- 153 名前:神も仏も名無しさん [2010/04/19(月) 23:15:42 ID:Lz/JpXqF]
- >>152(つづき)
>>150のハナシは、要するに「スエデンはパウロの「信仰義認」という説を受け入れない」 ということを主張しているだけで、それを自分の説として述べているだけである。 そしてそこから黙示録の読解もその路線を当てはめて「黙示録はこの信仰義認の教義 が持たなくなっていずれ世の中から教会を倒してしまう元になる」というハナシに持って 行っているわけだな。そういう構造がスエデン教の根幹を形成し、教会批判ありきで すべての聖書解釈が貫かれている、ということがわかるだけである。 要するに、パウロが信仰義認を主張したくなるほどに、血の贖いの実感が自分にはない、 だから、そんなものはないのに違いないが、あることにしている教会は欺瞞をやっている だけだから、そんな欺瞞は神は許さないに違いないのでそういうパウロから出たきりスト 教会はみな滅ぼしてしまうだろう、というハナシをしているだけに過ぎない。 結局、スエデン自身が「自分自身から取り上げた境涯」を元にして「自分の宗教を形成」 したことは間違いない。仮に霊的な影響力があってそういう説で固まったにせよ、それは スエデン自身の理知によるパウロ否認にすべて根源的に発しているはずだろう。霊的 影響力はそのスエデンの心情であり信条であるものに親和したからこそ、彼は納得して そうした影響力を受け入れたということだ。 そしてそれが黙示録の解釈にも影響して、単純な文章解釈まで捻じ曲げてしまった。 明らかに、先に理論があって、聖書をそれに沿わせた暴挙をやってのけた。明らかに スエデンはインチキをやったと言われても反論できないのではないか? 果たしてそんなものが信じるに値するかどうか?否であろう。
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