- 88 名前:N・F・R [2008/11/23(日) 17:31:58 ID:mA7jeuM9]
- >>84
追加。 カントが『物自体』と『認識された物』を区別したのは、『認識された物』が“意識の中の情報のようなもの”で、『物自体』がそれと分離された形で存在しているからだと思う。 例えば、象がいるとする。これを仮に『物自体』とすると、『認識された物』は『灰色』とか『鼻が長い』とか『巨大』といった象の“情報”である。象そのものと象の“情報”を区別したんだと思う。 それから、デカルトの方が正しいと思う。『我あり』と考えても、いくらでもその存在を疑う事ができる。また、『我あり』は『机が存在する』と似た意味である。すると、“机は存在する。だから、机は存在する”と堂々巡りになって、まったく意味がなくなってしまう。 それから、『色即是空』は、色を“情報”とすると“実体がない”という事であり、『空即是色』は“実体がない”のに、幻のように存在しているという意味だと思う。 (真の実在は“情報”とは別に存在しているという事だと思う。)
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