- 391 名前:文責・名無しさん mailto:sage [2021/03/20(土) 08:12:49.09 ID:7bpcX4n00.net]
- 産経抄 3月20日
書籍のジャンルに「人生で大切(必要)なことは、みんな〇〇から学んだ」というものがある。「〇〇」の中身は「砂場」でも「映画」でも「ハンバーガー店」でも「登山」でもいい。それぞれ夢中になった何かや身近な存在、実体験から生きる知恵を教わり、血肉としたことがつづられている。 ▼抄子の場合、さしずめ「マージャン」となろうか。学生時代にはまり、いろんなことを考えさせられた。偶然やツキとは一体何なのかという疑問から、不調・不遇時のしのぎ方、反転攻勢のタイミングと姿勢など、当時身に付いた考えは今も変わらない。 ▼「麻雀(マージャン)は運のやりとりなのだ」。焼け跡文学の傑作である『麻雀放浪記』の著者、阿佐田哲也はこんな言葉を残している。日本の存亡がかかった日露戦争時の連合艦隊司令長官、東郷平八郎の抜擢(ばってき)理由が「運がいい男だから」だというエピソードはつとに有名である。 ▼昨年の緊急事態宣言中、賭けマージャンをしていた東京高検の黒川弘務元検事長が賭博罪で略式起訴された。小紙も記者倫理を踏まえ反省し、改めておわびしたい。ただ、東京地検はいったんは不起訴処分としており、今回の略式起訴は厳しい世論への迎合のにおいがする。 ▼テンピン(千点100円)のレートでの家マージャンが起訴に値するのであれば、抄子も含め過去に思い当たるが「運よく」責めを免れている人は、日本中にあふれるのではないか。公営ギャンブルや中毒性の高いパチンコに高額を投じることは黙認されていることとも、整合性は取れない。 ▼一面的正義や建前が闊歩(かっぽ)することで、マージャン文化に廃れてほしくない。何より日本を、他者を罰することがゲーム代わりの娯楽となるような国にはしたくない。
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