- 2 名前:黷驍謔、に広く浅くでやってるのに、これだと結果として職業選択の可能性を狭めることになっている」といった批判がなされています。
■根が同じ問題はこれまでにも こうした「教育の実用性」についての問題は、これまで幾度となく話題になっています。2014年には文科省の有識者会議で、「G(グローバル)型大学/L(ローカル)型大学」という分類を行い、 「一部の大学(=G型大学)を除いて、ほとんどの大学(=L型大学)は職業訓練校になるべき」という趣旨の提言がなされ、波紋を呼びました。 L型大学のカリキュラムは、「文学部はシェイクスピアや文学概論ではなく、観光業で必要になる英語、地元の歴史・文化の名所説明力を身につける」など、実務的な内容に偏っており、ネットでは、 「日本の文化崩壊につながる」「教育格差がますます広がる」「L型の教育科目、近いうちに全部AIで代替できそう」と非難する声が大半を占めました。 ■必要なのは「人間だからできること」 また、2018年春には、現行のセンター試験に替わって行われる「大学入試共通テスト」や学習指導要領の変化から、 明治大学の伊藤氏貴准教授が「高校国語から文学が消えるのでは」と危惧する声を上げ、これについても議論が起こっていました。 こうした議論を見るに、AIなど技術が発達していく中で、「知識やスキルを詰め込むだけではやっていけない」というのが多くの人の考えに共通していると考えてよいでしょう。 単調な作業は機械やAIに取って替わられるから、というだけではありません。科学技術が急激に発展していくと、たとえばAIや遺伝子操作、 あるいはテクノロジーの軍事利用など多くの先端分野で、「その技術を社会の中でどう位置づけるか」「どこまではやっていいのか、 どこからはやってはいけないのか」といった倫理的な問題が出てきます。これは社会全体で考えていかなければならないことです。 そして、そのためには、単にテクニカルな知識・実用的な知識だけではなく、社会・政治・歴史・哲学など幅広い知見が求められることになります。 ■教育に実用性をどこまで求めるか こうして先端技術の分野で「倫理」などを問われる機会がこれから増えていくことは目に見えており、上記のような議論の中で「役に立たない」 と言われてきた歴史や哲学・文学・芸術などが非常に重要となってくる時代は、実はすぐそこまできているとも考えられます。 しかしながら、現在の大学が「就職のための存在」になりつつあること、あるいは政府や政治家、政治的権力を持つ人たちから発せられる さまざまな発言・構想からは、そういった流れに反するものも多く感じられます。 「役に立つ」とわかっていることだけを行うことが、これからの教育のスタンダードとなってしまうのでしょうか。教育に実用性をどこまで求めるのか、今一度、問い直したいテーマです。 前スレ http://asahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1547415189/ 1が建った時刻:2019/01/14(月) 06:33:09.42 mailto:【教育】三角関数「生きるのに必要ない」「絶対いる」で議論沸騰。橋下徹氏の『死に知識』発言をきっかけに★2 [] - [ここ壊れてます]
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