- 130 名前:119 [2006/10/31(火) 21:50:51 ID:t+FC3oc+]
- >「自分」と「他」が一つにつながっているために、本当に「他」を害したときには、「自分」を害したことになり、
>そのダメージが「自分」に蓄積され、「自分」が傷を受けていくことになるからです。 害するとはいったい何なのでしょうか たとえ害されたと感じても後々になってそこから学びが発生する場合もあると思います そうなると被害者が害を昇華させた時に自己モニターも反転するのでしょうか 物事には本来中立の意味を持つといわれています もしくは意味すら無く、観察者がその意味付けを行うともいわれています >「他」を切りつければ、「自分」を切っていることになる。 >「他」を縛れば、「自分」が束縛されることになる。 >「他」から奪えば、「自分」から奪われていることになる。 切られる、束縛される、奪われる、これらを好きか嫌いかどうでもいいかを 決めるのは「他」 ここでは、我々は1つであるが、あえて個別化・独自化されている方の有意義も半分 与えて考えた方がシックリくるかもしれません よく、自分が与えるものが与えられるもの と言われていますが、我々が行っている概念的認知においては 必ずしもその通りにはならないと自分は思っています もちろん他界等をしてより精妙な認知能力を得られれば、その法則によって 表される複雑で多次元的な事象を感知して、その正しさを認めることが 出来るのだろうと思いますが やっぱり「害」という言葉は2元性を前提にした概念なので議論すると ややこしくなりますね 気分を概してしまったかもしれませんね 申し訳ありません 置き換えるなら「非愛」となるのかな そうすれば>>127さんの論理も自分の論理も両方筋が通る気がします
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