- 169 名前:氷上の名無しさん mailto:sage [2008/01/05(土) 16:36:40 ID:Z1HvLRYO0]
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【日本と西洋の「身体」観 アスレティシズム】 821 :氷上の名無しさん:2007/12/26(水) 09:41:12 ID:h1A74QFs0 玉木正之「スポーツとは何か」を読んでたら、 「NHK伊藤みどり3A捏造事件」を解く決定的な記述がありました。 引用する。 (末尾に注目) >>513参照 >>407>>464>>513「アスレティシズム」参照。他>>465 (日本人の伊藤みどり観、みどりヲタ論等、ここに書いてある) 身体 「精神より低いとされた身体」 人間は20世紀にようやく「身体」に気づいた。長い時間がかかった。 (ここで西洋哲学史:ギリシャソクラテス→中世デカルトパスカル→近代ニーチェ) 西洋では、精神重視→ 精神重視→ つい最近ニーチェが「身体」を発見。 と同時にスポーツが発生。 「東洋の身体観と日本のスポーツ」 東洋では(西洋以上に)身体が軽視された。 身体とは煩悩の宿る不浄のもの、捨て去るべきもの、という考えが根本。 身体を傷つける難行・苦行、精神を浄化させる「手段」。 西洋:精神(人工)による身体(自然)の支配。 東洋:身体(自然)を用いて精神(人間)を磨く。 だから日本人は(スポーツでも)精神主義になりやすい。 「身体の価値を論じない日本」 日本では、なぜ身体が重要なのか意識されない。 日本のスポーツ選手は、(欧米とは違い)、 身体が優れている(驚き感動するような動作ができる)から評価されるのではなく、 「勝ち負け」の結果で評価される。 だから一時的に英雄扱いされても社会的地位は低い。 「身体表現としてスポーツを享受できるか」 日本人は東洋の島国で、 ■身体を軽視する思想にドップリと浸かり、長い間、精神世界に生きてきた。 おまけに明治以来、国家にとっての身体として利用・抑圧される「身体観」しか知らなかったのが 日本人である。 さらに日本人は、足が長く背が高い欧米人にコンプレックスを抱きつづけてきた。 そんな日本人も食生活の変化で、西洋人に近い身体を手に入れた。 しかし精神と同様に、身体を重視しなければ無意味である。 ■西洋は精神を重視したが、古代ギリシャ時代から「身体文化」の伝統があり、日常生活に生きている。 そんな西洋の「身体観」に対して、 日本人はどのような身体観を持つのだろうか? スポーツを(勝敗だけでなく)「身体表現」として受容し、 ■スポーツ選手に対して、身体「表現者」として敬意を表するときが、日本人に来るのだろうか? 822 :氷上の名無しさん:2007/12/26(水) 10:03:39 ID:h1A74QFs0 >>821に、 伊藤みどりが、なぜ欧米で高く評価される(日本ではされない)のかが書いてある。 欧米での荒川静香の評価について、日本人がトンチンカンである理由が書いてある。
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