- 916 名前:858 mailto:sage [2010/10/22(金) 01:44:00 ID:AnW9gPqD]
- >>911
もちろん、最初は想像です。 しかし、想像通りの結果が得られたなら それは「知った」のです。 わたしは父が死んだら悲しい。 兄はどうだろうか、きっと悲しいだろう。 兄にたずねたら、やはり悲しいと言った。 兄がわたしとおなじ気持ちであることを知る。 友人は自分の父が死んだら悲しいだろうか。 やはり、悲しいだろう。 友人は彼の父の葬式の日、悲しいとは口にしなかった。 だが、泣いていた。 彼もまた父の死に悲しむのだと知る。 好きな女優が本を出版した。 幼いころに父を亡くしていたらしい。 その時のつらい気持ちが切々と綴られていた。 父の死に悲しむのが自分の身近な人間だけではないと知る。 外国の職人のドキュメントをテレビでやっている。 2代目らしい。彼の父は既に他界してる。 ・・・彼も父の死は悲しかっただろう、というのは単なる想像だろうか。 虐待されていた、とか特殊な理由がない限りそう思うのが自然ではないのか。 想像に過ぎないなら、これまでと何の理由で隔てるのか。 外国人だから?職人だから? そのような不誠実な解はわたしの中でとても「気持ちが悪い」。
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