- 1 名前:カルト・ウォッチャー ◆pJtyDJOn9c [2007/06/10(日) 13:56:57 ID:LfO2tw53]
- 1 :文鮮明 :2001/04/21(土) 19:06
原理は完璧です。 ・統一協会は、笑顔と賛美の言葉であなたを油断させ、次のような偽装団体名で近づいて来ます。 世界平和女性連合、世界平和家庭連合、真の家庭運動、国際勝共連合、男女美、一心病院、 Pure Love Alliance(PLA:純潔教育推進団体)、世界平和超宗教超国家連合、日本配置薬、 世界平和宗教連合、世界平和サミット会議、野の花会、SHINZEN、セイロモータース、 国際救援友好協会(IRFF)、世界平和教授アカデミー、世界大学連合、味仙荘(焼肉・惣菜)、 W-CARP Japan(全国大学連合原理研究会:原理研)、ユニバーサル・バレエ団、世界日報、 ブリッジポート大学、リトル・エンジェルス(少女歌劇団)、 (NPO法人)アジア連邦21、 宗教新聞、ワシントン・タイムズ、UPI通信、(NPO法人)ライフ フォーラム ジャパン、 (NPO法人)サービス フォー ピース、(NPO法人)未来構想戦略フォーラム etc. ・全国の主要なターミナル駅頭や繁華街では、手相観やアンケート、救援募金等を口実に接近し、 言葉巧みに心理誘導したあげく、ビデオ・センターや占いサロン、カルチャー・フォーラム等へ 連れ込み、いわゆる霊感商法で私財を提供させるとともに、あなたを食口【しっく:信者】に 仕立て上げようとします。なお、郵便受けや玄関のドア・ポストに運勢判断のハガキが入って いたらご注意ください。それは統一協会の為業【しわざ】である可能性が大きいのです。 ・以上のように、その謀略的触手を各界へ広げ、深刻な被害が続いている実態は公安当局も当の昔に 掴んでいるのですが、笹川良一などの黒幕的右翼、岸信介、福田赳夫から始まり、中曽根など 自民党の歴代実力者達が、金と票と女で篭絡【ろうらく】されているため手を出せませんでした。 そして今なお、有力代議士の元へ秘書や愛人を送り込んだり、諸団体へ信者を潜入させたりし、 日本の国政や民族派等の動向を、内側から密かにリサーチしています。 ※ 文中に出てくる原理用語(統一協会特有の言葉)の意味を知りたい方へお勧めのスレッドです。 ・間違いだらけの原理用語解説 mentai.2ch.net/psy/kako/986/986000330.html
- 209 名前:神も仏も名無しさん [2007/07/01(日) 22:08:19 ID:wPUsUIMu]
- >>206
歴史的を振り返ると、韓国を責められない。 むしろ、韓国の売春(キーセン)文化は中国が悪い。 朝鮮史では新羅が統一王国をつくってから、中華帝国の歴代王朝の属国として「貢女(コンニイ)」と「宦官」を宗主国に献上するのを慣例としていた。 とくにモンゴル人統治下の百五十年間、「元」の世祖は、高麗王室を再建させ、権臣の跋扈を根絶させた。 しかも元宗を即位させ、公主(皇女)を世子に降嫁させた。 しかし、高麗朝の貴族社会にとって、もっとも苦痛だったことは、処女を「元」に献上せざるをえないことだった。 モンゴル人の将兵たちも、高麗朝に女を求めた。 王室将相をはじめ、貴族たちは「蛮子(マンツ)軍」に女を献上せざるをえない。 それ以後の「明」にも「清」にも「貢女」を献上せざるをえなかった。 この記録は、高麗史、稼亭集、墓誌にもはっきり記録されている。 中華帝国歴代王朝への「貢女」献上は、朝鮮文化と婚姻の風俗を一変させた。
- 210 名前:神も仏も名無しさん [2007/07/01(日) 22:09:02 ID:wPUsUIMu]
- 李朝が毎年、宗主国に朝貢する貢ぎ物の中にも「宦官」と「貢女」が見られた。
しかし「清」に対して毎年、供出する宮廷慰安婦、美女三千人というダレの『朝鮮事情』の記述に関しては、私は多少の疑問がある。 中国歴代の王朝の宮廷では「後宮美女三千人」が通説ではあり、清の武帝や梁の武帝の時代は一万人を超える場合もあった。 清の薙正帝のような名君は、きわめて少なかった。 しかし、李朝時代には、それほど大量の美女を毎年、宗主国へ送ることは考えられない。 たとえば、李朝の代表的暴君といわれる燕山君は、最高学府である成均館や司諌院(サガンウオン)を遊興の場にし、名刹円覚寺(ウオンガクサ)を廃寺にして掌楽院を改称して妓生院(キーセンイン)とした。 さらに全国各道に伎楽制度をしき、全国から美女を集めて、女官の「採青女使(チョチョンヨサ)」を送った。 集まった美女は千人を超えたといわれているが、三千名には達していなかった。 寵愛とお気に入りの「運平(ウンピョン)」、「継平(ゲビョン)」、「興清(フンチョン)」といわれる宮中に住む官女は三百人、「平楽」(ピョンラク)院の定員はやはり七百人で、やはり千人にすぎなかった。 『歪められた朝鮮総督府』(黄文雄・光文社)
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