遼・太祖)に、 926年に滅ぼされ、そこを東丹国と改称し長子の太子図欲が封じられた。
- 100 名前:世界@名無史さん [2005/04/25(月) 23:41:09 0]
- また渤海人には金の将軍の郭薬師もいた。
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