- 63 名前:天之御名無主 mailto:sage [2010/11/25(木) 06:08:47 .net]
- >>60
科学が一神教の世界で発展した事は無縁じゃない。 かつては科学は自然哲学と言われていた。 神のつくった世界を理解し、その謎を探求する事が、神の意志を理解する最良の方法だと信じていたからだ。 しかし、それは置いといたとしても、科学と宗教は全く同じ性質を持つ。 どちらも、基礎になっているのは「最終的な回答は誰にも出せない」ことだ。 そこに至る方法論めいた物は提示される。瞑想であったり計算であったりする。 しかしそれは方法が違うと言うだけで目指している場所が真理であると言う事、 そしてその提示された方法や結論が正しいのか誰にも解らない事は同じ。 どちらも、「たぶん」正しい、という現時点においての暫定的な答えがあるだけ。 そして、その答えを正しい物であると判定し、人々に認識させるのは権威なのだよ。 権威である以上、そこには権力と利害がうまれる。組織がと派閥が生まれる。 それを正しい物として信じさせようとする欲求と理想と義務感と、信じさせたあとに責任が生じる。 理論を守るための理論が次々にうまれてそれを権威は賞賛し、奨励する。 その理論に、つまり権威に傷をつける者を許さない。その権威に服さない者は除外する。 君が、「俺が調べた所、地球はやっぱり宇宙の中心だったよ」といえば君はただの変人だと思われ無視されるか 場所によってはつまみだされ、ぶん殴られる事だってあるかもしれない。少なくとも隣近所とは上手くつきあえないだろう。 しかし、もしかしたら本当にそうなのかもしれない可能性だってあるのだよ。誰も宇宙の全体像など見た事無いのだから。 その社会全体のコンセンサスを取ってるのがかつては宗教であり、今は科学だと言う事。 果たしている役割もその目的も、与えている効果もすべて変わらない。
|
|