- 397 名前:名無しさん@1周年 [2020/01/20(月) 22:33:02.83 ID:JXc2aJ7I0.net]
- >>394
背景には住民と日本兵との温かい交流が ここクンユアムは、戦時中、ビルマ作戦の後方支援基地となった場所である。 太平洋戦争勃発後の翌年42年頃から日本兵が駐屯し、タイ人労働者らとともに道路建設にあたっていた。 前線であるビルマとの輸送網整備を目的としたもので いわゆる泰緬鉄道計画の一環でもあった。 泰緬鉄道を題材にした映画『戦場にかける橋』で描かれている残虐な日本兵とは違い、 ここにいた日本兵は現地の村人との間にとても友好的な関係を築いていた。 チューチャイ・チョムタワットさんは、記念館設立のいきさつを記した著書のなかでこういっている。 「日本兵は村の人に何でも出来ることをいろいろと手伝った。 たとえば米の脱穀精米作業とか、農作業のときの赤ちゃんの子守などやってくれた。 クンユアムの人たちは、日本の兵隊さんのことをいやだとは思わなかった」 またタイの元運輸大臣だったジャルーン・チャオプラユーンさんは、 「私はクンユアムに進駐してきた最初の日本兵から、帰還する最後の一兵までを知っている。 クンユアムの日本兵は村人と共に働き、お互い協力して生活していた。 カンチャナブリの博物館で宣伝される日本軍とは違う。優しかった日本兵を私は忘れない」と振り返る。
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