- 629 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2011/09/25(日) 12:24:35.36 ID:uO13zQbJ0]
- 東MY駅です。
東口を出るとすぐに不忠街道があります。 それを左折して150m先で不忠街道は緩やかに右へカーブしますがそのまま直進する細い道があり、それが旧鎌倉街道です。 すぐに踏切の方から来る道と合流しますが、合流点から50mほどで道は緩やかに右へカーブしはじめます。 またもや直進する細い道がありますが、この道が旧鎌倉街道です。 あとは道なりに進むと左手に白山神社がありますので、その付近と線路の反対側が上宿の地区になります。 また、白山神社前を真っ直ぐ進むと立派な門構えの家に突き当たります。 ここを左折して踏切を越え直ぐ右折、線路沿いに北へ進んだあたりが次の地区=西宿(SW2丁目)です。 処刑場やら首さらし場の確かな場所は住宅街に埋もれてよく判りません。 (踏切を越え直ぐ左折、線路沿いに南下すれば前述の白山神社裏の線路で分断された地区です。) SW2丁目とKM川5丁目の境をKM川5丁目へ50mほど進んだあたりが西宿の北限、つまり北関所があった場所です。 この付近でT字で左折する道がありますが(旧鎌倉街道は直進)、この道を進むと勝陣場橋がありますが、これは新田義貞が八国山の戦の戦勝からついた名前だそうです。 しかし、この「勝陣場」は元々「精進場」という意味であり、それは処刑場での刑務にあった警吏の者達が体を清めた場所であったそうです。 このKM川宿は鎌倉街道上ノ道では規模の大きな宿場であったそうです。 一つは郡境の要所ということもありましたが、もう一つは上ノ道の起点である鎌倉と終点である上州高崎の中間位置であったことも理由だそうです。 (この付近の鎌倉街道は上述以外に、8坂駅付近から分岐し西方のN口町・8国山を通って入間郡に入ってから本道と合流していた支道もありました。) www2.u-netsurf.ne.jp/~bnatnsvu/hilite-1.htm そうですね、川(Y瀬川)を境に北が入間郡KM、南側が多摩郡KM川宿ですね。 今も東京都と埼玉県の都県境ですね。 一説には入間郡側にも宿があったとか、何れにしても江戸期に入り川越を通るルートが栄え始めたため、KM川界隈は徐々に衰退していったそうですね。 KM川は「久目河」とも称していたようです。
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