- 225 名前:Ms.名無しさん mailto:sage [2013/06/28(金) 14:59:34.71 0]
- 『週刊新潮』2012年5月24日号<ついに「皇室に生じた確執の芽」「美智子皇后」が嘆いた「雅子妃」の「紀子妃」妨害
確執の予兆 図らずも露になったお二方の“衝突”。その予兆は数カ月前から見え隠れしていたという。別の宮内庁担当記者が振り返る。 「昨秋以降、両家の間にはとみにギクシャクした雰囲気が漂っていました。 まず10月下旬、皇后さまのお誕生日の夕食会において、皇太子ご夫妻が途中退席されるという出来事がありました。 また11月に入って悠仁さまの七五三にあたる『着袴の儀』が執り行われますが、お祝いの宴も皇太子ご夫妻は欠席されています。 この時、そもそも東宮ご一家は葉山で静養される予定になっており、愛子さまがマイコプラズマ肺炎で入院されたことで結局取り止めとなるのですが、 いずれにしても、弟宮のお祝いに参加するおつもりはなかったということです」 同月に陛下が気管支肺炎で入院されると、まず秋篠宮ご夫妻、続いて黒田清子さんがお見舞いに訪れたことで 皇太子さまはご兄妹で最後となり、加えて雅子妃は発熱のためキャンセル。 あるいはこの時から「順序」が尾を引いていたのかも知れないが、こうしたすれ違いが積み重なり、いつしかエスカレートしていったという。 「この度のご入院では、すでに昼夜逆転の生活が始まっていたこともあり、雅子さまが皇太子さまとご一緒に初めてお見舞いにいらしたのは3月1日のことでした。 それを受け、“順序”を守って長らく待たされていた紀子さまも、ようやく翌2日にご夫妻でのお見舞いが叶ったのです」(同) 3月4日に陛下が退院された際、御所でお出迎えをなさったのは秋篠宮ご夫妻と悠仁さまであった。 一方雅子妃がご退院後の陛下を初めて見舞われたのは、その3週間以上も後である。
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