- 727 名前:優しい名無しさん [2009/04/27(月) 20:13:25 ID:83wq+Gwt]
- >>723
「どうせ死んでしまうのだから、何をしても虚しい!」「人生はすべて偶然に左右される!」 「生きる理由がわからない!」などと語ると、あなたのような「成熟した大人たち」は、 こぞって、そのように語る者を叩き潰そうとする。(私も年齢的には「大人」だが) 「そんなこと考えたって仕方ないじゃないか」「もっと前向きのことをしろよ」というように。 あるいは、「よく考えてごらん、生きる理由はあるはずだよ。きみはよく考えないから、そんなことを言っているんだ」 「どうせ死んでしまうからこそ、一瞬一瞬を大事に生きるべきではないかなあ」というように。 あるいは「その前に、おまえいったい努力したのか」「ずいぶん結構な身分だよなあ。誰がおまえを養っているんだ?」 「生きていて意味がないなら、お前はどうして生きているんだ?」というように・・・。 なぜ、大人たちはこうもこういう「正しい」問いを嫌うのだろう。躍起になって潰そうとするのだろう。 それは、自分たちにとっても、本当は「気になる」問いだからであり、その問いにからめ取られている奴が まわりにいると目障りだからなんだよね。 「生きるとは、こうした問いをグイと腹の底に沈めてしまうことだ」と確信した男女が世間にはうじゃうじゃいる(あなたもその一人)。 彼らは有用な問いなら受け付けてくれる。 「年金問題をどうすべきか」「環境問題をどうすべきか」「どうすれば世界は平和になるか」など。 だけど、どんなに年金を受けても、環境がよくなっても、世界が平和になっても、いつか必ず死んでしまう。 その後、宇宙の終焉まで私は死に続けるのだ。生きるチャンスは(たぶん)もうない。 これは、年金問題や環境問題よりもより何千倍も重要な問いじゃないだろうか。 少子化で日本の人口は今後減り続けるというが、日本が滅亡するより、自分自身が滅亡するほうが何万倍も切実なことではないのか。 人生に価値はないけれど、このような問いをごまかさず語り続けることには、もしかしたら価値があるかも知れない。 でも、価値がないかも知れない。
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