- 248 名前:ラジオネーム名無しさん [2021/03/18(木) 00:55:55.23 ID:HdfFaR5J.net]
- 1 名前:レムデシビル(愛媛県)[JP] [sage] :2021/03/17(水) 23:41:57.42 ID:HdJw/xqD0● BE:135853815-PLT(13000)
img.5ch.net/premium/1372836.gif SEALDsとは何だったのか?「大半が年配の方でした…」デモ後の人生 政治参加の「余裕がない」現実 若者の政治離れ。そう言われる近年ですが、政治と若者が脚光をあびた時期がありました。2015年、安全保障関連法案などへの反対運動の中心には若者がいました。 彼らや彼女らと同年代の記者(26)は、遠くからあの盛り上がりを眺めていた一人。なぜ運動にかかわり、今は何を思うのか。渦中にいた人に話を聞きました。(朝日新聞和歌山総局記者・滝沢貴大) 実際は大半が年配の方でした デモが盛り上がった2015年、記者はSEALDsの中心メンバーたちと同じ大学に通っていました。休日に彼らのデモに鉢合わせたこともあります。 しかし、当時はどこか人ごとのように一連のニュースを見ていたように思います。むしろ、彼らのデモを「パフォーマンス過多だ」と決めつけ、どこか冷めて見ていた部分もありました。 今となっては、もっと自分ごととしてニュースに向き合うべきだったと感じています。 同じ頃、和歌山大に通っていた服部涼平さん(27)は2015年9月、「SEALDs KANSAI」に参加しました。 「当時は大学3回生。ゼミが始まり、戦時の障害者の待遇などについて学んでいました。そこに安全保障関連法の話が出てきて、1人でデモに行くようになりました。7月の衆院での強行採決に問題意識を持ち、『ここで何もしなくていいのか』と思いました」 服部さんは、主に大阪や和歌山でのデモに参加し、時には東京にも行きました。2015年9月に安全保障関連法が成立した後、他大学の人から声をかけられ、「SEALDs KANSAI」に加わりました。 「デモに参加して感じたのは若者の少なさです。『若者がデモに参加した2015年』という切り取り方をされることもありますが、実際は大半が年配の方でした。学生は時間的にも金銭的にも余裕がないのは大きいと思います」 大半の人が年配だった……そう聞いて、たしかにそうだと思いました。自分もそうですし、周りにデモに参加している学生もいなかったと思います。 https://news.yahoo.co.jp/articles/0dc8017068651b944885fbab832399f53b7cc500
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