- 485 名前:名無しさん@3周年 [2006/12/27(水) 08:29:35 ID:L2TNNgsD]
- 自己が確立した者が「自己犠牲」を学び、「悪カルマに束縛されることがなくなった者」が「カルマにとらわれない生き方」を学ぶのです。
「自己が確立しない者」が「自己犠牲」を学んでも、「主体性のない生き方」、「奴隷としての生き方」をすることになります。 「悪カルマに束縛されている者」が「カルマにとらわれない生き方」を学んでも、「「カルマはない」と言いながら、悪カルマを無自覚のままに積み重ねていく生き方」になります。 「カルマを知るかどうか」ということは、「自分がどのように借金をし、どのように返済するか、財産を得るか」を知るか、 無自覚のままに借金を積み重ねていくかということです。 「カルマにとらわれない」ということは、「世のためにと努力して、それで失敗したら、その借金は甘んじて受けるが、そのようなことにこだわらずに自分の出来る限りの努力をする」ということです。 「それで財産を得たとしても、それは結果に過ぎず、財産を得るために努力するのではない」という生き方です。 「死後の世界」があるということにこだわって、「死後によい世界に帰るために努力する」という人には、 「死後によい世界に帰れなかったとしても、死後の世界がなかったとしても関係なく、後悔することがないように、自分に出来る限りの人生を生き抜くこと」が薦められるのです。 それもとらわれとなって、ある段階から先に進めなくなるからです。
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