- 1 名前: ◆kuriu7uP3. [04/02/09 18:38]
- セピアな思い出。感傷的な気持ちにさせてくれる話をうp汁!!みんなでしみじみ泣こうじゃないか!!
- 309 名前:大人になった名無しさん [2005/07/09(土) 14:39:35 ]
- 幼稚園の頃、両親が離婚。
女手ひとつで、俺と弟を育ててくれた母。 USJができた年の夏休み、母が俺たちをUSJに連れてってくれた。 内心 俺は、交通費+入場料×3を出してくれた母に遠慮してた。 アトラクションは2時間待ちでつらかった。 けど、3人でわーわーきゃーきゃー言って、すんげぇ楽しかった。 お昼ご飯は、園内のレストラン。 一番安いもので1200円もした。 やっぱりこういうとこは高いな。 母は『好きなん食べよ』と言ってくれたけど、 結局みんな1200円のカレーを食べた。 園内の地図を見てワクワクしてる母に感謝した。 ほとんどのアトラクションを制覇した俺たちは、 帰りの電車で爆睡。 土産を抱えて寝てる母に感謝した。 母子家庭で家計だってつらいのに、 俺たちを連れていってくれたことがほんとに嬉しかった。 大げさかと思うからしれんが、涙が出るほど嬉しかった。 『連れていってくれて、ありがとう』と言うと 『また今度も行こな』と言った。 今度は俺が連れて行ってあげるからな。
- 310 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/07/10(日) 06:12:09 ]
- >>309
いい母ちゃんといい息子だね。 きっとあなたのお母さんはあなたがいてとっても幸せだと思う。 あなたはお母さんがいてとっても幸せだと思う。 家族ってそういうのがいい
- 311 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/07/10(日) 07:33:19 ]
- >>308
そもそもボクシングにローなんて無いしな
- 312 名前:大人になった名無しさん [2005/07/12(火) 03:07:04 ]
- 俺が小学生5年生の時の話。
俺と兄(6年生)は近所の少年野球のチームに入っていた。 俺は6年生主体のチームの中に、一人だけ5年生で試合に出してもらっていた。 その年の冬に6年生にとっての最後の試合があった。 その試合では兄がなぜか異常なほど調子が良くて、3打数3安打。 最終回裏、うちのチームは2-3で負けていた。2アウト三塁の場面でバッターは兄。次のバッターは俺。 チームの誰もが、兄がなんとかしてくれるだろうと思っていたら、相手はなんと敬遠をしてきた。 完全に俺はナメられていた。ものすごく悔しかった。絶対打ってやろうと思った。 …しかしあえなく三振。ゲームセット。 試合後、あまりの悔しさに涙をこらえながら一人で木陰に座っていた。 するとそんな俺の様子を察してか、兄と6年生数人が来て 「ええ試合だったが。ドンマイドンマイ。」 と言ってなぐさめてくれた。その瞬間、今までこらえていた涙があふれ出てきた。 先輩達よ、ありがとう。
- 313 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/07/13(水) 00:12:35 ]
- >>248-250
これ何回か見た事あんだけど、それでも駄目だわ。・゚・(ノД`)・゚・。 残された方も辛いだろうけど、嫁と子供を残して逝く方も辛かったろうな 一目でも子供の顔見たかったろうな、とか色々想像してしまう 奥さんと娘さんには強く生きてほしい、ってか2chすんなやww まあ、ある意味強く生きてんのか
- 314 名前:大人になった名無しさん [2005/07/13(水) 21:57:55 ]
- 工エエェェ(´д`)ェェエエ工
- 315 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/07/15(金) 05:54:02 ]
- 高校に入って一番最初に出来た友人。
俺とは全く違うタイプの男だった。 俺はスポーツが好き、外で遊ぶのが好き、車やバイクが好き。 友人はスポーツが苦手、漫画や本が好き。 それでも何故か意気投合し、バカ話で盛り上がりいつまでも笑い合ってた。 お互い、大学進学が決まった頃、友人に相談を持ちかけられた。 「俺、自分を変えたいんだよ。熱くなれるような趣味持ちたいし、アカ抜けたい。」 確かにそいつはアカ抜けてないし、周りからみればオタクっぽかったかもしれない。 そこで、俺は美容室を教えたり、ヘアカタログを貸したり、車の本を貸してあげた。 そいつは少しずつだがファッションに気を使うようになり、行動的になった。 親の車ではあるが手を加えたり、バイトして原付を買っては自慢するようになった。 大学に入ると、友人はバイクサークルに入り二輪、大型二輪と相次いで免許取得。 大型バイクを購入し、ツーリングの話を楽しそうに俺に話してくれた。 メカニックの知識も俺なんか足元に及ばないまでになってた。
- 316 名前:315 mailto:sage [2005/07/15(金) 06:21:15 ]
- 2年ほど前のある日、友人から1通のメールが来た。
「癌の一種に侵されちまって、入院することになったよ。 発見が早かったから、治療で何とかなるみたい。留年しちゃうかもしれないけどね。」と。 それから何度かお見舞い行ってはお互いの近況報告をした。 友人は検査でナースに裸を見られる恥ずかしさや治療の方法、 薬の副作用で髪が抜けて丸坊主にしたことをユーモアたっぷりに話してくれた。 それだけでなく、一人暮らしをしてる俺の心配までしてくれてどっちが病人か分からないくらいだった。 しばらくして、また1通のメールが来た。 「俺、金色のファルコになるわ!」 俺には何の事だか分からなかったが、聞けば北斗の拳の片足が義足のキャラらしい。 北斗バカだった友人の精一杯の強がりだったと思う。 右足を切断することになって、未練が残らないようにその日のうちにバイクを売ったことも後から聞いた。 五体満足で生活している俺にはバカなメールを返して笑わせてあげることしか出来なかった。 笑ってくれたかどうか分からないが、同情するよりも笑わせてあげたかった。 義足をつけてリハビリをしていても、 「俺の義足、かっこいいんだぜ。今度見せてやるよ。」 と、リハビリの辛さや足を失った辛さなんて感じさせないメールをくれた。
- 317 名前:315 mailto:sage [2005/07/15(金) 06:45:53 ]
- しばらく見舞いに行けないまま時が流れた。
ある日、仲の良い同級生数人で見舞いに行こうという話が持ち上がった。 しかし俺は、他に用事が入っていたため、見舞いには行かなかった。 その日から3日後、夢に友人が出てきた。何をする訳でもなく笑いあう夢だった。 次の日の夜、友人の親から連絡が入った。 息を引きとったこと、葬儀の日程の連絡だった。 俺は頭が真っ白になると同時に最後に見舞いに行かなかったことを悔やんだ。 迎えた葬儀の日、最期の御花入れを促されたが、俺には出来なかった。 見舞いに行かなかった自分を悔やみ、涙が溢れ、最期の別れなんてしたくなかった。 今思えば、友人は別れを告げに夢に出てきてくれたのだと思う。 それなのに、俺は別れを交さなかった。 今年の夏は、見舞いに行かなかったこと、最期の別れを交さなかったことを謝りに墓参りに行こうと思う。 そして、「バカ話でもしながら酒飲もう」と友人と病室で交した約束を数十年後に果たしたい。
- 318 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/07/16(土) 04:15:41 ]
- >夢に友人が出てきた。何をする訳でもなく笑いあう夢だった。
笑わたい、とメール送る友人だったから共に笑えて幸せだったんだよ それが一番したかったんだよ
- 319 名前:大人になった名無しさん mailto:age [2005/07/26(火) 12:14:25 ]
- いい話ばっかりだ・・・
あげときます
- 320 名前:大人になった名無しさん [2005/08/28(日) 05:13:50 ]
- あ
- 321 名前:大人になった名無しさん [2005/08/31(水) 23:29:39 ]
- 俺、中学の時ばーちゃん死んだんだけど、ばーちゃん、じーちゃんのことすごく愛してたんだろうな
じーちゃんが先に死んだせいか「早く死にたいじーちゃんのとこに早くいきたい」ってよく言ってた 俺ばーちゃんのこと大好きだったから毎日会いに行って「俺の結婚式でて嫁さんと曾孫みるまで死んだらダメ!」って言ってた 結局じーちゃん死んでから二年後にばーちゃんも死んだんだけど、 葬式の時、俺宛てに手紙があって読まれたんだけど、ただ一言「○○約束守れなくてごめんね」 泣いた。人前で泣くのは恥ずかしいって思ってたけど号泣した。 結婚式、披露宴にじーちゃんとばーちゃんの席をつくった。 明日、結婚します。近くで観ていていてください。 貴方達のような夫婦になりたいです 携帯から長文スマン
- 322 名前:大人になった名無しさん [2005/09/01(木) 00:36:11 ]
- おまいらなぜ俺を泣かす話ばかりするんだ?
- 323 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/01(木) 02:40:26 ]
- 父の葬儀があった。もう年だし、悲しくもなく淡々と取り仕切っていた。
数年間はずっと病気続きだったが、工務店を経営しており、たくさんの職人さんを抱えてた事もあった。 葬儀に子供の頃に見覚えのある職人さんが来てくれた。何十年も出入りはしてなかったが。 父より年上で80近いだろう。礼服ではなく、失礼だがこぎれいとは言えない格好だった。 香典袋ではなく封筒にくしゃくしゃの千円を包んでくれた。 「親方にはお世話になったんですわ。偶然聞きつけたのも縁が続いてる証拠ですわ。」 その時、心のたがが外れた。涙が止め処なく流れた。そして心からありがたいと言う気持ちになった。 改めてお礼にあがった。掛け金を払ってなくて年金は無いらしい。作業場の下働きなどで何とか家賃1万 の生活を支えていた。ずっと一人暮らしだという。失礼ながら生活保護を勧めたが、静かにこう話した。 父に会う30年前まで月50万稼いでたと、でも全てが悪銭だったという。 父は汗をかいて稼ぐ事を教えてくれたといってくれる。おかげで人間として生きる事が出来たと。 それで十分、いつか人知れず死んでしまうかもしれないが、満足のいく人生なんですよ、と。 この人の高邁な生き方に感動し、私の知らない父の生き方を知ることができた出来事だった。
- 324 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/01(木) 21:05:58 ]
- 泣いた
幸せになれよ
- 325 名前:大人になった名無しさん [2005/09/03(土) 21:45:39 ]
- black.ap.teacup.com/yoko-takase/152.html
- 326 名前:大人になった名無しさん [2005/09/03(土) 23:32:44 ]
- >>294>>296
お前、ほんまもののひきこもりだろ? そろそろ学校行ったらどうだ? とりあえず犯罪おこすなよw
- 327 名前:大人になった名無しさん [2005/09/06(火) 00:32:57 ]
- 高校生の時から毎年のように親戚が次々にガンとかで亡くなっていった。
毎年葬儀や法事に出席しなくてはならなくて、その間に小学生の時から かわいがっていた愛犬も死んでしまい、追い打ちをかけるように2人の叔父が 3ヶ月の間に立て続けに末期ガンで亡くなってしまった。 専門学校を卒業する頃には心も体もボロボロになっていった。 それでどうにも体調が悪く、心療内科に通う日々。 ある時風邪をこじらせてしまい、かかりつけの心療内科が家から遠いため 近所の内科を受診した時に医師に 「心療内科に通っていて別の薬を飲んでいるんですが」と言ったら 「だったらウチの病院に来ないでそっちの病院に行ったらいいだろう!」と怒鳴られ 別の病院でも同様に医師に「ふ〜ん、アンタ精神病か」とひどいことを言われて医者不信になった。 先月のこと、精神的に追い詰められて吐き気で食べ物が食べられなくなって 夜中に具合が悪くなって家で倒れてしまい母に「救急病院行こう」 って言われたんだけど別の医者にかかるとまた怒られると思って「いいから・・・」 って言ったんだけど無理やり行ったこともない救急病院に連れて行かれた。 これ以上医者で嫌な思いはしたくない!って思ってたら そこの救急病院の若い男の先生がすごく優しかった。 事情を話したら「うんうん、大丈夫」って一生懸命聞いてくれて、 点滴されてる最中も他の急患で忙しいのに見に来て優しい言葉をかけてくれて 涙が止まらなかった・・・ こんな優しい先生いるんだと思った。 今度また診てもらいに行きます。
- 328 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/06(火) 00:40:20 ]
- >>327
>近所の内科を受診した時に医師に >「心療内科に通っていて別の薬を飲んでいるんですが」と言ったら >「だったらウチの病院に来ないでそっちの病院に行ったらいいだろう!」と怒鳴られ >別の病院でも同様に医師に「ふ〜ん、アンタ精神病か」とひどいことを言われて医者不信になった。 つーかこの医者たちひどくね? 患者に言う言葉じゃないな。 早くよくなれよ>>327
- 329 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/06(火) 00:44:57 ]
- >「だったらウチの病院に来ないでそっちの病院に行ったらいいだろう!」と怒鳴られ
これはまぁわかる。 色んな薬服用してもマズイし。 >「ふ〜ん、アンタ精神病か」 これは死ね
- 330 名前:大人になった名無しさん [2005/09/06(火) 08:25:09 ]
- 別にそんなんでいちいちショック受けてたら生きていけねーだろ。
折れなんて就職面接で「無駄に歳食ってるな。」とか 彼女いるのかいないのか、いた事あるのか執拗に訊かれた挙句 「その歳までいないならどっか問題あると思った方がいいぞ」とか言われたり。 ま、そんな人生だよ。
- 331 名前:大人になった名無しさん [2005/09/06(火) 09:31:15 ]
- ここの人たちはいい人がいっぱいいますね
- 332 名前:大人になった名無しさん [2005/09/06(火) 09:40:15 ]
- >>331いい人だけではこの世のなか生き抜くのは
ムツカシイです
- 333 名前:大人になった名無しさん [2005/09/06(火) 18:45:55 ]
- そうですね
- 334 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/07(水) 10:01:22 ]
- 前編
俺が小2ぐらいだったか、同じクラスの女子(以下Aちゃん)と仲が良いって言うか・・・まぁ手をつないで帰ってた位しか思い出せんのだが やっぱり小学生、手をつないでる所を見て笑われたりしたらすぐ離してその女子の事を嫌いと言っていたのだが、二人になるとまたつないだりしていた。 Aちゃんはクラスでもムードメイカーでいつも明るかった、可愛かったし人気も有ったと思うんだが未だになぜ俺と付き合って居たのか分からない、 やっぱりガキだからそのAちゃんにちょっかいなんか出してくる奴もいた(まぁ複数の方が多かったが) でパンツめくりとセオリーなのをされたみたいでAちゃんは怒るどころか泣いてたから そのちょっかい出した奴と口喧嘩したんだが途中で切れて(俺が)まぁ喧嘩したよ、俺が勝った(その頃は泣かしたら勝ち)けど夜に何故かそいつの親が来て謝させられたけど、あまり憶えていない でその次の日にAちゃんに呼ばれて(家に)唇にキスをされた(そこの部分もあまり覚えていないんだよクソッ)そのあとは普通の学校生活、何も無いと思ってた・・・
- 335 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/07(水) 10:04:14 ]
- 後編
1ヶ月ぐらい立ったか、普通の1日普通の午後だと思ってた、 昼休みが終わって、掃除も終わって、午後の授業だと思って席に座ってたら、あれ・・・Aちゃんが居ない?イヤな予感がした(でも予感といっても怪我でもしたのかな位だったけど) 担任の先生「・・・Aちゃんがお家の事情で引っ越すことになりました・・・ 女の先生だったので先生も半泣きで話した、そしてAちゃんが入ってきて、涙で顔をぐちゃぐちゃにして教室に入ってきた、それを見て女子はみんな大泣き、男子はみんなキョトンとしてた そしてAちゃんが一言ったんだが俺は聞き取れなかった、そして女子がAちゃんに集まって何か話してAちゃんが教室から出て行った・・・ で、俺は訳が分からなかった、家に帰って母がAちゃんから電話の留守電あんでーって言われて聞いた、一言泣きそうな声で、ありがとう は?は?意味が分からなかったのが、更に意味が分からくなった、次の日学校では普通の1日、その俺は次の日学校をサボった、でもその次の日は休まなかった 2ヶ月立ってAちゃんに手紙を送ろうって事になった(自由参加で)俺は送らなかった、だって送るのは皆女子だったから、 もうそのあとAちゃんは皆の記憶の中から消えていって、話題にも出なくなった、・・・合いたいよ・・・でも会えない、ヤベ思い出したら泣けてきた、もうこれ以上描くことないし、描けない どうしてるんだろAちゃん・・・・
- 336 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/07(水) 15:38:40 ]
- は?は?
- 337 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/07(水) 23:50:46 ]
- >>334-335
言いたいことはうっすらわかるが ( )の多用とおかしな改行と変な日本語で伝わりにくい部分が多いぞ。
- 338 名前:大人になった名無しさん [2005/09/08(木) 19:56:52 ]
- 保守age
- 339 名前:大人になった名無しさん [2005/09/08(木) 20:28:07 ]
- 大した話ではないですが、語らせてください。
僕にとって一番大切なのは友達だ。 恋人よりも友達のほうが大事と思ってしまうくらいに・・。 そう思うようになったのは僕が中2の時。 中2の夏・・当時僕はいたづらばっかりやって、友達とバカな事をやって、やんちゃの盛り だった。先生にもよく怒られた。それでも毎日が楽しくて仕方がなかった。 そんなある日、僕は親から「半年後に転勤することになったから」と告げられた。 僕は反対もしなかった。 僕は転校することを誰にも言わなかった。言わなかったじゃなくて言えなかったんだと 思う。僕は強がっていた。 そして半年が経過し、引越しの時期が近づくと僕はとてもセンチメンタルな気分になっていた。 3学期最後の日、僕はだまって引っ越すつもりだったし、先生しか引っ越すことを知らないだろうと思っていた ので、一人で学校中を歩き、思い出の詰まった場所を一つ一つ見て回った。忘れないようにと・・。 そして学校で、先生が成績表を配り終わった後に、先生が僕に「これクラスのみんなからのプレゼントだ」 といわれて、丁寧に包装されたものを渡された。クラスのみんなから中を開けてと言われたので、 中を開けると、中には厚紙に僕への一人一人のメッセージが書いてある寄せ書きをもらった。 実話みんなしっていたのだ・・。僕だけが誰も知らないと思い込んでいた。 僕は初めてみんなの前で泣いた。声も上げてないたのでとっても情けなかったと思う。 友達や先生が慰めてくれた。僕は転校しても絶対に何があってもみんなを忘れないと誓った。 今では寄せ書きは僕の宝物になっている。あの頃のみんな元気にしているかな? きっとまた会えると思って日々暮らしています。 長文すいません。
- 340 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/08(木) 21:07:42 ]
- >>334-335
あれだ。 一度文章書いたら1日寝かせろ。 で、翌日もう1回読め。 そこから更に添削した方がお前にはいいと思うぞ。
- 341 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/09(金) 00:10:18 ]
- 最近の若いヤツらの文章力に泣けましたよ。
- 342 名前:大人になった名無しさん [2005/09/09(金) 12:30:32 ]
- あれはわしが小2のころのことだったかのう。
そのころわしは同じ級にいたあるおなご(以下細木数子)と仲が良かったんじゃ。 と言っても、今となってはお手手つないでランデブー程度しか覚えとりゃせんがのう。 二人で帰るところを同級の奴に見られてからかわれることもあった。 そんなときゃ「好きなんかじゃくぁwせdrftgyふじこlp;@」なんてごまかして、 二人になるとまたつなぐ、なんてこともあったかのう。かわいいもんじゃろ。ヒャッヒャッヒャ。 数子は明るい子での。ほんに可愛い子で、わしなんかにはもったいないくらいのおなごじゃった。 人気もあったと思うんじゃが、よくちょっかいをかけられていた。まあ子どもなんてそんなもんじゃ。 あるとき、パンツめくってオマンチョぺろりなんぞという不貞な輩がおっての。 強気な数子もその時ばかりは泣き出してしもうた。 わしはそやつと口喧嘩になったんじゃが、ついカッとなって何でもありの取っ組み合いになった。 今で言うヴァーリトゥードちゅうのか?殺したら勝ちってやつじゃ。 どっちが勝ったかとな?わしが今ここにおるんじゃからわかるじゃろ?あ、ここはまずいからカットで頼むぞい。 なんか夜に奴の親がチェーンソー持って乗り込んできたんじゃが、よく覚えとらん。 で、次の日に数子に呼ばれてな。家にじゃよ家に。初めて口づけっちゅうのをしたな。 その先?勘弁してくれ、さっきから婆さんがこっちにらんどるじゃろがwwwwwwwwww でもその後は特にどうということもない普通の学校生活にもどったんじゃ。 ……今と同じような時間が永遠に続くと思えるのが若者の特権なんじゃなあ。
- 343 名前:大人になった名無しさん [2005/09/09(金) 12:31:06 ]
- 1ヶ月くらい経ったかの、その日も普通の1日、普通の午後じゃ。
昼休みも掃除も終わって、5時間目の準備のために教室で座っとったら、数子がおらんことに気付いた。 さっきまでおったのにな。 そのとき、虫の知らせというのか、寒気がした。ブルっとな。 あんな気分がしたのは、そのとき以外では一回しかない。1945年の3月10日じゃ。 ……なんのことかわからんのか?まったく最近の若いモンはものを知らん。狂おしくググれ! 脱線したな、すまんすまん。 担任の先生がとつぜん授業前に言ったんじゃ、数子が家の事情で引っ越す、と。 若いおなご先生じゃったからな、先生も泣いとった。 すると数子が入ってきたんじゃが、なんか水晶玉抱えてるんじゃ。 それ見て女子ドン引き、男子キョトン。 数子はなんか言ってたと思うんじゃが、よく聞き取れんかった。なんか改名、とか地獄、とか聞こえたかの。 わしには何がなんだかさっぱりじゃったよ。 家に帰ったらわしのママン、じゃない母に「手紙がきてるわよー」って渡されたのが分厚い封筒。 中には、なんか知らんがわしのこれからの人生が事細かに書かれててな。全く意味がわからん。 次の日は学校に行けんかった。その次の日になってやっと逝けた、じゃのうて行けたんじゃが、 みんな何事もなかったようにしてるんじゃ。拍子抜けしてな。 わしもすぐ数子のことを忘れてしもうた。 それ以来ずっと数子のことは忘れておったんじゃが、最近になってテレビに数子と同姓同名の占い師が出てるのを知ってな。 先月60年ぶりに数子からの手紙を読んだんじゃ。 ……凍りついたよ。そこに書かれてるのは、一言一句わしの人生そのものだったんじゃから。 わしはあわてて手紙の最後をめくった。 日付は2005年9月9日になっとってな、そこにはこう書いてあった。 「押入れの中かr
- 344 名前:大人になった名無しさん [2005/09/09(金) 12:33:08 ]
- >>342-343
本人ではないですが、>>334-335を分かりやすく書き換えました
- 345 名前:大人になった名無しさん [2005/09/09(金) 23:04:42 ]
- なかなか面白いです。
イメージが数子じゃ別もんだけど。
- 346 名前:大人になった名無しさん [2005/09/10(土) 08:43:49 ]
- ある日彼女が学校から帰り、自宅のあたりまで来た時のこと。誰かが彼女の自宅に入っていくのが見えました。
弟か外出していた母が帰ってきたのだな、と彼女は思ったのですが家に着くと玄関の鍵は閉まっていました。 しばらくして帰ってきた弟に、さっき一度帰ってきたかと尋ねましたが、知らないという答えでした。 彼女は不思議に思ったものの、見間違いだったのだろうと思うことにしました。 しかし、それから彼女は家の中でたびたび妙なものを見ることになったのです。 夕飯時のことです。彼女が居間にいて、台所を見ると、炊事をしている母親の後姿が見えたのですが、 何と母親が二人いるのです。彼女が驚いていると、そのうちの片方がくるりとこちらを振り返りました。 それは母親ではなく、顔に目鼻がなく、口だけのものが笑っているのでした。 またある日のこと。彼女の母親は自宅で洋裁教室を開いており、足踏み式のミシンが置いてある部屋がありました。 夜遅くその部屋からミシンを踏む音が聞こえてきたので、まだ生徒さんが残ってるのかな、随分遅いなと思って 彼女は部屋を覗き込みました。すると一台のミシンに女性が向かっているのが見えました。ただその様子は普通ではなく 首と腕をだらりと下に垂らしたまま、足だけめちゃくちゃな勢いでミシンを踏んでいるのです。 しばらく様子をみているとその女性がくるりと振り向きました。またあいつでした 今度はそれはすっくと立ち上がったかと思うと、Aさんに向かって走り出してきたのです。 彼女は急いで自分の部屋に逃げ込んだそうです。
- 347 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/10(土) 13:26:06 ]
- 346
オカ板へのゴバクですか??
- 348 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/13(火) 01:32:52 ]
- 小学2年の時、腹膜炎で入院した。重篤な状態になり、医者も見離した。母親はずっと看病してくれていた。
なんとか命は取り留めたが、苦しくて苦しくて八つ当たりを繰り返した。 「元気になったら何が食べたい、カレー?ハンバーグ?アイスクリーム?」 「何にもいらない!あっちいけ!死んでしまえ!」こんな状態がひと月くらい続いた。 なんとか元気になって退院できたが、あの時の母の辛さを理解できたのは情けない話、ここ最近の事だ。 子供の死、これ以上残酷な事は無い。しかし、何とか生きのびる事ができた。 嫌な事も多いが、生きのびれた事、それだけでまんざらじゃない人生だと思っている。
- 349 名前:大人になった名無しさん [2005/09/13(火) 18:04:21 ]
- >>348
答えたくないならいいんだけど、母親は 今どうしてるの?
- 350 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/14(水) 00:34:23 ]
- >>349
姉が嫁ぎ、親父が死に、俺と二人で暮らしている。別に普通に暮らしている。 そのときの事など、いろいろ感謝してるが、口に出す事無く淡々と暮らしてる。 こんなところでしか言えないのが情けないのだが。
- 351 名前:大人になった名無しさん [2005/09/23(金) 04:18:09 ]
- 中学1年の時のこと、女子体育の女の先生(当時50代くらい?)
がメチャクチャ厳しい先生だった。 先生が来るまでに体育係の指導のもと、先生が決めた柔軟体操メニューと ラジオ体操やっておかないと激怒されてその時間は説教で終わるなんてこともあって しかもその先生は口も悪くてみんな恐れてた。 私は教科の中でも特に体育が苦手だったからマラソンでビリになったり 鉄棒ができなかったりプールで泳げないと怒られると思ってビクビクしていた。 バレーボールの授業の時、腕が痛くて両手で相手のボールを打ち返せなかった。 それを見ていた先生「うわ〜怒られる・・・」と思っていたら 笛を鳴らして「今日はちょっと早いけど体育はこれで終わり」 と言って体育倉庫から柔らかい大きいゴムボールを持ってきた。 「今日はこれからこれでバレーをやります」と。 何が始まるんだろう?と思っていたら先生が私に近づいてきて笑顔で 「これなら打てるでしょ?痛くないからこれで練習してみなさい」 と言われてまだ授業終わりのチャイムが鳴ってないのに私のためにみんなを巻き込んで練習させてくれた。 先生は「これは授業に関係なく遊びだから」と言っていた。 怒った印象しかない先生だっただけに意外だった。 あと先生は夏のプールの時、1人泳げないでバタ足している私を見つけて いろいろと泳ぎの指導を丁寧にしてくれたり、他の授業の時も 「ちゃんとできなくてもいいから、やってごらん」と言ってくれたり 恩師は誰かって聞かれたらこの先生しかいないと思う。
- 352 名前:大人になった名無しさん [2005/09/24(土) 12:08:28 ]
- 家出同然で九州から上京したんだけど
いつも母だけが電話してきてた。 でも母がある日 「お父さんが電話しろっていっつもいうから電話しとるとよ」 デキ婚することになっても何も言わなかった。 九州に挨拶にいく前に籍をいれたいなんて 到底考えられんことを旦那が逝っても なにも言わなかった。 兄が「なんで怒らんの父さん!」と怒るくらい 何も言わなかった。 ただ、「あいつが幸せになるんならいいけん」 だけで。 旦那と義父母と一緒に九州に挨拶にいったときも 待ち合わせの店の庭園の前で一人で立って待ってた。 普通なら店の人が庭園のなかを案内してくれるのに。 手を怪我して仕事もしない、身障者認定もしてもらわない そんな宙ぶらりんな父に就職のことを言われて 大げんかして家出した。 でも父は今は身障者認定もしてもらって 少しずつだけど小遣い程度は稼いで 私にだって買わなかったようなおもちゃを 私の娘に買ってくれる。 「昔はよくメロン買ってきたよな、 あいつに送ってやろう」って 小遣いはたいて高そうなメロン2コも送ってきた。 しかも母さんの名前で。 どう見たって父さんの字なのに 何していいかわからんから とりあえず孫つれてまた九州帰るよ。
- 353 名前:大人になった名無しさん [2005/09/26(月) 23:04:30 ]
- 今から15年くらい前のこと。
母方のおばあちゃんの家は同じ市内にあって車で30分ほどの所にあって 年に数回家族で遊びに行っていた。 その日も家族で遊びに行っていて、夕食の後大人たちは酒タイムになった。 私が父に「明日学校早出だから早く帰ろう」というと、酔った父が 「何言ってんだ、夜はまだこれからだ!お義兄さん呑もう!」と言って全然聞いてくれず 母も話が盛り上がったのか「大人の話に子供が口を挟むな」と言って怒ってきた。 妹は遊び疲れて寝てしまい、怒りも最高潮に達した私は「もう帰る!」 と1人で帰ることを決意、おばあちゃんちを飛び出した。 心配したおばあちゃんが玄関前まで出てきて「○○ちゃん暗いし夜は危ないから戻ってきてー!」 って言ってたんだけどキレてたから1人で帰ってやることしか頭になく 1時間かけて家に歩いて帰った。 間もなく母と心配した従姉たちが車で家まで駆けつけてきたんだけど 従姉の前で酔った親父に「恥かかせやがって」と殴られ、 母にも「子供のくせに1人で大きくなったような顔して!」とビンタをくらった。 何も悪いことしてないのに!!!とその時は思った。 その後おばあちゃんが泣きながら電話してきた。 「○○ちゃん無事でよかった〜おばあちゃん心配したのよ〜」 私もその時「しまった!おばあちゃん泣かせた」と思い 泣きながらおばあちゃんに謝った。 おばあちゃんはそれから3年後くらいに亡くなった。 従姉と叔父のの配慮で「あの時は私たちも夜まで引き留めて悪かったし」 ってことでその時のことはなかったことにされて、おばあちゃんにちゃんと謝れなかった。 おばあちゃん、あの時は悲しませてしまって本当にごめんなさい。
- 354 名前:大人になった名無し3 mailto:sage [2005/09/27(火) 00:25:27 ]
- オレは小学生の頃、祖父が大嫌いだった。
理由は、祖父の家に行くたびによく痛い思いをしていたからだ。 その小学生高学年になってくると、知識がつき オレは虐待されていたんだ、と思うようになっていた。 だから、中学校に入っても、祖父の家は敬遠していた。 それから何年か後、関西淡路大震災(だったかな?)があった年に 祖父が入院したと聞いた。親からは胃潰瘍だと聞かされていて、大丈夫だと思っていた。 だから一度も見舞いへは行かなかった。 むしろ、ザマァミロっていう気持ちもあったかもしれない いや、正直、そう思っていた。そしてその翌年に、祖父が亡くなった。 胃潰瘍じゃ死なないと思っていたから、先ほど述べたとおり見舞いへは行ってなかった。 後に親に祖父は癌だったと聞かされ、オレはショックを受けた。 だが、やはり嫌いに思ってた節があったせいか 『あぁ、そうか…それで…』と思っていた。 悔やみや惜しみの気持ちなどまったくなかった。 嫌いだったからだろうか、 死に目には会えなかったが遺体を目の前にしても涙は出なかった。 葬式の日にももちろん涙は出なかった。 そうして、火葬し、骨は祖父の生前の意思どおり、川へ流した。 それらが終わった後に、家へ帰った。 やっと終わって清々したと思い、布団に入り、眠ろうとした。 だが、その日はなかなか寝付けなかった。 起きたら、目元が張り付いたような感触があった。 どうやらオレは泣いていたらしいと気づいたのだが、祖父のために泣く必要など無い、と 気だるい感じがしながらも高校へ行った。だが、気だるい感じではなく 事実、体調を崩していたようで、授業中に意識を失ったみたいだった。 もう学校が終わってから気づいたら保健室だったのだが、その間に過去の夢を見た。 子どもの頃…小学校の頃の自分の夢だった。自分のしてんからではなく 客観的な視点からだったが。 その頃のオレはやんちゃだった。 だからよく階段から落ちたり、タンスにぶつかって上のものが落ちてきたりなど そういうことがよくあった。いつも痛い目にあった後に祖父が近くにいたから オレは祖父のせいにして祖父を恨んでた。 だが、その夢で、祖父が近くにいたのは、オレをタンスの上にあったハサミや 階段から落ちそうになったオレを体を張って庇ってくれていたんだった。 その夢を見て保健室で目覚めた時、オレは自覚なしに涙を流していた。 今はもういないけど、今ではもう祖父の…いや、じーちゃんのこと大好きだからね ただ、もうちょっと逝くのは待ってほしかったな… 『ごめんなさい』と『ありがとう』と『大好き』を言いたかった… 長文、乱文、失礼しました。
- 355 名前:354 mailto:sage [2005/09/27(火) 00:28:27 ]
- 追記
ハサミは裁縫箱の中にあった糸きりバサミです。
- 356 名前:大人になった名無しさん [2005/09/30(金) 04:18:41 ]
- やさしい気持ちありがとう
- 357 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/30(金) 16:30:10 ]
- 両親が共働きで、4つ上の兄貴も小学生だったから、小さい頃俺は母方の祖父母に世話してもらってた。
朝、親が出勤する時に車で実家に行き、夜に親が仕事終えて帰ってくるまで祖父母に面倒見てもらうって いう風な感じで。 ホントに優しくてさ、祖母は毎日俺の好きなカレーだのババロアだの作ってくれて、祖父にもよく遊んで もらったし全然怒られた記憶無いんだ。二人とも年なのに幼稚園まで自転車で送迎してくれたりして、 祖母はヒザの持病持ってたのに俺がヒザの上に座ったりしても全然嫌がんないの。たまに叔父が帰ってきて 一緒に遊んだりゲーム買ってもらったりとにかくあの家が好きで、小学校に入学しても家に帰らないで実家 帰ってたくらいだった。ちょっとした事情で俺も小学校から自分の家に直で帰るようになったんだけど、 それでもちょくちょく遊びに行った。ゲームしてお菓子食ってワガママ言って、今思うとよくこんなガキを 相手にしてくれたと思う。【続く】
- 358 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/30(金) 16:50:08 ]
- 祖母が死んだのは俺が小4の時。子供だったからか両親はそれほど深刻な状況だったことを教えてくれて
なかったので、突然な感じがして涙も出なかった。悲しいけど何がなんだか分からないっていうか。後で 聞いたら本当に壮絶な闘病生活だったみたいで、母は恐らくそれを俺に見せないために敢えて言わなかった のかと思う。でも、数えるほどしか見舞いに行けなくて、今思ってもとてもやるせない気持ちになる。 祖父は俺が中3の時死んだ。風呂にはいるのも用を足すのも命がけだったという戦地から生き延びた祖父は、 我慢強いというのか何というのか、苦痛を伴う自覚症状が出ているのにも関わらず誰にもそれを言わずに、 片目が見えなくなり体も弱くなった。それに加え祖母が逝ってから来た叔父の馬鹿嫁が家を開けっ放しにし、 祖父の飯もろくに作らず、すっかり衰えた祖父はそのまま病気で逝ってしまった。おまけに俺は部活の 終わった後に居残り練習してたせいで、死に目に立ち会えなかった。あと一本早いので帰ってれば間に 合ったのにさ。しかもその部活は後でやめてしまったし、祖父には合わす顔がない。 大好きだったあの家には、もう祖父母はいない。叔父夫婦には子供もいないし、放っておけばこの家も 叔父夫婦が死ねばただの廃屋になる。 だから決めた。さんざん世話になっておきながら、ワガママばっかり言って、祖父母両方の死に目にも 会えなかった俺。兄貴みたいに友達もいないし運動も別にずば抜けて良いわけじゃない俺。そんな俺が 今から出来ることは、あの家を俺が守ること。兄貴が婿に行ったから父方の実家も継がなきゃいけないが そんなこと関係ない。2つの家を俺が守る。そのために勉強して絶対会計士の資格取って家守れるだけの 金持ちになる。気休めかもしれないけど、今更祖父母に対しての償いにはならないけど、それでもやる。 あの家は俺が守る。絶対。
- 359 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/30(金) 17:02:45 ]
- 泣ける話でも感動誘う話でも何でもないし、なんかすごい読みづらい文章になってしまった…
俺の文才の無さがひしひしと伝わってくるなorz でもまぁあれだ、親や祖父母あるいは兄弟に何か恩返しがしたいなって思ってる人が、この汚い 文章読んで「こういう奴もいるんだな」って事でなんか感じてもらえるといいな、と思ってます。 俺はもう居ない人への恩返しだから、もし達成しても何の返事もないし喜んだ顔も見れないけど、 まだ自分の近くに居る人ならいくらでも恩は返せるよ。模試そういう人居たらすぐ行動起こして ほしいな、些細なことからでいいからさ。 最後に、この駄文読んでくれた人有り難う。
- 360 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/30(金) 23:49:15 ]
- 大変だと思うけど、頑張れよ
- 361 名前:大人になった名無しさん [2005/10/01(土) 13:09:37 ]
- 誰にでも昔から仲のいい奴っているだろ?
俺が初めて友達の中でいなくなっちまったのが、そいつだった。 小学校の頃から一緒で色々馬鹿やってきた仲だった。そんな俺らでも、運命には逆らえなかった。 中学を卒業して違う高校になっちまって、俺らも高校でいろいろ忙しくて、なかなか会えなかった。 ある日、久しぶりにそいつに会った、ずっと会ってなかったのに、今までと変わらなかった。 でもそれがそいつと会ったのが最後になっちまった。事故だった。 しばらくして、引越しする事になって、家のものをまとめてたら、ゲームボーイのポケットカメラが出てきて、 久しぶりに電源入れてデータ見たら、みんなで撮った写真が出てきて、そんなかにそいつがいたんだよ。 もーそん時はマジで泣けたね、親がいるから涙なんて流せなくて必死にこらえてたね。 まあその当時のデジカメだったねポケットカメラって。意外なもんが思い出になったなって思ったよ、そん時。 ありがとな、つまんない事聞いてくれて。それと話し方が素直な話し方じゃなくて。
- 362 名前:大人になった名無しさん [2005/10/01(土) 22:55:53 ]
- 当時、私には色々悩みとかがあった。将来に関わったりするようなすごい重要な悩みではなかったが、
あまり精神面の強くない私とって、他の人からすれば小さな悩みかもしれないがけっこうこたえていた。 私には一人の友人がいた。その友人は問題解決の案を出したりしてくれるわけではないが、 いつも私の話を聞いてくれた。時には何時間も。彼女も私なんかに悩みを打ち明けてくれたり、 何度も一緒に街へ出かけてくれたりもした。彼女といた時間は本当に楽しかった。 一方的に思っていただけかもしれないが、いつしか私にとって彼女は親友と呼べる存在になっていた。 だけど別れの時は来てしまった。彼女は長い間海外へ行くことになってしまった。 成田へ向かう電車の中、また将来会えるしいつでもメールや電話ができるから何も悲しむことはない。 その時は悲しみはみじんにも感じていなかった(気がする)。 性格のいい彼女には私以外の友人がたくさんいて見送りには何人も来ていた。 私とその友人達とは深い関わりもなかったため私はその友人達と話す彼女とあまり話すことができなかった。 ただ彼女が荷物を預け終えゲートをくぐろうと背を向けた瞬間「本当にもう行ってしまうんだ」と感じ、 私は彼女の名前を呼んだ。そして今までため込んでいたものが一気にあふれ出した。私は泣いていた。 そして、ありがとうと言いたかったが泣きながらではとても言うことができなかった。 すると彼女は涙声で私のことを抱きしめてありがとうと言ってくれた。 違うよ。本当にありがとうを言いたいのは私のほうなんだよ。 しばらくぶりに彼女の声を受話器で聞く。 また会えたね。
- 363 名前:大人になった名無しさん [2005/10/02(日) 13:46:26 ]
- ほとんど読んだ…涙がとまらなぃょ・゚・(ノД`)・゚・。
- 364 名前:大人になった名無しさん [2005/10/02(日) 17:31:59 ]
- 泣けないけど・・・いい思い出なので書きます。
私が中学3年の頃、やたらと“○○さん(私)かわいいね”と言ってくる男子がいました。 当時私は姉御肌というか・・・男勝りのところがありました。 当然付き合ったことなどなく、あまり女子として見られていませんでした。 どうせからかってるんだろう。 数日も経てばそのうちその男子(以後A)も飽きるだろうと思っていました。 でも1週間・・・1ヶ月・・・とAは毎日“かわいいね”を連発。 正直、こんなに続くとは思ってませんでした。 そのうち飽きるさ・・・と自分に言い聞かせ、私はAを無視し続けました。 その後もAは“かわいいね”と言い続けて来ました。 ガマンも限界に達してきましたが、とりあえず無視。 それでも“かわいいね”発言は毎日のように続きました。 そしてついに卒業式。 そう、この日までずっと言い続けてきたのです。 それも今日で解放される。 卒業式が終り家に帰ろうとしたとき、またAが“かわいいね”と言ってきました。 今日で最後だし・・・と思い私はAに聞きました。 私「私のことからかって楽しかった?」 するとAは A「ほんとのこと言ってただけだよ」 と言いました。 コイツはまだ私のことをからかうのかと思い呆れました。 私「もういいから。お疲れさん」 と私が言うと、Aは A「まったく・・・○○さんは疎いなぁー」 と言いました。 異性と付き合ったことがない私は始め何を言ってるのか分かりませんでした。 私「何が?」 A「もう・・・俺がどんだけ“かわいい”って言ってたか分かる?」 私「??」 A「はぁ・・・もういいや・・・」 私「もういいって?何が?」 A「・・・○○さん、ホントに“かわいいね”」 いつもとは違うトーンでAが言いました。 その時、初めて私は気付きました。 毎日言い続けてきたのはAの愛情表現だったのだと。 そして A「じゃーな!高校行っても頑張れよ!」 と走り去ってしまいました。 私「A・・・カッコいいよ」 最後に私はそう呟きました。 あれ以来Aとは会っていません。 二度と戻らない青春・・・付き合ってればよかったな。
- 365 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/10/02(日) 20:25:53 ]
- うーんヽ(´ー`)ノ
いいねぇ 青春
- 366 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/10/02(日) 23:30:14 ]
- (゜Д゜)ゴルァ!
kandouii.sakura.ne.jp/flash/gorua.htm
- 367 名前:大人になった名無しさん [2005/10/03(月) 04:54:07 ]
- このスレ(てか板自体)初めて知りました…。
1から全部読んだけど、ほんとにどんだけ泣いた事か。・゚・(ノД`)・゚・。ウエエェェン みんな思いやりと感謝の気持ちを忘れずに頑張って生きっぺなー!!
- 368 名前:大人になった名無しさん [2005/10/04(火) 00:00:55 ]
- 良スレage
- 369 名前:大人になった名無しさん [2005/10/04(火) 01:57:28 ]
- 私の母方のおばあちゃんは生前兄嫁にイジメられていた。
うちの妹が小さかった時おばあちゃんちに泊りに行って 兄嫁がおばあちゃんをイジメているのを目の当たりにして「おばあちゃんが死んじゃう〜」って 泣きながら家に電話してきて母が車で迎えに行ったこともあった。 私が高校生の時、おばあちゃんはガンで亡くなってそれから3年後 兄嫁夫婦はおばあちゃんちを勝手に売り払って引っ越してしまった。 それを知ったのは転居通知ハガキが来てからで、母は実家が無くなったと毎日泣いていた。 でも私の思い出の中にはおばあちゃんちは今でもあるし、おばあちゃんも その家にまだいるように思えて仕方なかった。 でも先月、私が夜中に急に具合が悪くなって母に車で市民病院まで連れて行ってもらった時のこと。 帰りに母が遠回りしているのに気づき、周りは真っ暗だったけどよく見ると見慣れた風景。 おばあちゃんちに向かう道だった。 母は敢えて夜におばあちゃんちがどうなったのか見届けたかったみたいだった。 私はなるべく見ないようにと下を向いていたけどチラッと おばあちゃんち跡に大きいマンションが建っているのが見えた。 母は寂しそうに「変わっちゃったねぇ・・・」と言った。 私は、もうおばあちゃんちもおばあちゃんもいないんだ・・・と涙を堪えながら母に 「うちの近所もだいぶ変わったじゃん仕方ないよ」と言った。 でも心の中にはまだおばあちゃんちがあっておばあちゃんもいるように思ってます。 おばあちゃんそれでいいよね?
- 370 名前:大人になった名無しさん [2005/10/10(月) 14:31:05 ]
- SE・PI・A
- 371 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/10/10(月) 16:29:13 ]
- ソイヤ!!
- 372 名前:大人になった名無しさん mailto:age [2005/10/12(水) 23:39:55 ]
- ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄
∧( ´∀`)< 感動age ( ⊂ ⊃ \______ ( つ ノ ノ |(__)_) (__)_)
- 373 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/10/13(木) 10:43:58 ]
- 弟の友達の話。
高校2年だった弟の同級生A君は、お調子者だけど明るくて良い子だったそうだ。 ある時A君は休み時間の教室でバク転をしたらしい。 しかし見事に失敗。 皆が笑う中、頭をしこたま打ち付けたA君も苦笑いしながら 「いてー」と立ち上がった。 が、次の瞬間、突然A君は倒れた。 A君が居た教室は専門科目を勉強する特別教室で、床がアスファルト。 すぐに近くの総合病院に搬送され治療が開始された。 1日経ち、2日経ち…。 だけどA君の脳の浮腫は退かず、意識が戻る事は無く7日目に彼は死んだ。 その間、彼の両親は一度も面会に来なかったらしい。 聞けば彼の両親はA君が幼い頃に離婚し、二人共A君を引き取る事を拒んだ。 だからA君は小さい頃から施設で育ち、高校にも施設から通学していたそうだ。 普段の彼からは想像つかない過去だった。 最期位は両親にも看取って貰いたいと、学校・病院・施設が 一生懸命両親を説得したそうだ。 だが両親はそれを拒否し、遺骨になってしまった我が子を抱く事すらしなかったそうだ。 結局お墓にも入れて貰えなかった彼は、施設の方で埋葬された。 A君はどんな気持ちで見ていただろうか。 彼に何の罪があったのだろう。 親の都合で振り回される為に生まれて来たわけじゃないのに。 悲しいやら悔しいやら腹が立つやら…。 8年経った今でも涙が出る。
- 374 名前:大人になった名無しさん [2005/10/14(金) 03:39:04 ]
- >>373
許せん・・・天誅。
- 375 名前:大人になった名無しさん [2005/10/14(金) 17:26:04 ]
- >>373
ヒドイ親だな ご冥福をお祈りします・・・(-人-)
- 376 名前:大人になった名無しさん [2005/10/14(金) 23:18:01 ]
- 親の愛を知らずに逝ってしまうなんて・・・悲しいね。
- 377 名前:大人になった名無しさん [2005/10/15(土) 02:39:06 ]
- 昔起こった身内の話でも書こうかと思います。
こんな文章を書くのは苦手なんですが…頑張って書きたいと思います。 泣けるかどうかもわかりませんが…; 私の祖父母の話です。 7月上旬、高校2年だった私は夏休みに「母の祖父母の家に行きたい!!」 …と母にワガママを言って1ヶ月ほど祖父母の家に行くことになった。 丁度お墓参りの時期でもあり、墓参りのついでに遊びに行こうか。 そんな話を私と母で話していた。 祖父母の家に行くのだから事前に電話で伝えておこうということで電話をかけて話した。 祖母と私は夏休みの話で盛り上がっていると突然、祖母が急に 「…母さんは今、そこに居る?」というので「居るよ。今かわるね。」 と言って母にかわった。 いつもなら明るく話しているのに今回は暗く、「…うん。…うん。」としか言ってなかった。 30分も経って電話を切った母に私は「何の話?」と聞いてみた。 「家に来てから話すって言ってたから…わかんないわ。」と言った。 どんな話なんだろうか気になったが今は行きたい気持ちだけだったので気にしないでいた。 そして祖父母の家に行き、笑顔で迎えてくれた祖父母。 「これから一ヶ月楽しむぞ!!」と思っていた。 10日ぐらい過ぎたある日の真夜中。 トイレに行きたくなって布団から起きあがり、向かう時にリビングの電気がついてることに気づいた。 気になった私はおそるおそる近づいてトイレに行くことすら忘れ、壁に耳を当てた。 声でリビングには祖父母と母が居ることがわかった。 一体何の話なんだろう…と思った私は一生懸命聞こうと思ったがトイレに行きたい願望があるのか 我慢が出来ず、仕方なくトイレに行って寝ることに。 時計を見たら3時を過ぎていた。 夏休みの1ヶ月は美味しいレストランにつれてってもらったり、高級な寿司を食べに行ったりなどをしたり 「これが欲しいっ!」とか祖父母に色々とワガママを言っていろんな物を買ってもらった。 とっても楽しく過ごせた1ヶ月だった。 夏休みも終わりに近づき、8月下旬に我が家に帰宅。 学校の準備等用意していたらあっという間に学校が始まった。
- 378 名前:大人になった名無しさん [2005/10/15(土) 02:40:06 ]
- 続き
9月の始めの土曜日。 私の部屋に突然母が入ってきた。 「…息子には一応、話さないでと言われたけど…孫だし……。……。」 「…何の話?」 と、口を濁らせた母におそるおそる尋ねてみた。 「今から話すことは心の中にしまっておいてね。…祖父母の話なんだけど……」 母の話によると7月中旬に祖父が働いている会社の金融関係の人が自殺したらしく、 その金融関係の人が最後に会ったのが私の祖父だと言うのだ。 何故、自殺したのかまではわからないが祖父は会社の人達に 「お前があいつを殺したんだ…お前が悪いんだ!」と攻められ、精神的にとても堪えているとのこと。 金融関係の人は莫大な借金を抱えていたらしく、その借金を全て祖父が払え!…ということになった。 その後、祖父は会社から仕事を一切もらえなくなり、平社員以下の存在になってしまった。 しかし会社側は「お前はまだ必要な存在なんだ。」ということで仕事がないのに会社に通っていた。 しかももうすぐて定年退職だと言うのに退職金さえもらえなくなってしまった。 退職金全額と老後の生活のための貯金を少し崩して借金返済に当てたという。 給料も平社員と同じぐらいの値になり、将来ちゃんとした老後が送れるだろうか… そんな時に私が祖父母の家に来てしまったのだ。 私は夏休みのことを振り返っていた。 …私のためにいろんな物を買ってもらった。 結構高い物までも「いいよいいよ。それぐらいおじいちゃんとおばあちゃんに任せなさい。」 と言って買ってもらった物もある。母曰く、 「孫には…優しいおばあちゃんとおじいちゃんで居たいからそう振る舞ったんだよ。 金銭的な問題があるけれど孫には楽しい思い出を作ってもらいたい。 美味しい食べ物を食べてもらいたい。例え、老後がどうなったとしても…」 聞いてる途中に私の目から涙が流れていた。 私の目の前に祖父母に買ってもらった物が置いてあった。 こんなことなら…ワガママを言わずに買わなければよかった……!! そんな気持ちで一杯だった。 その日はそこからずっと泣きっぱなしだった。 母はずっと話をしていたが聞こえもしなかった。心に罪悪感が残った。
- 379 名前:大人になった名無しさん [2005/10/15(土) 02:41:07 ]
- それから1ヶ月が経って10月。
祖父母が自殺してしまった。 理由はやはり借金の問題。…金銭的な問題だった。 自殺する前に書いたと思われる遺書にこんなことが書かれていた。 「孫と過ごした最後の夏休み、とっても楽しかった。 あの夏休みがいつまでも続いてくれればよかったと何度思ったことだろう。 最後に孫宛のメッセージを書いておきます。 最後に私たちに楽しい思い出を作ってくれてありがとう。最高の夏休みだったよ。」 涙が溢れてきた。止まらなかった。 夏休みの時、どうして気づかなかったのだろう。 もう取り戻すことも出来なくなってしまった。 おばあちゃん、おじいちゃん、私も楽しかったよ。 いつか…またいつか会えることを楽しみにしてるからね。 最後までこの文才のなさがわかるような長文を読んでくれた人、有り難う。
- 380 名前:---- mailto:sage [2005/10/15(土) 10:19:56 ]
- 道路(公道・私道の別を問わず)を駐車場代わりに使うことについて、少し、思うことを述べさせて頂きます。
【きちんと駐車場を借りてらっしゃる方々へ】 皆さんは駐車場代として、幾らくらい払ってらっしゃいますか? 仮に毎月5千円としましても、年間6万円ですね。 駅から近いところに住んでらっしゃる場合、地域にもよりますが、毎月2万円、年間24万円くらい払っている方もいらっしゃることと思います。 さて、道路に我が物顔で、車を毎日置いている方は、近所にいらっしゃいませんか? 彼らは、堂々と犯罪を犯し、年間6万円から24万円くらいのお金を浮かせているのです。 もしも、かれらの年収があなたと同じだと仮定すると毎年6万円から24万円くらい(もしかしたら、それ以上に)あなたより贅沢な暮らしをしているわけです。 あなたと同じ年収なのに、犯罪を犯すことによって、です。腹が立ちませんか? 当然、腹が立ちますね。 しかも、近所にそういう方々が大勢いらっしゃいますと、結構、通行の邪魔だったりもします。 そういった方々を懲らしめる唯一の方法、それは、地道な通報です。 自分の家の近所で、そういう車両を見かけたら、出来る限り警察に通報し、彼らを懲らしめ、駆逐しましょう。 皆さんの力で、日本の道路を綺麗にしましょう。
- 381 名前:go ◆9t7kTNKxEE mailto:sage [2005/10/15(土) 22:37:57 ]
- >379さん
御祖父母様のご冥福お祈りいたします。 実は、私の今の状況もそんなもんです。 もう、どうしょうもなくなっちゃたのね。 これから最小限で生きていくために先週から身の整理を始めてるんです。 父が生きていた頃、週末の家族での外食や 誕生日に母がくれた、ちょっと不似合いなジャンバー・・・大切な思い出になりました。 これから寒くなる季節、ありがたさが身にしみます。 自分のお金で買った物は、未練なくリサイクルショップに出しました。 別れた男が買ってくれた物も、連絡を取るのも悪いので処分しました。 でも、手作りの不細工なマスコット人形だけはまた大事にしまってあります。 だって、その不細工さが私に似てるんですよ。 がらんとした部屋でね、ひざを抱えてると 小さかった頃、中高生の頃の これからの不安とかなく 将来の希望とかさ、夢中になってたスポーツや友人との会話も いい思い出さ。 で、やっぱり 最後は家族と過ごした暖かい思い出なんだよね。 もっと父に「おとうさん」と言ってやさしくしてあげれば良かったとか ほんと、しみじみそう思う。 だから、もう少しこれから頑張ろうって気になってるんだ。 379さん、笑顔で迎えてくれた御祖父母さんの願いは379さんが 正しく生き抜いてくれる事だと思うのです。 そうそう、お母さんにもやさしくして下さいね。
- 382 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/10/16(日) 03:02:27 ]
- 。・゚・(ノД`)・゚・。
379さんにも381さんにも幸せが訪れますように。 381さん、きっと良い方向に向かう日がある、と信じて強く生き抜いて下さい。
- 383 名前:go ◆9t7kTNKxEE mailto:sage [2005/10/16(日) 07:30:10 ]
- おはよー
>382さん ありがとうです、気持ちは前向きに考えて頑張って生きます。 さっき、近所の朝市に行って野菜なんかを、いっぱい買ってきました。 帰りに同じアパートのおばあちゃんが、重たそうにハクサイやダイコンを 抱えていたんで手伝ってあげてね 少しおしゃべりしたんです。 「姉さん、引越しするのかい?」 「業者が荷物運んでたけど?」 まだ、当分ここに居るつもりなんですけどね・・・・引越しするかもしれません。 会社がね、倒産状態なんです。(ほんとは夜逃げ倒産みたいでした) 「ありゃー、・・・・若い人もたいへんだねぇ」 「はぁー助かったよ、ありがとう」 おばあちゃんに、何回もお礼言われて 嬉しかったの。 ちっちゃい背中丸めて、ニコニコしてね こっちまでニコニコ照れ笑い。 冷たい手を握って暖めてくれたような気分だよ。
- 384 名前:382 mailto:sage [2005/10/16(日) 07:49:39 ]
- ああ、いいなぁ、
go ◆9t7kTNKxEEさん、何か、幸せになるのが 上手な人みたいだ。良かった。 幸せ不幸せって物理的な物はもちろんあるんだけど、 心が感じる物だと、私は思います。 383のカキコ、嬉しかったよ〜
- 385 名前:go ◆9t7kTNKxEE mailto:sage [2005/10/16(日) 12:49:42 ]
- お昼はサラダに、野菜の煮物です。
なんとかおかずは、一週間買わずに済みそうです。 返済を約束した数人の人が来て、全額とは行きませんが 分割の一部をお支払いしました。 その中で、一番お金に厳しい方が月1万の返済を 来年まで待ってくれました。 そして、どこか住み込みで働くかもしれないと話しますと 万が一、月の返済が難しい時には連絡を入れなさいと言われました。 こんな状況の中の私を信じてくれる態度に ありがたくて涙が出そうです。 下の階に住んでいる、今朝のおばあちゃんが階段の掃除をしていました。 私に、「何かあったら大声出すんだよ」って言ってくれました。 何人も、入れ替わり人が来るから不審に思って心配してくれているんだろうね、 だって、階段なんか竹箒で掃かないよね。 車売ったり、保険解約の手続きなんですよ、ってウソ言っちゃった。 ごめんねおばあちゃん、そしてありがとう。。
- 386 名前:大人になった名無しさん [2005/10/16(日) 22:45:43 ]
- go さんは他にご家族はいらっしゃらないのですか?
- 387 名前:go ◆9t7kTNKxEE mailto:sage [2005/10/17(月) 03:38:09 ]
- やっぱり、なんだかんだいっても 夜 は 怖 い です。
これからどうなるんだろう? こんな事考えて、眠れない毎夜より 早く、明日の休みはどこに行こうかな なんて考えながら寝たいです。 >386さん 家族ですか・・・ 家族は、これから作っていくのが希望なんですけどね 稀に叶う望みで、希望っていうぐらいだから捨てちゃいけませんよね。 母は、どこかで生きていると思います。
- 388 名前:大人になった名無しさん [2005/10/17(月) 12:35:56 ]
- >go
正直スレ違い&どうでもいい。 よそでやってくれ。 -セピアな思い出再開-
- 389 名前:go ◆9t7kTNKxEE mailto:sage [2005/10/17(月) 20:20:12 ]
- ごめんなさい。
- 390 名前: ◆wWrlZojXFA mailto:sage [2005/10/18(火) 06:41:06 ]
- Y⌒''''|'"⌒`⌒⌒'ー、_/ 》
\ γ;;;;;ノ..;;;) / / ,,,γ;;;;,,…../ ::::::::::*:: ∞〜 プーン ::::::::::::::::::::::::::::: ,.-ヽ. . |..名| (;;;;;;;;;;;;;;;;;;人_(\!((^i_/ヽ、::*::: } :::::::::::::::::::::: ____,;' ,;- i. .. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|..科| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | /*-'' ̄ :;; ̄''- i リ :::::::::::::::::: ,;;'" i i ・i .. |..田| _____ | ソ r(:;;:),,、i r(;;;;;;)、 | | ∞〜 プーン ::::::::::::::: ,;'":;;,,,,,, ;!, `'''i;. |..歯| [ 生ゴミ ] リ i ;;;;;;;; | :::: | | ::::::::::: ,/'" '''',,,,''''--i. |..科|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ プーン } <ヘ :;;;;; ノ ::: /;; > i ::::::::: ;/ .,,,,,,,,,,,,,,,,, ;i'⌒i;. l____.| ヾM/ ヾM/ 〜∞| |:::l:;;;;;*`;;ー;;`ヽ: l::::| | ::::::: i;" ___,,,,,,, `i". |l l ll| //ヽ~\//ヽ\... ノ ヽ:::;;;;; l l===ュヽ ::/ リノ ::::::: i; ,,;'""" `';,,, "`i_____|l l ll|__| | . | 彡ノ ソ;;*::;;; -;;;;-'、,:::/| / ::::::: | ''''''i ,,,,,,,,,, `'--''''" _| | ヽ__/ヽ__./ { 彡 |;;;;; \.;;;;;;;;;;/ | ( ::::::: |. i'" "; ..;;,,゙゙';;;''‐*-..;;,,,,,,,;;;;;;,,,,,,....-‐-‐''~,;;,, ::::::: |; `-、.,;''" ,,,,,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,,,,,,.... :::::::: i; `'-----j
- 391 名前:大人になった名無しさん [2005/10/19(水) 02:29:01 ]
- 私が小6の冬のできごと。
私には血の繋がりはないんだけど、赤ん坊の頃からよく面倒みてくれたりどこかに遊びに連れってくれたりするおばちゃんがいたんだ。 おばちゃんとおじちゃんが大好きで「お母さん」「お父さん」ってよんでたんだ。 小6の私は「お母さん」の家でゲームしてたんだ。電話が鳴って「お母さん」が出てなにやら話してたどうやら私の母かららしい。 「お母さん」は何故か声が震えてて泣きそうになってた。 私は構わずゲームをしてた。電話を切って「お母さん」がこういった。 長文スイマセン続きます。
- 392 名前:大人になった名無しさん [2005/10/19(水) 02:43:42 ]
- 「お母さん(私の母)がねちょっと用事があるからしばらく〇〇(私)の事頼むって」
私「…また家出か」私の家は少々複雑、というか母は父が嫌いで家出をするのが多々あった。 「お母さん」は 「だから今日はパジャマ家からもってきなさい宿題とランドセルも」 私「うんそうする」「お母さん」は泣きそうな声で喋ってた。そんなの素知らぬ振りでまたゲームを再開した。ゲームの画面に映った「お母さん」はエプロンで目をふいてた。 私「服とりにいってくる」 外に出て私は泣いた血の繋がりはないのに私の為に泣いてくれた「お母さん」 血の繋がりはないけれど本当の母の用に接してくれた。 「お母さん」が本当のお母さんならなぁ…と何回も思った。 今でも娘の用に可愛がってくれる「お母さん」 いつか恩返しがしたいと思う。 ありがとう「お母さん」
- 393 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/10/19(水) 18:38:55 ]
- >>391
「お母さん」が電話切って「長文スイマセン続きます。」って言ったのかとおもた
- 394 名前:大人になった名無しさん [2005/10/19(水) 21:47:33 ]
- ハゲワロスwww
- 395 名前:大人になった名無しさん [2005/10/20(木) 08:50:15 ]
- ワロタw
- 396 名前:大人になった名無しさん [2005/10/21(金) 22:24:05 ]
- サンマの塩焼きジュウジュウ 大根おろしショリショリッ
炊き立てご飯パカッフワッ ポン酢トットットッ… ハムッ ハフハフ、ハフッ!!
- 397 名前:大人になった名無しさん [2005/10/22(土) 03:09:01 ]
- ↑???
- 398 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/10/22(土) 04:17:21 ]
- 鼻水が出るので鼻にティッシュ詰めて読みました…
鼻の穴が広がったら恨みますよ…
- 399 名前:大人になった名無しさん [2005/10/27(木) 12:22:36 ]
- あげ
- 400 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/10/27(木) 18:00:56 ]
- 昔、3歳下の弟とSFCのサッカーゲームをしていた。
リビングの大きなTVで、仲良く試合してたっけ。いつもオレが勝ってた。 弟は悔しそうに、時には泣きながら、「もう1回、もう1回!」とせがんできたもんだよ。 ほとんど2Dに近いゲームで、キーパーなんかあり得ないプレーしてた。 もちろん、選手の顔なんてみんな同じ。 あれから数年経って、何度か引っ越した。 高校生、中学生となって、もちろん部屋は個別に持ってた。 でも、2階のオレらの部屋にはTVのアンテナ端子がなくて、1回からケーブルを引っ張ってオレの部屋に1つだけTVを置いてた。 弟は頭が良くなくて、親がTVを部屋に置かせなかったんだ。 ゲーム機もPS2を繋いでて、(PSは引越しの時に廃棄)オレのいない時間に、弟はオレの部屋でゲームしてた。 その内、オレに彼女ができた。あまり長くは続かなかったけど、オレは都合がいい時はいつでもオレの部屋に呼んでた。 もちろん、弟はどんなに暇でもPS2ができない。 だから、弟はリビングで、偶然見つけたSFCを引っ張り出して、古臭いゲームをしてたらしい。 そしたら弟は、不定期にPS2で遊ぶよりもSFCをやる方が楽しいと思ったのか、ずっとリビングで遊ぶようになった。 そんな感じで4ヶ月くらい過ぎたのかな、オレは彼女と別れて、寂しかった。 弟はそんなオレを横目に、久しぶりにPS2で遊んでた。 しばらくして、弟はリビングからSFCを持ってきた。 「兄ちゃん、久しぶりにコレやらない?」 弟が持っていたのは、例のサッカーゲーム。 まだ持っていたのか、なんて言いながら、オレは1Pを手にする。 弟はその性格からか、ファールが多いのだが、それでもオレは圧勝する。 でも、確かに弟はうまくなってた。 「ちきしょー、めっちゃ練習したのになぁ・・・」弟は悔しそうな表情。 お前はいつまでたってもヘタだなぁ、と言いながらも、オレは弟にひどいコトをしていたな、と反省していた。 数日後、オレは弟のために中古でウイイレ7を買ってきた。 弟は最初、すげーリアルだ、とか言ってたけど、その内またSFCを取り出して、またあのゲームを起動する。 「兄ちゃん、もう一回やろ、次は勝つからさ」 そうして弟は、またオレに負けて悔しがる。 でも、そんな弟を持って、オレはすごい幸せだな、って感じた。
- 401 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/10/27(木) 22:23:31 ]
- 弟はわかってるなぁ
弟にエミュ教えてやれよ、泣きながらうんこ漏らしてよろこぶぜ
- 402 名前:大人になった名無しさん [2005/10/28(金) 08:49:11 ]
- >>400
正直何が泣けるのかわからん。 無理やり泣ける方向に持っていこうとしてるがお前も弟もただの馬鹿かと・・
- 403 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/10/28(金) 10:37:34 ]
- >>402
>>400は続きを書いてくれる筈。
- 404 名前:400 mailto:sage [2005/10/28(金) 22:27:16 ]
- >>402
少なくともオレ自身は心が張り裂けそうな思いをしたよ。 文句一つ言わずに、オレらの空間をそっとしておいてくれた。 弟は友達の家に行ったりもせずに、ただSFCをしていたんだよ。 今までウザいなぁって思ったりしてたけど、実際はオレの方が迷惑かけてた。 兄として、人間として失格だな、って思った。そしたら、何かこみ上げてくるものがあったんだよ。 身近な存在がどんなに大切か今さらわかった気がした。オレはバカだよ。 昨日書き込んだ後に、無性にサッカーゲームがしたくなった。 オレは弟を誘ってみたけど、弟はSFCを1階の引越し用段ボールにすでにしまっていた。 話によれば、定期テストの勉強があるらしい。 オレは前期期末考査が終わって一息ついてる時期だから、実際何かして遊びたいのだが、弟は自ら誘惑に負けないよう、ハードを封印したらしい。 何だかんだ言って、オレたち兄弟の生活パターンはかなり変わってきてる。 一緒に遊ぶなんて、かったるいというよりも、時間の関係でかなり厳しい。 昔は短気で、大声で泣き叫んで、ケンカしたらすぐに親に助けを求める、そんな弟だった。 今じゃオレのこと気遣ってくれただけじゃなくて、自分のなすべきことを理解して、自分1人で計画立てて過ごしているみたいだ。 「だって兄ちゃんが!」という捨てゼリフももう聞けないのだろう、ケンカもほとんどしなくなるだろう。 でも、暇ができたら、また弟と遊んでやりたいな、って思う。オレにとってはたった一人の兄弟だもん。 ・・・今、弟がわからない問題を質問しにきた。今日のレスはこのくらいにしておきます。
- 405 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/10/28(金) 22:39:45 ]
- >>402
別に泣かなきゃいけないスレじゃなくね? 「セピアな思い出。感傷的な気持ちにさせてくれる話」って1に書いてあるし 俺は兄弟で朝から晩まで遊んでた頃を思い出してなんかじーんときたけど
- 406 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/10/29(土) 04:41:58 ]
- 夏休み目前にして妹が死んだ。
みんな「明日から夏休みなのに」 と言いながら泣いていた 中学3年生、人生まだまだだったのに やっと一年間が過ぎ居なくなってから二度目の誕生日が来る 悲しいよ毎日考えるし、会いたいよ ダメだろうが無理だろうが 会いたいよ 会いたいよ
- 407 名前:大人になった名無しさん [2005/10/29(土) 07:08:41 ]
- イ`
- 408 名前:大人になった名無しさん [2005/10/29(土) 23:08:55 ]
- あなたの場所から
私が 見えたら きっと、いつか 会えると信じ生きていく…。 頑張れ。負けるな。
- 409 名前:大人になった名無しさん [2005/10/31(月) 02:59:03 ]
- 中学2年の時クラス替えしてから急にみんなから避けられるようになった。
理由は不明、いきな「臭い・汚い・宇宙人」と言われた。 小学校の時から仲が良かった子も私と仲良くするとイジメられるからって離れて行った。 女子はシカトが多かったけど、男子はあからさまにイジメてきた。 朝学校に行くと机の上に汚い雑巾や他のクラスの男子のカバンが置いてあり。 「汚ねぇ〜菌がうつる〜w」「それ誰のカバン?盗んできたんだろ?」 それを見た女子はあざ笑っていた。 そんな中、一緒のクラスになったA君他数人の男子は優しくしてくれた。 他の子はプリント配る時「汚いから」ってわざと私にだけ配ってくれなかったりしたのに A君達は分け隔てなく配ってくれた。 私とぶつかると「うわぁ汚ねぇ!」って言われたのにA君達はイスとかがぶつかると 「ごめんね!痛くなかった?」と言ってくれた。 運良く3年のクラス替えでもA君と同じクラスになれた。 修学旅行の時なんか「荷物持とうか?大丈夫?」って気遣ってくれた。 中学卒業して10年くらいになるけど、A君のことまだ好きです。
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