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【プロ登山】エベレストで死亡の栗城史多さん、死因は「低体温症」ではなく「転落死」だった。事務所が訂正



517 名前:名無しさん@1周年 mailto:sage [2018/05/28(月) 00:42:36.86 ID:byEOLTgK0.net]
あかん人

〜その根拠を聞くと、自分は血中酸素飽和度が人より高いという、あまり本質的でない理由を繰り返すだけだった。
会話は終始そんな調子で、私は栗城さんに抱いていた謎が解けることはなく〜
bunshun.jp/articles/-/7474?page=4

コピペ
https://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/pages/136.html
土屋敏男

「電波少年」で知られる日本テレビプロデューサー
栗城初のヒマラヤ遠征となったチョ・オユー遠征をプロデュースする (当時やっていた第2日本テレビというインターネットサイトの
  企画として栗城を採用した)
このとき土屋は「ニートのアルピニスト、はじめてのヒマラヤ」という企画名をつけた。
その後栗城は、『過去にニート・引きこもりのどん底にいたけど、そこから這い上がってきた』というキャラ設定で売り出していくこ
  とになる。(本当の経歴はフリーターだった 来歴参照)
よく編集された映像ばかり公開する栗城の映像スタイルに影響を与えたものと思われる (生中継を売りにしているが、実際
  には登山シーンの生中継はしたことがない→インターネット生中継、栄光の記録一覧を参照)

栗城のインタビュー記事

ある日、日本テレビを訪れた栗城が社員食堂でたまたま隣になったのが、誰あろう電波少年を仕掛けた土屋敏男プロデューサーだった。
「翌日、電話があって現地から動画中継をしたいと。 (中略) そしてスタートした企画が『ニートのアルピニスト、初めてのヒマラヤ』
  というタイトル。“登山家”とすら付かなくて(笑)」

Faust記事 2010/03/25






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