- 877 名前:日曜8時の名無しさん mailto:sage [2016/06/17(金) 23:15:49.52 ID:uz2UXnfS.net]
- 883 :日本@名無史さん:2016/06/08(水) 13:43:34.55
維新戦役実歴談を読んでるとなかなか面白い 越後では明かりがないからと言って民家に放火。 小倉でも人家に放火したがなかなか焼けないから障子を外して 炭俵を積んでやっと火が付いたと言って喜ぶ。 愉快だったようだが脱隊騒動のせいで朝廷からは何もご褒美が貰えなかったらしい 斎藤太郎という長州藩士の話がことに面白い。 白河では担架を担がなければ切ると言って人夫を脅し、 糧食が足りないので「分捕り」と称して「各々勝手に」その辺で略奪してくる。 あげくの果てに薩摩兵がスパイ狩りと称して相撲取りを殺してその肝を取って提灯に入れて持ってきて 「煮て食うからぜひ来い」と誘われ、それを実際に煮て「煮えたら来るぞ、煮えたら来い」などと言ってたところ、 戦友が来て「食うたら目が飛び出る」と止めたのでやめて大酒を飲んだら1週間も頭痛がしたなどと言ったあとで 「野蛮極まりたることであったが士気は強盛であった」と言っている。 その後で二本松城に入ると略奪を始め、着物はないかと言って長持をドカドカ叩き壊し、着ていたものを脱ぎ捨てて 紋付から褌まで全部取り替える。薩摩兵も奥に行って赤い縮緬の着物を引っ張り出し「これを見い、いいだろう」と自慢する。 薩摩には「分捕り隊」というものがあったが、掠奪に熱中しているうちに城に火がついて命からがら逃げ出した。 (火薬庫に火が付いたらしい) 会津討ち入り当日、諏訪の森という所で隊長らしき人が戦死したのに目をつけ、 その人が指揮旗を持ち立派な刀や時計を持っていたので戦友が時計を欲しがった そこで戦友に時計を与え自分は刀を分捕って刀屋に見せびらかしたところ 「これはどこから取ってきた刀か」と刀屋に問い詰められる。 斎藤さんは「いや俺は知らないよ、友達の刀だ」とシラを切ったところ、 刀屋は「これは私のお出入りの旦那の注文でこしらえたのだ、銘はこうでございましょう」 とさらに追及されついに分捕りを断念。 さらに12、3歳くらいの男の子を連れた武家の妻が官軍におびえて 「どこにいればいいか」と聞くので「静かにしていれば特段咎めない」と答えたところ、 その姑がやってきて「敵に助けてくれとは何事か」と叱ったため 「この糞婆、殺してやろう」と言って殺して溝の中に放り込んでやったらしい
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