- 1 名前:世界@名無史さん [05/02/20 19:30:58 0]
- あの陳舜臣も鮮卑トルコ系説を支持している。
- 2 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/20 19:42:11 0]
- test
- 3 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/20 19:52:34 0]
- 北アジア遊牧民はある意味じゃみんなトルコ
- 4 名前:世界@名無史さん [05/02/20 20:03:27 0]
- >>3
ああ、匈奴時代のことね。 正直いってその頃はモンゴルもトルコも区別が無かったらしい。 ただ、ツングースはシベリア・イヌイットとゴチャゴチャしていたらしい。 当時の蒙古高原やシベリア(北アジア)にいた北方塞外遊牧民は、 アルタイ語派、若しくはアルタイ諸族の呼称が的確だったらしい。 ウラル語派のサモイェード族も含まれるのかな?
- 5 名前:世界@名無史さん [05/02/21 21:48:10 0]
- そういえばトルコってアルタイ語派の先祖説もあるらしい。
元はといえば、モンゴルもツングースも古代トルコの後裔らしい。 飽くまでも推測だが。
- 6 名前:世界@名無史さん [05/02/21 22:30:36 0]
- >>1-5
トルコ語、モンゴル語、ツングース語などをひっくるめて、 アルタイ諸語というが、これらの間には、互いに類似した 語彙、共通の語彙があり、さらに、文法的な類似性もある が、それらがもともと同じ言語から生まれた娘言語である ということは、言語学的には全くいえないので、まあ、 文化を共有していたので、日本語に大量の中国語系語彙が あるとか、それを、韓国、日本、中国、台湾で共有している とかいうのと同じであって、語族としての意味はない。 フィン・ウゴールは、一応、言語学的にみて共通の祖語 から派生したことがあるていど立証されているようだ。 まあ、もともと、広い範囲にいて、それぞれの家族の伝統 として、トルコ系とかモンゴル系とかツングース系とかの 言葉をしゃべっていたとしても、だれもが、ちょっと家族 以外の人としゃべるとなると、それら三つか四つの言語を 平気で使い分けるような人たちに、家族の言葉がトルコ系 だからといって、あんたトルコ系ですか?と聞くのも野暮 だっていう意味で、共通の文化基盤があるってことだろう と思う。
- 7 名前:世界@名無史さん [05/02/21 23:29:44 0]
- 鮮卑発祥の地と言われる大鮮卑山が黒竜江省だから
ツングースの可能性が最も高いんじゃないかな 女真・満州と同類の狩猟民族で 遊牧系のトルコ・モンゴルとは違うような気がする
- 8 名前:世界@名無史さん [05/02/21 23:46:17 0]
- 実は満洲地方には様々な種族がいた。
現在のウラジオストクでもウデゲやナナイ族は 民族的にはツングースだがモンゴルやチュルクと 古くから複雑に混血していたらしい。 つまりユーラシア大陸の多様さを物語るな。
- 9 名前:世界@名無史さん [05/02/22 02:01:02 0]
- >>6
トルコ語と日本語にも共通語彙が複数ある。 一番有名なのが、イイ=(いい、良い)。 外にもテペ(てっぺん、頂上)、ス(すい、水)、ヤク(焼く)など。 まだまだあるけど忘れた。 あとトルコ語の母音は8個なんだけど、奈良時代の日本語も母音が八個で 似てるそうだ。 アジアの最西端と最東端で、ここまでの共通性があるのは決して偶然じゃ ないとか。
- 10 名前:世界@名無史さん [05/02/22 02:31:08 0]
- 語彙の異同は後代の文化圏によって異なるので、むしろ基本文法の異同に着目すべきですが、トルコ語と日本語の文法の共通点は結構感動的です。特に助詞、助動詞の用法。
- 11 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/22 02:39:35 0]
- >>1
陳舜臣なんてドキュン作家が何を言おうが関係ない。 鮮卑語はモンゴル語に一番ちかく、若干ツングース語も入ってる程度、 よって言語的にはモンゴル系ということで大昔に決着がついており 有力な異論は存在しない。 2chでは以前からトルコ、トルコといってる馬鹿がいたのだが そうか陳舜臣がネタ元だったのか…。やれやれ。
- 12 名前:世界@名無史さん [05/02/22 02:51:21 0]
- >テペ(てっぺん、頂上) *頂上ではなく天辺
>ス(すい、水) 中国語も似たような発音だよ。 (あげあしとってごめんね)
- 13 名前:世界@名無史さん [05/02/22 03:06:26 0]
- >>10
トルコ語と日本語の語順はほぼ同じだね。最後に動詞が来る。 トルコ語、中央アジア諸語、モンゴル語、満州語、朝鮮語、日本語 のウラル・アルタイラインは全部そうだけど・・・・
- 14 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/22 03:38:28 0]
- >>13
インドの印欧語族もそういう語順なのを知らないのかね。 語順なんてのはわりと簡単に変わる。 言語分類では語順なんてのはそれほど重要視されていない。
- 15 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/22 03:42:09 0]
- 固有名詞(発音は推定)がチョボチョボあるだけの鮮卑語を
その当時存在していたのかも怪しいテュルク語やモンゴル語と 比較しようなんてのは無理な話。 この手のスレよく立つけど、具体例の提示もなしに 妄想の垂れ流しだらけ>あげく毎回ケンカで終了。
- 16 名前:世界@名無史さん [05/02/22 03:52:34 0]
- 極端な朝鮮主義者の世界地図
img19.exs.cx/img19/6281/asiamap1.jpg 平均的な朝鮮主義者の世界地図 img19.exs.cx/img19/7968/asiamap2.jpg 平均的な中華主義者の世界地図 img19.exs.cx/img19/6404/asiamap3.jpg
- 17 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/22 06:18:07 0]
- アルタイ諸語と日本語の共通性は印欧語族や漢語よりは近いだろうが、
日本語と大きく違うのは、名詞を修飾する人称は後置したり(突厥語もこの特徴有り)、 基本語彙でも閉音節語彙が多すぎたりする点があげられていたはず。(朝鮮語も閉音節が多い) 一応日本語でアルタイ諸語と関係がありそうなのは、 「槍ヶ岳」というときの「岳(たけ/だけ)」が突厥語などで「山」を意味する「taγ」と 起源がおなじ単語ではないかと云われていたような。 (トルコ語でいえば「tag」)
- 18 名前:世界@名無史さん [05/02/22 10:52:35 0]
- >>17
名詞を修飾する人称は、それを誰が所有してるかを明確に示す為のものだね。 例えばアドゥ(名前)にゥム(自分の)を付けてアドゥムにするとか。 アラビア半島の厳しい環境が(財産の所有競争)、後にそれを形成したんだろうよ。 あと閉音節が多いのは、周囲のアラビア語の影響による。
- 19 名前:世界@名無史さん [05/02/22 10:59:35 0]
- >>14
語順の一部が似てるという話じゃないよ。 日本語とトルコ語は、全品詞の並び方がほぼ一致してる。 つまり、日本人がトルコ語を話す時は、日本の単語をそのまま トルコ語の単語に置き換えていけば、一応ちゃんとした文になるって事。 それに、語順はそうそう変わるものじゃない。どこから聞いた話かな。
- 20 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/22 16:02:24 0]
- >>15
具体例はたくさんあるよ。あなたが無知なだけ。
- 21 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/22 16:15:02 0]
- >>18
いや、名詞を修飾する人称語尾の存在はキョルテギン碑文やトニュクク碑文といった 7世紀の突厥の諸碑文から既に現れてる特徴だが、これは別段テュルク語に限ったことではない。 人称語尾は例えば当時の印欧語族でいえばパフラヴィー語やパルティア語、 ソグド語、バクトリア語などの中期イラン語でも持っているし、 現在の近世ペルシア語でも名詞を修飾する人称語尾がある。 最古の印欧語族であるヒッタイト語などのでもそれぞれ人称語尾はあり、 さらにアラビア語のみならず古代のアッカド語やヘブライ語、アラム語などのセム系言語にもある。 テュルク語は歴史的には、アラビア語のようなセム系言語よりも圧倒的にイラン諸語からの 影響が強い。 借用語などは当然閉音節が多いが、たとえば馬を意味する「at」や水を意味する「suv」など ウイグル王国時代のウイグル語などはすでに元来のテュルク語でも 自らの言葉に閉音節語彙が存在していることを認識していた。 突厥文字ではどうだったか・・・ でも確か突厥の碑文でも閉音節の固有名詞はいくつもあったはず。
- 22 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/22 16:30:45 0]
- 鮮卑というか、北魏の皇帝も
柔然の可汗と同じく「可寒」と称していたって話は出たっけ?
- 23 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/22 17:39:21 0]
- これ↓立てたの>>1か?
誰か「鮮卑語」の語源の系統を教えてくたされ! academy3.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1095872378/l50
- 24 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/22 20:10:17 0]
- ここまで、鮮卑語の単語が何も出てこないんだから
どうしようもないな。終了終了。
- 25 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/22 20:54:41 0]
- 阿干=兄
- 26 名前:世界@名無史さん [05/02/22 23:12:09 0]
- 鮮卑語で『Büri』という言葉がある。
これは原チュルク語で狼の意味だそうだ。 特に北魏の太武帝の拓跋Zの鮮卑名らしい。
- 27 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/23 07:20:13 0]
- >>24
オマエが知らないだけ。
- 28 名前:世界@名無史さん [05/02/24 22:01:25 0]
- 亀レスですまんが、
鮮卑語かどうかはわからんが、ナラ=Nara=納刺という単語がある。 これは原トルコ語で『国』『邑』を意味するそうだ。 日本の奈良もそれが転訛した地名なのかその名残らしい。
- 29 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/24 22:07:10 0]
- 「ナラ」っていう単語が中国も朝鮮も通らず
空飛んで日本にやってきたっていう説ねw
- 30 名前:世界@名無史さん [05/02/24 23:00:43 0]
- ウリナラ?
- 31 名前:世界@名無史さん [05/02/25 00:29:20 0]
- >>29
>>30ってことで
- 32 名前:世界@名無史さん [05/02/25 16:08:11 0]
- 司馬遼が「トルコ語のカラと日本語のクロは似てる気がする」とか書いてたな。
- 33 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/25 16:15:51 0]
- それを言い出したら、英語の「guess」は「下衆の勘ぐり」に近いとかいっていたどこかの学者が
- 34 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/25 17:25:02 0]
- 新境地を切り開く学説だって出発点はそんなもんだ
思いつきの段階でペラペラ口走っちゃう人→素人 調査し裏付けをとってから仮説として提示する人→学者
- 35 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/02/25 17:27:12 0]
- ついでに
結論が最初から決まっていて、その結論に都合のいい 資料だけ使ったり、歪曲したり、捏造したりして 自説の論証とする人→デムパ(トンデモ)
- 36 名前:世界@名無史さん [05/03/02 00:08:07 0]
- どうやら鮮卑はブリヤト族に鍵がありそうだな。
- 37 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/02 00:15:46 0]
- >>28
朝鮮の前の高麗は、蒙古の大元国に占領されてたろ。 鎌倉で首を刎ねられた大元国の使節のうち2人はウイグル人、つまり、 トルコ人だ。
- 38 名前:世界@名無史さん [05/03/02 00:18:48 0]
- (コピペ)
>シベリアとシベ族(中国の少数民族)は、 >同じ語源なんだという説を聞いたことがある。 >「シベ」(鮮卑?)という部族が、 >チンギスハンの軍隊の一部として移住し、 >シベリアという地名の由来になったそうだ。
- 39 名前:世界@名無史さん [05/03/02 00:29:11 0]
- >>37
ああ、元の礼部侍郎の杜世忠の使節団ね。 回紇族が二人もいたのは知らなかった。
- 40 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/02 01:24:29 0]
- > 説を聞いたことがある。
> になったそうだ。 だが、その出典が何かは一度も聞いたことがない ある種の人たちの典型
- 41 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/02 11:08:22 0]
- >>36
なんで?関係ないと思うけど。 >>37 奈良時代よりはるかに後の時代じゃんかよw >>38 シベリアの語源は「シビル汗国」だけど、この先祖は明朝&チムール帝国の 時代にあった「イビルシビル」で、さらにその前はササン朝の頃にコーカサス あたりにいた「サビル人」で、さらにその前がモンゴル高原にいた「鮮卑」。 中国の少数民族の「賜伯」族は満族の一派で清代のはじめにウイグル方面に移住。 チンギスハンとは関係ない。
- 42 名前:世界@名無史さん [05/03/03 01:22:24 0]
- 昔はソープランドをトルコ風呂と呼んでいて、トルコ人のクレームでソープランド
に変更になった。 だから今度はトルコ系民族風呂に呼びなおしてみて怒って来た やつがいたらそいつらがトルコ系だ。これではっきりするぞ。 ちなみになんであれをトルコ風呂と呼んだのだろう?
- 43 名前:世界@名無史さん [05/03/03 01:26:33 0]
- ドイツだか、イギリスだかでは、いわゆる特殊浴場のことを、
「タイ風呂」って呼ぶって聞いたことがあるぞ。 まあ、トルコってば、ローマ時代以来の伝統の風呂文化がある ところだと思うが。
- 44 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/03 11:42:13 0]
- >>42
中東のハンマーム(浴場)は掛け湯用の湯船もあるけど、 基本的には蒸し風呂が主流で、欧州伝統の箱形の湯船や シャワーやプールとは趣が異なる。 18〜19世紀末にオリエントブームが巻き起こって 中東風の蒸し風呂屋がフランスやイギリスで流行ったそうだ。 オスマン朝とのつながりで中東風のものは何でも「トルコ風」と名付けていたので、 ハンマームっぽい蒸し風呂は「トルコ風呂」と呼ばれるようになった。 オスマン朝のおかげでハンガリーやオーストリアなど中欧では 風呂は珍しくなかったけど、英仏など西欧では珍しがられたらしい。 (ドイルのシャーロックホームズにも出てくる) 中東ではハンマームは基本的に銭湯と同じ感覚なので貴顕から庶民までの社交の場だった。 しかし欧州での風呂屋はだいたい売春宿的なところも多かったから、 「オリエント風」「トルコ風」に隠微なニュアンスを持つのが 当時の流行りだったこともあって、「トルコ風呂屋」は売春宿の代名詞となっていた。 日本でも戦後の売春規制でソープ系の店は職種の改称を迫られたので、 西洋風に「トルコ風呂」と称するようになった。本国トルコでは西洋での 何かとセクシャルなものに「トルコ」「トルコ」と名付けられる伝統に 辟易してたのに、「トルコ風呂」の存在を知って 「同じアジアの日本で西洋と同じことが言われてる!」と大ショックだったらしい。
- 45 名前:世界@名無史さん [05/03/03 18:49:25 0]
- まぁ「同じアジア」なんてもの本来存在しないんだけどね本当は。
トルコの気持ちはわかるよ。
- 46 名前:世界@名無史さん [05/03/05 19:25:24 0]
- 少々亀レスっぽくなるが
弥生人の先祖ってNHKでバイカル湖発祥のブリヤト人ということは、 周知の通り。だが、地理学や民族学的にはモンゴル系らしいが、 トルコなどの血も濃くが混じってるしどうも複雑な要素があると俺は思うな。 多分弥生人が原トルコ人と民族的にも人種的にも近いんじゃないかな。 (もちろん、黄河文明を生んだ北漢民族=華北人とも混血はしてるが) この辺に日本人とトルコ民族の関連性の鍵があると思うな。 まあ、全世界のどこの民族でも混血はしているがね。
- 47 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/05 20:54:27 0]
- >>41
フンの一派でブルガールやハザールと近縁の部族Sabir/Seberと シビル→シベリアが関係あるらしいことはわかっているが、 鮮卑とSabirの関係を示す証拠はないだろ。 「鮮卑○○部が西遷した」とか「サビルと鮮卑の祖先神話が 共通する」とかの証拠でもないと、単に名前が似ているだけじゃ 関係を論ずるのは無理だね。
- 48 名前:世界@名無史さん [05/03/05 21:28:59 0]
- ところで、鮮卑の実質上の創始者の檀石槐は
親父の投鹿喉の跡を継いで、鮮卑の各族長から 盟主となり、大人(または単于か?)に即位したらしいが。 彼の部族は、鮮卑段部出身でいいのかな。 どの文献でも資料が少ないから、多少漏れの妄想もあるけど…。
- 49 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/06 00:28:03 0]
- 檀石槐の「檀」て氏族名とか部族名なのかな?
そのわりには、檀石槐の後継者連中(和連、歩度根、扶羅韓)に 「檀」がついてるの見たことないんだけど。
- 50 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/06 03:51:47 0]
- 名前の一部でそ。
- 51 名前:世界@名無史さん [05/03/06 08:41:19 0]
- あるサイトでは檀石槐の次男の和連が『檀和連』となってたけど。
それはサイト管理者の誤りの解釈なんかな?? それに和連は文献よっては『われん』や『かれん』という呼称があるが。
- 52 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/06 09:04:06 0]
- >>51
「あるサイト」じゃわからん。アドレス晒せ。 「われん」「かれん」はどっちも現代日本語訛りの読み方で当時の発音と関係ないからどっちでもよし。
- 53 名前:世界@名無史さん [05/03/06 09:29:24 0]
- これでいいかな。
cache.yahoofs.jp/search/cache?u=www.chinaknowledge.org/History/Division/xianbei.html&w=%22%E6%AA%80+%E5%92%8C+%E9%80%A3%22&d=CE658F7E2A&ou=%2fbin%2fquery%3fp%3d%25a1%25c8%25c3%25c9%25cf%25c2%25cf%25a2%25a1%25c9%26fr%3dtop%252c%2btop
- 54 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/06 09:58:25 0]
- >>51-53
ソースがわからんから多分でたらめ。三国志の鮮卑伝には「和連」としかない。 檀石槐の親父は投鹿侯で、べつに檀氏ではないし。
- 55 名前:世界@名無史さん [05/03/06 11:30:57 0]
- ふと思い出したんだが、水滸伝に出て来る
地狗星の金毛犬の段景住って、架空の人物かも知れんけど、 金王朝の昭夜ノ玉の獅子馬を盗んで梁山泊に入山する途中で、 満洲系の富豪の曾一門にその名馬を奪られた話は周知のこと。 その段景住は河北の涿州出身とあるから鮮卑段部ゆかりの 人物と設定されたのかな?
- 56 名前:世界@名無史さん [05/03/06 11:51:37 0]
- >>55の続き
他に檀石槐の腹心の燕茘游という鮮卑の一酋長もいたが、 水滸伝で登場する有名な北京っ子の浪子・燕青も、 鮮卑ゆかり人物と設定されてるのかな。 なにしろ、肌が透き通るほど白いとされてるからな。
- 57 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/06 12:22:59 0]
- 燕青は相撲も強いんだったよな、モンゴル相撲?
- 58 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/06 14:14:49 0]
- >>55-56
時代ちがいすぎるだろ。過疎だからって無理にネタふらなくていいよ。
- 59 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/06 19:51:32 0]
- >>51 >>52
和連はGhoren(赫連に同じ)、歩度根はBuduken、扶羅韓はVuloghan という推定復元がある。
- 60 名前:世界@名無史さん [05/03/06 20:42:49 0]
- >>59
ということは鮮卑と匈奴はある意味繋がってたのか。 赫連といえば匈奴の単于家の後裔で劉姓と称して、 夏(北夏?)を建国して、最後には鮮卑系の吐谷渾に滅ぼされたっけ。 まあ、周知の通り匈奴は遊牧連合国家だから、 鮮卑もそのグループであって当然だが。 そういえば、匈奴赫連部って単于家だから前趙の劉淵と親戚になるのかな?
- 61 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/06 20:49:32 0]
- まあ推定(仮説)だからw。仮説を基準に色々論じても
あまり意味はないよ。
- 62 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/06 21:03:08 0]
- 赫連勃勃は後秦に従っていた時に、鮮卑部落を傘下に置いていた
から、その関係上鮮卑的な氏名を名乗るようになった、と考えることも できるが・・・。 それよりも、まず読みが正しいか、もっと議論された上で先へ 進まないと電波ゆんゆんになっちゃうぞ。相変わらず鮮卑語の 話が全然出てこないんだけど。。。
- 63 名前:世界@名無史さん [05/03/06 21:18:18 0]
- >>62
それならここにあるけど…。 誰か「鮮卑語」の語源の系統を教えてくたされ! academy3.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1095872378/ ここでは鮮卑をも含めた遊牧民の話ならなんでもOKなのでは?
- 64 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/06 21:31:27 0]
- >>63
見たけど、 >靱帯(バックル)=Särbe 以外鮮卑語らしきものは全然出てこない羊頭狗肉の悲惨なスレだったね。 ここでも「鮮卑はトルコ民族か?」っていうテーマなんだから、鮮卑語と テュルク系言語の比較で話を進めないとどうもこうもない。 なのに鮮卑語(例が少ないから固有名詞を使ってもいい)に全然 触れないで、周囲をグルグル回ってるだけじゃ意味ないよ。
- 65 名前:世界@名無史さん [05/03/06 22:39:21 0]
- >>64
よくわかった。 じゃ>>26で鮮卑語に関する書き込みがあるから。 それを見て話を進めたいと思うが。
- 66 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/07 03:50:25 0]
- 鮮卑語はモンゴル語の系統。おわり。
- 67 名前:世界@名無史さん [05/03/07 20:49:43 0]
- >>66
モンゴル系という根拠は??
- 68 名前:世界@名無史さん [05/03/07 21:11:39 0]
- モンゴル語由来の借用語が多いだけの別系統言語、
という線もありえるのでは。
- 69 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/07 21:33:14 0]
- 具体例がない議論はデムパ扱いされるよ
- 70 名前:世界@名無史さん mailto:sage [05/03/08 18:19:51 0]
- オマエが知らないだけw
- 71 名前:世界@名無史さん [05/03/13 23:59:27 0]
- ヤクート語も系統はテュルク系だが、語彙の3分の1はモンゴル語からの借用語が
占めているそうな。
- 72 名前:世界@名無史さん [05/03/19 06:15:09 0]
- 話が何も始まらないうちにネタ切れかよ
じゃ、これでもたたき台にして。 方壮猷 「鮮卑語言考」 燕京学報 第8期 1930-12 鮮卑語○意義□通古斯語△蒙古語◇土耳其語 鮮卑○祥瑞□Sabi△−◇− 慕容○富□Bayan△Bayan◇Bayan 吐谷渾○塵土□−△Toghosun◇− 乞伏○児子□−△Köbön◇−
- 73 名前:世界@名無史さん [05/03/19 06:18:21 0]
- 檀石槐○霊異□−△Tangsuk◇Tangsuk
託鐸○黠慧□−△Zik-tai◇− 可寒○皇帝□加,干△Khagan◇Khagan 可孫○王后□−△Khatun◇Katin 莫賀○父,爺□Amha△Abaga◇− (「厤」の下に「女」)敦○母,媽□Mama△−◇− 阿干○兄□Aga△Aka◇Aga 貲虜○奴□Ze△Jarucha◇− 處○爾,唯□Dje△Dje◇− 祁連○天□Kulum△−◇−
- 74 名前:世界@名無史さん [05/03/19 06:19:34 0]
- 弾汗○白□Sagyan△Čagan◇−
饒楽○黄□Šara△Šira◇Sareg 鳥侯秦○土□−△Toghosun◇− 屈海○青海□−△Kükü◇Kök つっこみ所満載のはずだから、あとは張り切ってどうぞw。 このテーマでネタ振るなら、最低このレベルから始めてほしいね。
- 75 名前:世界@名無史さん [2005/03/30(水) 11:24:21 0]
- >>72-74
凄いな。漏れはドイツ語とかを習ってるけど、 こんな豊富なスペルは見たことが無い。 漏れももっといろいろ学んだほうがいいかな。
- 76 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/03/30(水) 18:42:35 0]
- 鮮卑は東胡の末裔、ということでトルコ系。
−−終了−−
- 77 名前:世界@名無史さん [2005/03/30(水) 22:03:48 0]
- >>76
鮮卑が東胡の後身って結論的に早過ぎないか? 鮮卑のグループのうち東胡系の部族がいたのは確かだが、 全てがそうだとはいえないだろう? むしろ山戎の後身のほうがしっくり来るが…。
- 78 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/03/30(水) 22:12:30 0]
- 朝鮮と同じ字が使われているのが可哀相すぎる
- 79 名前:世界@名無史さん [2005/03/31(木) 01:15:44 O]
- 東から西にいくつも民族が追いやられては国作ってるけどな。
- 80 名前:世界@名無史さん [2005/03/31(木) 01:31:54 0]
- 今は滅びたアルタイ語ってのがあって、それがトルコ語や
モンゴル語に大量の語彙を提供した、とかいう考え方は できないかな。そうすると、その古アルタイ語の民族が、 いわゆる、そういういろいろ。
- 81 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/03/31(木) 02:43:34 0]
- このスレだめだわ
- 82 名前:世界@名無史さん mailto:sage [エジプト暦2329/04/01(金) 07:06:23 0]
- >>76-77
東胡の後身は鮮卑じゃなくて烏桓だろ。
- 83 名前:世界@名無史さん [エジプト暦2329/04/02(土) 00:37:52 0]
- >東胡の後身は鮮卑じゃなくて烏桓だろ。
周知かも知れんが契丹も該当する。
- 84 名前:世界@名無史さん mailto:sage [エジプト暦2329/04/02(土) 01:21:55 0]
- 契丹が東胡の後身?そうだっけ?ソースは?
- 85 名前:世界@名無史さん [エジプト暦2329/04/02(土) 01:43:57 0]
- ソースかどうかわからんけど、このコピペが有力かな。烏丸も含むけど。
>:04/09/08 04:13 >>456 >契丹と烏桓は別のようだよ。契丹は古くは「比麗」とかなんとかいって >広開土王碑文にもでてくる。だからかなり古い段階で烏桓とは別のものになってる。 >烏桓は南匈奴とならんで魏の騎馬軍になったがそのまま中国人に吸収されて消滅? >しかし魏に服属しなかった烏桓は、北に逃げて鮮卑とか突厥とか柔然とかの >新興の騎馬帝国に吸収されて消滅?(どっちにしろ吸収されて消滅か…?) これは漏れの推測判断ミスを認める結果となるかも知れんが、 最近では東胡自体がコーカソイド説もあるらしい。 もしそれが事実なら、今までのモンゴロイドの契丹が東胡の後身説が否定されるかも…。
- 86 名前:84 mailto:sage [エジプト暦2329/04/02(土) 02:15:50 0]
- >契丹と烏桓は別のようだよ。契丹は古くは「比麗」とかなんとかいって
>広開土王碑文にもでてくる。だからかなり古い段階で烏桓とは別のものになってる。 >烏桓は南匈奴とならんで魏の騎馬軍になったがそのまま中国人に吸収されて消滅? >しかし魏に服属しなかった烏桓は、北に逃げて鮮卑とか突厥とか柔然とかの >新興の騎馬帝国に吸収されて消滅?(どっちにしろ吸収されて消滅か…?) ↑これ漏れが書いたやつだよ。 ちなみに「比麗」はまちがい。正しくは「稗麗」。
- 87 名前:世界@名無史さん [2005/04/08(金) 21:07:42 0]
- 北周時代には鮮卑語リバイバルがあって、
漢字で書かれた鮮卑語文書が結構あったらしいんだが、 どっかに残ってないもんかねえ。敦煌莫高窟みたいな 場所、他にないもんかねえ。それさえ見つかれば、 こんなスレなんか立たないのにな。
- 88 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/04/08(金) 23:51:30 0]
- 書物なんて案外簡単に散逸してしまうもんだからな。
現在の日中韓の古典をすべてあわせても 名前だけ伝わる書物の100分の1もないんじゃないか?
- 89 名前:世界@名無史さん [2005/04/12(火) 09:23:07 0]
- >>87
北周は多分鮮卑化した匈奴系の宇文部が建てた王朝だからな。 だから鮮卑ナショナリズムが強く、民族固有の危機感があったのだろう。 例えば、北魏の孝文帝の時代に漢風に改姓された鮮卑貴族に対して、 鮮卑風に復姓させている。隋・唐なんかそうだな。 隋は楊氏→普六茹部、唐は李氏→大野部…の構図になってるな。
- 90 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/04/12(火) 17:32:02 0]
- >>89
の割には周礼体勢だけどな
- 91 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/04/13(水) 04:46:57 0]
- >>90
それこそ“漢”民族以前への回帰・復古でしょ。
- 92 名前:世界@名無史さん [2005/04/13(水) 22:07:36 0]
- >>91
鮮卑宇文部の北周はそういうイメージはしないが、 同じ鮮卑系の隋・唐は“漢”民族以前への 回帰・復古を故意に意識してる感じはあるな。 原型の積み重ねによる中国伝統の科挙を生み出したのも該当するな。 あとは屈強な漢族の徴兵による府兵制度は北周から受け継いだみたいだ。
- 93 名前:世界@名無史さん [2005/04/23(土) 16:47:24 0]
- 関連スレ?
漢民族ってどこいったの? academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1113524534/ 現在の華北の漢民族って先祖が鮮卑族が多そうだね。
- 94 名前:世界@名無史さん [2005/04/24(日) 04:29:29 0]
- んなこたぁない
- 95 名前:世界@名無史さん [2005/04/24(日) 11:35:11 0]
- >>94
ソースは??詳しく!
- 96 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/04/24(日) 21:20:19 0]
- 中国は何度も民族交代があり鮮卑が入ってきたのはその中のひとつにすぎないから。
五胡十六国の乱から現在まで1700年もの間同じ民族ということはあり得ない。
- 97 名前:世界@名無史さん [2005/04/25(月) 13:40:15 0]
- >>96
これことか? 『19 :世界@名無史さん :2005/04/16(土) 23:14:28 0 >1 朱元璋は江南人だからモンゴル時代の「マンジ(蛮子)=南人」。 モンゴルの言う「キタイ(契丹)=漢人」ではない。 モンゴル時代の「キタイ(契丹)=漢人」というのは いわゆる契丹でもなくいわゆる漢民族でもなく 12世紀以後の華北人のことで、契丹人・女真人・高麗人・渤海人など 八民族の混血。これが現在の華北中国人の直接の先祖。 (鮮卑がどうしたという話はこれよりもさらに以前の話であって 現在の華北中国人の直接の先祖ではない。) モンゴル時代の「マンジ(蛮子)=南人」というのは 南北朝時代から唐にかけて徐々に漢化した南蛮系の諸部族の子孫。 現在の江南中国人の直接の先祖。』…と。 因みにマンジはマンツ・マンズという発音もある。 南蛮系でも楚の原タイ族、越の古代ヴェトナム人と分かれていた。 また楚は三苗とも呼称され、越部族は一部が広東からインドシナに 移動した連中以外は江蘇南部も含めて、南漢民族と同化したらしい。
- 98 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/04/25(月) 15:42:56 0]
- >>97
そう。それ。
- 99 名前:世界@名無史さん [2005/04/25(月) 21:14:38 0]
- 渤海人ってよく民族定義はわからないけれど、
モンゴル系とツングース系の混合体でいいのかな。 例えば、契丹人のような…。 わかることは、鮮卑系の唐に滅ぼされたツングース系の高句麗 の亡民や靺鞨人が集結形成されたことしかわからない。 その指導者は高句麗人の大祚栄と靺鞨の酋長の乞四比羽ら…。 それとも渤海は民族呼称でなく、国家民の呼称なのか? 因みに渤海国はモンゴル系契丹の迭刺部の耶律阿保機(遼・太祖)に、 926年に滅ぼされ、そこを東丹国と改称し長子の太子図欲が封じられた。
- 100 名前:世界@名無史さん [2005/04/25(月) 23:41:09 0]
- また渤海人には金の将軍の郭薬師もいた。
- 101 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/04/26(火) 02:41:48 0]
- >>99
基本的には「渤海人は、高句麗人と靺鞨人の混血」でいいはず。 ただし「靺鞨」自体が特定の民族ではなくて 靺鞨の中の諸部族に夫餘系もいればツングース系もあっていろいろ。 なので最近では、系統の異なる諸部族の連合(靺鞨人)から、 漢文化をとりいれて一国家としてのアイデンティティーを共有(渤海人)へ の変化として「靺鞨=>渤海」とストレートに考える見方が出ている。
- 102 名前:世界@名無史さん [2005/04/27(水) 01:21:24 0]
- >>101
靺鞨諸部族のうちの黒水靺鞨は女真族の前身とされてるね。
- 103 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/04/27(水) 14:22:42 0]
- 黒水靺鞨は「生女真」、旧渤海国内部の靺鞨は「熟女真」じゃないかな?
「女真」という言葉は渤海滅亡以後からしかでてこないのと 女真は「民」の意味であることから、渤海国の遺民の意味だとの説もある。
- 104 名前:世界@名無史さん [2005/04/27(水) 22:12:44 0]
- 女真はまた『女直』という他称があるらしいね。
また夫餘って高句麗と百済(王室のみ)を建てた民族だね。 一般的にはツングース系として扱われるらしいけど、 実際はどんな種族だったのだろうか? なんとなく原チュルク人の血も濃く混じってる感じがするけど…。
- 105 名前:転載くん mailto:sage [2005/04/28(木) 07:29:44 0]
- 584 名前:日本@名無史さん メェル:sage 投稿日:05/03/09 05:54:16
李基文の研究はずいぶん古いもんじゃないのかな。 しかもトルコ語やツングース語まで朝鮮語にいれてるような気がする。 朝鮮語は中国語からの借用語が多いが、そもそも新羅という国が高句麗の 影響下で形成された国だから高句麗語の影響があるのは当たり前。 最近は高句麗語はトルコ語との関係が指摘されている。 朝鮮語は新しい言葉でトルコ語やツングース語も入っており 朝鮮語の固有語を抽出するのは難しい。 正確に計算したわけじゃないが、どんぶり勘定でいうと 日本語が40%、トルコ語30%、ツングース語20%、 朝鮮語の原固有語が10%くらいじゃないか?
- 106 名前:世界@名無史さん [2005/04/28(木) 22:16:53 0]
- >>105
ありがとう。 わが意を得たというか、正直いってホッとした。 ある意味ブリヤート語と共通がありそうかな? またウラジオストクに定住するナナイ族やウデゲ族も ツングース系満洲族の一派とされてるがトルコ諸語の 影響も濃厚と聞いたことがある。例えばヤクート族とか…。 夫餘もナナイ族やウデゲ族の先祖の一派なのかな?
- 107 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/04/29(金) 15:10:06 0]
- だからツングースじゃないでそ、夫餘は。
- 108 名前:世界@名無史さん [2005/04/29(金) 17:58:15 0]
- じゃあ古代トルコ族でいいってことね。夫餘は…。
- 109 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/04/29(金) 21:02:08 0]
- 夫餘は夫餘。なんでトルコにしなきゃならないんだ?
- 110 名前:転送 ◆Xwr6UGLxvg [2005/04/29(金) 21:26:00 0]
- >>109
461 :日本@名無史さん :05/03/13 02:23:25 >460 扶余の地であった吉林省の扶余、農安が満州東部ではあるまい。 清朝の東三省では、扶余から諸V児河を渡ればモンゴルのジェリム盟 ではないのか。満州東部は靺鞨で、それ以前は署汚Kが住んでおった。 北扶余の末裔の達末婁は、「新唐書渤海伝」に嫩江(黒竜江省から 内モンゴル自治区)を渡って住んでいると出ている。
- 111 名前:世界@名無史さん [2005/04/30(土) 20:37:43 0]
- >>110の内容は夫餘の時代よりはるか後世の民族分布についていってるだけで
トルコ説の根拠にはまったくなってないのだが。
- 112 名前:世界@名無史さん [2005/05/26(木) 07:01:00 0]
- 北周の宇文氏って、鮮卑?匈奴?どっちなのさ。
- 113 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/05/26(木) 10:02:11 0]
- 論宇文周之種族
www.eurasianhistory.com/data/articles/a05/657.html
- 114 名前:世界@名無史さん [2005/07/08(金) 02:16:36 0]
-
- 115 名前:世界@名無史さん [2005/07/12(火) 20:35:53 0]
- チベットにあった吐谷渾って、文献によっては、その王朝が
鮮卑拓跋部と慕容部と混合してるけど、どっちが正確なの?
- 116 名前:世界@名無史さん [2005/07/25(月) 23:09:29 0]
- 王家は慕容部だよ。拓跋部なんていう話はない。
本当かどうかは知らないけど、初めて出てくる 『晋書』からそうなってる。 吐谷渾の名王であった拓跋氏は鮮卑じゃなくて、 支配下の党項(タングート)の部族だった可能性もあるな。 あんまり解明されていないけど。 後に西夏となった党項拓跋氏も吐谷渾傘下から唐に寝返った連中だし。
- 117 名前:世界@名無史さん [2005/07/26(火) 03:24:52 0]
- >>116
そうか…ありがとう。じゃあ、北燕と親族ということだね。 拓跋部っていうのは、西夏の党項族の氏族(李氏)のことだったのか? 或いは、タングート化した鮮卑の線も考えられると思われ。
- 118 名前:世界@名無史さん [2005/07/26(火) 19:15:16 0]
- 漏れの認識としては東胡(ツングース)が分かれて烏桓{うがん}、鮮卑{せんぴ}、
契丹{きつたん}になる、この時一部が朝鮮や日本の土井が浜出雲に渡来し 胡服をきた古墳埴輪文化の担い手となる。東アジアでは 鮮卑が突厥になり、契丹はモンゴル人になる、土着化した烏桓や東胡の残党は ツングースとなり女真族やオロチになる。 しかし、東胡自体も北東アジアの民族の集合体ではあることに留意。 扶余、カイ、ワイ族は半島の縄文人の後裔、彼らはツングース文化を受容し 独自の文化を築く。
- 119 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/07/26(火) 19:35:40 0]
- >>114-117
烏桓、東部鮮卑(慕容部・段部・宇文部)、拓跋部、匈奴鉄弗部、 西部鮮卑(禿髪部・乞伏部・吐谷渾)、羌、氐、蛮(巴氐・五渓蛮)。 烏桓から蛮まで、反時計回りに見事にグラデーションを成してるからなぁ。 特に、河西鮮卑が鮮卑なのか羌なのか、あるいは巴氐が氐なのか 蛮なのかなんて、今でもあまり判明してない、かなり微妙な所ぽい……。
- 120 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/07/26(火) 20:06:36 0]
- >>117
北燕? 五胡十六国時代の「ナントカ燕」の中では、例外的に北燕だけ慕容氏じゃないよ。 他の「ナントカ燕」は全部同系慕容氏=全部吐谷渾の親戚。 吐谷渾傘下の拓跋氏で素性がわかっているのは、後に西夏王家と なった拓跋氏(党項羌)だけ。拓跋赤辞が唐に内附したのは633年。 585年に隋に内附した拓跋寧叢、588年に隋に内附した裨王・拓跋木彌 などの正体は、わかっていない。鮮卑かもしれないし党項かもしれない。 あるいは鮮卑風に名乗ったその他の羌かもしんない。わからない。 拓跋「木彌」なんかはミニャク(党項のチベット名)の音写っぽくもある。
- 121 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/07/26(火) 20:07:49 0]
- 414年に滅びた南涼・禿髪氏(鮮卑)の一派が北涼に身を寄せ、
439年に北涼が滅びると、禿髪樊尼が積石山の南に移住して羌族を 支配した、と伝えられている。これが吐谷渾拓跋部になったのかも しれないね。 拓跋=禿髪は同音。吐谷渾の拓跋氏が史書上で登場するのは 6世紀後半からだし、可能性は高い。 なお、『旧新唐書』では、これが吐蕃の祖先になったとされているが、 吐蕃側の伝承とは全く異なるため、今では信用されていない。
- 122 名前:白馬青牛 [2005/07/27(水) 01:55:57 0]
- >>120
タングート拓跋部は四川省北部白河(白水江)流域が発祥地で、 「弥薬」、「弥人」と称した。 ミ・ニャク族は現在四川省の康定(戦前の西康省、 東部チベット・カム地方、漢人は西蕃、蛮子とも呼び、 中央チベット人(蔵)と区別した。)あたりに住んで木雅という 名で呼ばれており、そのミ・ニャクが北上し西夏国をつくり、 北上せずに、四川に残った一族が、木雅人とされる。 鮮卑拓跋部の影響もあろうが、後に征服王朝を築いた風土的、民族的 基盤は、四川の白河にあったと思う。
- 123 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/07/27(水) 21:28:38 0]
- > 585年に隋に内附した拓跋寧叢、588年に隋に内附した裨王・拓跋木彌
> などの正体は、わかっていない。 拓跋寧叢内附の記事は『隋書・吐谷渾伝』と思いこんでいたけど、 調べ直したら、『隋書・党項伝』だった。つまり拓跋寧叢も党項でした。 拓跋木彌内附の記事は吐谷渾伝。こっちは正体不明(だがやっぱり 党項くさい)。
- 124 名前:世界@名無史さん [2005/07/30(土) 21:53:55 0]
- 日本って、吐谷渾について書かれたまともな本全然ないね。
昔は中国より研究が進んでて論文がどんどん出てたのに。 船木勝馬『古代遊牧騎馬民族−草原から中原へ−』誠文堂新光社 で、ざっと一通りおさらいしてあるくらいかな。 周偉州『吐谷渾史』寧夏人民出版社 一冊あればすべて用が足りるから誰か翻訳して。 って言っても、今や鮮卑・吐谷渾の研究者って誰もいないか・・・。z
- 125 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/07/31(日) 08:15:55 0]
- >>118
まちがいだらけ 1、東胡がツングースというのは近代以後にできた俗説 2、土井ヶ浜移籍はBC3世紀だから烏桓・鮮卑は関係ありようがない 3、鮮卑は中央モンゴロイド、突厥はコーカソイドで別系統
- 126 名前:世界@名無史さん [2005/07/31(日) 10:31:35 0]
- >>125
118でないけど。 東胡はツングースに近いモンゴル系かも。契丹はその系統。 土井ヶ浜移籍に関しては無知でゴメンだが。 鮮卑は多分モンゴルに近いトルコ系か、或いはモンゴル化したトルコ族。 コーカソイドはむしろ、匈奴・烏丸のほうが濃厚。突厥はカザフ・キルギス・ ブリヤートの今日でも見られるようにれっきとしたモンゴロイド。 もちろん、鮮卑と突厥が別系統であることはいうまでもない。 トルコ民族は東方では元来のモンゴロイドが多く、中央アジアも含む西方では、 多分、タタール化≒トルコ化したアーリア系が多いと思われる。 だから民族的に同じトルコでも東西では人種が異なることになる。
- 127 名前:118 [2005/07/31(日) 19:19:44 0]
- >>125
そうですか?一応百科事典2つ参照して書いてるんですよ。 それに、突厥がコーカソイドって・・・
- 128 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/07/31(日) 21:38:38 0]
- >>125
アフラスィヤーブの突厥人像と石人(バルバル)、さらに天山ウイグル王国時代の 王侯像の比較から人相・衣服の共通性については色々論証されてるが、突厥人が コーカソイドなんて話は初めて聞いた。 護先生もそんな話しは一度もしてない。突厥帝国やウイグル王国でソグド人が経済的に 主導的役割を担っていたことは知られてるが。
- 129 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/07/31(日) 22:21:08 0]
- テュルク=コーカソイドを唱えてるのは、いつもの人種厨
(「白人=テュルク=日本人≠朝鮮人・中共漢人」願望の人たち) だからいちいち真に受けるな。ほっとけ。どうせまともな議論が 通用する相手じゃない。
- 130 名前:世界@名無史さん [2005/08/02(火) 12:37:44 0]
- >>125
反論はしないのか? 君のいう突厥≒チュルクがコーカソイド説の意見を是非聞きたいものだが。 なにかソースでもあるの?
- 131 名前:世界@名無史さん [2005/08/05(金) 03:09:37 0]
- シボ族は鮮卑の末裔らしいという説がある
- 132 名前:世界@名無史さん [2005/08/05(金) 12:03:15 0]
- ttp://neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/img/00130.jpg
トルコの女性アイドル「ヘプズィ」 R&B路線でいきたいとか、、 時代は変わった(遠い目
- 133 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/08/08(月) 05:28:58 0]
- >>131
シボ族は満族でそ
- 134 名前:世界@名無史さん [2005/08/28(日) 21:49:52 0]
-
- 135 名前:世界@名無史さん [2005/08/28(日) 22:34:12 0]
- 結論的にレスしてみると、鮮卑はモンゴル系でもありトルコ系でもある。
その意義は曖昧な感じがするかも知れんが、それが実情なところだろう。 具体的にいうと、モンゴルという民族称は隋唐期に勃興した、トルコ系 と見られる蒙兀・萠古などの部族が東蒙古から西満洲にある興安嶺の山奥 から、蒙古高原や華北地方に進出して初のモンゴル族として台頭したのであろう。 13世紀に蒙古のチンギス・ハーンとその宿敵の室韋タタール部はその系統であろう と推測できる。 余談が長くなったが、モンゴル人の先祖は進化した?トルコ人であろうと思う。 だから鮮卑も、そういう意味ではモンゴル・トルコというよりもアルタイ系と 呼称したほうが無難といえる。 >>133 満洲族はツングース系で、建州女真の後裔。さらにその先祖は黒水靺鞨。 言語的にはアルタイに属するが、畏らくアルタイ化したシベリア・イヌイット 一派の可能性があり得るかも知れない。多分。 例;(金の完顔氏族の歴代皇帝の諱) 迪古及(テクナイ)金・海陵王(煬宗?) 吾睹補(ウトウプ)金・宣宗 寧甲速(ニンキャス)金・哀宗
- 136 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/08/29(月) 10:35:32 0]
- 535 :白馬青牛 :2005/08/28(日) 23:40:35
>532 突厥のキヨルテギン像は、容貌からモンゴロイドですね。 匈奴も王侯貴族、あるいは単于であったとされるイノンーウラ古墳出土の 頭髪は黒色を呈し、直毛であり、今日のハルハーモンゴル人の頭髪に近く 匈奴国家の少なくとも支配部族がモンゴロイド型人種に属したとされる。 北匈奴は西方へ移動した(フン族か?)が、イリ川の西方、ケンコール 古墳群の遺骨は基本的にはモンゴロイド型人種に属するが、幾分か混血が ある。外部の封土の遺骨はコーカソイド型、とりわけパミールー フェルガナ人種に属しておるのでしょう。 >533 牧畜文化でも、アフェナシェボやアンドロノボ文化人は、コーカソイドで 近隣森林地帯はモンゴロイド。カラスク牧畜文化人は、モンゴロイドでも シベリアの森林諸種族(バイカル型)ではなく、「華北型」(中央アジア 型、長顔、北アジア種に比べ高い鼻。ただしロシア人はコーカソイドの 影響もありうるとしている。)に近いということでしょう。羌 (チベット・ビルマ系)、戎(チベット・トルコ系?)、狄(トルコ・ モンゴル・ツングース系?)、貊(モンゴル・ツングース・高句麗系)等 中原北部種族も「華北型」(中央アジア型)の別れであると思います。 ロシア人は、形質、考古学的要素で種族分けしておる部分がありますが、 最近のDNAやHLAの遺伝子の研究から、渡来系日本人を含め東亜の 種族は、北亜より、中亜種に近いようですね。
- 137 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/08/29(月) 10:39:17 0]
- 536 :がいやまん :2005/08/29(月) 08:32:06
なんだか古臭く、キルギスっぽくて恐縮なんですが、こういう情報があります。 主題:丁霊問題) 副題:G.Ye.Grumm-Grzhimaylo仮説の新歴史考古学資料に基づく見直し Lev Nikolaevich Gumilev 1959年ソ連地理学会報No.1 中央アジアにおいてはヨーロッパ人種の枝分かれとして2つの白人亜種が 実際に存在した。 その一つは南シベリアにいた長頭「丁霊」、別の一つは華北にいた短頭「狄」。 ヨーロッパ人種と丁霊は直接的関係はなく、それらは旧石器時代に枝分かれ した亜種である。 丁霊の子孫はイェニセイ・キルギスであるが、紀元後第二千年紀、南方から 到来したモンゴルと北方から到来したウゴルに吸収された。 戒狄の子孫は紀元後第一千年紀、一部は華北華人により、一部は東部 チベット人により吸収され、後者は混血してタングート族を生んだ。 ステップ丁霊はフンの一部となり、それにヨーロッパ的風貌(高い鼻、ふさふさ としたあごひげ)を与え、他方、ステップの狄、烏孫、鉄勒は9-12世紀にモンゴル 族に吸収された。(AD840年のウイグル汗国滅亡後)
- 138 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/08/29(月) 10:41:12 0]
- 537 :がいやまん :2005/08/29(月) 08:56:51
鮮卑の檀石槐に拉致された倭人もいるそうですから、シベリア引揚者のような倭人が 引揚者失対事業としての古墳建設に参加したということもあるかな。 538 :日本@名無史さん :2005/08/29(月) 09:09:15 ソ連はかつてシベリアに抑留した日本軍人も詳細まで調べました。 県別の調査で、鼻の高さ、眼窩の深さ、肌の色、事細かに 調べ上げられています。 日本では殆ど知られていませんね。 539 :日本@名無史さん :2005/08/29(月) 09:30:12 渡来人は朝鮮を経由して日本にきましたが、朝鮮での滞在は短いものでした、 次の渡来人が大陸から押し寄せてきたので…
- 139 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/08/29(月) 10:55:06 0]
- >>135の補正。
例;(金の完顔氏族の歴代皇帝の諱) 迪古及(テクナイ)金・海陵王(煬宗?) 吾睹補(ウトウプ)金・宣宗 寧甲速(ニンキャス)金・哀宗 …これは金の皇帝達の女真名で、漢名とは別。 要するに彼等の諱がアルタイ的よりもイヌイット風に感じた。 理由は本能というか勘で。スペルはどう記すかわからんけど。 これが自分のツングースのアルタイ化の説ということ。 追加 吾(呉)乞買(ウチマイ)金・太宗 合刺(ホラ)金・煕宗 烏禄(??)金・世宗 麻達葛(??)金・章宗 果縄≒允済=永済(??)金・衛紹王(紹宗?)
- 140 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/08/29(月) 20:50:13 0]
- 隋・唐の本姓の意義
(隋)楊氏≒普六茹→鮮卑語で柳のことを表すらしい。 (唐)李氏≒大野→鮮卑語でなにを指すかは今のところ不明。 なお、漢の楊氏の正真正銘の末裔は弘農郡出身の楊素・玄感父子。 漢の李氏の場合は隴西の豪族である西涼の李ロを経て、畏らく李白のこと。 李白の実父は李客と呼ばれたらしいが、「客」は本名でない。 他国から来た李氏のお客さんという意味。或いは中央アジア東部から来たかも。 李ロも含めて、李白は多分匈奴の血が流れている可能性が高いと思う。 それは李広の孫の李陵が匈奴の皇女と結婚し息子を儲けているから。 また、李白の悲劇的なオーラーは多分祖の李陵から受け継いでいるかも。 李ロも含めて。 余談が長くなったが、隋の皇室は楊喜・楊震・楊彪とは無関係で、 また唐の皇室も李信・李広・李陵・李ロとは血縁的には全く赤の他人。
- 141 名前:世界@名無史さん mailto:age [2005/08/30(火) 10:54:24 0]
- 540 :がいやまん :2005/08/29(月) 19:07:51
>535 月氏というのは甘粛省に跋扈していたイラン系、つまり、シルクロードの商人的 なものだったといわれていますが、新羅とインドの姫との婚姻伝承もあり、大月氏 との関係もあったのかなー。ヒミコ時代には魏が大月氏にも金印を出しているし。 等と考えるのですが。こうなると月氏は匈奴の攻撃を受けその支配下に入り、朝鮮 半島を南下して馬韓に入ったという仮説はどうでしょうか。 541 :白馬青牛 :2005/08/30(火) 02:19:47 >536 >南シベリアの長頭の「丁零」、華北の短頭の「狄」が白人亜種と 断定出来るのは、遺跡から出土した人骨、頭骨からの結果ですか。 しかも亜種という意味がようわからんのです。少しでも、鼻が高ければ、 白人亜種となるんか、どうか。あるいは、中原の彩文土器の起源が バルカン、南ロシア方面にあることから、そのような説が出たのかも 知れません。 時代的変化は知りませんが、現代の東チベット人の、頭長幅示数 [今村1968]は、75ぐらいで長頭といえます。 それと遼寧系・スキタイ系青銅器文化は高句麗、朝鮮半島、日本の渡来系 文化にも影響があるが、遼河付近一帯の赤峰紅陶期人(農主牧副民から 牧主農副民に変化した東胡人、烏垣、鮮卑、遼寧青銅器人)も人骨から 中亜種「華北型」とされ、モンゴル高原の匈奴とは、違いがあったんで しょう。
- 142 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/08/30(火) 11:44:37 0]
- 黄丁人種の特徴は???
黄丁人種(?)…人種特徴と生息地域は? 北アジア人種(黄色人種) 鰓の特長がある。長頭あるいは中頭。モンゴル、カザフ、サモイェードなど。 中央アジア人種(黄色人種) 鰓が無い。短頭。ブリヤート、キルギス、ヤクート、ツーバ、チベット、北漢族、南朝鮮など。 シベリア人種(黄色人種) 、輪郭が細長い。長頭が多く、高身長。イヌイット、ツングース、北朝鮮など。 インドシナ(南アジア)人種(黄色人種) 輪郭が丸く、短頭、中〜低身長。南漢族、ビルマ、タイ、ベトナム、カンボジアなど。 オーストロネシア人種(黄色人種) 輪郭が丸く、短頭。唇が厚い。低身長。褐色が多く、パプア人種の特長あり。 台湾、マレーシア、フィリピン、インドネシア、マダガスカルなど。 日本人の場合は、中央アジア人種と南アジア人種の混血と推測できる。(沖縄を除く)
- 143 名前:中国人 mailto:sdf [2005/08/30(火) 15:19:34 0]
- お前何一人でしゃべってんの?頭大丈夫?
- 144 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/08/30(火) 19:39:52 0]
- ↑
チャン君、乙!
- 145 名前:世界@名無史さん [2005/09/14(水) 00:05:17 0]
- イヨ
- 146 名前:世界@名無史さん [2005/10/07(金) 01:26:54 0]
- 日本って、吐谷渾について書かれたまともな本全然ないね。
昔は中国より研究が進んでて論文がどんどん出てたのに。 船木勝馬『古代遊牧騎馬民族−草原から中原へ−』誠文堂新光社 で、ざっと一通りおさらいしてあるくらいかな。 周偉州『吐谷渾史』寧夏人民出版社 一冊あればすべて用が足りるから誰か翻訳して。 って言っても、今や鮮卑・吐谷渾の研究者って誰もいないか・・・。z
- 147 名前:世界@名無史さん mailto:♭゜ [2005/10/07(金) 01:47:06 0]
- あえてageて問おう。
2ちゃん広しと雖も研究者、もとい物好きすら2ちゃんにいないのか?
- 148 名前:白馬青牛 [2005/10/22(土) 23:25:09 0]
- >>142
モンゴル人は頭幅示数83−87で短頭「今村1968」。 チベット人も地方によって違う。東部カム・チベット人等。 シベリア人種の項に至っては、根拠の無い妄想を書いておる。 人種厨かトルコ厨か知らんが。頭が狂うとる。
- 149 名前:あやめ ◆C0.O2CxIMg [2005/10/23(日) 00:25:06 0]
- だいぶ昔ですが松田壽男さんの「吐谷渾遣使考」という論文がありますね。
- 150 名前:白馬青牛 [2005/10/23(日) 23:12:36 0]
- >>149
その論文は、『松田壽男著作集4』「東西文化の交流U」六興出版の 「吐谷渾遺使考」P68〜126と載っておりましたね。 P123に「本稿は、昭和十年十二月十一日に東洋史談話会において 行った講演の手記である(中略)−昭和十二年七月十一日」とあり、 あやめさんのおっしゃる通り、かなり昔ですね。
- 151 名前:世界@名無史さん [2005/11/04(金) 00:39:44 0]
- >>146
チベット史スレで過去に吐谷渾の話題が登場していた記憶が。 もうDAT落ちしたかも知れん。
- 152 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/11/04(金) 22:18:59 0]
- 連続した数値や、比率的なものは、血統が入れ替わらなくてもよく変動する。
長頭・短頭とか、顔の幅と長さの比とか、身長・体重、頭と胴と脚の長さの比率とかいうものは、 栄養状態、気候、生活ぶり、喋る言語で簡単に変わる。 ところが、有るか無いかや数値でも連続しないものは血統が同じならなかなか変化しない。 門歯や犬歯の裏側が窪んでいるかとか、耳の穴の前に楊枝の先くらいの小さな穴があるかとか、 後頭部の骨が2枚に別れているか1枚に繋がっているかとか、臼歯の歯根が2つか3つか4つかとか そういうの観れぱかなり確実に集団の血統のつながりが推測できる。
- 153 名前:世界@名無史さん [2005/12/04(日) 00:31:51 0]
-
- 154 名前:ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY [2005/12/14(水) 22:06:36 0 BE:271593869-##]
- //
_// / ||_ノ __________________ \/// ̄\ / |> <_> \ | 我々の要求は、沖縄県における最大規模の大図書館の建設だ。 く\___| < |∇ \ | 明日宮内庁を爆破する。 \__/ \ |≧||≦ ̄|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 天皇制と文明論 〜恐るべき国民統制のカラクリ〜 天皇制の実質的な地位は、明治政府の意図した絶対的権力に基づく国家思想そのもので あり、社会整備や、教育現場における最高権力であった。しかしながら、その時代背景 には、権力者が独占的に政治と資本を支配し、その結果、国民の無権利や、不平等格差 が非難され、政治家への暴行、及び暗殺事件が多発していたことからも示されるように、 天皇制絶対主義という位置づけがなされたのである。 さらに、日本が軍事国家として巨大化していくうちに、天皇制絶対主義はこれとは違うもう ひとつの様相を有してきた。それが世界でも有名な、植民地支配の象徴である。日本国民 はそれまでの不平等格差を政治家や天皇に向けるのではなく、侵略することによって解消 し、それこそ子供だけでなく大人までもが、天皇制の意義を見出すようになったのである。 世紀の大混乱の中で支持された天皇制絶対主義とその思想文学は、現代においても侵略的 意義(琉球民族とアイヌ民族の国家的侵略)の組み込まれた大和民族のアイデンティティー そのものであり、他民族圧殺という民主主義プロパガンダを脈々と流しつづけているのである。
- 155 名前:世界@名無史さん [2005/12/30(金) 23:12:09 0]
- >>138
>鮮卑の檀石槐に拉致された倭人もいた 遠征中の食糧確保のために河川湖沼で漁撈を命じられていたんでしたっけ。 しかしどこで倭人と接触したのだろう。
- 156 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2005/12/30(金) 23:17:27 0]
- >>155
倭人ってのは別に日本にいた人間という意味じゃなくて、朝鮮南部や越地方にいた海洋民をさす言葉だったという説も有り
- 157 名前:世界@名無史さん [2005/12/31(土) 00:20:46 0]
- >>156
大陸の「倭人」については井上秀雄の著作を見よ。 じゃあ、なぜ日本人が「倭人」と呼ばれているかについては 諸説あるけど。 鳥越憲三郎の「なんでもかんでも倭族」説は、混乱するだけだから 読まなくていい。
- 158 名前:世界@名無史さん [2006/01/04(水) 20:08:29 0]
- 新春お年玉 吐谷渾文献リスト(抄)
『晋書』 西戎伝 吐谷渾 『宋書』 鮮卑吐谷渾伝 吐谷渾 『南斉書』 芮芮・河南氐羌伝 河南王 『梁書』 諸夷伝 西北諸戎 河南王 『魏書』 吐谷渾伝 『周書』 異域伝 下 吐谷渾 『隋書』 西域伝 吐谷渾 『南史』 夷貊伝 下 河南王 『北史』 吐谷渾伝 『唐書』 西戎伝 吐谷渾 『新唐書』 西域伝 吐谷渾 『新五代史』 四夷附録第三 吐渾
- 159 名前:世界@名無史さん [2006/01/04(水) 20:09:15 0]
- 白鳥庫吉 「吐谷渾氏考」 史学雑誌 22-5 (1914)
藤田豊八 「吐谷渾とDrug (Drug-gu)」 史学雑誌 36-10 (1928) 加川要 「和蕃公主に関する研究 唐と吐谷渾との交渉」 支那 27-3 (1936/3) 松田壽男 「吐谷渾遣使考」 史学雑誌 48-11・12 (1937/11・12) 大谷勝眞 「吐谷渾の名称について」 『山下先生還暦記念東洋史論文集』 六盟館 (1938) 山本達郎 「Drug-gu (Dru-gu, Drug)に就いて」 東洋学報 26-1 (1938/11) 戸田茂喜 「吐谷渾の西蔵名と支那史伝」 東洋学報 27-1 (1939/11) 和田博徳 「吐谷渾と南北朝との関係について」 史学 25-2 (1951/11) 後藤勝 「吐谷渾の国家」 史潮 54 (1954) 後藤勝 「吐谷渾に関する二・三の問題」 史潮 58 (1956)
- 160 名前:世界@名無史さん [2006/01/04(水) 20:09:50 0]
- 黄盛璋、方永 「吐谷渾故都−伏俟城発現記」 考古 (1962/8)
後藤勝 「吐谷渾の仏教」 『山崎先生退官記念東洋史学論集』 (1967) Gabriella Mole THE T'U-YU-HUN FROM THE NORTHERN WEI TO THE TIME OF THE FIVE DYNASTIES. IsMEO (1970) 佐藤長 「隋の煬帝の吐谷渾征討路について」 『江上波夫教授古稀記念論集 歴史篇』 山川出版社 (1977) 佐藤長 「吐谷渾における諸根拠地」 『チベット歴史地理研究』 岩波書店 (1978) 佐藤長 「唐代湟水上流の諸城塞と吐谷渾の伏俟城について」 東洋史研究 38-2 (1979/9) 山口瑞鳳 「書評 佐藤長著 『チベット歴史地理研究』」 史学雑誌 88-11 (1979/11) 鈴木隆一 「吐谷渾と吐蕃の河西九曲」 史観 108 (1983/3) 周偉洲 『吐谷渾史』 寧夏人民出版社 (1985) 荒川正晴 「唐代河西の吐谷渾と墨離」 内陸アジア史研究 3 (1986/3)
- 161 名前:世界@名無史さん [2006/01/04(水) 20:10:57 0]
- 周偉洲 『吐谷渾史入門』 青海人民出版社 (1988)
荒川正晴 「唐の中央アジア支配と墨離の吐谷渾(上・下)」 史滴 9 (1988/1) 〜 10 (1989/1) 船木勝馬 『古代遊牧騎馬民の国 −草原から中央へ−』 誠文堂新光社 (1989) 山名伸生 「吐谷渾と成都の仏像」 仏教芸術 218 (1995/1) 許新国 「吐蕃墓的墓上祭祀建筑問題」 『青海考古五十年文集』 青海人民出版社 (1999) 許新国 「都蘭県吐蕃(チベット)古墳群の発掘と研究」 『7・8世紀の東アジア 東アジアにおける文化交流の再検討』 大阪経済法科大学出版部 (2000) 許新国 「中国青海省都蘭吐蕃墓群的発現・発掘與研究」 シルクロード学研究紀要 14 (2002/3)
- 162 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2006/01/05(木) 02:14:28 0]
- >>155
檀石槐は2世紀半ばの人ということだから、神宮皇后の新羅征伐に接触しているかもしれんなぁ。
- 163 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2006/01/05(木) 19:32:00 0]
- このスレ、まだ生きていたんだな。
- 164 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2006/01/29(日) 12:31:08 0]
- 鮮卑は東胡の別種のモンゴル系だが、トルコ系の匈奴の宇文部が
鮮卑化するなど、トルコ系の影響がかなり濃い。 そういえば、宇文部が立てた北周は鮮卑ナショナリズムが強烈 だったと聞くし、隋の楊氏・唐の李氏に対して、漢化した姓を 元の鮮卑姓に戻るように勅命を出してるな。
- 165 名前:世界@名無史さん [2006/02/09(木) 05:52:16 0]
- >>1
スイスで行われた第1戦で、トルコ国歌斉唱時にスイスサポーターからブーイングが巻き起こった。 これで、トルコ国内は一気にアンチ・スイスに傾いた。もともと熱狂的なサポーターが、さらに熱くなっている。 www.nikkansports.com/ns/soccer/p-sc-tp0-051116-0001.html 第1戦の試合前のトルコ国歌斉唱時にスイス・サポーターからブーイングを受けたことにトルコ国民は激怒。 その上、第1戦で完敗した不満もあり、過激な行動につながった。 www.sponichi.co.jp/soccer/news/2005/11/16/06.html 5万2000人収容のスタンドは、赤地に三日月と星のトルコ国旗で埋め尽くされ、さながら赤い波濤(はとう)と なっていた。そして地鳴りのような歓声とブーイング。大げさではなく、スタジアム全体が揺れたような錯覚を覚える。 スイスの国歌演奏では、すさまじいまでの怒号で、ほとんどメロディを聞き取ることはできなかった。 ベルンで自分たちの国歌が侮辱されたことを、トルコの人々は決して許すことはなかった。 sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/wcup/06germany/column/200511/at00006671.html トルコ人は「最初(第1戦)に(トルコ)国歌にブーイングを浴びせたのはスイス人の方だ」と反駁(ばく)しているが、 試合後には選手間の乱闘に発展し、負傷者まで出したのは記憶に新しい。スイス人のブラッター会長が、 この騒動に心を痛め、FIFAのトップとしての責任を感じていたことは想像に難くない。しかし、 いきなり国歌の廃止というのはあまりにも乱暴ではないか。 www.sponichi.co.jp/wsplus/column_w/00132.html asahi.com:サッカー試合前の国歌演奏は継続 FIFA会長?-?W杯2006 www2.asahi.com/wcup2006/KYD200512080004.html
- 166 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2006/02/09(木) 16:52:19 0]
- ハイハイ、ワロスワロス。
- 167 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2006/02/13(月) 11:56:09 0]
- >>165
トルコ共和国の人種って、ギリシア・ラテン・イランなどの 地中海人種とアラブ・ユダヤと複雑に混血した人種であって、 中国北部周辺に住む本来のテュルク種族とは隔離があり違う民族。 まあ、マライ化したタイ王国の種族と、中国南部から インドシナ北部に住む本来のタイ種族とは隔離があり違う民族。 ま、言語のみ共通があるかな。
- 168 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2006/02/13(月) 11:57:57 0]
- >>167はトルコとタイの共通の例ね。
- 169 名前:世界@名無史さん [2006/02/16(木) 21:39:09 0]
- 祝1年!
- 170 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2006/02/19(日) 10:38:06 0]
- そういやあ、そうだ。
- 171 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2006/03/11(土) 22:39:08 0]
- メルキト族
- 172 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2006/03/11(土) 22:39:54 0]
- ブリヤート族
- 173 名前:世界@名無史さん [2006/03/19(日) 00:29:05 0]
-
- 174 名前:世界@名無史さん [2006/03/23(木) 00:35:41 0]
- 「森の民」って、今でいうトゥバ人やアルタイ人が一番近縁なのかな。
- 175 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2006/03/25(土) 23:13:00 0]
- 慕容、慕容、ぼよよよ〜ん。
ぼよよよ〜ん、よよ〜ん、吐谷渾。
- 176 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2006/03/26(日) 19:29:41 0]
- academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1143368205/
- 177 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2006/05/07(日) 13:38:45 0]
- >>164
>鮮卑は東胡の別種のモンゴル系・・・・ 32 :世界@名無史さん :2005/11/13(日) 15:28:44 0 最近はトルコとツングースの混血説が最有力。 モンゴル系とする説もあるがモンゴル人の祖がトルコ系の一派だから、 トルコ系と見ても問題はない・・・・ 【隋】漢民族は北魏孝文帝に感謝すべき【唐】 academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1131446624/32
- 178 名前: ◆Ny2r7R5Dbw mailto:sage [2006/05/07(日) 23:31:51 0]
- test
- 179 名前:世界@名無史さん [2006/05/11(木) 20:18:20 O]
- イキロ
- 180 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2006/05/31(水) 17:56:51 0]
- キケロ
- 181 名前:世界@名無史さん [2006/06/10(土) 12:32:01 0]
- 三国時代頃にいた烏桓はツングース系なんでしょうか?
- 182 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2006/06/13(火) 14:31:58 0]
- たぶんトルコ系。ただし鮮卑と同言語だったとすればモンゴル系の可能性もある。
- 183 名前:182 mailto:sage [2006/06/13(火) 14:32:43 0]
- >>177は不正確すぎ。
- 184 名前:世界@名無史さん [2006/07/08(土) 12:13:04 0]
- そうかな
- 185 名前:世界@名無史さん [2006/08/21(月) 10:59:34 0]
-
- 186 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2006/09/09(土) 13:50:27 0]
- 正確にはどうなん
- 187 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2006/09/11(月) 04:26:42 0]
- >>186
正確には鮮卑も烏桓も、 言語的にはモンゴル系を主にしてちょいツングース混じり。 ただし人種的には 鮮卑は北方モンゴロイドではなく中央モンゴロイド。 烏桓は匈奴と同じくコーカソイドだったかも知れん。
- 188 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2006/10/30(月) 17:33:28 0]
-
- 189 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2006/11/08(水) 20:31:58 0]
- 匈奴がコーカソイド?
- 190 名前:世界@名無史さん [2006/11/12(日) 00:41:48 0]
- ふーん
- 191 名前:世界@名無史さん [2006/11/26(日) 00:29:28 0]
- トルコ語系の歴史サイトをちらちら見てたら中々に面白いのが出てきた
Tabgaç devteti タブガチュ国って言うんだってさ ふーんどんな国の歴史なんだろうって思って見てたら 最初にT'o-pa" devletini (315-376) を建設してそののち シャモ=ハーンが新たに国を作り上げてるんだってさ それが(386 - 534)だとさ んでここまで読んで何かどっかで見た事有るなぁと思って詳しくしらべたらビックリ 代と北魏の事じゃないか つうか今のトルコの人達って鮮卑族拓跋部の歴史を思いっきり 自民族の歴史として教えてるんだな
- 192 名前:世界@名無史さん [2007/01/06(土) 12:26:39 0]
- ほー
- 193 名前:世界@名無史さん [2007/01/06(土) 16:20:32 0]
- 最古の基本文献である三国志に鮮卑は東胡とあるんだからツングース
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