- 627 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2008/11/13(木) 03:06:11 ID:+9e0WPow0]
- とあるPTAのおばさんが言いました。
「あだ名は酷いものだから、学校であだ名で人のことを呼ぶのは止めましょう」 あだ名が愛称として付けられたものなのか、 それとも蔑称として付けられたものなのか、 そのあだ名を本人が嫌がっているかそうでないのか。 それらの過程を顧みず、ただ自分があだ名で呼び合うことがいけないことだと 決め付けているからこそ、あだ名で呼ぶという行為そのものを否定しました。 そこには当事者である子どもたちの意見など存在しません。 考えてみれば、なんともまぁ身勝手な話です。 さて、では物語の中の登場人物をあだ名で呼ぶという行為はどうでしょうか? 元来彼らは自身の意思を持ち合わせてはいません。 あだ名で呼ばれることを喜んでいると思うのも、嫌がっていると思うのも、 結局は読者や視聴者の想像に過ぎません。 強いて言うならば、その原作者こそが彼ら物語の人物の意思を知っているのです。 それを踏まえずに、視聴者が自分の想像や主観から 「そのキャラをあだ名で呼ぶことは許されない」と言うのは、 あたかも自分がキャラクターの代弁者として、 そのキャラクターの理解者として正当性のある主張しているかのように振る舞い、 それでいて実際は「自分が嫌だから止めろ」と言っているに過ぎません。 さて、初めに書いたようにあだ名を良しとするかどうかは本人が決めるのが妥当でしょう。 では、「○○を××というあだ名で呼ぶな」という第三者の主張に整合性はあるのでしょうか?
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