- 216 名前:名無しさん@1周年 [2018/01/14(日) 08:59:18.72 ID:fkQAnAQE0.net]
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戦争というのはこちらが避けたくても、相手がやる気まんまんなら やるしかないものです。大阪の陣での豊臣方、太平洋戦争での日本も同じです。 ===== ■1941年3月に野村が大使になった。開戦までの9ヶ月までに ハルとは45回、ルーズベルトとは9回会談した。 ■当時我が国の経済は大きく米英に依存していた。輸入の7割、 輸出の4割。特に石油は420万屯のほとんどを依存。 ■真珠湾を想定した事前机上演習では、戦果はほぼ史実通り。 被害は基地航空勢力の攻撃で空母が3隻撃沈する、という判定となった。 ■10月31日参謀本部で部長会議が開かれた。最初に「戦争しないで 臥薪嘗胆する」が論議される: 賀屋蔵相 「このまま戦争せずに推移し、3年後に米艦隊が攻勢をとってくる場合、海軍は勝算あるか?」 永野軍令部長 「それは不明である」 賀屋 「侵攻してくると思うか?」 永野 「5分5分だと思う」 賀屋 「侵攻してきた場合、海上で勝てるか?」 永野 「今戦争やらず3年後にやるよりも、いまやって3年後の状態を考えると、今やるほうがやりやすい」 賀屋 「勝算が戦争3年にあるのならやってもいいが、この点が不明瞭である。しかも自分は攻勢かけてくる公算は 少ないと思うから、結論として戦争はせぬほうがいいと思う」 東郷 「私も米艦隊が攻勢に来るとは思わぬ。今戦争をする必要はないと思う」 永野 「『こらざるをたのむなかれ』ということもある。先は不明、安心はできぬ。 3年経てば南方の防御が強くなり敵艦も増える」 賀屋 「それでは、いつ戦争したら勝てるのか?」 永野 「いま!戦機はあとには来ぬ(強い口調で)」 『真珠湾までの365日』(光人社NS文庫/実松譲元海軍大佐)
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