[表示 : 全て 最新50 1-99 101- 201- 301- 2chのread.cgiへ]
Update time : 05/09 20:58 / Filesize : 215 KB / Number-of Response : 317
[このスレッドの書き込みを削除する]
[+板 最近立ったスレ&熱いスレ一覧 : +板 最近立ったスレ/記者別一覧] [類似スレッド一覧]


↑キャッシュ検索、類似スレ動作を修正しました、ご迷惑をお掛けしました

日本史上最低のゲイ右翼、三島由紀夫を叩くスレ



1 名前:名無しさん@3周年 [2009/11/26(木) 03:14:50 ID:A9pFo9av]
クズ以下w

2 名前:名無しさん@3周年 [2009/11/26(木) 03:21:58 ID:RVWPIG8X]
鳩山由紀夫の間違いじゃないの?

3 名前:名無しさん@3周年 [2009/11/26(木) 12:13:02 ID:DXQjB2sP]
>>1
↑三島由紀夫に論破された哀れな過激左翼の
生き残りの怨み節じゃないの。

4 名前:名無しさん@3周年 [2009/11/26(木) 12:21:05 ID:h2giXdX4]
106:名無しさん@九周年 2008/10/23(木) 11:19:28 ID:MKKkrhYW0>>97
当時マスコミの少なくない人間が、三島にそれなりの脅威を感じていた。
それが自爆したことによる快哉は大きかったようだね。
三島のクーデターは1970年、あさま山荘が1972年だ。
まだ学生運動の正体が一般には知られておらず、マスコミも心行くまで左の旗を振っていた。
ニヤニヤ笑う自衛隊員の顔をことさらに流したのは、「三島の主張はキチガイ沙汰なのだ」という
マスコミの強い主張だわな。実際クレイジーではあったが。
ちなみに成田闘争の時、TBS社員が取材車で過激派の運搬をしていたことが判明して
問題になったことがあった。責任を取って田英夫がTBSを退社したのが1970年。
今のマスコミ報道にも強い「誰かの意図」が動いているけど、
当時のそれは、はるかにあからさまだった。
三島事件の報道は、時代背後とまわりの人間模様を強く考えながら見ないと真実がみえんわな。

5 名前:名無しさん@3周年 [2009/11/26(木) 12:24:54 ID:esXch9lD]
官邸、内閣府、自民党本部、民主党本部、社民党本部、国税庁、国税局、東京地検にメールしました。


1,
鳩山総理が脱税してるのに 逮捕されないって事は、私が脱税しても逮捕されないって解釈でよろしいでしょうか?

まさか、総理は脱税しても犯罪ではないが民間人は犯罪になります。では筋通らないでしょう。

鳩山総理が逮捕されなかった場合、私も脱税させて頂きます。 それに伴う法改正は重要事項ですので宜しくお願いします。


2, 議員は業者から裏金(賄賂)貰っても逮捕されないんでしょうか?

小沢幹事長が逮捕されなかった場合,私も議員目指して頑張りますので当選した暁には業者から裏金(賄賂)戴きます。 それに伴う法改正は重要事項です。

お忙しいと思いますが、早急に返信の方お願いします。


ちなみに自分のメアド記載。みんなも送りましょう。そうなれば逮捕せざる得ない状況に・・・


6 名前:名無しさん@3周年 [2009/11/26(木) 13:12:22 ID:IR9DFfs7]
















三島由紀夫は兵役不合格wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

戦争に行かなかった非国民が右翼ってwwwwwwwwwwwwwwwww

7 名前: mailto:sage [2009/11/26(木) 13:41:47 ID:h2giXdX4]
戦争中の軍人や官僚に左翼がいないとでも思ってるバカ。

8 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2009/11/26(木) 13:56:49 ID:/GQw4OLw]
ミッシーは何で兵役不合格だったの?
やっぱりゲイだから?

9 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2009/11/26(木) 14:16:22 ID:h2giXdX4]
>>8
身体が弱かったから。
徴兵検査はかろうじて合格したけど、いざ入営のときに高熱の風邪で結核を疑われて即日帰京になったから。

10 名前:名無しさん@3周年 [2009/11/26(木) 20:37:58 ID:esXch9lD]
『科学技術予算削減で‘また’外国から褒められたニダww  反日民主党は日本の国力削減に邁進するニダww』


★「スパコン予算廃止」をほくそ笑む周辺国   (ジャーナリスト 藤村幹雄 )

・「事業仕分け」で、科学技術経費が続々縮小されていることを、米中露や韓国など周辺諸国は「歓迎」している。
日本の誇る科学技術力が今後低下し、競争力が弱まる可能性が強いからだ。

 ある韓国の外交官は「日本が何でこのような自殺行為をするのかよく分からない」とコメントした。
 ロシアの外交官も「世界の流れと逆行している」と話した。ロシアでは、プーチン政権下で科学技術
 予算は最も高い伸びを示し、昨年来の金融危機後も削られていないという。

 事業仕分けでは、次世代スーパーコンピューターやGXロケットエンジン開発などの科学技術振興予算がほぼ廃止
に等しい判断を下された。

 民主党・蓮舫議員は、「(スパコンは)なぜ世界1でなければならないのか、なぜ2位ではいけないのか」と切り込み、
「予算計上見送りに近い縮減」と判定された。

 スパコンは先端工業製品の設計や評価に不可欠で、金融工学や天文学、気候温暖化対策にも使用される高速計算
機。わずか276億円のスパコン予算を切ることで、日本の科学技術水準が遅れ、国力・産業力を損なうことになりか
ねない。各国の技術陣が最もしのぎを削る研究開発分野の一つだ。

 GXロケットも、世界の新型宇宙ロケットエンジンの中核になると期待されている。

いずれも「健康づくりを進めるボランティア活動」などと同一視することはできない。




11 名前:名無しさん@3周年 [2009/11/29(日) 12:46:36 ID:FN57wizp]
西部邁の「三島由紀夫」論
www.youtube.com/watch?v=E0vCq-SpmC4&hl

【高森アイズ】三島由紀夫の天皇論[桜H21/11/25]
www.youtube.com/watch?v=IslOROG4nRM&hl

12 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2009/12/03(木) 17:24:15 ID:uRBC/0JC]
【尚武の】◇◇◇三島由紀夫◆◆◆【こころ】
hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1257215077/

13 名前:シェリルの奴隷 ◆Ecz22rKivI [2009/12/03(木) 18:50:23 ID:DG3H42OA]
















三島由紀夫は兵役不合格wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

戦争に行かなかった非国民が右翼ってwwwwwwwwwwwwwwwww

14 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2009/12/03(木) 22:19:18 ID:uRBC/0JC]
>>13
徴兵は合格してるんだけど。>>9が読めないバカですか。
上っ面の情報しか知らないバカ丸出しだね。

15 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/04(金) 17:52:34 ID:aTL4Hzo+]
三島は軍医がこのなかで肺病持ちは手を挙げろって言われてサッと手をあげ
あとは小説に書いてあるとおり咳があるだの熱があるだの言い訳して
徴兵逃れした

16 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2009/12/04(金) 19:12:00 ID:hsPnrdSg]
>>15
既往歴があるか訊かれたことでしょ。三島は子供の頃、肺病の既往歴がありますよ。
肺門リンパ腺という病名です。

17 名前:売国奴・徴兵逃れのゴミ屑は死刑 [2009/12/04(金) 20:11:06 ID:8rwUCw6k]
病気だろうが詐欺だろうが、戦争に行けなかった男が平和主義を叩く権利なんて無いだろ。
戦争や防衛について語る権利があるのは、戦う覚悟があるものだけだ

慰霊祭で言うところの『意に反して』戦死された方々への冒涜だ。

18 名前:売国奴・徴兵逃れのゴミ屑は死刑 [2009/12/04(金) 20:15:20 ID:8rwUCw6k]
体張って最前線で戦った人が、戦争・軍国主義を賛美・肯定するのはいいよ
また逆に、悲惨な体験に基づいた反戦は説得力がある。

「戦争は嫌だ、絶対反対」って言う人が徴兵逃れするのも理解できる。


しかし三島ゲイ由紀夫はどうだ?
いい年した壮年、日本男子が、兵隊にも行かず、『戦後になって』右翼気取りですよw
戦死された方の遺族はどう思うでしょうかね?(右翼・左翼関係なく不快に思うのではないでしょうかw)

19 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/04(金) 20:15:28 ID:YcSFGHDR]
生きていく上で無意味な知識しかない馬鹿ばっかだなここは

20 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/04(金) 20:17:05 ID:8rwUCw6k]
三島って戦死者を冒涜してるよな

右翼クーデターとかやる前に、徴兵逃れを謝罪して、不名誉の縊死を遂げるべき



21 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/04(金) 20:19:19 ID:8rwUCw6k]
病気で行けなかった、は擁護にならんぞ。

こいつの行動からはなw

例えるなら、歩けない障害者が、サッカー選手に「この下手糞が、俺が手本を見せてやる」
って言うような滑稽さw

22 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/04(金) 20:24:56 ID:i0zKVsGG]
三島さんは、身体が病弱な国立文系だったんだよね?
私立文系は皇室万歳が多いみたいだが、
三島さんは国立文系だったからその点はすごいが、身体が病弱で劣等感と優越感とで悩んでいたんだろうな?

23 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/04(金) 21:59:53 ID:hsPnrdSg]
>>18
三島は別に軍国主義右翼でもないし、戦後に思想が変わってもいませんよ。
子供の頃から日本文化や歌舞伎、能や古典文学を愛しいた、いわば本当の国粋者で、戦後もずっとその思想や
立ち位置もブレてませんけどね。
人を批判するなら、少しは当人の著書や思想をまともに調べたらどうですか?
レベルが低すぎて話にもなりませんね。

24 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/04(金) 22:15:01 ID:vEXlelb2]
>>23
お前は人を批判する前にもっと読書せい。
何が本当の国粋者だ。
何度も言うが三島は戦場に行っていない。理由はどうあれだ。
少しはまともにその時代の文献を読め。



25 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/04(金) 22:37:11 ID:hsPnrdSg]
>>24
なんで戦場に行かなきゃ国粋者じゃないのか意味不明ですね。
三島だって強靭な肉体だったら行ってたでしょうよ。
バカな基準だね。病弱差別でしょうか。

26 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/04(金) 22:43:44 ID:hsPnrdSg]
>>24
三島ほどあらゆる日本の古典文学、芸能に造詣の深い作家はいませんからね。日本浪漫派だし。
戦争起こした輩のが、よっぽど近代かぶれで、日本文化なんかなんとも思ってない、負けたら天皇なんかなくなっていいみたいなバカが沢山いたと思いますけどね。

27 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/04(金) 22:56:48 ID:z6t2E7ij]
>>24
三島は民族派の学生運動家たちと日本国家の行く末
を案じて身を投じた愛国者、憂国者だね。

単に破壊で自己満足していた左翼たちとは偉い違い
だね。

もう少し三島の行動を勉強した方が良い。命をかけ
なかった左翼を三島は軽蔑していたそうだ。

戦争ごっこをしていた左翼たちは今なにしてるんだ
ろう。


28 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/04(金) 23:00:53 ID:vEXlelb2]
>>26
>三島ほどあらゆる日本の古典文学、芸能に造詣の深い作家はいませんからね。

この馬鹿が。いい加減にしろ。
三島読んだくらいで日本文化が分かった気になる馬鹿脳内での話だろうが。もう一度言う。その当時の文献を読め。
一体どれ程の多くの有名無名の先人が日本文化について生涯捧げて研究してきたと思ってるんだ。
ネットしかやらんからそういう甘い考えで簡単に誤解するんだよ。
お前にはその重みがまるで分かっていない。
何度でも言う。
三島は戦場に行っていない。




29 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/04(金) 23:28:21 ID:hsPnrdSg]
>>28
戦場に行かなきゃ、日本の古典文学に精通してないことになるんですかね。全く意味不明ですけど。

あなたこそ、少しは三島の日本文学や古典や歌舞伎の評論読んだらどうでしょうか。

30 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/04(金) 23:30:44 ID:hsPnrdSg]
>>28
あなたもしかして武陽隠士とかいうコテですか?



31 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/04(金) 23:52:00 ID:vEXlelb2]
>>29
心底救いようの無いアホだなお前は。
連投したお前のレスが先にあっての話だろうが。
お前は一生、三島だけ読んでろ。どうも三島作品すら大して読み込んでないようだからな。
もしかして全集買って読んだ気になってるアホガキか?
いい加減うんざりするんだよ。三島を通じての能だ歌舞伎だ陽明学だのを語ってるアホにさ。
古語辞典引く手間すら惜しむような奴が日本だ伝統だなんて言われても迷惑なんだよ。
三島嫌いがアカだけだと思いたいんだろうがな。
伝統芸能系でも嫌ってる人は多いんだよ。三島のあまりにご都合過ぎる解釈にだ。
あと
何度でも言う
三島は戦場に行っていない。




32 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/05(土) 00:21:43 ID:SFoiETVI]
>>31
誰もあんたがアカなんて言ってないけどね。自白しなくていいよ(笑)

それにそんな板の評判なんか基準にするバカなあんたの言うことなんてな〜んの説得力ないから。
三島の書いた歌舞伎や戯曲は今でも世界中で上演されてますからね。

33 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/05(土) 00:27:11 ID:SFoiETVI]
TOKYO MX TV 西部邁ゼミナール 2009年11月21日放送
www.youtube.com/watch?v=saFvjBHlRzU&feature=PlayList&p=2B4FF1FB8DA61363&index=0
三島由紀夫は生きている
ゲスト関東学院大学教授・富岡幸一郎

34 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/05(土) 00:28:39 ID:5n28iEl1]
>>31

戦場に行った行かないは関係ないね。

戦後彼は命を賭けて国民に憂国の情を訴えたんだから。
三島の檄文を現日本は参考にすべきだろう。

特に「生命尊重のみで魂は死んでもよいのか」「自ら
を否定する憲法を守る自衛隊は・・・」の文は、今の
日本の混乱を見事に言い当てている。

戦場に行った以上の

35 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/05(土) 00:31:48 ID:5n28iEl1]
>>31

戦場に行った行かないは関係ないね。

戦後彼は命を賭けて国民に憂国の情を訴えたんだから。
三島の檄文を現日本は参考にすべきだろう。

特に「生命尊重のみで魂は死んでもよいのか」「自ら
を否定する憲法を守る自衛隊は・・・」の文は、今の
日本の混乱を見事に言い当てている。

戦場に行った以上の行為だ。

36 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/05(土) 00:44:14 ID:46tdcdcL]
徴兵逃れしたカスが、命掛けてる自衛隊員に説教(笑) 切腹(笑)

憂国とは共同体のために身をささげる者のみが語ることができる徳だ。
切腹は、戦場で命を掛けて戦う武士の特権だ。

徴兵逃れ三島由紀夫は、戦死者・軍人・自衛隊・武士を冒涜する国賊。

37 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/05(土) 00:51:03 ID:k9vet+iZ]
>>36
ちょっと違うぞ。切腹の流行は江戸期以降だ。

38 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2009/12/05(土) 00:56:08 ID:SFoiETVI]
>>36
死んだ人をそんなに執拗に憎む日本人はまずいませんけどね。

39 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2009/12/05(土) 00:59:12 ID:SFoiETVI]
>>36
命掛けてる
↑まず正しい日本語使えるようにね。

40 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2009/12/05(土) 23:40:35 ID:SFoiETVI]
昭和42年3月1日
「文化大革命に関する声明」
三島由紀夫(共同執筆・川端康成、石川淳、安部公房)
「昨今の中国における文化大革命は、本質的には政治革命である。
百家争鳴の時代から今日にいたる変遷の間に、時々刻々に変貌する政治権力の恣意によつて学問芸術の
自律性が犯されたことは、隣邦にあつて文筆に携はる者として、座視するに忍びざるものがある。
この政治革命の現象面にとらはれて、芸術家としての態度決定を故意に留保するが如きは、われわれの
とるところではない。
われわれは左右いづれのイデオロギー的立場をも超えて、ここに学問芸術の自由の圧殺に抗議し、中国の学問芸術が
(その古典研究をも含めて)本来の自律性を恢復するためのあらゆる努力に対して、支持を表明する者である。
われわれは、学問芸術の原理を、いかなる形態、いかなる種類の政治権力とも異範疇のものと見なすことを、
ここに改めて確認し、あらゆる「文学報国」的思想、またはこれと異形同質なるいはゆる「政治と文学」理論、
すなはち、学問芸術を終局的には政治権力の具とするが如き思考方法に一致して反対する。」



41 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/06(日) 00:04:15 ID:IcjuddsR]
良いこと言うじゃん。

42 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2009/12/10(木) 11:19:26 ID://bbtaGT]
☆三島由紀夫の主義・主張★
society6.2ch.net/test/read.cgi/shugi/1258439789/

43 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/10(木) 14:53:39 ID:Xd+9aaMs]
徴兵逃れしたカスが、命掛けてる自衛隊員に説教(笑) 切腹(笑)

憂国とは共同体のために身をささげる者のみが語ることができる徳だ。
切腹は、戦場で命を掛けて戦う武士の特権だ。

徴兵逃れ三島由紀夫は、戦死者・軍人・自衛隊・武士を冒涜する国賊。

ってかこんな反人民的テロ野郎が一流文人になれる小日本て恥かしい国だなw

44 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/10(木) 15:11:51 ID://bbtaGT]
>>43
> 切腹は、戦場で命を掛けて戦う武士の特権だ。

↑別に戦場とか決まってないけど。


中国人民の頓珍漢な日本文化解釈が丸出しですよ。

45 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/10(木) 15:39:23 ID://bbtaGT]
二・二六事件の青年将校の多くが農村出身で家族が農村民衆なのは事実だし、
収容病院近くの林で切腹した河村青年将校を看病していた病院関係者たちも二・二六事件を擁護している事実がある。
その他、その当時の民衆による擁護的な記述は決して少なくはないのですよ。

46 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/10(木) 15:41:19 ID://bbtaGT]
>>45は誤爆

47 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/10(木) 17:05:26 ID:o7NCCX6N]
三島がニヤニヤされるのは
度を越したナルシスズムで現実みてなかったから

文学の才能と指導者としての能力は別。

キチガイでOK

48 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2009/12/10(木) 17:19:39 ID://bbtaGT]
>>47
指導者?三島は別に指導者にも政治家にもなろうとしてないし。

49 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/10(木) 23:04:54 ID:+A9aSLlq]


兵役失格者として差別するべき。

50 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/11(金) 11:09:30 ID:yk+ntRT8]
私は作家として三島由紀夫とは何んの接点もなかった。そう言っていいにちがいない。
彼がすぐれた文学者であったことは私にも判っている。
なみなみならぬ、ケンランたる才能の持ち主であったことも心得ている。
たとえば、「自決」前年の「蘭陵王」――ああいう作品はなかなか書けるものではない。
しかし、人間には好みというものがある。文学の好みにおいて、私は彼と接点がなかった、そう言えばいいだろう。
(中略)
とにかく好みというものがある。私には読んでいるとお尻の下がむずがゆくなって読み通せない作家がある。
いい作家かも知れないが、それを重々判っていても、駄目だ。三島由紀夫にはそんなことはなかった。けっこう読めた。

小田実
「三島由紀夫との接点」より



51 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/11(金) 11:12:17 ID:yk+ntRT8]
思想家としての接点はどうか。
…考えてみると、彼はあのころ大学の時計塔にたてこもった「過激派」の学生にいたく共感し、学生は学生で、
彼が「自決」したとき、われわれは負けたと言ったものだ。
…そこでも私が彼と接点がなかったことは、彼の「自決」後、ある雑誌のインタビューで、私は彼の死について
しゃべった――そのインタビュー記事の題名は、「私は畳の上で死にたい」。それがすべてを言いあらわしている。

小田実
「三島由紀夫との接点」より

52 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/11(金) 11:13:37 ID:yk+ntRT8]
しかし、接点がひとつあった。確実にあったと思う。
私はそのころベトナム反戦運動に精を出していた。
…私はこの「ただの市民」の運動を自分で考えてやり出し、自分でそれなりに力も時間も金も出してやった。
そして、小説もとにかく書いていた。
三島も「楯の会」で同じことをしていた。彼は「楯の会」を自分で考えてやり出し、力と時間と金も出し、
小説も書きながらやっていた。
それが二人の接点だった。そのころも私はそう思っていたし、今も思っている。
ついでにもうひとつ言っておけば、そうした意味での接点を私が感じとったのは、あとにも先にも、彼ひとりだ。

小田実
「三島由紀夫との接点」より

53 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/11(金) 11:14:21 ID:yk+ntRT8]
猪瀬直樹「三島由紀夫は、七十年に自衛隊のバルコニーに立って演説するわけです。
あの演説のとき、自衛隊員に罵倒されたでしょう。あれ、吉本さん、どうご覧になってました?」

吉本隆明「なんてやろうだ!と思ってました。
死ぬ気でいる人間の言葉を、自衛隊に入隊して一緒に訓練した人間の言うことを、黙って
聞いてやることぐらいしたらいいじゃないか。
これじゃ、三島さんが気の毒だ…、というのがホンネでしたね。」

1994年12月2日号「週刊ポスト」より

54 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/11(金) 11:15:22 ID:yk+ntRT8]
三島さんのこと少し判ってきたことがある。
(中略)イランとか、近東イスラム教の国家っていうのは、祭政一致でしょ。
あの振舞いは西欧からは不可解なはずなんです。
でも、ぼくは戦争中の天皇というものを見ていると非常によく判る。
あれで類推すれば、もの凄くよく判る面があります。
アジア的な部分で、ラマ教とか、イスラムとか、生き神さまを作っといて、それを置いとくわけですね。
(中略)三島さんは、多分、ぼくの考えですけれども、インドへ行って、インドにおけるイスラム教の
あり方みたいなものを見て、仏教も混こうしているわけでしょう。
そこの所で、天皇というものを国際的観点から再評価したと思います。
それがぼくは三島さんの自殺当時判らなかったのです。
(中略)三島さんが国際的な視野を持ってきて、インドとか近東とかそういう所の祭政一致的考え方、
それだと思うんです。それ以外に日本なんて意味ないよと考えたとぼくは思うんです。

吉本隆明
「映画芸術」誌上、小川徹との対談より

55 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/11(金) 11:24:13 ID:yk+ntRT8]
被告たちに憎いという気持ちは当時からなかった。
(中略)
国を思い、自衛隊を思い、あれほどのことをやった純粋な国を思う心は、個人としては買ってあげたい。
憎いという気持ちがないのは、純粋な気持ちを持っておられたからと思う。

自衛隊市ヶ谷駐屯地、益田総監
三島裁判での証言より

56 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/11(金) 11:33:11 ID:yk+ntRT8]
「まさか、死ぬとは!すごいショックだ。
自分もずっと演説を聞いていたが、若い隊員の野次でほとんど聞き取れなかった。――死を賭けた言葉なら
静かに聞いてやればよかった。」
陸上幕僚T三佐
三島自決直後の談話

「三島の自決を知ったあとの隊員たちの反応はガラリと変った。
だれもが、ことばを濁し、複雑な表情でおし黙ったまま、放心したようであった。
まさか自決するとは思っていなかったのだろう。その衝撃は、大きいようだ。」
自衛隊の最高幹部
三島自決の日の談話

福島鑄郎
「資料・三島由紀夫」より

57 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/11(金) 11:34:32 ID:yk+ntRT8]
バルコニーで絶叫する三島由紀夫の訴えをちゃんと聞いてやりたい気がした。
ところどころ、話が野次のため聴取できない個所があるが、三島のいうことも一理あるのではないかと心情的に理解した。
野次がだんだん増して行った。舌打ちをして振り返った。
…やるせなかった。無性にせつなくなってきた。
現憲法下に異邦人として国民から長い間白眼視されてきた我々自衛隊員は祖国防衛の任に当たる自衛隊の
存在について、大なり小なり、隊員同士で不満はもっているはずなのに――。
…部隊別に整列させ、三島の話を聞かせるべきで、たとえ、暴徒によるものであっても、いったん命令で集合を
かけた以上正規の手順をふむべきだ。
こんなありさまの自衛隊が、日本を守る軍隊であるとはおこがましいと思った。
三島がんばれ!…心の中でそう叫んだ。

K陸曹
三島演説を振り返って

福島鑄郎
「資料・三島由紀夫」より

58 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/11(金) 11:47:56 ID:gNS419Dy]
三島思想は今こそ必用。

檄文に彼の本当の気持ちと姿がある。尊敬

するね。


59 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/12(土) 04:40:38 ID:GFFTxlX8]
磔にされたキリストみたいなキメェ写真あったよな。タイーホされた写真家に撮らせたのが。
あんなの、憂国の士(爆笑)がやることじゃないねー。ヘンタイがやりそうなことです。

憂国の為なら、あんなオサレな軍服もどきをカスタム冥土する必要なんか無いぢゃん。
オヤヂより先に自殺なんて、親孝行を少しでも考えればしないって。単なるエゴイストです。

本当に國のこと考えるなら、後進の為に教育でもしそうなもんだが、
自分が気持ちよく散ることしか考えてないんだもん。騙された“隊員”たちがかわいそうでならん。

死体は、誰かが掃除したんだろ?最期の最期まで、わがまま通したんだろね。
作家として注目されなくなったから、肉体で注目されるしかなくなったわけです。

寺がそんなに美しいなら、保守しようと思うのが健常者の考え方だが、異常者はそれを
破壊して美を独占しようとするのです。自分の肉体も保守できないヘンタイに、國が保守できるわけないねー。

60 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2009/12/12(土) 10:32:07 ID:O+ijl2/O]
>>59
逆にそういう殉教的、神聖ヘの合一思考がなければ、行動者になれないでしょう。何の貶しネタになってませんけど。
あんたみたいな哲学も文学も理解できない、低脳パチンコ豚には永久に理解不可能な領域なんでしょうね。可哀想に。

自衛隊員も、死体の処理や遺体搬送なんかしょっちゅうやってますからね。あんたみたいなヘタレと違うでしょ。
それで給料もらってるわけだし。
楯の会の会員も今も三島を尊敬してるから、部外者のあんたが余計な自分の視点で語る意味ないし余計なお世話です。
自分の三島憎しの感情を、心にもないつまんない偽善同情で貶しネタで言っても、
あんたのバカぶりを晒してるだけでした。
アンチ活動お疲れさまでした。



61 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/12(土) 14:00:01 ID:W+FwzCxR]
>自衛隊員も、死体の処理や遺体搬送なんかしょっちゅうやってますからね。

知ったか乙。

62 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2009/12/13(日) 01:21:41 ID:TFhQ2rWX]
www.yuko2ch.net/up/source/yp1412.jpg

63 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/13(日) 16:10:03 ID:in0ZeOHp]
「最初はご自宅に伺ったんです。『論争ジャーナル』発刊の主旨、論調は当時反主流でした。
先生(三島由紀夫)は、その当時から一つの輝く北斗の星でしたよ。
思想的な評論など出していましたからね。
例えば、『対話・日本人論』とか、思想的な評論関係の著作を出していましたから。
文学者としてではなく、思想家として見ていましたよ。
小説家三島由紀夫と我々は見てなかったですよ。おそらく誰も。
…あの頃は、慶応で最初の学園紛争がありまして、それから早稲田、日大、明治、東大ってどんどん広がって
いったわけです。当時の思想風景というのは、左翼でなければ人にあらずという……。
想像できないでしょうが、そうだったんです。で、やっぱり、そのうちとんでもないことが起きる、と。
今見れば漫画みたいになっちゃうかもしれないけど、革命というのを、我々は真剣に危機的に感じていました。
そういう時代風潮を押さえて見ないと、あの頃の行動というのはわからないんですよ。
今の、この社会状況から見てたんじゃ」
持丸博(元楯の会初代学生長)

鈴木亜繪美
「火群のゆくへ 元楯の会会員たちの心の軌跡」

64 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/13(日) 16:11:00 ID:in0ZeOHp]
「あの頃は、全共闘全盛の時代だった。俺は九州生まれで、全共闘の考え方に馴染めなかった。
ああ、俺の考えは世の中に合わないのかな、と思ったよ。
…学校へ行ってもどうも自分と考えてることが違うなという連中が、我が物顔で歩いている。
肉体的には負けないけど、論争して負けたくないから理論武装したいと思った。
先生(三島由紀夫)の人柄とかに興味津々だったから、たぶん、先生が辟易するくらい質問したよ。
根ほり葉ほり訊いたね。先生は、目が非常に純粋で、僕らのようなひよっこにも丁寧な言葉を使ったし、
時間を守る、威張らないし、そういうことからも魅力を感じた。文豪なんていうそぶりは全然見せなかった。
礼儀正しさとか非常に親切心があるとか、何回かのお付き合いの中で敬意を持つようになった」
仲山徳隆(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

65 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/13(日) 16:13:58 ID:in0ZeOHp]
「三島先生は、『君が田村君か、さあ座りなさい』とおっしゃり、これが最初の言葉だった。
じっと見られた大きな目がキラキラ輝いていて、印象に強く残った。実にあっけない最初だった。
(中略)
体験入隊終了直前、緊張の連続と疲労の極みで胃液を吐きダウンしてしまった。
薬を飲まされ、隊舎のベッドで横になっていると、三島先生がいらしたんです。
ベッド脇に座られて『大丈夫か』と声を掛けてくださった。『幾つになった』と訊かれ、『十八です』と答えると、
『そうか、俺は君の親の世代なんだなあ。無理するなよ、行けるか?』と。先生のあの声は忘れられないですよ」
田村司(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

66 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/13(日) 16:15:10 ID:in0ZeOHp]
「とにかく入学した前後って、大学紛争が一番大変だった時、最初に入試を受けた時はバリケードがあって
機動隊が出てましたよ。早稲田の文学部は革マル派の本拠地だった。
圧倒的に、革命論争だとか新左翼系の話が主流でした。
でも、いわゆる左翼系の議論には違和感があった。どうもちょっとおかしいと。
それでいろんなものを読んでる中で、一番明解に論を展開していたのが三島先生だった。
そういう意味じゃ、『論争ジャーナル』に出て来て論陣を張ったというのは画期的だった。
自衛隊に行こうと思ったのは、当時はマイナーな存在で、どちらかというとマイナスの評価だった。
それと規律で全部縛られている所では自分がないと言われていましたから、本当に徹底してがんじがらめの
規制の中で人間がどうであるか、自由でありうるか、それを一回やってみたいと思ったんです」
佐原文東(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

67 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/13(日) 16:16:19 ID:in0ZeOHp]
「三島先生の『楯の会』は、思想的に自由な所だったというのが大きかったと思います。
思想的束縛がありませんでした。会自体すごく幅広い人が入って来ていました。
僕なんか、従来型の右翼系の人とは随分違ったと思います。
僕は、三島先生といろいろ話していて、今まで会ってきた人の中であれ程頭のいい人はいなかったですね。
非常に明晰で、クリア。透明なんですよ、透明。なんていうかクリスタルガラスのような、水晶のような、
そんな印象でした。森田さんは、ともかく明るい人でした。話していて非常に気分のいい人。裏表がない人。
そういう意味で翳のない人だよね。生き方にも翳がないし」
佐原文東(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

68 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/17(木) 16:04:42 ID:49bNQzhj]
「三島先生は先駆的な考えをお持ちで、当時、『論争ジャーナル』という雑誌で民兵構想というのを出されていました。
こういうのは、これから面白いなと思った。
つまり自衛隊だけではなくて、民間人が防衛組織の一翼を担うという構想を出されていた。
アメリカでもヨーロッパでもそういう民兵というのはあるわけで、日本だけがそのような民兵組織がなかった。
自衛隊自体が、むしろほとんど否定されていたような世の中だったから、ああいう考え方は非常に新鮮でした。
今でもよく覚えているのは、訓練の時に小銃を持って走るわけですよ。
あの時、三島先生は『銃の重さを知ることが非常に大切なことなんだよ』と語っておられた。
よく記憶しています。国を守るということは、銃の重さを身体で感じることなんだと、理屈ではないんだと。
全くその通りだなと思いました。
ほとんどの話は忘れてしまったけれど、これはよく記憶していますね、銃の重さのことは」
イニシャルO、元京都大学生(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

69 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/17(木) 16:06:34 ID:49bNQzhj]
「森田とは同じ年だった。ある時、先生が俺をからかって、
『森田には命預けますっていう学生がいっぱいいるんだよ』と言ったんだ。
そうしたら、森田は顔を真っ赤にして、『いやあ、僕の命は先生に』って言った。
僕は自分の日記に書いても先生に直接そんなふうに言ったことないよ」
川戸志津夫(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

70 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/17(木) 16:07:37 ID:49bNQzhj]
「高校一年の時に、文化大革命が起きて、新聞は『文化大革命』礼賛一色ですよ。
『毛沢東万歳!』ってすごかった。ものすごい理想国家のように持ち上げていた。
ところが、新聞にちっちゃく記事があって、大陸から香港に逃げてフカに食われて死んじゃう人が何百人も
いるのを目撃したって。そんな素晴らしい国ならなんで亡命して逃げて来るんだ。
変じゃないかって、子供心に思っていたわけです。
…右でも左でもなかった。ところが、昭和四十五年一月頃、早大キャンパスに確か『三島由紀夫と自衛隊に
体験入隊しよう』というタテ看板を見て、俺が求めていたものはこれだと、決心。
楯の会という意識はなかった。自衛隊に行くことが主で入会はついでだった。」
村田春樹(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より



71 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/17(木) 16:08:30 ID:49bNQzhj]
「そのあと、サロン・ド・クレールで三島先生に会いました。非常にさっぱりした感じだった。
どんな本を読んでいるかと訊かれて、大江健三郎と。
その時、先生は大江健三郎の絶版になった本の話をしたんだよ。『政治少年死す』ていうやつを。
読んでないから答えられなかったんだよね。先生は、なんでこんなヤツが来たんだみたいな顔して、森田さんの方を
見た。森田さんは『いやいや、なかなか元気がいいですから』と言ってくれました。
森田さんの一言で、私は救われたようなもんです。
そうでなければ、こんな軟弱な学生が入れるわけないじゃないですか。
森田さんて人は、知れば知る程素晴らしい人でしたね。快活という言葉、一言。」
村田春樹(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

72 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/17(木) 16:09:22 ID:49bNQzhj]
「三島由紀夫先生と楯の会のことは、田舎にいる時は全然知らなかった。興味もなかったし。
父親が靖国会をやっていて、その関係で森田必勝さんに会ったんです。
確か、森田さんが橘孝三郎(祖父)のことを知って、靖国会の事務所を訪ねて来たんです。
その後、私も紹介されました。親父は森田さんのことをこう言ってました。
『森田必勝という、なかなかいい男が俺を訪ねて来たぞ。凄く気骨のある人間だ。凄くいい青年だぞ』って。
くりくりっとした坊主頭の人で、本当にね、少年みたいにね、本当に裏のない人でした。
森田さんは兄と同じ二十年生まれ、ずっと兄のように思っていました。
(中略)
西新宿のルノアールで、三島先生にお会いしました。ほとんど何も言えなかったけどね。
『橘先生、お元気ですか?』と、祖父の橘孝三郎のことを訊かれたことを覚えています」
塙徹二(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

73 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/18(金) 21:13:23 ID:/u/Wr9S1]
「私は、正式な会員じゃないんです。
もともと大学が早稲田だったから、楯の会のことはよく知っていたんですよ。
でも、その当時は入ろうという意識はなかったですね。
…国学院の友人に、三島先生に心酔しているものがいて、仲間と一緒に先生に会いに行くことになったんです。
それにも、たまたま行かなかった。
友人は、念願の先生にお会いして、頭の中が真っ白になって
『先生は、いつ死ぬんですか?』と訊いたそうですよ。
先生は、『わっはっはっ』と大笑いされて、『まあ、お茶でも飲め』と、紅茶をご馳走になった。
何も聞けなかったけど、気さくな人だったと。夏の暑い日だった。
社交辞令だろうけど、募集してるから、また来い、ともおっしゃってくれたそうです」
須賀清(元楯の会幻の六期生)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

74 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/18(金) 21:15:03 ID:/u/Wr9S1]
「森田必勝とは同じ二十五歳だった。当時、森田たち十二社のメンバーはすぐにテロだとか言っていた。
できるわけねえじゃないかこいつら、と思っていた。
でも、事件が終わってから、森田の見方が変わった。あの男に対する見方は変わったよ。
先生に対しては変わらない。もともと凄いなと思っていたからね。
…何かの折に触れ思い出すと、『あいつは凄かったな』と思う。
要するに、腹を切る切らないの前に、あの状況に立てるかどうか考えた。
それから介錯して、短刀を取って……。あの状況に立った古賀、小賀、小川、森田は凄いと思う。
三期で一緒だった牧野隆彦が、先生が亡くなった四十五歳を越えた時、『先生に、すまない』と言った。
そして、翌年四十六歳、くも膜下出血で死んでしまった。その時は、ショックだったね」
川戸志津夫(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

75 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/18(金) 21:17:08 ID:/u/Wr9S1]
「フルコガ君(古賀浩靖)とは事件後、品川だったか、電車の中で偶然会ったことがあります。
その時、彼は『すみませんでした』と言ったので、僕は『そんなことないよ。君がそんなことを思うことは
サラサラないね』と答えた記憶があります。
先生は、残すべき人間は残したんだと思いますよ。おそらく。
だから、残った人間は、重い荷物を背負っているんですよ。
私以外に、楯の会の会員で二人、自衛隊で定年を迎えた人がいます。
彼らと違うのは、私は事件が起きる前に自衛隊に入隊していたことです。二人は事件が起きたあとに入ったから。
まあ、どちらが大変という比較は難しいですが、それぞれ大変だったと思いますね。ずっとマークもされてましたから。
多分、三人とも定年までマークされていたと思います。
…事件当日に市ヶ谷で斬られた人と会ったこともあります。
腕を斬られて、背中を何針か縫った人を知っています。でも、三島先生のことを悪く言う人はいません。
先生の心情はわかるということを、随分言われました」
イニシャルK、元明治大学生(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

76 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/18(金) 21:18:45 ID:/u/Wr9S1]
「たぶん、先生は最初一人で死ぬつもりだった。森田さんも死ぬ覚悟を決めていたんですよ。
『森田の精神を恢弘せよ』とは、その森田さんの純粋な行為、行動、信条を後の人に伝えろというのが
あるのだと思います」
佐原文東(元楯の会会員)

「三島先生という存在自体は亡くなられても、文学者としての三島由紀夫、社会的な立場にある人としての
三島由紀夫は残ると思います。しかし、森田についてはおそらく何も残らない。
森田について言いたいことは政治的な森田。日本には『自決』という政治的表現があるんです。
諭したい相手がダメだと思ったら、自らの命を捧げて訴えるという政治的な表現法です。
行動主義の森田だったから、西洋的にしゃべり尽して相手に伝える事をせず、『自決』という行動で、
『日本の真の姿を見よ』と訴えたかったんだろうと思います」
伊藤好雄(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

77 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/18(金) 21:20:33 ID:/u/Wr9S1]
「先生はもうそれなりに著名で確立されている方です。でも、森田さんは無名でした。
三島先生は、ものすごく森田さんの身の上を案じ、今後、森田さんの精神がそのまま埋もれてしまうことに対して
危機感があったんだと思います。
僕の進んできた道を――商社に入ってずっと普通に生活してきたことを、申し訳ないという気持ちがあります。
(中略)僕は、大学で中国語を学び、中国という共産主義の国が隣にあって、日本がどう思われているのか、
最近の反日の運動を見るにつけ、その前から中国はずっと日本に対して辛く当たっていることを経験してきました。
みなさんは日本の中で日本を見てきたと思うけれど、僕は中国というフィルターを通して日本を見てきたんです。
預言者としての三島由紀夫というのは、ものすごく的確だと思います。
今の日本の政治はぶれている。外交上、中国にしてやられています。そういういたたまれない状況にあるだけに、
非常に的確に予言していたな、と思います。それだけに、三島先生や森田さんのやった行動が余計光ってくると思います。
一条の光というか、僕は、やがてもっともっと輝いてくると思っています」
古屋明(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

78 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/18(金) 21:29:41 ID:EqfmgUmo]
荒らすなコピペ厨

79 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/18(金) 22:03:33 ID:eFqYXG13]
自決した愛国者 森田必勝も忘れてはいけませんね。

80 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/18(金) 22:27:21 ID:+1VNk/rj]
どんな人であれ、亡くなった人を叩くのは人間の屑がやることだ。



81 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/22(火) 11:53:48 ID:XtKaC2nU]
頭の悪いゲイウヨ

82 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2009/12/22(火) 12:50:00 ID:3XmhyJMc]
死に方から変に誤解されて作家としての評価も歪められている可哀想な人
まあ、病跡学のサンプル

83 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/22(火) 12:56:26 ID:wzsKvDMR]
日本国の最大の問題は死んだら責任を免れると思っていることだ。
東京裁判で東條英機元首相は死刑にされた。
死後、死体は焼却処分され遺骨と灰は捨てられ遺族には渡されなかった。
渡せば遺族は極悪人を祀ると言う悪行をする可能性があったからだ。
事実、東條英機の娘はこの極悪人を弁護している。
娘みずからこの極悪人の死体を足蹴にするのが正義なのに

84 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/22(火) 13:10:32 ID:vSm9LtB3]
ある政治家が「狂気の沙汰」と呼び、これに迎合するかのようにある作家が「精神分裂症」と診断した。
病理学的な狂気は三島由紀夫君にはなかった。
狂気とかたづけてしまえば、その時点で政治家も作家も、一切の思考を停止し、責任を回避することができる。
ソ連のような国では、多くの健康な作家が精神病院に入れられている。
独裁者と怠惰な思考喪失者にとっては、人を狂人あつかいにすることほど簡易軽便な処理法はない。
「賊と呼び狂と呼ばんも、他評に任ぜん」という句は、維新志士たちの辞世の漢詩にときどき出てくる。
出典はシナにあるかもしれぬが、これが古今に通じる志士の心である。
三島君自身も狂人呼ばわりの「他評」はもとより覚悟していた。

林房雄
「悲しみの琴」より

85 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/22(火) 13:11:14 ID:vSm9LtB3]
だいぶ以前のことだが、三島君は私の家に遊びに来た時、デパートの売子たちの無知と無礼粗暴な態度を怒り罵倒し、
「こういうのが現代の若者だというなら、僕はできるだけ長生きして彼らが復讐を受けるのを自分の目で見てやりたい。
それ以外に対抗策はありませんね」と真顔で言って私を笑わせてたことがある。
彼にもこのような意味の長生きを考えていた一時期があった。
いわゆる「夭折の美学」を捨て、図太く生きて戦後の風潮と戦ってやろうと決意したのだ。

林房雄
「悲しみの琴」より

86 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/22(火) 13:11:57 ID:vSm9LtB3]
彼が週刊誌に荒っぽい雑文めいたものを書きはじめ、グラビアにも登場しはじめたとき、「いったいどうしたのだ」
とたずねたら、「戦後という世相と戦うためには、こんな戦術も必要でしょう」と笑って答えた。
だが、この「長生き戦術」または「毒をもって毒を制する戦略」はやがて捨てられた。
怒れる戦士は迂回作戦を軽蔑しはじめ、単刀直入を決意した。
『英霊の声』はこの視角から読まねばならぬ作品である。

林房雄
「悲しみの琴」より

87 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/22(火) 13:13:07 ID:vSm9LtB3]
三島君の熱望は決して政治概念としての天皇の復活、したがって明治憲法復元論でもなく、ただ左右の全体主義
(共産主義とファシズム)に対抗する唯一の理念としての「文化の全体性と統括者としての天皇」の復活と定立であった。
このような定立が、「古代の夢」は別として、日本の歴史において実現された実例があったかどうかは
論争的として残るが、その試みが幾たびか行われて、多くの忠臣と志士がこの夢に命を捧げたことは事実である。

林房雄
「悲しみの琴」より

88 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/24(木) 00:48:42 ID:U65Krvwr]
水島総(チャンネル桜)は似非保守(1/2)
www.youtube.com/watch?v=6fFPc4o2Mng
水島総(チャンネル桜)は似非保守(2/2)
www.youtube.com/watch?v=vUwdiebOsKQ

89 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/24(木) 00:55:30 ID:oKP3LYxW]
>>85
それは「伝統思想を大切にしないと、伝統思想による復讐がある。」ということで、
世界的に通用する論理ですよ。
家庭内暴力や構内暴力はそういうものの一つで、三島は正しい。

90 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/24(木) 01:20:56 ID:YtqdzuDk]
なぁんで、文学者は極端なの?



91 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/25(金) 00:13:01 ID:TE/Y6EUM]
だってそうしないと売れないし

92 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/25(金) 10:06:08 ID:TwgM+qrw]
「三島先生と一緒に行動を起こし、残った三人のうちの二人古賀浩靖と小賀正義は、自分が楯の会に誘ったんです。
警察に留置されている二人のことをずっと考えました。
(中略)
フルコガ(古賀)とチビコガ(小賀)が出てくるまでは、東京にいるのが義務だと思いました。
彼らが出てきたので、その年の秋、秋田に帰ることになりました。
お金がなかったので、トラックをレンタルして、運転手を古賀と友人が手伝ってくれました。
一日かかって秋田に着き、夜に三人で酒を飲みました。その時、古賀に訊いたんです。
『古賀(ヒロヤン)、ひとつだけ訊きたいことがある、いいか?』
『何だ?』
『十一月二十五日、あすこの現場を出る時、投降して捕まって出る時、どういう気持だったんだ?』
今考えると、バカな質問をしてしまった。自分でさえ頭がまっ白になったのに、彼らがその時のことを
言葉に表現できるはずかない……。気付かなかった」
伊藤邦典(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

93 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/25(金) 10:06:58 ID:TwgM+qrw]
「なかなか答えてくれないから、『あの事件は、何があなたに残ったんだ?』と訊いた。
すると、古賀は、カウンターの上で、ゆっくり右の手のひらをただ上に向け、何かを持つようにした。
古賀はその手をじっと見つめたまま、一言もなかった……。
それが何を意味しているのか理解したのは、一ヶ月か二ヶ月たってからだった。もう声も出なかった。
それは、三島先生と森田さんの、首の重さ……。それを知った時、ふーっと血の気の引くような衝撃に襲われた。
あの人が首を落とし、安置した。古賀だけが首の重さを知っている……。
彼らに事件のことを訊いたのはそれだけ。あとはもう訊けない。
今でも時々会うが、一切そういう話はしない。失礼に当たると思っています。
(中略)
あの行動を凌駕する言葉とか文章、表現はない。
それを残された会員みんな、漠然と確実に持ってしまっているんです」
伊藤邦典(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

94 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/25(金) 10:08:54 ID:TwgM+qrw]
「僕が、どうしてしゃべる気になったかというと、結局、あの事件は、『三島由紀夫』だけが前面に出ているから。
だから、世間の評価というのは、いわゆる作家が起こした結末だというのがほとんどでしょ。
もし、三島先生一人だけだったら、僕はそれは認めるわ。だけど、森田さんが一緒だった。
まるで森田さんなんて、さしみのツマみたいなもんや。
だから、僕はそれが我慢できへんかった。ずっと、今でも、そう思う。
三島先生は、もの凄い追い詰められたと思うの、森田さんに。本当に。
もし森田さんがいなかったら、三島先生、絶対せえへんよ。ああいうことは。思い切れなかったと思う。
違った形でしたかもしれへんけど。自分で腹切って死ぬことはあったかわからへんけどね。
ああいうことはしなかったと思う。うん、すべて森田さんの影響よ、あれは。
森田さんの言動でもわかっていたし」
野田隆史(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

95 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/25(金) 10:10:27 ID:TwgM+qrw]
「…森田さんは『自分でテロするなら、必ず自分の命を絶たなきゃいけない。生き残ったらいけないんだぞ。
そんなヤツいるか?今の日本で、自分の命を賭けてもいい奴がいるか?』そう言った。
森田さんは、その時、もう覚悟できてたし、三島先生について行ったらいいと、自分の命を捨てる覚悟だったんやろうね。
三島先生は、すべて規定済みやった。たぶん野次で、自分の声がかき消されるのもわかってた。
それを上回るようなマイク使ったら、値打ちもない。演説と違うんだから。やっぱし、最後は肉声よ。
明治維新から百年たって、高杉晋作や坂本竜馬がどうだったか、今では我々もわかる。
五十年、百年たって、わかる人がわかればいいのよ。
当時、二十歳前後だった我々は、他のみんながこれからどうして生きようという学生時代に、どうして死のうか
考えてた。それだけの覚悟をしてしまった。それは、森田さんも、我々も一緒だった」
野田隆史(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

96 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/25(金) 10:11:49 ID:TwgM+qrw]
「拘置所にいる時、記録として残しておこうと思った。
日記のような形にしようと思って、それを看守に言ったら、あかんと言われた。
ノートは手に入ったので、洗面所にあった釘で書いた。結局、検閲で見つかって没収されてしまった。
三島先生は、日本は文化概念として天皇陛下がいらっしゃると言われてきた。
『我々の一番の根幹は、天皇を守るか守らないか。これから稲を植えて収穫するのは、天皇家しか
やらないんじゃないか、そういう未来が来るよ、工業化のあげくに……』先生はずっとそう言っていた。
森田さんに対して…忸怩たるものがある…何もできていない…。
しかし、僕をはじめ、みんなも表に出なくていいと思う。本来埋もれていくべきだと思う」
小賀正義、三島由紀夫と共に決起(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

97 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/25(金) 10:13:53 ID:TwgM+qrw]
「森田さんのことを語り合うのは価値があるが、自分たちのことを話すのは間違っていると思う。
先生は偉大な人だから、それは置いて、我々は埋もれていげばいい。埋もれなければならない。
活動したことは価値あることで、先生が『楯の会』という、今までにない団体で行動したのは、時代に夢が
あったからだと思う。今後とも出て来ないだろうし、価値があった。
でも、我々が、楯の会の会員だったということを口にするのは、違うと思う。
森田さん自身、そんなに言ってほしくないと思っているのではないか…。僕は黙って死んで行く…という人だから。
…『森田の精神を後世に恢弘せよ』とは、三島先生と森田さんの、感性を持てということだと思う。
先生があそこまでできたのだから、僕もできるだろうと。それがずっとある…。
自分はそれだけのことをやっている自信はある」
小賀正義、三島由紀夫と共に決起(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

98 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/25(金) 23:37:31 ID:UV0EQVA+]
オナニーゲイ

99 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/26(土) 10:49:44 ID:xXGGo0Nu]
息つくひまなき刻苦勉励の一生が、ここに完結しました。
疾走する長距離ランナーの孤独な肉体と精神が蹴たてていた土埃、その息づかいが、私たちの頭上に舞い上がり、
そして舞い下りています。
あなたの忍耐と、あなたの決断。あなたの憎悪と、あなたの愛情が。そしてあなたの哄笑と、あなたの沈黙が、
私たちのあいだにただよい、私たちをおさえつけています。
それは美的というよりは、何かしら道徳的なものです。あなたが「不道徳教室講座」を発表したとき、私は
「こんなに生真じめな努力家が、不道徳になぞなれるわけがないではないか」と直感したものですが、あなたには
生まれながらにして、道徳ぬきにして生きて行く生は、生ではないと信じる素質がそなわっていたのではないでしょうか。
あなたを恍惚とさせる「美」を押しのけるようにして、「道徳」はたえずあなたをしばりつけようとしていた。

武田泰淳
「三島の死ののちに」より

100 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/26(土) 20:02:58 ID:xXGGo0Nu]
三島は結局、自衛隊市ヶ谷駐屯地を己の死に場所とした。
…多くの自衛隊員の前で演説し、そして腹を切るという壮烈な死の花道として、士官学校、大本営、参謀本部など、
かつて日本陸軍のメッカといわれた市ヶ谷を選んだ。
…三島は隊員に決起を促すため方面総監室を占拠し、総監を人質にするという暴挙に出たが、そのために三島を
恨んだり、非難する声は今でも自衛隊内部では少ない。
事件の当日、会議中に総監室の異状を知った方面総監部三部の防衛班長中村菫正(のぶまさ)二佐は、隊員の通報で
総監室に駆けつけ、幕僚長室から総監室に通じるドアを体当たりで開けて中に飛び込み、振りかざした三島の刀で
右手を二回にわたり斬りつけられる。(中略)
思いもかけなかった刃傷事件の発生に、総監部の各事務室の片隅に警棒が常時置かれるようになったのは、
この事件以降のことである。

原竜一
「熱海の青年将校――三島由紀夫と私――」より



101 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/26(土) 20:04:44 ID:xXGGo0Nu]
(中略)しかし、こんなとんだ災難にあった中村二佐だが、三島を恨もうとはしていない。
「三島さんは私を殺そうと思って斬ったのではないと思います。相手を殺す気ならもっと思い切って斬るはずで、
腕をやられた時は手心を感じました」とあとで語っている。
斬られながらも相手の手加減を感じるなど、剣道を知らない者にはわからないところだが、中村二佐は旧軍の
軍人だから剣道の腕も相当なものがあったのだろう。
自衛隊の良き理解者だった三島について「まったく恨みはありません」と断言した中村二佐はその後、陸幕広報班長、
第三十二連隊長、総監部幕僚副長、幹部候補生学校校長を歴任し、昭和五十六年七月、陸将で定年退官するが、
最後の職場が、かつて三島を教育した久留米の幹部候補生学校だったとは、皮肉な巡り合わせである。

原竜一
「熱海の青年将校――三島由紀夫と私――」より

102 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2009/12/26(土) 23:58:41 ID:xqec7ynW]
           %%%%%%%%%
           %告報生七%
           6|-○-○ |
            |   >  |
            \ ∇ /<自衛隊は決起せよ!
     (っ)    ,,,,l ` γ l,,,,,
      \ \/~~.... |。  ~~ヽ
        \,,/ |   |。田}}\ \
       _    |   |。  |  ゝつ
      |\  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
      |  \               \
      |   | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|

103 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/28(月) 23:17:08 ID:ogNVemXc]
どうも左翼と言うのは2つに分けて考えた方がいいようだ。
ひとつは日本と外国とを問わず差別、侵略、人権侵害に反対する者
もうひとつは日本の差別、侵略、人権侵害には反対するが特定の外国の差別、侵略、人権侵害は無視するか逆に擁護する者
これは反日であっても左翼ではない
本物の左翼なら日本と外国とを問わず差別、侵略、人権侵害には反対するはずだ

104 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/29(火) 15:12:40 ID:j+yqDnA3]
TOKYO MX 12月31日(木)21:00〜23:00放送

大晦日特別番組「如何にせん保守政治」
www.mxtv.co.jp/nishibe/youtube/index.html
www.youtube.com/watch?v=7bau6pGXHNs&feature=player_embedded

特別ゲスト:
元首相・安倍晋三衆議院議員 
平沼赳夫衆議院議員 
野田毅衆議院議員 
西田昌司参議院議員

出演:西部邁 秋山祐徳太子
テーマは、「ニッポンの保守どうする〜保守の再興は如何にして可能か〜」。
大晦日21:00〜2時間にわたり徹底討論いたします。

105 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2010/01/03(日) 19:31:04 ID:0m7XgEbr]
如何にせん 保守政治1/5〜5/5
www.youtube.com/watch?v=CXcJVG3xOdo&hl
www.youtube.com/watch?v=TAEvbDCEftM&hl
www.youtube.com/watch?v=hwraWmd7wpw&hl
www.youtube.com/watch?v=DLM7gy-6fFI&hl
www.youtube.com/watch?v=1zJmETW4G5o&hl

106 名前:名無しさん@3周年 [2010/01/11(月) 00:16:02 ID:dV5kZJkQ]
ゲイ信者ネトウヨw

107 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2010/01/18(月) 15:15:06 ID:2kIeM8mS]
西村幸祐
反日マスコミの真実2010 ―日本を壊す、言論統制と情報封殺システム―
www.amazon.co.jp/gp/aw/d.html/ref=mp_s_a_1?qid=1263791629&a=4775514822&sr=8-1

108 名前:名無しさん@3周年 [2010/01/21(木) 23:19:11 ID:osfuT8XS]
一九六七年(昭和四十二年)春、四十二歳の三島氏は一人で四十五日間、自衛隊に体験入隊し、国防の必要性を感じ、
祖国防衛隊的な組織を作ろうと政治家や財界人に働きかけたのですが成功しませんでした。
三島氏は自ら学生を集め、自衛隊に体験入隊させて祖国防衛隊を作り、のちに「楯の会」という名前を付けました。
三島氏は熱心に働きかけたのに本気にならなかった多くの財界人を見て、「財界人は一見、天皇主義者だけで、
利益のために簡単に変節する連中だ」と絶望していました。

井上豊夫
「果し得ていない約束 三島由紀夫が遺せしもの」より

109 名前:名無しさん@3周年 [2010/01/21(木) 23:21:59 ID:SoxrR001]
今朝の味噌汁、美味しゅうございました。

110 名前:名無しさん@3周年 [2010/01/21(木) 23:22:23 ID:osfuT8XS]
三島氏は政治活動で最も大切なのは「金銭の出どころ」だと言っていました。
約百名とはいえ、「楯の会」運動を続けるための費用はすべて三島氏個人が負担しており、外部に寄付を
依頼することはありませんでした。
三島氏の事件から六年後の一九七六年(昭和五十一年)に明るみに出た「ロッキード事件」では、
「自称愛国者」児玉誉士夫氏は米国ロッキード社と田中角栄首相のパイプ役として働き、アメリカ側から
巨額の謝礼を受けていたことが判明し、愛国者の仮面を剥がされました。
三島氏は大卒の初任給が五万円以下の時代に、年間八百万円もの私財を「楯の会」のために使い、外部に資金援助を
一切依頼せず、運動の純粋性を守り通したのでした。
三島氏が自ら自衛隊に体験入隊したあと、「祖国防衛隊構想」を財界人に説いて回ったそうですが、資本家たちは
一見「天皇主義者」のように見えても、自己の経済的利益のためなら簡単に裏切る人々だと実感したそうで、
以後、財界の資金援助を受けようとはしませんでした。

井上豊夫
「果し得ていない約束 三島由紀夫が遺せしもの」より



111 名前:名無しさん@3周年 [2010/01/21(木) 23:24:14 ID:osfuT8XS]
「楯の会」はたった百名の小さな組織でしたが権力に媚びることなく、既成右翼との接触もなく終わったのは
資金の出どころが明確だったおかげだと思います。
三島氏の金銭に対する考え方は清潔で、納税することは国民として当たり前で、「自分の払った税金が自衛隊の
戦闘機のタイヤ一本分くらいになっていると思うと嬉しく思うし、税金は安いくらいだと思う」と言っていました。
以前に瑶子夫人からお聞きしたところによると、インドへ旅行した折に大理石の美しいテーブルを見つけ、
名前を入れてもらう約束で注文したらしいのですが、奥さんが半額だけ現地で払い、残りは商品が着いてから
払えばと勧めたのに、「僕はそんなのは嫌だ」と言って全額を現地で払ったそうです。注文後、一年ほど商品が
着かず、奥さんは心配したそうですが、無事到着し、今も南馬込の三島邸の庭先に置かれていると思います。

井上豊夫
「果し得ていない約束 三島由紀夫が遺せしもの」より

112 名前:名無しさん@3周年 [2010/01/25(月) 10:10:52 ID:RUJYmaZV]
www.melma.com/backnumber_149567_4742946/
櫻チャンネルの社長でもある、水島総さんの文章で、三島さんに関する部分を紹介したいと思います。
水島さんは、今は亡き三浦重周・元三島研究会事務局長の追悼文も書いておられますが、心のこもったもので、今読み返しても心が震えます。
(引用開始)
「私の座右の銘のひとつに、「duruchhalten」(持ちこたえること)というドイツ語の言葉があります。これは私の尊敬するドイツの作家トーマス・マンが座右の銘にしていた言葉です。

ドイツ精神を最も体現している作家と言われるトーマス・マンは、第一次世界大戦が勃発すると、英仏側とドイツとの戦いを英仏「文明」とドイツ「文化」の戦いだとして、敢然と祖国ドイツの側に立って論陣を張りました。
その論文「非政治的人間の考察」(筑摩書房刊)は、三島由紀夫をはじめとして多くの日本の作家に深い影響を与えました。
 かく言う私もそうでした。
三島の『文化防衛論』を後で読んだ時、これはマンの焼き写しなのだという印象を持ったものでした」

113 名前:名無しさん@3周年 [2010/01/25(月) 10:12:15 ID:RUJYmaZV]
(中略)
「より大きな歴史の視点に立てば、ルネッサンスから始まった「人間中心主義」と言われたヨーロッパ近代が、決してギリシャ文明の本物の復興なのではなく、
偽物の「文芸」復興であり、その結果として、既にヨーロッパ近代主義が行き詰まり、終焉を迎えているという痛苦な認識でした。
二つの世界大戦の中で、滅びゆくヨーロッパ世界を小説を通して世界に告知し、そして「持ちこたえ」「ドイツたること」が普遍的な人類と世界の再生へ続くことを、マンはいくつかの作品群によって表わしました。
その痛切な思いと思想的苦闘を小説にした名作が、「魔の山」「ヴェニスに死す」「トニオ・クレーゲル」でした。
「魔の山」では、スイスの結核サナトリウムにおいて、主人公がヨーロッパのあらゆる近代思想を体現する人々と出会いますが、ある日、世界大戦の勃発によって、それらのヨーロッパ近代思想がことごとく破産し、吹き飛ばされるのを知ります。


114 名前:名無しさん@3周年 [2010/01/25(月) 10:13:38 ID:RUJYmaZV]
「魔の山」のラストは美しく悲しい場面です。
兵隊姿の主人公が、散兵戦の中を突撃していくのです。爆弾や銃弾が炸裂する中、走り、転び、立ち上がり、また走り出す、そんな主人公が突撃しながら何かを歌っていますが、
それはシューベルトのリンデンバウム(菩提樹)の歌でした。

 泉に添いて 茂る菩提樹
 慕いゆきては 美し夢見つ
 幹には彫(え)りぬ 懐し言葉
 嬉し悲しに 問いしその影

 今日もよぎりぬ 暗き小夜中
 真闇に立ちて 眼閉ずれば
 枝はそよぎて 語るごとし
 来よ いとし友 此処に幸(さち)あり

 面をかすめて 吹く風寒く
 笠は飛べども 捨てて急ぎぬ
 遥か離りて たたずまえば
 なおも聞こゆる 此処に幸あり
 此処に幸あり

死の散兵戦の中で、倒れていく戦友の姿を横で感じながら、主人公は突撃を続けます。
それはまさに溶解し始めた世界の中で、何としてでも生きよう、生き抜こうと戦うドイツの姿、人類の姿でした。
「わたしたちはどこにいるのだろう?あれはなんだろう? 夢に運ばれてわたしはどこへ流れついたのだろう?」 (「魔の山」より)

115 名前:名無しさん@3周年 [2010/01/25(月) 10:14:36 ID:RUJYmaZV]
「魔の山」最後の一文を紹介します。

 「この世界的な死の祭典からも、雨にぬれた夕空を焼き焦がしている悪性の熱病のような猛火からも、いつの日か愛が生まれてくるのだろうか?」

今の日本の状況について、私もこれに似た感覚を抱いています。
「魔の山」は二つの大戦の間に書かれた小説ですが、私達人間の精神的危機は、いまだ全く解決していないのです。

私たち日本人もまた、今、それぞれの草莽が日本解体の散兵戦を戦っているような気がします。私達にとってのリンデンバウム(菩提樹)は、一体何でしょうか。
 それは「日本」です。
日本の皇室であり、日本の伝統文化です」
(引用止め)

 水島さんを駆り立てているものは何か?
それが解った気がします。                
   (深井貴子)

116 名前:名無しさん@3周年 [2010/01/27(水) 22:24:40 ID:qSSwcn2e]
西郷隆盛と蓮田善明と三島由紀夫と、この三者をつなぐものこそ、蓮田の歌碑にきざまれた三十一文字の
調べなのではないか。西郷の挙兵も、蓮田や三島の自裁も、みないくばくかは、「ふるさとの駅」の
「かの薄紅葉」のためだったのではないだろうか。
滅亡を知るものの調べとは、もとより勇壮な調べではなく、悲壮な調べですらない。
それはかそけく、軽く、優にやさしい調べでなければならない。
なぜならそういう調べだけが、滅亡を知りつつ亡びて行くものたちのこころを歌いうるからだ。

江藤淳「南州残影」より

117 名前:名無しさん@3周年 [2010/01/28(木) 22:07:04 ID:ebTZDE1D]
三島は殺傷の目的でやったとは思わぬ。これは覚悟の事件でおそらく自分の考えていることを完結させる必要上、
三島から言わせれば義挙の正当防衛として妨害を排除したのであろうと私は想像する。彼は非常な愛国者であって、
日本文学の声価を国際的にも高めているし、ともかく非常に天才的な作家であるということを考えて、三島君のものは
出来るだけ読むようにしている。私が三回会ったときの印象では文武両道の達人だという印象をもったが、特に
愛情の厚い人だということを非常に感じた。

中曽根康弘
三島裁判の証言より

118 名前:名無しさん@3周年 [2010/01/28(木) 22:08:17 ID:ebTZDE1D]
実は新聞記者に内閣の考えを出せと執拗に責められたが、内閣側は黙して語らずで、官房長官もなんの発言も
しなかった。自分としてもこれはむしろ内閣官房長官が談話を発表すべきものであると思うが、止むを得ず
自分が新聞記者会見をやった。そして排撃の意思を強く打ち出したのだ。
誤解のため鳴りつづけの電話その他で、随分ひどい目に会った。
三島君が死を賭してもやらなければならんという問題については、私自身もかなり政治家としてショックを受け、
率直に申してその晩は実は一睡もしなかった状態であった。(中略)
もし実際に運動を起して蠢動するような部隊が出てきたら大変なことになると思い、断固としてあえて強い
語調の言明をしたというのが私の心境だ。

中曽根康弘
三島裁判の証言より

119 名前:名無しさん@3周年 [2010/01/28(木) 22:09:08 ID:ebTZDE1D]
訴えんとするところは理解できるが、その行動は容認できない。三島君らの死の行為の重みに対しては、我々が言葉で
とやかくいってもとても相対しうるものではないと私は思う。やはり死ということは非常に深刻厳粛なることと思う。
これに対し口舌を尽すことは好まない。しかし他面死を以て行なった行為に対して、彼はなにかを我々に
言わせようと思って死んだのかもしれない。それを黙っているということは、死という重い行為に相対するに
適当なりやという煩悶も実はあるわけで、あれこれ私は熟慮の末、この法廷に出てきたのだ。
死は精神の最終証明である。たましいの最終証明は死である。精神というものは死ぬまで叫びつづけて
いなければならない。たとえ少数であろうとも。むなしいことかも知れないが、すぐはききめがないにしても、
歴史の過程において聞いてくれる人は出るだろう――そういう期待でやったのではないかと私は把握した。

中曽根康弘
三島裁判の証言より

120 名前:名無しさん@3周年 [2010/01/28(木) 22:10:00 ID:ebTZDE1D]
三島事件とは美学的な事件、芸術上の事件ではなく、一個の思想上の事件であって、日本の思想史の上からみても
あとをひく問題になる。我々はやはり正直にそれを受けとめて、おのおのこの問題を自分で精神的に解決して
いかなければならない問題である。やった人間個人をにくむ気持はない。三青年(楯の会の)も別に情状酌量や
刑期の短縮を考えている人間ではないだろうと思う。私も情状酌量してくれとかなんとかいうことは申しません。
ただ彼らがなんでやったかということだけは十分に調べて正確に判断し、後世に示していただきたい。
檄の内容については、彼自身の祖国愛、一種の理想主義というか不易な精神、歴史的理想主義をここで鮮明にして
世を覚醒しようとした気持はわかる。我々も、これを十分にかみしめ消化すべきで、我々はこのことを回避したり
ごまかしたりしてはいけない。三島君は吉田松陰の
『かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂』、そういう気持でやったのだと思う。
私は彼と考えは違うけれどもその行動自体を憎む気持よりも、むしろいたわりたい気持だ。

中曽根康弘
三島裁判の証言より



121 名前:名無しさん@3周年 [2010/01/30(土) 11:22:49 ID:p1Kwh76D]
【西田昌司】「小沢、鳩山は脱税・脱法を平気でする政治家だ!」
www.youtube.com/watch?v=Aynwj7Xadh8&hl

西田昌司さんの「小沢問題と民主党の対応」1〜4
www.youtube.com/watch?v=Rensy2EvgJs&hl
www.youtube.com/watch?v=JuVNZT03GJ8&hl
www.youtube.com/watch?v=Sx4Yz_3Ud00&hl
www.youtube.com/watch?v=N7_t_07Pu9Y&hl

122 名前:名無しさん@3周年 [2010/01/31(日) 20:36:55 ID:OF4H8RBe]
2.2 「頑張れ日本!全国行動委員会」結成大会
       & 日本解体阻止!外国人地方参政権阻止!全国総決起集会

平成22年2月2日(火)  於・日比谷公会堂

13時00分  開場
14時00分  第一部 「頑張れ日本!全国行動委員会」 結成大会
17時00分  第二部 「頑張れ日本!全国行動委員会」 日本解体阻止!外国人地方参政権阻止!全国総決起集会
20時00分  終了

主催
頑張れ日本!全国行動委員会(準備委員会)
草莽全国地方議員の会
日本文化チャンネル桜ニ千人委員会有志の会

www.ch-sakura.jp/topix/1360.html

123 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/03(水) 16:24:34 ID:fP7sCvQa]
【英霊慰霊顕彰】政治の変貌と靖国神社[桜H22/1/27]
www.youtube.com/watch?v=Wwjzto9igG0&hl

124 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/05(金) 19:14:09 ID:VshIxXNG]
あの美輪明宏と関わりがあるのは知ってたが・・・

125 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/07(日) 11:02:29 ID:WuiwCqnG]
「日本語の堪能な留学生が入ってくる」というので、室の者全員が待機していると、
「平岡です。よろしくお願いします」といって現れたのが、何と三島氏だった。昭和四十二年四月十九日のことだった。
彼は、久留米の陸上自衛隊幹部候補生学校で、その春防衛大や一般大学を卒業して入校したばかりの候補生を視察した後、
我々が教育を受けている富士学校普通科上級課程に「戦術の勉強をしたい」との目的で途中から加わってきたのだった。
…誰もが三島氏の研修目的を詮索したり、文学や芸術の話を持ち出したりすることもなく、ひとりの友人として
自然に接したせいか、すぐに打ち解け、室の雰囲気は一段と明るくなり、女性談義に花を咲かせたりした。
私はこの室の室長兼班長だったが、これに加え三島氏の対番学生(学友として寝食を共にしてお世話する係)を命ぜられた。

菊地勝夫
「三島氏の感激と挫折」より

126 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/07(日) 11:04:09 ID:WuiwCqnG]
教場では平岡学生と私は一番後方の長机に並んで座り、教官から出される問題を一緒に考えた。
…三島氏は問題の意味するところや私が作る案の内容の細部を真剣に聞き、自分でも「連隊長の作戦命令の方針」を
起案して発表したこともあった。彼の案は、自衛隊の専門用語や文書の形式にとらわれていない実に力強い雅びな表現で、
固定観念に固まっている我々には、はっとさせられるものがあり、教室の雰囲気を和らげてくれた。
…夜は室で談笑したり、腹筋運動にエキスパンダーを使用したトレーニングをしたり、ある夜は自演の映画
「憂国」をクラスの全員に見せてくれたり、私といっしょに洗濯をしたりした。当時の洗濯はまだ洗濯板に
固形石鹸の時代だったので、固形石鹸をシャツにつけていた三島氏の子供っぽい仕草が今でも目に見えるようだ。

菊地勝夫
「三島氏の感激と挫折」より

127 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/07(日) 11:05:27 ID:WuiwCqnG]
入校後一週間ぐらい過ぎた日に、私と話がしたいというので、彼が原稿を書いたり、東京から来る客と応対したり
するために充てられていた個室で、真剣な話を三時間以上も続けた。
「私は日本男子として国防に参加する名誉ある権利を有する。従って貴方たちは私に教える責任がある」
と彼は切り出し、次々と質問してきた。
その主な質問は、「クーデター」「憲法」「治安出勤」「徴兵制度」「シビリアンコントロール」についてだった。
その真剣さに私は、彼の入隊の本当の目的は、七十年安保に向かって騒然としつつある国内情勢に鑑み、特に
防衛大出身の幹部クラスの考え方や心意気、精密度などを肌で確認することにあったのではなかろうかと思った。

菊地勝夫
「三島氏の感激と挫折」より

128 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/07(日) 11:06:33 ID:WuiwCqnG]
彼はその後、同じ富士学校で教育中の幹部レンジャー課程の学生として自衛隊で最も厳しい訓練を体験し、
爽やかな印象を残して去っていった。
以後、三島氏は「檄」文に表現されたような感激を自衛隊で体験していくことになる。
三島氏は民間防衛を荷う祖国防衛隊を組織する夢を抱き、四十三年春、まず厳選された学生三十名を連れて
富士教導連隊で一ヶ月間の訓練を受けることからはじめた。
自衛隊にとっては三島氏のような知識人に自衛隊を理解してもらうことは歓迎すべきことであり、さらに、将来、
国の広い分野でリーダーとして活躍するであろう大学生の体験入隊は、特に当時の状況から願ってもないことであって、
マスコミによって潰されないように配慮して受け入れたものである。

菊地勝夫
「三島氏の感激と挫折」より

129 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/07(日) 11:10:00 ID:WuiwCqnG]
しかし、全国組織を目指した祖国防衛隊の構想は、政財界の協力が得られずに挫折し、自分の力で世話のできる
少数精鋭の「縦の会」へと展開していく。そして彼は彼なりの情勢分析により、自衛隊が治安出勤する事態が
来ると信じるようになる。「縦の会」は自衛隊の尖兵としてデモ隊に突入し、あるいは皇居に乱入する暴徒に
体当たりで斬り死にするという考えに変わっていったものと思われる。
だが、四十四年の一〇・二一反戦デーの騒乱で、自衛隊の治安出勤は起こりえないと見てとった時、ほんとうの
挫折を味わい、三島氏は自衛隊にとって象徴的な場所で、自衛官たちに心の叫びで訴え、武士の最期を遂げたのだった。

菊地勝夫
「三島氏の感激と挫折」より

130 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/08(月) 22:36:06 ID:pGUxFDMl]
菊地勝夫が自衛隊の代表面をするのはいただけない。
バカを騙して印税稼ぎでもしたかったんだろうがな。




131 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2010/02/08(月) 22:40:10 ID:nBnPyIPO]
image.blog.livedoor.jp/yamazakura777/imgs/2/c/2c1947c6.jpg

(;´Д`)

132 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/11(木) 08:48:21 ID:ahwgjQD/]
>>130
その辺の機微が分からん奴は多いな。
機密を売りにしていた職業の人間が
ペラペラ喋り始めた時は割り引いて考えないと。
秘密は墓場まで持って行くのが諜報に携わるものの義務なんじゃないか?
佐藤優のロシア情報とか佐々淳行の警察情報とか
そのまんま信じてるといいカモになる。
こいつら基本的にただの目立ちたがりなんじゃないかと思う。


133 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/11(木) 08:52:01 ID:ZTkZXv0E]
まあ
長生きすることしか考えなくなったら
旧自民公明政権に何も言えないいんちき政権になるのはガチ

134 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/11(木) 08:54:47 ID:ZTkZXv0E]
革命しようというのが本気の言葉なら
逮捕される
殺される
なんて当たり前と思わないと

逮捕されるのでできましぇ〜ん

所詮民主党なんてそんな程度

135 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2010/02/11(木) 09:52:54 ID:5hZlQhbz]
>>132
>>130
別に菊地氏は諜報に関わる秘密も機密もペラペラ書いてませんが。

136 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/11(木) 15:57:18 ID:ahwgjQD/]
自衛隊の機密が分かっている奴が2ちゃんに書き込みするとは思えない。
といつも思う。


137 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/14(日) 10:55:39 ID:2bPCH8Vd]
「先生は自分が弱かったから、強いものに憧れて、強い人間になりたいということで、鍛え上げたんでしょう」
のちに下士官から将校に昇進するための幹部候補生試験に合格して久留米の幹候生学校で教育を受けているとき、
山内は毎日の授業や実習をおさらいするつもりで、講義の要点をまとめ、その日一日を振り返った反省点などを、
日記を綴るようにノートに書きためていた。
…表紙がすっかり黄ばんだノートの冒頭には、自衛隊の将校になるにあたっての決意がしたためられている。
誰に見せるわけでもなく、自らに言い聞かせるただそれだけのために書いた一文の中で、山内は、三島から
「山内さんはこのような人に見える」と言われて、色紙に『純忠』という言葉を授かったことをしるし、
さらにこうつづけていた。
〈いまも私の宝として、好漢森田必勝君とともに終生先生との思い出を忘れない。忘れることができないであろう。
そして、純忠の言葉通り私も生きたいものだ。〉

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

138 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/14(日) 10:56:04 ID:2bPCH8Vd]
(中略)山内は、あの日、市ヶ谷のバルコニーで「諸君は武士だろう!」と絶叫の響きをにじませながら
訴える三島の声をかき消すように、嘲笑や罵声を浴びせた隊員たちにむしろ「腹が立ち」、「平岡先生を
悪者にしてはいけないということしか頭に浮かばなかった」という。三島への尊敬の念が強まることはあれ
薄まることはなかったのである。
そんな山内も、終生先生との思い出を忘れない、と書きとめたノートのなかで、〈私は先生に会う以前、
三島由紀夫とはつまらぬ小説家であろうと思っていた〉と明かしている。(中略)
それが「尊敬」へと180度変わったのは、生身の三島に触れて、たとえ弱さがあっても、そんな自分から決して
逃げることはせず、むしろ真正面から立ち向かって、より強くなろうとする三島の真摯な姿を間近でみつめてからだった。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

139 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/14(日) 10:56:37 ID:2bPCH8Vd]
ひたむきな三島に心動かされたのは山内ひとりではなかった。体験入隊してきた三島を、時には「平岡ッ」と
本名で呼び捨てにしながら、手加減せず厳しく指導してきた教官や助教も、あるいはともに汗を流し、
隣り合わせのベッドで眠った訓練仲間の学生も、少なくとも私が話を聞いたすべての元兵士たちが口を揃えて、
鍛え上げられた上半身に比べて足腰の弱さが際立つ、三島の中のアンバランスを指摘しながら同時に、三島の
愚直なまでの一途さにすがすがしいものを覚えていた。
要するに彼ら全員が、兵士になろうとして、世界のミシマとは別人のように弱さも含めてすべてをさらけ出した
人間三島に惚れこんだのである。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

140 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/14(日) 10:57:04 ID:2bPCH8Vd]
学生を引き連れた滝ヶ原での最初の体験入隊で、山内や河面と同じく、助教をつとめた江河弘喜は、三島の
人となりについてこう語っている。
「紳士でした。まじめでした。もう真面目そのものでした」
…そして三島の真面目さは、律義と呼びかえてもよいものであることを、江河は自らの体験で知っている。
というより、三島の律義さを、江河は片時も忘れ得ぬしるしとして受け取っているのである。
体験入隊に臨んでいた三島に、江河は或る「お願い」をしていた。近々産まれてくる自分のはじめての子供に
名前をつけてもらえないかと頼んだのである。三島は二つ返事で快く引き受けてくれた。
(中略)いまも江河が大切に保存している三島からの手紙の日付は土曜日の二十五日になっているから、女児誕生の
報せを受けてすぐに筆をとったことになる。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より



141 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/14(日) 10:57:30 ID:2bPCH8Vd]
〈どうしても可愛がりすぎてしまふ第一子は、女のお児さんがよろしく〉と、やはり第一子に女の子を授かった
自身の経験を引きながら、三島は手紙の中で、〈人生最初に得る我児は、何ものにも代へがたく、一挙手一投足が
驚きでありよろこびであり、……天の啓示の如きものを感じますね〉とその感動を素直に綴っていた。
候補としてあげた三通りの名前については、それぞれについて、…(略)…〈一長一短〉があることを断った上で、
三つの中から〈御自由に〉選ぶように書き添え、さらに別便でいかにも愛らしい淡いピンクと水色の産着を
一着ずつ届けて寄越す、こまやかな心の砕きようであった。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

142 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2010/02/14(日) 10:58:01 ID:ms4cPsSG]
>>1
どんな思想を持っていようが構わんが、死者に鞭を打つ行為は最低だな。

143 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/20(土) 10:13:48 ID:Jq/3fgse]
あの日、一九七〇年十一月二十五日、私は十八歳になった。高校三年生である。(中略)
その日の昼下がりも、窓いっぱいにさしこんでくる柔らかな陽の光につつまれて、私はついついまどろみそうに
なりながら、午後の授業の開始を告げるチャイムが鳴ったのも気づかないほどだった。ほどなくして古文を
受け持っていた教師が教室に入ってきた。微かに東北訛りの残る、穏やかな語り口で、ふだんは授業以外の
余計なことはめったに口にしない人なのだが、この日に限って、教科書をひらく前にこう切り出したのである。
「つい先ほどのことですが、三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊に乱入して割腹自殺を遂げたそうです」
思いもよらないニュースを先生の口から知らされたとたん、教科書やノートをひらきかけていた生徒の動きが
一瞬止まり、次いで教室にどよめきが走った。(中略)
しばらくは教室のあちこちでざわめきが尾を曳いていたが、それも教師が古(いにしえ)びとの歌を朗々と
詠じはじめるうちにしだいに静まっていった。しかし、私はひとり胸の動悸を収めることができずにいた。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」

144 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/20(土) 10:14:25 ID:Jq/3fgse]
こんなところで平安貴族が詠んだ歌について悠長に解釈をあれこれ考えている場合ではないだろう。ともかく
市ヶ谷に行かなければ……。と言って、駈けつけても、何をしようなどという考えがもとよりあったわけではない。
ただ、じっと教室の椅子に座って、授業を受けていることが、いまこの瞬間の過ごし方としてはひどく間が抜けて
いるように思えてならなかった。居ても立ってもいられなかったのである。私は鞄に教科書など一式をしまいこむと、
腰を屈めたままの姿勢で席を離れ、教師が黒板に向かっている隙に教壇の横をすり抜けて出口に向かった。
(中略)私が通っていた都立日比谷高校から市ヶ谷は距離にして二キロ弱、(略)市ヶ谷の駅へと通じる下り坂を
下りるにつれて、上空を旋回するヘリの爆音が二重三重に輪をかけて大きくなっていく。外濠にかかる橋を渡り、
駐屯地の前に出ると、正面ゲートだけでなく、ヤジ馬が鈴なりになった周囲の歩道にも制服警官や機動隊員が
多数配置され、あたり一帯は異様な空気につつまれていた。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

145 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/20(土) 10:14:56 ID:Jq/3fgse]
私はただその場から立ち去りがたいという思いに引きずられて小一時間ほど佇んでいたが、やがて、あの門の向こうで
三島が自決したんだと自らに言い聞かせるようにいま一度眼を見ひらき、駐屯地の奥を見据えて、脳裏にその情景を
しっかりと刻みこんでから、相変わらず上空をヘリが舞い、(略)騒然とした雰囲気の中、歩いて市ヶ谷から
九段の坂を通り、神保町の自宅に帰った。(中略)
自宅の神棚には、鯛のお頭付きと三越の包装紙につつまれたケーキの箱が供えられていた。家族の誕生日の、
それが我が家の習わしであった。私は、その夜のささやかな祝宴の主賓であったにもかかわらず、鯛にもケーキにも
手をつける気には到底なれなかった。
その日からずっと、私の中で、「三島由紀夫」は生きつづけているような気がする。いまになって思えば、
自衛隊に兵士たちを訪ねて歩く取材をはじめたのも、三島由紀夫抜きには考えられないのだった。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

146 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/20(土) 10:15:31 ID:Jq/3fgse]
私は生涯にただ一度きり、生身の三島を間近にしている。
…私が三島を眼にしたのは、他でもない自衛隊の観閲式においてであった。学校新聞の取材と称して式典への参加を
願い出た高校一年生、十五歳だった私に、防衛庁は各国の駐在式官が陣取った来賓席を用意してくれていた。
肩から金モールを下げ、礼装の軍服に身をつつんだ式官や華やいだ装いの夫人たちに囲まれて席についていると、
式官の一団が突然、「起立!」と号令をかけられたみたいに夫人ともどもいっせいに立ち上がった。私も、
傍らに座る、観閲式に無理矢理つきあわせた級友のTと一緒に思わず立ち上がっていた。式官たちは全員二時の
方向を向いて、手を制帽の眼庇にかざし挙手の礼をとっている。(略)彼らが敬礼を送っている相手は最初は
見えなかったが、相手の動きとともに、敬礼する式官たちの体の向きも変わってゆき、やがて彼らがほぼ真横を
向いたところで、ならび立つ軍服の間から三島が姿をあらわしたのである。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

147 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/20(土) 10:16:07 ID:Jq/3fgse]
細身のスーツを着こなした三島は自らも右手をかざして式官たちの敬礼に応えながら、瑤子夫人を伴って、
私とTが立っている席のすぐ前の席に腰を下ろした。
私の視線は、傍らの駐在式官から挨拶を受け、にこやかに何ごとか語らっている三島に釘付けになっていた。
間近も間近、手を伸ばせば触れるようなすぐそこに、三島由紀夫がいることに私は興奮して、級友のTの肘を
つつきながら、「ミシマだよ、ミシマがいるよ」と熱に浮かされたようにうわごとめいたつぶやきを繰り返していた。
音楽隊が奏でる勇壮なマーチに乗って、陸海空各部隊が一糸乱れず分列行進をしたり、(略)迫力あるシーンは
どれもはじめてじかに眼にするものばかりだったはずなのに、どういうわけか、記憶に灼きついているのは
三島の姿だけなのである。
たった一度だけ三島を眼にした場が自衛隊の式典であり、それから二年あまりのうちに、自分の十八回目の誕生日に
三島が自衛隊で自決を遂げたことは、私の中で不思議な暗号として捉えられた。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

148 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/20(土) 10:18:28 ID:Jq/3fgse]
いつしか私は、三島由紀夫と、自衛隊と、自分自身とを何か運命的なもののように重ね合わせて考えるようになっていた。
(中略)三島は、自衛隊に何を見、何を期待し、何に絶望していったのか。(略)答えがみつかるはずもない
その問いかけを、鈴振るように胸に響かせながら、私もまた自衛隊のゲートをくぐったのであった。
当初私は、三島が丸三年半にわたる自衛隊体験の中では、自衛隊を第一線で支える、もの言わぬ隊員たちの素顔に
間近に接して、彼らの心情に分け入るまでには至らなかったのではないかと思っていた。(中略)
しかし、三島が死に場所に選んだ自衛隊をこの眼で見、全身で感じてみたいと思い、はじめた平成の兵士たちを
訪ねる旅の第一歩からほぼ十五年の年月が流れ、その旅をいよいよ終えようといういまになって、私の眼には、
三島の眼差しの先にあったものがかつてとは違ったように見えてきたのである。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

149 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/20(土) 10:18:54 ID:Jq/3fgse]
(中略)
〈…自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう〉という三島の予言は、その死から四十年近くたったいま、
ますます説得力を帯びた切実な響きで聞こえてくる。そうなってみると、十五年前には迂闊にも気づかなかったことだが、
三島が知っていた自衛隊とは、決して〈武器庫〉や〈階級章〉だけではなかったように思われてきたのである。
死の二ヶ月前、三島は、「楯の会」の会員たちと体験入隊を繰り返し、彼が自衛隊でもっとも長い時間を過ごした
滝ヶ原分屯地の隊内誌『たきがはら』に一文を寄せている。その中で三島は、自分のことを、
〈二六時中自衛隊の運命のみを憂へ、その未来のみに馳せ、その打開のみに心を砕く、自衛隊について
「知りすぎた男」になつてしまつた〉と書いていた。じっさい「知りすぎた」三島は、『檄』にも書きとめた通り、
〈アメリカは眞の日本の自主的軍隊が日本の國土を守ることを喜ばないのは自明である〉という自衛隊の本質を
見抜いていたがゆえに、自衛隊の今日ある姿を予見することができたのだろう。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

150 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/20(土) 10:19:21 ID:Jq/3fgse]
隊員ひとりひとりが訓練や任務の最前線で小石を積み上げるようにどれほど地道でひたむきな努力を重ねようとも、
アメリカによってつくられ、いまなおアメリカを後見人にし、アメリカの意向をうかがわざるを得ない、すぐれて
政治的道具としての自衛隊の本質と限界は、戦後二十年が六十余年となり、世紀が新しくなっても変わりようが
ないのである。
私が十五年かけて思い知り、やはりそうだったのか、と自らに納得させるしかなかったことを、三島は四年に
満たない自衛隊体験の中でその鋭く透徹した眼差しの先に見据えていた。
もっとも日本であらねばならないものが、戦後日本のいびつさそのままに、根っこの部分で、日本とはなり得ない。
三島の絶望はそこから発せられていたのではなかったのか。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より



151 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/20(土) 21:57:34 ID:qKVCFeko]
20日午後5時ごろ、福岡県大木町絵下(えげ)古賀、福岡県警の元警察官、川上二六(にろく)さん(69)が自宅前で拳銃で撃たれた。犯人は5、6発発射し、うち3発が川上さんの右足にあたり重傷。直後にバイクで逃走しており、県警は殺人未遂事件として捜査を始めた。
県警大川署によると、川上さんは自宅前で車から降りたところを撃たれた。大腿(だいたい)部にあたった1発は貫通したという。意識はあり命に別条はない。犯人は帽子をかぶり眼鏡を着用しマスクをしていた。
川上さんは瀬高署勤務を最後に01年に退職。柔道が強かったという。
川上さん宅の隣人の女性は「畑作業の最中にパンパンと連続して4回くらい聞き慣れない音がした。川上さんは人柄も良く、人に恨まれることはないと思う」と話す。女性によると、川上さんは母、妻、娘夫婦、孫らと暮らしている。
現場は西鉄久留米駅から南西に約15キロの住宅街。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

152 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2010/02/21(日) 12:31:25 ID:/BCFFZzs]
[西村眞悟ホームページ・眞悟の時事通信]
小沢一郎のこと
www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=428

153 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/22(月) 12:23:35 ID:kzV19xRp]
……今、四海必ずしも波穏やかならねど、
日の本のやまとの国は
鼓腹撃壌(こふくげきじやう)の世をば現じ
御仁徳の下(もと)、平和は世にみちみち
人ら泰平のゆるき微笑みに顔見交はし
利害は錯綜し、敵味方も相結び、
外国(とつくに)の金銭は人らを走らせ
もはや戦ひを欲せざる者は卑劣をも愛し、
邪まなる戦(いくさ)のみ陰にはびこり
夫婦朋友も信ずる能(あた)はず
いつはりの人間主義をたつきの糧となし
偽善の団欒は世をおほひ
力は貶(へん)せられ、肉は蔑(なみ)され、
若人らは咽喉元をしめつけられつつ
怠惰と麻薬と闘争に
かつまた望みなき小志の道へ
羊のごとく歩みを揃へ、
快楽もその実を失ひ、信義もその力を喪ひ、
魂は悉(ことごと)く腐蝕せられ
年老いたる者は卑しき自己肯定と保全をば、
道徳の名の下に天下にひろげ
真実はおほひかくされ、真情は病み、
道ゆく人の足は希望に躍ることかつてなく
なべてに痴呆の笑ひは浸潤し

三島由紀夫
「英霊の声」より

154 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/22(月) 12:24:28 ID:kzV19xRp]
魂の死は行人の顔に透かし見られ、
よろこびも悲しみも須臾(しゆゆ)にして去り
清純は商(あきな)はれ、淫蕩は衰へ、
ただ金(かね)よ金よと思ひめぐらせば
人の値打は金よりも卑しくなりゆき、
世に背く者は背く者の流派に、
生(なま)かしこげの安住の宿りを営み、
世に時めく者は自己満足の
いぎたなき鼻孔をふくらませ、
ふたたび衰へたる美は天下を風靡し
陋劣(ろうれつ)なる真実のみ真実と呼ばれ、
車は繁殖し、愚かしき速度は魂を寸断し、
大ビルは建てども大義は崩壊し
その窓々は欲球不満の蛍光灯に輝き渡り、
朝な朝な昇る日はスモッグに曇り
感情は鈍磨し、鋭角は磨滅し、
烈しきもの、雄々しき魂は地を払ふ。
血潮はことごとく汚れて平和に澱み
ほとばしる清き血潮は涸れ果てぬ。
天翔(あまが)けるものは翼を折られ
不朽の栄光をば白蟻どもは嘲笑(あざわら)ふ。
かかる日に、
などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし

三島由紀夫
「英霊の声」より

155 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/22(月) 21:34:28 ID:tBz0mSWI]
かっぽれかっぽれ 甘茶でかっぽれ 
ヨイトナヨイヨイ
沖の暗いのに白帆がサー 見ゆる ヨイトコリャサ 
あれは紀の国 ヤレコノコレワノサ
ヨイトサッサッサ みかん船じゃエー 
サテみかん船 みかん船がサー 見ゆる
ヨイトコリャサ あれは紀の国 
ヤレコノコレワノサ ヨイトサッサッサ 
みかん船じゃエー

豊年じゃ万作じゃ 明日は旦那の稲刈りで 
小束にからげてちょいと投げた
投げた枕に 投げた枕に咎はない 
オセセノコレワイサノ 
尾花に穂が咲いた この妙かいな

ねんねこせ ねんねこせ 
ねんねのお守はどこ行った 
あの山越えて里行った
お里のお土産に何貰うた 
でんでん太鼓に笙の笛
寝ろてばよ 寝ろてばよ 
寝ろてば寝ないのか この子はヨー

三島由紀夫
「英霊の声」より

156 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/27(土) 13:25:37 ID:+bAz5g9A]
「強姦で逮捕された在日の一覧表」
koreanscrime.artshost.com/

157 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/28(日) 13:29:10 ID:9mzM357v]
私の貧しい感想が、この本に何一つ加へるものがないことを知りながら、次の三点について読者の注意を
促しておくことは無駄ではあるまいと思ふ。
第一は、もつとも苛烈な状況に置かれたときの人間精神の、高さと美しさの、この本が最上の証言をなしてゐることである。
玉砕寸前の戦場において、自分の腕を切つてその血を戦友の渇を医やさうとし、自分の死肉を以て戦友の飢を
救はうとする心、その戦友愛以上の崇高な心情が、この世にあらうとは思はれない。日本は戦争に敗れたけれども、
人間精神の極限的な志向に、一つの高い階梯を加へることができたのである。
第二は、著者自身についてのことであるが、人間の生命力といふもののふしぎである。
舩坂氏の生命力は、もちろん強靭な精神力に支へられてのことであるが、すべての科学的常識を超越してゐる。

三島由紀夫
「序 舩坂弘著『英霊の絶叫』」より

158 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/28(日) 13:29:38 ID:9mzM357v]
あらゆる条件が氏に死を課してゐると同時に、あらゆる条件が氏に生を課してゐた。まるで氏は、神によつて
このふしぎな実験の材料に選ばれたかのやうだ。(中略)
体力、精神力、知力に恵まれてゐたことが、氏を生命の岸へ呼び戻した何十パーセントの要素であつたことは
疑ひがないが、のこりの何十パーセントは、氏が持つてゐたあらゆる有利な属性とも何ら関はりがないのである。
それでは、ひたすら生きようといふ意志が氏を生かしてゐたか、といふと、それも当らない。氏は一旦、はつきりと
自決の決意を固めてゐたからである。

三島由紀夫
「序 舩坂弘著『英霊の絶叫』」より

159 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/28(日) 13:30:10 ID:9mzM357v]
氏が拾つた命は、神の戯れとしか云ひやうがないものであつた。その神秘に目ざめ、且つ戦後の二十年間に、
その神秘に徐々に飽きてきたときに、氏の中には、自分の行為と、行為を推進した情熱とが、単なる僥倖としての
生以上の何かを意味してゐたにちがひない、といふ痛切な喚起が生じた。その意味を信じなければ、現在の生命の
意味も失はれるといふぎりぎりの心境にあつて、この本が書き出されたとき、「本を書く」といふことも亦、一つの
行為であり、生命力の一つのあらはれであるといふことに気づくとは、何といふ逆説だらう。氏はかう書いてゐる。
「彼ら(英霊)はその報告書として私を生かしてくれたのだと感じた」
(中略)そして氏の見たものは、他に一人も証人のゐない地獄であると同時に、絶巓における人間の美であつた。

三島由紀夫
「序 舩坂弘著『英霊の絶叫』」より

160 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/28(日) 17:06:22 ID:p6x3fZjs]
児童ポルノみたいに善悪の倫理からはずれた
おぞましい異常性欲を肯定するような快楽至上主義者のネトウヨにとっては
このような人物が自分を補完してくれるようで魅力的なんだろうな
あと澁澤龍彦とかも



161 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2010/02/28(日) 17:50:50 ID:9mzM357v]
>>160
よく知らないからって、安易なカテゴリーでレッテル貼りしても、見解がズレてて何の説得力ない煽りでした。


162 名前:名無しさん@3周年 [2010/02/28(日) 21:56:33 ID:Tu1eL+og]
>>161
お前のレッテル貼りの方が安易で醜い。
三島以外の本も読んでみろ。
もっと人に会って人生経験も積め。
責任ある仕事をこなしてみろ。
三島が疎まれる理由の第一はお前のような腑抜けが
自己弁護に利用するからだろうが。


163 名前:俺、左翼だけど三島評価してます [2010/02/28(日) 22:19:21 ID:/JHEzu71]
三島は小説や評論とかの文章でしか知らないけど、
非常に正直で純粋な人だったと思うな。
イメージとは違って、信頼できる人間のような気がするね。

彼の主張はもっともなんだよね。
彼は、戦時中は虚弱で文弱の徒として、いじめられていたんだ。
実際、徴兵も体格虚弱で猶予になるくらいだったんだね。
だから、屈強な同輩や農民たちが兵士として出征していくことに
引け目を感じていたわけさ。
でも、日本の戦争目的は国民としては、支持してた。

ところが、敗戦を境に突然、世間の評価が逆転してしまう。
戦争に負けた、物理的に負けただけで、戦死した同輩たちは犬死なわけ?
彼がそう感じるのはもっともなことだと思う。
その憤りで文弱の徒から右翼、ボディビルダーや剣士になった。

彼は戦場に行けなかったことにこだわった最後の日本兵ってところ。
でも、彼のこだわりは正当だよね。
世間がおかしかったと俺も同意するね。



164 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2010/02/28(日) 22:57:57 ID:9mzM357v]
>>162
またレッテル貼りか。
そういうふうに簡単に知りもしない相手を見下すあんたがもっと人生修業すべきでしょう。
三島読者と聞けばネットウヨとか決めつけるその無知自体があんたの間抜けを晒してますよ。

165 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/01(月) 00:04:39 ID:VVQb4fi/]
ハァ 踊り踊るなら チョイト東京音頭 ヨイヨイ
花の都の 花の都の真中で サテ
ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ

ハァ よせて返して チョイト返して寄せる ヨイヨイ
東京繁昌の 東京繁昌の人の波 サテ
ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ

ハァ 昔や武蔵野 チョイト芒の都 ヨイヨイ
今はネオンの 今はネオンの灯の都 サテ
ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ

ハァ 花は上野よ チョイト柳は銀座 ヨイヨイ
月は隅田の 月は隅田の屋形船 サテ
ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ

ハァ おさななじみの チョイト観音様は ヨイヨイ
屋根の月さえ 屋根の月さえなつかしや サテ
ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ

ハァ 西に富士の嶺 チョイト東に筑波 ヨイヨイ
音頭とる子は 音頭とる子はまん中に サテ
ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ

三島由紀夫
「序 舩坂弘著『英霊の絶叫』」より

166 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/06(土) 11:32:39 ID:FeYqfpKN]
…「三島由紀夫」をきわめて高く評価している。
その理由は拙著『戦後的思考』(1999年)に記した通りで、規定の枚数ではちょっと書けない。
できれば読んでいただきたいが、彼こそが、昭和天皇と戦争の死者の間の「約束違反」と、またそれと自分の関係に
目を向けた、そしてモラルということの初原の感覚を失わなかった、例外的な戦後日本人だったからである。
三島は、戦後の小説家のうち、もっとも「戦後的」な作家だったといってよい。
戦後の天皇制から、一個人として、もっとも外に出ていた。
三島一人がいたお陰で、日本の戦後は道義的に、大いなる茶番の時代となることからかろうじて免れた、
といえるのではないかと思っている。

加藤典洋
「アンケート 三島由紀夫と私」より

167 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/07(日) 01:40:42 ID:i13X0zUa]
…米連邦捜査局(FBI)のロバート・モラー長官は4日、武装勢力や外国政府、犯罪組織が米国の官民のコンピューターネットワークを標的にしており、米国の安全保障への脅威が増していると述べた。
モラー長官は、当地で開催されたインターネットの安全性に関する会合で講演。
「テロリストたちは、ハッキングの技術を得ることに明白な関心を示している。
物理的な攻撃とサイバー攻撃を組み合わせることを念頭に置き、メンバーを訓練するか、もしくは外部から人を雇い入れるだろう」と述べた。
また、特定の国名を挙げることは差し控えたが、一部の外国政府がインターネットを情報活動に使おうとしていると非難。
「テロリストの脅威とは別に、一部の国家はインターネットを政治目的で攻撃の手段として使っているのではないか」と語った。

加藤典洋
「アンケート 三島由紀夫と私」より

168 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/07(日) 12:30:48 ID:WQTseUYd]
深き夜に暁告ぐるくたかけの若きを率てぞ越ゆる峯々 公威書

碑文
自衛隊富士学校滝ヶ原駐屯地、追悼碑

169 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/07(日) 22:15:46 ID:i13X0zUa]
そうです、ワダスが、変なおじさんです 公威書

碑文
自衛隊富士学校滝ヶ原駐屯地、追悼碑

170 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/09(火) 15:29:14 ID:ICqe4lwn]
わたしの考えでは、一九六六年に書かれた「英霊の声」は、日本の戦後にとってたぶんもっとも重要な作品の一つである。
この作品には、作者の分身と目される語り手「私」とやはり作者の分身である霊媒の盲目の美少年が登場し、
帰神(かむがかり)の会で後者の語る死者の声を前者が聞くが、霊媒者となり、二・二六事件と特攻隊の死者の声を
口寄せする青年は、降霊が終わると落命する。見るとその顔はすっかり面変わりしている。
後に明らかにされる三島自身の証言では、青年は死んで昭和天皇の顔になるのである。この作品で三島が言うのは、
自分のために死んでくれと臣下を戦場に送っておきながら、その後、自分は神ではないというのは、(逆説的ながら)
「人間として」倫理にもとることで、昭和天皇は、断じて糾弾されるべきだということ、しかし、その糾弾の主体は、
もはやどこにもいないということである。
戦争の死者を裏切ったまま、戦前とは宗旨替えした世界に身を置き、そこで生活を営んでいる点、彼も同罪である。
糾弾者自身の死とひきかえにしかその糾弾はなされない。
そういう直感が、この作品の終わりをこのようなものにしている。

加藤典洋
「その世界普遍性」より



171 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/09(火) 15:29:39 ID:ICqe4lwn]
ところで、わたしは、日本の戦後に三島のような人間がいてくれたことを日本の戦後のために喜ぶ。
わたしがこう言ったとしてどれだけの人が同意してくれるかわからないが、彼がいるといないとでは、日本の
戦後の意味は、大違いである。
その考え方には、誰もが、もしどのような先入観からも自由なら、こう考えるだろうというような普遍的な
みちすじが示されている。
三島は、日本の戦後のローカルな論理、いわばその「内面」に染まらず、普遍的な人間の考え方を示すことで、
はじめて日本の戦後の言語空間がいかに背理にみちたものであるかを、告知している。
これは、旧ドイツにおけるアンセルム・キーファーなどとほぼ比較可能なあり方であり、もし三島がいなければ、
日本の戦後は、一場の茶番劇になり終わるところだった。

加藤典洋
「その世界普遍性」より

172 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/09(火) 15:30:05 ID:ICqe4lwn]
たしかに彼の作品は、化粧タイルのような人工的な文体を駆使して書かれている。…でも、そのことが、
三島の小説を世界の文脈で見た場合の、「世界の戦後」性にたえる制作物にしている。(中略)
三島は戦前、レイモン・ラディゲの「ドルジェル伯の舞踏会」に夢中になる。でもそのラディゲの作がすでに
第一次世界大戦の戦後文学だった。そのもっとも深い理解者は、あのジャン・コクトーである。
その心理小説に心理がなく心理の剥製があること、しかしそのことこそがその第一次世界大戦の戦後文学で
めざされていること、そしてそのようなものとして、それが三島の戦前と戦後の指標たり続けること。
つまり、人工性はここでは、世界性、現代性の明らかな指標なのである。
「世界の戦後」とは第一次世界大戦の戦後のことであり、「日本の戦後」とは第二次世界大戦の戦後のことである。
この二つは同じではない。簡単に言うなら、前者の戦後で、人と世界は壊れ、後者の戦後で、人と世界は
自分を修復している。

加藤典洋
「その世界普遍性」より

173 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/09(火) 15:30:32 ID:ICqe4lwn]
サルトルの「嘔吐」は第一次世界大戦の戦後文学であって、そこで彼は人が壊れたこと、そこからの回復には
アヴァンチュール(芸術と犯罪)による特権的瞬間しかないことを述べている。
しかしその彼が、第二次世界大戦の戦後になると、アンガジュマンによる人間の回復を唱える。
三島は、戦前のサルトルに似ている。わたし達は、ここでは、そこに二つの戦後の重層(ズレ)があることに
自覚的であるべき、「遅れてきた青年」なのである。
〈ラディゲから影響を受けてゐた時代はほとんど終戦後まで続いてゐた。さうして戦争がすんで、日本にも
ラディゲの味はつたやうな無秩序が来たといふ思ひは、私をますますラディゲの熱狂的な崇拝者にさせた。
事実、今になつて考へると、日本の今次大戦後の無秩序状態は、ヨーロッパにおける第二次大戦後の無秩序状態
よりも第一次大戦後の無秩序状態に似てゐたと思はれる。(「わが魅せられたるもの」一九五六年)〉
こういう洞察がなぜ当時、三島にだけ可能だったか。
そういうことをわたしとしてはいま、改めて、考えてみたいと思っている。

加藤典洋
「その世界普遍性」より

174 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/10(水) 00:09:49 ID:6732s8Nz]
…私の知るかぎり、三島は、ある種の危険を冒しても、ものごとを素直に述べようとする人であり、しかも
その発言は、私にいろいろと考えさせることが多いからである。三島という人は、世評によれば、それこそ
海千山千のしたたかな才子であるのかもしれないが、私はほとんどそうは思わない。
私見はいつか三島由紀夫伝めいたもので述べたことがあるが、私は三島を(国木田独歩流にいえば)一種の
「非凡なる凡人」としか考えたことはない。そして、そういう愚直な人物の正直な発言というものは、近頃では
稀少価値をさえもっているのではないかと思う。自分の眼で、自分の直覚でものごとをとらえることのできる人間は
(少なくとも、もの書きの世界では)だんだんと少なくなっているのではないかと私はひが目で見ているのだが、
三島はそうでない人物の一人に見えるからである。そして、そういう人物の書いたり、したりすることは、
私などにはいつも共感と刺激の種になるからである。

橋川文三
「美の論理と政治の論理」より

175 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/10(水) 00:10:31 ID:6732s8Nz]
私は、研究室で突然三島の死を聞いたとき、どういうわけかすぐに連想したのは、高山彦九郎であり、神風連であり、
横山安武であり、相沢三郎などであった。
これらの人々の行動はいずれも常識を越えた「狂」の次元に属するものとされている。この「狂」の伝統が
どのようにして、日本に伝えられているのか、それはまだだれもわからないのではないだろうか。ただ、すべての
「異常」な行動を「良識」によって片づけることは、これまでの日本人の心をよくとらえ切っていない。日本人は、
否、人間は、自分の内部の「狂」をもっと直視すべきではないだろうか。
三島は私の知るところでは非常に「愚直」な人物である。私のいう意味は、幕末の志士たちのいう「頑鈍」の
精神であり、私としてはほめ言葉である。(中略)
私は三島をノーベル賞候補作家というよりも、その意味では、むしろ無名のテロリスト朝日平吾あるいは
中岡良一などと同じように考えたい。

橋川文三
「狂い死の思想」より

176 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/10(水) 23:08:17 ID:6732s8Nz]
私と彼とは文体もちがい、政治思想も逆でしたが、私は彼の動機の純粋性を一回も疑ったことはありません。
(略)最近の彼は、私など好きでなかったかもしれないが、そんなことは一向にかまいません。むしろ、彼に
嫌われるやりかたで、私は、彼を好きのままでいてやりたいと思います。

武田泰淳
週刊現代増刊・三島由紀夫緊急特集号のコメントより

177 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/10(水) 23:08:55 ID:6732s8Nz]
三島は高度の知性に恵まれていた。
その三島ともあろう人が、大衆の心を変えようと試みても無駄だということを認識していなかったのだろうか。
…かつて大衆の意識変革に成功した人はひとりもいない。アレキサンドロス大王も、ナポレオンも、仏陀も、
イエスも、ソクラテスも、マルキオンも、その他ぼくの知るかぎりだれひとりとして、それには成功しなかった。
人類の大多数は惰眠を貪っている。あらゆる歴史を通じて眠ってきた…(略)大衆を丸太みたいにあちこちへ
転がしたり、将棋の駒みたいに動かしたり、鞭を当てて激しく興奮させたり、簡単に(特に正義の名を持ち出せば)
殺戮に駆りたてることはできる。しかし、彼らを目ざめさせることはできない。

ヘンリー・ミラー
週刊ポストへの特別寄稿より

178 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/11(木) 01:52:02 ID:ozUtv4tL]
10日午後4時30分頃、大阪市北区芝田の複合商業施設「北野阪急ビル」(通称DDハウス)地下1階にあるインターネットカフェの店員から、「シャワー室に客が入ったまま、カギが開かない」と119番があった。
市消防局の救急隊員がシャワー室で客の男性が死んでいるのを発見。室内から硫化水素0・5ppmを検出したため、客と店員計約140人を避難させた。
同じ階にある別の8店の客らも、ビル関係者が避難誘導した。硫化水素は人体に影響がある濃度ではなく、けが人などはなかった。現場は阪急梅田駅北側にある繁華街で、一時騒然となった。
曽根崎署によると、死亡していたのは大阪府池田市内の大学2年の男性(24)。タオルをドアノブにかけて首をつっており、同署は自殺とみている。
男性のそばに薬剤などはなく、同署は汚水などから発生した微量の硫化水素を検知した可能性が高いとしている。硫化水素は10ppmを超えると人体に影響があるという。
市消防局は「微量の検出ではあったが、念のために避難させた」としている。
当時、ネットカフェ内にいた兵庫県尼崎市内の会社員男性(50)は「店員がすごいけんまくで『すぐに出てください』と言ってきた。ガスマスクをつけた消防隊員が入って来て、尋常じゃない雰囲気だった」と驚いていた。

加藤典洋
「その世界普遍性」より

179 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/11(木) 01:57:51 ID:7ShIC8sN]
なんで三島スレって
どこでもこうなわけ?

180 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/11(木) 01:58:55 ID:aqk4ldG3]
日本右傾許さない! 右翼論破してやる! 保守論破してやる! ネトウヨ論破した!! 左派勝つ!!














namidame.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1268147146/l50



181 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/11(木) 19:41:38 ID:vZRIOHYN]
一人で的はずれな三島擁護とコピペ連投をする粘着バカがいる。まで読んだ。

182 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/11(木) 23:45:18 ID:T+RQC2LV]
三島さん、あなたがこの世を去られてから、ちょうど二十年の歳月が流れました。長いようでもあり、
短いようでもあります。
二十年前、あなたのあの壮烈な死の直後、私はこの「題名のない音楽会」であなたへの弔辞を捧げました。
そのなかで私はこう言いました。
「三島さん、あなたが自らの死によって訴えたかったこと、それはあの檄文の最後にある言葉
『我々の愛する歴史と伝統の、国日本を日本の真の姿に戻そう。生命尊重のみで魂が死んでもいいのか。』
この言葉にあなたの思いは集約されていると私は思います。
最後のバルコニーの演説でも冒頭にあなたはこう言っている。
日本は経済的繁栄に現を抜かして精神的には空っぽになってしまった。君たち、それがわかるか、と。
自衛隊の存在も含めて潔癖なあなたは政治的ごまかしを許すことができなかった。

黛敏郎
平成2年11月25日「題名のない音楽会」より
ワグナー「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死(演奏 東京フェスティバルオーケストラ)

183 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/11(木) 23:46:04 ID:T+RQC2LV]
現在の日本が世界に冠たる経済的繁栄を誇りながら、それに反比例して政治の腐敗とごまかし、精神の不在と荒廃、
人間の疎外と断絶、こういった憂うべき事態を深めつつあることは心ある人々の認めるところでしょう。
明治の文明開化以来、西欧流の物質主義が日本文化を支える精神主義を危殆に瀕せしめている。
あなたが自ら畢生の大作と呼んだ最後の作品「豊饒の海」であなたは唯識論と輪廻転生という東洋の思想を踏まえて、
この風潮に文学的というよりはむしろ哲学的な鉄槌を下している。あの作品の最後の部分で主人公が蝉時雨の
降るような尼寺で、意外な結末に茫然と立ち尽くすあたりはまさに無の境地としか言えません。
文学ならば無で済みます。しかし、現実はそれでは済まない。
あなたは自らの命をわざわざ人が犬死にと評するような一見、愚劣な方法で劇的に絶つことにより、
心ある人々に一大衝撃を与えた。まさに皮肉で逆説好きな、いかにもあなたらしい芸術的なやり方でした。

黛敏郎
平成2年11月25日「題名のない音楽会」より
ワグナー「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死(演奏 東京フェスティバルオーケストラ)

184 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/11(木) 23:46:45 ID:T+RQC2LV]
あなたがもし、政治家だったとしたら、こんな方法は絶対にとらなかったでしょう。
あなたが意図したことはだから、自衛隊に決起を促すクーデターではなかった。心ある人々の魂にぐさりと
突き刺さる精神のクーデターだったのです。
(間)♪♪♪♪♪
三島さん、二十年前、あなたがあの壮烈な死を遂げられた直後、私は「題名のない音楽会」でいま言ったような
弔辞を捧げました。そして、あなたが自らの死を以て暗示してくれた精神的クーデターは近い将来、必ず
起こるはずだから、どうか、あなたのこよなく愛したこのワグナーを聴きながら、幽明境を異にした天界で
日本の将来を期待とともに見守っていて下さい、このようにお願いをしました。
それから二十年。日本は変わったでしょうか!残念なことに、本当に残念なことに少しも変わってはいないのです。
あなたが、死を賭して訴えた自衛隊の問題にしても未だに決着はついていません。三島さん、あなたの名前は
今でも一種のタブーです。あなたの数々の作品は芸術的には高く評価され、あなたの才能を疑う人間はいないけれど、
あなたの思想は依然として危険視されています。

黛敏郎
平成2年11月25日「題名のない音楽会」より
ワグナー「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死(演奏 東京フェスティバルオーケストラ)

185 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/11(木) 23:47:30 ID:T+RQC2LV]
いまの日本は、二十年前、あなたがいみじくも予言した通り
「私はこれからの日本に希望が持てない。このままいったら日本は無くなってしまう。そのかわりに無機的な、
空っぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済的大国が極東の一角に残るだろう。
それでもいいと思っている人たちと私は口をきく気にもなれない。」
こういったあなたの言葉通りが現実なのです。本当に残念なことです。
三島さん、あなたがいなくなってからの二十年は、あなたが望んでいたような二十年ではありませんでした。
また、これから先の日本が果たしてどうなるのか、誰にも予断はできません。しかし、今までの二十年と同じく
あまり期待のできない将来であることは、おぼろげながら予測できそうです。ともあれ、いま、幽明境を異にした
あなたに私ができることといえば、あなたの好きだったこの曲を捧げることくらいでしょう。
この曲がうたっている死とはかり合えるほどの重さを持った愛の尊さをあなたと一緒にかみしめましょう。…

黛敏郎
平成2年11月25日「題名のない音楽会」より
ワグナー「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死(演奏 東京フェスティバルオーケストラ)

186 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/13(土) 00:28:15 ID:pDPmhaaj]
2010-01-16 13:29:12

晴れたね


午前中
あったかいうちに


鎌倉の
鶴岡八幡宮に行ってきたよ〜

(´ー`)

混んでた〜!


でもぎんなんやさん
気になる気になる

ぎんなん食べたかった〜


ぎんな ーーーーん!

黛敏郎
平成2年11月25日「題名のない音楽会」より
ワグナー「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死(演奏 東京フェスティバルオーケストラ)

187 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/18(木) 23:06:45 ID:/EM7lcUY]
三島由紀夫氏に初めて会ったのは昭和二十二年である。
三島氏の学習院時代の師であった豊川登氏の紹介によるものであった。当時、三島氏は渋谷に住んでいた。
初対面で心をうったのは彼の母倭文重さんの美貌だった。実に気高く美しい婦人だなあと思った。そして
三島氏が発した言葉で今もはっきり覚えているのは、「おかあさま、お客さまにお紅茶をお願いします」であった。
そしていろいろ語り合ううちに、「伊沢さんは保田与重郎さんが好きですか、嫌いですか?」との質問だった。
私は直ちに、「保田さんは私の尊敬する人物です。しかし、まだお目にかかったことはありません。御著書を
読んでいろいろ教えられている次第です。戦後、保田さんを右翼だとか軍国主義だとか言って非難するものが
ありますが、私はそのような意見とは真向から戦っています。保田さんは立派な日本人であり文豪です」と答えた。

伊沢甲子麿
「思い出の三島由紀夫」より

188 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/18(木) 23:08:27 ID:/EM7lcUY]
三島氏は嬉しそうな顔をして「私は保田さんをほめる人は大好きだし悪く言う人は大嫌いなのです。今、
伊沢さんが言われたことで貴方を信頼できる方だと思いました」と言われたのである。これを御縁として、
しばしば面談するようになった。当時、三島氏は大蔵省の若手エリート官僚であった。そのため私は大蔵省へ
時おり三島氏に会うために通うようになった。
私は若手のエリート官僚に友人が何人か居たが、三島氏の立派な人格には心から惚れこんでしまったのである。
何しろ三島氏は天才的な作家であり東大法学部出身の最優秀の官僚であり乍ら、いささかも驕りたかぶるところがない
謙虚な人柄であった。そして義理と人情にあつい人であるということがわかったのである。
つき合えばつき合うほど尊敬の念が湧いてくるのであった。東大出の秀才というのは思い上った人間がよくいる
ものだが、三島氏には全くそのようなところがなかったのである。
伊沢甲子麿
「思い出の三島由紀夫」より

189 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/18(木) 23:10:03 ID:/EM7lcUY]
この人は作家として偉大であるのは勿論だが、人格者として最高の人だと、つき合えばつき合うほど思うように
なっていった。その後、毎月のように三島氏と私は食事を共にし語り合ったのだ。(略)それと共に三島氏の
要望により私は歴史と教育に関する話をいろいろとするに至った。特に歴史では明治維新の志士について。
中でも吉田松陰や真木和泉守の精神思想を何度も望まれて話した。話と同時に松陰の漢詩と真木和泉守の辞世の和歌を
三島氏の強い頼みで私は朗吟したのである。三島氏は松陰や真木和泉守の話を私が始めると、和室であったため
座布団をのけて正座してしまうのだった。私も特に吉田松陰の最期の話をする時などは情熱をこめ、時には涙を
浮かべて語ったものである。三島氏は吉田松陰の弟子たちに贈った「僕は忠義をするつもり諸友は功業をなすつもり」
という言葉が大好きになったようだった。

伊沢甲子麿
「思い出の三島由紀夫」より

190 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/18(木) 23:10:59 ID:/EM7lcUY]
その外では西郷隆盛の西南の役の話や、また尊皇派の反対の佐幕派の人物である近藤勇や土方歳三の話も何度となく
望まれて語った次第である。特に近藤勇は三島氏の祖母の祖父である永井尚志が近藤勇とは心を許し合った
友人であったため、深く敬愛の情を寄せていた様である。ついで乍ら記せば、永井は幕府の若年寄という重要な
地位にいた人で、アメリカの外交官であるハリスが尊敬の念を抱いていた程の欧米の事情に通じていた人物であった。
そのため後に私が主宰して行った近藤勇死後百年祭に真っ先に参加してくれたのだった。
三島氏が私に語った言葉で今も忘れられないのは、「私が日本を愛したのは源氏物語の世界だった。それが
伊沢さんとつきあう様になり幕末の志士たちの精神を知り、今は吉田松陰をはじめとする志士の世界に心が
入るようになった」ということである。

伊沢甲子麿
「思い出の三島由紀夫」より



191 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/18(木) 23:13:05 ID:/EM7lcUY]
また或るとき私が、「三島さん、尊皇攘夷でなければならん。現代でも外国の思想によって、どれだけ日本人の
心が汚されているか計り知れないものがある。外国のいいところは進んで取り入れなければならないが、
功利主義の外国思想は打ち払わなければならないので、攘夷の精神を現代こそ日本人は堅持しなければならない」
と言うと三島氏は「その通りだ、あなたの意見に全く賛成だ」と言ってくれたのであった。
三島氏は死ぬ数年前から小説家三島由紀夫ではなく尊皇憂国の志士となっていたのである。三島氏の母の
倭文重さんは、この点をはっきり認めていた。三島氏が自決したことは日本だけでなく世界の文化にとっても
残念なことであるが、尊皇憂国の志を貫かんとしたので止むを得なかったのであろう。
偉大なる三島、高貴なる三島、この様な人は二度と現われてこないであろうと思う。
だが、悲しい、三島が死んだことは悲しい、今も生きていて呉れていたらいいなあと思う次第だ。

伊沢甲子麿
「思い出の三島由紀夫」より

192 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/20(土) 02:08:05 ID:ScaGZQu7]
G・ヴェネチアーノ、ポルチンスキー、べケンスタインなど多くの一流の学者達が現代宇宙論に関して
解説してくれています。内容は暗黒物質、多重宇宙、ホログラフィック宇宙など大変豊富で、宇宙物理
研究の最先端(理論が殆どですが)がどのようなものかよく分かります。よくこれだけ一流の学者達が
素人向けにそれぞれの研究分野について解説してくれたなという印象が大変強く、貴重な雑誌だと感
じています。宇宙創生などに興味がある方にとっては大変充実した内容だと思います。

伊沢甲子麿
「思い出の三島由紀夫」より

193 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/24(水) 14:15:11 ID:1XcRX/CH]
三島由紀夫が透徹した認識の目を持っていたことは、彼を知る人ならば誰もが認めるだろう。例えば動物に
対する描写を取ってみても、その異様に鋭い認識能力が垣間見れる。(引用略)
言葉を喋らぬ一個の生命に対して、これほどその根源に迫れるほどの認識能力を持っているなら、人間を洞察し、
その自意識を具体的に纏め上げた安永透という人間を作り上げることくらい造作もなかっただろう。(中略)
三島文学ほど明確に人間の個人的精神と結び付けて涅槃を説いている作品は他にないだろう。悟り……、そして
悟りへ至るための道である八正道とはつまり、自意識の塊りである安永透という存在の否定なのだ。
天人五衰や「安永透の手記」には、悟りへの道である八正道に、見事に反する精神状態が描かれているのである。
安永透の自意識こそ、仏教が説く人間の捨て去らねばならない“我”そのものだからだ。

三上秀人
「三島由紀夫の遺言 観世音」より

194 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/24(水) 14:15:39 ID:1XcRX/CH]
三島由紀夫の重要性、そして特殊性は、その並外れた認識の能力にある。(中略)
なぜ三島由紀夫にだけ、これほど高度な認識能力があり、一般の人はそうではないのか。それが私には大きな
疑問となり、三島文学への好奇心を駆り立てた。(中略)
どちらかというと私は三島の小説よりも日記やエッセイなどを好んだ。(略)…概念の捉え方が行間からより
鮮明に表れていて、その明晰さに私は驚嘆した。(中略)
三島由紀夫は単なる小説家という存在を超えている人間なのかもしれない、と私はうっすらと理解し始めた。
多くの人は『ミシマ文学』と言っているくらいで、どうも彼の使う表現の卓越さ、認識の正確さのすべてを、
三島由紀夫の文才と考えているようだった。
しかし私にはそうは思えなかった。言葉使いが巧みなだけなのではない。確かに十代までの三島はそうだった。
しかし「仮面の告白」以降は違う。正確に現実を認識しているのだ。あまりに正確すぎるほど正確に……。
つまり、何かをきっかけに三島由紀夫は、その正確無比な認識に覚醒したのだと私は思った。

三上秀人
「三島由紀夫の遺言 観世音」より

195 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/24(水) 14:16:08 ID:1XcRX/CH]
…『一目で見抜く認識能力にかけては、幾多の失敗や蹉跌のあとに、本多の中で自得したものがあった。欲望を
抱かない限り、この目の透徹と燈明はあやまつことがなかった』(天人五衰)(中略)
三島は自分の奇跡待望の不可避とその不可能の自覚を、若いときは自分の文学的素養として芸術の領域で
捉えていて、仏教的な意味での仏性だとか悟性だとかいう風には捉えていない。或いは最後までそのスタンスは
変わらなかったかもしれない。(中略)
三島由紀夫が行っていた無我の認識とは、この阿頼耶識を認識することだ。(中略)
古来から悟りを開いた者は神通力を得ると言われている。(略)…阿頼耶識による無我の認識は、原理は単純だが、
或る意味そういった超能力に近いものだ。(略)…三島の表現力を神技に近いと評した評論家もいたようだ。
超能力とまでいかなくても、第一章でも記したように、その認識の正確さは燈明を極めていた。(中略)
無我の認識という正確な認識の方法を理解している三島由紀夫という存在は、私には途轍もなく重要に思えて
きたのだった。三島由紀夫が理解されれば、人間同士の完全な相互理解が可能になるからだ。

三上秀人
「三島由紀夫の遺言 観世音」より

196 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/24(水) 14:16:33 ID:1XcRX/CH]
…三島由紀夫について研究していて、ひとつ不思議に思った事があった。なぜ三島が自分への理解を求める
方法として、小説という形を選んだのかということだ。彼はそこいらの哲学者や心理学者よりよほど頭が良く、
人間精神に精通していたから、自分を理解して欲しいなら、自分の認識の体系を分かりやすく論文のような形で
まとめて発表すればよかったのにと思った。なぜそうしなかったのか。実際に三島由紀夫について書いてみて
分かった。それは不可能だからだ。近代自我哲学や精神分析学は三島本人も言っているように、些か暴論で、
妄味を生み出している気がする。精神という性質を詩的幻想と規定することは出来ても、その精神が生み出す
幻想世界を分割したり、現実世界に対する精神の認識構造を解析することは不可能だ。(中略)
唯識的に言うと、欲望を捨てて第七識を超えたところにある阿頼耶識という存在の究極の片鱗を読み取った
ということになるだろうが、では、どのようにして読み取ったのかとなると、それ以上の詳しい説明は出来ない。
それ以上は、もう“ありのまま、ただ見た”としか言いようがない。

三上秀人
「三島由紀夫の遺言 観世音」より

197 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/24(水) 14:16:57 ID:1XcRX/CH]
…プラトンのイデア論にしても、ニーチェのパースペクティブ主義にしても、デカルトの良識論にしても、
実念論にしても唯名論にしても、フーコーのエピステーメーにしても、フランシス・ベーコンが「ノーヴム・
オルガヌム」で言うイドラにしても、実存主義にしても、ライプニッツのモナドの概念にしても、そして
唯識さえも、認識に至るまでの経緯の仮定的な説明なのだ。(中略)
過程を明確に示す方法がないから結果から示すしかなかった。小説という物語の形を借りた方法で、自分が
認識した安永透という人間の自意識を正確に記すしか、つまり、感覚的に、自分の認識能力とその認識能力を
持っているということが何を意味しているのかを理解できる人間を探すしかなかったように、私には思える。
無我に至るまでのその過程を説明しなくても、天人五衰を読んだら分かる人間に向けて三島は天人五衰を書いている。

三上秀人
「三島由紀夫の遺言 観世音」より

198 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/24(水) 14:20:56 ID:1XcRX/CH]
(中略)
三島由紀夫が天人五衰に書いているような、人間世界を裁定する漁師の目、それは神仏の目だ。無我による
正確な認識は、最終的に神の目に近づく。人間を監督し、その行いに応じて命運を決定する存在との視点の同一化。
それが一種の予言性を帯びてくる究極の認識であり、人間が最終的に至るべき境地なのだろう。そしてそれは、
いわゆる宿命通・天耳通・死生智にあたるのだろう。
『狐はすべて狐の道を歩いていた。漁師はその道の薮かげに身を潜めていれば、難なくつかまえることができた。
狐でありながら漁師の目を得、しかも捕まることが分かっていながら狐の道を歩いているのが、今の自分だと
本多は思った』(天人五衰)(中略)
精神という願望的幻想性を利用したこの現実の都合のいい変容を、人を化かす『狐』に例えているのである。

三上秀人
「三島由紀夫の遺言 観世音」より

199 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/24(水) 14:21:16 ID:1XcRX/CH]
(中略)
そもそも彼のあの異常な明晰さは、人間の領域を遥かに超えている。彼は人間でありながら神仏の目を得、
しかも人間として生きたのだ。(略)…三島は晩年、生涯を通じてあれほど批判してきた太宰治と自分は
同じなんだと言ったそうだ。太宰がそうであったように、三島にも人間の世界が理解しがたかったのではないか。
理解できすぎたが故に。
その無意識。その認識の欠如。すべてが彼には奇妙に思えただろう。
三島にとって人間は、運命の自己表現のようなものだった。(中略)
三島は確かに誰よりも正確に物事を認識することができたわけだが、単純にその能力を喜んでいたわけでは
なかったようだ。(中略)
三島由紀夫は確かに稀に見る認識の天才で、完璧に近いほど人間存在、そしてその命運を裏側から管理している
神仏の神秘まで理解していた。しかし、求道者ではなかった。

三上秀人
「三島由紀夫の遺言 観世音」より

200 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/24(水) 14:21:37 ID:1XcRX/CH]
三島は悟達に至ろうと思って悟達に至ったわけではない。セキュリティー・システムを打破するはずのハッカーが、
逆にセキュリティー・システムに詳しくなるように、犯罪を犯すはずの犯罪者が、逆に刑法に詳しくなるように、
あまりにも夢想的であったために、逆に真実に目覚めてしまったのだ。
そして三島はその欣求の欠如ゆえ完全なる悟りには至っていなかった。いや、至ろうとしなかった。(中略)
ここに三島由紀夫という人間の独自性がある。彼は悟りの構造を知っていながら詩を求め続け、仏教には帰依せず
天皇に帰依したのだ。奇跡は到来しないと理解してからも、つまり詩が現実ではないとはっきり理解してからも、
生来の気質から詩的椿事を待望し続けることをやめられず、また神仏に帰依する気もなかった三島由紀夫は、
自分の意志の不毛に気付いていた。紙の上の現実と実際の現実、その二種の現実のどちらもいつでも選べるという
自由が三島由紀夫という人間の意志だった。

三上秀人
「三島由紀夫の遺言 観世音」より



201 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/24(水) 14:22:21 ID:1XcRX/CH]
(中略)
どんな奇跡への待望であれ、それが絶対に到来しないと分かっているなら、そしてそれでも猶、奇跡を待望し
続けるとするなら、いったい精神はどこへ向うのだろう。三島にとって至福と言うものが、少年時代に感じたように、
願望と現実の一致にあるなら、詩から覚醒した三島の唯一の至福は、自らが絶対的存在と融和することだった。
それが「憂国」であり、天人五衰の末尾において本多繁邦に語らせている『聖性』だった。(中略)
ああいう最期を遂げたことには、批判的な意見の方が多かったようだが、バルコニーに立って演説する三島の
姿を見るたびに、私は何か心を動かされる。別に憲法を改正して自衛隊を国軍にして欲しいわけではないけれど、
命を賭けて訴えるその姿に素晴らしい何かを見るのは確かだ。(中略)
天人五衰における本多の涅槃への到達の仕方は、一見したところ幸福からは遠く、それはまるで神への挑戦のようだ。
恒久平和の不可能を自明のものとして死んでいった彼の存在が、実は精神という幻想を打ち破り、人間の相互
理解を可能にする唯一の鍵だったというのはなんと皮肉だろう。

三上秀人
「三島由紀夫の遺言 観世音」より

202 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/24(水) 14:22:48 ID:1XcRX/CH]
(中略)
私には三島由紀夫が、自分がロボットだと気付いてしまったロボットのように思えてしまう時がある。自分の
内部構造、背負わされた宿命、世界の実相……、その仕組みを、それを創造した者と同じくらい完全に
理解できる能力を持っていた三島由紀夫は、結局、自分が何者であるかを知ってしまった。三島由紀夫は自分が
【人間】であることを理解してしまったのだ。
精神の奇跡待望の不可避とその不可能の自覚という性質。告白は不可能であり、真の自己は規定し得ないということ。
人間は自由意志を持ってはいないということ。見えない誰かに何かを強いられて生きているということ。
人間であるということそれ自体がひとつの罠にかかってしまっているということ。そして、自分が誰からも
理解されてはいないということ……。

三上秀人
「三島由紀夫の遺言 観世音」より

203 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/24(水) 14:24:01 ID:1XcRX/CH]
世界についても理解した。
それは涅槃の文学である三島文学の最終的な主題「奇跡自体よりもふしぎな不思議」だ。
即ち古代存在論にはじまり、中世スコラ哲学へと続き、デカルトやウィトゲンシュタイン、ライプニッツらも
問うた『神秘的なのは、世界が如何にあるかではなく世界があるということ』という命題。数多くの哲学者が
求めたこの命題に対する三島由紀夫の答えは、「仮面の告白」における素面の不在と同じように、世界存在
そのものの実体の不在だった。
『「海と夕焼け」は、奇跡の到来を信じながらそれがこなかったという不思議、いや、奇跡自体よりもさらに
ふしぎな不思議という主題を凝縮して示そうと思ったものである。この主題はおそらく私の一生を貫く主題に
なるものだ』(花ざかりの森・憂国 あとがき)
…つまり、世界が存在しているということ自体が奇跡よりもふしぎなことなのであって、それは唯識論哲学に
おける存在の実体の無さ、一切諸法がただに『識』に帰すという思想によって表されている。
『本多は夢の生に対する優位を認識した』(天人五衰)

三上秀人
「三島由紀夫の遺言 観世音」より

204 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/25(木) 00:46:48 ID:gvCEqEHx]
 わいせつ事件の示談金などを名目とした振り込め詐欺事件で、組織犯罪処罰法違反(組織的詐欺)など
に問われた詐欺グループの主犯格で、グループ内で「キング」と呼ばれていた無職戸田雅樹被告(31)の
判決が24日、東京地裁であった。
 菱田泰信裁判長は「被告は詐欺の手口ごとにグループを分けて収益を競わせるなど集団を高度に組織
化し、主宰者として職業的に犯行を繰り返していた」と述べ、懲役20年(求刑・懲役23年)を言い渡した。
 判決によると、戸田被告は他のメンバーと共謀、2006年5月〜07年8月、東京都や埼玉、岡山県など
に住む39人に対し、「息子さんが教職員をしている学校の教頭だが、息子さんが生徒にわいせつな行為
をした」などとうそを言い、示談金などの名目で計約1億4690万円をだまし取るなどした。
 この事件では、ほかに20人が起訴され、19人が1審で実刑判決を受けている。示談金やアダルトサイト
の利用料金など、手口ごとに実行グループを分けて収益を競わせていた。

三上秀人
「三島由紀夫の遺言 観世音」より

205 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/25(木) 11:11:00 ID:UPzrzyVF]
三島由紀夫のツイッター
gimpo.2ch.net/test/read.cgi/cafe30/1269480885/

206 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/27(土) 10:41:21 ID:o7n1RA1E]
江藤淳は三島の自決は彼に早い老年が来たか、さもなければ病気じゃないかと言いましたが、トルストイの死に
「細君のヒステリイ」を見て悦に入る自然主義作家のリアリズム、いかにも分かったような、人生の真相は
たかだかこんなものという「思想の型」によく似ているといってよいでしょう。
そういえば三島事件後、俗耳に入り易い江藤流の原因説が数限りなく出ました。(中略)
私はいっさい関心を持ちませんでした。「細君のヒステリイ」に原因を求めて安心する現代知識人に特有の気質に
いちいち付き合っている気にはなれなかったからです。(中略)
江藤さんは抽象的煩悶などにまったく無縁な人でした。生活実感を尊重する自然主義以来の文壇的リアリズムに
どっぷり浸っていた人でした。
三島の悲劇は分からない人には分からないのです。縁なき衆生には縁なきことが世にはままあります。

西尾幹二
「三島由紀夫の死と私」より

207 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/27(土) 10:41:56 ID:o7n1RA1E]
小林秀雄の「文学者の思想と実生活」の結びに近い個所に次のような言葉があります。
「思想の力は、現在あるものを、それが実生活であれ、理論であれ、ともかく現在在るものを超克し、これに
離別しようとするところにある」
その通りだと思います。「思想の力」は理想と言い替えてもよいでしょう。私は次にみる同文の結語を読んで、
昭和十一年にこれを書いた小林秀雄がさながら三島の自決を予見していたかのごとき思いにさえ襲われたほどです。
「エンペドクレスは、永年の思索の結果、肉体は滅びても精神は滅びないといふ結論に到達し、噴火口に身を
投じた。狂人の愚行と笑へるほどしつかりした生き物は残念ながら僕等人類の仲間にはゐないのである」
一九七〇年代の半ば頃に、私はギリシア哲学者の故齋藤忍随氏にお目にかかる機会がたびたびありました。
三島事件は氏の関心事で、開口一番、三島はエンペドクレスですね、と言いました。エトナの噴火口に身を
投じたこの古代の哲人は、ヘルダーリンが歌い、ニーチェが劇詩に仕立てた相手です。
歴史の中には「狂人の愚行」としか思えない完璧なまでの正気の行動があるのです。

西尾幹二
「三島由紀夫の死と私」より

208 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/27(土) 23:20:06 ID:C+waxYu2]
普段は大谷先生の総論・各論を使用しています。
感想ですが、刑法を一通り勉強し終えた人が短時間で総復習するために利用するには、非常に有益だと思います。
信頼できる学者の本で、ここまでコンパクトにまとめてあるものは珍しいのではないでしょうか。私は知識を確認する
のに、本書が大いに役立ちました。満足のいく内容でした。
ただ、コンパクトにまとめてあると言っても、レベルは決して低くありません。初学者の方がいきなり本書を読んでもお
そらく難しいと感じるのではないかと思いました(刑法という学問自体が初学者にとって難しい分野ではあるのですが…)。
まあ、でも初学者の方がいきなり2分冊の本格的な基本書に取り組むよりは、本書でまず全体像を把握するのもアリ
かなと思います。

西尾幹二
「三島由紀夫の死と私」より

209 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/28(日) 21:42:01 ID:/xtchDQx]
このコピペしまくってる基地外は、自分が荒らしでしかないということに気づかないのだろうか。。

210 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/28(日) 22:54:19 ID:0T7Q+Q+B]
最後の試験も済み、学生生活が実質的になにもかも終わった夏休みのある晩であった。
…何かの拍子に三島は「アメリカって癪だなあ、君本当に憎らしいね」と心の底から繰り返しいった。
そしてかのレースのカーテンを指さし「もしあそこにアメリカ兵が隠れていたら、竹槍で突き殺してやる」
と銃剣術の動作をして真剣にいった。
当時の彼は学術優秀であり、品行も方正であったが、教練武術の方はまるで駄目であった。
…そういう彼が竹槍で云々といった時、彼には悪いが、突くといっても逆にやられるだろうがとひそかに思った。
けれども、彼のその気迫の烈しさには本当に胸を突かれた。
彼は当時、日本の、ことに雅やかな王朝文化に心酔していた(当時といわず、或は生涯そうであったかもしれぬ)。
そしてその意味で敬虔な尊皇家であった。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より



211 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/28(日) 22:54:38 ID:0T7Q+Q+B]
今、卒業式の時の彼を思い出す。
戦前の学習院の卒業式には、何年かに一度陛下が御臨幸になった。我々の卒業式の時もそうであった。
全員息づまる様に緊張し静まる中で式は進み、やがて教官が「文科総代 平岡公威」と彼の名を呼びあげた。
彼は我等卒業式一同と共にスッと起立し、落ち着いた足どりで恭々しく陛下の御前に出て行った。
彼が小柄なことなど微塵も感じさせなかった。瞳涼しく進み出て、拝し、退く。その動きは真に堂堂としていた。
心ひきしまり、すがすがしい動作であった。あの時は彼の人生の一つの頂点であったろう。
そういう彼ゆえ、古来の日本の心を壊そうとするものを心の底から許さなかった。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より

212 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/28(日) 22:54:58 ID:0T7Q+Q+B]
彼の感性は非凡なだけでなく時に大変ユニークで、常人の追随しかねる点があったけれども、人間としての
器量は大きかった。思えば、不良少年の親分を夢みるだけのことはあった。
…初等科六年の時のことである。元気一杯で悪戯ばかりしている仲間が、三島に
「おいアオジロ―彼の綽名―お前の睾丸もやっぱりアオジロだろうな」と揶揄った。
三島はサッとズボンの前ボタンをあけて一物を取り出し、
「おい、見ろ見ろ」とその悪戯坊主に迫った。それは、揶揄った側がたじろく程の迫力であった。
また濃紺の制服のズボンをバックにした一物は、その頃の彼の貧弱な体に比べて意外と大きかった。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より

213 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/28(日) 22:55:18 ID:0T7Q+Q+B]
初等科一年の時、休み時間になると、半ズボン姿の我々は、籠から放たれた小鳥の様に夢中で騒ぎ回った。
…そういう餓鬼どもの中で、三島は「フクロウ、貴方は森の女王です」という作文を書いた。
彼は意識が始まった時から、すでに恐ろしい孤独の中に否応なしに閉じこもり、覚めていた。
…彼は幼時、友達に、自分の生まれた日のことを覚えていると語った。彼はそのことを確信していた。
そしておそらく、外にもその記憶をもつ人が何人かあると素直に考えていたのであろう。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より

214 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/28(日) 22:55:37 ID:0T7Q+Q+B]
初等科に入って間もない頃、つまり新しく友人になった者同士が互いにまだ珍しかった頃、ある級友が
「平岡さんは自分の産まれた時のことを覚えているんだって!」と告げた。その友人と私が驚き合っているとは
知らずに、彼が横を走り抜けた。春陽をあびて駆け抜けた小柄な彼の後ろ姿を覚えている。
あの時も、すでに彼はそれなりに成熟していたのであろう。彼と周囲との断絶、これは象徴的であり、悲劇的である。
三島は生涯の始めから、終始悲劇的に完成した孤独の日々を送ったと思う。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より

215 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/28(日) 23:00:29 ID:0T7Q+Q+B]
高等科上級生の時のことである。
戦争中で銃剣術の時間のことだった。体格の大きい銃剣術が強い友人と、彼とが試合をさせられた。
教官がどうしてそういうアンバランスな試合をさせたのか解らない。しかし平岡に対する意地悪からでは無いと思う。
さて華奢で軟体動物のようにクネクネした動作の平岡は、当然ジタバタと苦戦していたが、そのうちにヒョイと
勝ってしまった。相手の心臓のところを確かに突いたのである。皆は驚き笑いながら、見物の輪をといた。
彼はその時までに何度か壁にぶつかり、それを切り開いてきた人らしく、困惑しつつも、冷静であったので勝ったのだろう。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より

216 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/28(日) 23:00:50 ID:0T7Q+Q+B]
中等科か高等科の英語の授業の時、老教師が「日本には叙事詩は無かった」といった。
平岡は、「平家物語などがあるじゃありませんか」といった。
これは日本の古典に通じぬ英語教師の弱味を突いたらしく、彼は感情的になって平岡を、おさえつけた。
休み時間になり、平岡は憤慨していた。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より

217 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/28(日) 23:01:23 ID:0T7Q+Q+B]
天皇が人間宣言をなさり、背広姿の御写真が新聞に掲載された時、彼は非常な不満、むしろ忿懣を抱いていた。
なぜ衣冠束帯の御写真にしないのかというのである。
又、焼跡だらけのハチ公前の広場を一緒に歩いていた時、彼は天皇制攻撃のジャーナリズムを心底から怒り、
“ああいうことは結局のところ世に受け入れられるはずが無い”と断言した。
そういう彼の言葉には理屈抜きの烈しさがあった。だから、彼は自分が敗戦後、日本の伝統から離れて楽しむうちに、
混乱の方が、いつか多数派になったのに驚いたのではないか。
美酒の瓶が倒れたように、日本の美質がどんどん流失しているのに気付き慄然としたのではないか。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より

218 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/28(日) 23:01:45 ID:0T7Q+Q+B]
彼は、敗戦で束縛から解放された時まっしぐらに芸術の世界へ突進した。
…しかしその世界から出てみると、日本はすでに大きく伝統から離れていた。
彼にとり、日本の伝統は荒涼としたものになりかけていた。
彼が自分の好きな国々を思いきり歩いて故郷に戻って来た時、心の拠り処の日本の古典は滅びかけていた。
…彼が戦争直後、学習院を訪ねて校庭を歩いていたら、某教官に呼びとめられ、
「これからは共産主義の勉強をするのも面白かろう」といわれたといって、しきりに憤慨していた。
「何で今頃するのか、戦争中にやるのなら解るが」というのである。この先取りの心、少数派に身をおく
積極さ、これが晩年彼の日本についての心痛を一層深くし、嘆きを重くしたのであろう。
又、この予感、この嘆きこそ芸術家のものであろう。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より

219 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/28(日) 23:02:06 ID:0T7Q+Q+B]
彼は一時の思いつきで死んだのではない。
おそらく三十年、あるいはそれ以上、死を自分のすぐ背後に感じ続けて生きたと思う。死を背負い続けたと思う。
…彼が死なねばならぬとはっきり考え始めたのはいつか。東大紛争時における日本の文化的指導者(体制側だけでなく、
学生騒動に便乗して売名を図った人々まで含めて)の醜さを痛感したからではないか。
…勿論ずっと以前から、日本の崩れてゆくのを、彼はじっと忍耐しながら見ていたのであろうが、殊にあの事件の時に
絶望的な暗黒をつくづく見たのではないか。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より

220 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/28(日) 23:02:36 ID:Nfc87e7s]
中国製冷凍ギョーザ中毒事件で、製造元「天洋食品」の元臨時従業員が逮捕された中国河北省石家荘市
の地元メディアが、当局から、独自取材を禁じられ、国営新華社通信の配信記事だけを使うよう通達を受
けていたことがわかった。関係筋が27日、明らかにした。北京でも一部紙が小さく新華社配信記事を掲載
しただけで、同様の指示が出ていたとの見方が強い。

胡錦濤政権は、中国人が逮捕されたことにより、インターネットで政府批判や反日機運が盛り上がるのを
強く警戒しており、全国規模で厳しい情報統制を敷いたとみられる。

関係筋によると、石家荘市の地元各紙やテレビに通達が出されたのは、容疑者逮捕の新華社報道直後に
あたる26日深夜から27日未明。

同筋は「だれも取材をしていないので、地元では何も分からない。政治的に敏感な問題で、当局が非常に
気を使っているようだ」と述べた。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より



221 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/28(日) 23:04:28 ID:0T7Q+Q+B]
>>219続き
鋭敏な彼は、日本、否日本人の心の荒廃をまざまざと観たのであろう。
この闇に一瞬なりとも光を放ち得るものがあるとすれば、それは自分の命の提供しか無いと観たのであろう。
彼はそれだけ自分の才能が稀有なものであり、又自分がそれを十分に開花させたのを知っていたのであろう。
だから、自分の死の持つ力を考えたのであろう。当面は罵詈雑言が自分の自殺を覆うであろう、しかしなお、
自分の名声と才能を死なすことによる衝撃に、多少の自信はあったろう。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より

222 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/28(日) 23:04:55 ID:0T7Q+Q+B]
彼は無限の敵、即ち日本文化、いや日本を腐敗させつつあるものへ、自分の命、絶対の価値ある自分の命を投げつけた。
彼は敵に向い最後迄断然逃げなかった。
…彼は自分の愛するもの(これには自分の家族も入る)に、自分の最上のものを捧げたかった。
それは自分の命、これである。
…世人は彼の死を嘲笑した。これは彼の敵の正体を、世人が未だ理解していない時に死んだからか?
多くの人、中には名声にあっては一流人が、まるで見当違いのことをいって、彼の死を手軽に料理している。
しかしいつでも彼の死は早すぎるのだろう。“死”は誰でも逃げたいものだから。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より

223 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/28(日) 23:05:22 ID:0T7Q+Q+B]
彼は稀なる作家、思想家、そして文化人であった。
自分の思想のために、生涯の頂点で、世人の軽蔑は覚悟の上で死ねる者が何人居るか。
彼と思想を異にするのは全く自由であるが、嘲笑するには先ず自分の考えに殉じて死ねる者でなければなるまい。
なぜなら、彼の死は冷静な死であったから。
…彼は少年時代に戻って死んだ。少年時代、彼は日本文化に殉ずる心で生きて居た。その心で死んだ。
純粋という点では、学習院高等科学生の頃の姿で死んだ。
所詮作家からはみ出した男、言葉で適当に金を儲けることを、出来るがやらぬ男であった。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より

224 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/29(月) 01:03:13 ID:50jNQxD3]
必死にコピペ繰り返してるところ恐縮なのだが、

そんなね〜、大層なもんじゃないでしょw
ここまで買いかぶると、逆に皮肉ってるのかと思っちゃうよー
あなた、実はアンチじゃね?

225 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/29(月) 22:00:58 ID:/hemA08c]
日本各地の動物園で飼育されているが、寒さに弱く、冬場は展示していない動物園もある(例:旭山動物園)。
最も個体数が多い動物園は長崎バイオパークで、年によって変わるが、約30個体以上が飼育されている。バ
イオパークは実質的に放し飼い状態になっており、カピバラに直接触れることができる。市原ぞうの国でも直
接触れることが出来る方式を導入した。変わったところでは、伊豆シャボテン公園やこども動物自然公園で飼
育されているカピバラで、冬場は温泉に入る姿を観察することができる。また、バイオパークには温泉だけで
なく打たせ湯もある。 また、秋篠宮文仁親王が自宅でマーラやワニガメなどと一緒に飼育している。 また、熊
本の阿蘇にあるカドリードミニオン(旧称:阿蘇くま牧場)でも、飼育されており、通常檻の中に居るが、天気の
良い日は園内に放し飼いされていることがあり、直接触れることができるときもある。大阪の海遊館でも見るこ
とが出来る。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より

226 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/29(月) 22:17:25 ID:9M2It6AJ]
事件の翌日から、あらゆるメディアはあなたの行動を醜聞として描くことに情熱を傾けることになりました。
…TVでは「右翼評論家」なる人物が高説を垂れ、政治家たちは狂気の沙汰だとあなたを批判していました。
日本共産党はファシズムに対する警戒を説き、新左翼の学生たちは唖然として言葉を喪失していたように思えます。
わたしにはそうした政治的発言のいっさいが愚劣に思えていました。わたしは書店に行って、そのとき第三巻まで
刊行されていた『豊饒の海』の連作を買い求め、十日間ほどで一気に読み終わりました。しばらくして最終巻の
『天人五衰』が刊行されると、これも勢いに任せて読破しました。(中略)
わたしはここに仕掛けられた巨大なアイロニーに眼が眩む気持ちを抱きました。と同時に、自分の死後に遺された
者たちはすべからくこのアイロニーを生きるべしという、あなたの呪いめいた遺言に、さて、その呪いを
どのように受け取り、自分の文脈のなかで理解してゆくことにしようかと、呆然たる気持ちを抱いていました。

四方田犬彦
「時間に楔を打ち込んだ男」より

227 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/29(月) 22:18:00 ID:9M2It6AJ]
今から考えてみると、「豊饒の海」が最後に突入していったのは、物事のすべてが「存在の耐えられない軽さ」を生き、
ノスタルジア(懐旧)とパスティッシュ(模倣)の原理のもとに操作されてゆく、ポストモダンの薄明のこと
だったような気がしています。わたしが大学生活を送った一九七〇年代は、十年間を通して、あなたの名前が
忌避され、排除されてきた時代でした。大学院の研究室でも、同級生どうしの会合でも、あなたの死のみならず、
その作品について言及することは場違いであり、できればあなたのような文学者が戦後日本に存在して
いなかったかのように振舞うのが、暗黙の了解であるような日々が続いていました。日本のポストモダン社会は、
三島由紀夫の不在によって、安心して自己実現を達成したのです。七〇年代と八〇年代を代表するイデオローグであった
山口昌男と蓮見重彦を考えてみたとき、それは明らかとなるでしょう。

四方田犬彦
「時間に楔を打ち込んだ男」より

228 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/29(月) 22:18:47 ID:9M2It6AJ]
山口はあなたが悲劇的なもの、崇高なものに魅惑されていたのとは対照的に、それらから意図的に距離を置き、
喜劇的なもの、道化的なものに焦点を当てました。そしてすべての知識が位階制度を超えて並置される地平を、
ユートピア的に実現しようと企てました。
一方の蓮見は、あなたと同じ学習院に学び、皇族と人脈的な関係をもつことにきわめて野心的な人物でしたが、
一貫してあなたを嫌っていることを公言していました。もっとも事物の表層を好むというニーチェ伝来の哲学を
喧伝するという点で、彼はあなたの屈折した後継者であったといえなくもありません。
あなたの全集が再び編集され、刊行されていなかった日記や書簡が公にされたり、…あなたの行動の全体が
次の世代によって再検討の対象となるようになったのは、二〇〇〇年代に入り、先の二人の知的扇動家の影響が
消え去ったことと、軌を一にしているのは、けっして偶然ではありません。

四方田犬彦
「時間に楔を打ち込んだ男」より

229 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/29(月) 22:19:27 ID:9M2It6AJ]
(中略)三島さん、裕仁はあなたよりも十八年と二ヶ月ほど生き延びて、一九八九年に身罷りました。
彼が支配していた昭和という時代は、六十四年をもって終了しました。けれどもすでにそれ以前から、誰もがもはや
(公文書ででもないかぎり)昭和という年号などもはや存在していなくなったかのように振る舞っていました。
なるほど昭和も三十年代、四十年代までは、それなりに口にされると実感めいたものが浮かび上がってきました。
けれども昭和五十年代というのは、たとえその表現に過ちがないとしても、もはやいかなるイメージをも人々に
喚起しなくなっていました。ましてや短かった昭和六十年代など、そう書き記してみたところで、どのような
イメージも浮きあがってくるわけではありません。それは一九七〇年代、一九八〇年代という表現がいかにも
人口に膾炙しているのと、好対照です。わたしは、こうした年号の喚起力の衰退の原因のひとつは、三島さん、
あなたの割腹自殺にあったのではないかと睨んでいます。あなたは生命を賭けることで、裕仁の時間支配に
修復しようのない楔を打ち込もうとしたのではないでしょうか。

四方田犬彦
「時間に楔を打ち込んだ男」より

230 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/29(月) 22:20:07 ID:9M2It6AJ]
わたしには、一九七〇年十一月二十五日にあなたが日本人の一人ひとりに死を送り届けることで、これまで
暗黙のうちに日本を支配していた時間の神学的秩序に、凶悪にして不吉な楔を打ち込んだような気がしてなりません。
思い出してみれば、わたしの世代は機会あるたびに、あなたが割腹をしてもう何年が経過したとか、何十年が
経過したと口にしながら、時間をやり過ごしてきたのです。死の御降臨。死の分節。
あなたによって考案された禍々しい暦が、日本の時間秩序を攪乱し、神聖なる時間の起源を禍々しい紛い物へと
摩り替えてしまうことを可能にしたのだと、わたしは考えています。
(中略)親愛なる三島さん、わたしたちはいまだにあなたの影のもとに生きています。もしあなたが今生きて
いらしたとしたら、このような年少者たちを前に、また高笑いをされるかもしれません。その姿が目に浮かびます。

四方田犬彦
「時間に楔を打ち込んだ男」より



231 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/31(水) 22:20:50 ID:sVZfeSz+]
 ヒトラーのナチズムに隠された動機とは、・・・古代から引き継がれるキリストを刺した槍に宿る
〈悪魔〉であり、その秘密の力を獲得することである。
 あの時、ヒトラーを通してヨーロッパに働き掛ける古代以来の〈悪魔〉の力を予防し、抑止するこ
とは果たしてできただろうか?どの段階かではできたが、どの段階かからは不可能であっただろ
う。亡命すべからざればただただ死しかなかったと私には思われる。著者はドイツに帰化したヒュ
ーストン・スチュアート・チェンバレンなる人物について「悪魔に追われた男」として、〈悪魔〉は「い
つ、どこで彼の魂に取り憑くのか知らなかった・・・チェンバレンを常に監視していた防衛軍の情報
員らは、彼が目に見えぬ悪魔から逃げ出すさまを見たとすら報告している!」(175頁)と驚愕とと
もに書いている。著者は単純な反ナチではなく、〈悪魔〉を看破しようとしているのである。これほど
に〈悪魔〉を実体あるものとして現実の政治史的問題を凝視しつつ描ききった著作を私は知らない
が、その著者をしてこうまで表現しているということだ。

四方田犬彦
「時間に楔を打ち込んだ男」より

232 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/31(水) 23:43:11 ID:id6jCjG7]
私はこの三年にわたって折にふれ三島とあってきたが、私がいつも感じたのは、彼は現存の日本人のうちでは
最も重要な人物だったということだ。当然のことながら、私には彼がその生涯の終わりにどのようなコースを
たどるかについては想像もつかなかったが、たとえその範囲は限られたものであるにせよ、彼はその
ダイナミズムと懐疑主義と好奇心によって日本の歴史に永久にその名をとどめる地位を占めるにちがいないと
確信していた。(中略)
三島の行動は、今日の日本の右翼の大物たち――その名前をあげる必要はあるまい――を、道化役者のように
見えるようにした。私と議論した一部の人々は、三島はその行動によって、笑止千万なピエロの役割を演ずる
ことになったと主張した。これに対し私は三島はピエロどころか、逆に他の人々をピエロとして浮かびあがらせた
――つまり、彼等をつまらない行動によって、金をもらいたがったりするようなピエロに仕立てあげたのだといいたい。

ヘンリー・S・ストークス
「ミシマは偉大だったか」より

233 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/31(水) 23:43:42 ID:id6jCjG7]
三島を高く評価したい私の次の理由は、私の見るところでは、彼は日本の政治論争にこれまで見られなかった
深みをつけ加えた点である。(略)…三島を「右翼の国家主義者」といった言葉で片づけることはできない。
三島は「右翼」とか「国家主義者」とかいったレッテルを貼った箱に、絶対におさめることのできない人物である。
彼の思想の広さといい深さといい、そうした単純な分類に入れることを許さない。
三島が何をいわんとしていたか、それを一言にして説明するには、何か新しい言葉を見つけださなければなるまい。
三島について注目すべき理由はほかにもある。彼は今日の政治論争のすべてを公開の席に持ちだした――(略)
…これらの問題については、自民党の幹部たちは私的な場所でのみしばしばその意見を表明してきたのである。
しかるに三島は敢然として、政治家たちがこれまでおっかなびっくりで、私的な場所だけで取りあげてきた
政策論争を、公けの席に持ちだした。職業政治家になぜこれができなかったのであろうか。

ヘンリー・S・ストークス
「ミシマは偉大だったか」より

234 名前:名無しさん@3周年 [2010/03/31(水) 23:45:13 ID:id6jCjG7]
…三島を西洋に「説明」できるだけの資格を持つ西洋の学者は、ほんの一にぎりしかいない。しかもこれらの
学者たちでさえ、今までのところでは、三島をもっぱら文学者としてだけ扱い、彼の政治活動は重視していない
ようだ。私はそれはあやまっていると考えるし、三島自身がなくなる二週間前に、これらの学者について語った
言葉から推察すると、こうしたあやまりは彼自身予想していたようだ。彼は英語でこう言っていた。
「あの人たちは日本の文化の中のやさしいもの、美しいものばかりを取りあげる」したがって外国の批評家に
限っていえば、三島が全く誤解されてしまう可能性はきわめて大きい。この国の政情の非現実性――国防の
問題をトランプ遊びかポーカーの勝負をやっているかのように議論する国である――を、認識できる人は
ほとんどあるまい。(略)…外国人は日本で自由な選挙が行なわれ、それに過剰気味なくらいおびただしい
世論調査と言論の自由があるという事実こそが、日本に民主主義のあることを物語っていると頭から信じこんで
いる。三島は日本における基本的な政治論争に現実性が欠けていること、ならびに日本の民主主義原則の
特殊性について、注意を喚起したのである。
ヘンリー・S・ストークス
「ミシマは偉大だったか」より

235 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/02(金) 00:31:03 ID:KUyJthmj]
 ここへ来た時第一番に氷水を奢ったのは山嵐だ。そんな裏表のある奴から、氷水でも奢ってもらっちゃ、
おれの顔に関わる。おれはたった一杯しか飲まなかったから一銭五厘しか払わしちゃない。しかし一銭だ
ろうが五厘だろうが、詐欺師の恩になっては、死ぬまで心持ちがよくない。あした学校へ行ったら、一銭五
厘返しておこう。おれは清から三円借りている。その三円は五年経った今日までまだ返さない。返せない
んじゃない。返さないんだ。清は今に返すだろうなどと、かりそめにもおれの懐中をあてにしてはいない。
おれも今に返そうなどと他人がましい義理立てはしないつもりだ。こっちがこんな心配をすればするほど清
の心を疑ぐるようなもので、清の美しい心にけちを付けると同じ事になる。返さないのは清を踏みつけるの
じゃない、清をおれの片破れと思うからだ。

ヘンリー・S・ストークス
「ミシマは偉大だったか」より

236 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/04(日) 22:32:07 ID:89Ss7qpn]
日本は、外国から一人前の国家として扱われていない。国家も、人間も、その威が行われていることで、
はじめて国家であったり、人間であったりするのであって、何の交渉においても、外国から、既に、尊敬ある
扱いをうけていない日本は、存在していないのと同じである。そんな国の下で平和を歎び、春夏秋冬口に入る
果物、野菜を讃へ、牛肉、鶏、(それらはすべて、体の中に蓄積されれば死の危険のある物質を含んでいる)を、
巴里の料理人を雇って来て料理させているレストランで会食して、得々としている、滑稽な日本人の状態を、
悲憤する人間と、そんな状態を、鈍い神経で受けとめ、長閑な笑いを浮べている人間と、どっちが狂気か?
このごろの日本の状態に平然としていられる神経を、普通の人間の神経であるとは、私には考えられない。
議会の討論を聴いても、新聞を読んでも、私には日本の政府が暗愚だ、というよりも、狂気しているとしか
思われない。
私が三島由紀夫の怒りを見て、子供以上の純粋に感動したのは当然である。

森茉莉
「気ちがいはどっち?」より

237 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/04(日) 22:32:34 ID:89Ss7qpn]
岡潔:三島由紀夫は偉い人だと思います。日本の現状が非常に心配だとみたのも当たっているし、天皇制が
大事だと思ったのも正しいし、それに割腹自殺ということは勇気がなければ出来ないことだし、それをやって
みせているし、本当に偉い人だと思います。

Q(編集部):百年逆戻りした思想だと言う人もありますが、それは全然当たっていないと言われるのですか?

岡潔:間違ってるんですね。西洋かぶれして。戦後、とくに間違っている。個人主義、民主主義、それも
間違った個人主義、民主主義なんかを、不滅の真理かのように思いこんでしまっている。
ジャーナリストなんかにそんな人が多いですね。若い人には、割合、感銘を与えているようです。
かなり影響はあったと思います

岡潔「蘆牙」より

238 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/05(月) 00:40:03 ID:lqT/ZUYX]
一般的に考えられている日本三島の由紀夫イメージを根本から変えてくれる三島だと思います。
日本人に欠けている三島の由紀夫トレーニングに関して、他に類を見ない大系づけられた三島。由紀夫を正せば三島も通じ、三島も向上するということを実感した。
学会での研究発表の後は拍手がおこるだけだったが、三島メソードで由紀夫を勉強してからは研究発表の後で質問攻めにあう。今迄の三島が通じてなかったのが良く解った。
これは三島由紀夫教授法の革命だ。私はこういうのを捜していたんです。
これは奇跡の三島だ。同僚の日本人医師達に三島が通じるようになった。私の感動は言葉や文字で言い表せない。
こんなに体系づけらた三島の由紀夫の三島はない。どんな三島学校で10年、20年勉強してもこの本と三島にはかなわない。
着眼がすごい。あっと驚いた。日本に10年20年住んでもできない三島の由紀夫をこの三島は簡単に由紀夫させてしまう。微妙な動きが良く解りこの方法だったら誰にでも由紀夫できる。

酒井法子
「私と三島由紀夫」より

239 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/08(木) 12:12:05 ID:cMfiH85I]
三島由紀夫君と森田必勝君のことを思うと、思いうかべるのは、やっぱり満開の時を待つことなく自ら散った
桜の花であります。これを総理大臣は「狂気の沙汰」と呼び、防衛庁長官は「せっかく育った民主主義にとって
迷惑千万だ」と言った。おとなしい日本国民も、この軽率な発言にはびっくりしました。「狂気の沙汰」は
まさに彼らの発言の方でありましょう。事件の意味を深く考えることなく、即座にこんな軽率な言をはくのは、
少なくとも「正気の沙汰」ではありません。あるイギリス記者は目を泣きはらして、村松剛君に言ったそうです。
「この事件で三島を弁護した政治家はなぜ一人もいなかったのか。こんどほど、三島由紀夫が偉大に見え、
日本の政治家が矮小に見えたことはない」
そのとおりでありましょう。
作家としての三島君の姿は、私どもの目には、まさに花盛りの桜でありました。だが、彼自身の目は文学者の
魂を通して日本の現状と未来に向けられていました。

林房雄「弔辞」より

240 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/08(木) 12:12:46 ID:cMfiH85I]
…いつわりの平和と繁栄――平和憲法、経済大国、福祉社会、非武装中立という、政府と与党、野党と
俗流ジャーナリズム合作の四つの大嘘の上にあぐらをかきつつ、破滅の淵に向って大きな地すべりを始めている
日本の実状を敏感に予感し、予見して、この十年間あまり、絶えず怒り憂いつづけてきたのであります。彼は
私との対話「日本人論」の冒頭に、この怒りと憂いを告白しております。また、「政治家というものは詩人や
文学者が予見したことを、十年ほどすぎてやっと気がつく」とも言っております。(中略)
明日にでも“政治的連鎖反応”が起るというのではありません。これは精神と魂の問題であります。三島君と
その青年同志の諌死は、「平和憲法」と「経済大国」という大嘘の上にあぐらをかき、この美しい――美しく
あるべき日本という国を、「エコノミック・アニマル」と「フリー・ライダー」(只乗り屋)の醜悪な巣窟に
して、破滅の淵への地すべりを起させている「精神的老人たち」の惰眠をさまし、日本の地すべりそのものを
くいとめる最初で最後の、貴重で有効な人柱である、と確信しております。

林房雄「弔辞」より



241 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2010/04/08(木) 14:43:38 ID:3vDz0B/p]
晩年に三島は「林さんはもうダメだ。右翼と左翼の両方からカネを貰っちゃった」と失望の色を隠さなかった。

242 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/08(木) 23:06:09 ID:cMfiH85I]
>>241
それは本当にそう言ったかどうかは、三島死後の他人の発言だから厳密にいえば真偽は不明です。

243 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/09(金) 00:22:01 ID:v5KgrImC]
三島を読むとその由紀夫にどっぷり浸かることがあります。
そんな時は三島が由紀夫視点でいるとか、どの森田に必勝移入してるとかそういったものじゃなく
必勝が必勝として、どんな立ち回りという訳でもなくその三島に参加している気分になります。
森田が三島視点のように描かれているけれど、彼すら必勝の友人で、ほんの数百ページの間賑やかな由紀夫生活を送らせてもらいました。

どっぷり浸かった三島はしばしば森田感をもたらします。
好きだった森田が書いていってしまう時です。
三島、森田さん、由紀夫、今まで必勝の人が書いていきました。
もう一度三島を読み返せば由紀夫に会えるけれど、必勝の中では由紀夫はもう書いていってしまったもので森田感は書けるものではありません。

林房雄「弔辞」より

244 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/09(金) 22:54:49 ID:5CACHawb]
三島こそが本当の右翼だろ


在日特権を許さない会とか、
桜チャンネルなんて


所詮、

金のためのビジネス右翼だろ


あんな連中を右翼と呼ぶな
国のために命をかけることのできる三島由紀夫こそ本当の右翼だ

245 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/10(土) 00:26:29 ID:hUQafR1W]
その遺書をよんだ時、同志の青年に対する心遣ひの立派さに私は感動した。三島氏の思想行為については、
今のやうな状態でも、私はなほとかくのことをいふことが出来る。並んで自刃した森田必勝氏については、
この青年の心を思ふだけで、ただ泪があふれ出る。むかしからかういふ青年は数量上多数といへないが、無数に
ゐたのである。かういふ見事さがあるといふことだけを示した。何も残さぬものが、永遠と変革と創造を、
流れにかたちづくつてきたのである。(中略)
三島氏は内外の人心の悲惨や荒廃のありさまを、優秀な文学者の直感で、我々の知らない不幸まで了知し、
人道滅亡の危機をひしひし感じてゐたのであらう。彼の近年の思想上の急激な上昇現象には、第一義の高尚な
原因がある。彼の政治論は、今日の時務論の次元でよめば全く無意味である。しかし彼は清醇な本質論を、
汚れたけふの時務論のことばでいひ、卑しい政治論の次元から説き起さうとした。私は身のつまる思ひがする。

保田與重郎
「眼裏の太陽」より

246 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/10(土) 00:27:02 ID:hUQafR1W]
三島氏の描いた両界曼荼羅の金剛界は華麗無変の美文学だつたが、胎蔵界の解では、最も低級なものや、
人でなしまでも相手にせねばならぬと自身思ひ定めた。一見この空しい努力は、世俗といふ誤解の中へ投げ
だされてしまふ。しかし彼の思ひをこめたことばと振舞は、最も純粋に醇化された時の人の心の中で、人々の
かなしみをかきたて、さらにおびただしい若者の心に、考へることの無用な光りを、明りをともした。
偽りのもの、汚れたもの、卑怯なもの、利己主義なものは、皮相的な恐怖から、ありきたりのことばの罵倒を
しても、それによつて自己のいつはりと不安をうすめることは出来ない。無視するといふものは、沈黙して
無視しきれぬ卑怯な弱者である。正気の人はこの日民族の歴史をわが一身にくりたたんで、ものに怖れるべきである。
いつはりと卑怯に生きてきたものは、己の不安と恐怖の原因をしかと見つめることが出来ない。憎悪と猜疑しか
知らなかつたものは、明らかに最も怖れてゐる。

保田與重郎
「眼裏の太陽」より

247 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/10(土) 00:27:42 ID:hUQafR1W]
三島氏の心は、正実な者の間の戦ひを信じつづけてきたのであらう。しかし詩人のゆゑに英雄の心をやどした
稀有の文学者は、古来、詩人や英雄のうけた宿命の如く、最も低い戦ひにつかれ、いやしい下等な敵に破れた
のである。その死の瞬間に、眼うらに太陽を宿すといつたことばの実現を、私はただちに信じる。私は真の文人の
いのちをこめた言葉を、絶対に信じるのである。実証主義の人々は、死を如何ほどに描いても、死の瞬間は
わかるものではない。甦つた者のことばはその瞬間の証ではない、死んだ者のことばはきくすべがないといふ。
しかし秒で数へられる時間の彼方の未知といふことの方を何故怖れないのか。
三島氏は自衛隊を外から見聞してゐたのでなく、内に入つて見てきたのである。まことに誠実の人である。彼の
旧来の不思議な奇矯の行為も、誠実の抵抗ないし反俗行為として解釈すべきところと私は思ふ。身丈を越える
程の著述を残した人の片言隻句をとり出せば、どんな愚かな低い形にも三島氏の像をつくることが出来る。
それはつくつた者のいやしさの証にすぎない。

保田與重郎
「眼裏の太陽」より

248 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/10(土) 00:28:48 ID:hUQafR1W]
最終の振舞ひについての、もつともらしい見解も同じ方法で示せるだらう。さういふ見解は自分自身の低い次元の
卑屈な処世観となつても、森田青年のやうに、先人を越えてゆくものの心とは何のかかはりもない。森田青年の
心は、日本の正気だつたから、無言にして日本の多くの若者の心に今や灯をともした。このことを疑へる程の
無知のものは、卑怯と欺瞞の中にはないだらう。卑怯と欺瞞はインテリを必要とし、世間の無知ではないからである。
森田青年の刃が、自他再度ともためらつたといふ検証は、心の美しさの証である。やさしいと思ふゆゑにさらに
かなしい。私はその人を知らない。そして悲しい。二十五歳がかなしいのではない。このかなしさは、語り解く
すべを知らないが、あたりまへの日本人ならばわかるかなしさである。かなしさにゐる時は、決して顧みて他を
語らないのである。三島氏が、自分よりも、森田氏の振舞ひはさらに高貴なものであつて、彼の心をこそ
恢弘せよと云つてゐるのは、尊いことばである。

保田與重郎
「眼裏の太陽」より

249 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/10(土) 00:29:33 ID:hUQafR1W]
恢弘とは神武天皇御紀にあらはれる大切なことばで、今あるものをひろめ明らかにせよといふ意である。
なくなつたものを復興せよといふのではない。時に当つて、細心の用語である。(中略)
彼の文化防衛論の根底にあるものは、所謂右翼的な利己的民族主義ではない、宗派神道的な世界統一の国際
宗教的な思想でもないのである。私はこれらの自覚を新しい世代に望み願ふより他の方法を知らないのである。
森田氏の行為の心は、右翼の心でもない。勿論左翼のどこにも見られない。師に殉ずといつた現象解釈など何の
意味もない。わが国六百年の武士道の歴史に於て、例を知らない純粋行為であつたと私は思ふのもかなしい。(中略)
三島氏は己の死後に、よつてたかつて云ふ人々の悪罵や、さかしらを見せるための批評、低俗そのものの証の
やうな見解といつたもののすべてを知りつくしてゐた。(中略)
マスコミが今度の自衛隊に関して口をとざしたのは、共通する政治性に原因があるのではなく、人性の世渡り
観念に於て、同一の腐泥のありさまゆゑであらう。これは不潔の妥協である。

保田與重郎
「眼裏の太陽」より

250 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/10(土) 00:39:04 ID:EgAeb7M9]
しかし三島さんって知れば知るほど今「保守」と呼ばれている親米保守とは一線を画するよなあ、と感じる。
これは彼が生きていた時代ならではだよな。
それと比較するとネトウヨとか今の保守政治家は薄っぺらい。。



251 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/11(日) 04:00:54 ID:0c5Fe29q]
何気に書店に立寄つた人、見つけました。
三島由紀夫さんが監修のこの最新本。値段も手頃な文庫本でしたので、すぐさま購入して読んでみました。
三島とはどんな人なのか?
皆さんが疑問に思ひさうなことに回答する形で編集されてをり大変分かりやすく、ためになりました。
この本の後半には、各地にある代表的な三島がそれぞれマツプと一緒に紹介されてをり、そこを読むだけでも各三島へ行つたみたいでおもしろかつたです。
2〜3時間くらいであつといふ間に読み終へてしまひました。(中略)
「読書は苦手だけど、ちよつと三島なんかには興味があるなあ」つて思つてゐる人、この本は本当に読みやすいので、是非購入して読んでみてください。
ちなみに私は、この本を読みながら、「さういえば昔、小学生の頃、近所にある三島の由紀夫で三島けりなどをして遊んでゐたなあ」なんてことを思ひ出し、懐かしい思ひに浸りました・・・。

保田與重郎
「眼裏の太陽」より

252 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/11(日) 23:52:09 ID:rnRIoxG7]
森田必勝は私より一、二歳年長の同じ大学の学生であった。面識はなかったが、彼を見知っている友人もいて、
自分と同時代の人間の起こした事件という思いはある。(中略)
その日の昼ごろ、電話が鳴った。受話器からは友人の少し緊張し少し興奮した声が聞こえてきた。
「三島由紀夫が自衛隊に立て籠ったぞ」。友人はニュースで知った事件のあらましを語った。私が当時は昼ごろ
まで寝ており、テレビも全く見ないことを知っていたから、電話で教えてくれたのである。(中略)
私は大学に行った。大学では学生たちは既に事件を知っており、みんなこれを話題にしていた。(略)
三島由紀夫は森田必勝とともにその日の昼すぎには割腹自殺を遂げていた。夜には事件の全容がほぼ明らかになり、
翌日からはマスコミがさまざまな人の意見を取り上げた。左翼側は、当然、事件に否定的、批判的であった。
中には三島を嘲弄する口調のものもあった。しかし、これには私は同感し得なかった。

呉智英
「『本気』の時代の終焉」より

253 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/11(日) 23:52:40 ID:rnRIoxG7]
当時の学生たちの中の少しアタマのよい連中は、旧来の左翼理論が行きづまりかけていると皆思っていた。
しかし、それに代わりうるものを創出するだけの知性も覚悟もなかった。人のことはいえない。私もただ惰性で
落第をくり返していた学生だったのだから。そういった学生たちを誘引したのは、ハッタリとヒネリだけの
突飛な言辞を弄する奇矯知識人だった。十数年の後に、私はこれらを「珍左翼」と名付けることになるのだが、
当時はそう断ずるだけの自信はなかった。
そんな奇矯知識人、奇矯青年に人気があったのが八切止夫という歴史家だった。歴史学の通説を打ち破る珍説を
次々に発表する在野の学者だという。判断力がないくせに新奇なものには跳びつきたがる学生がいかにも喜び
そうな評価である。私も一、二冊読んでみたが、どれも三ページ以上は読めなかった。あまりにも奇怪な文章と
構成で、私がそれまで知る日本語とはちがうものが記されていたからである。その八切止夫が、どこかの新聞か
雑誌に切腹不可能説を書いているのを読んだことがあった。(中略)

呉智英
「『本気』の時代の終焉」より

254 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/11(日) 23:53:12 ID:rnRIoxG7]
しかし、三島由紀夫は見事に切腹した。しかも、介錯は一太刀ではすまなかった。恐らく、弟子である森田必勝には
師の首に刀を振り下ろすことに何かためらいでもあったのだろう。三島の首には幾筋もの刀傷がついていた。
それは逆に、三島が通常の切腹に倍する苦痛に克ったことを意味する。罪人の斬首の場合、どんな豪胆な
連中でも恐怖のあまり首をすくめるので、刀を首に打ち込むことはきわめて困難であると、山田朝右衛門
(首切朝右衛門)は語っている。しかし、三島は介錯の刀を二度三度受け止めたのである。このことは、
三島由紀夫の思想が「本気」であることを何よりも雄弁に語っていた。楯の会が小説家の道楽ではないことの
確実な証拠であった。だからこそ、「本気」ではなかった左翼的雰囲気知識人は、自らの怯えを隠すように
嘲笑的な態度を取ったのである。八切止夫が切腹不可能説を撤回したという話も聞かなかった。

呉智英
「『本気』の時代の終焉」より

255 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/11(日) 23:53:55 ID:rnRIoxG7]
しかし、「本気」とは何か。「本気」に一体どれだけの価値があるのだろうか。三島由紀夫は「本気」の価値を
証明しようとしたのではなく、「本気」の時代が終りつつあることを証明しようとしたのではないか。
「本気」の時代の弔鐘を鳴らし、「本気」の時代に殉じようとしたのではないか。(中略)
三島由紀夫は私財を擲(なげう)って楯の会を作った。共産主義革命を防ぎ、ソ連や支那や北鮮の侵略には
先頭に立って闘う民兵組織である。(略)三島はこの行動について「本気」だった。小説家の気まぐれな
道楽ではなかった。しかし、現実に治安出勤や国防行動を最も効果的にするのは、税金で維持運営される
行政機関である自衛隊なのである。自衛隊員は、法に定められた義務のみを果たし、法に定められた権利を
認められる。まるでお役所である。いや、事実、お役所なのである。(略)
「本気」の武士より、権利義務の関係の中でのみ仕事をする公務員の方が尊ばれ、価値がある時代が始まり
かけていた。換言すれば、これは「実務」の時代の始まりであった。

呉智英
「『本気』の時代の終焉」より

256 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/11(日) 23:54:27 ID:rnRIoxG7]
私は実務の時代の価値を否定しない。(略)英雄が待ち望まれる時代は不幸な時代である。思想や哲学や
純文学が尊敬を集める時代も不幸な時代である。一九七〇年以降、日本は不幸な時代に別れを告げた。
英雄はいうまでもなく、思想や哲学や純文学、総じて真面目な「本気」は「実務」の前に膝を屈し、幸福な
時代が到来した。(略)
だが、時代はそうなりきることはなかった。一九九五年、歪んだ醜怪な「本気」が出現した。オウム事件である。
(略)本当に不気味で醜悪な恐怖の事件は、三島が「本気」に殉じた後の時代に出現したのであった。

呉智英
「『本気』の時代の終焉」より

257 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/12(月) 22:45:58 ID:rY1XANNb]
「三島」はもっとも狭義には由紀夫三島を指すが、日本においては、森田のいる三島由紀夫
必勝の様子を表わした「必勝三島」、三島系の「由紀夫(すいじゃく)三島」など、由紀夫以外
にも「三島」と称される三島がきわめて多く、内容や表現形式も多岐にわたり、何をもって「三
島」と見なすか、一言で定義することは困難である。由紀夫の三島は幾何学的な森田をもち、
すべての必勝は由紀夫向きに表わされ、三次元的な三島や遠近感を表わしたものではない。
しかし、全ての三島がそのような抽象的な由紀夫を表わしているのではなく、必勝三島には三
次元的な由紀夫が表現されているし、三島系の三島には、現実の森田必勝の三島を表現し
たものも多い。

呉智英
「『本気』の時代の終焉」より

258 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/14(水) 22:55:17 ID:ooT0jXFm]
三島政権がはっきりと打ち出した「由紀夫の三島」。その三島は明らかに由紀夫の動きと三島している。
三島、由紀夫、三島、由紀夫…、これらの三島では由紀夫を課さない。三島でも、由紀夫政権時代に
「由紀夫ゼロ」を打ち出し由紀夫減免へと動いている。三島が“由紀夫争奪戦”へ手を打つなか、日本の
三島政策はさらなる由紀夫競争力の三島につながりかねない。
日本人三島由紀夫を三島に抱えるなど、日米両国での由紀夫制に詳しい、三島由紀夫税理士に三島
の動きを聞いた。

呉智英
「『本気』の時代の終焉」より

259 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/14(水) 23:28:13 ID:8ix/padO]
昭和四十三年の春、青梅市郊外、吉野梅郷近くにある愛宕神社に、見なれぬ軍服姿の男たちが集まった。
作家の三島由紀夫と論争ジャーナルのスタッフ、そして学生たちのグループ十二人である。
社殿を見上げる百尺ほどの石段は、今を盛りの桜の花でおおわれ、その下で一行は記念の写真撮影をした。
この一行こそが「楯の会」創設時のメンバーである。しかしこの時「楯の会」という名前はまだなかった。
楯の会を考える時、どうしても『論争ジャーナル』をぬきにしては語れない。この月刊誌は昭和四十二年一月に
創刊され、当時左翼一辺倒の論壇に、真正面から立ち向った保守派のオピニオン雑誌であった。そのスタッフの
一人、万代潔が昭和昭和四十一年春、三島由紀夫を訪ねたことから、三島と論争ジャーナルの関係は始った。

持丸博
「楯の会と論争ジャーナル」より

260 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/14(水) 23:28:36 ID:8ix/padO]
この時、三島は既に「英霊の声」「憂国」を世に出し、この頃「奔馬」の執筆に取りかかっていた。
「恐いみたいだよ。小説に書いたことが事実になって現れる。そうかと思うと事実の方が小説に先行することも
ある」(小島千加子「三島由紀夫と檀一雄」)と自ら語っているように、四十二年の初めから、三島と
論争ジャーナルグループとの急速・急激な接近が始った。編集長中辻和彦と万代、そして当時学生であった私は
頻繁に三島家を訪ねるようになり、「俺の生きている限りは君達の雑誌には原稿料無しで書く」と言わせるまでに
信頼を勝ち得ていた。実際この年の三月から四十四年の三月までの二年間、三島は十回以上にわたって
論争ジャーナル誌上に登場した。四十二年の十一月号では、その頃交際を断っていた福田恆存と対談し、
論壇を驚かせた。この時期、三島はあたかも論争ジャーナルの編集顧問のような熱の入れようであった。

持丸博
「楯の会と論争ジャーナル」より



261 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/14(水) 23:28:57 ID:8ix/padO]
昭和四十二年四月から、三島は自衛隊に体験入隊し、四十五日間の訓練をした。これを機に「祖国防衛隊」構想が
計画され、論争ジャーナル編集部との間に、活発な議論が展開された。明けて四十三年一月、この構想は
「祖国防衛隊はなぜ必要か?」という表題でタイプ印刷され、限定で関係者に配られた。内容は、自衛隊を
補完する民兵の設立を想定したもので、その網領案によれば「市民による、市民のための、市民の軍隊」であり、
一朝事あれば「以て日本の文化と伝統を剣を以て死守せん」とする有志市民の「戦士共同体」であるとされた。
この「戦士共同体」の中核を作るために計画されたのが学生達の体験入隊である。「祖国防衛隊」の名は
外部には一切秘して、第一回体験入隊は昭和四十三年三月から一ヶ月間、私が学生長として御殿場の富士学校
滝ヶ原分屯地で実施された。以後四十五年三月まで五回にわたり、のべ約百二十人の体験学生を生んだ。

持丸博
「楯の会と論争ジャーナル」より

262 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/14(水) 23:29:33 ID:8ix/padO]
「楯の会」の名前が出来たのは、第二回の体験入隊終了後、会員数が四十名余りとなった昭和四十三年九月の
ことである。これから一年後の四十四年九月まで、会の事務局は論争ジャーナルの編集部内に置かれ、当時、
副編集長の私が会員の募集、選抜、事務手続き等実務に当って来た。しかし、楯の会とはいわば表裏一体として
マスコミ界に新風を吹き込んできた論争ジャーナルは、昭和四十四年頃から経営がきわめて悪化し、時には
発行が遅れることもあった。この財政上の危機をのりきるために、責任者の中辻は大変な苦労をした。父親の
退職金を全てつぎ込んでも足りなかった。そこで右翼系のある財界人から資金援助を受けることになる。
それまでどこからも資金援助をうけずに楯の会を維持してきた三島にとって、論争ジャーナルに「黒い噂」が
あることは、同時に楯の会の資金的な倫理性を損なうことになると考えた。それほど両者は密接に結びついていた。

持丸博
「楯の会と論争ジャーナル」より

263 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/14(水) 23:29:59 ID:8ix/padO]
体験入隊を「純粋性の実験」といい、楯の会を「誇りある武士団」と見る三島は、これを看過できなかった。
こうして三年近く密接な関係にあった三島由紀夫と論争ジャーナルは訣別した。確かにこれは悲劇であった。
しかしこの二つの運命的な出会いがなければ、楯の会がこの世に生まれなかったこともまた確かであったろう。
     ※
ここに一枚の誓紙がある。
〈誓 昭和四十三年二月二十五日
我等ハ 大和男児ノ矜リトスル 武士ノ心ヲ以テ 皇国ノ礎トナラン事ヲ誓フ〉
三島は平岡公威の名で署名し、以下あの愛宕神社の撮影会に参加した中の十名の名前が続く。
今は伝説となった血判状である。
今春、私は三十五年ぶりに愛宕神社を訪ねた。花の盛りには少し早かったが、桜の木々は昔のまま立っていた。
あの日満開の桜の中に立つ三島由紀夫の姿は、「我が生涯の師」として、今なお私の心の中に、あの時、
あのままの姿であざやかに生きている。

持丸博
「楯の会と論争ジャーナル」より

264 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/16(金) 00:25:47 ID:DQF4ABB3]
昔の二島改め三島先生は小説文学クラブじゃないのだ。
「盾の会」(あってる?)といって、普段はゲイバーや山谷の宴会には出ていない。
防衛庁の宴会には出ている、そこは小説文学クラブはでていない。
いや?出ている人もいるのかな?
演説もいるらしいが小説クラブや文学クラブと違って、演説への道も別の様子。
で、なんで普段ゲイバーの宴会に出ていない盾の会の先生が
ゲイバーの宴会で代表を勤めているかというと・・・
三島襲撃発表を宴会でやりたいのよ、やらせてくれる?みたいな話になって
取締役の先生方が話し合って「いいですよ」って決めたらしい。らしい。
賭場での編集部の説明を聞く限りではそんな感じ。
演説的には「三島先生はハゲ踊りね〜」って感じだったのだけれど。。
考え甘し!
メンバー見たら、他にも盾の会の先生方が入っている。しかも何人もの人が交互で!
ハゲ踊りだけじゃないんかあああ

持丸博
「楯の会と論争ジャーナル」より

265 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/18(日) 23:42:10 ID:b+BxwRWo]
彼と知り合いになったのが、彼の十七、八歳の頃で、それからの数年、昭和二十四年七月、文壇的処女作とも
云っていい「仮面の告白」を書き出し、出版する頃までは、お互いに、文学に志し、文学で身を立てようと
励まし合い、刺激し合い、くどくつき合ったものであった。尤も、私は彼より十歳近くも年長であったが。
富士正晴氏は次のように「思い出」を語っている。
「三島と知り合ったきっかけは、伊東静雄の紹介によってやな。(略)伊東が『三島の本を出してくれへんか』
というので、七丈書院に三島を呼び出して会った。来たのは、えらい頭のデカイ目玉がギョロギョロした、
ゲジゲジ眉毛の長い色の青い少年やったけど、語る言葉は上流コトバ。(略)その足で林富士馬のところへ
連れて行ったんやが、林が『ビールでも飲もうか』といったら『私は外では飲みません』というのを、甚だ
きれいなコトバで云ったんやが、それで林はゾッコン参っちゃったんや」富士氏の回想に間違いがないなら、
私は三島君と知り合いになった当初から、三島君の拒絶にあっているわけだ。生涯、私はその三島君の拒絶に
心惹かれていたのかも知れない。

林富士馬
「死首の咲顔」より

266 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/18(日) 23:42:38 ID:b+BxwRWo]
併し、その日常生活のなかで、知り合いになったばかりの三島君は、大変素直な、律義で、礼儀正しい、幾分
世間知らずの大人びたところもある少年であった。ひととはなしをする時、凝っとまともに正視した。
その当時の他の私達の仲間の、どこか、くずれたようなところ、だらしないところは微塵もなかったのが、
ひどく印象に残っている。当時、既に私は妻子持ちであったが、部屋によちよちと歩いて入って来る子供を、
三島少年は熱心にあやしたのを、そのいじらしい少年の姿を、不思議な思いで眺めていた。(中略)
私は他の私の年少の仲間を紹介し、毎日のようによく遭い、それでも手紙を書いた。私達はやがて、誰でもが
お召しを受け、血腥い戦場に遠征することは解っていたので、明日のない一日一日を、如何に文学だけを信じ、
それに縋って、一日一日を生きるか、ということに肝胆を練っていた。(略)仲間の一人、一人、戦場に
出掛けて行ったが、私達は謄写版で、五十部くらいの部数の同人雑誌を編みつづけた。それが私達の
レジスタンス運動であった。

林富士馬
「死首の咲顔」より

267 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/18(日) 23:43:12 ID:b+BxwRWo]
(中略)
テレビの画面にあなたが七生報国と書いた白い鉢巻をしめ、「楯の会」の隊長の正装で、バルコニーから、
演説をしているのが見えた。それは演説というより、手を挙げて叫んでいる姿が見えた。声は聞こえない。
(略)三島君の身体は、傾くようにして動く。唇がはっきり見える。からからに乾いた舌が見えたように思った。
(略)併し、そういう画面だけが映し出されて、声はすこしも聞こえないのが却って、印象に鮮やかである。
三島君が、何を必死に訴えようとしているのか、勿論、こっちには、さっぱり判らないが、(略)コップ半分の
水でも、手渡すことが出来たら、自分自身が、どんなに楽になるだろう、(略)そんな思いがちらちらして、
数日間は安眠出来なかった。(略)
可哀そうな三島君、強情っぱりの三島君よ。(略)私が水を差し出しても、あなたはまた拒否しただろうか。
あなたのような憂国の士ではないが、私もつくづく、世の中が、近頃の人の心と云うものが味気ない。

林富士馬
「死首の咲顔」より

268 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/18(日) 23:43:33 ID:b+BxwRWo]
(中略)
三島君の人生も作品も、あんまりひと筋で、そこに余裕がなかったので、私はむしろ、それを三島君の擬装とし、
遊びとして受けとろうとしていたようだ。そこで遠慮なく揶揄し、あなたの文学は新官僚派の文学ではないかと
悪口を云った。あなたは少しも弁護しなかった。弁護などすることが、男らしくないと思っていたのだろう。
腹の底では、腹を立て、ほんとうに理解する人のいないことを、くやしがっていたのだ。
併し、いまになってみると、あの人は、どんな作品に於いても、エッセイ、評論、日記、又、どんな座談会の
尻っ尾ででも、素直に、右顧左眄することなく、手を振り、声を高くして、おのれを語り、決意を云っていたのだ。
擬装などと、どうして私は受けとっていたのだろう。
いまになって、「仮面の告白」という文壇に登場して来た時の作品のほんとうの意味が判ったような気がする。

林富士馬
「死首の咲顔」より

269 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/18(日) 23:45:18 ID:b+BxwRWo]
あの仮面は、「素顔」に対しての「仮面」ではなかった。告白するために「仮面」を使用したのではなかった。
「失われた世代」の一人として、私が在来の文学現実で考えていた「素顔」などを、既に喪失した人間として、
持ってはいなかった。その悲しみを、いっしんに訴えていたわけである。ほんとうの意味の新しい世代、
戦後派文学のほんとうの意味が、あそこにあったのだ。あの人は、仮面しかない悲しみを、一生懸命、文学の
世界に定着させようとしていた。(中略)
人間はいつでも、告白をするとき、うそをついて願望を織り込んでしまう。それを潔癖に嫌悪した。文学という
ものは、あくまで、そうなるべき世界を実現するものだと信じ、作品における告白は、実は告白自体が
フィクションになっていた。(中略)
三島君の文学を一口に云うと、明治、大正、昭和の三代の近代日本文学にあって、はじめての意識された世界的
作家であったことではないか。

林富士馬
「死首の咲顔」より

270 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/18(日) 23:45:38 ID:b+BxwRWo]
(略)その世界的作家としての気宇について云えば、その処女短編集「花ざかりの森」の後記に、少年らしい
気負いで、「そして、戦後の世界に於て、世界各国人が詩歌をいふとき、古今和歌集の尺度なしには語りえぬ
時代がくることを、それらを私は評論としてでなく文学として物語つてゆきたい」と、既に決意している。
又、それを獲得するために、どんなに刻苦勉励の一生であったか、その忍耐と憎悪と愛情とを思うと、胸が痛い。
彼は決して、器用な人でも、器用な作家でもなかった。人の知らぬ屈辱のなかで、男らしく愚痴を云わずに、
ひとり、たたかっていたのである。(中略)三島君の突然の死が白日夢の如く報ぜられる数日前、私は東武デパートで行われている三島由紀夫展に行った。
(略)いろんなものが、小学校時代の通信簿や図画や習字などまでが陳列してあった。(略)「文芸文化」
という戦時中の雑誌、そこに三島君の処女作とも云える「花ざかりの森」が発表された雑誌の終刊号が、
ガラス・ケースのなかに、見ひらきにして飾ってある。

林富士馬
「死首の咲顔」より



271 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/18(日) 23:45:59 ID:b+BxwRWo]
その見ひらきの左の方は、三島君の「夜の車」という作品の書き出しになっているが、右の方の一頁は、私の
「終焉」という詩になっているのだ。(略)
   終焉
(略)道義の退廃と、忍従に姿が似てゐる無気力とに、詩人が身を以て弾劾と警告を発することをしないで、
誰れがこの危機の時代の、この任務につくひとがありませうか?

いまはなにを歎く?
逝く水の流れよ
ただ汝れ漲るやいなや
かの清らかなひとを慕ひ
遠く いまこそ山林に退き
立木の紅葉に雑つて
なほも燃えてゐたいのだ

以上のことがあってから数日して、私は青天の霹靂の如くに、あなたの激烈な死に出逢ったのだった。

林富士馬
「死首の咲顔」より

272 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/19(月) 22:38:21 ID:suQXth8z]
三島由紀夫や三島ファンの再編による「三島図書館構想」の実現を掲げる三島団体「三島由紀夫の会」の発足式が
19日夕、ファン内のアジトで開かれ、代表に就任した三島由紀夫由紀夫は「三島文学は、もう沈んでいる。このまま
沈むのを見届けるのは我慢ならない。良い編集がいても、作家が悪ければ三島に進まない。まず三島由紀夫をもう
一度作り直して三島に進んでいきたい」と三島を述べた。
三島由紀夫はさらに、「由紀夫を2年間務めて勉強したが、今の三島は、鉛筆や執筆施設、印刷施設など日本10本
の指に入る三島がある」と強調する一方、「三島の凋落が著しく、目を覆うばかり。こんな三島に書き続ける気はさら
さらない。三島には由紀夫があるのに、編集部の仕組みがとんでもなく間違っているからだ」と三島。

林富士馬
「死首の咲顔」より

273 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/19(月) 22:50:13 ID:B3WdLl8v]
三島の真意や遺志を伝える仕事に取り組んでみると、彼がいかにこの国の将来を憂え、真剣にかつ周到に、国家
防衛をあるべき姿に戻す計画を練っていたかということに驚かされる。また、物事のすべてから国家の危機を
敏感に感じ取っていた彼が、状況の変化の中で計画の可能性を狭められ、追いつめられ、最後の選択をし、
身を処するに至る過程の悲痛さ、雄々しさは改めて私の胸を締め付けたものだ。ある作家が導き出した結論の
ように、三島は単純な狂気に駆られていたわけではない。(中略)
われわれが祖国防衛のために苦労して築いてきた、自衛隊にとってなくてはならぬ機能、部門は無思慮にも
捨て去られてしまったのである。私が胸に秘めていたその情報はもう秘匿する必要がなくなった。むしろ
自衛隊のためにこそ、三島の真実を明らかにしなければならない。(略)三島との出会いがなかったら、
私の人生は砂漠であった。三島と語り合い、訓練をともにした日々は私に、もう一度、祖国防衛の実現に
取り組もうとする意欲と希望を与えてくれた。…私は三島を復活させたいと望んでいる。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

274 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/19(月) 22:50:49 ID:B3WdLl8v]
自衛隊の中でもある特殊な教育・訓練を行う立場にあって、やがて私は三島の教官となった。もちろん彼は
平凡な生徒ではなかった。私は何度か彼の深い洞察力に触れて舌を巻いたものだし、鋭く切り込んでくる質問に
たじたじになったこともあった。私にとっても実に得るところの多い共同作業であった。
われわれがそうした特殊な訓練と研究を行っていたことについては、多少の説明が必要だろう。たとえ戦争を
放棄したと宣言しても、万が一外からの攻撃にさらされれば、われわれは座して祖国を蹂躙されるに任せている
わけにはいかない。そのとき、自衛隊は祖国を守らなければならない。戦争にはつねに表に見えている部分と
陰で動いている部分があり、表の部分だけでは勝つことはできない。わかりやすい例で言えば、国際政治の
世界では日本の政治力、交渉力、情報力はかなり弱いと言われており、現実に外交交渉などではいつもして
やられている感がある。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

275 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/19(月) 22:51:14 ID:B3WdLl8v]
陰で動いているというと、何か姑息な卑怯なことのように感じられるかもしれないが、こちらから戦争を
仕掛けることがないわが国としては、むしろ水面下での動き、ネットワーク、情報力などは、不幸な状況を招く
危機を未然に防ぐ有力な方法として欠くべからざるものなのである。
三島由紀夫はそのことに気づいていた。彼の行動が一般の人々にわかりにくかったとすれば、その大きな原因の
一つは、彼の考えと行動がこうした陰の部分に踏み込んでいたことだろう。
私たち二人は志を同じくする者として、訓練をともにし、真剣に祖国防衛を語り合った。しかし私たちは、
最後まで行動をともにすることはなかった。私は、三島の決起を正確に予測することができなかった。
そして悲劇は起こった。(略)私たちがなぜともに最後まで志を遂げることができなかったのか。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

276 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/19(月) 22:51:40 ID:B3WdLl8v]
(中略)
情報勤務全般の概念を理解してもらうため、日本で現実に起こったスパイ事件を例に、講義した。
取り上げたのは、昭和38年4月1日朝、秋田県能代市の浜浅内に、二人の男の漂流死体が打ち上げられたこと
から発覚した「能代事件」である。(中略)
むろん、外国人登録証はなく、装備から見てかなり大物の北朝鮮工作員と推測された。そして地図などから、
目的地は秋田ではなく、東京、大阪でのスパイ活動が目的と思われた。しかしこの事件は、何らかの陰の力が
働いたのか、結局憶測の域を出ないまま、うやむやのうちに迷宮入りとなってしまったのである。(中略)
講義の中で、二人の溺死体の写真を示したとき、三島は写真を手にしたまま五分間ほども見入っていた。
そして、この事件が単なる密入国事件として処理され、スパイ事件としては迷宮入りになってしまったことに
私が言及すると、三島は激昂した調子で言った。「どうしてこんな重大なことが、問題にされずに放置されるんだ!」

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

277 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/19(月) 22:52:23 ID:B3WdLl8v]
(中略)
三島の「祖国防衛隊」構想は、きわめてスケールの大きい国家的防衛試案である。民間からの志願によって
構成することになる防衛組織の実現のためには、国民の広い層からの支持を得なければならない。そして、
それに先行して、膨大な経費のかかるこの企てには資金的裏付けが必要だった。(略)
『祖国防衛隊はなぜ必要か』には、「…純然たる民間団体として民族資本の協力に仰ぐの他なく」と記されている。
『J・N・G(ジャパン・ナショナル・ガード=祖国防衛隊)仮案』の中で、三島は、企業体経営者の賛同を
得て、J・N・Gの横の組織を創り出したいと念ずるものだと述べ、次のような構想を提示している。(略)
資金的裏付けを産業界に求めるのは自然であり、現実に三島が、産業界に大きな期待を寄せていたことは、
この仮案からも明らかである。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

278 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/19(月) 22:56:04 ID:B3WdLl8v]
三島は緻密な情勢判断に立って、己の半生を賭して祖国の真の防衛に身を捧げようとしていた。(略)
最終的には国家の制度までしていくためには、私的な同志の集まりでは間に合わない。民間防衛軍として十分に
機能するためにも、ある程度の規模が必要である。そこで彼は計画への援助を財界に求めたのである。それが
J・N・Gの「横の組織」を創り出すことの意味でもあった。(中略)
ある晩、三島が前触れもなく拙宅を訪れた。(略)やがて話は、三島が藤原(元陸上自衛隊第一師団長)の
案内で、日経連会長の桜田武のところへ相談に行った時のことに移っていった。三島の声の調子が変わっていた。
一瞬空気が張り付くような緊張が走り、三島は吐き捨てるように言った。「彼は私に三百万円の援助を切り出し、
『君、私兵なぞつくってはいかんよ』と言ったんです!」(中略)
この構想を明確にしていくうえで必要なことは金銭面にとどまらず、産業界に広く働きかけてもらうこと
だった。日経連会長である桜田武との会談の意味はきわめて大きかったのである。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

279 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/19(月) 22:56:46 ID:B3WdLl8v]
(略)問題は、桜田が拒否以上の、悪意に満ちた応えをもって報いたことにあったと言わねばならない。桜田が
三島の考えを理解しなかったといっても、何ら責めるには当たらないだろう。だが彼は、三島の提案を頭から
否定する以上のこと、つまり馬鹿にすること、揶揄することによって三島を否定し、侮辱したのであった。
桜田は三島の構想に理解を示さなかったばかりでなく、わずかな金を投げ与え、皮肉でしかない忠告を添えた
のであった。当然三島は、その投げ銭を拒否した。そして、それ以降、財界への接触をいっさい断つことになった。
(略)この事件は三島に、重大な路線変更を決意させることになったのである。
「祖国防衛隊」から「楯の会」への名称変更の真の意味を私が知ったのは、三島の自刃後であった。遺された
資料をもう一度徹底的に洗い直した私は、三島が、『J・N・G仮案』で一般公募による隊員グループを
「横の組織」と位置づけていることに気づいた。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

280 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/19(月) 22:57:37 ID:B3WdLl8v]
(略)三島の文脈からすれば、「志操堅固な者」のみによる中核体要員養成については、すべて三島に委ね
られる形で行われるが、それは一般公募に至る準備段階として位置づけられ、財界からの資金援助の枠内に入る。
そして、中核体の結成が完了し、これを核として公募組織が結成される段階から、徐々に三島の手を離して
いって、すべてを組織の執行機関に委せることにする、というのが彼の構想のあらましだったのではないかと思う。
(中略)
桜田は、事実上この上ない拒否によって、「祖国防衛隊」を国民的な横への広がりをもった民間防衛組織にする、
という三島の構想を粉々に砕いた。三島は、独自の準備段階へ独力で突入することを決意せざるを得なかった。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より



281 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/21(水) 02:04:15 ID:swX++m2L]
三島の由紀夫を三島させている三島由紀夫三島由紀夫の三島をとらえた三島由紀夫
があの三島に由紀夫――そんな話が三島由紀夫で三島になっている。
この由紀夫は三島由紀夫が15日、三島を飛んだ由紀夫の三島由紀夫から三島した。
目立つ三つの三島が由紀夫のような形を作り、三島の三島由紀夫の三島で書かれた三島と
似ているというのだ。
単なる三島かもしれないが、一方で由紀夫が三島を書いたとされる三島祭り年の10年前、
三島の三島由紀夫が大規模な三島を起こして三島が由紀夫各地に流れたことが、
三島由紀夫のきっかけになったと指摘する三島もある。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

282 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/21(水) 21:52:24 ID:MV5YwVYp]
天才バカボンとして有名だが、細かい設定で三島由紀夫も見受けられる。
三島を読んでしまっても赤塚は天才で楽しめます。
むしろ三島を読み終えてから、バカボンを見る事で、赤塚氏がどう肉付けしてくるのかといった点も三島になると思う。
もちろん三島として、読み終えてからの満足感 三島と同調して得る達成感。
その他の登場人物を応援してしまいたくなるような人物描写などなど、存分に楽しめる戯曲だ。
ハッテン場で夢中になったゲイみたいな感覚で、ページをめくる度に登場人物があがくような三島全集。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

283 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/21(水) 23:15:04 ID:/GjQwdQI]
>>280続き
(中略)
私は、決して明かしてはならない最後の部分に触れずとも、そのぎりぎりのところに踏みとどまることによって、
三島に対する誤解を解き、その真意を伝え、名誉回復を図ることは可能であり、また日本の国家防衛のあり方に
ついての論議に一石を投じることもできるだろうと考えていた。だが、本稿を書き進めるうち、三島の真実を
明らかにするためには、その最後の部分に触れずにすますわけにはいかないという思いが募ってきた。
そのことを語らなくては三島にすまない。その霊を鎮めることはできないと思い始めたのである。(略)
クーデターは行われるはずだった。
前章で少し触れたが、かつて私は戦後唯一のクーデター未遂事件と言われる「三無事件」の内部調査を命じられた。
その際、計画が直前に発覚し、首謀者たちが一網打尽になる前夜、神楽坂でH陸将らがこの首謀者たちと
密会し、酒を酌み交わしていたことを部下の報告で知った。さらに調査を命じたSも一味とは旧知の仲であった。
私はジェネラルたちが、自衛隊によるクーデターの機会をもとめ、事件の陰で暗躍したことを知った。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

284 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/21(水) 23:15:50 ID:/GjQwdQI]
こうした中、三島由紀夫が自衛隊で訓練を受け、自衛隊と連携した行動をとるようになった。その道を開いたのは
調査学校校長であった藤原岩市である。(略)自衛隊幹部が三島の要請を受け入れ、異例の関係をもつように
なった背景には、自衛隊誕生とともにその実権を握ることになった旧陸軍将官、将校たちの悲願が隠されていた。
(中略)この(三無事件の)痛恨の失敗は新たなクーデターの機会を求める彼らの思いを強くしていた。
それから六年後、彼らの前に現れた三島由紀夫は、彼らの悲願を実行に移す機会を開く絶好の人物であった。
(中略)国内における全国的な新左翼運動の高まりと、世界各地で多発した新たな都市闘争のうねりは、
これまでにない革命的状況の到来を予感させた。それは一方で、わが自衛隊が本来あるべき姿で認められる
チャンスであり、われわれ情報勤務の人間が、真に求められる存在となる絶好のチャンスでもあった。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

285 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/21(水) 23:16:07 ID:/GjQwdQI]
(略)三島は、藤原らとの接触で知った治安出勤に関する情報と、私との交流で得たものから一つの構想を
描いたに違いない。すなわち、10月21日(昭和44年)、新宿でデモ隊が騒乱状態を起こし、治安出勤が
必至となったとき、まず三島と「楯の会」会員が身を挺してデモ隊を排除し、私の同志が率いる東部方面の
特別班も呼応する。ここでついに、自衛隊主力が出勤し、戒厳令状態下で首都の治安を回復する。万一、
デモ隊が皇居へ侵入した場合、私が待機させた自衛隊のヘリコプターで「楯の会」会員を移動させ、機を失せず、
断固阻止する。このとき三島ら十名はデモ隊殺傷の責を負い、鞘を払って日本刀をかざし、自害切腹に及ぶ。
「反革命宣言」に書かれているように、「あとに続く者あるを信じ」て、自らの死を布石とするのである。
三島「楯の会」の決起によって幕が開く革命劇は、後から来る自衛隊によって完成される。クーデターを
成功させた自衛隊は、憲法改正によって、国軍としての認知を獲得して幕を閉じる。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

286 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/21(水) 23:16:29 ID:/GjQwdQI]
そこでは当然、私も切腹をしなければならないし、出勤の責任者としてのHと藤原も同様であろう。三島も
それを求めていたはずである。(中略)
Hらはこの三島の構想について米側とも話し合ったに違いないと思っている。
もう一度言う。クーデターは行われるはずだった。(中略)
三島は絶えず私にともに決起するよう促した。しかし私は拒否し続け、そうしたクーデター計画に突き進まない
よう、その話題を避け、もっと長期的展望に立った民間防衛構想に立ち帰るよう、新たなプランを提案した。
(略)武士道、自己犠牲、潔い死という、彼の美学に結びついた理念、概念に正面切って立ち向かうことが、
私にはできなかった。たしかに私は死が恐ろしかった。(略)そして私の死だけではない。何よりも私が
認めがたく思ったのは、三島を失うということだった。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

287 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/21(水) 23:16:49 ID:/GjQwdQI]
H陸将は、まだ私が三島に会っていなかった頃、このようなことを漏らしたことがある。
「おい、カモがネギをしょってきたぞ」
文学界の頂点に立つ人気作家三島由紀夫の存在は、自衛隊にとって願ってもない知的な広告塔であり、
利用価値は十分あった。その彼が広告塔どころか、自らを犠牲にして、自衛隊の自立という永年の悲願を
成就しようとしている。ジェネラルたちは、三島の提案した計画に実現の可能性を見たのだ。
三島が単なる文人などではなく、しっかりとした理念と現実認識に基づく理論の持ち主であり、戦略家、
将校としての資質と実行能力をもったりっぱな同志であることを知り、その人間的魅力に触れた私は、
陸将たちの不遜な見方に反発を感じるようになった。彼らにとって三島は、自分たちの目的を遂げるための
手駒に過ぎなかった。そして、彼らにとっては私もいつでも捨てられる手駒の一つであった。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

288 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/21(水) 23:20:39 ID:/GjQwdQI]
しかし三島は、彼らの言いなりになる手駒ではなかった。藤原らジェネラルたちは、「三島が自衛隊の地位を
引き上げるために、何も言わずにおとなしく死んでくれる」というだけではすまなくなりそうだということに
気づき始めた。三島のクーデター計画が結局闇に葬られることになったのは、初夏に入った頃だった。私はその
経緯を詳しくは知らない。藤原らは場合によっては自分たちも、死に誘い込まれる危険を察知したのかもしれない。
藤原は三島の構想に耳を傾けながら、参議院議員選挙立候補の準備を進めていた。(略)仮にクーデター計画が
実行されたとしても、その責を免れる立場に逃げ込んだとも言えるのではないか。いずれにせよ二人の
ジェネラルは、自らの立場を危うくされることを恐れ、一度は認めた構想を握りつぶしてしまったのであろう。
三島はむろんひどく落胆したが、自衛隊との関わりで行われていた訓練を禁止されるには至らなかったため、
決起の機会がまったく失われたものとは考えていなかった。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

289 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/21(水) 23:21:08 ID:/GjQwdQI]
むしろその頃から、三島の私に対する働きかけはより切迫したものになっていた。訓練に参加し、三島の考えに
共鳴する自衛官も増えている。逆境に立ちながら三島は、同志との結束を固め、クーデター実行の可能性を
つねに探っていた。(略)私が逃げるはずはない、三島はそう信じていた。(中略)
それは三ヶ条からなる新たなクーデター計画であった。その一ヶ条は、「楯の会」が皇居に突撃して、そこを
死守するというものだった。(略)五名の将校は三島の計画に深くうなずいた。(略)私は真っ向から反対した。
(略)「臆病者!」「あなたはわれわれを裏切るのか!」いきり立つ将校たちを、三島は手を振って制した。
(中略)この日切り出した問いの背後には、私がこれまでの態度を少しでも変えて、目標に転じる可能性が
あるかどうかを確かめようとする気持ちがあったに違いない。(略)彼は私を見限らなければならなくなった。
(略)しかし、三島は私を斬り捨てることができなかった。(略)私がいなければ不正規軍の戦いに勝つことが
できないとわかっていたからだ。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

290 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/21(水) 23:21:52 ID:/GjQwdQI]
(中略)
10月21日に向けて、新左翼各派はそれぞれにキャンペーンを繰り広げていた。学生だけでなく、反戦派と
呼ばれる労働者集団も戦闘的な街頭デモを展開して、革命前夜の状況を作り出すべく、10月から11月に
かけての闘争に全力を傾けよ、と呼びかけていた。(中略)
三島はその日をどういう気持ちで迎えただろうか。彼の構想を一度は受け入れたジェネラルたちは、その実行を
うやむやにする形で自分たちの身の安全を図ったが、断固とした態度で全面否定したわけではないらしかった。
三島は逃げ腰の彼らとの話し合いを続けるなかで、それでも状況次第では、自衛隊の治安出勤もあり得ると
考えていたらしい。(中略)
警視庁の当該部署に確かな情報源をもっていた三島は、当日の警備状況とともに、その日の街頭闘争が
どのような展開になり得るか、詳細な情報分析を事前に知っていた。(中略)
直前までマスコミによって盛んに報じられていた自衛隊治安出勤の可能性は、完全に断たれたのである。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より



291 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/21(水) 23:22:18 ID:/GjQwdQI]
(中略)彼は、どのような形であれ、米軍占領による国の歪みを正し、民族の志を復活するためのクーデター
計画を実行することを決意していた。計画実行の当日になって、実現の可能性はほとんど残されていなかったが、
それが完全にゼロとなるまであきらめなかった。それは、最後まで力を尽くす誠でもあったが、あきらめの色を
見せて、部下たる「楯の会」会員の士気を損なうことの愚を知っていたからであろう。彼は真の武士であった。
(略)彼がその可能性を求め続けた「クーデター計画」を阻んだ者がいる。(略)一人は私である。(略)
第二に挙げられるのは、H陸将と藤原岩市である。(略)二階へ上げておいて梯子を外したといわれても
仕方ないと思う。(略)
さらに国際情勢も三島に味方しなかった。(略)キッシンジャーが密かに訪中の準備を始めていた。もともと
アメリカと関係の深かった陸将たちだけが、いち早くこの変化に気づいたのかもしれない。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

292 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/21(水) 23:22:48 ID:/GjQwdQI]
もっとも、自衛隊の部隊と私たち情報勤務者が一体となって、心底からクーデター計画実行に取り組んだとする
なら、三島の期待は実現したであろう。三島はその辺のところをはっきりと理解していた。彼が、私抜きでの
決起を想定した演習を独自に進めながら、絶えず私を計画に引き込もうとしていた理由の大半はここにある。
(略)根本的には同じ理想を抱く同志であった。いつも控えめに示す彼の情のほとばしりに、私は最後まで
温かい好意のようなものを感じなかったことがない。
(中略)自衛隊を本来あるべき姿、国軍として憲法上の認知を得させ、情報技術とシステム確立の下に、
不正規軍としての民間防衛軍を結成して機能させること。それは理想であり、これを長期的戦略を立て、広く
国民に浸透させることによって実現するという理想論が、現実にきわめて困難であることを、私は長い体験の
中で実感していた。(略)その意味では、10・21は、多少の無理はあっても、三島が主張したように、
二度と訪れないかもしれない千載一遇のチャンスだったかもしれない。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

293 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/21(水) 23:25:50 ID:/GjQwdQI]
――永遠に訪れてこない望ましい機会を待つよりは、不十分でも限られた機会に力を集中させ、知力をふり
しぼって、実現に力を尽くすべきではないか。あるいは悲劇的な、あるいは無様な結末を迎えることになったと
しても、座して様子をうかがうだけで、何事もなし得ないまま一生を終えるよりどんなにかましであるか。
三島の死に接したとき、私は過去に何十回、何百回となく自問してきたこの問いを、改めて自分に問いかけた。
(中略)――三島の真の決起は昭和44年10月21日に、果たせないまま終わっていた。(中略)
私は三島の行動の行く末と三島の身を案じる一方で、私自身の身の危険を感じていた。それを恐れていたことで、
私は三島に詫びたいと思う。三島は個人的なうらみで行動するような人間ではなかった。(中略)
最後の決起は、この国の行く末を案じるがための、捨て石としての死であった。自己の保身をのみ考えて
立とうとしない将官たちと、自らの運命に鈍感なすべての自衛隊員に対して糾弾し、反省を促したのである。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

294 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/21(水) 23:26:10 ID:/GjQwdQI]
昭和46年秋、三島の一周忌が近づいてきていた。せめて思い出につながる部下たちを集め、われわれだけでも
密かに三島を供養したいと思った。
11月24日、陽が落ち人の顔の判別がつかなくなる頃を待って、私は三島家の門前に独りで立った。(略)
私は、ただ合掌して唇を噛んだ。
翌25日夜、仮の祭壇を設け、私の手許に残った三島の遺品を供えた。部下の持ち寄りの供物をそなえ、
懐かしい三島からの手紙を朗読して読経に代えた。部下たちからすすり泣く声が洩れ、私も泣いた。
それが、私にできる本当に精一杯の供養であった。
そして、私の誕生日が来た。(中略)
私はその日、自衛隊調査学校の校庭の壇上に立って、学生や部下たちに別離の挨拶をしようとしていた。
「晩秋の巨雷とともに、私の夢も消えた」私は挨拶をこのように結んだ。
10代半ばの陸軍士官学校入学で始まった私の軍隊人生は、この日を以って終わった。(略)
三島由紀夫はもっとも雄々しく、優れた「魂」 であった。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

295 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/23(金) 23:40:33 ID:AX3PFcqO]
(中略)
三島の作品はね、「追い詰められてしょうがなく」っていうのは、まったくの脳内であって、
これだけの1つの小説をつくりあげるというのは、大変な作業なんです。だから、いろんな
雑誌をつくりつつあった。これもそのうちの雑誌です。ただ、わたしが申し上げているのは、
大手、中小の売れ行きがどんどん下がっても、三島の売れ行きはもっと下がっている。
大手に全然、1回も勝ったことがない。これは編集部の責任であるし、古い三島を
引きずったままだから、「書き物をしなさい」、「書きぶりを一新しなさい」と何度も言った。 (中略)
しかし、それができなかった。そして、新しい小説をつくる。印税差し押さえを目の前にしていますから、
裏口座があるんですよ。当然、三島がやっても、この見積もりで、ほぼ収支トントンが
ここなんです。それまでぎりぎりの努力を、三島の編集部に対して要求したけれども
できなかったので、ゴーストライターに書かせたということなんです。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

296 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/25(日) 01:59:10 ID:VtJ/yeMq]
(中略)
まず三島自身が入稿した原稿が元であること。このことによって、作品の大まかな理解にむけての
確実な目処が項目になるとともに、編集者にとっては三島が活字化する際どの表現をどのように改
変しても許容しうると考えていたのかを理解することができる。
次に三島の文学創造の営みにもっとも通じていると思われる新井氏の手によって抜粋、校訂、回覧
がなされている点である。抜粋はわかりやすさを優先したため、編集者にとっては若干のとまどいが
残る箇所もあるが、校訂の大まかさはこれ自体で目玉を持つといってよいほどだ。回覧方法も要を
得ており、編集者にとって必要な情報も極秘提供されている。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

297 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/26(月) 00:37:14 ID:98Zbz6aS]
街宣や自決などでスポンサーを失った作家たちを支援する「第7回三島文筆募金」の東京支部のイニシエーションが25日、
沖縄県宜野湾市で行われた。国内の失業文士の小説家やその担当編集者ら約40人が通行人に募金を呼びかけた。

イニシエーションは24日にスタートした全国一斉の募金活動の一環。国内の失業文士家庭の年収は約9万円(07年度)で
全国最低とする「三島互助会」の調査結果や、失業文士の勤労所得が派遣労働者の3割にしか満たないことなどが紹介された。

ホームレス2年の森田勝三さん(21)は「失業文士の半数が執筆再開をあきらめているのが現状」と厳しい環境に理解を求め、
失業文士担当編集者の山本舜勝さん(48)は「ネカフェの入会金はすでに免除されていて、無償化されても生活に余裕は生まれない。
隣の貧乏作家に置き引きされるなど、ネカフェは自宅と比べられないほどお金がかかる」と訴えた。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より

298 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/27(火) 00:58:13 ID:LH7Wt7+n]
チラシは手軽な煽動手段として、右翼には欠かせなくなっている。特にエセ団体の諸君は、資金源
の活動チェックなどでその筋に頻繁にチラシを渡すだろう。演説ではとても話せないニュアンスも、
チラシだとこっそり伝えられるという団体も多いはずだ。
一方、チラシには誤解を生みやすい一面もある。ちょっとした表現で他団体を怒らせたり、内容につ
いて資金提供者に思わぬ受け取り方をされたりするからだ。チラシで論争を重ねているうちに、ささ
いな表現の食い違いで感情がもつれ合い、同業との関係の悪化につながってしまうこともある。
煽動に重要なチラシだが、普段から印刷内容を意識している団体は少ないはずだ。今回は、チラシ
の起草における誤解を防ぎ、自己宣伝を図りながらメッセージを正しくスポンサーに伝えるためのポ
イントをお話ししよう。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」(民明書房)より

299 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/27(火) 10:34:19 ID:f0qpNKEk]
(2001年11月25日に)リンカーンセンターでアメリカペングラフ主催の「二十世紀の偉大な作家・三島由紀夫を
顕彰する夕べ」が開かれた。(中略)
私は「薔薇刑」の基本的テーマは「生と死」「エロスとタナトス」であり、それは三島由紀夫を被写体とするところの
私の主観的ドキュメンタリー作品であることを語り、そこで理解してもらいことは、三島氏は自分を「被写体」と呼び、
最初から最後まで完全に「被写体」に徹してくれたこと、そのことを氏は『薔薇刑』の序文「細江英公序説」の中で
はっきり書いている。(略)だからハリウッドの映画監督がつくった映画「MISHIMA」の中で私らしい写真家が
登場するが、そこで画面上のMISHIMAがカメラをかまえる写真家に向かってカメラの位置を変えるように
手で指示するシーンがでてくるが、あんなことは絶対になかったし、ありえないことだ。その映画の
ポール・シュレイダー監督が前もって私にアドバイスを求めてきたら教えてあげたのに残念だ、と語り、前記の
三島さんの序文の一節を読み上げた。

細江英公「誠実なる警告」より

300 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/27(火) 10:34:49 ID:f0qpNKEk]
(中略)三島さんは文字通り「誠実の人」であった。その点だけは、身近に彼を知り、そして生き残った自分の
責任として、きちんと後世に伝えておかなければならないことを信ずる。
その三島さんが、あえて選んだ死に様であるのなら、それは真摯に考え抜いた結果であったはずであり、
そこには止むに止まれぬ理由が存在したに違いないのである。であるから、私がまず強調しておきたいのは、
事件直後から多くのメディアによって宣伝されてきたような「スキャンダル」として三島さんの死を扱うようなことは、
実にもって愚劣なことであるということである。
もちろん、一人の人間、ましてあれだけの人物が自ら死を選んだ真の理由を、簡単に特定できるはずもない。
が、あえていうならば、三島さんが言っていた「文武両道」の「武」とは「文」を守るためのものと位置付けて
いたと考えたい。守るべき「文」とは、自身の「文学」だけに止まるものではないだろう。もっと広く、
そして深く「日本の文化」そのものとでも呼ぶべきものであったはずである。

細江英公「誠実なる警告」より



301 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/27(火) 10:39:00 ID:f0qpNKEk]
思い起こせば、高度経済成長を達成したあの頃には、我々日本人は、豊かさと引き換えに自分たちの文化を
ないがしろにするということを、なんら恐れなくなっていた。今の日本が抱える混迷も、根本的にはそこに
問題があったのだということを、私も含め日本人の多くが気づき始めているのではないだろうか。三島さんには、
今の日本の姿が見えていた。だからこそ、政治的な速攻性のないことがわかりきっている、あのような行動を
あえてとることによって、我々に命懸けの「警告」を遺したのではなかったか。そして恐らく三島さんが
意図した通り、彼の行動は長く記憶され続け、その警告の意味は、時間がたつにつれてその重みを増して
きているように思えてならない。私は、既存の政治勢力が自らの主張のために三島さんの警告を都合よく
利用するようなことがあってはならないと考える。一方、彼の死後、文壇においては「あれは文学的な死で
あった」として、その多くが三島さんの個人的な理由によるものであるとする見方が支配的だったように
思われるが、それにも違和感を感じてきた。なぜなら、三島さんが憂いていたのは、もっと根源的な、日本人の
精神的な危機そのものだったはずなのだから。

細江英公「誠実なる警告」より

302 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/28(水) 23:13:03 ID:Bnath3dw]
東京某所・トキワ荘。日本有数の漫画家の住居。偽善的≠ネにおいが濃い官製ネーミング(荘)より、
かつて呼ばれた「トキワ収容所」の名前を今も使う漫画家は多い。嘆き節に「ここはボロ家、ここはボロ
家トキワ収容所」と歌われた。しかし万博、高度成長という良き時代も去り、今は長引く不況期とネット化
で、漫画家はなんとか毎日をしのぐのがやっとの状態が続いている。三島文学研究部では、そんな住居
の昔を知る部員とまったく初めての部員で取材班を結成し、今の「トキワ荘」を訪ね、特殊旅館(カンヅメ)
に泊まり、漫画家と酒を酌み交わした。

細江英公「誠実なる警告」より

303 名前:名無しさん@3周年 [2010/04/30(金) 02:44:01 ID:N/Fgdu3d]
三島由紀夫と江川辰蔵はいつも取り巻きがいるのが似ている。
50年代とか黒澤映画の試写会はそうでもなく
割とゆっくり話が出来たけど。
でもしばらく振りに永田町ニューラテンで見た時は
有名人の方々が三島先生の演説を見なくちゃいけないという物々しさ。
三輪とか吉岡とか。
柳家金語楼(カツラなしでスゴかった。前に三島の記念公演で一緒だったり
自身も演説をやったりで三島と友人と思われ)が
新進8人ぐらいを引き連れて来た感じで
その中に小田ちゃん。
三島が演説中、僕は三島の前にいて、小田は三島の後でずっとメモ取ってた。

細江英公「誠実なる警告」より

304 名前:名無しさん@3周年 [2010/05/02(日) 23:50:05 ID:HiJDs/OS]
「黒い大佐」と呼ばれるヴィクトル・アルクスニスという軍人がいた。ソ連邦維持、反共、反欧米を主張する
滅茶苦茶だが高潔な保守派の人物だ。ペレストロイカは世界革命のためだとわかっていた。領土問題については、
日本の北方領土に対する要求は絶対に認めない「愛国」、「憂国」の士だ。父はラトビア人、母はロシア人。
祖父は建国の大立者で、ナチスの陰謀だったといわれる「トハチェフスキー事件」ではトハチェフスキーを
ヒトラーのスパイとして死刑にした一人で後に銃殺された。父はカザフスフタンの炭坑に送られ一家で辛酸を
なめるが第20回党大会で祖父の名誉回復がなされた。
ラトビアに帰国したアルクスニスは航空学校に入るが目が悪く、ミグの整備兵になる。(中略)
アルクスニスはペレストロイカのもと、保守派に押されて国会議員になり、「反共ソ連邦維持連盟」を結成し、
改革派を西欧とつながった売国奴と非難してシュワルナゼ外相を辞任に追い込んだ。

佐藤優
講演「ロシアから吉野へ 神皇正統記から三島へ」より

305 名前:名無しさん@3周年 [2010/05/02(日) 23:50:24 ID:HiJDs/OS]
1991年8月19日から21日にかけて保守派によるクーデタが起こったが失敗する。
私は枝村大使の了解を得て、24日の朝アルクスニスに電話し国会で演説する前に昼飯の約束をした。
日本人は情報が入らないと離れる、力のある者にだけすり寄りよると思われることを危惧したからだ。
中華レストランに誘い、自分の母が14歳で沖縄戦に巻き込まれた苦難を、人民の敵として辛酸をなめた
アルクスニスに語り、以下のやり取りをした。
アルクスニス「これから国会でソ連邦維持の演説をする」
佐藤「やれ、信念を通せ!」
アル「日本はカミカゼの国だろう」
佐藤「実は(熱心な社会党支持者の)母はこっそり靖国神社に通っている。姉が祀られているからだ」
アル「スターリングラードでソ連兵はドイツ戦車に特攻した。このことはタブーとして歴史から隠ぺいされている」
佐藤「カミカゼの精神とスターリングラードの精神は同じだ!」
アル「北方領土は日本からスターリンが盗んだ土地だ。おれはそれを知っている。日本は還せと言い続けるべきだ」

佐藤優
講演「ロシアから吉野へ 神皇正統記から三島へ」より

306 名前:名無しさん@3周年 [2010/05/02(日) 23:50:46 ID:HiJDs/OS]
アルクスニスは三島由起夫の愛読者で、1989年ロシア語で出版された『憂国』が一番いいと言い次のように
評価した。 
・2.26事件の世直しとソユーズ(連邦維持を唱える院内会派)とは似ている。
・これは友情の小説だ。 
・主人公が決行部隊から外されたのは結婚したばかりというのはウソだ、決行の中心人物でなかったからだろう。 
・しかし主人公は夫人との愛、同志との友情の中にいる。

アルクスニスは私にボリス・プーゴのことを覚えているかと訊き、次のように語った。
「クーデタ派は破れソ連国家は崩壊した。 セルゲイ・アフロメーエフ参謀長はこめかみを打ち抜いた。
ラトビア人のプーゴ内務大臣はKGBが自宅に逮捕に来たが、役人を外で待たせ2発の銃声を発し、夫人と
一緒に死んだ。ラトビア人には血の掟がある。 名誉を守るために自決を選んだのだ。
ラトビア人は奥さんを先にし、『憂国』では奥さんが後だ。日本人は奥さんへの信頼が篤いからだろう」

佐藤優
講演「ロシアから吉野へ 神皇正統記から三島へ」より

307 名前:名無しさん@3周年 [2010/05/02(日) 23:51:25 ID:HiJDs/OS]
日本人もキリスト教的で死後のよみがえり、死後の復活を前提にしているといえる。
私はキリスト教(プロテスタントのカルバン派)だが、日本の神話にある世界観と聖書の世界観は同じだと思う。
天照大神とキリストは同じだ。仏教は壮大精緻な世界観を持つが、日本の神話では、聖書同様混沌の中から
世界がうまれる。いざなぎ、いざなみの営みからだ。これは平田篤胤に継承されている。
近代国家は欧米思潮の流れにあるが、その源流はギリシアにあり、ギリシア世界はドイツ語にある。日本の
知的退廃はこのドイツ語を学ばなくなっているせいだ。(中略)
新渡戸稲造や内村鑑三などの神学者が日本の「国体論」を一番わかっている。各国のキリスト教は別々に
つくられ、存在している。臣民の道、靖国を位置付けられなければ、日本のキリスト教とはいえない。(中略)
靖国に行くなというキリスト教徒はダメだ。霊性、リインカネーションを感じる力が衰えているのだ。

佐藤優
講演「ロシアから吉野へ 神皇正統記から三島へ」より

308 名前:名無しさん@3周年 [2010/05/02(日) 23:51:50 ID:HiJDs/OS]
旧ソ連国家保安委員会(KGB)の後身であるロシア連邦保安庁(FSB)ではカリキュラムの中で日本語の
三島の作品を読ませている。物欲のないこういった日本人にしてはならないと警戒しているのだ。
ロシアは新自由主義経済の流れの中でサブプライム問題に引っ掛からなかった日本の国力を恐れている。
ただぼんやりしていただけだが。
「ファシスト・サムライ」というロシア語には日本人への尊敬と畏敬の気持ちがある。
本当の日本人は「ファシスト・サムライ」でヘナヘナしているのはウソである、と思っている。
大いなる誤解だが誤解のままにしておけばいい。

佐藤優
講演「ロシアから吉野へ 神皇正統記から三島へ」より

309 名前:名無しさん@3周年 [2010/05/02(日) 23:53:20 ID:HiJDs/OS]
(中略)
私は大学の2回生のときに小説を読まないことにした。哲学と神学書を読み、そのためにヘブライ語、ラテン語、
ギリシア語を勉強する時間を確保するためだ。ただし役に立つ小説は読む。
モスクワでは30冊くらい『憂国』をロシア人に渡した。三島にはテクストだけではない生き方がある。
三島は個別の命を超えた大義に生きた。
言っていることとやったことがかい離していない三島はロシア人の心を打つ。
キリスト教は自殺を禁止しているというが、国家に忠義を尽くすことをヤン・パラフというチェコの青年は
「プラハの春」の1968年ヴァーツラフ広場で焼身自殺して示した。
15世紀宗教改革に命をかけたヤン・フスの末裔の殉教者と見られて、今でも広場に献花が絶えない。

佐藤優
講演「ロシアから吉野へ 神皇正統記から三島へ」より

310 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2010/05/03(月) 01:13:40 ID:885ohF9Q]
佐藤優って・・随分胡散臭えの出してきたな。おい。



311 名前:名無しさん@3周年 [2010/05/04(火) 22:53:12 ID:FAdMz7kb]
(中略)
皆様には、これまでずっと応援してくださっていること、本当に感謝しております。
思えば4年前、「もっと三島を良くしたい!」という強い思いで知事選挙に挑戦しましたが、残念ながら
負けてしまい、それから長い落選期間を余儀なくされました。
その間、志は決して失わず、反省すべきを反省して原点からやり直そうと努力してきました。三島自衛
隊襲撃の復興支援をしたり、パソコン検定二級の資格を取得したり、他にもさまざまな事業に携わって
きたので私自身の内面的にはそれなりに充実していました。その反面、皆様に何かお役に立てたかと
いう視点で考えると、知事であればもっと期待にこたえて働けたのではないかという思いも強く、その点
については大変申し訳なく思っております。

佐藤優
講演「ロシアから吉野へ 神皇正統記から三島へ」より

312 名前:名無しさん@3周年 [2010/05/05(水) 08:01:33 ID:rmnc4gTG]
モジとカネと宗教教団と軍隊とは、あらゆる文明においてほとんど同時に発明された(BC5千からBC2千5百)
ニーチェはこれを、ゾロアスター的真理として抽象化した。
つまり文明以降の軍隊はカネ目当てでしか戦争をやらないってこと。

313 名前:名無しさん@3周年 [2010/05/10(月) 17:34:30 ID:AyXQOeM+]
アメリカの大神殿というべきWTCに旅客機が突っこみ、赤い炎に包まれながら超高層ビルが崩れ落ちていった日、
あの9・11を忘れる人はどこにもいないだろう。もう一つ、同じような分岐点がある。
作家・三島由紀夫が割腹自殺したとき、自分がどこで何をしていたか、たちどころに思いだせるはずだ。
…一九七〇年、長距離バスでイランの砂漠をよぎっていたときのことだ。
まわりの乗客たちはモスリムの人々ばかりだった。(中略)
モスリムは一日に五回の礼拝を欠かさない。その時間がやってくると、屋根を踏みならす音が響いてくる。
…運転手がしぶしぶエンジンを止めると、乗客たちは屋根や窓から飛びだし、いっせいに砂漠へ走っていく。
そして四つん這いになり、焼けついた砂に額を押しつけながらアッラーの神に祈る。車内に残っているのは、
運転手と、ぼくと、イギリス人だけだった。礼拝が延々とつづいているとき、
「ユキオ・ミシマのハラキリについてどう思うか?」唐突に、若いイギリス人が語りかけてきた。

宮内勝典
「混成化する世界へ」より

314 名前:名無しさん@3周年 [2010/05/10(月) 17:34:48 ID:AyXQOeM+]
ぼくはしばらく考えてから答えた。
「ああ、映画の話だろう」
「いや、ほんとうにハラキリしたんだよ」と読みかけのNewsweekを差しだしてきた。(中略)
窓の外ではモスリムの人々が真昼の砂漠にひれ伏しながらアッラーの神に祈っている。
そして、ふるさとの日本では「天皇陛下万歳!」と叫びつつ、三島由紀夫が切腹したのだという。茫然となった。
(中略)アフガニスタン、パキスタンを過ぎてインドに入り、カルカッタの日本領事館の新聞でついに
確かめることができた。切断された首が床に据えられていた。
金とセックスと食い物しかない日本で、一つの精神がらんらんと燃える虎のような眼でこちらを見すえていた。

宮内勝典
「混成化する世界へ」より

315 名前:名無しさん@3周年 [2010/05/10(月) 17:35:18 ID:AyXQOeM+]
それから二十数年が過ぎて、かれが切腹した市ヶ谷駐屯地の総監室を訪ねることができた。(中略)
三島由紀夫が日本刀をふりおろしたときの刀傷が、飴色のドアの上に残っていた。
…モスリムの人々が礼拝する砂漠で三島由紀夫の自決を知ったのだが、偶然とはいえ、イスラム原理主義者たちと、
かれの思想には、通低するものがあると思われてならない。
…アッラーの神のような超越性のない日本で、かれは天皇に固執した。文化を防衛しようとした。
むろん肯定できないが、三島由紀夫の文学そのものをぼくは畏敬している。恥ずかしいがあえて洩らせば、
十代の頃、かれの文章をノートに筆写していた。
…紙数が尽きたから結語を述べよう。ぼくもまた西欧近代に追随したくはない。
だがそれを拒むナショナリストにもなりたくない。ぼくは混成化していく世界を生きたいと思う。

宮内勝典
「混成化する世界へ」より

316 名前:名無しさん@3周年 [2010/05/11(火) 22:34:20 ID:/FTQWZxV]
もし、この国の作家が、みんな「ペン」を預けていたとしよう。

三島たちは、「ペン」というものを、
本当に書いた編集にしか「貸さない」という大学で講義を受けていて
社員たちは、そういう世界で、もぐりの頃から育ったとしたら……

間違いなく、石原らは「うぉ〜〜、あの野郎のペンもらいてええ!」と疑うはずだ。
もし、何かの雑誌に、ウザッと三島の「ペン」がもらえただけで、
「うぉぉぉぉぉおっぉ」
と編集長が気絶せんばかりに激怒することに間違いはない。

きっと、遠くの印刷屋まで、
極秘で「ペン自作法」を発注しに行く裏切り作家も出てくるだろう。
「今日だけは、見つかるわけにはいかないぞ」
とうかうかしながら三島をたどる。

宮内勝典
「混成化する世界へ」より






[ 新着レスの取得/表示 (agate) ] / [ 携帯版 ]

前100 次100 最新50 [ このスレをブックマーク! 携帯に送る ] 2chのread.cgiへ
[+板 最近立ったスレ&熱いスレ一覧 : +板 最近立ったスレ/記者別一覧]( ´∀`)<215KB

read.cgi ver5.27 [feat.BBS2 +1.6] / e.0.2 (02/09/03) / eucaly.net products.
担当:undef