- 136 名前:ひよこ名無しさん mailto:sage [2005/12/31(土) 13:15:30 0]
- 堂島川と土佐堀川がひとつになり、安治川と名を変えて大阪湾の一角に注ぎ込んでい
く。その川と川の交わるところに三つの橋が架かっていた。昭和橋と端建蔵橋、それに 船津橋である。藁や板切れや腐った果実を浮かべてゆるやかに流れるこの黄土色の川を 見下ろしながら、古びた市電がのろのろと渡っていた。 安治川と呼ばれていても、船舶会社の倉庫やおびただしい数の貨物船が両岸にひしめ き合って、それはもう海の領域であった。だが反対側の堂島川や土佐堀川に目を移すと、 小さな民家が軒を並べて、それがずっと川上の、淀屋橋や北浜といったビル街へと一直 線に連なっていくさまが窺えた。 川筋の住人は、自分たちが海の近辺で暮らしているとは思っていない。実際、川と橋 に囲まれ、市電の轟音や三輪自動車のけたたましい排気音に体を震わされていると、そ の周囲から海の風情を感じ取ることは難しかった。だが満潮時、川が逆流してきた海水 に押し上げられて河畔の家の真下で起伏を描き、ときおり塩の匂いを漂わせたりすると、 人々は近くに海があることを思い知るのである。 川には、大きな木船を曳いたポンポン船がひねもす行き来していた。川神丸とか雷王 丸とか、船名だけは大袈裟な、そのくせ箱舟のように脆い船体を幾重もの塗料で騙しあ げたポンポン船は、船頭たちの貧しさを巧みに代弁していた。狭い船室に下半身を埋め たまま、彼等は妙に毅然とした目で橋の上の釣り人を睨みつける。すると釣り人は慌て て糸をたぐりあげ、橋のたもとへと釣り場を移すのであった。 夏にはほとんどの釣り人が昭和橋に集まった。昭和橋には大きなアーチ状の欄干が施 されていて、それが橋の上に頃合の日陰を落とすからであった。よく晴れた暑い日など、 釣り人や通りすがりに竿の先を覗き込んでいつまでも立ち去らぬ人や、さらには川面に たちこめた虚ろな金色の陽炎を裂いて、ポンポン船が咳込むように進んでいくのをただ ぼんやり見つめている人が、騒然たる昭和橋の一角の濃い日陰の中で佇んでいた。その 昭和橋から土佐堀川を臨んでちょうど対岸にあたる端建蔵橋のたもとにやなぎ食堂はあ った。
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