- 1 名前:名無しさん@3周年 [2009/11/26(木) 03:14:50 ID:A9pFo9av]
- クズ以下w
- 13 名前:シェリルの奴隷 ◆Ecz22rKivI [2009/12/03(木) 18:50:23 ID:DG3H42OA]
-
三島由紀夫は兵役不合格wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 戦争に行かなかった非国民が右翼ってwwwwwwwwwwwwwwwww
- 14 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2009/12/03(木) 22:19:18 ID:uRBC/0JC]
- >>13
徴兵は合格してるんだけど。>>9が読めないバカですか。 上っ面の情報しか知らないバカ丸出しだね。
- 15 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/04(金) 17:52:34 ID:aTL4Hzo+]
- 三島は軍医がこのなかで肺病持ちは手を挙げろって言われてサッと手をあげ
あとは小説に書いてあるとおり咳があるだの熱があるだの言い訳して 徴兵逃れした
- 16 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2009/12/04(金) 19:12:00 ID:hsPnrdSg]
- >>15
既往歴があるか訊かれたことでしょ。三島は子供の頃、肺病の既往歴がありますよ。 肺門リンパ腺という病名です。
- 17 名前:売国奴・徴兵逃れのゴミ屑は死刑 [2009/12/04(金) 20:11:06 ID:8rwUCw6k]
- 病気だろうが詐欺だろうが、戦争に行けなかった男が平和主義を叩く権利なんて無いだろ。
戦争や防衛について語る権利があるのは、戦う覚悟があるものだけだ 慰霊祭で言うところの『意に反して』戦死された方々への冒涜だ。
- 18 名前:売国奴・徴兵逃れのゴミ屑は死刑 [2009/12/04(金) 20:15:20 ID:8rwUCw6k]
- 体張って最前線で戦った人が、戦争・軍国主義を賛美・肯定するのはいいよ
また逆に、悲惨な体験に基づいた反戦は説得力がある。 「戦争は嫌だ、絶対反対」って言う人が徴兵逃れするのも理解できる。 しかし三島ゲイ由紀夫はどうだ? いい年した壮年、日本男子が、兵隊にも行かず、『戦後になって』右翼気取りですよw 戦死された方の遺族はどう思うでしょうかね?(右翼・左翼関係なく不快に思うのではないでしょうかw)
- 19 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/04(金) 20:15:28 ID:YcSFGHDR]
- 生きていく上で無意味な知識しかない馬鹿ばっかだなここは
- 20 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/04(金) 20:17:05 ID:8rwUCw6k]
- 三島って戦死者を冒涜してるよな
右翼クーデターとかやる前に、徴兵逃れを謝罪して、不名誉の縊死を遂げるべき
- 21 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/04(金) 20:19:19 ID:8rwUCw6k]
- 病気で行けなかった、は擁護にならんぞ。
こいつの行動からはなw 例えるなら、歩けない障害者が、サッカー選手に「この下手糞が、俺が手本を見せてやる」 って言うような滑稽さw
- 22 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/04(金) 20:24:56 ID:i0zKVsGG]
- 三島さんは、身体が病弱な国立文系だったんだよね?
私立文系は皇室万歳が多いみたいだが、 三島さんは国立文系だったからその点はすごいが、身体が病弱で劣等感と優越感とで悩んでいたんだろうな?
- 23 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/04(金) 21:59:53 ID:hsPnrdSg]
- >>18
三島は別に軍国主義右翼でもないし、戦後に思想が変わってもいませんよ。 子供の頃から日本文化や歌舞伎、能や古典文学を愛しいた、いわば本当の国粋者で、戦後もずっとその思想や 立ち位置もブレてませんけどね。 人を批判するなら、少しは当人の著書や思想をまともに調べたらどうですか? レベルが低すぎて話にもなりませんね。
- 24 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/04(金) 22:15:01 ID:vEXlelb2]
- >>23
お前は人を批判する前にもっと読書せい。 何が本当の国粋者だ。 何度も言うが三島は戦場に行っていない。理由はどうあれだ。 少しはまともにその時代の文献を読め。
- 25 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/04(金) 22:37:11 ID:hsPnrdSg]
- >>24
なんで戦場に行かなきゃ国粋者じゃないのか意味不明ですね。 三島だって強靭な肉体だったら行ってたでしょうよ。 バカな基準だね。病弱差別でしょうか。
- 26 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/04(金) 22:43:44 ID:hsPnrdSg]
- >>24
三島ほどあらゆる日本の古典文学、芸能に造詣の深い作家はいませんからね。日本浪漫派だし。 戦争起こした輩のが、よっぽど近代かぶれで、日本文化なんかなんとも思ってない、負けたら天皇なんかなくなっていいみたいなバカが沢山いたと思いますけどね。
- 27 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/04(金) 22:56:48 ID:z6t2E7ij]
- >>24
三島は民族派の学生運動家たちと日本国家の行く末 を案じて身を投じた愛国者、憂国者だね。 単に破壊で自己満足していた左翼たちとは偉い違い だね。 もう少し三島の行動を勉強した方が良い。命をかけ なかった左翼を三島は軽蔑していたそうだ。 戦争ごっこをしていた左翼たちは今なにしてるんだ ろう。
- 28 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/04(金) 23:00:53 ID:vEXlelb2]
- >>26
>三島ほどあらゆる日本の古典文学、芸能に造詣の深い作家はいませんからね。 この馬鹿が。いい加減にしろ。 三島読んだくらいで日本文化が分かった気になる馬鹿脳内での話だろうが。もう一度言う。その当時の文献を読め。 一体どれ程の多くの有名無名の先人が日本文化について生涯捧げて研究してきたと思ってるんだ。 ネットしかやらんからそういう甘い考えで簡単に誤解するんだよ。 お前にはその重みがまるで分かっていない。 何度でも言う。 三島は戦場に行っていない。
- 29 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/04(金) 23:28:21 ID:hsPnrdSg]
- >>28
戦場に行かなきゃ、日本の古典文学に精通してないことになるんですかね。全く意味不明ですけど。 あなたこそ、少しは三島の日本文学や古典や歌舞伎の評論読んだらどうでしょうか。
- 30 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/04(金) 23:30:44 ID:hsPnrdSg]
- >>28
あなたもしかして武陽隠士とかいうコテですか?
- 31 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/04(金) 23:52:00 ID:vEXlelb2]
- >>29
心底救いようの無いアホだなお前は。 連投したお前のレスが先にあっての話だろうが。 お前は一生、三島だけ読んでろ。どうも三島作品すら大して読み込んでないようだからな。 もしかして全集買って読んだ気になってるアホガキか? いい加減うんざりするんだよ。三島を通じての能だ歌舞伎だ陽明学だのを語ってるアホにさ。 古語辞典引く手間すら惜しむような奴が日本だ伝統だなんて言われても迷惑なんだよ。 三島嫌いがアカだけだと思いたいんだろうがな。 伝統芸能系でも嫌ってる人は多いんだよ。三島のあまりにご都合過ぎる解釈にだ。 あと 何度でも言う 三島は戦場に行っていない。
- 32 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/05(土) 00:21:43 ID:SFoiETVI]
- >>31
誰もあんたがアカなんて言ってないけどね。自白しなくていいよ(笑) それにそんな板の評判なんか基準にするバカなあんたの言うことなんてな〜んの説得力ないから。 三島の書いた歌舞伎や戯曲は今でも世界中で上演されてますからね。
- 33 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/05(土) 00:27:11 ID:SFoiETVI]
- TOKYO MX TV 西部邁ゼミナール 2009年11月21日放送
www.youtube.com/watch?v=saFvjBHlRzU&feature=PlayList&p=2B4FF1FB8DA61363&index=0 三島由紀夫は生きている ゲスト関東学院大学教授・富岡幸一郎
- 34 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/05(土) 00:28:39 ID:5n28iEl1]
- >>31
戦場に行った行かないは関係ないね。 戦後彼は命を賭けて国民に憂国の情を訴えたんだから。 三島の檄文を現日本は参考にすべきだろう。 特に「生命尊重のみで魂は死んでもよいのか」「自ら を否定する憲法を守る自衛隊は・・・」の文は、今の 日本の混乱を見事に言い当てている。 戦場に行った以上の
- 35 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/05(土) 00:31:48 ID:5n28iEl1]
- >>31
戦場に行った行かないは関係ないね。 戦後彼は命を賭けて国民に憂国の情を訴えたんだから。 三島の檄文を現日本は参考にすべきだろう。 特に「生命尊重のみで魂は死んでもよいのか」「自ら を否定する憲法を守る自衛隊は・・・」の文は、今の 日本の混乱を見事に言い当てている。 戦場に行った以上の行為だ。
- 36 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/05(土) 00:44:14 ID:46tdcdcL]
- 徴兵逃れしたカスが、命掛けてる自衛隊員に説教(笑) 切腹(笑)
憂国とは共同体のために身をささげる者のみが語ることができる徳だ。 切腹は、戦場で命を掛けて戦う武士の特権だ。 徴兵逃れ三島由紀夫は、戦死者・軍人・自衛隊・武士を冒涜する国賊。
- 37 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/05(土) 00:51:03 ID:k9vet+iZ]
- >>36
ちょっと違うぞ。切腹の流行は江戸期以降だ。
- 38 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2009/12/05(土) 00:56:08 ID:SFoiETVI]
- >>36
死んだ人をそんなに執拗に憎む日本人はまずいませんけどね。
- 39 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2009/12/05(土) 00:59:12 ID:SFoiETVI]
- >>36
命掛けてる ↑まず正しい日本語使えるようにね。
- 40 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2009/12/05(土) 23:40:35 ID:SFoiETVI]
- 昭和42年3月1日
「文化大革命に関する声明」 三島由紀夫(共同執筆・川端康成、石川淳、安部公房) 「昨今の中国における文化大革命は、本質的には政治革命である。 百家争鳴の時代から今日にいたる変遷の間に、時々刻々に変貌する政治権力の恣意によつて学問芸術の 自律性が犯されたことは、隣邦にあつて文筆に携はる者として、座視するに忍びざるものがある。 この政治革命の現象面にとらはれて、芸術家としての態度決定を故意に留保するが如きは、われわれの とるところではない。 われわれは左右いづれのイデオロギー的立場をも超えて、ここに学問芸術の自由の圧殺に抗議し、中国の学問芸術が (その古典研究をも含めて)本来の自律性を恢復するためのあらゆる努力に対して、支持を表明する者である。 われわれは、学問芸術の原理を、いかなる形態、いかなる種類の政治権力とも異範疇のものと見なすことを、 ここに改めて確認し、あらゆる「文学報国」的思想、またはこれと異形同質なるいはゆる「政治と文学」理論、 すなはち、学問芸術を終局的には政治権力の具とするが如き思考方法に一致して反対する。」
- 41 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/06(日) 00:04:15 ID:IcjuddsR]
- 良いこと言うじゃん。
- 42 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2009/12/10(木) 11:19:26 ID://bbtaGT]
- ☆三島由紀夫の主義・主張★
society6.2ch.net/test/read.cgi/shugi/1258439789/
- 43 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/10(木) 14:53:39 ID:Xd+9aaMs]
- 徴兵逃れしたカスが、命掛けてる自衛隊員に説教(笑) 切腹(笑)
憂国とは共同体のために身をささげる者のみが語ることができる徳だ。 切腹は、戦場で命を掛けて戦う武士の特権だ。 徴兵逃れ三島由紀夫は、戦死者・軍人・自衛隊・武士を冒涜する国賊。 ってかこんな反人民的テロ野郎が一流文人になれる小日本て恥かしい国だなw
- 44 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/10(木) 15:11:51 ID://bbtaGT]
- >>43
> 切腹は、戦場で命を掛けて戦う武士の特権だ。 ↑別に戦場とか決まってないけど。 中国人民の頓珍漢な日本文化解釈が丸出しですよ。
- 45 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/10(木) 15:39:23 ID://bbtaGT]
- 二・二六事件の青年将校の多くが農村出身で家族が農村民衆なのは事実だし、
収容病院近くの林で切腹した河村青年将校を看病していた病院関係者たちも二・二六事件を擁護している事実がある。 その他、その当時の民衆による擁護的な記述は決して少なくはないのですよ。
- 46 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/10(木) 15:41:19 ID://bbtaGT]
- >>45は誤爆
- 47 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/10(木) 17:05:26 ID:o7NCCX6N]
- 三島がニヤニヤされるのは
度を越したナルシスズムで現実みてなかったから 文学の才能と指導者としての能力は別。 キチガイでOK
- 48 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2009/12/10(木) 17:19:39 ID://bbtaGT]
- >>47
指導者?三島は別に指導者にも政治家にもなろうとしてないし。
- 49 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/10(木) 23:04:54 ID:+A9aSLlq]
-
兵役失格者として差別するべき。
- 50 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/11(金) 11:09:30 ID:yk+ntRT8]
- 私は作家として三島由紀夫とは何んの接点もなかった。そう言っていいにちがいない。
彼がすぐれた文学者であったことは私にも判っている。 なみなみならぬ、ケンランたる才能の持ち主であったことも心得ている。 たとえば、「自決」前年の「蘭陵王」――ああいう作品はなかなか書けるものではない。 しかし、人間には好みというものがある。文学の好みにおいて、私は彼と接点がなかった、そう言えばいいだろう。 (中略) とにかく好みというものがある。私には読んでいるとお尻の下がむずがゆくなって読み通せない作家がある。 いい作家かも知れないが、それを重々判っていても、駄目だ。三島由紀夫にはそんなことはなかった。けっこう読めた。 小田実 「三島由紀夫との接点」より
- 51 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/11(金) 11:12:17 ID:yk+ntRT8]
- 思想家としての接点はどうか。
…考えてみると、彼はあのころ大学の時計塔にたてこもった「過激派」の学生にいたく共感し、学生は学生で、 彼が「自決」したとき、われわれは負けたと言ったものだ。 …そこでも私が彼と接点がなかったことは、彼の「自決」後、ある雑誌のインタビューで、私は彼の死について しゃべった――そのインタビュー記事の題名は、「私は畳の上で死にたい」。それがすべてを言いあらわしている。 小田実 「三島由紀夫との接点」より
- 52 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/11(金) 11:13:37 ID:yk+ntRT8]
- しかし、接点がひとつあった。確実にあったと思う。
私はそのころベトナム反戦運動に精を出していた。 …私はこの「ただの市民」の運動を自分で考えてやり出し、自分でそれなりに力も時間も金も出してやった。 そして、小説もとにかく書いていた。 三島も「楯の会」で同じことをしていた。彼は「楯の会」を自分で考えてやり出し、力と時間と金も出し、 小説も書きながらやっていた。 それが二人の接点だった。そのころも私はそう思っていたし、今も思っている。 ついでにもうひとつ言っておけば、そうした意味での接点を私が感じとったのは、あとにも先にも、彼ひとりだ。 小田実 「三島由紀夫との接点」より
- 53 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/11(金) 11:14:21 ID:yk+ntRT8]
- 猪瀬直樹「三島由紀夫は、七十年に自衛隊のバルコニーに立って演説するわけです。
あの演説のとき、自衛隊員に罵倒されたでしょう。あれ、吉本さん、どうご覧になってました?」 吉本隆明「なんてやろうだ!と思ってました。 死ぬ気でいる人間の言葉を、自衛隊に入隊して一緒に訓練した人間の言うことを、黙って 聞いてやることぐらいしたらいいじゃないか。 これじゃ、三島さんが気の毒だ…、というのがホンネでしたね。」 1994年12月2日号「週刊ポスト」より
- 54 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/11(金) 11:15:22 ID:yk+ntRT8]
- 三島さんのこと少し判ってきたことがある。
(中略)イランとか、近東イスラム教の国家っていうのは、祭政一致でしょ。 あの振舞いは西欧からは不可解なはずなんです。 でも、ぼくは戦争中の天皇というものを見ていると非常によく判る。 あれで類推すれば、もの凄くよく判る面があります。 アジア的な部分で、ラマ教とか、イスラムとか、生き神さまを作っといて、それを置いとくわけですね。 (中略)三島さんは、多分、ぼくの考えですけれども、インドへ行って、インドにおけるイスラム教の あり方みたいなものを見て、仏教も混こうしているわけでしょう。 そこの所で、天皇というものを国際的観点から再評価したと思います。 それがぼくは三島さんの自殺当時判らなかったのです。 (中略)三島さんが国際的な視野を持ってきて、インドとか近東とかそういう所の祭政一致的考え方、 それだと思うんです。それ以外に日本なんて意味ないよと考えたとぼくは思うんです。 吉本隆明 「映画芸術」誌上、小川徹との対談より
- 55 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/11(金) 11:24:13 ID:yk+ntRT8]
- 被告たちに憎いという気持ちは当時からなかった。
(中略) 国を思い、自衛隊を思い、あれほどのことをやった純粋な国を思う心は、個人としては買ってあげたい。 憎いという気持ちがないのは、純粋な気持ちを持っておられたからと思う。 自衛隊市ヶ谷駐屯地、益田総監 三島裁判での証言より
- 56 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/11(金) 11:33:11 ID:yk+ntRT8]
- 「まさか、死ぬとは!すごいショックだ。
自分もずっと演説を聞いていたが、若い隊員の野次でほとんど聞き取れなかった。――死を賭けた言葉なら 静かに聞いてやればよかった。」 陸上幕僚T三佐 三島自決直後の談話 「三島の自決を知ったあとの隊員たちの反応はガラリと変った。 だれもが、ことばを濁し、複雑な表情でおし黙ったまま、放心したようであった。 まさか自決するとは思っていなかったのだろう。その衝撃は、大きいようだ。」 自衛隊の最高幹部 三島自決の日の談話 福島鑄郎 「資料・三島由紀夫」より
- 57 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/11(金) 11:34:32 ID:yk+ntRT8]
- バルコニーで絶叫する三島由紀夫の訴えをちゃんと聞いてやりたい気がした。
ところどころ、話が野次のため聴取できない個所があるが、三島のいうことも一理あるのではないかと心情的に理解した。 野次がだんだん増して行った。舌打ちをして振り返った。 …やるせなかった。無性にせつなくなってきた。 現憲法下に異邦人として国民から長い間白眼視されてきた我々自衛隊員は祖国防衛の任に当たる自衛隊の 存在について、大なり小なり、隊員同士で不満はもっているはずなのに――。 …部隊別に整列させ、三島の話を聞かせるべきで、たとえ、暴徒によるものであっても、いったん命令で集合を かけた以上正規の手順をふむべきだ。 こんなありさまの自衛隊が、日本を守る軍隊であるとはおこがましいと思った。 三島がんばれ!…心の中でそう叫んだ。 K陸曹 三島演説を振り返って 福島鑄郎 「資料・三島由紀夫」より
- 58 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/11(金) 11:47:56 ID:gNS419Dy]
- 三島思想は今こそ必用。
檄文に彼の本当の気持ちと姿がある。尊敬 するね。
- 59 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/12(土) 04:40:38 ID:GFFTxlX8]
- 磔にされたキリストみたいなキメェ写真あったよな。タイーホされた写真家に撮らせたのが。
あんなの、憂国の士(爆笑)がやることじゃないねー。ヘンタイがやりそうなことです。 憂国の為なら、あんなオサレな軍服もどきをカスタム冥土する必要なんか無いぢゃん。 オヤヂより先に自殺なんて、親孝行を少しでも考えればしないって。単なるエゴイストです。 本当に國のこと考えるなら、後進の為に教育でもしそうなもんだが、 自分が気持ちよく散ることしか考えてないんだもん。騙された“隊員”たちがかわいそうでならん。 死体は、誰かが掃除したんだろ?最期の最期まで、わがまま通したんだろね。 作家として注目されなくなったから、肉体で注目されるしかなくなったわけです。 寺がそんなに美しいなら、保守しようと思うのが健常者の考え方だが、異常者はそれを 破壊して美を独占しようとするのです。自分の肉体も保守できないヘンタイに、國が保守できるわけないねー。
- 60 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2009/12/12(土) 10:32:07 ID:O+ijl2/O]
- >>59
逆にそういう殉教的、神聖ヘの合一思考がなければ、行動者になれないでしょう。何の貶しネタになってませんけど。 あんたみたいな哲学も文学も理解できない、低脳パチンコ豚には永久に理解不可能な領域なんでしょうね。可哀想に。 自衛隊員も、死体の処理や遺体搬送なんかしょっちゅうやってますからね。あんたみたいなヘタレと違うでしょ。 それで給料もらってるわけだし。 楯の会の会員も今も三島を尊敬してるから、部外者のあんたが余計な自分の視点で語る意味ないし余計なお世話です。 自分の三島憎しの感情を、心にもないつまんない偽善同情で貶しネタで言っても、 あんたのバカぶりを晒してるだけでした。 アンチ活動お疲れさまでした。
- 61 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/12(土) 14:00:01 ID:W+FwzCxR]
- >自衛隊員も、死体の処理や遺体搬送なんかしょっちゅうやってますからね。
知ったか乙。
- 62 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2009/12/13(日) 01:21:41 ID:TFhQ2rWX]
- www.yuko2ch.net/up/source/yp1412.jpg
- 63 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/13(日) 16:10:03 ID:in0ZeOHp]
- 「最初はご自宅に伺ったんです。『論争ジャーナル』発刊の主旨、論調は当時反主流でした。
先生(三島由紀夫)は、その当時から一つの輝く北斗の星でしたよ。 思想的な評論など出していましたからね。 例えば、『対話・日本人論』とか、思想的な評論関係の著作を出していましたから。 文学者としてではなく、思想家として見ていましたよ。 小説家三島由紀夫と我々は見てなかったですよ。おそらく誰も。 …あの頃は、慶応で最初の学園紛争がありまして、それから早稲田、日大、明治、東大ってどんどん広がって いったわけです。当時の思想風景というのは、左翼でなければ人にあらずという……。 想像できないでしょうが、そうだったんです。で、やっぱり、そのうちとんでもないことが起きる、と。 今見れば漫画みたいになっちゃうかもしれないけど、革命というのを、我々は真剣に危機的に感じていました。 そういう時代風潮を押さえて見ないと、あの頃の行動というのはわからないんですよ。 今の、この社会状況から見てたんじゃ」 持丸博(元楯の会初代学生長) 鈴木亜繪美 「火群のゆくへ 元楯の会会員たちの心の軌跡」
- 64 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/13(日) 16:11:00 ID:in0ZeOHp]
- 「あの頃は、全共闘全盛の時代だった。俺は九州生まれで、全共闘の考え方に馴染めなかった。
ああ、俺の考えは世の中に合わないのかな、と思ったよ。 …学校へ行ってもどうも自分と考えてることが違うなという連中が、我が物顔で歩いている。 肉体的には負けないけど、論争して負けたくないから理論武装したいと思った。 先生(三島由紀夫)の人柄とかに興味津々だったから、たぶん、先生が辟易するくらい質問したよ。 根ほり葉ほり訊いたね。先生は、目が非常に純粋で、僕らのようなひよっこにも丁寧な言葉を使ったし、 時間を守る、威張らないし、そういうことからも魅力を感じた。文豪なんていうそぶりは全然見せなかった。 礼儀正しさとか非常に親切心があるとか、何回かのお付き合いの中で敬意を持つようになった」 仲山徳隆(元楯の会会員) 鈴木亜繪美 「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 65 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/13(日) 16:13:58 ID:in0ZeOHp]
- 「三島先生は、『君が田村君か、さあ座りなさい』とおっしゃり、これが最初の言葉だった。
じっと見られた大きな目がキラキラ輝いていて、印象に強く残った。実にあっけない最初だった。 (中略) 体験入隊終了直前、緊張の連続と疲労の極みで胃液を吐きダウンしてしまった。 薬を飲まされ、隊舎のベッドで横になっていると、三島先生がいらしたんです。 ベッド脇に座られて『大丈夫か』と声を掛けてくださった。『幾つになった』と訊かれ、『十八です』と答えると、 『そうか、俺は君の親の世代なんだなあ。無理するなよ、行けるか?』と。先生のあの声は忘れられないですよ」 田村司(元楯の会会員) 鈴木亜繪美 「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 66 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/13(日) 16:15:10 ID:in0ZeOHp]
- 「とにかく入学した前後って、大学紛争が一番大変だった時、最初に入試を受けた時はバリケードがあって
機動隊が出てましたよ。早稲田の文学部は革マル派の本拠地だった。 圧倒的に、革命論争だとか新左翼系の話が主流でした。 でも、いわゆる左翼系の議論には違和感があった。どうもちょっとおかしいと。 それでいろんなものを読んでる中で、一番明解に論を展開していたのが三島先生だった。 そういう意味じゃ、『論争ジャーナル』に出て来て論陣を張ったというのは画期的だった。 自衛隊に行こうと思ったのは、当時はマイナーな存在で、どちらかというとマイナスの評価だった。 それと規律で全部縛られている所では自分がないと言われていましたから、本当に徹底してがんじがらめの 規制の中で人間がどうであるか、自由でありうるか、それを一回やってみたいと思ったんです」 佐原文東(元楯の会会員) 鈴木亜繪美 「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 67 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/13(日) 16:16:19 ID:in0ZeOHp]
- 「三島先生の『楯の会』は、思想的に自由な所だったというのが大きかったと思います。
思想的束縛がありませんでした。会自体すごく幅広い人が入って来ていました。 僕なんか、従来型の右翼系の人とは随分違ったと思います。 僕は、三島先生といろいろ話していて、今まで会ってきた人の中であれ程頭のいい人はいなかったですね。 非常に明晰で、クリア。透明なんですよ、透明。なんていうかクリスタルガラスのような、水晶のような、 そんな印象でした。森田さんは、ともかく明るい人でした。話していて非常に気分のいい人。裏表がない人。 そういう意味で翳のない人だよね。生き方にも翳がないし」 佐原文東(元楯の会会員) 鈴木亜繪美 「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 68 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/17(木) 16:04:42 ID:49bNQzhj]
- 「三島先生は先駆的な考えをお持ちで、当時、『論争ジャーナル』という雑誌で民兵構想というのを出されていました。
こういうのは、これから面白いなと思った。 つまり自衛隊だけではなくて、民間人が防衛組織の一翼を担うという構想を出されていた。 アメリカでもヨーロッパでもそういう民兵というのはあるわけで、日本だけがそのような民兵組織がなかった。 自衛隊自体が、むしろほとんど否定されていたような世の中だったから、ああいう考え方は非常に新鮮でした。 今でもよく覚えているのは、訓練の時に小銃を持って走るわけですよ。 あの時、三島先生は『銃の重さを知ることが非常に大切なことなんだよ』と語っておられた。 よく記憶しています。国を守るということは、銃の重さを身体で感じることなんだと、理屈ではないんだと。 全くその通りだなと思いました。 ほとんどの話は忘れてしまったけれど、これはよく記憶していますね、銃の重さのことは」 イニシャルO、元京都大学生(元楯の会会員) 鈴木亜繪美 「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 69 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/17(木) 16:06:34 ID:49bNQzhj]
- 「森田とは同じ年だった。ある時、先生が俺をからかって、
『森田には命預けますっていう学生がいっぱいいるんだよ』と言ったんだ。 そうしたら、森田は顔を真っ赤にして、『いやあ、僕の命は先生に』って言った。 僕は自分の日記に書いても先生に直接そんなふうに言ったことないよ」 川戸志津夫(元楯の会会員) 鈴木亜繪美 「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 70 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/17(木) 16:07:37 ID:49bNQzhj]
- 「高校一年の時に、文化大革命が起きて、新聞は『文化大革命』礼賛一色ですよ。
『毛沢東万歳!』ってすごかった。ものすごい理想国家のように持ち上げていた。 ところが、新聞にちっちゃく記事があって、大陸から香港に逃げてフカに食われて死んじゃう人が何百人も いるのを目撃したって。そんな素晴らしい国ならなんで亡命して逃げて来るんだ。 変じゃないかって、子供心に思っていたわけです。 …右でも左でもなかった。ところが、昭和四十五年一月頃、早大キャンパスに確か『三島由紀夫と自衛隊に 体験入隊しよう』というタテ看板を見て、俺が求めていたものはこれだと、決心。 楯の会という意識はなかった。自衛隊に行くことが主で入会はついでだった。」 村田春樹(元楯の会会員) 鈴木亜繪美 「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 71 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/17(木) 16:08:30 ID:49bNQzhj]
- 「そのあと、サロン・ド・クレールで三島先生に会いました。非常にさっぱりした感じだった。
どんな本を読んでいるかと訊かれて、大江健三郎と。 その時、先生は大江健三郎の絶版になった本の話をしたんだよ。『政治少年死す』ていうやつを。 読んでないから答えられなかったんだよね。先生は、なんでこんなヤツが来たんだみたいな顔して、森田さんの方を 見た。森田さんは『いやいや、なかなか元気がいいですから』と言ってくれました。 森田さんの一言で、私は救われたようなもんです。 そうでなければ、こんな軟弱な学生が入れるわけないじゃないですか。 森田さんて人は、知れば知る程素晴らしい人でしたね。快活という言葉、一言。」 村田春樹(元楯の会会員) 鈴木亜繪美 「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 72 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/17(木) 16:09:22 ID:49bNQzhj]
- 「三島由紀夫先生と楯の会のことは、田舎にいる時は全然知らなかった。興味もなかったし。
父親が靖国会をやっていて、その関係で森田必勝さんに会ったんです。 確か、森田さんが橘孝三郎(祖父)のことを知って、靖国会の事務所を訪ねて来たんです。 その後、私も紹介されました。親父は森田さんのことをこう言ってました。 『森田必勝という、なかなかいい男が俺を訪ねて来たぞ。凄く気骨のある人間だ。凄くいい青年だぞ』って。 くりくりっとした坊主頭の人で、本当にね、少年みたいにね、本当に裏のない人でした。 森田さんは兄と同じ二十年生まれ、ずっと兄のように思っていました。 (中略) 西新宿のルノアールで、三島先生にお会いしました。ほとんど何も言えなかったけどね。 『橘先生、お元気ですか?』と、祖父の橘孝三郎のことを訊かれたことを覚えています」 塙徹二(元楯の会会員) 鈴木亜繪美 「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 73 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/18(金) 21:13:23 ID:/u/Wr9S1]
- 「私は、正式な会員じゃないんです。
もともと大学が早稲田だったから、楯の会のことはよく知っていたんですよ。 でも、その当時は入ろうという意識はなかったですね。 …国学院の友人に、三島先生に心酔しているものがいて、仲間と一緒に先生に会いに行くことになったんです。 それにも、たまたま行かなかった。 友人は、念願の先生にお会いして、頭の中が真っ白になって 『先生は、いつ死ぬんですか?』と訊いたそうですよ。 先生は、『わっはっはっ』と大笑いされて、『まあ、お茶でも飲め』と、紅茶をご馳走になった。 何も聞けなかったけど、気さくな人だったと。夏の暑い日だった。 社交辞令だろうけど、募集してるから、また来い、ともおっしゃってくれたそうです」 須賀清(元楯の会幻の六期生) 鈴木亜繪美 「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 74 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/18(金) 21:15:03 ID:/u/Wr9S1]
- 「森田必勝とは同じ二十五歳だった。当時、森田たち十二社のメンバーはすぐにテロだとか言っていた。
できるわけねえじゃないかこいつら、と思っていた。 でも、事件が終わってから、森田の見方が変わった。あの男に対する見方は変わったよ。 先生に対しては変わらない。もともと凄いなと思っていたからね。 …何かの折に触れ思い出すと、『あいつは凄かったな』と思う。 要するに、腹を切る切らないの前に、あの状況に立てるかどうか考えた。 それから介錯して、短刀を取って……。あの状況に立った古賀、小賀、小川、森田は凄いと思う。 三期で一緒だった牧野隆彦が、先生が亡くなった四十五歳を越えた時、『先生に、すまない』と言った。 そして、翌年四十六歳、くも膜下出血で死んでしまった。その時は、ショックだったね」 川戸志津夫(元楯の会会員) 鈴木亜繪美 「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 75 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/18(金) 21:17:08 ID:/u/Wr9S1]
- 「フルコガ君(古賀浩靖)とは事件後、品川だったか、電車の中で偶然会ったことがあります。
その時、彼は『すみませんでした』と言ったので、僕は『そんなことないよ。君がそんなことを思うことは サラサラないね』と答えた記憶があります。 先生は、残すべき人間は残したんだと思いますよ。おそらく。 だから、残った人間は、重い荷物を背負っているんですよ。 私以外に、楯の会の会員で二人、自衛隊で定年を迎えた人がいます。 彼らと違うのは、私は事件が起きる前に自衛隊に入隊していたことです。二人は事件が起きたあとに入ったから。 まあ、どちらが大変という比較は難しいですが、それぞれ大変だったと思いますね。ずっとマークもされてましたから。 多分、三人とも定年までマークされていたと思います。 …事件当日に市ヶ谷で斬られた人と会ったこともあります。 腕を斬られて、背中を何針か縫った人を知っています。でも、三島先生のことを悪く言う人はいません。 先生の心情はわかるということを、随分言われました」 イニシャルK、元明治大学生(元楯の会会員) 鈴木亜繪美 「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 76 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/18(金) 21:18:45 ID:/u/Wr9S1]
- 「たぶん、先生は最初一人で死ぬつもりだった。森田さんも死ぬ覚悟を決めていたんですよ。
『森田の精神を恢弘せよ』とは、その森田さんの純粋な行為、行動、信条を後の人に伝えろというのが あるのだと思います」 佐原文東(元楯の会会員) 「三島先生という存在自体は亡くなられても、文学者としての三島由紀夫、社会的な立場にある人としての 三島由紀夫は残ると思います。しかし、森田についてはおそらく何も残らない。 森田について言いたいことは政治的な森田。日本には『自決』という政治的表現があるんです。 諭したい相手がダメだと思ったら、自らの命を捧げて訴えるという政治的な表現法です。 行動主義の森田だったから、西洋的にしゃべり尽して相手に伝える事をせず、『自決』という行動で、 『日本の真の姿を見よ』と訴えたかったんだろうと思います」 伊藤好雄(元楯の会会員) 鈴木亜繪美 「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 77 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/18(金) 21:20:33 ID:/u/Wr9S1]
- 「先生はもうそれなりに著名で確立されている方です。でも、森田さんは無名でした。
三島先生は、ものすごく森田さんの身の上を案じ、今後、森田さんの精神がそのまま埋もれてしまうことに対して 危機感があったんだと思います。 僕の進んできた道を――商社に入ってずっと普通に生活してきたことを、申し訳ないという気持ちがあります。 (中略)僕は、大学で中国語を学び、中国という共産主義の国が隣にあって、日本がどう思われているのか、 最近の反日の運動を見るにつけ、その前から中国はずっと日本に対して辛く当たっていることを経験してきました。 みなさんは日本の中で日本を見てきたと思うけれど、僕は中国というフィルターを通して日本を見てきたんです。 預言者としての三島由紀夫というのは、ものすごく的確だと思います。 今の日本の政治はぶれている。外交上、中国にしてやられています。そういういたたまれない状況にあるだけに、 非常に的確に予言していたな、と思います。それだけに、三島先生や森田さんのやった行動が余計光ってくると思います。 一条の光というか、僕は、やがてもっともっと輝いてくると思っています」 古屋明(元楯の会会員) 鈴木亜繪美 「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 78 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/18(金) 21:29:41 ID:EqfmgUmo]
- 荒らすなコピペ厨
- 79 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/18(金) 22:03:33 ID:eFqYXG13]
- 自決した愛国者 森田必勝も忘れてはいけませんね。
- 80 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/18(金) 22:27:21 ID:+1VNk/rj]
- どんな人であれ、亡くなった人を叩くのは人間の屑がやることだ。
- 81 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/22(火) 11:53:48 ID:XtKaC2nU]
- 頭の悪いゲイウヨ
- 82 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2009/12/22(火) 12:50:00 ID:3XmhyJMc]
- 死に方から変に誤解されて作家としての評価も歪められている可哀想な人
まあ、病跡学のサンプル
- 83 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/22(火) 12:56:26 ID:wzsKvDMR]
- 日本国の最大の問題は死んだら責任を免れると思っていることだ。
東京裁判で東條英機元首相は死刑にされた。 死後、死体は焼却処分され遺骨と灰は捨てられ遺族には渡されなかった。 渡せば遺族は極悪人を祀ると言う悪行をする可能性があったからだ。 事実、東條英機の娘はこの極悪人を弁護している。 娘みずからこの極悪人の死体を足蹴にするのが正義なのに
- 84 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/22(火) 13:10:32 ID:vSm9LtB3]
- ある政治家が「狂気の沙汰」と呼び、これに迎合するかのようにある作家が「精神分裂症」と診断した。
病理学的な狂気は三島由紀夫君にはなかった。 狂気とかたづけてしまえば、その時点で政治家も作家も、一切の思考を停止し、責任を回避することができる。 ソ連のような国では、多くの健康な作家が精神病院に入れられている。 独裁者と怠惰な思考喪失者にとっては、人を狂人あつかいにすることほど簡易軽便な処理法はない。 「賊と呼び狂と呼ばんも、他評に任ぜん」という句は、維新志士たちの辞世の漢詩にときどき出てくる。 出典はシナにあるかもしれぬが、これが古今に通じる志士の心である。 三島君自身も狂人呼ばわりの「他評」はもとより覚悟していた。 林房雄 「悲しみの琴」より
- 85 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/22(火) 13:11:14 ID:vSm9LtB3]
- だいぶ以前のことだが、三島君は私の家に遊びに来た時、デパートの売子たちの無知と無礼粗暴な態度を怒り罵倒し、
「こういうのが現代の若者だというなら、僕はできるだけ長生きして彼らが復讐を受けるのを自分の目で見てやりたい。 それ以外に対抗策はありませんね」と真顔で言って私を笑わせてたことがある。 彼にもこのような意味の長生きを考えていた一時期があった。 いわゆる「夭折の美学」を捨て、図太く生きて戦後の風潮と戦ってやろうと決意したのだ。 林房雄 「悲しみの琴」より
- 86 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/22(火) 13:11:57 ID:vSm9LtB3]
- 彼が週刊誌に荒っぽい雑文めいたものを書きはじめ、グラビアにも登場しはじめたとき、「いったいどうしたのだ」
とたずねたら、「戦後という世相と戦うためには、こんな戦術も必要でしょう」と笑って答えた。 だが、この「長生き戦術」または「毒をもって毒を制する戦略」はやがて捨てられた。 怒れる戦士は迂回作戦を軽蔑しはじめ、単刀直入を決意した。 『英霊の声』はこの視角から読まねばならぬ作品である。 林房雄 「悲しみの琴」より
- 87 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/22(火) 13:13:07 ID:vSm9LtB3]
- 三島君の熱望は決して政治概念としての天皇の復活、したがって明治憲法復元論でもなく、ただ左右の全体主義
(共産主義とファシズム)に対抗する唯一の理念としての「文化の全体性と統括者としての天皇」の復活と定立であった。 このような定立が、「古代の夢」は別として、日本の歴史において実現された実例があったかどうかは 論争的として残るが、その試みが幾たびか行われて、多くの忠臣と志士がこの夢に命を捧げたことは事実である。 林房雄 「悲しみの琴」より
- 88 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/24(木) 00:48:42 ID:U65Krvwr]
- 水島総(チャンネル桜)は似非保守(1/2)
www.youtube.com/watch?v=6fFPc4o2Mng 水島総(チャンネル桜)は似非保守(2/2) www.youtube.com/watch?v=vUwdiebOsKQ
- 89 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/24(木) 00:55:30 ID:oKP3LYxW]
- >>85
それは「伝統思想を大切にしないと、伝統思想による復讐がある。」ということで、 世界的に通用する論理ですよ。 家庭内暴力や構内暴力はそういうものの一つで、三島は正しい。
- 90 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/24(木) 01:20:56 ID:YtqdzuDk]
- なぁんで、文学者は極端なの?
- 91 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/25(金) 00:13:01 ID:TE/Y6EUM]
- だってそうしないと売れないし
- 92 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/25(金) 10:06:08 ID:TwgM+qrw]
- 「三島先生と一緒に行動を起こし、残った三人のうちの二人古賀浩靖と小賀正義は、自分が楯の会に誘ったんです。
警察に留置されている二人のことをずっと考えました。 (中略) フルコガ(古賀)とチビコガ(小賀)が出てくるまでは、東京にいるのが義務だと思いました。 彼らが出てきたので、その年の秋、秋田に帰ることになりました。 お金がなかったので、トラックをレンタルして、運転手を古賀と友人が手伝ってくれました。 一日かかって秋田に着き、夜に三人で酒を飲みました。その時、古賀に訊いたんです。 『古賀(ヒロヤン)、ひとつだけ訊きたいことがある、いいか?』 『何だ?』 『十一月二十五日、あすこの現場を出る時、投降して捕まって出る時、どういう気持だったんだ?』 今考えると、バカな質問をしてしまった。自分でさえ頭がまっ白になったのに、彼らがその時のことを 言葉に表現できるはずかない……。気付かなかった」 伊藤邦典(元楯の会会員) 鈴木亜繪美 「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 93 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/25(金) 10:06:58 ID:TwgM+qrw]
- 「なかなか答えてくれないから、『あの事件は、何があなたに残ったんだ?』と訊いた。
すると、古賀は、カウンターの上で、ゆっくり右の手のひらをただ上に向け、何かを持つようにした。 古賀はその手をじっと見つめたまま、一言もなかった……。 それが何を意味しているのか理解したのは、一ヶ月か二ヶ月たってからだった。もう声も出なかった。 それは、三島先生と森田さんの、首の重さ……。それを知った時、ふーっと血の気の引くような衝撃に襲われた。 あの人が首を落とし、安置した。古賀だけが首の重さを知っている……。 彼らに事件のことを訊いたのはそれだけ。あとはもう訊けない。 今でも時々会うが、一切そういう話はしない。失礼に当たると思っています。 (中略) あの行動を凌駕する言葉とか文章、表現はない。 それを残された会員みんな、漠然と確実に持ってしまっているんです」 伊藤邦典(元楯の会会員) 鈴木亜繪美 「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 94 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/25(金) 10:08:54 ID:TwgM+qrw]
- 「僕が、どうしてしゃべる気になったかというと、結局、あの事件は、『三島由紀夫』だけが前面に出ているから。
だから、世間の評価というのは、いわゆる作家が起こした結末だというのがほとんどでしょ。 もし、三島先生一人だけだったら、僕はそれは認めるわ。だけど、森田さんが一緒だった。 まるで森田さんなんて、さしみのツマみたいなもんや。 だから、僕はそれが我慢できへんかった。ずっと、今でも、そう思う。 三島先生は、もの凄い追い詰められたと思うの、森田さんに。本当に。 もし森田さんがいなかったら、三島先生、絶対せえへんよ。ああいうことは。思い切れなかったと思う。 違った形でしたかもしれへんけど。自分で腹切って死ぬことはあったかわからへんけどね。 ああいうことはしなかったと思う。うん、すべて森田さんの影響よ、あれは。 森田さんの言動でもわかっていたし」 野田隆史(元楯の会会員) 鈴木亜繪美 「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 95 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/25(金) 10:10:27 ID:TwgM+qrw]
- 「…森田さんは『自分でテロするなら、必ず自分の命を絶たなきゃいけない。生き残ったらいけないんだぞ。
そんなヤツいるか?今の日本で、自分の命を賭けてもいい奴がいるか?』そう言った。 森田さんは、その時、もう覚悟できてたし、三島先生について行ったらいいと、自分の命を捨てる覚悟だったんやろうね。 三島先生は、すべて規定済みやった。たぶん野次で、自分の声がかき消されるのもわかってた。 それを上回るようなマイク使ったら、値打ちもない。演説と違うんだから。やっぱし、最後は肉声よ。 明治維新から百年たって、高杉晋作や坂本竜馬がどうだったか、今では我々もわかる。 五十年、百年たって、わかる人がわかればいいのよ。 当時、二十歳前後だった我々は、他のみんながこれからどうして生きようという学生時代に、どうして死のうか 考えてた。それだけの覚悟をしてしまった。それは、森田さんも、我々も一緒だった」 野田隆史(元楯の会会員) 鈴木亜繪美 「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 96 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/25(金) 10:11:49 ID:TwgM+qrw]
- 「拘置所にいる時、記録として残しておこうと思った。
日記のような形にしようと思って、それを看守に言ったら、あかんと言われた。 ノートは手に入ったので、洗面所にあった釘で書いた。結局、検閲で見つかって没収されてしまった。 三島先生は、日本は文化概念として天皇陛下がいらっしゃると言われてきた。 『我々の一番の根幹は、天皇を守るか守らないか。これから稲を植えて収穫するのは、天皇家しか やらないんじゃないか、そういう未来が来るよ、工業化のあげくに……』先生はずっとそう言っていた。 森田さんに対して…忸怩たるものがある…何もできていない…。 しかし、僕をはじめ、みんなも表に出なくていいと思う。本来埋もれていくべきだと思う」 小賀正義、三島由紀夫と共に決起(元楯の会会員) 鈴木亜繪美 「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 97 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/25(金) 10:13:53 ID:TwgM+qrw]
- 「森田さんのことを語り合うのは価値があるが、自分たちのことを話すのは間違っていると思う。
先生は偉大な人だから、それは置いて、我々は埋もれていげばいい。埋もれなければならない。 活動したことは価値あることで、先生が『楯の会』という、今までにない団体で行動したのは、時代に夢が あったからだと思う。今後とも出て来ないだろうし、価値があった。 でも、我々が、楯の会の会員だったということを口にするのは、違うと思う。 森田さん自身、そんなに言ってほしくないと思っているのではないか…。僕は黙って死んで行く…という人だから。 …『森田の精神を後世に恢弘せよ』とは、三島先生と森田さんの、感性を持てということだと思う。 先生があそこまでできたのだから、僕もできるだろうと。それがずっとある…。 自分はそれだけのことをやっている自信はある」 小賀正義、三島由紀夫と共に決起(元楯の会会員) 鈴木亜繪美 「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 98 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/25(金) 23:37:31 ID:UV0EQVA+]
- オナニーゲイ
- 99 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/26(土) 10:49:44 ID:xXGGo0Nu]
- 息つくひまなき刻苦勉励の一生が、ここに完結しました。
疾走する長距離ランナーの孤独な肉体と精神が蹴たてていた土埃、その息づかいが、私たちの頭上に舞い上がり、 そして舞い下りています。 あなたの忍耐と、あなたの決断。あなたの憎悪と、あなたの愛情が。そしてあなたの哄笑と、あなたの沈黙が、 私たちのあいだにただよい、私たちをおさえつけています。 それは美的というよりは、何かしら道徳的なものです。あなたが「不道徳教室講座」を発表したとき、私は 「こんなに生真じめな努力家が、不道徳になぞなれるわけがないではないか」と直感したものですが、あなたには 生まれながらにして、道徳ぬきにして生きて行く生は、生ではないと信じる素質がそなわっていたのではないでしょうか。 あなたを恍惚とさせる「美」を押しのけるようにして、「道徳」はたえずあなたをしばりつけようとしていた。 武田泰淳 「三島の死ののちに」より
- 100 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/26(土) 20:02:58 ID:xXGGo0Nu]
- 三島は結局、自衛隊市ヶ谷駐屯地を己の死に場所とした。
…多くの自衛隊員の前で演説し、そして腹を切るという壮烈な死の花道として、士官学校、大本営、参謀本部など、 かつて日本陸軍のメッカといわれた市ヶ谷を選んだ。 …三島は隊員に決起を促すため方面総監室を占拠し、総監を人質にするという暴挙に出たが、そのために三島を 恨んだり、非難する声は今でも自衛隊内部では少ない。 事件の当日、会議中に総監室の異状を知った方面総監部三部の防衛班長中村菫正(のぶまさ)二佐は、隊員の通報で 総監室に駆けつけ、幕僚長室から総監室に通じるドアを体当たりで開けて中に飛び込み、振りかざした三島の刀で 右手を二回にわたり斬りつけられる。(中略) 思いもかけなかった刃傷事件の発生に、総監部の各事務室の片隅に警棒が常時置かれるようになったのは、 この事件以降のことである。 原竜一 「熱海の青年将校――三島由紀夫と私――」より
- 101 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/26(土) 20:04:44 ID:xXGGo0Nu]
- (中略)しかし、こんなとんだ災難にあった中村二佐だが、三島を恨もうとはしていない。
「三島さんは私を殺そうと思って斬ったのではないと思います。相手を殺す気ならもっと思い切って斬るはずで、 腕をやられた時は手心を感じました」とあとで語っている。 斬られながらも相手の手加減を感じるなど、剣道を知らない者にはわからないところだが、中村二佐は旧軍の 軍人だから剣道の腕も相当なものがあったのだろう。 自衛隊の良き理解者だった三島について「まったく恨みはありません」と断言した中村二佐はその後、陸幕広報班長、 第三十二連隊長、総監部幕僚副長、幹部候補生学校校長を歴任し、昭和五十六年七月、陸将で定年退官するが、 最後の職場が、かつて三島を教育した久留米の幹部候補生学校だったとは、皮肉な巡り合わせである。 原竜一 「熱海の青年将校――三島由紀夫と私――」より
- 102 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2009/12/26(土) 23:58:41 ID:xqec7ynW]
- %%%%%%%%%
%告報生七% 6|-○-○ | | > | \ ∇ /<自衛隊は決起せよ! (っ) ,,,,l ` γ l,,,,, \ \/~~.... |。 ~~ヽ \,,/ | |。田}}\ \ _ | |。 | ゝつ |\  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ | \ \ | | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
- 103 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/28(月) 23:17:08 ID:ogNVemXc]
- どうも左翼と言うのは2つに分けて考えた方がいいようだ。
ひとつは日本と外国とを問わず差別、侵略、人権侵害に反対する者 もうひとつは日本の差別、侵略、人権侵害には反対するが特定の外国の差別、侵略、人権侵害は無視するか逆に擁護する者 これは反日であっても左翼ではない 本物の左翼なら日本と外国とを問わず差別、侵略、人権侵害には反対するはずだ
- 104 名前:名無しさん@3周年 [2009/12/29(火) 15:12:40 ID:j+yqDnA3]
- TOKYO MX 12月31日(木)21:00〜23:00放送
大晦日特別番組「如何にせん保守政治」 www.mxtv.co.jp/nishibe/youtube/index.html www.youtube.com/watch?v=7bau6pGXHNs&feature=player_embedded 特別ゲスト: 元首相・安倍晋三衆議院議員 平沼赳夫衆議院議員 野田毅衆議院議員 西田昌司参議院議員 出演:西部邁 秋山祐徳太子 テーマは、「ニッポンの保守どうする〜保守の再興は如何にして可能か〜」。 大晦日21:00〜2時間にわたり徹底討論いたします。
- 105 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2010/01/03(日) 19:31:04 ID:0m7XgEbr]
- 如何にせん 保守政治1/5〜5/5
www.youtube.com/watch?v=CXcJVG3xOdo&hl www.youtube.com/watch?v=TAEvbDCEftM&hl www.youtube.com/watch?v=hwraWmd7wpw&hl www.youtube.com/watch?v=DLM7gy-6fFI&hl www.youtube.com/watch?v=1zJmETW4G5o&hl
- 106 名前:名無しさん@3周年 [2010/01/11(月) 00:16:02 ID:dV5kZJkQ]
- ゲイ信者ネトウヨw
- 107 名前:名無しさん@3周年 mailto:sage [2010/01/18(月) 15:15:06 ID:2kIeM8mS]
- 西村幸祐
反日マスコミの真実2010 ―日本を壊す、言論統制と情報封殺システム― www.amazon.co.jp/gp/aw/d.html/ref=mp_s_a_1?qid=1263791629&a=4775514822&sr=8-1
- 108 名前:名無しさん@3周年 [2010/01/21(木) 23:19:11 ID:osfuT8XS]
- 一九六七年(昭和四十二年)春、四十二歳の三島氏は一人で四十五日間、自衛隊に体験入隊し、国防の必要性を感じ、
祖国防衛隊的な組織を作ろうと政治家や財界人に働きかけたのですが成功しませんでした。 三島氏は自ら学生を集め、自衛隊に体験入隊させて祖国防衛隊を作り、のちに「楯の会」という名前を付けました。 三島氏は熱心に働きかけたのに本気にならなかった多くの財界人を見て、「財界人は一見、天皇主義者だけで、 利益のために簡単に変節する連中だ」と絶望していました。 井上豊夫 「果し得ていない約束 三島由紀夫が遺せしもの」より
- 109 名前:名無しさん@3周年 [2010/01/21(木) 23:21:59 ID:SoxrR001]
- 今朝の味噌汁、美味しゅうございました。
- 110 名前:名無しさん@3周年 [2010/01/21(木) 23:22:23 ID:osfuT8XS]
- 三島氏は政治活動で最も大切なのは「金銭の出どころ」だと言っていました。
約百名とはいえ、「楯の会」運動を続けるための費用はすべて三島氏個人が負担しており、外部に寄付を 依頼することはありませんでした。 三島氏の事件から六年後の一九七六年(昭和五十一年)に明るみに出た「ロッキード事件」では、 「自称愛国者」児玉誉士夫氏は米国ロッキード社と田中角栄首相のパイプ役として働き、アメリカ側から 巨額の謝礼を受けていたことが判明し、愛国者の仮面を剥がされました。 三島氏は大卒の初任給が五万円以下の時代に、年間八百万円もの私財を「楯の会」のために使い、外部に資金援助を 一切依頼せず、運動の純粋性を守り通したのでした。 三島氏が自ら自衛隊に体験入隊したあと、「祖国防衛隊構想」を財界人に説いて回ったそうですが、資本家たちは 一見「天皇主義者」のように見えても、自己の経済的利益のためなら簡単に裏切る人々だと実感したそうで、 以後、財界の資金援助を受けようとはしませんでした。 井上豊夫 「果し得ていない約束 三島由紀夫が遺せしもの」より
- 111 名前:名無しさん@3周年 [2010/01/21(木) 23:24:14 ID:osfuT8XS]
- 「楯の会」はたった百名の小さな組織でしたが権力に媚びることなく、既成右翼との接触もなく終わったのは
資金の出どころが明確だったおかげだと思います。 三島氏の金銭に対する考え方は清潔で、納税することは国民として当たり前で、「自分の払った税金が自衛隊の 戦闘機のタイヤ一本分くらいになっていると思うと嬉しく思うし、税金は安いくらいだと思う」と言っていました。 以前に瑶子夫人からお聞きしたところによると、インドへ旅行した折に大理石の美しいテーブルを見つけ、 名前を入れてもらう約束で注文したらしいのですが、奥さんが半額だけ現地で払い、残りは商品が着いてから 払えばと勧めたのに、「僕はそんなのは嫌だ」と言って全額を現地で払ったそうです。注文後、一年ほど商品が 着かず、奥さんは心配したそうですが、無事到着し、今も南馬込の三島邸の庭先に置かれていると思います。 井上豊夫 「果し得ていない約束 三島由紀夫が遺せしもの」より
- 112 名前:名無しさん@3周年 [2010/01/25(月) 10:10:52 ID:RUJYmaZV]
- www.melma.com/backnumber_149567_4742946/
櫻チャンネルの社長でもある、水島総さんの文章で、三島さんに関する部分を紹介したいと思います。 水島さんは、今は亡き三浦重周・元三島研究会事務局長の追悼文も書いておられますが、心のこもったもので、今読み返しても心が震えます。 (引用開始) 「私の座右の銘のひとつに、「duruchhalten」(持ちこたえること)というドイツ語の言葉があります。これは私の尊敬するドイツの作家トーマス・マンが座右の銘にしていた言葉です。 ドイツ精神を最も体現している作家と言われるトーマス・マンは、第一次世界大戦が勃発すると、英仏側とドイツとの戦いを英仏「文明」とドイツ「文化」の戦いだとして、敢然と祖国ドイツの側に立って論陣を張りました。 その論文「非政治的人間の考察」(筑摩書房刊)は、三島由紀夫をはじめとして多くの日本の作家に深い影響を与えました。 かく言う私もそうでした。 三島の『文化防衛論』を後で読んだ時、これはマンの焼き写しなのだという印象を持ったものでした」
- 113 名前:名無しさん@3周年 [2010/01/25(月) 10:12:15 ID:RUJYmaZV]
- (中略)
「より大きな歴史の視点に立てば、ルネッサンスから始まった「人間中心主義」と言われたヨーロッパ近代が、決してギリシャ文明の本物の復興なのではなく、 偽物の「文芸」復興であり、その結果として、既にヨーロッパ近代主義が行き詰まり、終焉を迎えているという痛苦な認識でした。 二つの世界大戦の中で、滅びゆくヨーロッパ世界を小説を通して世界に告知し、そして「持ちこたえ」「ドイツたること」が普遍的な人類と世界の再生へ続くことを、マンはいくつかの作品群によって表わしました。 その痛切な思いと思想的苦闘を小説にした名作が、「魔の山」「ヴェニスに死す」「トニオ・クレーゲル」でした。 「魔の山」では、スイスの結核サナトリウムにおいて、主人公がヨーロッパのあらゆる近代思想を体現する人々と出会いますが、ある日、世界大戦の勃発によって、それらのヨーロッパ近代思想がことごとく破産し、吹き飛ばされるのを知ります。
|
|