- 6 名前:ミットモナイト▲φ ★ mailto:sage [2009/08/25(火) 02:52:10 ID:???0]
- >>3の続き
その高いハードルを、われわれの文化は父子相伝の伝承によってなんとか超えてきた。 そういう伝統があったのだ。 より具体的に言うと、父親が見ているナイター中継を、息子は一緒に観戦せざるを 得なかったということだ。昭和の茶の間におけるテレビの位置づけはそういうものだった。 すなわち、ゴールデンタイムの番組選択権は一家の長たる父親の手の内にあり、 女子供はそれに従わざるを得なかったのである。 私は、善し悪しの話をしているのではない。当時はそういうならわしだったという、事実だけを 受け止めてほしい。その事実についてどういう感想を抱くのかは皆さんの勝手だ。封建的で あると思うのか、あるいはケジメがあってよろしいと考えるのか、激しく男根主義的だと感じる のか、各自判断してほしい。私は干渉しない。好きにしてください。 父親が夢中になって見ている野球を眺めながら、子供たちは、意味のわからない場面に 遭遇する度に質問をした。 「あれれ? 今のはアウトじゃないの? 三振したのに」「あれは、振り逃げ。特別なルールだよ。 キャッチャーがボールをこぼしたら、その間に、三振したバッターは、一塁まで走ることができる。 で、キャッチャーがボールを拾って一塁に投げて、間に合わなかったらセーフなんだよ」 「振り逃げ」や「ヒットエンドラン」や「犠牲フライ」や「ボーク」など、それぞれに難解で、 実戦の中でないと説明不能な様々の例外則を、一通りアタマに入れないと、野球はわからない。 で、その、野球のヤマほどある例外則のいちいちを、父は子に伝えたのである。野球中継の こちら側にはそういう言葉のやり取りがあり、また、父と子のキャッチボールでは、言葉以上の 何かが交換されていたものだ。 が、平成の父親であるわれわれは、もはや、子供にルールを説明しない。というよりも、 できない。そもそもリビングルームのテレビが、野球を映していないからだ。 野球は、パパの書斎(っていうか、「巣」だが)の小型テレビの画面に追いやられている。 そういうふうに各自が思い思いの番組を見るのが現代の風潮で、この図こそが平成の家族の 肖像なのである。 >>5以降へ
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