- 875 名前:見ろ!名無しがゴミのようだ! mailto:sage [2017/02/13(月) 02:51:12.96 ID:G0TsfQ7h.net]
- >>807
雑多な印象を与えたいカットというのは確かにあるし、画面の全てを把握させる必要もないけど だからと言って視覚的な優先度や情報量をコントロールしなくていいわけじゃない 確かに新海はあんたみたいななんとなくボーッと見てる(悪口ではない)人を確信犯的に騙してるフシがある MV演出も毎度毎度、とても把握しきれない都会の喧騒とか0,5秒くらい挟んだりとかする そうやって情報量を増やしまくって煙に巻くのが新海のやり方。これはエフェクトまみれの画面も同じ 全編が「なんとなく時間が繋がればいいや」っていう理念で設計されてる 勅使河原とカノジョが自転車に乗ってる冒頭のカットも、無駄な3DCGフォローだったけど これもあんな短い秒数でなんであんなカットにするんだってかんじ どうせ昔やったCMの見せ方をやりたかったんだろうけど全く演出的に意味がない https://www.youtube.com/watch?v=_qvyCvi9mb0 千尋に関してはむしろ逆。確かにジブリ作品はBGとセルの境が特に際立ってるけど それは背景美術が綺麗すぎてギャップが開いちゃったから 紅の豚の飛行シーンの背景動画なんかも、技術的には凄いのに 他の背景美術で済ませてるシーンと比べるとやっぱ汚く見えたもんね。 あれは美術が上手すぎるが故にそういう認識のずれが大きくなったってのが本当のところ。 宮崎作品は特に芝居の設計が複雑だから(ワンカットで背景の物を手に取る芝居などはテレビアニメじゃあまりやらない) 芝居が貧弱な作品は背景と絡まずただその上でセルのキャラクターが動いてればいいだけ だからこそ、レイアウトの振り分けに腐心してる
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