- 373 名前:名無しさん@3周年 [2006/12/15(金) 10:43:33 ID:TGWugq3U]
- >>326
これはニューエイジだとよく出てくるような話です。 ニューソートでも同じようですが。 「間違いなどない」 「本来、神は絶対なのでこの世に「間違い」というものは存在しない。 「間違い」のように見える幻想が創造されているのに過ぎないのだ。 絶対の実相の中では「間違い」と見えたものも、瞬時に消え失せるものに過ぎない。 だから、「間違い」というものは本来、実相世界では存在しないのだ。 それは、「劇」の一場面を演じているようなものに過ぎないのだから」 これが一つ目の「間違いなどない」の意味です。 もう一つは、 「全ては意味があって、あるべきことがそうなるように起こっている。 その時に、その状態において「間違い」と思われるものであっても、そこから得るべきものがあり、学ぶべきものがある。 だから、結果として、「間違い」と思われるものであっても、自分の向上や他の人の向上に役立っている。 訂正できず、永遠に残り続けるような「間違い」というものは存在しない。 「間違い」と見えるものは目的達成のための機会を提供するもの、体験と学びを得て、「神との一体化」という結果をもたらすものなのだから。 一つの過程に過ぎず、本当の意味での「間違い」など存在しない」 というものです。 これらは、自分の償い、自分の向上、確立の努力を終えた人が、「他への赦し」、「全てとの一体化」を目指しての段階での話です。 自分の悪カルマの刈り取り、修正、自分の確立も目指す人にとってはかえって「間違い」を多く増やす危険性があります。 「本来、間違いはない」と知ることで、「間違いを増やす」という本末転倒が生じます。 「自分にとって「間違い」と思えたことでも、実は意味があったのだ」と知ること。 それぐらいで止めておいたほうが無難です。
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