- 1 名前:神も仏も名無しさん [2007/10/02(火) 16:06:32 ID:8++sNwXQ]
-
さてこちらは 真仏教でしょうか。あるいはカルトでしょうか。 ホームページ: www.j-theravada.net/index.html 1.釈尊の根本的教え(8)仏教と仏教の違い www.j-theravada.net/kogi/kogi8.html >まず、仏教は釈迦牟尼仏陀が説いた教えであるということです。 そして、仏教にはこの釈迦尊の教えと世の中で仏教と呼んでいる二つに分けて定義するべきです。 なぜ二つに分けるのでしょう。 それはこの世の中のいろいろな場所で信仰されている仏教をみると、あきらかに釈迦尊の教えとは思われない、 つまりそれぞれのリーダーと目される人が自分なりの解釈や編集や訂正を加えて、独自の宗教として作っている。 ・仏教か 似非仏教かという線引きをしています。 さてこの教団(日本テーラワーダ仏教協会)は 本物の仏教でしょうか。
- 769 名前:神も仏も名無しさん [2007/12/09(日) 00:37:24 ID:OgTV5H4R]
- 「信仰という迷信」、つまり迷いから解脱し真理に至ることが 本来の仏教が言う「悟り」です。
「ありのまま」を知り得るから、物事に正しく対処でき、そして苦の除去が可能となるという論理的な教えが 仏教です。 つまり 多くの宗教組織が言う「イエスは必ず復活する」とか「亡き教祖の子供が霊界から護ってくれる」などは その宗教だけのドグマであって、「真理」ではなくそれ独自の「信仰」ですから まったく「真理」ではないのに、「我々は真理を知っています」という時点で 大きな勘違いなのです。 妄想は 論理と言うにはあまりにもお粗末なので 信者同士で「真理だ」と思っているのは自由ですが 世間でそれを語ると 「騙り」と成ります。 www.geocities.jp/sonomama_da/gaikann.html
- 770 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2007/12/09(日) 01:33:29 ID:BwHBu4N6]
- 仏教は所詮、ジュニャーナ・ヨガの亜種に過ぎない。
- 771 名前:神も仏も名無しさん [2007/12/09(日) 01:37:29 ID:cp5p/rrS]
- それはないw
唯我派ころ六派哲学(インド哲学)の一派に過ぎない。
- 772 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2007/12/09(日) 01:43:35 ID:6tDjQwT/]
- 仏教は、知らないよりは知ったほうが、
人生を快適にできると思う。 で、他の宗教よりかは仏教のほうがマシだと思います。
- 773 名前:神も仏も名無しさん [2007/12/09(日) 02:00:13 ID:nq9ECr8U]
- >もしきみが仏教徒でありたいなら・・・
「わたしは善にも悪にも関係を持たない。この世界と自己とは何の関わりももたない」 と繰り返さねばならない 諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教 >人間振動とも呼ぶべき無意識状態を突破した時 ワロタ こいつはアホ
- 774 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2007/12/09(日) 02:32:33 ID:oxHUvCzv]
- 華厳ちゃんにエサを与えないで下さい。
マジレス厳禁、スルー推奨。
- 775 名前:神も仏も名無しさん [2007/12/09(日) 09:41:48 ID:Di9YzFt8]
- >>769
よくそういう言い方をして仏教は他と違うんだと自慢げになりがちだが、仏教も同じなんだよ。 ブッダは自分で体験して確かめろという。だが修行というのは、ヴィパッサナーにしろなんにしろ半信半疑でやって効果のあるものじゃない。 やる以上、全身全霊を賭けるぐらいの覚悟がなければ、身につくものじゃない。 それだけの覚悟を持つには、体験の前に信頼が必要。信頼とは言い換えれば信仰だ。 この修行を実践すれば確実に解脱できる。そう思うのは、まだ体験する前だろ? つまり仏教とは、ブッダの境地を自ら追体験できるはずだということを信仰する宗教に過ぎない。
- 776 名前:神も仏も名無しさん [2007/12/09(日) 10:25:39 ID:cp5p/rrS]
- 半分正解だが、仏教の根底には徹底した論理が貫かれてることは事実。
信じる者は救われるとか、まず信仰ありきの宗教とは一線を画すのも事実。 だが、仏教が哲学でなく宗教である理由は>>775が指摘する点にある。
- 777 名前:神も仏も名無しさん [2007/12/09(日) 10:34:18 ID:Di9YzFt8]
- >>776
イエスは復活するとか神の国がどうとか言うのと、目の前で「俺は修行して阿羅漢になれたんだから君らもやれ」と自分自身を成功例として示されるのとでは、やっぱり違いがあるしね。 たしかスマさんが言ってたことだと思うんだけど、教典とか教えは、自ら瞑想する気にさせるための道具でしかないんだそうだ。 やればわかるというのは、言い換えればやらないと絶対にわからない。 「やればわかる」ことをどんなに信仰してもやらないんじゃ、なんの意味も無い。 そういう意味で経典なり聖書なりは、やる気にさせる説得力をいかに持つかが重要なわけで、その点で信仰ありきの宗教と一線を画すのは事実だと思う。
- 778 名前:神も仏も名無しさん [2007/12/09(日) 10:39:47 ID:P5gzpoHc]
- >>775
つまり仏教とは、ブッダの境地を自ら追体験できる宗教。
- 779 名前:神も仏も名無しさん [2007/12/09(日) 10:46:59 ID:Di9YzFt8]
- >>778
結果的には。 阿羅漢に到達した人間にとっては、仏教は哲学だといってもいいかもしれない。 だが一般人にとっては、あくまでも宗教だ。 言い換えれば、導入は宗教で結果としては哲学になりえる仏教は、特異な教えだとは思う。 でも凡夫からすれば、どこまでも宗教。
- 780 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2007/12/09(日) 11:13:28 ID:obwGuWcB]
- イエスの場合は当時のユダヤ教のパラダイムで語っていたから、
神とか天国とかいう言葉が出てくるのはしょうがない。 大事なのはイエスが言動で示したことが、仏教にも通じる宗教的真理であるか否かであって、 「神」「天国」という言葉を使ったことをさして否定的にとるのは間違い。 個人的にはイエスは半端な仏教徒よりも仏教的な真理を体得していると感じる。
- 781 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2007/12/09(日) 11:23:18 ID:obwGuWcB]
- 「導入は宗教で結果としては哲学になりえる仏教は、特異な教え」
全く特異だとは思わない。 古代のギリシャ「哲学」も神や霊の概念に基づいて語られる。 キリスト教やユダヤ教やイスラム教の「神」や「天国」も 形而学的なものと捉えれば即哲学になる。 西洋の「哲学者」のことを考えればわかるはず。 神の概念を、人間と世界の関係と捉えれば哲学となる。 仏教「哲学」も経典に出てくる神や悪魔を実体のあるものと考えれば 原理主義となる。
- 782 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2007/12/09(日) 11:38:50 ID:2GVF6n5S]
- >>780
素晴らしい イエスは25歳で第三イルミネーションを受けた如来ですからね。 知られていない幼少の頃はカシミールかチベット辺りで修行しているし。 イエスが生まれた時にやって来た賢者三人はその辺からデバって来てるからね。 イエスが例え話を良くしたのは東洋思想に精通していたからです。
- 783 名前:神も仏も名無しさん [2007/12/09(日) 11:41:53 ID:Di9YzFt8]
- >>781
そりゃそうだけど、ごく一般的なキリスト教やイスラム教、大乗仏教においてはそうじゃないと思う。 宗教を哲学化する段階にまで極められるのは、やはり一握りの人だけですよ。 だから、凡夫にとっては仏教も宗教。哲学化しうるのは、宗教という認識に立ち妄信によって全身全霊をかける覚悟を決め、そのうえでやっと出来ることだと思う。 頭だけで仏教やキリスト教も哲学でしょとか言ってるのは、頭の体操レベルだと思うんですよ。 神や悪魔が本当にいるのかどうかは凡夫の俺にはわからない。 ブッダは六道を説いたわけで、六道があるということは天界も地獄もあるということだ。 つまり、神も悪魔も実態として存在するはず。 これを哲学で割り切りたい人は「心の様子の喩えだ」などと片付けようとするけど、それは信仰の態度じゃない。そんな割り切りをしてしまっては、本気で修行する気にはなれないんじゃないかな? 阿羅漢になりえる・ブッダの言ったことは神や悪魔の存在も含め本当だということを妄信できなければ、本気で修行には打ち込めない。たとえ「本当かなぁ」という気持ち、確認したい気持ちがスタートだとしてもだ。 ブッダの言うことを信じ修行する気になるというのは、それだけで原理主義なんじゃないのかなぁ?
- 784 名前:神も仏も名無しさん [2007/12/09(日) 11:48:34 ID:Di9YzFt8]
- だから、阿羅漢に到達した時点でブッダはたとえ話をしていたんだ、神も悪魔も心境をたとえただけに過ぎないと思う可能性は大いにある。
でもそれは到達した者のみが分かることであって、凡夫の頭でどうこう言えることじゃない。 凡夫に出来るのは、妄信してやる気になるか、疑い続けてやらないかだけ。 仏教を完全に哲学化できるのは、阿羅漢だけだと思う。
- 785 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2007/12/09(日) 12:19:18 ID:oxHUvCzv]
- で、結論として俺は慈悲の瞑想と、ヴィパだけやればいいのね?
- 786 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2007/12/09(日) 12:27:01 ID:P56H2Xwp]
- スマさんの「心の中はどうなってるの?」は、『ブッダの実践心理学第三巻』
のエッセンスをまとめているそうですね。 これを読めば、実践心理学第三巻を読んだのとほぼ同じことになりますか?
- 787 名前:神も仏も名無しさん [2007/12/09(日) 12:59:58 ID:cp5p/rrS]
- >>783
>つまり、神も悪魔も実態として存在するはず。 経典を引用しますので、ちょっと検討してみてください。 仏教では、一切は無上(諸行無常)であると考えますよね。 では、釈迦が言う「一切」とは何でしょうか。 (サンユッタ・ニカーヤ 33.13) みなさん、わたしは「一切」について話そうと思います。 よく聞いて下さい。「一切」とは、みなさん、いったい何でしょうか。 それは、眼と眼に見えるもの、耳と耳に聞こえるもの、鼻と鼻に匂うもの、 舌と舌に味わわれるもの、身体と身体に接触されるもの、心と心の作用の ことです。 これが「一切」と呼ばれるものです。 誰かがこの「一切」を否定し、これとは別の「一切」を説こう、と主張するとき、 それは結局、言葉だけに終わらざるを得ないでしょう。さらに彼を問い詰めると、 その主張を説明できず、病に倒れてしまうかも知れません。 それは何故でしょうか。 何故なら、彼の主張が彼の知識領域を越えているからです。 ※注記2 つまり、「一切」の外側については語ることは、知覚領域を越えた範囲のことを 語るということです。 釈迦はそれを妄想であると戒めます。
- 788 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2007/12/09(日) 14:20:34 ID:labenWRx]
- あっ!元オウムさん!!
- 789 名前:神も仏も名無しさん [2007/12/09(日) 16:07:38 ID:cp5p/rrS]
- そうだけど、テーラワーダ協会には行ったことないよ。
本は読むけど。 あとこのスレ。
- 790 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2007/12/10(月) 05:16:07 ID:EenpGmb4]
- >>777
キリスト教の場合はイエスを特別な存在にしちゃった都合上、誰もイエスの ようにはなれないということになってるように思うのだが、新約聖書をよく 読むと、イエス自身は自分のようになれと言っている (完全な者になりな さいとか言っている)。ただ、仏教とはアプローチの仕方が大幅に違うんだな。 それはあの当時のイスラエル近辺の状態に合わせたからだろうけどね。 それまでにあった宗教と戦う感じにして過激にやらないと多分うまく行かな かったんだろう。
- 791 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2007/12/10(月) 10:01:32 ID:yCfW6n8T]
- こんど、スマさんとキリスト者との対談の本が出た。
ああいうときは、仲良くやるんだね。 いつもの話の調子では、喧嘩になるはずなんだが・・・・
- 792 名前:華厳命 [2007/12/10(月) 12:37:42 ID:nultTpT7]
- 悪を成さず、みずからの心を清め、善をなすこと
大いに結構!でもそれってマハーヤーナの教えじゃない? じゃあ反対におたずねするがね、身口意の善を極限まで高めて究極の善人になっても それで解脱できるかね?黄金でできたクサリもクサリであることに変わりはない。 相変わらず因果律の支配下にあることに変わりはない。 ではどう対処すればよいか?それはカルマの学説に従って善悪両方の足枷の輪を破壊することだ 非利己的であること。いかなる幸不幸にも心を動かさず無恐怖であること。 これがヒントだ。でも難しいよ。信仰し、愛する道「愛と信仰の道」のほうが道は平坦でラクだ だいたい何が善でなにが悪かきみは知っているのか? これは時々求道者を悩ませる難問だ。はたして身を粉にして他人に尽くす事が善行か? 自分の命を捨てて人を救うことが善なのか?人を殺したり、肉を食べることが悪なのか? 合法と非合法の判断基準はなにか?曖昧なままにこの問題が放置されている。 なにが道徳だ? 誰からそれを命令された?それは世間だ。貧弱な頭脳の妄想だ。幼年時代から植えつけられてきた恐怖であり弱さだ (カントの純粋理性批判を読め) きみの意思ではない。ヒューマニズムはきみの意思によって達成されるべきであり 他人から強制されるべき事ではない。 答えはこうだ。魂の本質そのものが自家発光的に愛だからこそ人間は最高の存在たりうるのだ 人間は罪深い、か弱き子羊だと思うことこそ人類最大の異端であり、狂信だ もしキリスト教徒のように、神が人間を作ったというなら、俺の生涯は「罪」などという 邪悪な観念を植え付けた、そんな邪悪な神との闘争になるだろう
- 793 名前:神も仏も名無しさん [2007/12/10(月) 18:22:24 ID:bPqIjEWe]
- >悪を成さず、みずからの心を清め、善をなすこと
順番が違うぞ 悪を成さず(戒)善をなすこと(定)みずからの心を清める(慧)だよ >でもそれってマハーヤーナの教えじゃない? ダンマパダだよ >魂の本質そのものが自家発光的に愛だからこそ ワロタ アホ
- 794 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2007/12/10(月) 20:12:41 ID:vzo8vCPo]
- 相手にするな。
- 795 名前:神も仏も名無しさん [2007/12/10(月) 22:33:51 ID:WP0Qay+q]
- >もしキリスト教徒のように、神が人間を作ったというなら、俺の生涯は「罪」などという
>邪悪な観念を植え付けた、そんな邪悪な神との闘争になるだろう そうだな。 仏教でもおまえは煩悩だらけで迷ってるってことになってるらしいが、せいぜい闘争してろ。
- 796 名前:華厳命 [2007/12/10(月) 23:32:18 ID:nultTpT7]
- まあ、そう怒りなさんな。心をおちつかせなさい
華厳経は口先だけの慈悲を認めませんよ。華厳はやっぱり素晴らしい。 ぜひ読んでごらんよ。 これは「捨て身の社会救済の書」だ。 「まだ自分が救われていないのに他人に対して慈悲心をもてるだろうか?」 とゆう意見がある。なるほど、一理ある言葉だが華厳経はそうは考えない。 自分が救われるとか救われないなどといったことを華厳経は問題にしない。 他人を救うのは当然の義務だし、また自分が救われるのを待っていたらそれはいつの事であろうか? 「われを忘れてとび込め」とは華厳の言葉だ。 「仏は一切の場所に現れる」 「仏は階級、職業、貴賤のいかんを問わず平等に姿を現す」 「仏は神変(変身)して庶民の一人となって衆生の前にあらわれる」 僕はこれらの言葉が好きだ。 自分ひとりの清らかさより、泥まみれの苦界に入って修行せよと華厳は説く うーん、正直考え込んでしまうよ。
- 797 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2007/12/10(月) 23:40:57 ID:I7qsyWLf]
- >「仏は階級、職業、貴賤のいかんを問わず平等に姿を現す」
よく階級制度を肯定するヒンドゥー教と併用できるよね。 さすが矛盾を乗り越えた華厳ちゃんだ。 あ、別に乗り越えてないか。
- 798 名前:華厳命なんてもう終わり [2007/12/15(土) 10:34:57 ID:Xvt+xXhC]
- 僕はこれまでいろいろとテーラワーダの悪口を言ってきたみたいだけど
本音を言えば僕はスマ長老が好きだ。 「慈悲の瞑想」は方法としては正しいし、確実に心を浄化できるでしょう。 スマ長老はとてもやさしい顔をしていますね。この人なら信用できると思います 最近、彼の「般若心経は間違い?」という本を読んで目からウロコが落ちた 確かに彼の分析は鋭い 要するに僕が言いたかったことは上座部の教えに従いつつも「大乗経典」にもチャレンジしてみてはいかがか?というものでした みなさんに多くの利益を与えることができるでしょう。 皆さんはたぶん大乗教徒ではないので、神や仏など信じなくてもよい ただ、仏陀のダルマを信じればいいのです。大丈夫、きっと成功するでしょう。 みなさんが幸せでありますように。合掌。
- 799 名前:神も仏も名無しさん [2007/12/16(日) 00:38:29 ID:8+tB1LaB]
- >>798
ぺらっとめくって見ただけだが、説一切有部の話が出てこないのは 般若心経の解説としては、方手落ちじゃないか?
- 800 名前:神も仏も名無しさん [2007/12/16(日) 01:04:58 ID:dCduv7qe]
- スマナサーラ商法age
- 801 名前:神も仏も名無しさん [2007/12/16(日) 03:35:53 ID:vOq52pLE]
- なんとか商法というほど商売っ気のある価格設定でもないし、そういう売り方はしてないよ。
今のところ。
- 802 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2007/12/16(日) 12:28:54 ID:YUFjlq3a]
- >>801
だよね 同じくらいのサイズ・ページ数の一般書と同等の価格設定だし 宗教系出版社発行の本として考えると、むしろ安い方だと思う
- 803 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2007/12/16(日) 15:39:20 ID:NSha1MVs]
- カルトの出す本の価格は決して高くは無いですよ。幸福の科学だってオウムだってそうでしょう。
むしろ立て続けに似たような本を凄いペースで出すのはそっくりですね。それこそ商売っ気と誤解される。
- 804 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2007/12/16(日) 17:13:41 ID:itBUp0Ax]
- 今度は本一杯だしたらカルトですかあ・・
スマ長老はとめどなくしゃべり続ける人なんで いくらでも本できるでしょうね もしかしたら一日一冊可能かもw
- 805 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2007/12/16(日) 17:21:07 ID:itBUp0Ax]
- というわけで華厳命さんは寺和田に改宗しました
ビリーホリディも晩年のは嫌いだけどコモドアのはいいよ がんばってね
- 806 名前:神も仏も名無しさん [2007/12/16(日) 23:02:42 ID:ndPlL4zJ]
- ☆カルト要素が多いとカルトですね。 space.geocities.jp/mindmanipulate/cult-text.html
- 807 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2007/12/16(日) 23:45:01 ID:Kl2BpsHY]
- 君たちは本当に仏教で目的を達成できると思っている?
上座部だろうと大乗だろうと。 招かれる者は多いが召される者は少ない、の世界だよ。 それなりの下地がある人なら駱駝が針の穴を通ることも可能だろうけどね。
- 808 名前:神も仏も名無しさん [2007/12/16(日) 23:48:10 ID:vOq52pLE]
- ↑
こいつアホ
- 809 名前:↑ mailto:sage [2007/12/17(月) 00:12:46 ID:1SzE628D]
- こいつアホ
- 810 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2007/12/17(月) 00:13:51 ID:1SzE628D]
- 809みたいにしないと自分がアホだと告白してるようなもんだよ>>808さんw
- 811 名前:神も仏も名無しさん [2007/12/17(月) 00:15:46 ID:ZkSbdOVz]
- おっけー
- 812 名前:神も仏も名無しさん [2007/12/17(月) 00:19:30 ID:vrXJu50H]
- 今年がある意味今回のvippブームというかここの今回の山の
ピークだったような気がする。 ひととおり勢いとしては興味ある人々にいきわたったんじゃないかな。ブームとしては。 すでに目的や、必要性、志向、あるいは方式の種類によって vippへのかかわり方などが分化しつつある。 2001年ころ以来の転機かも。 裾野をひろげ、 何年後かに再びのもりあがりをみせるってのもありえるが。 そのときは、GNさんや和田さんではない他の団体が 大きなムーブメントになっているかもしれない。
- 813 名前:神も仏も名無しさん [2007/12/17(月) 00:23:44 ID:ZkSbdOVz]
- ブームとか流行とか
- 814 名前:神も仏も名無しさん [2007/12/17(月) 00:48:32 ID:+mPM0msv]
- 関西でスマ長老の爆裂ダンマトーク炸裂。
- 815 名前:神も仏も名無しさん [2007/12/17(月) 01:16:01 ID:pgNvpe9e]
- 結局オウム
- 816 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2007/12/17(月) 01:24:51 ID:V3Mz+tIx]
- >>815
よーく自分の心を見てみよう あなたは言わないが あなたの属してる団体 信じてる宗教の方が オウムっぽいのではないだろうか?
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