- 1 名前:神も仏も名無しさん [2007/09/25(火) 12:38:19 ID:EUJk0uI0]
- 神という概念は本当に必要なのだろうか?
神に替われて、同じような有益性があり、宗教が起こす問題 を回避できるような思想はないのだろうか? という疑問から考え出されたのはエクジストトゥース教です。 この宗教は、誰が見ても事実である根拠のあることのみを用いて 人生に役に立つ思想を作ろうというコンセプトを持っています。 名前の日本語訳は存在事実です。 誰でも世の中の人は存在しています。死んでしまった人でも存在 していたという事実を持っているます。人間も動物も物もすべて です。その存在という全宇宙の中で誰でも言い切ることができる 共通点を見つめなおし、そこに幸福を感じていきたいと思って います。すべての人間が言い切ることができるという点がこの エクジストトゥルース教の素晴らしいところだと思います。 神という概念は結果的に争いや人同士の疎外感等を生む要素を もっております。この宗教では一切そのようなすべての人が 理解できるとは限らない考え方は一切ありません。 ただ存在しているということを幸福に思うことこそがすべてです。 存在しているすべてのものとの共感、と存在している(またはしていた) という幸福。存在に感謝!
- 65 名前:教祖 [2007/09/30(日) 09:36:43 ID:7MV3zXrh]
- 上記の続き
そして本能幸福というネーミングの由来は、私もまだ漠然としか イメージできてないのですが、自己実現という言葉だけでは包括 仕切れていない部分があると思うからこのようにしました。自己実現という言葉には、 何か自分を向上させたいという意味を含んでいるような印象を受けます。 (私の理解がまちがっているのかもしれませんが) しかし、人間は自分の向上のためだけに行動を起こすと言う訳ではないと思うのです。 確かに自己実現のための行動が前向きであり素晴らしいものだとも思うのですが、 人間は必ず自己実現をすべき存在なのかというとそういいきることもできないの です。ただエクジストトゥルース教の範囲で言い切ることができるのは、人間は 幸福のための存在であるとの主張のみなのです。向上のため以外の行動でも 幸福を得られるのなら、それは素晴らしいこととしたいのです。 また、目標が実現した時は確かに幸福感を得ますが、結果だけではなく 行動を起こしていること自体、または行動を起こしている過程で、まだ結果 はわからず失敗のリスクもあるような状態に身をおいているだけでも、 ある種の幸福感があるのかもしれません。このような本能的に感じて いるのではないかと思われるような幸福感をも包括したいと思いまして、 本能幸福という言葉を選びました。 なぜかといいますと以前にもあげた例なのですが、北欧のような 福祉が整っていて、人生の先が見えた安定しているような状態でも 希望は失われ安く、自殺率も高くなるという話を聞いたことがあるからです。 安全な状態なのに自殺するというのは一体どこから来るのか?と考えま したら、それは本能がもたらすいたずらなのではないかと思います。 理性を強化することでその本能と戦うというアプローチといかにして本能と うまく付き合うかの両方で対処していきたいというイメージを持っております。
- 66 名前:perro ◆ivUPSw8nqQ mailto:sage [2007/09/30(日) 12:52:12 ID:lnG9qSmp]
- 取り急ぎ、レスをありがとうございました。
「存在幸福」「本能幸福」の概念をよりよく理解するために、 自己意識の幸福、自己実現の幸福という言葉を出してみました。 >>64>>65で丁寧に説明頂きましたので、さらによく 「存在幸福」「本能幸福」が、わかった気がします。 ネーミングなどは教祖殿に従いたいと思います。 >>59 などの問題も徐々に明らかになっていくものと思います。
- 67 名前:神も仏も名無しさん [2007/10/03(水) 17:50:38 ID:W1TzbJRm]
- 「存在幸福」と「本能幸福」
の関係について補足します。 存在幸福はすでに自分たちはこの宇宙にあったのだという喜び であり本能幸福はこれから私たちはどうしたいのだという問題 なのだと思います。
- 68 名前:教祖 [2007/10/07(日) 08:30:09 ID:eOkZQu+u]
- お久しぶりでございます。
本能幸福に関するお話をしたいと思います。 本能というものは、一体なんなのでしょうか? すべての生物が持っております。 生物である以上その本能から逃れることは不可能です。 生物というものの生まれ持った特性に、永遠に存続発展していこう という性質があります。 繁殖を繰り返しながら、環境により対応できる遺伝子を組み込んできました。 それが進化と呼ばれるものです。 この特性があるおかげで私たちは淘汰されず、今存在しているのです。 私たちのルーツを探っていくと人類になってからでは、300万年前に 遡ることができ、生命で考えると何億年前かの単細胞生物にいきあたります。 つづく
- 69 名前:教祖 [2007/10/07(日) 08:46:32 ID:eOkZQu+u]
- では、生命体でなくもので考えるとどうなるでしょうか?
生命は水のある環境で生まれたとの説がありますが、 とにかく無機物の環境から生命が生まれたと推測されます。 ではその無機物の生命誕生の条件はどのように生まれたかと もうしますと、それも進化と関係があるのか?という疑問が 生まれてきます。私にはわかりませんが、無機物と生命体 の進化に関係があると断言することは避けたいと思います。 根拠がないのですから。また生命が地球上でいくら進化しようが それが宇宙全体に対してたいした影響力になっておりませんし、 これからどうなるのかということも全くわかりません。 ですから、生物の進化は結局はそれ自体大きな宇宙規模の目的を 持っているとは考えません。 ただ進化するこのような特性を持っていたから、淘汰されず存続発展 しているのみに過ぎないのです。 本能というものは存続発展することに欠かせないものです。 繁殖はもちろんのこと学習能力の根源であるといえます。 存続発展の妨げになることに対しては、すべて苦痛を感じるように できています。効率を低下させる行為をしてしまうことにでも いや〜失敗しちゃったよと嘆きの反応を起こさせます。 恐らく他の動物なら、短時間苦痛の反応をした後すぐに行動を変化させる だけだと思いますが、人間は、長時間頭の中で反復させることができます から、いいアイディアも生むことができると同時に長時間苦痛を感じて しまいます。そこが人間の頭脳の最大の問題点なのです。 この本能からくる反応をいかに変化させ、苦痛の感覚は最小限にし、 頭脳がもたらすメリットである前向きに知恵を搾り出す能力を最大限 に発揮させるようにしなくては、ならないのです。
- 70 名前:教祖 [2007/10/07(日) 08:54:04 ID:eOkZQu+u]
- ですから、苦痛を感じそうになった時、理性で一旦抑えてから、
この苦痛の感覚は生物が進化するのに貢献してきたもので、自分の存在をも もたらしたものであると感謝し、喜びに変えてみてはいかがでしょうか と提案してみたいのですが、自分ですらこのように感じたことがないので、 まず教祖である自分が試してみたいと思います。 とにかく自分たちの存在を作ったこのせっかくの苦痛という感覚のために自分を必要 以上に苦しめることはないのです。長時間反復させないように工夫していきましょう!
- 71 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2007/10/08(月) 15:43:04 ID:2PA9KLdO]
- 「853」 「信仰(宗教)と理性(=合理)は一致する(相反しない)思想を作った世界の大宗教の
シンクロナイズ現象の元凶(げんきょう)を見つけた。ついに突きとめた論」 を載せます。 副島隆彦 2007.5.23 snsi-j.jp/boyakif/wd200705.html#2301 だから、私、副島隆彦は、ずっとこの問題に絞(しぼ)り込んで、この一点に集中して、すべての信仰(宗教)の 問題を、追究してきた。私のこの態度には、一切の偽善と、はぐらかし、と誤魔化(ごまか)しはない。この、 「お金儲け、営利活動を、世界の6大宗教であるそれぞれの各宗教は、それぞれの教義で、どのようにするのだ。 金儲けを認めないと実際には人間は生きて行けないではないか」 ということである。 ここで、ユダヤ教の中に、「信仰と理性の一致、融合論」を、真っ正面から、投げ入れて、そして大議論にした 神学者たちがいて、彼らの思想を、発見し、取り上げて、日本人として、日本国内で、正直に議論しなければ ならないと、強く思う。 「信仰(啓示と言っても同じ)と、理性(=合理、ラチオ、リーズン)は、必ずしも互いに相反しない」すなわち、 「共存できる」さらに突き詰めて言えば、「一致している」 ということまで主張する。 そのように主張した者が、10世紀の、当時のバグダッドやバビロンにいたユダヤ人たちの共同体の中で、公然と、 議論し、主張し始めたらしい。この「金儲けの思想」をユダヤ教の教義(きょうぎ)そのものとしても是認される 教義(きょうぎ、キャノン、さらには戒律)にまでしまった人物(たち)がいるはずだ、とずっと探していた。 それを、ようやくのことで、私は発見した。
- 72 名前:perro ◆ivUPSw8nqQ mailto:sage [2007/10/12(金) 03:21:42 ID:uV1rgs55]
- >>23
>エクジストトゥルース教では、もし存在していなかったらという仮定を用いて >存在していること自体をとても尊い超越的なことと定義づけています。 とても含蓄がありますね。 昔、仏教関連の本で、人がこの世に生まれ出ることは極めて稀な出来事だ また、キリスト教関連ので、天使さえ人間の存在に嫉妬している と述べているのを読みました。 存在とは本来、そのくらいすごいことなんでしょうね。 教祖殿の言うように超越的なことです。 しかし、そのすごいことを忘れ、社会生活に翻弄されっぱなしです。 大原則に立ち戻る余裕がほしいものです。
- 73 名前:perro ◆ivUPSw8nqQ mailto:sage [2007/10/12(金) 03:34:43 ID:uV1rgs55]
- >>70
これは>>59の 3への回答になりますね。 苦痛があるということは、何もないよりましだと 最近考えるようになりました。 生まれ出ないより、生まれて四苦八苦に苛まれるほうがましだと・・・。 一切合切、存在に生じるあらゆる出来事を受け取る覚悟 これが大事だと思います。 そしてこれは、>>59の1へのヒントになるかもしれません。
- 74 名前:教祖 [2007/10/15(月) 13:33:37 ID:GjHohGhm]
- >>72
そのとおりですね。 存在自体が本来とても尊いものであると主張している思想は数多く ありまして、このエクジストトゥルースこそそれを大原則としております。 しかし、まだこの大原則は一つの主張でしかないとも言えます。 存在していることを超越的なことと考えましょうという一つの呼びかけに 過ぎません。この大原則を絶対的な真理であると言い切ることのできる 根拠を探しております。確かに万人の幸福を目的としているのですから、 存在しているだけでそれを幸福と思えるのなら、それ以上簡単でシンプル なことはありません。しかし、そんなことを考えなくても十分幸福な 人間も存在すると思われます。つまり幸せだからそんなことを考える 必要すらないという状態です。人間の頭は一つで、一度に一つのこと しか真剣に考えられないと思います。なので人間は一つ一つのことを 雑念なく真剣に考えている状態がベストなのかもしれません。 大原則でさえ雑念となってしまう状況もあると思います。 ここで考えなくてはいけないのが、1日の中で何に対して、どのように、 意識を集中させるべきかということだと思います。
- 75 名前:教祖 [2007/10/15(月) 13:43:31 ID:GjHohGhm]
- 勝つと思うな思えば負けるという言葉があるとおり、柔道という一つの行動に対して
勝つとか負けるとかいう考えは邪魔であり、一つの行動に完全に集中している 状態ではなくなってしまいます。 集中するのなら、相手をよく観察して、自分のどんな技が有効なのか考え 行動することのみに意識を使うということになります。 たまたま柔道を例に挙げましたが、人生すべてにおいていえることではないか と思います。意識を完全に集中させてすべてに取り組む事こそが人生において、 一番大事なことなのではないかと思います。 そして一日の中で振り返る時間を作り、そこで大原則を唱えるというスタイル が理想的であると思います。 なので、集中状態を生活の基本として、メンテナンスの時間として大原則 を唱える形を主張したいと思います。もちろん集中状態において、トラブル があった時も突発的な故障への修理として大原則を用いる必要もあります。 大原則は心をケアする薬としての位置づけにしたいと思います。そしてそれは、 体質改善の漢方薬でもあり、即効性のある薬にもなります。
- 76 名前:教祖 [2007/10/15(月) 13:54:42 ID:GjHohGhm]
- また、存在自体は実は悪や苦しみの根源であり、決して尊いものではないという
主張がありましたら、是非討論させていただきたいと思います。 正しい主張は多くの検証を経たものでなくてはならないと思っていますので。 私が思うに存在と無において存在が圧倒的に勝っているところといえば、存在には 選択肢があるというところだと思います。 ある状態からなくすことはできるが、ない状態からあることには出来ない からです。私達は生きる自由も死ぬ自由も与えられています。しかし、 死んでしまったら、もう選択肢はなくなります。その時点からひたすら無 になり続けるということになってしまいます。 私は以前コーヒーを入れて、飲まないでいることがよくありました。 結局冷めてまずくなってから仕方なく飲んでいました。 今考えますと、目の前のコーヒーを飲むのも飲まないのも私の自由であるという 選択肢を持った豊かな気持ちを味わっていたのではないかなって思います。
- 77 名前:教祖 [2007/10/15(月) 13:59:06 ID:GjHohGhm]
- 自由ということは人間の幸福中の頂点ではないかなって思います。
自由を感じる心と、実際に自由になれる力を手にすることの 両方向のアプローチがあります。 すべての物事に集中して現実を変えていくこともいいことですし、 コーヒー一杯を目の前において自由を感じることだって、いいこと だとおもいます。
- 78 名前:教祖 [2007/10/15(月) 19:36:45 ID:evNzKCt6]
- エクジストトゥルース生活注意事項
毎日一つ一つのことを集中して行う。 失敗や嫌なことに出会ったら、大原則(自分が存在しているということ 自体を幸福に思うこと) を心で唱えて、苦痛の感覚が反復することを抑える。 また、苦痛の感覚に耐える強靭な精神も必要であるが、 苦痛というこの本能に組み込まれ、私達を進化させて、 現代の世の中に存在させてくれたことに大きく貢献してくれた 感覚に対してもありがたいと思うこと。 そして、一日の最後等、少なくとも1日に1回以上大原則を唱えること。 大原則の易しい唱え方としては、窓から外を眺め、空や 地上にある建物や山等大きなものを眺め、自分もこの世に 存在していると実感してみてはいかがでしょうか。 そして、もし自分が存在していなかったらと仮定してさらに 実感を深めてみましょう。
- 79 名前:教祖 [2007/10/15(月) 19:49:56 ID:evNzKCt6]
- 今日ニュースで、宗教法人がらみの殺人事件がおきたとのこと。
はやくこのエクジストトゥルース教、もしくはこのような宗教が 危険性を含んだ宗教を一掃してくれないかと願っている。
- 80 名前:迷犬perro ◆ivUPSw8nqQ [2007/10/16(火) 05:45:33 ID:pZBrNTmR]
- >>69
実験では無機物から生物は作れないと昔、本で読みました。 コアセルベートと呼ばれるコロイド状の物体が単細胞生物の起源であろうと言われ、 ここまでは実験で作れるようです。 実験で原始的生物を作ったという記事も呼んだことがありますが、眉唾ものです。 現代の最先端科学ではどうなのでしょうね。 >>78は、 教祖殿直筆で壁に貼っておきたいくらいです。
- 81 名前:迷犬perro ◆ivUPSw8nqQ [2007/10/16(火) 06:00:21 ID:pZBrNTmR]
- イグジストトゥルース教に日本名を与えるとしたらという話が前にありましたが、
「あった教」「在実教」というのもよく内容は表れされていると思うのですが、 シンプルに、存在教 がいいかなと思いました。 または、略さずに、存在事実教、もしくは、存在真実教 と言ったところでしょうか 飽くまで、個人的見解です。
- 82 名前:教祖 [2007/10/16(火) 13:22:06 ID:EC5AW/N+]
- >>80
ためになる情報と暖かいお言葉ありがとうございます。 実験では無機質から生物は作れないということなのですね。勉強になりました。 まあどちらにしろお話したかったことは、私達の存在は何かの力、 例えば神などによって作られたという説に根拠はないということです。 ただ存在しているということです。それ自体が超越的で幸福なことなのです。 しかし今現代に存在できるのは、今備わっている本能のおかげであるが、 その本能の中には苦痛の感覚という存在自体を苦しめる要素を持ったもの までも付帯しているのです。 それが人間という存在にとって一番の問題点なのです。 エクジストトゥルース教は現在のところその問題に対して 「大原則つまり存在していること自体を喜び、苦痛を消しさること」と 「苦痛の感覚も進化の過程中に現代に生きる私達の存在に貢献 してきたのだから、苦痛に対して感謝すること」 という考え方で苦痛の反復を抑えるように対処するという結論に至っております。
- 83 名前:教祖 [2007/10/16(火) 13:31:46 ID:EC5AW/N+]
- >>81
ネーミングは存在教にしたいところです。 その前に考えたいことがありまして、それは 人間がどのように意識を集中させながら生きていくべきかという ところです。 大原則だけに意識を集中していたら、生きるために行う仕事中だと 大原則でさえ雑念になってしまうことすらあるはずです。 無心で物事に集中する時間の方が長くなくてはいけないはずなのです。 大原則はそれができるようにするため苦痛の感覚の反復を抑える薬に過ぎないのです。 人生の中の意識のメインは無心であると思うのです。 なので、今英文名まで変更させる可能性が出てきております。
- 84 名前:教祖 [2007/10/16(火) 13:59:44 ID:EC5AW/N+]
- 上記のように申し上げましたが、実際は宗教はもともと人々を無心に生活できる
幸福な状態にする目的をもっているものだと思いますので、どのようにその 幸福な状態を作るかというところが、もっとも重要なところです。 なので、大原則の存在していること自体が幸福なんだということを短い言葉で あらわしたいと思います。在福教にしたいと思うのですが、いかがでしょうか。 そして英語もエクジストハッピーとしてはいかがかと思います。 もともと事実の話をしているのだからわざわざ事実と名乗る必要はないと思います。 ただ注意していこうと思っているのが、「存在していた」ということを「存在している」 ということと比べて嘆くようなことがないようにすることです。 「存在していた」ということの比べる対象はあくまでも「初めから何もない」という ことでしかないのです。
- 85 名前:教祖 [2007/10/16(火) 19:50:49 ID:EC5AW/N+]
- 「存在していた」ということを「存在している」
ということと比べて嘆くということは大変愚かな ことです。 なぜかといいますと「存在している」ものも やがては必ず「存在していた」ものになって しまうからです。
- 86 名前:教祖 [2007/10/16(火) 19:52:46 ID:EC5AW/N+]
- しかし存在していたということは、永遠に事実であり
その事実を奪うことはどんな存在にもできないのです。
- 87 名前:教祖 [2007/10/16(火) 21:44:21 ID:q3MmrK3W]
- よく上を見ればきりがないとか、下と比べても何とやら等といいますが、
比較によって自分を評価するってことは人間誰でもしてしまうものですよね。 同期が出世したら嫉妬しますし、金持ちのニュースみて、俺もあんだけ金もって たらな〜とかね。でもあのホームレスよりいいやとか、アフリカの難民と比べたら このくらいの貧乏たいしたことないわよとか、色々言い方ありますよね。 他には、5歳で死んでしまう子もいるのよとか、生まれる前に流産してしまう 子だっているのよとかね。 何々よりいいって言いますけど、それって失礼だと思いませんか? 5歳まで幸せだったかもしれない人生を人がどうのこうのいうのは大変失礼! 生まれなかったけど、受精しておなかの中にいた訳だけど、その胎児の気持ち なんてわからないはずです。勝手に不幸だということにしていいのでしょうか? この間交通事故の死者を見ました。恐らくかわいそうだって思っている人 もいたでしょうけど、本人でない人間が勝手に判断していいのでしょうか? かわいそうって勝手に泣いたりしてよいのでしょうか? 少しでも存在していたなら、それはその何かがあったはずです。 それが何なのかはわかりませんが。 しかし、存在するはずであったが、少しも存在できなかったという状況 でしたら、それは少しの希望も何もない状態であったということです。 誰でも言い切ることができます。それを幸福であったと呼べないことを。 少しでも存在した場合は、わからないのです。幸せであったかどうかなんて。
- 88 名前:教祖 [2007/10/16(火) 21:46:52 ID:q3MmrK3W]
- つまり、存在というものはそれほど可能性を秘めているものなのです。
存在しているってことは、それだけで一番幸福に近い状態なのです。
- 89 名前:迷犬perro ◆ivUPSw8nqQ [2007/10/17(水) 01:54:05 ID:k7E7b8vw]
- 単細胞生物を作る実験は、太古の地球にあったとされるさまざまな元素と
海水に相当する溶液を混ぜ合わせ、 雷に相当する電気ショックを与えるというものだったと記憶しています。 生命を発生させたという話は、 さらに太陽系を小型化した装置で円運動を与えることで成功したというものです。 宇宙の運行が関わっているのですね。 こんな話も興味はつきません。 存在の理由には、進化論や神による創造、宇宙人の遺伝子操作など様々ありますが、 エグジストトゥルースでは、それらの結論を急がない(出さない)ので、危険が少なく、 また上記のいづれの説を採る人にも受けいれられるものと思われます。
- 90 名前:迷犬perro ◆ivUPSw8nqQ [2007/10/17(水) 02:16:49 ID:k7E7b8vw]
- 日常を生きるのに、集中というのはとても大事で、
大原則さえ邪念になるというのもよくわかります。 世の中には、「存在していること自体が幸福だ」 なんて考えないで生きている人が大多数です。 考えないというより、無意識レベルですでに存在にインプットされていると思われます。 余計なことを考えないで集中するということは社会生活で求められます。 「三昧」、「没入」 という言葉が想起されます。 没入は邪念を消し去ります。そんな時間を多く持って生きたいものです。 良寛さんが、「遊びをせんとや生まれけむ」と言ったような 無邪気な気持ちで社会生活を生きることができたなら、どんなによいことでしょう。
- 91 名前:迷犬perro ◆ivUPSw8nqQ [2007/10/17(水) 02:39:32 ID:k7E7b8vw]
- >>84
幸福を作り出す状態というのは、幸福を感じとることのできる能力だと思います。 仕事後の一杯のコーヒーにさえ、無上の幸福を感じることもあります。 この幸福感得能力を極限まで拡大したものが、我々の大原則でありましょう。 何もなくても、持たなくても、つらくても、苦しくても 幸せを感じられる。 このような境地が我々の目指すところかもしれません。 ネーミングについては、略さない方がわかりやすいと思うので 存在幸福教 は如何でしょう。 この場合の幸福は、苦しみ苦痛すら包含する幸福です。 存在は一瞬一瞬絶えず、過去になっていきます。 ですから、存在していたと表現するのは妥当です。 でも、もう少し、過去になりゆく「今」にも重きを置いてみたいかなとも思います。
- 92 名前:迷犬perro ◆ivUPSw8nqQ [2007/10/17(水) 03:53:33 ID:k7E7b8vw]
- >>87
同意です。 幸せ不幸せなんて他人にはわからないもの。 たとえ5才の命であっても、 この宇宙に存在したという厳然たる事実は消えない。 たとえ忘れさられても、 地球で生きたという厳然たる事実は永遠に残る。 私はその事実に安心を見いだしたい。
- 93 名前:教祖 [2007/10/18(木) 21:33:44 ID:yUfHpFXz]
- ネーミングはおっしゃるとおり、略さず存在幸福教で行きたいと思います。
やっぱりわかりやすいのが一番!
- 94 名前:教祖 [2007/10/18(木) 21:47:03 ID:yUfHpFXz]
- エクジストトゥルースを宗教と呼んでいいのでしょうか?
宗教の定義に超越的なものを信仰するというのがありますが、 それは一般に神とか心霊治療とか、奇跡体験のようなものです。 存在していること自体が奇跡的な幸福であると考えることは、 宗教の定義に当てはまっているのでしょうか。 しかし、私は思うのです。私達がこの世に存在して、色々な ことを考えて、笑ったり、泣いたり、叫んだり、走ったりできること 自体それは、不思議なことであり、一体何のために誕生したのか ということでさえ、誰も明確にすることができません。 ただ一つ言えることは、すでに存在しているのだから、幸福への道を 歩くしかないということです。
- 95 名前:教祖 [2007/10/18(木) 22:06:42 ID:yUfHpFXz]
- 外側から見てみましょう。
例えば、宇宙の外側の無の世界から ミスター無 が言いました。 「あれっ!この宇宙ってなに? こんなところにこんな存在の世界! なんで? 無くてもよくない? 無であってそれでもよくない? なんでこんな宇宙というものがあるの 俺たちみたいに無であれば完璧なのにな! まっいいや、どうぞ存在していてくださいな。 勝手にすればいいよ。それじゃ。」 という感じでしょうか?まあ、確かに無の世界から 無って名前の奴が何か思って発言することは無いんですけどね。 でも無さんの言っていることも一理ありません? 初めから無くてもいいじゃないですか。宇宙なんてさ。 あるとないでどう違うの?って感じなんですけどね。 でもあるんですよ!確かにあるんですよ!だから凄いって思う わけです。 確かに超越的でしょ?
- 96 名前:教祖 [2007/10/18(木) 22:10:06 ID:yUfHpFXz]
- このように考えると、宇宙は天国なみの素晴らしいところって
いえるね。 天国なんて想像の産物なんだけどさ、私達のいる宇宙は現実の天国です。
- 97 名前:教祖 [2007/10/19(金) 13:10:30 ID:hL8XJNDy]
- クジストトゥルース教を広める上で一番の困難は、
まず絶対に譲れない原則があるところだと思います。 それは、誰でも言い切れる絶対に正しいことしか 言わないという原則です。 そこを踏み外して、大衆にとって危険な思想であっても かまわずとりあえず大衆が好きになりやすい 広めやすいことを教義としていこうという既存の宗教は 沢山ありますが、私は絶対にそういうことをしません。 例え信じる人が私一人であろうとも、正しいということを 第一の原則として、万人を幸福に導く安全な思想を探求 したいと思います。
- 98 名前:迷犬perro ◆ivUPSw8nqQ [2007/10/20(土) 04:35:01 ID:g0T3RSbG]
- >>11 のエグジストトゥルース教6ケ条
>>78 の生活注意事項 は「存在幸福」を得るための具体的方法として とてもよいものだと思います。このスレをご覧になる方にお勧めです。
- 99 名前:迷犬perro ◆ivUPSw8nqQ [2007/10/20(土) 05:07:35 ID:g0T3RSbG]
- 「存在幸福」については、ほぼ述べられた感じがするのですが、
>>59 の >本能幸福をいかにして満足させるか という問題の回答がまだ不十分で これ以降大事になってくると思います。 その満足のさせ方は、人それぞれ違っており、任意で自主的なものでしょう。 そこに人それぞれの個性が現れます。 私はもっと、教祖殿の個性が発揮されてよいと思います。 いろんな人の個性と個性が交わると、面白いと思います。 エクジストトゥルース教相談室 life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1190986101/ このスレをご覧の方は、こちらも活用されてはいかがでしょう。
- 100 名前:教祖 [2007/10/20(土) 13:17:15 ID:hqGzO53n]
- >>98,99
宣伝とアドバイスありがとうございます。 エクジストトゥルースの考え方は究極的ポジティブ思考です。 これ以上ありえないくらいのポジティブさで、 あなたの悩みを解決します。 しかもどんな方の悩みでも解決できます。
- 101 名前:教祖 [2007/10/20(土) 13:24:44 ID:hqGzO53n]
- 本能幸福は文字通り、本能が求める欲求をいかに満足させるべきか
ということなのです。 これは大切なことだと思います。 大切な本能を理性の強化と大原則(存在していること自体が幸福で あると感じること) で本能を調整することはいいことです。 しかし本能を無理に消滅させようと、やりすぎることは決してよく ありません。 生物をはじめ、人間に本能があるからこそ 我々の先祖が進化し、今の我々の存在があるのです。 本能に感謝し、大切に扱わなくてはならないのです。 私達が何かをしたいと思う気持ちは、何億年前から 引きつがれたものであり、その気持ちが満足されると いうことは、何億年前からの願いでもあると思い 一つ一つしっかりと満足感を享受しなくてはなりません。
- 102 名前:教祖 [2007/10/20(土) 19:15:51 ID:hqGzO53n]
- >>99
本能幸福についてですが、本当に重要なことだと思います。 本能が無くては、すべての生物は存在することができませんからね。 食欲が無くては、餓死しますし、性欲が無ければ子孫は反映しません。 本能を満たすための機能を生まれながらにして持っているのです。 その機能とうまく付き合っていかなくてはなりません。
- 103 名前:教祖 [2007/10/20(土) 20:02:45 ID:hqGzO53n]
- 存在起源追求法
というのを考えました。 今なぜ私達は淘汰されず生きているか?その理由を探り、そこから 私達がどうすべきかを考えていく方法のことです。
- 104 名前:教祖 [2007/10/21(日) 12:10:42 ID:lNWi2Pw3]
- 私達の住む世界は無人島や山奥ではありません。
誰でも人との係わり合いを持ちながら生きています。 生存するということは人とかかわる能力を持つこと が必要なのだと思います。 したがって我々の機能の中には人と関わる能力も 備わっているものだと思います。 個人の差があるとは思いますが。 エクジストトゥルースではこの部分もどのように してゆくかを考える必要があると思います。
- 105 名前:教祖 [2007/10/22(月) 21:37:31 ID:2hYETnXK]
- 生存して発展していくことに欠かせない本能について。
完全に動物であった頃は、食欲や性欲を行動基準の大部分に当てていた と思いますが、社会生活を営む人間には集団欲など高次元な欲望 等が芽生えるようになりました。 人とうまくやっていきたいという本能が備わっているものだと思います。 それに伴い人の気持ちを察する脳の機能も持っていると思います。 自分の生存のためだけの欲望とそのための機能を持っていて そしてさらに社会生活を営むための欲望と機能の両方を持っ ているのが私達人間です。 本能幸福を満たす条件としては、この2種類の機能を使い 2種類の欲望を満足させなくてはなりません。 社会生活は複雑でうまくやっていくのは大変です。 個人差もあり、生まれながらにして人間関係が 不得意な人もいるはずです。 脳の機能は生まれながらに個人差があり、発育環境に よっても得手不得手が生まれます。 どうしても社会生活にストレスを感じやすいという人 がいるのです。どうしても生きることが辛いと思って しまう人がいるのです。 そのような方にこそ是非この安心安全な宗教エクジストトゥルース に触れていただきたいと思います。 つづく
- 106 名前:教祖 [2007/10/22(月) 21:38:50 ID:2hYETnXK]
- つづき
自分の気持ちをコントロールする理性がないと悩んでいる方が いるかもしれません。そして、それを自分の努力不足と思い込んでいる 方もいるかもしれません。しかし、人間の中には生まれつき脳の 理性をつかさどる部分が欠けているという方もいます。 症状が重いと障害と診断される人もいます。もしかしたら、 自分も軽度のその症状なのかもしれませんって思ってみても いいかもしれません。理性に限らず、何らかの欠陥を感じて いる人もいるかもしれませんが、それは先天的なものかも知れません。 だから自分を責めないでください。 自分は十分よくやっているって思ってください。 あなたのお父さんお母さんはあなたを生んで育ててくれた 立派な人なのです。あなたも大丈夫です。 ではあなたの両親の両親は?ってこのように遡ってみてください。 最後はビッグバーンまで行きますよ。
- 107 名前:教祖 [2007/10/22(月) 21:40:05 ID:2hYETnXK]
- つづき
ビッグバーンとは宇宙が出来るきっかけの最初の爆発のことです。 ピンとこなければ、せめて最初の人類まででも結構です。 約300万年前のことになります。その頃から数えてあなたは何代目 ですか?20歳で代がかわるとして計算すると15万代目ですよ。 あなたの先祖は15万人いるのです。 人類が誕生して15万回代がかわって出来た傑作があなたです。 300万年の歴史を背負った種なのです。もう我々はすでのそれだけ貴重な存在なのです。 まずお互い自信をもちましょうよ。その自信で 自分のマイナスの感情をコントロールして幸せになりませんか。 他人に何言われたって、どんなことがあったって、胸を張って 人類15万代目淘汰されずに生きている傑作に向かってなんじゃい! と心の中で言い返せばいいのです。
- 108 名前:教祖 [2007/10/22(月) 21:48:45 ID:2hYETnXK]
- 自分で書きながら、表現の仕方に気づきました。
存在自体それだけで貴重でして、存在している我々は 非常に幸福であるといい続けてきました。 それを存在幸福と呼び、宗教名も存在幸福教としました。 上記のレスでお話したとおり、私達の存在はただの存在ではなく とても長い歴史を包括した存在であるということです。 無機物からいきなり人間は生まれないのです。人類誕生まで 何十億年もかけているのです。現代人になるまでも300万年かけました。 宇宙の歴史上一番発達した頭脳で色々なことを想像し創造する力を身に つけている存在なのです。 これほど幸福なことはありますでしょうか? このいいところをいかに最大限に享受するかが人類最大のテーマだと思います。 本能が創った副産物といかに上手に付き合い、時には抑えていくかが、 人生最大のテーマといってもよいのではないのでしょうか。
- 109 名前:教祖 [2007/10/26(金) 19:33:49 ID:32v5/Bzm]
- 存在幸福には、2つの概念があります。
ただ存在しているということで幸福と感じる大原則と 存在していてるというだけでなく、存在には長い 発展(進化)の歴史が包括されていて、 その歴史を引き継いで現代に存在している我々人間 は特別に幸福であるという考え方の2つです。 大原則こそ真理なのですが、なかなかピンと来ない 方も多くいそうです。 なので後者の考え方も教義入れようと思います。 後者の考え方を歴史存在幸福と名づけようと思います。
- 110 名前:教祖 [2007/11/02(金) 19:25:39 ID:IaQYvpfM]
- よく奇跡が起きるのを待っているとか、いついつに奇跡が起きるという
言い方を耳にしますが、私は違うと思います。 奇跡は遥か昔に起きているのです。 私たちの存在はその奇跡によるおかげなのです。 その奇跡とは宇宙の始まりです。 無から有への変化です。 存在という概念が生まれたことこそが奇跡なのです。 これからも長い時間続いてゆく奇跡なのです。
- 111 名前:教祖 [2007/11/07(水) 13:14:38 ID:t/EKV5aL]
- 歴史存在幸福について。
歴史があれば尊く、なければ尊くないのか? 両者ともに尊いが、比較するれば、歴史が ある方が尊いということになるのか? 等の疑問が考えられます。 存在というものは絶対的なものであり、 その存在同士を比較しどちらが幸福か 等と考えることから不幸が生まれますので、 比較はやめましょう。 勝手に何々が自分より不幸だと比較して 自分が幸福だと思うともよくないと思います。 その瞬間は見せかけの幸福感を味わえるかも しれません。 しかし、それは自分が幸福だと思う他の存在 と比較して、自分が不幸であると感じてしまう ことと同じ土俵の上にあがることになってしまうのです。 このような心の持ちようから脱却するのは大変難しい ものですが、真の幸福のために努力をしなくては ならないのです。
- 112 名前:教祖 [2007/11/08(木) 13:50:45 ID:QmIJ5H/t]
- 決して揺るぐことのない絶対的な幸福感を得るにはどうすればよいか?
それは存在という絶対的な事実に幸福感を感じる道しか無いのです。 大変単純なことなのですが、生きる上で誰でもが見失いがちなことなのです。 存在しているすべてはすでに無限の幸福感を味わうべきなのです。
- 113 名前:教祖 [2007/11/10(土) 13:52:20 ID:n2lA4aJL]
- エクジストトゥルースの絶対的姿勢について。
事実のみを教えとする。根拠のあることだけ認める。 世の中の悪、不幸等が生まれる原因の一つに「事実認識の間違い」 があります。その中には、過失によるものと故意によるものの 2つがあります。 わざと人を陥れるためやってもない罪を着せたりする人がいます。 もしもそれを聞いた人が信じてしまったら、信じた人までも その人間を陥れるのに加担してしまうことになります。 はじめに架空の話を作った人間が故意による「事実認識の間違い」 であり、根拠を確認せずに信じてしまった人々は過失による 「事実認識の間違い」ということになります。 つまり、人を不幸にさせないようにしたり、自分もだまされないように するには、物事の根拠をよく確認してから、客観的に事実認識をすること が大切なのです。 正しく事実認識出きるようにすることは、実は大変難しいことなのです。 日頃の思考訓練が必要となります。また、頭の奥底で基本的な正しい 思考方法を作り上げなくてはなりません。
- 114 名前:教祖 [2007/11/10(土) 13:53:01 ID:n2lA4aJL]
- つづき
まず宇宙を正しく認識することです。自然をよく観察し、自分の存在 とは何なのか?どこから来たのか?ということを真剣に考えること が大切です。 神が創ったという話を聞いたら、すぐに神とは何?どのような存在なのか? どこにいるのか?どのように認識したらいいのか?そしてその根拠は?では 神は何に創られたのか?このような作った存在と作られた存在という関係 があるのなら、創った存在を創った存在の創った〜と無限に考えなくては いけないのではないのか?と仮定しながら注意深く考えなくてはならないのです。 このように考えていくと、最後は宇宙は存在しているのだということしかいえな くなります。そして今ある宇宙は今の姿になる前の違う姿らから新しく生まれた ということがいえるのです。私も私がいない宇宙から私がいるという宇宙に来たのです。 このような思考方法を持つことによって、宇宙の姿から日常の細々とした ところまで、事実を正しく認識できるようになるのです。 これは万人の幸福のためにも必要なことなのです。
- 115 名前:教祖 [2007/11/10(土) 13:58:34 ID:n2lA4aJL]
- エクジストトゥルースの二大幸福創造法
1、万人に存在というもの自体に幸福を感じていただくようにし、 万人に不安や迷いのない無心の心で生活していただく。 2、万人に正しい事実認識の重要性を説き、世界中の人間関係を より幸福なものにする。
- 116 名前:教祖 [2007/11/16(金) 13:57:15 ID:GVBWoZOc]
- 私たちは、本当にラッキーです。
この世に存在して、自分の命を好きなように使えるのですから。 これほど幸福なことはありますでしょうか?
- 117 名前:教祖 [2007/11/17(土) 19:39:40 ID:DGpfqQvT]
- 与えられた命をどのように使いますか?
我々の自由に使えるのですよ。 しかもこんなに何代も世代交代して引き継がれた 地球上で最高の想像力をもっているだろう人間 である私たちです。貴重であり、しかも自由 ただ我々は命を与えてもらい存在しているだけです。 この幸せをかみしめて、夢中で生きていきましょう。
- 118 名前:教祖 [2007/11/18(日) 09:47:13 ID:QxAlZd3L]
- 人間と他の生き物の違いってなんでしょうか?
私は以前細菌について勉強したことがあったので 細菌と比較してみたいと思います。 まず、細菌も人間ももっとも基本的なところとして 生き続けてようとしています。そして、より強く なってさらに生存し続け、繁殖しようとします。 人間も子供が欲しいという本能があります。 ではどのような状況の下で生存しつづけられるかについて 考えてみると、まず細菌の生存と繁殖の条件では、 水、酸素(基本的に)、栄養が必要です。 そして、36度付近が一番繁殖に適していて、マイナス20度 くらいで繁殖できなくなります。耐熱菌は別として90度くらい で死んでしまいます。また繁殖には時間というものが必要で 分裂し2倍2倍と増えていきます。 つづく
- 119 名前:教祖 [2007/11/18(日) 09:48:22 ID:QxAlZd3L]
- つづき
これらの繁殖条件は何かに似ていると思いましたら、人間の生存条件 そのものです。人間も水、酸素、栄養が必要で、暮らしやすい温度帯 というものがあります。何億年かけて進化した人間ですが基本的な条件は 細菌と同じなのです。 しかし、高等動物では、オスとメス、男女の違いがあります。 男と女うまく付き合わないと子孫は残せないという宿命を背負わされて います。細菌より大変かもしれません。 また、当然人間には頭脳があり、複雑に構成された感情を持っています。 細菌の気持ちは正直わかりませんが、自然に考えて人間の方が喜びや 苦しみを感じることができるはずです。 人間が感じているこの苦しみは実は人間にしか感じられない貴重な感覚と いえるのではないでしょうか。 細菌と人間の大きな違いというのは、実はこの喜びや苦しみの感覚なのでは ないのでしょうか。人間に生まれたということでせっかくさずかったこの感覚 を大切にして、生きていきましょう。
- 120 名前:教祖 [2007/11/18(日) 18:35:31 ID:At3KuCsO]
- 最近私以外の発言がなくなってしまい、少し寂しいです。
どなたかコメントいただけますでしょうか。
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