- 27 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2010/02/17(水) 13:45:47 0]
- 8月6日エノラ・ゲイは二度舞った−広島原爆投下の新事実を追う
◆ 広島市、米国、原子爆弾、B29エノラ・ゲイ、飛行コース AERA(2009/08/10), 頁:29 2009年8月3日 広島 原爆投下から64年〜なぜ警戒警報は鳴らなかったのか… www.tv-asahi.co.jp/dap/bangumi/hst/feature/detail.php?news_id=7038 今から64年前、1945年8月6日。広島では、前夜から夜通し何度も鳴り響いた警戒・空襲警報も7時31分には 解除され、人々は生活の営みを開始した。その40分後、3機の米軍機が来襲し、8時15分、広島に原爆を落とした。 この時だけはなぜか警戒警報は鳴らなかった。世界で初めて使われた原子爆弾は人々が無防備な中、投下された。 (略 いち早く原爆の開発を行い、世界をリードしようとしていたアメリカは、その威力と効果をライバル国ソ連などに見せ 付ける必要があったという。「原爆の視覚的効果や破壊力を最大限に引き出したかった。だから(投下の際)、 工場や軍事施設、一般住宅など区別しなかった」とスタンフォード大学のバーンスタイン教授は指摘する。 エノラ・ゲイの一団3機は、テニアン島からほぼ一直線にやってきたと言われているのに、なぜ日本側の発見は 遅れたのか。雑誌AERAの長谷川煕記者は、その疑問を長年抱き続けていた。そういった中、長谷川記者は、 エノラ・ゲイが一度、広島上空を通り過ぎ、警戒警報が解かれた隙に舞い戻って来たのではないかという、原爆の 研究家の説があることを知る。 (略
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