- 591 名前:475 mailto:sage [2007/01/09(火) 13:16:18 ID:LJ0uPK4m]
- さて、ややこしい事態が発生するのはここからです。
【心が十分耕されておらず、心を耕す十分な強さも無い場合】 この場合、私は体験の詳細を聴くでしょう。その理由は、それを私に話したことを その人自身に覚えておいてもらいたいからです。なぜなら、 心に土壌が無い場合、いかに神を体験しようとも、 それを活かすための土壌が心に無いゆえに、 その種は実を結ぶことがとても難しいからです。 人は、望む自分にすぐなれるわけではありません。そこには相応の努力が必要になります。 そしてそれは、神の体験にも当てはまります。つまり神の体験を活かすためには、 【それを活かせる心を自分自身で新たに造らねばならない】のです。 その心を造って初めてその人は、その体験を世に活かすことができます。故にこうなります。 神の体験をしてもその後の努力を怠ったら、 なんにもならない。 今日書いた事は、あなたがいつも言う「その人の自由な解釈」ではありません。
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