- 226 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/07/07(土) 05:33:38 ID:akPr63Mf]
- >>225の続き
ヘブライの館2 6F WAR研究室 ホロコーストの舞台裏 PART-1ユダヤ難民に冷淡だった欧米諸国 ユダヤ難民に冷淡だった欧米諸国 ■■第5章:ユダヤ難民に冷淡だったアメリカ ●1930年代のアメリカでは、ユダヤ人が政府の職に多く就きすぎていると考える者が24%、 ヨーロッパでユダヤ人が迫害を受けているのは彼ら自身の責任であると思う者が35%で、 ドイツから多数のユダヤ人がアメリカに亡命してきたら受け入れるべきかという問いに対しては、回答者の77%が否定的だった。 ●ナチスに追われたユダヤ人の波が押し寄せ始めた時、アメリカは1939年6月の「スミス法」で外国人受け入れ取締りを強化し、 続いて1941年の11月には「ラッセル法」を制定してビザ発行を制限した。 それゆえ、ヨーロッパのアメリカの出先機関は事実上、その面の機能を停止したも同然であった。 ●それまでにも、イギリスからユダヤ人の受け入れの催促を受けた時、 「戦争が済んだ後、それらのユダヤ人たちが再びイギリスに戻る、という保証がない限り受け入れられない」と言い、 その後1940年になって現実に受け入れたのは、僅か3万6000人あまりに過ぎなかったのである。 そして、その後からも1日に20〜30人のみの審査をするといった悠長さであった。
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