- 1 名前: ◆kuriu7uP3. [04/02/09 18:38]
- セピアな思い出。感傷的な気持ちにさせてくれる話をうp汁!!みんなでしみじみ泣こうじゃないか!!
- 777 名前:大人になった名無しさん [2007/06/04(月) 22:50:05 ]
- >>776
あなたにはこっちのスレの方が向いてるとおも 自分のイタい過去で「あぁ〜」ってなる 23度目 life8.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1175599858/
- 778 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/06/09(土) 09:55:24 ]
- sage
- 779 名前:大人になった名無しさん [2007/06/10(日) 19:45:46 ]
- 俺の親父はろくでなしだった。いっつもギター持って意味わかんない歌歌って。酒飲んで暴れて、仕事もしなくて。家にもあんまり帰って来なくて。
お袋はいっつも台所で泣いてた。 当時消防だった俺は親父が帰って来ると隠れてた。 ある日、珍しく酔わずに帰ってきた親父がいつものように隠れてた俺を呼んだ。 渋々出て来た俺の手を引いて「遊びに行くぞ」って言った。 怖かったけど嬉しかった。 初めて遊園地に行った。 俺は凄いはしゃぎたおして、親父はずっと笑顔だった。 帰り道、親父は俺をおんぶしながら歩いてくれた。重くなったなぁ〜とかマヌケな事言いながら。 そんで「すまねぇ」って呟いた。 どうして良いのかわからない俺は聞こえないフリをした。 それから三ヶ月後に親父は死んだ。 お袋はいつも以上に泣きじゃくった。 お袋は親父が大好きだったんだと思った
- 780 名前:大人になった名無しさん [2007/06/10(日) 19:54:36 ]
- >>779
俺は親父が遊園地で買ってくれた、キーホルダーの剣をずっと握って泣きじゃくるお袋を見てた。 葬式やらが終わってある日、俺は親父のギターケースを開けた。そこに俺宛てに一言書いた紙があった。 「このギターはお前にやる。でも音楽なんか好きになるな。」 俺は吹き出して笑った。 でも俺は親父のレスポールを弾く。 ステージで部屋でスタジオで。 ろくでなしで馬鹿な親父の言うことなんか聞かねーよ。 あんたよりでかくなってやるんだ。 地獄で悔しがれ! ありがとう親父。
- 781 名前:大人になった名無しさん [2007/06/10(日) 20:20:29 ]
- >>780
うれしいこと言ってくれるじゃないの それじゃあ とことんよろこばせてやるからな 言葉どおりに 親父はすばらしいテクニシャンだった 僕はというと 性器に与えられる快感の波に 身をふるわせてもだえていた
- 782 名前:大人になった名無しさん [2007/06/12(火) 14:21:01 ]
- おいウィンナー落ちたぜ。
食っていいか?
- 783 名前:大人になった名無しさん [2007/06/12(火) 23:56:10 ]
- 泣けるかどうか分からんのだが、一つ。
もう10年ぐらい前になるんだが、国語科でかなり気さくな先生(以降恩師)いたのな。 その先生が突然夏ごろに学校来なくなったのよ。理由は病気で静養中だと。 代役の先生の授業はつまらんかった。もう、恩師の先生が偉大すぎて。 「今日はあっついのー!こんなんで授業やっても頭に入らんわ!今日はやめじゃ、やめ!」 と言ってガハハと笑いながら授業潰したりした。授業中に冷たい飲み物振舞ったりしてくれた。 で、調子にのって悪い事して、先生の注意をふざけて聞き流してたら 「このあほう!口で言うても分からんなら、どついたる!こっちゃこい!」 で、口論+つかみあいになった挙句、その生徒が「帰る」とか言い出したのね。そしたら先生 「おーう!さっさといんでしまえ!そん代わり単位落として留年させたるけんな!」 とか何とか言って、時には厳しく、ときには優しくで、生徒に好かれてる先生だったのよ。 で、恩師の先生と同期の先生に「先生はどうしたんですか?」と訊いてみたわけ。 ○○病院に入院してるよ、との事だった。このとき結構ショックだったね。 何故かって、そんな大病してたのか、っていう衝撃が大きすぎたから。
- 784 名前:大人になった名無しさん [2007/06/13(水) 00:18:56 ]
- >>783ラスト三行の話をしたら
今度の休みに、突撃しようぜwwwって流れになった。 同期の先生から病院も病室も教えてもらってたから。 クラスの皆で出し合って買った、お見舞いの必需品、果物盛り合わせと花束。 それを引っ提げて迷惑にならないようにクラスの数人で突撃。俺もこの中にいた。 恩師の先生の個室に辿り着くと、こんこん、と病室をノックした。 中からかすかな声ながらも「どうぞー」と聞こえたのでいつものくせで「失礼しまーす」とか言ってしまった。 先生は驚いてたね。「おーお前ら、なんでこんなとこにきたんや?」って言ってたし。 でも何より驚いたのは俺ら。先生の姿が変わりすぎてた。 すっかり痩せこけてて、どこか弱弱しい感じを受けた。 そんな姿見たもんだから、つい、うるっ、ときちゃったんだ。 先生はそういうとこに敏感だから、「どうしたんやー何泣いとるんぞー」とか笑いながら言うもんで 「だって、先生、ついこの間まで全然元気やったやん。」って思わず漏らしちまった。 「うーん、まあなーでもわしかて人やがな。ロボットちゃうから病気もする。まあ、死にはせんって」 正論だな、とは思ったけれど、先生そんな体じゃ説得力ないって・・・ 「それに、お前等の担任持てただけでもわしは幸せモンや、楽しかったでー」 この言葉でもう涙がツツーッって流れたね。 「いちいち泣くなやー。涙なんてのは大切な物失った時だけに流すようにせんかー。それ以外はわろとけ」 俺らからすれば先生が大事なんじゃないか・・・この言葉でもう号泣。 「生徒に慕われる先生か・・・憧れやったがまさかこんなはように実現するとはなー・・・」 俺は生徒のむせび泣く声の中で、嬉しげな先生のその言葉を今でも良く覚えてる。
- 785 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/06/17(日) 10:01:26 ]
- sage
- 786 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/06/20(水) 04:29:44 ]
- 心が病んでる時、このスレに来ると優しい気持ちになれる。
みんな、ありがとう。
- 787 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/07/01(日) 09:46:30 ]
- sage
- 788 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/07/05(木) 22:48:08 ]
- 小学4年の時の思い出。
当時の仲良しグループの中の一人がある日突然転校することになった。 その話を先生から聞いて、理由を本人のA君から問いただした。 理由は所謂家庭の事情というやつで、父子家庭だったA君の父親が再婚し、 結婚相手の連れ子と新しい家庭を築く為にA君だけ祖父母の所に 引き取られることになったらしい。 その経緯を仲間の前で涙ぐみながら話してくれたA君を見て、 子供ながらに「なんて大人は勝手なんだ!」と憤りを感じた。 そして、俺達でA君をなんとか助けよう!大人はあてにならない! とその場にいた友達4人でA君救出作戦が開始された。 そこで話し合いの結果、A君を父親と一緒に住まわせるには法律の力に 頼るしかないという結論に達した。 法律といえば図書館だ、ということでA君を含めた5人で近所の図書館に向かった。 顔なじみの受付のちょっと可愛いお姉さんに「法律の本はどこにありますか?」 と質問して「あそこのコーナーだよ。どうしたの?みんな恐い顔して」 「ちょっと、ね」4人は真剣そのものだった。A君は少し申し訳なさそうにしていた。 早速みんなで手分けして分厚い本を読み漁るのだが、所詮小学生に理解出来る訳がなかった。 それでもA君を助けたい一心で、なんかいい法律はないかと探した。 結局何の進展もないまま閉館の時間がきて、それぞれ家路につくことに。 みんながっかりしながらトボトボと歩いていたが、A君が 「ありがとう。じいちゃんばあちゃんと仲良くやっていくから大丈夫」 と精一杯の笑顔を見せて言ったので、みんな泣いた。A君も泣いた。 今思えば、法律の本を見てどうするつもりだったんだろうと思うけど、 そのときは本気でなんとかなると思っていたなぁ。
- 789 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/07/05(木) 23:34:44 ]
- 最近、スーパーの入り口すぐにスイカとかを
並べられてあるのを見かけるようになったけど、 スイカを見ると思い出すことがある。 自分が小学生の頃、すげー暑い真夏日に 友達とみんなで必死こいて遊んでた。 そしたら、ハット帽かぶった、ヒョロヒョロのじいちゃんが、 網に入ったでっかいスイカを、ヨロヨロしながら一人で運んでた。 たまに日陰に入って、汗を拭いたり、休憩したりしながら、 すげー大変そうだった。 あんまり可哀相だったから、友達と二人でそのじいちゃんに、 自分達が家までスイカ運びます、と申し出た。 じいちゃん最初は遠慮したんだけど、 結局、自分達の申し出を受け入れた。 そこから家は歩いて10分ぐらいのところで、 団地の2階か3階ぐらいだった。じいちゃんは満面の笑みで 「ありがとう、ありがとう、本当に助かったよ。」と、 何度も何度もお礼を言った。自分達も素直に嬉しかった。 だけど、じいちゃんが家のドアを開けた途端、奥から 「じいちゃんマジおせぇよ!使えねぇなぁ、ホント」と、声が聞こえ 自分達と同じぐらいの歳の子供が出てきた。多分、孫。 汗だくのじいちゃんを見ても、お礼の一言も言わないで スイカを持つと部屋の奥に入っていった。 じいちゃんは自分達に「ごめんなぁ、ありがとう」と 悲しそうな表情で言った。自分達は何とも言えなくて 頭だけ下げて、階段を急いで降りた。 帰り道、小学生の少ない語彙じゃ自分らの気持ちを 伝え合うこともできなくて、二人でちょっとだけ泣いた。
- 790 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/07/06(金) 23:12:37 ]
- >>788
A君ふくめて、そのうちの誰かは弁護士などの法律家になったのかい?
- 791 名前:大人になった名無しさん [2007/07/09(月) 16:35:45 ]
- 俺の実体験じゃないけど、とあるスレで見つけてきたのでコピペ。
俺は数ヶ月前、腹を下してて、学校のトイレにかけこんだのよ。 それはもう今こそ!といわんばかりに漏れそうだった。いつ流れ出てもおかしくない状況。 それで、個室までは間に合ったのよ。しかしそこからだ。 学校のトイレは和式が大半だよな?まあ俺が住んでるのが田舎だからなのかもしれんが。 まあ、そんな事はどうでもいいね。で、個室に入った俺は個室の鍵を閉めて 焦りながらズボンとパンツ下ろして、やったわけだ。 そしたらどうだ。便器にピーンとサランラップ張ってあるのね。もう俺涙目wwwいやまじで。 使用禁止とかじゃないんだよ? このときに改めて思ったよ。人災ほど怖ろしい物はないって。 あと下痢ももう嫌だね。体質だからどうにもならんとは思うけど。
- 792 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/07/09(月) 20:19:25 ]
- 小学生の時に病院で1ヶ月くらい入院した。
大部屋だったのでメンバーの入れ替わりが激しく色んな人と話した。 でも途中入ってきた同じ年くらいの女の子とは全く話さなかった。 恥ずかしさもあったしすぐに向こうが退院してしまったからだ。 3月に病院でひな祭り会みたいなのがあったんだけど僕は検査で出れなかった。 しかしその子が応援メッセージ入りのひな祭りカードみたいな物を僕に作ってきてくれた。 今度勉強教えてね、とも書いてあったがその後も結局話すことはなかった。 たったそれだけの繋がりだったが手術前で凄く励まされて嬉しかったので今でも時々思い出す。 ただその子の名前と顔が思い出せず、カードも見つからないのが残念…
- 793 名前:大人になった名無しさん [2007/07/10(火) 02:52:46 ]
- 0ノ9ノ5ノ0ノ4ノ0
- 794 名前:大人になった名無しさん [2007/07/10(火) 12:05:05 ]
- ちょっと前の話。
勤務する会社の商品に問題が発生、物流センターでリコール作業を行なうことになったんだ。 人材派遣会社から人夫を20名程依頼し、俺以外は会社が用意した作業服に着替え、朝の9時から単純作業。 昼休みになり近くのラーメン屋に移動。人夫の大半が学生orフリーター風の中、一人だけ40歳位の男性がいた。 皆が日替わり定食やラーメンセットを食べてる中、その人だけが焼飯(¥350)単品だった。 夕方になり、作業が終了。その人、私服が背広でネクタイ〆て帰って行ったんだ。 俺が思うに最近リストラされて家族に言えないから普段通り背広で出勤してるんだろうと思う。 作業は3日続いたんだけど毎日背広姿だった。ちゃんと黒いブリーフケース持ってたし。 そんな事も忘れた二ヶ月程後の日曜日、遠方のジャスコで彼を目撃。ゲームコーナーで娘サンとベンチに座って 自販機で買ったアイスクリームを食べてたよ。嬉しくも悲しくも秋の夕暮れ時の出来事でした。
- 795 名前:大人になった名無しさん [2007/07/11(水) 21:54:25 ]
- >>3-4
ぐ、偶然だ!!!! これ僕、今日2ちゃんの笑える話が載ってるまとめサイトで見たばかり!!! 元ネタがこの板だったとは
- 796 名前:大人になった名無しさん [2007/07/18(水) 23:12:45 ]
- ドイツから帰国して早一年になる。
二年間ドイツの大学の修士かで勉強していて修士を取ってちょうど一年前に帰ってきた。 最初の半年は地獄だった。 理解できない授業、冷たいドイツ人の視線、なれない文化、友人なんかいない 毎日帰りたいと思っていた。 ある日本屋で授業の合間の時間つぶしをしているとき、すごく顔が整った美青年が僕に声をかけてきた。 彼はドイツ人と日本人のハーフで医学を専攻している学生だった。(以下J) Jは日本にも住んでいたことがあり、ドイツ語日本語両方とも流暢。 その後僕らはカフェに行った。彼の話は面白かったが、僕はそれ以上に彼の容姿にずっと気がいっていた。 彼の顔はすごく美形で体もたくましかった。 僕は日本にいるとき彼女がいた。 ウクライナ人で日本でモデルの仕事をしている18歳の少女だった。 それまで僕は自分は白人の少女しか愛することができないロリータだと悟っていた。 しかしそこで僕はもう一人の自分に気づくことになったのだ。 むろん彼はバイセクシャルだった。 彼は僕のためなら何でもしてくれた。人の本当のやさしさに出会えた。 今東京のビルに囲まれながら遠く離れたドイツのJのことを思っている。
- 797 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/07/19(木) 01:21:53 ]
- アッー
- 798 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/07/19(木) 18:41:38 ]
- 高校2年の夏休み。近所に住む幼馴染みが泊まりに来た。
両親が法事かなにかで旅行に行くので3日間だけウチであずかることになってた。 小学生のころはいつも一緒に遊んでいたのだが中学に入ってからはクラスも別に なったこともあり、あまり話さなくなってた。 ウチの両親が出かけると、久しぶりに二人っきりだと特に話題も無く、なんとなく 気まずい空気が流れていた。 すると突然「○○くん(俺の小学生の時のあだ名)さぁ、キスとかしたことある?」 とか言い出した。「1組の女子と付き合ってるって噂聞いたことあるけど・・」とも。 「付き合ってなんかいないさ。俺、あいつの事好きでもなんでもないし。」って答え たら、「じゃあ、キスしたことないんだ?」と からかうような口調で聞いてくるから 少しむかついて、「そういうお前こそあるのかよ!」と怒鳴ってしまった。 そうしたら、しばらく無言で下向いてるから「すまん、大声出したりして、ゴメン」 と謝ったら、小さな声で言ってきた「・・・してみる?」俺はびっくりして「えっ?」 と聞き返したら、「キス・・・・してみる?」と今度は俺の目をまっすぐに見つめて はっきりと言ってきた。そして、急に俺に抱きついてきてキスをしてきた。 その後はよく覚えていないけど、二人で抱き合ってウチの両親が帰ってくるまで ずっと舌をからませていた。 その後そいつと付き合うことになって、休みのたびに映画観たり、買い物に行ったり、 いつも一緒にいたような気がする。そうなると自然と体の関係を持ちたくなったけど どうしても最後までは許してくれなかった。そのかわり「ごめんね、これで我慢して」 と言っていつもフェラしてくれた。俺も何回かフェラしてやった。
- 799 名前:大人になった名無しさん [2007/07/19(木) 22:37:11 ]
- >>796,798
何で急に同性愛スレになってんの 二話続けてホモ話なんて
- 800 名前:大人になった名無しさん [2007/07/20(金) 03:54:38 ]
- ツマンネ なにこの流れ
- 801 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/07/22(日) 23:41:53 ]
- ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ mixiデビュー!(0) ┃ ┃ 今日は僕の誕生日です!(0) . ┃ ┃ みなさんはどう思いますか?(0) . ┃ ┃ あけましておめでとう!!(0) ┃ ┃ 最近めちゃくちゃ落ち込んでいます…(0).. ┃ ┃ マイミクの皆さ〜ん!お知恵拝借!(0) ..┃ ┃ 手首切りました…(0) . .┃ ┃ 家にある睡眠薬全部飲みました…(0) .┃ ┃ 皆様にアンケートです(0) ┃ ┃ mixiプレミアム入っちゃいました!!(0) .┃ ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
- 802 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/07/23(月) 19:46:39 ]
- 単身赴任していた父は、父の父、つまり私のおじいちゃんが亡くなると2週間程だろうか。長い休暇を取った。
やることは山積みで、死んで3日くらいは葬式やら会場やらの手配で忙しくしていたし 祖父の一人暮らしの部屋を片付けたり届けを出したりいろいろ大変そうだった 祖父が死んだのは3月9日。その数日前には私の高校受験があった。 もしかしたら…おじいちゃんが受験と重ならないように、お父さんが卒業式に出られるように 計らってくれたのかもしれない…と密かに思っている。 父の長い休暇もいよいよ明日で終わるという日、家族でスーパー銭湯に行った。 私が風呂から上がると、すでに父はビールとつまみで一杯やっていた。 軽食スペースの真ん中に置いてあるテレビから、映画の宣伝が流れた。アメリカのクレイアニメだった。 「おじいちゃんが生きてたら、○○(私)と兄ちゃんと一緒に観にいってたかもなぁ」 父は、そう呟くと、顔をゆがめることもなく、目からポロっと涙を流した。 肩にかけたタオルで、まるで風呂上りに顔を拭くみたいにして、涙をぬぐっていた。 私は初めて、お父さんがそんな風に泣くところを見た。 まるで遠くを眺めるみたいな瞳からこぼれてきた涙は、大人の涙とは思えないほど自然体だった。 おじいちゃんに、ディズニーの映画に連れていってもらったことがある。 中1か2くらいだった。お兄ちゃんと一緒に行った。 ちょっと照れがあったけど、グッズを買ってもらったり、カツを食べに行ったりした。元気だった頃。 映画が好きなおじいちゃんっていうのが、センスが良くて好きだった 昔は警察で、殺人事件の捜査をしてたっていうおじいちゃんが、めちゃくちゃかっこよくて好きだった。 父の弟、私のおじさんが困った人で、おばあちゃんも困った人で、お父さんは今も大変そうだ。 あの日見た穢れない涙が、お父さんの脆さを語るようで、いつか折れてしまわないか不安だ。 不精なもんで、仏壇に手を合わせることも滅多にないけど、今日はちゃんと向かいあおうかな うん、別に泣けないですね、ごめんね
- 803 名前:大人になった名無しさん [2007/07/25(水) 14:41:02 ]
- いや、いい話・・・
お父さん大事にね。
- 804 名前:大人になった名無しさん [2007/08/11(土) 02:40:17 ]
- 祖父も祖母も物心ついた頃には居なかった。
ペットも親が駄目だって言うから昆虫すら飼った事ない。 友達も居なかった。 だから身近な人や生き物が死んだという経験もない。 俺がどんなに辛い時も理解してくれる人もかばってくれる人も居なかった。 恋だってしたかったけど、それすらない。 うるさいという理由で音楽再生機器も買ってもらえなかった。 テレビもNHKくらいしか見せてもらえなかった。 ゲーム機も玩具も買ってもらった記憶はない。 小遣いも貧乏だから無かった。 そんな自分だから流行にも疎く虐めの対象になった。 学校なんか行きたくなかったけど行かないと殴られるから行った。 行っても虐められたから変わらなかったんだけどね。 そんな自分から見れば暖かい思い出があるおまいらが羨ましいよ。 俺には何もない…。 そんな自分でも五体満足に産んでくれたカーチャンには感謝する。 現在うつ病で心配かけてごめんよ。 ずっと我慢してきたのに身体がいうこと効かなくなっちゃったよ。 自分にも何かいい思い出欲しかったけど、もう無理かな?
- 805 名前:大人になった名無しさん [2007/08/11(土) 03:03:17 ]
- これからだよ。
これからしたいことや、思い出つくればいいのよ。
- 806 名前:大人になった名無しさん [2007/08/11(土) 21:19:56 ]
- >>804
あまりの悲惨さに泣けた でもセピアでもなんでもないだろ
- 807 名前:まつけん mailto:sage [2007/08/12(日) 05:49:12 ]
- よかったら聞いてください。
bubble6.2ch.net/test/bbs.cgi
- 808 名前:大人になった名無しさん [2007/08/16(木) 00:23:42 ]
- 祖母の家の庭には、小さな桜の木がありました。観賞用ではなく、身を食べるための小さな木です。
祖母は、さくらんぼが好きだと言った私のためにその木を植えてくれたようで、遊びに行く度、『●●ちゃんの好きなさくらんぼ、来年はなるといいねぇ。なったらおばあちゃんと●●ちゃんとで食べようね』と言っていました。 ところが、さくらんぼは何年経ってもならないのです。 最初は楽しみにしていた私も、次第にどうでもよくなってしまっていました。 その祖母が、今年亡くなりました。ちょうど桜の花の散った頃です。 私が駆けつけたとき、祖母の横には小さな箱が置いてありました。なんだろうと思って開けると、中身はさくらんぼ。まだ青っぽい実と、小さなメモが入っていました。 『●●ちゃんの好きなさくらんぼがやっとなりました。うれしいね』と書いたメモが。 それを見て、泣きました。 青っぽいさくらんぼは、ひとつは祖母の棺桶に入れ、残りは私が食べました。 すっぱかったけど、いままででいちばんおいしいさくらんぼだったように思います。
- 809 名前:わらいの絶えない人生 mailto:sage [2007/08/23(木) 10:18:36 ]
- 死んだ話で涙を誘うのが多いな
確かに人(や生き物)の死が泣けるのは肯けるけど ちょっと食傷気味だね もっと『セピア』な泣ける話か読みたいもんだ
- 810 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/08/26(日) 14:26:58 ]
- 兄が生まれつき骨の具合が悪いせいで整形外科に入院してた、小学4年ごろの話。
私はよく知らなかったんだけど、同室だったある女性と仲が良かったらしい。 その人が個室に入っても、部屋まで遊びに行ったりしていた。 手術の前の日には、怖くて怖くて不安だったその人の手を、兄はにぎってあげた。 兄自身、たった一人きりの入院や手術は不安で仕方なかっただろうに。 そこはガキパワーで強がってたみたいだけどww お互いに退院しても、連絡は取り合っていた。 我が家のある市に用事があると、必ず家まで来てケーキなんかをくれた。 遊園地のチケットもくれたなぁ。 いつも「あの頃は○○君(兄)には本当に救われたんです」という。そういうとき兄は毎度照れてる。 その人は結婚してるんだけど、子供は授かっていない 兄はもちろん、妹の私まで可愛がってくれている。 その人は自宅で絵を書いている。 市民共同の展覧会に出品した時、見させてもらったけど凄く大きくて立派な絵だった 私も絵を書く方なので、そんな大きな絵を書くその人は凄い人だと思う 旦那さんも、こっそり私の写真を撮ったりしているのを見ると、娘が欲しかったんだろうな、と思う。 家族はみんなその人に感謝している 兄の入院が、ただ家族にとってしんどいものにならなくてよかった 出会えてよかったと思っています。
- 811 名前:大人になった名無しさん [2007/08/29(水) 23:02:52 ]
- >>1-810
- 812 名前:大人になった名無しさん [2007/08/31(金) 13:16:45 ]
- あげ
- 813 名前:大人になった名無しさん [2007/09/09(日) 13:59:48 ]
- age
- 814 名前:girl [2007/09/10(月) 01:55:40 ]
- あいつが死んでから、2、3週間は食べ物がのどを通らなかった
笑うことも泣くことも怒ることも楽しむことも無かった それでも、時は待ってくれない ある時、友人が「外に出ろ」といわれ、言われるままに外に出た 外には、白く冷たい雪があった。私は公園へ行った 公園で友人に言われた 「あいつがお前を見たら、殴りかかってくるだろうな」 私も言葉を返した。 空が暗くなってきた。最後に友人が一言いった 「あいつがいなくてもさ、またいつか俺達、笑ったり、泣いたり、楽しんだりできるといいな」 心に染みた 「また、いつか」この一言で私の人生は変わった。 あれから10年つらいこともあったけど、私は落ち着きを取り戻した 「ねぇ・・またいつか・・・」
- 815 名前:大人になった名無しさん [2007/09/11(火) 22:59:33 ]
- 親父が亡くなりまして。
正直なところ親父が大嫌いで、「この偏屈じじい」と思ってた。 オレも所帯持って子供が2人できて、去年七五三。親父はえらくよろこんでた。 したら、この夏いきなり腎不全で死んじゃった。 もう壮絶な最期で、人間が死ぬってのは大変なことだとわかった。 大好きな人だったら素直に泣けるのに、なんであんなに嫌いだったのか、 もう少しどうにかできなかったのかと思うと悔いばかり残る。 何言っても、相手はもういないしね。 親不孝してきたツケというのはこういうところで来るんだね。 多分、一生かかえていくのかな。 ごめん、泣ける話じゃなかった。死んだ話で涙を誘う気ではなかったんだが。
- 816 名前:大人になった名無しさん [2007/09/11(火) 23:05:05 ]
- てか、セピアじゃないじゃん!最近じゃん!
ということで再度ごめんなさい
- 817 名前:大人になった名無しさん [2007/09/12(水) 20:11:15 ]
- 9年ぶりに恩師に電話した。
不登校のときフリースクールで出会った先生。 もとどっかの校長先生だというのにいつも子どもの目線からみてくれた先生だった。 好き勝手やってるように見えても色々悩んで何度も命絶とうとして でもなんとか生きてますけどねwと笑いながら話したら 「そうだったのか、苦しかったんだね」と。 「みんなもそうだよ」とか「色々あるよね」ということばは何度もきいていたけど こんなこといわれたのは初めてで涙が出そうになった。 思えば先生は調理実習のとき私が協調性がなくてばかみたいにポツンとしてても 「ごめんね、気づかなくて」と言ってほかの班に追いつくように用意をしてくれた。 いつも本当に生徒を見下さずに意見を聞いてくれて気遣ってくれた。 そんな先生はもう70歳を迎える。 わたしは今、教員を目指しています。 当時のクラスメイトとは今でも仲良くしています。 貴方がたが結び付けてくれた最高の親友たちです。 来年で出会って10年目なので同窓会を企画しています。 先生ももちろん呼びますから、きてください。
- 818 名前:大人になった名無しさん [2007/09/19(水) 06:39:08 ]
- おお まだこのスレあったか。
半年ぐらい前に うちのかわいいかわいいわんこが 逝って凹んでた時 何度かコメントしたりしたんだが。 とりあえず みんな幸せになれな。
- 819 名前:大人になった名無しさん [2007/09/29(土) 16:40:34 ]
- セピアかどうか分かんないけど書きます。
僕が小学5年の時の話です。 僕は結構小学生の頃、下らない事で兄としょっちゅうケンカしていました。 兄貴といるとムカつくし大嫌いでした。 小学5年に上る時、お父さんの仕事の都合で引っ越しをしました。 引っ越した日は家族皆同じ部屋で寝ました。 正直兄貴と一緒の部屋で寝るのは嫌でした。 その日の夢で僕は坂道でチャリをこいでいて、それを兄貴に馬鹿にされながら抜かされました。 そして、兄貴が優越感に充ち満ちた表情で振り向いた時、兄貴は坂道の横に落ちてしまいました。 坂の横は断崖絶壁になっていて、下はコンクリートでした。 当然助かる訳はありませんでした。 僕は兄が大嫌いだった筈なのに膝をついて泣いていました。 そこで母さんに起こされました。 僕が起きると前には母さんが立っていて、横に兄貴が座っていました。 僕は寝ぼけていたのか、寝ぼけたフリをしていたのか兄貴の膝で再び眠りにつきました。 どんなに嫌いと思っていても、やっぱ“死ぬ”って事は 一人の人間がいなくなる事は辛いって事を実感しました。 今は仲良くやってます。 夢でよかった兄貴大好きだ 。
- 820 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/09/29(土) 23:27:10 ]
- 家族の好き嫌いってそういうもんだろ。
きっと神様かご先祖様が、夢を使って気づかせてくれたんだろう。
- 821 名前:大人になった名無しさん [2007/09/30(日) 00:18:09 ]
- human7.2ch.net/test/read.cgi/wmotenai/1175268126/448-462
↑ 泣けるぞ。
- 822 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/10/07(日) 08:24:17 ]
- sage
- 823 名前:大人になった名無しさん [2007/10/07(日) 15:24:54 ]
- >>820
お前いいこというな、泣けた。
- 824 名前:大人になった名無しさん [2007/10/09(火) 13:45:49 ]
- そういえばオレの兄貴も819と同じような夢(オレが市ぬやつ)を見て夢の中で泣いてたらしいぞ。
オレそれきいたとき感動して泣きそうになった笑
- 825 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/10/10(水) 23:18:49 ]
- >>819
ちょっと泣けた、拙い文章が 俺も兄貴が嫌いだが、やはり兄貴は俺の兄貴なんだ
- 826 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/10/27(土) 19:54:46 ]
- sage
- 827 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/11/04(日) 19:08:24 ]
- sage
- 828 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/11/18(日) 17:28:27 ]
- sage
- 829 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/12/08(土) 08:39:27 ]
- sage
- 830 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/12/15(土) 17:08:55 ]
- sage
- 831 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/12/23(日) 08:48:09 ]
- sage
- 832 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2008/01/03(木) 17:54:55 ]
- sage
- 833 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2008/01/10(木) 03:13:40 ]
- sage
- 834 名前:大人になった名無しさん [2008/01/11(金) 21:42:33 ]
- 俺が消防の頃の話
同じクラスに黒田平一(仮名)、通称クロベーってヤツがいたんだ。 クロベーの家は母子家庭で母親とクロベーと弟の3人暮らしだった。 クロベーの一家は、親戚の家の離れに間借りして、風呂は母屋のを共同で使わせてもらっていた。 クロベーの母ちゃんは、その親戚の家業を手伝う形で生計を立て、 女手一つで一家を支えていていた、所謂、貧乏な家庭だったんだ。 制服のズボンとかも何年も同じのをはき続けてるから丈が短かったり、 体操着なんかも所々破れたりしてんだ。 しかもクロベーは軽く池沼気味で、ギリ普通のクラスって感じで体も小さく、 万年ハナタレで勉強やスポーツは大の苦手でだった。でも、すげーいいやつなんだ。 いつも笑顔を絶やさず、優しくてクロベーはクラスの人気者だったんだ。 そんで、クロベーは虐められることもなく、無事小学校を卒業し中学校へ進学した。 そして俺は、中学でもクロベーと同じクラスになったんだよ。 クロベーはスケッチが好きで、休憩時間になるとテラスに出て、 よく風景を写生してたんだが、クロベーの場合は太陽を写生したりするわけ。 目を細め、太陽を直視しつつ、すげー色使いで太陽だけをスケッチするんだよ。 すると、この様子を見た他の小学校出身の連中がクロベーを虐め始めたんだ。 虐めっつっても、暴力を振るったり無視したりするわけではなく、 クロベーの突飛な発言や行動をからかったりする程度だったんで 俺もそこまでは気にはいなかった。
- 835 名前:大人になった名無しさん [2008/01/11(金) 21:44:06 ]
- そんなある日、授業参観の案内があったんだよ。クロベーの母ちゃん
は仕事が忙しく、消防の頃から殆ど学校行事に参加していなかっ た。クロベーは運動会の時も、弟と二人教室で弁当を食べていたんだ。 ところが、親戚の粋な計らいで、今回はクロベーの母ちゃんが来るら しい。クロベーは満面の笑みで俺たちに、そう報告した。 そして参観日当日、どこの親も、一張羅でめかし込んで来るわけ。 当然俺の母親もスーツで来てたんだよ。 そんな中、いよいよ授業が始まるって時にクロベーの母ちゃんがやっと登場。 仕事の最中に学校に寄った様子で、ピンクのジャージに紺のヤッケを羽織ってる。 急いで走って来たらしく首に掛けた手ぬぐいで額の汗をぬぐいながら、 場違いな雰囲気に遠慮がちに教室に入って来た。将に貧乏丸出しである。 でも、クロベーの顔を見ると、そりゃー嬉しそうにニコニコ笑って張り切ってたよ。 そんで、授業開始、その日は担任の女教師による日本地理の授業だったんだ。 程なくして、先生がこんな問いかけをした・・・ 「北海道の旭川市は稚内と比べると南に位置するにも関わらず冬季 の気温が低いのはなぜか?」この中学生には難しい問いかけに一同 沈黙する中、なんとクロベーが「はい!!」と高らかに張り切って 手を上げたわけ。 普段からクロベーの突飛な回答に困惑していた先生も「しまった!!」 つー表情。先生は「では、黒田くん」と已む無くクロベーを指したんだ。 クロベーの回答は以下のようなものだった・・・ 「稚内には牧場がいっぱいあって、牛がたくさんおって、その牛の息が 集まって空気が温くなります」と、言い放ったんだ。
- 836 名前:大人になった名無しさん [2008/01/11(金) 21:44:47 ]
- 当然、保護者含め一同大爆笑。するとクロベーの母ちゃんが言った
「いいぞ平一!!」てな。 そんで次の瞬間、無言でクロベーのところにツカツカと寄って来て、 ハナタレだったクロベーの鼻水をチーンと手ぬぐいでぬぐったわけ。 笑い声は一気に静まり返り、一同呆然とする中、クロベーの母ちゃんは 何事もなかったような涼しい顔で教室の後ろへと戻った。 俺は、なんだか妙に感動して、胸がジーンと熱くなるような感情を覚えた。 けど、周りのやつらの反応は違ったね。 この一件は、クロベーの虐めを激化させる引き金となってしまったんだ。 「貧乏人」「不潔」に始まり、クロベーの母ちゃんを中傷するような酷い 言葉を浴びせ掛けられたんだ。 腕力に自信のあった俺と連れのHは、そのたびにクロベーを助け、 虐めている連中を一喝した。 しかし、俺たちの見てないところで虐めは更にエスカレートし、靴を隠したり、 筆箱に残飯を入れたり、無視したりと陰湿なものに移行していった。 しかし、クロベーは気にする様子もなく、淡々と笑顔ですごしていたよ。
- 837 名前:大人になった名無しさん [2008/01/11(金) 21:45:15 ]
- そんなある日、クラスで盗難事件が発生した。
ある女子生徒が、鞄の中に入れていた、現金の入った封筒を盗まれたと 騒ぎ出したんだ。 すると、クロベーを虐めてた連中の一人が「貧乏人の黒田に違いない」 と騒ぎ立てやがったわけ。 移動教室の時、おっとりしたクロベーはいつも最後まで教室に残ることが多く、 それが疑われる要因になったってこと。 俺とHは必死に「クロベーは人の物を盗んだりするようなヤツじゃない」 と訴えたが、生活指導の強面教師は、クロベー犯人説を真に受けて クロベーを尋問しやがった。 身に憶えのない容疑に、クロベーは「知らない」と否定したが、 状況証拠のみでクロベーの尋問は続き、語彙の乏しいクロベーは、ただ 「知らない」と言い張るばかりで、生活指導の教師の心証を悪くしたようである。 そして下校時間を過ぎ、その日の取調べは一端終了し、クロベーは仮釈放となったんだ。 ところが次の日、あらぬ冤罪を掛けられた息子を弁護すべく、クロベーの 母ちゃんが職員室に乗り込んで来たんだよ。噂を聞きつけた俺とHは、 急いで職員室に様子を見に行ったんだ。 そしたら、クロベーの母ちゃんは嗚咽して、生活指導の教師にすがりつき、 泣きながら叫んでるんだ。 「あの子じゃありません!あの子は人の物を盗むような子じゃないんですっ!!」てな。 噂はあっと言う間に全校を駆け抜け、野次馬達が集まって来たんだ。 汚い格好で嗚咽するクロベーの母ちゃんを見て「あいつら共犯に違いない」 などと心ない噂が学校中を駆け抜け、クロベーに対するイジメや中傷は更に激化したわけ。 この事態にさすがのクロベーもシュンとした様子だった。俺とHは、 クロベーを励まし勇気づけ、更に冤罪を晴らすべく真犯人を探し聞き込みを開始したんだよ。
- 838 名前:大人になった名無しさん [2008/01/11(金) 21:45:41 ]
- しかし、なんの手がかりも掴めず、クロベーに容疑が掛かったまま一週間を過ぎたある日、
担任の先生から思わぬ報告があったんだ。 紛失した現金入り封筒が見つかったと・・・・ なんと紛失したと思われていた封筒。実は、その女子生徒の勘違いで鞄の奥にあったんだよ。 でもあまりに騒ぎが大きくなったんで今まで言い出せなかったが良心の呵責に苛まれ、 その子は、泣きながら担任に事の顛末を告白したんだ。 「黒田くん、疑いを掛けてごめんね」と担任から報告を聞き終えた瞬間、 Hのヤツが突然立ち上がり「うおっー!!」叫びながら走り出し、クロベーが犯人と最初に 疑いを掛けたヤツにいきなりドロップキックをブチかましたんだ。 続いて俺も立ち上がり、助走をつけて、そいつにラリアットをブチかましたんだよ。 まるで、ゴディ・ウイリアムズ組みてーな見事なコンビネーションでな。 続いて、その取り巻きのヤツら含め3人をボコボコにしてやったんだよ。 すると心の優しいクロベーは俺達を止めるべく「やめて!!」と割って入ってきて、 俺達は「おまえは悔しくないんか!!」とクロベーを払いのけ、更に連中をどつきまくったんだ。 そんで、俺達は駆けつけた生活指導の教師に取り押さえられたわけ。 当然、死ぬほど怒られたよ。俺達は何度も生活指導の教師にぶん殴られたんだ。 そんで親も呼び出されこっぴどく怒られた挙句、俺達がどついたヤツらの家を一軒一軒、 親と一緒に頭下げて回らさせられたんだ。 行く先々の家で俺たちは罵倒され、それでも親に無理やり頭を抑えつけられ俺たちは頭を下げた。 正義のヒーローのつもりが、自分の親にまで迷惑を掛けてしまい、俺はその理不尽さに 一人悔し泣きしたんだ。
- 839 名前:大人になった名無しさん [2008/01/11(金) 21:46:06 ]
- ようやく、ほとぼりも冷めたある日、クロベーが俺とHの所にやって来て、こう言った。
「今日うちの母ちゃんが二人にご馳走したいって、だから遊びにおいで」と言うんだ。 別に用事もなかった俺達は即座に了承したわけ。 そんで放課後、俺達はクロベーの家に行ったんだ。だが、まだお母さんは仕事から帰ってなくて、 家にはクロベーと弟しか居なかったんだ。 俺達は仕方なく、ファミコンはおろか、テレビすらないクロベーの家で母親の帰りを待ったんだよ。 いい加減に待ちくたびれた18:00を過ぎた頃、クロベーの母ちゃんが帰ってきた。 「みんな遅くなってごめんね、いまご馳走するからね」と手に下げた買い物袋をテーブルに置くと エプロンを付け何やら料理を始めたわけ。 暫くすると「ぷーん」とカレーの匂いが漂って来た。 「やったカレーだ!!」クロベーの弟が嬉しそうに叫んだ。 程なくして、クロベーの母ちゃんが「おまたせ!!」と鍋に入れたカレーを持ってきたんだよ。 それと餃子も出て来たんだが、よほど好物だったのか、クロベーも弟も餃子に歓喜の声を上げたんだ。 俺達にとっては、ご馳走と言うには、ほど遠いメニューだったが、貧乏なクロベーの母ちゃんにしたら 精一杯のもてなしだったことだろう。 腹も減ってたんで俺達はとりあえず食べることにした。 カレーに肉はなく、刻んだ魚肉ソーセージと玉ねぎとジャガイモニンジン、そして、なぜかシイタケが 入っていたが、どうやらこれが黒田家のデフォルトらしい。 だが、味はうまかったので俺達は豪快にカレーを流し込んだんだよ。 そんで暫くするとクロベーの母ちゃんがスプーンを置き、静かに口を開いて俺達にこう言ったんだ。 「あんた達、平一を助けてくれてありがとう、これからも友達でいてね・・・」 そう言うと、声を上げて、うぉんうぉん泣き出したんだ。 俺もなんだか悲しくて、そして嬉しくって、涙が溢れて来て、声を上げて泣いたんだよ。 Hも釣られて、みんなでカレーの味も判らなくなるほど泣きじゃくったんだ。 一言もしゃべらず、ただカレーを食べながら声をしゃくりあげて泣いたんだ・・・・ クロベーだけは笑ってたな。
- 840 名前:大人になった名無しさん [2008/01/11(金) 21:46:31 ]
- そんで、それから中学校3年間、俺とHはクロベーを守ったんだ。
そして、卒業を迎え、俺とHは地元の高校に進学、クロベーは県外へ就職することになってたんだ。 俺とHはクロべーに別れの言葉を告げたんだ 「もう俺達は、おまえを守ってやれない、これからはお前が母ちゃんを守っていくんだ」 そうクロベーに言った「わかった」と力強い言葉がクロベーから返ってきたんだ。 その言葉に俺達は安心してクロベーと別れたんだ。 それから数年後、県外に落ち着いたクロベーは、母ちゃんと弟を呼び寄せ、 3人で一緒に暮らしはじめたんだ。あのクロベーが、なんと頼もしいことだろうか。 だが、俺の記憶はあんときのままだ・・・。 今も思い出すクロベーの屈託のない笑顔。あいつには幸せになる権利があるんだ。 あれから四半世紀が経ち、今は、俺も家族を持ち、子供を育てる父親となった。 俺は子育てで悩んだ時、いつもクロベーの母ちゃんの事を思い出す。 親ってのは、どんなにブサイクで恰好悪くても、子供の味方して守っていかなくちゃならないんだと・・・。 長文、駄文失礼しました。おわり・・・
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