- 1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/06/09(土) 10:26:18.66 ]
- では、引き続きマターリ
※基本的には>>980 あたりで宣言して次スレを立ててください。 スレ立て宣言→次スレのURLが貼られるまでは書き込みは控えめに。 テンプレは>>2-8あたり。追加はスレタイに沿うものならご自由に。 ※ このスレで 皇太子ご一家 と 高円宮家 を 誹謗中傷しているのは 秋篠宮信者の男系カルトです。 ご注意ください ※前スレ 秋篠宮家のお噂661 kohada.2ch.net/test/read.cgi/uwasa/1338993302/
- 467 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/06/10(日) 14:44:04.76 ]
- お待たせしました。
文藝春秋(2012/07/01), 頁:174 皇太子と雅子妃の19年−ルポ、逃げない夫たち ◆ 皇太子夫妻、ノンフィクションライター・藤吉雅春 レポです。8ページ中皇太子ご一家の記事は2ページ。 冒頭は ・98年の自殺者が激増していて不況だけが原因と単純化できない。 「自由によるストレス」自由がゆえに情報の処理とアクセスが増え、 その選択に多大なエネルギーを使って疲労回復ができにくくなってる。 ・三十代の出産がもたらすストレスがある。 ・「安全も負の因子」昔は、小さい子供の遊び場に親はついていかなかった。 そこで苛められても不条理にたいする免疫が育った。守られた世界から学校 という親の保護のない世界にはいればギャップが激しい。 と陸上自衛隊のメンタルヘルス教官、下園壮太氏のインタ記事があって、 妻の病気、子供の不登校で思い出されるのは皇太子一家のことだ。 とあり、その後は4人の男性の体験談が書かれて、皇太子さまの記事へと つながります。レポは皇太子さまの部分だけにします。
- 468 名前:文藝春秋7月号 レポ 1 mailto:sage [2012/06/10(日) 14:47:15.56 ]
- かつて「昭和天皇の再来」とまで言われた皇太子が、今や一転して批判の目に晒されている。
五月に皇太子さまと愛子さまは江戸川区のスポーツランドにスケート行った。 間の悪いことに天皇皇后が被災地の仙台に行かれた日。 また、皇太子が学習院に行けば、子煩悩さが目立ち、運動会では遠慮のないママさんたちが取り囲む。 笑顔を絶やさず、ママさんたちの会話に応ずるため、皇室の威厳を尊重する向きからは溜め息が漏れる。 しかし、皇太子は変わられたのか。 「皇太子は、お福分けが出来る方でした」(元東宮職) お福分けとは昭和天皇が頂き物を職員に配る気遣いのこと。 皇太子は職員や奉仕の方々にも礼をいいに足をはこぶ気遣いがあり、 それが「昭和天皇の再来」といわれた所以。
- 469 名前:文藝春秋7月号 レポ 2 mailto:sage [2012/06/10(日) 14:48:57.28 ]
- 雅子さまをかばわれて(太字見出し)
こうした気遣いが雅子妃に向くと、思いは裏目に出て周囲に波紋。 最たるものは0四年の「人格否定発言」だろう。 周到に準備、数人に相談していたはず。 「殿下は雅子さまが公務をしないと批判されてる状況をお悩みになっていました。 そこで私は『子供を育てるのは立派な公務です。それはプライオリティです』 と申し上げました。殿下はそれを聞いて、実直なご性格ですから、私が申し上げたことを 本当に言葉どおりにお受けとめになり、人格否定発言につながったのではないかと責任を 感じています」*原文ママ(皇太子知人) (*ここが東宮アンチだと真に受けた!となるころだが、知人の憶測に過ぎない) 天皇皇后宮内庁に相談がなかったので溝が深まる。 「殿下がご成婚時に仰った『雅子さんのことは僕が一生全力でお守ります』という言葉は、 本心だったと思う。私に会うと、ご自分の話ではなく、雅子さまを褒める。 ご病気になられたら、かばうご発言をされた。 流産をされた頃、『もうこどもができないのでは』とか『雅子がもう子供ができないだろうと 悩んでいる』と心配されていた。それで『お子さんがお生まれになかったら養子を とればいいじゃないですか』と提案した。本心ではなく、殿下の重圧を和らげる意味で 申し上げた。殿下はビックリした顔で『宮家からですか?』と真顔で聞かれる。 本当に実直な方。」(前出知人)
- 470 名前:文藝春秋7月号 レポ 3 mailto:sage [2012/06/10(日) 14:51:06.17 ]
- 生真面目ゆえ、懸命に奮闘されるほど、周囲から孤立した格好になる奇妙なl構図ができあがった。
皇太子さまが付き添い登校を始めると、一般家庭なら当たり前のことだが「皇太子までが」と いう批判になる。 独身時代であれば家族の中で心をゆるしていた、サーヤに相談できた。 しかし、今は皇籍を離脱している。 「天皇皇后両陛下、秋篠宮ご夫妻ともあまりお会いになっていません」*原文ママ(前出東宮職) 皇太子の友人たちの次第に訪問も招待もなくなっていく。 昨年暮れ「菊栄親睦会」が行われた。久しぶりに雅子さまも出席、しかし、顔色は悪く、 ご病気が治っていない様子。この時、皇太子さまはいつものように夫婦で談笑など 気遣われていた。 ご体調に波があるため、朝昼は別になることがある雅子さまの為にデザートだけでもと雅子さまに 合わせられる。コーヒーを手ずから雅子様に入れられる。 夕食も家族が別々にならないよう、午後九時に設定され、愛子さまにおやつを用意しおまたせになったこともあったようだ。 雅子さまへのお気遣いだけでなく愛子さまの「あれをしたい」と言えば、職員に電話をしてお問い合わせになる。 甘やかしだと批判する声は耳にも入ってるだろう。 それでも、妻の長期、娘の不登校に心を砕かれている。 以前、皇太子さまはある人物に語った。 「天皇には定年がないですからね」 辞めたいと思っても辞められない、運命を生き抜こうとされてるのだろう、とある人文津は思った。 皇太子さまがお心を許す相談相手も今はほとんどいない。 それでも皇太子さまが愚痴をもらされるのを聞いた人はいない。
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