- 267 名前:神も仏も名無しさん [2007/09/30(日) 18:26:50 ID:i130Orte]
- 239です
昨日の続きです、誰もが仏性を持っています、車の運転中とか、話をしている 時とか、なにをしている時にも自分の意識と共に在ります。その事が分からなくて 反省する時に、悩み、と不安と苦しみが始まります。 反省すると自分の意識と対立するものが生まれます、自分の意識とのズレ、あるいは 矛盾と言っても良いのですが、この矛盾が悩み、苦しみなのです。 そして、自分の意識と対立するもの(もう一つの意識と言っても良いもの) を感じると思います。この意識どうしの矛盾を感じない人と、強く感じる人が あります。強く感じる人が宗教家になってゆくのかと、思われます。 お釈迦様は王子の位までも捨てなければならないほど、精神的に苦悩された。 だるま太子の法を継いだ、第二祖慧可という人は、余りに苦しくて自分の手を肘のところ から、切って差し出して自分の苦しみを何とかして下さい、と言って弟子にして貰いました。 人は悩み、苦しみますが、皆自分で悩みを作って自分で苦しんでいます。 その訳を説いているのが、仏教の経典なのです。余りに難しくてわかりませんが。 簡単にいうと仏教は心理学なのです、それも心の療法なのです。 自分の意識が在って、この意識が悩み苦しんでいる、その訳はもう一人の意識との意識が矛盾 しているからと言うことを説いているのです。意識同士の食い違いを修正しなさいと説いているのです。 その方法を説いているのが仏教経典なのです。 道元は仏道を習うということは、自分を習うこと、自分を習うことは、自分を忘れること、と説いています。 お釈迦様は「我」を捨てろと言っています。どちらも同じことをいっています。
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