- 531 名前:天之御名無主 mailto:sage [2012/03/01(木) 16:25:07.62 .net]
- さて、久しぶりに。
かつて、現代の思想、宗教、科学はギリシャ哲学の延長線上にあり、その支配を少なからず受けている、とかいた。 A・N・ホワイトヘッドも西洋哲学史はプラトン哲学の脚注にすぎない、と説いた。 要するに、科学も哲学も法則性、この世界の仕組み、神の言葉を追い求め、それは数学であるとプラトンは位置づけた。 現在では数学は非常にローカルな 「人間の可知範囲内でのみ暫定的に正しい」と「考えられている」言語にすぎない事が明らかにされている。 何故暫定的に正しいのかというと、その否定の証明方法を「まだ人類が発見していない」からだ。 それは即ち、数学が真理の探究=唯一の答え、という単一性の追求を追い求める学門であり 無限の可能性、無限の答えの探求が不可能な、きわめて不完全で限定的な構造だからだ。 数学が見いだす「答え」は無限にあるかもしれない答えの、たった一つにすぎない。 しかし現代に生きるほとんどの人間は、このプラトンと言う一個人の考えだした「宗教」を疑いも無く信じ (実際に、プラトンが影響を受けたピタゴラスはディオニソスの一派生宗教が大本となったピタゴラス教の教祖だ) 科学の否定を野蛮と狂気であるとヒステリックに認定する。 この傾向は明らかに日本人より西洋人、特に一神教信者に顕著であると思う。 思念の根源というものが、いかに後天的要素で構成されているか、この一時をもってしても解るというものだ。
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