- 139 名前:優しい名無しさん mailto:sage [2010/12/10(金) 18:16:22 ID:ol5VI10K]
- 認知療法ってなんでしょね。
自分もカウンセリングを受けるほどの症状ではないので、独学ですね。 自分は認知って、条件づけの話だと勝手にとらえている。 赤信号はダメですよ、青信号はOKですよ。という無意識にまで染み付いた ある枠組みのなかで私たちは生きている。 「認知ってなんだろう」って考えさせられた話を三つ。 news zeroでのひめゆり学徒のおばあさんのインタビュー。 沖縄戦。米兵に壕を爆破するから、降伏して出てこいと言われたが、誰も出ようとしなかった。それで多くの仲間が死んだ。 壕から出たら米兵に見つかった。捕まる前に死のうと持っていた手留弾で自殺を試みたが不発だった。 しかし米兵に捕獲された後見たのは、米兵が老人子供を大切に扱い、最低限の食事を与えられて保護されている光景だった。 「あのとき壕から出ていたら、みんな助かったんだ。とにかく生き残る事が大事なんだと思った」と語っていた。 米兵に捕まったら何をされるか分からないと思っていたそうだ。たとえ国家から洗脳教育を受けてなくても爆撃を体験した後なら、敵に捕まったら終わり、誰もがそう思うんじゃないだろうか。 これは赤信号が実は青信号だったという話。 次は青信号が赤だった場合。 「それでもボクはやってない」からの弁護士の話。 痴漢冤罪の場合、一緒に警察に行って下さいと被害者に言われれば、犯人にされた人は拒もうという気にならない。 なぜなら自分はやってない>>>罰せられるわけがないという自分の中の枠組みにそって動くからだ。 でも、この場合、警察に行った時点でアウトなのだ。結局、主人公は犯人にされた。 最後に、足利事件で娘を失った母の言葉。 「なぜうちの子が・・・と永遠問い続けている」が気になった。 基本的に人間社会は枠組みからはみ出た不条理を無視して進んでいるので、不条理に巻き込まれて人生が変わった人間も、 そのルールにもう一度乗っからないと、日常生活を送る事が難しくなる。赤信号は赤として青信号は青として。 からなぜ母は娘がいなくなったかを永遠に問いつづけることになるのだろう。 自分の認知の理解はこんな感じ。で、「認知」療法とは何ぞや?www
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