- 185 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/30(木) 19:47:56 ID:iMugEHJb]
- 遠江諸氏の動向について、追加
原川氏 原川を拠点とする小豪族。当主・讃岐入道は、氏真が掛川に入城すると掛川へ駆け付けた。 掛川城守備戦での奮闘により氏真から感状と領地を賜るが、結局 今川家が領地を全て失ったため、領地を得ることはなかった。 講和により掛川城を退去後、帰農した。 武藤氏 真田を拠点とした小豪族。当主・氏定は徳川勢の勧告を拒み、 小国神社に立て篭って抵抗したが、結局は講和した。 その後、高天神城が武田軍によって陥落すると武田へ奔り、高天神の守将の一人となる。 徳川軍による高天神城奪還の際に氏定は戦死。 残された一族は帰農した。 大沢氏 堀江を拠点とする豪族。当主・基胤は氏真の来訪を迎えたりもしたが、 直後に家康の調略を受けると、あっさり降っている。 今川の配下になる前から同じ地を領しており、それが堀江藩として江戸幕末まで存続し、 転封も受けなかった稀有な一族である。 余談だが、子孫は大政奉還に際し、万石事件という過大申告不祥事を起こしている。 湖西朝比奈氏(仮称) 掛川朝比奈氏の分流で、浜名湖西岸、宇津山城を巡って紛争した一族。 1562年、当主・泰長の死去により孫太郎が後を継ぐが、 翌年、家康に通じた弟・孫六郎(真次)に討たれる。 これにより宇津山城は一旦は徳川傘下に入るが、 さらに翌年、氏真の命を受けた大原次良に討たれた。
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