- 211 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2012/06/09(土) 22:19:01.16 ]
- ヲチスレより
『私(ノンキャリア)とキャリアが外務省を腐らせました』より 「雅子妃に傲え」P225-227 当時、雅子さんは外務省に勤務していた。最後の職場は北米第二課だ。 先にも触れたが、北米第二課は実質的に経済局の傘下にある。 当時の事務次官は、父親の恒氏。若いころから能吏の誉れ高かった人物だ。 そして雅子さん自身も、将来を嘱望されるエリート外交官だったが、 「お妃内定」の第一報以後、職務に就くことはできなかった。 ご成婚が決まると、早速退職の手続きに入らなければならない。 雅子さんは辞表を提出し、1月19日付で外務省を退官してしまった。 ただし、あまりに急な退官だったため、彼女は机の上の私物を整理するまもなく外務省を去ってしまった。 北米第二課でも、なかなか人員の補充ができないため、雅子さんの机はしばらくそのままの状態で置かれていた。 しかし世間はご成婚フィーバー真っ盛りである。雅子さんが仕事をしていた事務机は、メディアの格好のネタだった。 新聞社やテレビ局のカメラが役所の中に入ってきて、 彼女の机の上を撮影することも珍しくなかった。 そんなある日、その様子をブラウン管を通じて眺めていた私はハッとさせられた。 彼女の机の上には、仕事で必要な書籍が並んでいた。いずれも値の張る専門書である。 当時経済局の局庶務である私は、北米第二課の庶務班長が持ってくる さまざまな伝票を決裁する立場にあった。 こうした専門書は、職員の99・9パーセントまでが仕事上必要だからと 役所に伝票を回してくる。私はそれを認めていた。 だが、雅子さんからはその伝票が回ってきてはいなかった。 彼女は身銭を切って高価な専門書を揃え、仕事に打ち込んでいたのである。 しかも退官する際には、そうした専門書を後任にそのまま譲ってあげたのである。 テレビを見てそれに気づいたときに、公私の峻別ということを私はもっと真剣に考えるべきだったのかもしれない。 あのとき、それに気づいていれば、私も大きく道を外れることはなかったのではないだろうか。
|
|