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イエスと仏陀の説く真理真実とは?



1 名前:神も仏も名無しさん [2008/10/19(日) 12:03:01 ID:ykzfCh0C]
やはり真理真実〈実相〉が大事なのであって、それを説くものが誰であるかは、
本質的問題ではないと思う。
 一層の研鑽に励もう!

399 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/01/25(日) 23:12:07 ID:TB7/mo1B]
gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232767495/213

>ここでいう「本人の罪」ではないというのは、今生での本人のこ
>とに決まってる。生まれながらの盲目の人の話ですよ、これは!

今生のAさんと、前世のAは別人ということでしょうか。つまり連続性を認めないわけですね。
「前世の私」という表現も間違いということでしょうか。

><「生まれる前(前世)」にしか犯せないからです> って、ちゃんと自分で書いてるじゃないか?(笑)

連続性を認めず同一人物としないなら、現世のAさんが、
それを(過去世)にやったとするのは矛盾します。

>ならば原因は前世しかないでしょう!

福音書には「神の業」と明記されてますし、それは旧約からの考え方とも符合します。

>転生とカルマの教義はキリスト教から抹殺されたのです。

仏典の輪廻を説いた部分、その他超自然的部分を後世の付加とすることと何の違いがあるのでしょうか。

400 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/26(月) 00:10:39 ID:ShcMyZCd]
>無念無相を念じていると、胃痛が治ったといっているではないか。

なるほど。 つまり「オウム真理教や法の鼻での奇跡的治癒」は 無念無相を念じたからだったということか。

やれやれ。


401 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/01/26(月) 00:28:16 ID:hVP5yOBa]
仏教やらキリスト教を考え出せる人間に神秘を感じるなw

402 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/26(月) 02:49:58 ID:yJIuwrzL]
>>400
オームというだけで、すべてが価値無いと言うのは短絡に過ぎる。

403 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/01/26(月) 03:16:09 ID:MezEsz/Z]
ストレスで胃を悪くしたり頭髪が抜ける事は疑わないのに
その逆は認めないってのはどうだろう?

404 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/26(月) 07:11:45 ID:lB9Gd4Q9]
>無念無相を念じていると、胃痛が治ったといっているではないか。

なるほど。 つまり「オウム真理教や法の鼻での奇跡的治癒」は 無念無相を念じたからだったということか。

やれやれ。

405 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/01/26(月) 09:01:52 ID:CE/TfY8f]
あちらのスレは消化が早いので、あちらのスレが落ちないうちに貼っておきます。
以下のレスは>>227-228への反論です。さらにこれに反論したものが>>399です。
gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232767495/213n
213 :宝珠愚者:2009/01/25(日) 22:24:00 ID:oM6E2Y58
>>211
某スレ225
>親の罪でもなく、本人の罪によるものでもないということは
>「前世」が現世での状況に影響する、という教義が否定されるということです。
>現世での「生まれつきの盲目」という結果を生む罪は、「生まれる前(前世)」にしか犯せないからです。
>そして人間は生きている限り、善行したり罪をおかします。
>よって、イエスのその発言は「前世」の存在を肯定するものではないということになります。

 一体、どこのキリスト教伝統信奉者さん?ここでいう「本人の罪」ではないというのは、今生での本人のこ
とに決まってる。生まれながらの盲目の人の話ですよ、これは!
 <「生まれる前(前世)」にしか犯せないからです> って、ちゃんと自分で書いてるじゃないか?(笑)
 ならば原因は前世しかないでしょう!転生とカルマの教義はキリスト教から抹殺されたのです。イエスの
絶対性を謳うためには非常に邪魔な思想だったからです。当時の権力者(皇帝)はキリスト教を支配の道具
に使ったのです。
 あなたが認める必要はないから、お好きなようにキリスト教を信奉してなさい。別にあなたの改宗を迫って
るわけじゃないから。疲れる。。。

>>211については、この投稿だけで止めにします)

406 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/26(月) 21:46:32 ID:bNJrHfKQ]
↑ なにこれ

407 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/26(月) 22:38:14 ID:yJIuwrzL]
間違って投稿してんだろう。



408 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/27(火) 00:07:35 ID:ld/kr32x]
さあどんどん    仏教とキリスト教の根本的異相を明らかにしていきます。

409 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/01/27(火) 21:55:14 ID:OrIgrdeJ]
慈悲や愛といった徳の部分にしか、共通点は無いんじゃないでしょうか。
死生観・来世観といった根本的に違う部分まで同じにしようとすれば、
皇帝の勢力が抹殺しだだのという陰謀論まで使わなくてはならなくなります。

410 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/27(火) 22:50:11 ID:5oE+myZV]
>>409
死生観、来世観までも一緒であると思う。
キリスト教では、イエスにより解脱することができ、イエスを信じないものは、永遠の地獄に閉じ込められるといっている。
つまり、永遠の輪廻の世界から抜け出せない、というのである。
 仏教でも、同じではないか。地獄とは六道輪廻の世界とされている。それからの解脱を説くのが仏教である。
その方法として、真理真実は、空相無相一相であることを知り、それに合った修行方法を説いているのだ。


411 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/27(火) 23:24:09 ID:ITVPnNs1]
ぜんぜん違います。
仏教とは 自らを整えることで 輪廻だか崇拝だかから自由になる、つまりそのような「妄想への偏り」から解脱することが目的なので
イエスにより解脱なんて似非仏教もいいとこ。
釈迦の遺言は 釈迦を崇めろ信じろなどと言っていない。 自らと、ありのままの真理を灯明としなさいと言う。
イエスだかに縛られる宗教とは一緒にしてもらわないで頂きたいな。
お願いいたします。


412 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/27(火) 23:32:39 ID:ITVPnNs1]
☆これが仏教だ。 「イエスを信じれば地獄に落ちない」などという他人の戯言は排斥する。

ダライ・ラマ14世:「長いものに巻かれるべきか?」 石井慧選手が進路相談

◇「自分で判断しなさい」
「自分で決めた方がいいのか、長いものに巻かれる必要があるのか」。
チベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世(73)が6日、東京都墨田区の両国国技館で行った講演後、
柔道の北京五輪男子100キロ超級金メダリストでプロ格闘家への転向を表明した石井慧(さとし)選手(21)が
ダライ・ラマに進路選択について相談する一幕があった。

石井選手は講演を終えたダライ・ラマに花束を贈呈する一人として招かれていた。
講演会を主催したチベット支援団体によると、贈呈時間に合わせて来てもらえればいいと依頼したが、
石井選手は「講演も聴きたい」と言い、他者を思いやる心の大切さを説くダライ・ラマの講話に熱心に耳を傾けた。

質疑のコーナーで2番目に立った石井選手は
「今、自分の中で全く分からない世界に来ている。いろいろな人からアドバイスをもらっているが、
最後は自分で決めた方がいいのか、長いものに巻かれるというやり方も時に必要なのか」と質問し、会場を沸かせた。

これに対し、ダライ・ラマは
「たくさんの方のアイデアを取り入れることもためになると思うが、仏教的な観点から答えれば
状況をよく調べ、考えてみることだ。
それによって自分自身で判断を下すことが最終的になさねばならない道だと私は思う」と答えた。
石井選手が礼を述べると、約4500人の聴衆が大きな拍手を送った。

jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/4145/1210417061/242


413 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/27(火) 23:36:39 ID:5oE+myZV]
イエスも釈迦も自分と天国ニルバーナは一緒であると教え、それゆえに、
天国として神という理法を、ニルバーナとして空諦の理法を説き、天国に入っているものとしてイエス自身を示し、
同じく、ニルバーナに入っている釈迦自身を示したのである。
 そして、自分とは、本来の天国やニルバーナに入っている自分であり、それゆえに
入っているか入っていないかの判断は、自分でする以外ないものとして、自分を導きとするように教えたのである。
自分とは空相であり、神であるのだ。それが真実の自分であるのに、自分で妄想したものに囚われて、真実の自分を
切り刻んでいるのである、と教えたのである。
 それゆえに、人を、自分を、絶対の神であると信じての行為のみが正しい行為とみなされるのである。
故に、差別は、正しいものとは常にならないのである。どの人もすべて、神を見ており、真理真実を見ているのである。
それを犯してはならない。

414 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/27(火) 23:40:23 ID:ITVPnNs1]
「万物は因縁によって生じる」

キリスト教やインドのヴェーダ哲学の精髄であるウパニシャッド哲学と比べると、釈迦の思想がいかに革命的で衝撃的かがよく分かる。

キリスト教は、人間には神によって創造され付与された、唯一無二の実体である霊魂が宿っていると考える。
ウパニシャッド哲学も、オウム真理教も、人間には「アートマンという真我」が備わっていると考える。
ところが縁起説は、そのような実体としての真我や霊魂を否定する。

jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/4145/1210417061/117


415 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/27(火) 23:45:33 ID:ITVPnNs1]
>天国として神という理法を、ニルバーナとして空諦の理法を説き、

神の何処が「理法」なんだか。 理法と言うならさっさと再臨して見せなさい。再臨するという妄想は 理法ではない。


416 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/28(水) 00:06:34 ID:FJnoOAkc]
>>414
>ところが縁起説は、そのような実体としての真我や霊魂を否定する。

否定していないのに、否定してると他者に教えるとは、のろわれていますね。

417 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/01/28(水) 00:09:21 ID:z2Hkd3Ye]
>>410
>キリスト教では、イエスにより解脱することができ、
>イエスを信じないものは、永遠の地獄に閉じ込められるといっている。

はい。永遠の地獄、とあるとおり、そこで罪を清算したら
別の人間や動物となって良い場所に再び生まれ変わることができる、
ということはありません。地獄で刑期を終えて次の生へ、とはされません。
神を崇めない不信心者、罪人が落とし込まれる終着点、引き返せない行き止まりです。



418 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/28(水) 00:13:31 ID:tZXUvmQk]
>否定していないのに、否定してると他者に教えるとは、のろわれていますね。

そういう「呪い」とか「再臨」とかの形而上学的見解を 排斥したのが仏教ですから。 くれぐれも、崇拝、妄想、を説くイエス教
とは一緒にせぬよう。


419 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/28(水) 00:17:08 ID:FJnoOAkc]
>>471
>別の人間や動物となって良い場所に再び生まれ変わることができる

別の人間になっても、他の動物になっても、状況が改善するという道理は、
地獄という輪廻の世界にはないのです。天界、人界、修羅、がき、地獄、畜生
の境涯は平等に地獄なのです。

420 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/28(水) 00:26:19 ID:tZXUvmQk]
仏教的に言うと   神の国も地獄ですね。それを希求することそのものが執着であるから


イエス教徒は渇きが止まらないわけです。よって、寂静に至れない。

421 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/01/28(水) 08:21:46 ID:mwyoxKMd]
>>419
>平等に地獄なのです。

それは比喩的な呼び名としての「地獄」です。
例えば「この世の地獄」の「地獄」ですね。
「堕落した」国や都市をバビロンと呼ぶのと同じです。
>>420
>イエス教徒は渇きが止まらないわけです。よって、寂静に至れない。

はい。もともと寂静を目的としてないので、最初から目指してすらいません。
根本的な違いですね。

422 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/28(水) 18:32:08 ID:FJnoOAkc]
>>414
仏教では無我というが、それはよく説明に援用される人間の中に固定的なものは無い、というように、
個人的に適用される説明では、正しくなく、それだけの説明では非常に危険である。
無我という真理は、一切に適用されるのである。自分ばかりではなく自分に対する一切も、無我なのである。
一切は無我なのである。一切が無我であるとは、一切が無常ということでもあり、無常とは、
無相ということである。
 これが真実である。そして、自分という固定的なものが無いというばかりではなく、一切には固定的なものがないと言うのが信実であるから、
真実の自分は、無我という真実の自分を持つのである。無我こそ真実の自我なのである。これを真我と言っているのである。
そしてこれをアートマンと言い、一切がアートマンであるので、ブラフマンとはアートマンのことということになるのである。
 この無我というアートマンに反抗するものが、妄想により生じる我であり、真実の無我というアートマンは、この偽者の我と戦わなければならないのだ。



423 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/28(水) 18:38:31 ID:FJnoOAkc]
>>414
>ところが縁起説は、そのような実体としての真我や霊魂を否定する。
 
ほら、やっぱお前は、依然として、仏教を理解していないな。真如苑敵時間というサイト
の教えには、根本的な仏教の教えがかけ落ちているのだが、未だに、それが判ってない。
オームの言う真我というものがどのようなものか知らないが、また、キリスト教の言う霊魂というものがどのようなものと説明
されているか知らないが、仏教の教えのように、理解されなければならないんだが。

424 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/29(木) 17:53:21 ID:NuvQSw5E]

>はい。もともと寂静を目的としてないので、最初から目指してすらいません。 根本的な違いですね。

なるほど。 釈迦の教えとイエスの教えは 根本から異なるな。


425 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/29(木) 18:22:26 ID:EWxg6YB0]
早く以下の質問に答えてほしいのですが、お願いします。
自分も正しいことをしたいのです。

神も仏も名無しさん:2009/01/23(金) 08:47:56 ID:o3V5wOne
偏りがあるかどうかはどうして判断するのか?
また、八正道の正しいとの判断はどうしてするのか?何か基準があるのか?
基準が無いとするとどうして判断が可能か?


426 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/01/29(木) 18:31:36 ID:WknO1Nvi]
法句経 と スッタニパータを読めば結構細かい規律が書いてるから、そこから正しいことへの参考にするといいのじゃないかな?

427 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/29(木) 19:42:50 ID:2wdpH7eO]
野党は与党の揚げ足取りだけで 政権を奪うことしか考えていないのでそれが 偏りですね。

そのようにあなた自身を鑑みればいいのです。 分かりましたか。



428 名前:NAS6 ◆o1AYEkZmQU [2009/01/29(木) 19:51:51 ID:cLT7VHwi]
自己判断ということ自体、勘違いという事に気がつきませんか?
過去からの継続によって為される事に自己判断を挟む余地がありますか?


429 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/29(木) 20:30:35 ID:EWxg6YB0]
誰も八正道に言う正しいとの判断の基準を知らないとは、仏教は未だ日本には
伝えられていないのであると、言わなければならない。なんという愚かな民族であろうか。

430 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/29(木) 20:31:40 ID:EWxg6YB0]
誰も八正道に言う正しいとの判断の基準を知らないとは、仏教は未だ日本には
伝えられていないのであると、言わなければならない。なんという愚かな民族であろうか。



431 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/29(木) 20:32:07 ID:EWxg6YB0]
誰も八正道に言う正しいとの判断の基準を知らないとは、仏教は未だ日本には
伝えられていないのであると、言わなければならない。なんという愚かな民族であろうか。


432 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/29(木) 20:35:48 ID:EWxg6YB0]
正しいとはどのようなことをいうのか知らないで、どうして八正道を行えるのか?
それではどうして、「滅」を得られるのか?

433 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/29(木) 20:36:56 ID:EWxg6YB0]
正しいとはどのようなことをいうのか知らないで、どうして八正道を行えるのか?
それではどうして、「滅」を得られるのか?



434 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/29(木) 20:37:34 ID:EWxg6YB0]
正しいとはどのようなことをいうのか知らないで、どうして八正道を行えるのか?
それではどうして、「滅」を得られるのか?


435 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/29(木) 20:38:06 ID:voeLH4Co]
という煽りがありますが
そもそも何がどうして正しいかというのは 金口の説法を知らないと分かりませんよ。ま どれが捏造なのか本物なのかはあなたがご判断を。

>自己判断ということ自体、勘違いという事に気がつきませんか?
座禅瞑想は仏教的自己判断を促すものです。だが その内部に独自の教説があるのはもちろん否定
できません。

436 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/29(木) 20:52:20 ID:EWxg6YB0]
>>435
>そもそも何がどうして正しいかというのは 金口の説法を知らないと分かりませんよ

釈迦が正しい基準を教えているかどうか、お前は知らないと言うことか?

437 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/29(木) 20:55:44 ID:voeLH4Co]
当時のインドでも 厳格な身分制度が民衆をコントロールする手段として用いられていて
貴族の言うことを聞けば来世は良くなる、という迷信によって 奴隷たちは終身こき使われていました。
それに対し釈迦は、そんなの関係無い、善き事をすれば善き処に生まれ変わるのだ、と言い、そんな迷信を吹き飛ばしました。




438 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/29(木) 21:10:29 ID:EWxg6YB0]
>>437
>善き事をすれば善き処

どういう行為がよきことになるというのですか?どういう行為が悪い行為であると言うのですか?

439 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/29(木) 21:16:05 ID:EWxg6YB0]
>>435
>座禅瞑想は仏教的自己判断を促すものです

仏教的自己判断という、仏教的判断とはどのようなものか説明してください。
説明できなければ、いい加減なことを言って人を惑わすものとして、取り消し
謝罪してください。

440 名前:NAS6 ◆o1AYEkZmQU [2009/01/29(木) 21:24:30 ID:cLT7VHwi]
依存関係を排除していけば良いんですよ
寄生虫呼ばわりですよ


441 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/29(木) 21:48:53 ID:EWxg6YB0]
>>440
何を言っているのか解らない。

442 名前:NAS6 ◆o1AYEkZmQU [2009/01/29(木) 21:52:46 ID:cLT7VHwi]
だから自分が依存する事がなくなれば良いんですよ
何かに依存していたら寄生しているんです
太陽みたいにはなれませんか?
キリストは太陽神ということなんですよ
これはキリストの血であり肉である
と食さえも依存する事を排したんです


443 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/29(木) 21:57:31 ID:EWxg6YB0]
>>442
それもまた解らない。そんな説明は誰も解らないと思うよ。

444 名前:NAS6 ◆o1AYEkZmQU [2009/01/29(木) 22:06:57 ID:cLT7VHwi]
これはキリストの血であり肉である

食するものさえ外から入手しないという事ですよ

445 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/30(金) 03:58:31 ID:FgXpbnlz]
善き事とはお婆さんに席を譲ることですね。
仏教的自己判断というのは 座禅して自己を見つめることですね。問答にてその道が正されます。



>説明できなければ、いい加減なことを言って人を惑わすものとして、取り消し 謝罪してください。
そのとおりですね。
イエス教徒は 信じれば永遠の命がもらえるとか、イエスが再臨するとかいう妄想を妄想と認めることが大事です。

>依存関係を排除していけば良いんですよ 太陽みたいにはなれませんか? 食するものさえ外から入手しないという事ですよ
全ては依存で成り立っていますね。縁起です。 まずその真理が解らないと 仏道を進めませんね。
仏教徒でも 布施が無ければ餓死です。
欲を整え消すことで 判断力が正され 渇愛が消え寂静という至福に至れます。
jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/4145/1210417061/l100 にて質問すればさらにお答えしますよ。

お楽しみに。



446 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/01/30(金) 04:59:23 ID:QYxfSykR]
イエスと仏陀の説く真理真実とは? → 神はいないという真実

447 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/30(金) 14:33:57 ID:A2OGOJ7d]
エホバの商人や創価学会は キリスト教や仏教を都合よく改変し霊感商売をしている。そして信者たちはそれに気付きもしない。


無知で責任感の無い なんという愚かな民族であろうか。



448 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/30(金) 15:28:03 ID:A2OGOJ7d]
>353 イエスとは真理真実という意味のものですよね?
名前なんぞどうでもいい。

>信仰が未熟であれば、強い心の管理を必要とするんです。心の管理を信仰という。
それが真理であるなら別に強く信じなくても真理ですよ。 妄想を信じようとする時に信仰が必要とされる。


449 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/01/30(金) 15:40:30 ID:YaYpPBHs]
難しく考えすぎ

450 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/30(金) 21:53:12 ID:Z8TcZ71i]
>>445
哀れな人ですね。

>>446
神とは何を神といっているか知らないで、神だとか言っているのは、意味も解らずに、
人の会話を真似してるだけですね。

>>447
民族じゃなくて、国民、でしょう?

>>448
真理真実の意味をそろそろ区別していってもらいたいものですね。
真理と真実は異なりますよ。
真理真実は、あなたがいようといまいと、また、あなたが信じようと信じまいと、厳然とあるのですよ。
真理真実から離れていることがさびしくないなら、そのままで行けば良いんですよw。

451 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/30(金) 22:06:35 ID:qSl9hyb/]
それは言えてるな。 真理でないことを信じるには 信仰が必須だ。



452 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/31(土) 16:12:49 ID:Ohi6z28W]
>真理と真実は異なりますよ。

具体的には?

453 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/31(土) 21:10:19 ID:emXh0S/7]
>>452
真理とは完全な論理
真実とは実体そのもの。

仏教で言えば、真理とは、縁起、原因結果、四諦の法門
12支縁起の法門。
真実は、空相、無相、一相、無我。
真実と言う名称は、真実そのものではない。真実に類する表現として
実体、実相、などがある。 
 

454 名前:神も仏も名無しさん [2009/01/31(土) 21:16:26 ID:emXh0S/7]
>>453
訂正
真実とは実体そのもの。
  ↓
真実とは、「一」である。

455 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. [2009/01/31(土) 22:14:40 ID:4XiXUcn+]
「肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである〜肉の思いは神に敵対するか
らである」(ローマ人への手紙)

肉欲も無いつくられざる存在であったにもかかわらず、そこに安住せず地に落ちた。神は人を見捨て、
悪魔に手渡した。悪魔は権威や栄華を貪る欲念を人々に与えた。

■善悪
 「悪魔の征服者です〜煩悩の潜在的な可能力を断って、みずから彼岸に渡りおわり〜あなたは善悪の
 両者に汚されません」(ブッダのことば)
 「へびは女に言った〜神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです〜賢くなる
 には好ましいと思われたから」(創世記)
 
  人々は地上の栄華を得ようとあくせく働き、得たものを享受して肉欲を満たし、ついに土に帰る。
  世の人々はつくられざる世界、不朽の神を知ることもない運命を生きる。思考が神ならぬ肉欲に結
  ついた。

■神に信仰のある人はいない
 「わたしの願いと言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり」(ピリピ人への手紙)
 「父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである」(ヨハネ)
 「全世界のうちで内面的にも外面的にも諸々の感官を修養し、この世とかの世とを厭い離れ、身を修
 めて、死ぬ時の到来を願っている人」(ブッダのことば)

456 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. [2009/01/31(土) 22:15:51 ID:4XiXUcn+]
□「生存のための妄執も、生存の断滅のための妄執も存在しない」
 悪魔の子となった人が、そのままで神に信仰は無く、自己の生存の断滅という悪魔に従い不朽の神を
 知れることもなくなった。つくられざる存在を知れることもなくなってしまうのである。しかも、地
 上では肉欲のある人々を誰も愛さない。

□断食・わずかな食物と明朗な顔つき
 「断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな〜人に知れないで」(マタイ)
 「森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが、その顔色は〜明朗」(神
 々との対話)

□食べようか・肉欲のためにあくせくしない
 「何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようか〜思いわずらうな〜あすのことを思いわず
 らうな〜一日の苦労は、その日一日だけで十分である」(マタイ)
 「わたしは何を食べようか、昨夜はわたしは眠りづらかった〜これら憂いに導く思慮を抑制せよ」
 「未来のことにあくせくすることもなく、ただ現在のことだけで暮らしている」(ブッダ・神々)

□邪まな見解も無い
 「上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし〜この世では、この状態を崇
 高な境地と呼ぶ〜諸々の邪まな見解にとらわれず」(ブッダのことば)
 「敵を愛し、憎む者に親切にせよ〜あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い
 者となれ」(ルカ)

457 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. [2009/01/31(土) 22:17:33 ID:4XiXUcn+]
□思い上がりも無い
 「学ぶことに生きがいを認め、奉仕を楽しむために、戒律をまもって〜これは一つの極端説であると
 説かれている〜そこにとどこおっていなかった賢者たちは、それで思い上がることはない」(感興の
 ことば)
 「思うべき限度を越えて思いあがることなく」(ローマ人への手紙)

□善悪のはからいも無い
 「心が煩悩に汚されることなく、心が縛られることなく、善悪のはからいを捨てた人には」(感興の
 ことば)
 「天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ〜あなたがたも完全になりなさい」
 (マタイ)

 偶像を抱ける神だと信じていた人々に、イエスは肉欲を制した永遠の命の神を自ら行い、「わたし
 を主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか」「盲人は盲人の手引きがで
 きようか。ふたりとも穴に落ち込まないだろうか」と語った。

 修行僧は瞑想により肉欲を制することに努めた。肉は決してつくられざる存在、不朽の神を知るこ
 となく朽ちるからである。世の中で行為をするなら、邪まな見解を抱かず、慈悲に反しないこと。

 悪魔に従って造り出された人々が、いくら信じても、肉欲を制しないなら神にもつくられざる永遠
 も知れない者となるからである。
 神と肉欲は敵対する。肉欲を制しようと努めない人々が、神を信じるなら悪魔崇拝となるから、イ
 エスは言葉と行いを残し、信仰対象となった。




458 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/02(月) 14:58:22 ID:rE3Ak/V5]
>真理とは完全な論理 真実とは実体そのもの。
まあどっちでもいいですけど 真理よりも喰うことを目指したのが 大乗仏教だね。

>神と肉欲は敵対する。
肉欲が無いと 滅びるよ。肉欲が無いと 神に滅ぼされるのかな。


459 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/02(月) 21:04:05 ID:HWLacsfn]
>>458
大乗仏教は、二乗と言って小乗をけなす目的があったんだ。

>神に滅ぼされるのかな

神の国が到来しているのに、人の数を数えている人は、神の国に入ってない人ですよ。
この意味解るかな〜。

460 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/02(月) 22:14:25 ID:LrcfI4Lr]
神の国はたしか埼玉あたりにあるよ。

461 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. [2009/02/03(火) 22:43:37 ID:wqpc9XPP]
他に滅ぼされると思うのは、悪魔を神としているから。
権威や栄華(地上の諸々の欲望に関する貪り)を妄執(悪しき者)から得た。それを賢くなった人々
が可能にする。多くの人々は、死んで土に帰る。

□世の中のどこにも害いを見ない
 「世の中のどこにも、わたしは害いを見ない」(悪魔との対話)
 「人を罪に定めるな〜ゆるしてやれ」(ルカ)

悪魔の子がただ信じただけでは、神を悪魔としている。信じただけでは、そのまま土に帰るだけである。
それは地を思う人の決まった運命だから、別に問題ないわけではあるが、肉の思いを制する人々だけは、
不朽の存在に至る。つくられざる存在(唯一の神)を知り、つくられざる者となる。

□この世で既につくられざる者となる法
 「断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな〜報いて下さるであろう」(マタイ)
 「そのあいだ何も食べず〜空腹になられた〜」(ルカ)
 「森に住み、心静まり〜日に一食を取るだけであるが、その顔色はどうしてあのように明朗」(神々と
 の対話)
 
「軽安」「長寿」(仏教)「この世の有様は過ぎ去るからである〜思い煩わないように」(コリント)
 心身をかろやかに快適にすること、長寿。 
  悪魔の子でも、静かに安静にしていると癒されるように、例えば病気の時、肉欲を貪らないように、
  「何でもできる神の霊」は、肉欲外の存在であるから、偶像礼拝をせず、そういったことを信じな
  さいと教えたのがイエス。自分の肉欲外を求めて、自分が救われるしかない。

  たとえば釈尊は、神と一つになり神を目指すことを指導した。イエスは妄執を打ち破り不死の境地
  に達し、あなたがたの内にあるものが、神とつながりがあると教えたとしてもよい。


462 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. [2009/02/03(火) 22:44:41 ID:wqpc9XPP]
■自分を愛し、世と世にあるものを愛するために信じる人は悪魔崇拝
 肉欲も無いつくられざる存在であり、そこに安住せず地に落ちた。神は人を見捨て、悪魔に従えさせ、権
 威や栄華の拡大と、それを考え行える状態にした。自分を愛し、世と世にあるものを愛し信仰するのは悪
 魔崇拝であり、つくられざる存在(唯一の神)、つくられざる状態から全く離れて正反対である。つくら
 れざる状態になることはできないから、戒めの言葉によりつくられざる状態がわかるようにしよう。それ
 によって、不朽の神とともに、自らの朽ちない状態とともに肉体を保った状態でいなさい。

□手向かうな
 「罪がないのに罵られ、なぐられ、拘禁されるのを堪え忍び、忍耐の力あり、心の猛き人」(真理のこと
 ば)
 「悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい」
 (マタイ)
 
  神を信じた人は、つくられざる存在とともにつくられざる状態でいないと信仰したことにはならない
  から、そのように努めなさい。煩悩の可能力を与え、罪がない者を罵り、なぐるようにしたのは悪魔
  である。手向かうという行為ができるのも悪魔からである。罪をゆるす権威によって、自己防衛のた
  めに、なぐり返して相手が逃げたとしても、自分が正しいことをしたと思ってはいけない。
  
  神はつくられざる状態で、最も清く善によって知るのだから、信じた人は、人のような行いを正しい
  としないこと。

偶像礼拝により自分を愛するために信仰するのではなく、つくられざる存在を信じ、つくられざる状態に
なることを教えたのがイエスで、肉欲の多い者にとって、不朽の神とともに在る道は険しい。



463 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/03(火) 22:45:28 ID:wqpc9XPP]
神は物質的な喜びや、快楽や享楽を少しも喜んではいない。

□神よりも快楽を愛する者
 「つまらぬ快楽を捨てることによって、広大なる楽しみを見ることができるのであるなら、心のある人は
 広大な楽しみをのぞんで、つまらぬ快楽を捨てよ」(感興のことば)
 「神よりも快楽を愛する者」(テモテへの第二の手紙)

 釈尊は理により、修行により、イエスは信仰により、悪しき者に従って生まれた快楽から遠ざかって、
 死を味わうことのない世界に生まれさせようとした。どちらの宗教が信じた人を快楽や物質的な喜び
 の貪りから遠ざけられるかということ。


464 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/03(火) 22:47:43 ID:Re8CWse6]
読まない

465 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/03(火) 23:31:56 ID:X3s7YzOW]
信仰から真実は見い出せません。

466 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/04(水) 08:06:12 ID:X7LkUXPz]
>>465
真逆。真実を信仰するのである。

467 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/05(木) 00:32:00 ID:fx+bbkaY]
いえ 真理には信仰なぞの必要はございません。     仏教の真理とはありのままです。

ゆえに信仰というツールは不要です。



468 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/05(木) 08:53:45 ID:krl5gp1r]
人のためになることをし様としないのなら、人の中に出てくるのは、人の迷惑ですね。

469 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/05(木) 08:57:17 ID:krl5gp1r]
人に食物を請うのでもなく、人に何かを与えるのでもない人、そんな人は、人の中にいてはいけないでしょうね?

470 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. [2009/02/05(木) 21:08:53 ID:LeFqgj2h]
□悪しき者に従ってつくられた人間
 「世間は妄執によって導かれる。世間は妄執によって悩まされる。妄執という一つのものに、一切のもの
 が従属した」(神々との対話)
 「全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている」(ヨハネの第一の手紙)

  つくられざる存在はつくられざる状態しか愛さず、つくられなかったら神を信じることになる。
 「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ)罪がないのに罵られ、なぐ
 られ、拘禁されても、命乞いをしても、つくられざる存在は人間の思いとは反し、つくられざるようにさ
 れる。そして人も、煩悩の可能力によらず、つくられないように耐え忍べば、つくられない存在を信じる
 ことになる。

               ■信仰の度合いにより人はそれぞれ■
 常に罪汚れなく、「人里離れた所での瞑想や断食」により、つくられざる存在への信仰を増そうとする人
 もいれば、
□仕事をしてくれる人々がいるのではない
 「罪汚れなくして、常に浄らかさを求めている人には、毛先ほどの悪でも、雲ほどに大きく見えるのであ
 る〜わたしは、そなたに依存して生きているのではない。またそなたのために仕事をしてくれる人々がい
 るのではない」(悪魔との対話)
 「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」(テサロニケ人への第二の手紙)


471 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. [2009/02/05(木) 21:10:22 ID:LeFqgj2h]
私たちは肉でもある。全く清浄でつくられざる存在(唯一の神)に愛されない部分もないと生きていけない。
つくられなかったら、人間の思いはなく公平・平等であるので、自分のために労をしてくれる人はいないと
感じて働いて食べることは、愛されない肉にあっても、心の中は神を信じていることになる。

□冷酷・無慈悲・残忍も無い、遠ざかり離れた境地の慈しみ
 「貧窮なる人々、旅行く人々、宿無き人々、乞う人々に施しとして与えよ〜信仰心あり、学び修めた賢明
 な人は、食物を用意して、食乞う人々を飲食物をもって満足せしめよ」(神々との対話)
 「空腹のときに食べさせ、かわいているときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに
 着せ〜わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」
 (マタイ)

  悪魔は煩悩の可能力を与え、肉を立派にした。しかも、全てが苦悩無きことを喜ぶ境地から(つくられ
  なかったら一切が苦悩無きことを喜ぶ)権威や栄華を貪る妄執を与え、冷酷・無慈悲・残忍もある人間
  に仕立て上げ、肉によって土に帰るようにした。慈悲が少しでもあれば、神に信仰がある。

□思い上がらない程度
 「思うべき限度を越えて思い上がることなく、むしろ、神が各自に分け与えられた信仰の量りにしたが
 って、慎み深く思うべきである」(ローマ人への手紙)
 「学ぶことに生きがいを認め、奉仕を楽しむために〜この二つの極端説を知って、そこにとどこおって
 いなかった賢者たちは、それで思い上がることはない」(感興のことば)
  
  「私はしました」と言って善悪のはからいを求めて妙な利益を与えてくれるつくられざる存在はい
  ない。自然のままで、自分の欲得関係なしに行える人もいる。冷酷・残忍・無慈悲を避け、思い上
  がらない程度の状態がよい。

472 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. [2009/02/05(木) 21:11:35 ID:LeFqgj2h]
自分(肉)を愛してくれる偶像なるものは存在しない。
肉で無いことが神で、この世の苦難を耐え忍んだり、物への執着心を捨て去って分け与えたり、この世で肉
の思いから少しでも離れることは何かと見いだして行うしかない。

神も肉を助けてくれることはない、という信仰。



473 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/05(木) 23:30:20 ID:sj+iNRQo]
469は却下だな。     悪が栄えるのが真理なので 善人は食われるだけ。現代で言えば 知能が高い


者が生き残る。 それが真理。 その上で釈迦は 妄想ではない倫理を勧めた。

474 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/06(金) 00:11:48 ID:+uUunFhp]
>>473
八正道の、正しいという意味は、どういうのが正しいのか、答えてください!

475 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/06(金) 00:17:04 ID:xsnc4xS8]
はい
jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/4145/1210417061/

で答えます。

476 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/06(金) 08:30:17 ID:+uUunFhp]
>>475
どこに答えている?
要するに知らないんだろう?解ってないんだろう?
知りもしないのに、人の真似をして、知ったかぶりをして、人を騙していたんだ。
>>473
知能の高いものが生きる?知能てなんだ?
お前、まったく妄想の人ではないか?
仏教の一から勉強して来い!

477 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/06(金) 22:33:28 ID:+uUunFhp]
正法=八正道



478 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/06(金) 22:45:05 ID:jQ3poMrm]
476は頭を下げて jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/4145/1210417061/

で質問しなさい。   そうすれば答えてあげても良い。

479 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/06(金) 22:54:26 ID:+uUunFhp]
>>478
俺は誰よりも知ってるつもりなんだよ。w


480 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/06(金) 23:14:58 ID:jQ3poMrm]
残念ながら     それだと阿羅漢になれないね

481 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/06(金) 23:33:52 ID:+uUunFhp]
だいたいおかしいじゃないか、何でほかのスレに行かなきゃ答えられないんだ?
反省して、今までの詐欺行為を謝罪すべきだ。

482 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/06(金) 23:46:18 ID:jQ3poMrm]
2ちゃんでは逃げられるからね。    卑怯者はステージに上がる勇気が無い。


479のような境涯では 阿羅漢は無理だ。

483 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/07(土) 00:16:02 ID:OIds0jVN]
いえ 真理には信仰なぞの必要はございません。     仏教の真理とはありのままです。

ゆえに信仰というツールは不要です。

484 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/07(土) 09:40:38 ID:iCRtwLbB]
仏教では、念ずるというが、それが信仰に当たるだろう。尤も念ずる対象がわからない
なら、信仰もありえない。

485 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/07(土) 11:44:19 ID:iCRtwLbB]
信は道の元であり、功徳の母である。一切のもろもろの善法を長養し、疑いの網を断って、まよいを出、涅槃のさとりを開かせる。

信は濁りの心なく、清浄にして驕慢を滅し、敬いのもととなる。

また法の蔵の第一の宝である。清浄の手となって、もろもろの修行を受けとり、施しの心をおこさせ、もの惜みをなくす。

信は歓喜して仏法に入らせ、智慧と功徳を増長し、必ず如来地に至らせる。

信は六根を浄化し明らかにする。信の力は堅固であり、それを壊すことのできるものはない。

信は永く煩悩のもとを滅ぼし、もっぱら仏の功徳に向わせる。

信はこだわりの心をなくし、自由な境界を得させ、もろもろの苦難を遠ざけて、無難を得させる。

信はかずかずの魔を超えて、無上のさとりを得させる。

信は功徳の種を壊さず、菩提の樹を成長させる。

信は最勝の智慧を増益し、一切の仏を示現させる。

 ――華厳経   

486 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/07(土) 15:19:38 ID:SWJK3PJa]
イエスとブッダの共通点より、仏教を統一したほうがいい。
南無阿弥陀仏と唱えるのか、南無妙法蓮華経を唱えるのか、原始仏典か、
仏教をひとつにすること。仏教はそれからだ。


487 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/07(土) 15:40:21 ID:iCRtwLbB]
>>486
>南無阿弥陀仏と唱えるのか、南無妙法蓮華経

浄土宗と日蓮を一緒にするのは、あまりに見識が無い。
日蓮の教えは、仏教とは関係が無い。
 そこで、日本における大乗の宗派を見てみると、無論同じ目的を持っている。
その目的にいたる方法が外面上異なっているのである。しかし、内実は同じなのだ。
ところが、その目的と方法の理解が多少相違してくる。それは導師の指導により、である。
私は浄土真宗であるが、曹堂宗も良いな、と思う。
 ギリシャ哲学とキリスト教の哲学、というか要するに彼らの指導と、仏陀を元とする
仏教哲学を比較すると、仏教哲学のほうが、断然優れていると思う。真理真実を穏やかに妥当に
説明してるからである。そこには無理が無いのである。



488 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/07(土) 19:13:42 ID:SWJK3PJa]
>>487
どう優れているのかきっちり説明せよ。
アー アー アー南無阿弥陀仏と唱えることがなんの意味がありどう優れているのか
きっちり説明せよ。

結局釈迦の妄言を信じた人間が、適当に理由をつけて言い押し付けたもの勝ちが仏教
と思うがね。

489 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/07(土) 19:27:16 ID:SWJK3PJa]
>>浄土宗と日蓮を一緒にするのは、あまりに見識が無い。
日蓮の教えは、仏教とは関係が無い。

だろ、日蓮からすれば浄土宗は仏教でないと言っているんだろ。

断然優れているんなら、日蓮宗を浄土宗にできるはずだろ。
そういったこともできないか事実から、釈迦の妄言を優れていると
思い込み組織ができたということだろ。

とりあえず、南無阿弥陀仏をなぜ唱えるのが、全ての人にわかり易く
説明してもらおうじゃないか。   

490 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/07(土) 22:12:13 ID:iCRtwLbB]
>>489
まず、仏と言う意味は、正覚を得た人という意味である。これは大変な最大事なのだ。
であるからぶつとか正覚その他にも仏に関わる言葉を耳にしたときは、体が緊張する
ほどで無ければならない。体が緊張するというのは、正覚とか仏と言うものをよく理解しているからである。
理解しているというのは、よく教えられているのでなければならない。
 それゆえに、仏の名前を唱えるということは、必ずその効果があるのが必然なのだ。
それは、一切の罪の許しをもたらすものであるからだ。罪とは、仏を認めないことなのであるから。


491 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/07(土) 22:14:36 ID:iCRtwLbB]
神についても仏の場合と同様である。

492 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/07(土) 22:31:31 ID:iCRtwLbB]
判った?

493 名前:tibyaku [2009/02/07(土) 22:36:02 ID:krW4MGqx]
南無阿弥陀仏は「阿弥陀仏に帰依します。」の意味で大衆救済の救世主的力に対して信仰しますの意であります。

南無妙法蓮華経は「神秘的お経である法蓮華経に帰依します。

南無は「帰依」を現し信仰の対象を言います。

仏教は反省修法と三宝帰依(ブッタに帰依しブッタの説く法に帰依し、僧団のルールに帰依します。の誓い)がありますが、

日蓮宗も浄土宗は反省修法と三宝帰依がないので仏教では無いですね。

494 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/07(土) 22:41:37 ID:iCRtwLbB]
>>493
>仏教は反省修法と三宝帰依(ブッタに帰依しブッタの説く法に帰依し、僧団のルールに帰依します。の誓い)がありますが、

で、あなたは、仏とはどのようなものか、法とはどのようなものか、僧とはどのようなものか、知らないでしょう?


495 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/07(土) 22:44:54 ID:pz6pDPNp]
仏教哲学の洗脳。仏の名前を唱えて効果があり、一切の罪の許しをもたらす???????????????
釈迦って自分の名前を多くの人に知ってもらいたかっただけ。
そのための多くの言葉を語った。
そして馬鹿は騙され続けた。



   それが仏教である...........................





496 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/07(土) 22:50:13 ID:iCRtwLbB]
>>495
お前も仏の意味を知らないだろうね?だから、仏と何回聞いても、馬の耳に念仏となるのである。
お前に仏教を教えるものがいなかったのだ、そうだろう?

497 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/07(土) 22:53:25 ID:pz6pDPNp]
釈迦の名前で一切の罪のゆるしをもらえて、大衆救世的な力に帰依しますって、大衆救世的な力に帰依しますで大衆が助かるのか??????
人殺しも盗みも釈迦の名前とやら大衆的な力に帰依しますとして、罪のゆるしをもらえて、
世の中は大変なことになり、坊主が儲かるだけ。


 それが仏教である................................






498 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/07(土) 22:59:33 ID:pz6pDPNp]
仏教は人殺しや盗みに念仏である。
その人の罪はゆるされた。
人殺しや盗み、そのた諸々の罪を犯した人はゆるされて、
殺された家族や、盗まれた人は苦しむだけ。
坊主だけが儲かるシステム。



  それが仏教である.................................


499 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/07(土) 23:00:45 ID:iCRtwLbB]
>>497
お前も仏の意味を知らないだろうね?だから、仏と何回聞いても、馬の耳に念仏となるのである。
お前に仏教を教えるものがいなかったのだ、そうだろう?



500 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/07(土) 23:02:31 ID:m8Ivrc1X]
>華厳経
大乗ですね。

>イエスとブッダの共通点より、仏教を統一したほうがいい。
そもそも1つですから。   いろんな理由で捻じ曲がり 分裂しましたからね仏教は。

>仏教哲学のほうが、断然優れていると思う。
優れているもなにも 別物ですから。

>488
そのとおり。 だが釈迦は戯言を 多分言っていない。周りが勝手に捻じ曲げたんだろう。

>南無阿弥陀仏をなぜ唱えるのか
それは仏教というより キリスト教並みだろう。

>490
は まさに画に描いた餅だな。なんら答えになっていない。

>神についても仏の場合と同様である。
神と仏は 大乗では一緒くたにされているが 本質は全くの別物である。


>日蓮宗も浄土宗は反省修法と三宝帰依がないので仏教では無いですね。
それよりも仏教的に 大事なのは

仏に逢うては仏を殺せ。
祖に逢うては祖を殺せ。羅漢に逢うては羅漢を殺せ。父母に逢うては父母を殺せ。親眷に逢うては親眷殺せ。始めて解脱を得ん。
  ですね。

>497-498 は 
まさにキリスト教ですね。 つまり大乗仏教です。


501 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/07(土) 23:10:33 ID:iCRtwLbB]
ああ、日本人は仏教を知らない、仏教仏教といいながら!

502 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/07(土) 23:15:56 ID:OeLcDKyW]
そんなほのめかしは通用しないと思え。

503 名前:tibyaku [2009/02/07(土) 23:24:03 ID:krW4MGqx]

494>仏とは?法とは?僧とは?教えて頂けますでしょうか?

504 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/07(土) 23:32:50 ID:iCRtwLbB]
>>503
法がはじめである。法は常住している。仏はそのほうを体得したお方である。
僧はその法を修行する団体である。
法とは、無相のことである。無相であるが故に、空相とも、一相とも、無量とも
永遠とも、いえる。この方と一体になったものが仏であり、一体になる修行をする団体を
僧「サンガ」と言う。
 そこで、法が無相であるとはどう言う訳か判るか?

505 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/07(土) 23:33:19 ID:OeLcDKyW]
>天国として神という理法を、ニルバーナとして空諦の理法を説き、

神の何処が「理法」なんだか。 理法と言うならさっさと再臨して見せなさい。再臨するという妄想は 理法ではない。

506 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/07(土) 23:36:44 ID:yd6MDDdV]
念仏すれば浄土に行けるか?
さぁ?わかりませんなぁ。。
それが理解できるほど優れた人間じゃないからねぇ。。
地獄ってのがあるんなら、地獄行き確定な身の上だしね。

ただ先輩や祖父が、そんな非道な私でも「念仏したら救われるよ」って言ってるから、信じてみようと念仏しているだけですが、なにか?

507 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/07(土) 23:39:26 ID:iCRtwLbB]
>>505
神は、「唯一」というお方である。唯一なものを神と言うのである。唯一なものは無相であり、
空相であり、永遠である。これは理法としかいえないのである。この唯一なものを
仏教では仏と言うのである。



508 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/07(土) 23:40:58 ID:iCRtwLbB]
唯一な者は、時に縁があって、地上に現れるのである。釈迦が現れたように。
これの二回目が再臨である。

509 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/07(土) 23:43:00 ID:iCRtwLbB]
>>506
>そんな非道な私でも「念仏したら救われるよ」って言ってるから、信じてみようと念仏しているだけですが、なにか?

仏とは何か、仏を念じるとは何か、それを知っていないなら、馬の耳に念仏である。


510 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/07(土) 23:48:59 ID:yd6MDDdV]
私が教わったのは「浄土に行けると信じて『なむあみだぶつ』と唱えると救われます」ということだけですよ。
それ以外のことは何もないです。
仏とは何かなんてことは申し訳ないんですが、わかりません。
>>509

511 名前:神も仏も名無しさん mailto:age [2009/02/07(土) 23:49:22 ID:ELPSW1J3]
分かり易く言えば、お釈迦さまが仏(ブッダ)。
法(ダルマあるいはダンマ)は、一言では説明しがたい。
自分で図書館に行って調べるなり人に聞くなりパソコンでググるなりせよ。

512 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/07(土) 23:52:28 ID:iCRtwLbB]
>>510
それではその念仏は徒労である。

>>511
判りにくいと言ってはいけない。法とは一相無相空相無我であるから。

513 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/07(土) 23:54:46 ID:iCRtwLbB]
無相とは、いかなる変化も見出せない世界のことである。一相というのも
ひとつのそうしかないということは、そこにいかなる変化も見出せないということである。
空相無我も同じに考えるべし。

514 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/07(土) 23:58:07 ID:yd6MDDdV]
>>512
まぁ徒労かどうかはわからんけど、少なくとも私は救われると信じて「なむあみだぶつ」と言ってるだけですわな。

仮に騙されて、念仏して浄土に行けなかったり地獄に落ちたとしても後悔なんかはしないと思うけどね。

515 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/08(日) 00:00:21 ID:yqxsWlUn]
ググって調べたいときは以下のサイトは信用できると思う。根拠の聖典を出しているから。
space.geocities.jp/mindmanipulate/shinnyo-en-main.html

516 名前:神も仏も名無しさん mailto:age [2009/02/08(日) 00:02:53 ID:ELPSW1J3]
もともとはお釈迦さまだけが仏ということでスタートした仏教のはずが
いつのまにか大日如来やら阿弥陀仏やら様々な仏が時代が進むと共にドンドン増えてしまった。
大半はバラモン教からの影響だろうが、極めつけは
ゾロアスター教から派生した古代ローマの新興宗教ミトラス教の影響により
救世主神ミトラ(マイトレーヤ)の再臨という教義が入り込んだ。
いわゆる弥勒信仰である。
本来はユダヤ教のヤハウェ神に匹敵するような
仏教における唯一絶対の教主であるはずのお釈迦さまが時代の流れの中で
いつの間にやら脇役に成り下がってしまった。嘆かわしいことである。

517 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/08(日) 00:03:01 ID:yqxsWlUn]
>>514
訳もわからずに唱えていたのでは、それは呪文ではないか?
呪文ならまだ良いかもしれないが、キチガイのたわごとであろう。
何の意味がおまえ自身にあろうか?おまえ自身に無いなら、相手にどうして伝わろうか?



518 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/08(日) 00:07:24 ID:iCRtwLbB]
>>516
それは間違いである。
釈迦仏という個別の仏がおられるのではない。仏とは一相無相空相であるから
釈迦仏がお出ましにならなかったとしても、法は実在しているのである。

519 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/08(日) 00:12:48 ID:ODTpyn97]
>>517
意味。。意味ねぇ?
あんまり考えたことないけどなぁ。。
ホントに単に信じて念仏してるだけだからね。
強いて言うなら、信じてることに意味があるんかな?
繰り返すけど、祖父や先輩らが「救われると信じて、念仏すれば救われるよ」 と言ってるから、私も信じてるだけで、他の子細は無いからね。

520 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/08(日) 00:14:10 ID:yqxsWlUn]
気の遠くなる先に弥勒が来られるという教えは、方便である。これにより
人を期待させるためである。実際はそれは今なのである。時間空間は
一相なる仏の世界には無いのである。

521 名前:神も仏も名無しさん mailto:age [2009/02/08(日) 00:15:02 ID:mcTQcyYl]
念仏に限ったことじゃないけど
幸せになるために南無をしちゃいけないよ。
南無すること自体、祈ること自体がすでに幸せだと思わないとダメだよ。

522 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/08(日) 00:15:28 ID:yqxsWlUn]
>>519
それでは何を信じているのか言えるか?救われるとはどういうことか?

523 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/08(日) 00:18:08 ID:ODTpyn97]
>>522

524 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/08(日) 00:24:55 ID:ODTpyn97]
>>522
何を信じてるかって、「念仏したら救われる」ってことを信じてるですて。

「救われる」とは何かと言われてもねぇ。。
もし私が誰かを救うってんなら、これが救いだって言えるかもしれないよ?
でも救うのは私じゃなくて阿弥陀さんだからねぇ、
阿弥陀さんのしてくださることは、ホント申し訳ないけど愚か者の私にはわかりません

525 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/08(日) 00:27:05 ID:yqxsWlUn]
>>524
それじゃ、言葉だけじゃないか?
仏とは何か、を知らなければならない。

526 名前:神も仏も名無しさん mailto:age [2009/02/08(日) 00:28:48 ID:mcTQcyYl]
祈りは信じるためにあるのではない。
祈りは単なる手段であり道具であり法則である。
例えるならば、自転車のようなものである。
自転車を信じようが信じまいが、
部品を設計図通りに組み立てれば出来上がるし
乗り方を覚えてしまえば乗りこなせる。
すべての祈りや儀式は単なる手段であり道具であり法則である。
信じようが信じまいが、きちんと組み立てて乗れば乗れるし使えば使えるものだ。
人生は短い。疑ってる暇があるなら、それを乗りこなしなさい。

527 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/08(日) 00:32:07 ID:yqxsWlUn]
>>526
>疑ってる暇があるなら

524は疑ってもいない。



528 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/08(日) 00:35:10 ID:OZsMXrdS]
わたしも部外者だから、普遍的なことを言いますが
信じた者にしか見えない再臨は信じた者同士で言っていればいい。 他人に信じさせようとする時点で説明義務があるし
説明できないなら 来る来ると言うなという事。
まあそう言うことで 自分を慰めたいのだろうが。 自慰は独りで行うのは人としてのマナーだろう。それくらいは理解すべき。

釈迦は真理を説き イエスは妄想を説く。

529 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/08(日) 00:35:32 ID:ODTpyn97]
>>525
うーん。。言葉だけじゃないかと言われれば、返す言葉は無いよなぁ。。確かにただ信じて「なむあみだぶつ」って言ってるだけだし。。
でも仏を知らなければならないって言われたって、愚鈍な私には難しい勉強だの修行だのはとても出来ないしねぇ。。
仕事して生活しなきゃならないし、マジで愚か者だから理解しきれるとも思えないしね。。

530 名前:神も仏も名無しさん mailto:age [2009/02/08(日) 00:36:16 ID:mcTQcyYl]
念仏したら救われる、ということを本当に信じて安心の境地にいる人ならば
たぶん、そういう人はすでに念仏によって救われているのだろう。
まぁ、なんであれ、信教の自由は憲法で保障されているから、他人が口を出すべき話ではないわけだが。

531 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/08(日) 00:38:50 ID:yqxsWlUn]
>>529
お前は人に聞くということが無いね。多聞というのは大事な修行だ。
多聞であればあるほど、良い。サンガの効果である。

532 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/08(日) 00:39:42 ID:ODTpyn97]
>>530
えーと、うん。。
なんか、ありがとう?で良いのかな?w

533 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/08(日) 00:48:50 ID:ODTpyn97]
>>531
多聞って修行かぁ。。
なんか修行したり戒律を守ったりとか、愚か者の私にはとても全うできそうもないんですが。。。

534 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/08(日) 00:58:14 ID:+OjeyTGi]
>仏教における唯一絶対の教主であるはずのお釈迦さまが時代の流れの中で いつの間にやら脇役に成り下がってしまった。

半分正解。
仏教の本質は 後に歪められ乗っ取られた。 しかし釈迦はイエスのような絶対存在ではない。
真理のガイド役に過ぎない。    もちろんイエスは似非の絶対神だが。


535 名前:tibyaku [2009/02/08(日) 00:58:25 ID:6KHdq3oe]
513>まで教えて頂きましてありがとうございます。
法とは一相無相空相無我であるということでしたが私見の解説をしたいと思います。

法とはこの世の宇宙ができる前にありあの世の宇宙のできる前にあり、故に法は初めに
   あります。

一相とは法によりあの世の宇宙を創り、この世の宇宙を創った。

無相とは法は姿形なきものにて永遠にして初まりなき終わりなき普遍の真実である。

空相とは法によって法則がこの世とあの世を貫ぬいて縁起によって生かされています。
     縁起を見るものは法を見るからであります。

無我とは法によってこの世とあの世が法則の中に循環して森羅万象の永遠の魂の修行の場として
      与えられています。(例えば水が冷やされ氷になり、氷が暖められて水となり太陽
      の熱で水蒸気になり、空が曇って水蒸気が雨になって水に戻り循環しています。
      そこに俺が俺がの我はありません。)

間違ったところがあれば御指摘御指導お願いいたします。

536 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/02/08(日) 01:07:48 ID:Lt15w1o/]
イエスは伝えるものを選ぶんだよね
無明の人間には真実は誤解しか生まない
受け取る側が成長するしかない

537 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/08(日) 10:43:14 ID:yqxsWlUn]
>>533
>修行したり戒律を守ったりとか、愚か者の私

正法を誹謗するものと五逆罪を犯すものは浄土に入れない。
正法とは、真実である無相一相空相を認めることである。
この真実の前には、愚か者も、賢者もいない。自分は賢者であるというもの、
自分は愚か者であると自認するもの、これらのものは、正法に敵対するものである。
正法に敵対するものが正法に受け入れられるという道理は無い。



538 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/08(日) 11:19:34 ID:yqxsWlUn]
>>535
唯一なものは神と命名されるものであり、仏と命名されれるものである。
唯一なものは、無相である。唯一なものは一相である。唯一なものは空相である。
唯一も無相も一相も空相も、同じものを指すのであり、表現が異なっているからといって、
その指し示す対象が異なっているのではない。
 縁起とは、変化する現象が原因結果の法則に支配されていることを言うものである。
この変化は、人の変化する心の一切を言う。そして原因がった生じたもの、このようなものは
真実としてあるものではない。真実にあるものは変化しないからである。真実は原因結果の法則に支配されていない。
これゆえに、真実は一相であり、無相であり、空相であるというのである。
 無我とは、変化しているものには本体:実体:命が無いという意味である。
原因となっているものの本体:実体:命は無く、結果となっているものにも、
本体:実体:命は無いのである。

539 名前:神も仏も名無しさん mailto:age [2009/02/08(日) 12:21:03 ID:difBwEOT]
>唯一なものは、無相である。唯一なものは一相である。唯一なものは空相である。
>唯一も無相も一相も空相も、同じものを指すのであり、表現が異なっているからといって、
>その指し示す対象が異なっているのではない。

それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

宮沢賢治 春と修羅・序
why.kenji.ne.jp/haruto/100jo.html

540 名前:神も仏も名無しさん mailto:age [2009/02/08(日) 12:27:29 ID:difBwEOT]
「この世に唯一の安定は、無常なり」
entre.exblog.jp/7819029/

西水恵美子さんのコラムが電気新聞2009年1月15日付に掲載されていた。
ブータンの雷龍王5世の戴冠の話だったが、その父4世と12年前に謁見したときの言葉として「この世に唯一の安定は、無常なり」というものが紹介されていた。

これを読んで、久しぶりに「「すべてのものは変わっていく」ということが、唯一、この世の中で変わらないこと」というエントリーを思い出した。
シリコンバレーは今日も快晴。広くて青い空は、沈んだ気持ちやちょっとしたストレスをすべて昇華してくれるようだ。そんな空を見て思う。
世の中で、決して変わらないことが一つあると思う。この世の中では、ほとんどすべてのことが変化する。人の気持ちはその最たるものだろう。
そして、この地球の自転速度でさえ、インドネシア沖の津波をもたらした地震によって、少し変化しているという。

それでも、この世の中に変わらないものがあると思う。それは、「物事は常に変化する」ということである。
「すべてのものは変わっていく」ということが、唯一、この世の中で変わらないことであるような気がする。青い空の下、そんなことを感じながら、私は車を走らせていた。
当時、結構反応があったエントリーだが、こんなことを綴っていた日が懐かしい

541 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/08(日) 13:31:05 ID:yqxsWlUn]
一切皆苦、諸行無常、諸法無我、これらの意味は、一切が縁起現象であるので、
右と左に変化しているものには実体が無い幻であるから、それらを取り押さえようとするなら、直ちに苦しみを身に
引き込むことになる、というものである。幻をつかむことはできないのに、
捕まえようとしているからである。
 そこで変化しているものを変化していないものとみなして対することが正しいことになる。
固定的(執着心から来る観念)なものを生じさせない行為が、正しい行為である。

542 名前:tibyaku [2009/02/08(日) 13:39:59 ID:DZePpt4y]

法とは
例えですけれど水は氷になっても雪になっても雨になっても水蒸気になっても
姿(働き)はかわれど唯一水の本質は変わらない。ということですね。
ありがとうございました。


543 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. [2009/02/08(日) 14:09:59 ID:36lgf3V0]
■貪欲と憎しみによりこの世は消滅する

「わたしのさとったこの真理は深遠で、見がたく、難解であり、しずまり、絶妙であり、思考の域を超え、微
妙であり、賢者のみよく知るところである
ところがこの世の人々は執著のこだわりを楽しみ
すべての形成作用のしずまること、すべての執著を捨てること、妄執の消滅、貪欲を離れること、止滅、やす
らぎ(ニルヴァーナ)というこの道理もまた見がたい。だからわたしが理法(教え)を説いたとしても、もし
も他の人々がわたしのいうことを理解してくれなければ、わたしには疲労が残るだけだ
貪りと憎しみにとりつかれた人々が、この真理をさとることは容易ではない。この世の流れに逆らい、微妙で
あり、深遠で見がたく、微細であるから、欲を貪り闇黒に覆われた人々は見ることができないのだ」
「ああ、この世は滅びる。ああ、この世は消滅する」(悪魔との対話)

 ※絶対的な境地(不死の永遠)は在る=つくられざる存在(唯一の神)=つくられなかったら信仰あり
「軽安」「長寿」たとえば病の人が欲を貪らず静かに安静にして病を治そうとするように、悪い者であっても、
多少は現象として現れる。

■あなたがたはこのままで神の信仰があると思っているが、神への信仰はからし種一粒ほどの信仰も無い
「断食をしていることが人に知れないで、隠れた所においでになるあなたの父に知られるためである〜報いて
下さるだろう」(マタイ)
 信仰の対象(偶像)を抱いて神を信じた人々よ、それは誤っている。人里離れた静かな所でわずかな食物
 で暮らし、私のように不死の境地に達しなさい(イエス・釈尊)

□ひとを下界(=欲界)に結びつける五つの束縛
 「欲貪・瞋恚・有身見(われ・わがもの)とかいう観念を離れぬ我執・誤った戒律や禁制を正しい修養方法
 であるとして執著すること・疑い」
 「在俗信者であるスダッタは、三つの束縛を滅ぼしつくしたから、欲情と怒りと迷いとが漸次となるが故に、
 〜一度だけこの欲界の生存に還って来て、苦しみを滅ぼしつくすであろう」(ブッダ最後の旅)



544 名前:名無し [2009/02/08(日) 14:10:14 ID:xEq9KBRs]
542氏へ,あなたは、有見に着してます。
 眼の前に水があったとしても,縁次第でどんどん変化します。
 変わるのが本質なのです、見ただけで水と判断したのはあなたの心です。
 一定の決まりきった相はないのです。
 雨、霧,湯、雲、条件次第で名称がどんどん変化します。
ここで応用問題、夫45歳、妻44歳、息子18歳、娘14歳の家族構成の一家が
有ったとして、多分日本中にありふれた家族構成です。
この夫が、勤め先の会社の部下と肉体関係を結ぶように成った。
この場合、夫から見て部下は、愛人と呼ぶべき存在になります。
妻からは、何と呼ぶべきでしょうか?
息子、娘からは、何と呼ばれるべきでしょうか?
このまま行きますと子供たちの将来にも差し支えそうに成ってきた所です。
一人の若い女が、同一家族、四人からそれぞれ違う名称と心理状態で呼ばれる
わけです。
此れを空と呼ぶべきとは、大変な皮肉でしょうが、此れを解決できたら立派な
宗教でしょう。
此れをしないで物を言ってるのが空理空論と言うのです。

545 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. [2009/02/08(日) 14:11:28 ID:36lgf3V0]
□下界
 「貪欲のために、甘言をもってあなたがたをあざむき、利をむさぼるであろう〜神は、罪を犯した御使たち
 を許しておかないで、彼らを下界におとしいれ、さばきの時まで暗やみの穴に閉じ込めておかれた」
 (ペテロの第二の手紙)

□過ぎ去る有様を自分と思わない
 「世の中は泡沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ〜この身は泡沫のごとしと見よ。この身
 はかげろうのごとしと見よ」(感興のことば)
 「何となれば、その愚者のその考えは虚妄なのである。過ぎ去るものは虚妄なるものであるから」(ブッダ)
 「今からは妻のある者はないもののように、泣く者は泣かないもののように、世を交渉のある者は、それに
 深入りしないようにすべきである。なぜなら、この世の有様は過ぎ去るからである」(コリント人への)
 「あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧に過ぎない」(ヤコブの手紙)

□一切の苦悩の無いことを喜ぶ境地
 「上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし〜この世では、この状態を崇高な境
 地と呼ぶ。諸々の邪まな見解にとらわれず〜諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、決して再び母胎に宿る
 ことがないであろう」(ブッダのことば)
 「いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。あなたがたの父なる神が慈悲深いよ
 うに、あなたがたも慈悲深い者となれ」(ルカ)

 神を信じた者よ、そのままで神を信じれると思うな。あなたがたは権威や栄華を貪る欲念を抱かせた悪魔
 の子なのだ。だから、人は栄華を得ようとあくせくし、快楽・享楽・物質的な喜びを得ようとする。そし
 て死んだら終わりの者と同一となろう。信じた者は、貪欲や憎しみ・怒りを捨てることに努め、一切の事
 物は我ならざるものと思うことに努め、目の前の人が飢えているのに助けないような邪まな見解を捨て、
 それを行っても私は善人だと思い上がらないようにせよ。
 誤った信仰を正すために主となったが、私を「主よ、主よ」と言う者が、皆天国に入るというわけではな
 い(イエス)

546 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. [2009/02/08(日) 14:13:03 ID:36lgf3V0]
人がそのままで神を信じたら悪魔信仰となってしまう。イエスは神がわかるような教えを残し、教え主とな
り信じさせ、「主よ、主よ」と言うなという言葉とともに、名称と形態(偶像)を滅ぼすように信仰させた。
誤った信仰の行いを正すためであった。

□世の終極・世の終わり
 「意識もそなえ心もあるこの一尋の身体に即して〜世界の終極に達しないで、苦しみから離脱することはあ
 り得ない。それ故に、世界を知れる人、聡明な人、清らかな行いを修めた人は、世界の終極に至る人となる
 であろう」(神々との対話)
 「その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起こるからである。
 もしもその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう」(マタイ)
 
 「思考の及ばない静かな境地は、苦しみのことがらの止滅であり〜そこには、すでに有ったものが存在せず、
 虚空も無く、識別作用も無く、太陽も存在せず、月も存在しないところのその境地を、わたくしはよく知っ
 ている〜そこでは月も照らさず、太陽も輝かない」(感興のことば)
 「その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は
 揺り動かされるであろう」(マタイ)

 信じていても、権威や栄華の拡大、貪り、物質的な喜び、快楽、享楽、敵意や憎しみ、怒り、無慈悲な人々
 は滅ぼされ、この世の有様は過ぎ去るとして、世の中と身体は泡沫のごとしと見よ、世の中と身体は陽炎の
 ごとしと見よ、一切が苦悩なき事を喜びとする境地であるから、目の前の人が飢えていた時に助け、宿の無
 い人に宿を貸したり、貧窮なる人に施し与え、乞う人に施し与えたりしている人々、悪魔に造り出されない
 ように努めている人々は、つくられない存在となるであろう。

 信じたら信仰(偶像礼拝)など無い。そのようになるよう努めなさいということだ。そういったことを信じ
 られるのが信仰。

547 名前:tibyaku [2009/02/08(日) 14:39:16 ID:DZePpt4y]
544>投稿を見られる方々はいろんな認識をお持ちです。
相手の見方を考えてこの世にある誰でも解る「水」を用いたまでであります。
有見にして見なければ多くの人は解らないままです。
故に手段として使用したまでです。
変わるのが本質は自己変革して魂の向上をはかることは良いことですが、
法は変わることを本質としていません。
また皆様に御理解しやすい最大公約数として「有見」を使わせていただきます。
宝石の王様は、ダイアモンドです。宝石ですから幾重にもカットが入ってダイヤモンドの魅力が引き出せています。
ダイヤモンドのカットは次々かわりますが、カットが変わることを持ってダイヤモンドの本質というでしょうか?
ダイヤモンドの本質はタンクローリに踏まれても変形しない硬さと、限りなき透明感が
ダイヤモンドの本質ではないでしょうか。




548 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/08(日) 16:31:28 ID:yqxsWlUn]
諸法無我と実相としての無相との関係について知っておかなければならない。
諸法とは、一切の現象を指す。この一切の現象とは、自分の心の範囲である。
自分の心の範囲を、五蘊という。色受想行識である。色の一切、受の一切、想の一切
、行の一切、識の一切が無我なのである。人はこれらの一切を決して実体があると思ってはならない。
これらに命があると思ってはならない。命とは、自ら行動するもののことである。
この誤解の命を自分と誤認すると激しい煩悩の激流に流されることになるのだ。
故に一切を自分であると誤認してはならないのである。
 それでは自分とは何であり、どこにあるのであるか?変化するものに騙されない自分が
自分である。変化するものに騙されない自分とは、五蘊を自分としない自分である。
それは変化しないものである。変化しないものは、真実であり、真実は無相一相空相
である。これが人の真実である。故に、人は、真実には、仏であり、神なのである。

549 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/02/08(日) 16:33:30 ID:pDZbifD4]
拈華微笑

550 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/08(日) 16:42:08 ID:yqxsWlUn]
仏であるとか、神であるとかの名称は無意味である。無相一相空相、と言う
変化しないものと言う理解が大事である。
 そこで、この変化しない自分があり、一方変化を追い求める自分があるので、
苦しみが生じるのである。自己が分裂するのである。この真実の変化しない自分が
もともと無いものなら、変化するものを自分として、流転しても、何の障害も無いのである。
流転といったが、これは輪廻と言う。輪廻とは縁起の法則の支配下にあるものである。
輪廻も永遠に存続するものであることを知らなければならない。真実の自分を放棄して
変化してやまないものを自分と誤認している限り、永遠に輪廻の世界から脱することができない。
輪廻の世界のことを地獄と言うのである。故に真実の自分に留まらない限り
地獄から抜け出すことはできないのである。

551 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/02/08(日) 19:14:28 ID:pDZbifD4]
という観念論から抜け出せてないようではだめですよ
感情論の裏にあるそのしこりから抜け出せてない

552 名前:NAS6 ◆kl1JWE6W72 [2009/02/08(日) 19:52:17 ID:oiM2Y/Qi]
無いは無い
Nothing is nothing.

お分かりですか?

553 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/08(日) 19:55:35 ID:yqxsWlUn]
>>551-552
ほのめかしは通用しません。

554 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/08(日) 19:58:51 ID:yqxsWlUn]
判った?

555 名前:NAS6 ◆kl1JWE6W72 [2009/02/08(日) 19:59:24 ID:oiM2Y/Qi]
だから分かりますよね?
不変、普遍のものは
Nothing is nothing.

何か在るから認識できるのですよ

556 名前:NAS6 ◆kl1JWE6W72 [2009/02/08(日) 20:13:01 ID:oiM2Y/Qi]
Nothing is nothing.
無いは無い
仮に無いが在るとして
無いは無いんだろ


557 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/08(日) 20:49:55 ID:yqxsWlUn]
>>555
普遍なものはある。しかし、そこには認識できる個々のものは無い。
このことを諸法無我と言うのだ。そして進んで、一相無相空相という。
これが普遍なものの実体である。

>>556
>仮に無いが在るとして、無いは無いんだろ

個々のものは縁起している。しかし、知性の目で見ると、縁起してるものは実態が無い、故に
そこには何も無い。が、何も無いものがある、つまり一相であり無相であり空相である。
 何が無いのか、どのような要素のものが無いのか、それをはっきり言うべきである。ほのめかしは
得にならない。




558 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/08(日) 21:05:48 ID:yqxsWlUn]
真実にあるものは無相一相空相で無ければならないのだから。
何も認識できないものこそあるものと判断しなければならない。

559 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/08(日) 21:09:05 ID:63B9Ba3F]
という講釈師の説法会です in2ちゃん。 

560 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/09(月) 20:58:15 ID:peTPTSdx]
故に、認識されるもの(認識できるもの)を大胆に捨てることができる。
こうして一つ一つ捨てることにより、そのつど、ニルバーナに近づくことを感じるのである。
つまり真実の喜びを感じることができるのである。真実の喜びであって、相対的に感じる
この世間の喜びではないものを、である。

561 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/09(月) 21:30:08 ID:33y4WPXx]
結局、信じるより捨て去ろうとすることが神なんだろうね。
捨て去りきれないところに罪があると。




562 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/09(月) 22:11:50 ID:peTPTSdx]
理解していることと信じていることとは別ではない。

563 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/09(月) 22:13:04 ID:peTPTSdx]
理解の無い信仰は、狂信でありカルトである。

564 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/10(火) 01:25:33 ID:PIMtwFse]
釈迦は理解を勧めたが          イエスは妄想を勧めた。

565 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/10(火) 08:08:47 ID:4Xul0ieT]
>>564
お前は隠れ日蓮大商人である。


566 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/10(火) 23:15:52 ID:HFCcvE2N]
イエスや日蓮らの妄想は       仏教では到涅槃に役立たないので排斥されます。

567 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/10(火) 23:31:56 ID:4Xul0ieT]
>>566
お前は態度だけは偉そうなんだよ。



568 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/10(火) 23:48:38 ID:HFCcvE2N]
↑ 教えてあげているのだから    そういう言い方は駄目だな虚無くん。

せいぜいイエスのイエスマンとして一生を終えなさい。

569 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/10(火) 23:56:00 ID:4Xul0ieT]
それにしてもお前は説明と言うものを知らないのか?

570 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/11(水) 00:20:43 ID:l7kUZOPA]
求めれば与えられるのか。    はじめてきいたなそれが真理だなどとは。

571 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/11(水) 08:51:29 ID:ZcCbw3V+]
>>570
お前何にも判ってないんじゃない。
それなのに偉そうにする事だけは堂に入っている。偉そうに嘘つくことを
今まで修行してきたんだな。

572 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/11(水) 08:53:58 ID:ZcCbw3V+]
>>570
あなた様は思われるとおり歩み行かれるのがよろしかろうと思います。

573 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/11(水) 10:00:20 ID:ZcCbw3V+]
>>570
>求めれば与えられるのか。
これが真理であると誰がどこで言ったというのだろう?
妄想の世界にいるひとのいうことはてんでわからないなwww.
ま、こんなものはほっとけか(苦笑)。

574 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/11(水) 22:10:44 ID:9tef7gOB]
3連チャンで無駄遣いすんな。 節約が大事だぞ。

575 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/11(水) 22:18:44 ID:ZcCbw3V+]
そうですね。あらゆることに慎み深くあれと聖人の教えだしね。

576 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/11(水) 22:48:46 ID:9tef7gOB]
その   言い成りになりたい症候群がまさに失点だな。

577 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/02/11(水) 23:32:16 ID:5Wb2UF/y]
要するに人間は何かを思い実行する度に自分なり相手なりに借金を作ってしまうから
何にも頓着しない事で借金を作らない生活をして
ついでに他の人間の借金まで虚空の彼方に消し去る徳政令の実現を目指しましょうねミ★
(借金を帳消しにして貰うには双方=全人類の合意が必要)
って言うのが教えなんでしょ
宗教に勧誘する人はさしずめ借金返済を迫る借金取りって所かな



578 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/12(木) 23:04:24 ID:8e864QY1]
そろそろニルバーナ、天国の様子について、知るときではないでしょうか?
どんな世界でしょうか?

579 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/13(金) 00:30:25 ID:4Imj3y/1]
578のどちらも体験済み。     別物ですけどね。

580 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/13(金) 19:14:23 ID:Abt3CM6E]
それを紹介してもらえますか?

581 名前:神も仏も名無しさん mailto:age [2009/02/13(金) 20:35:16 ID:sQIAu5A6]
曹洞宗 統一スレッド
gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1234456132/l50

1 :神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 01:28:52 ID:g8LX0+JX
無いようなので独断で立ててみました。既出でしたらすみませんm(__)m

本尊 曹洞宗はお釈迦(しゃか)さまをご本尊として仰ぎます。

本尊唱名 南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)

教義 わたしたちはみな仏(ほとけ)の子(みこ)であり、生まれながらに仏心を具(そな)えています。
しかしそれに気づかずに我がまま勝手の生活をして苦しみや悩みのもとをつくっています。
ひとたび仏さまに懺悔(さんげ)し帰依(きえ)するならば、
心が落ち着いておのずから生活が調えられて明るくなり社会のお役に立つことを喜び、
又 どんな苦難にも耐えて生き抜こうとする信念が生まれます。
そこに生きがいと幸福とを発見するのが曹洞宗の教えであります。

参考:曹洞宗 公式サイト − 曹洞禅ネット www.sotozen-net.or.jp/

582 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/13(金) 20:36:03 ID:8j5PhyKx]
寂静と希求の違いですね。

583 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/13(金) 23:24:59 ID:Abt3CM6E]
>>582
もっと詳しく。

584 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/14(土) 03:35:07 ID:1Yu3U+Q4]
jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/4145/1210417061/

に全部書いて有りますよ。 質問も受け付けています。

585 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. [2009/02/14(土) 08:46:54 ID:pTWCzhIK]
□寂しい所と安らぎ
 「さあ、あなたがたは、人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休むがよい」(マルコ)
 「イエスは寂しい所へ出て行かれたが、群衆が捜しまわって、みもとに集まり、自分たちから離れて行かれ
 ないようにと、引き止めた」(ルカ)
 「孤独の味、心の安らいの味をあじわったならば、熱のような悩みも無く、罪過も無くなる」(感興のこと
 ば)
 〔そして、「やすかれ」と言われた〕(ルカ)
 「安らぎは虚妄ならざるものである。諸々の聖者はそれを真理であると知る」(ブッダのことば)

□欲を満たすことの誇り
 「肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである。世と世の欲とは過
 ぎ去る」(ヨハネの第一の手紙)
 〔「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のもの
 ではない〜どうして財が自分のものであろうか。もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者
 である」(真理のことば)

□願い求める者には欲念がある
 「祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな〜その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるな
 ら、そのとおりに成るであろう〜なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい」
 (マルコ)


586 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. [2009/02/14(土) 08:53:01 ID:pTWCzhIK]

 「ねがい求める者には欲念がある」(ブッダのことば)
 「諸君、怖れることはない、怖れることはない。われわれに安心を授けられる偉大な志を持つ求法者アヴァ
 ローキテーシュヴァラを、われわれは声を揃えて一緒に呼ぼう。そうすれば、諸君はたちどころに盗賊や敵
 どもの恐怖から免れることができよう」(正しい教えの白蓮)

□平安
 「あなたがたは、求めないから得られないのだ。求めても与えられないのは、快楽のために使おうとして、
 悪い求め方をするからだ。不貞のやからよ。世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないか。
 〜神は、わたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほど愛しておられる」(ヤコブの手紙)
 「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。あなたがたの寛容を、み
 んなの人に示しなさい〜何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈りと願いとをささ
 げ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることので
 きない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう」(ピリピ人)

□自分の持っているもので満足しなさい
 「金銭を愛することをしないで、自分の持っているもので満足しなさい」(ヘルブ人への手紙)
 「自分の所得だけで満足する者となろう」(正しい教えの白蓮)

 悩みや恐れ、不安があって信仰する人は、いつまでもくどくどと祈ること無く、既に叶えられた信じきっ
 て煩悩を断つこと。そういった教えの知識を求め、見いだすこと。

587 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. [2009/02/14(土) 08:54:03 ID:pTWCzhIK]
つくられざる存在、つくられざる者、地上のものに心引かれず、欲も無いところに安住できず、罪を犯し、神
は見捨て、「権威と栄華を貪る」悪しき者、妄執の配下とした。だから、人は欲念のためにあくせく働き、物
欲や享楽・快楽などを享受し暮らす。そして死に土に帰る。
財や持ち物のこと、自分を愛し神を信じるなら、悪しき者を信じることになり、人はそのままでよいのだ。
神は物欲やその他諸々の欲のある人を見捨てられたのだから、ただ信じて救われることはない。
悪の無い者から敵意や怒り、憎しみある人に造られ、物欲ある人々、世間にはそのような人も存在する。
善悪のはからいも無く、良い者も正しい者も悪い者も正しくない者も、別に差別無く暮らしている。

おいしいものを食べ、快楽・享楽を満たし、人は清浄とか善人だと間違っても思わないように、
信じること無く、寂しい所で心の安らいを味わって癒されるか、悩みや恐れ、不安があり信仰をし、そのため
の願いは既に叶えられたと強く信じて煩悩を断ち切り、つくられざる者の喜びを得る多くの人々への救いとが
ある。

全世界は物欲や財欲、享楽や快楽を貪る悪しき者・妄執の配下にあるので、信じた者がつくられざる存在、つ
くられざる者に近づくように宗教がある。

世のこと、生活のこころづかいから離れ、静かに瞑想して心の安らいを味わったなら、妄執から離れつくられ
ざる者に近づくこともできるし、信仰を戒めとして、世のこと、貪欲から離れようとすることも悪しき者の配
下から逃れ命を得ることができる。





588 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/14(土) 22:35:13 ID:iTydq/Mf]
>>584
お前のサイトを読んでみた。
やはり、大事な点をお前は理解していない。仏教のありがたい真理真実の
開示を判ってない。お前の相手のものもわかってないんで、議論が泥だらけになっている。

八正道に言う「正」とは何かを説明できないところに、仏教の教えの本質を理解していない証拠が現れている。
明日よく説明してやろう。人から説明されるのが面白くないなら、今晩ここに
よく考えて、答えてみよ。私が今まで言ってきたことにかなりのヒントがあるから、
答えられるかもしれないが。そんなことを言うとますますストレスになるかも、それではいけないんだが。

589 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/14(土) 22:39:37 ID:iTydq/Mf]
神とは何か、仏とは何か、それがわからないままに、神であるとか仏であるとか、
言っている。こんな初歩的な間違いをしてはいけない。それから、唯一とか一相とかの理解もまったく
不十分だ。やっぱ、仏教は未だ日本に伝わっていないのではないかな。

590 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/15(日) 00:05:56 ID:LwS8VkxU]
だから具体性が無いんだよ    しゃべれないなら書くなよな

てかサイトを作れるなら作りなさい。

591 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/15(日) 13:36:07 ID:xXe3tuim]
因果の実体が無いというのが仏の知恵である。
因果があるとは、因なるものがあり、果なるものがあると言う認識である。
それによれば、例えば、自分は過去にあのような悪いことをしたから、現在このような目にあっている。
これは仕方が無いことで自業自得である。この悪い果から逃げるためには、これと異なる
原因を作り、善い果を得る様にしよう、とこのように考えるようになる。
そして、これこそ釈迦がわれわれにお説きくださった縁起の法則である。
しかし善い事とは何かわからない。お金をばら撒くことである。といわれても
自分の生活が成り立たないと思われる。こんな具合で、少しも方策がたたない。
ものは縁起であるから実体が無い、と聞いている。実体が無いから執着してはいけないといわれている。
こんな理解知識であるので、少しも仏教の利益が無いのが実情である。
これが今の日本人の仏教の理解である。この程度なんである。
 仏の知恵が因果の実体はないというのはどこに行ったのであるか?
一切は因果であるから、一切の因果には実体が無い、という真理真実はどこに行ったのであろうか?
 仏の知恵に従うなら次のようにしなければならない。心に起こる過去未来現在の思いは
すべて因果の法則によっているものである。故に、心の起こることはすべて実体が無い、嘘である。
従って、この心を滅しよう、この心に従うのを止めよう、と考えねばならない。これを続けると、
自然と、嘘に引きずられていない自分を見るようになる。これが解脱である。
非常に簡単なことなのである。
 例せば、自分にがんが発祥していると言うときは、その自分にがんが発祥しているという重いそのものが、
縁起の法則により生じているものであるから、それは実体の無い思いであるとして、その思い自体を
滅するのである。 
 このように考えるよう教えるのが、仏の知恵である、因果には実体がないと言う教えなのである。

592 名前:tibyaku [2009/02/15(日) 14:04:02 ID:/nOKkJ27]

因縁果報は心の想念体に経験として遺されております。
この世とあの世を輪廻転生し永遠の生命として因縁果報の法則は貫かれています。

愛の思いは善の行いになり良き因縁果報の流れをつくります。

お金をばらまくばかりが善ではありません。顔施(笑顔で施す)、無畏施(悩み、苦しみ、恐怖を取り除いて施す)、

財施(余力の財を施す)、法施(法の説いて道を求めている者の悩みを解いて施す)などがあります。

593 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/15(日) 14:22:18 ID:xXe3tuim]
一切は因果である。故に一切は無実体である。これを真実は無相であるというのは、
更なる発展した真理真実であろうか?単に言い換えただけではないだろうか?
次に、無相であるとは、一相ということであるというのも、更なる真理真実に発展したもの
だろうか?単に言い換えただけではないだろうか?次に因に、さらに、因も拘らず果にも拘らないというのは
更なる発展した真理真実であろうか?単に、因果には実体がないという真理真実に従う表明に他ならないのではないだろうか?
また実体が無いのを空性というのも、言い方を変えたに過ぎないというべきだろうね?



594 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/15(日) 14:35:27 ID:xXe3tuim]
八正道とは真理真実にかなう道と言う意味であります。
真理真実に適っている見方を正見、つまり、正しい見方と言うのである。
以下の項目についても同様に、真理真実に適った見方を正見、真理真実に適った思考を正思惟、
真理真実に適った表現を正語、真理真実に適った習慣を正業、真理真実に適った生活を正命、
真理真実に適った努力を正精進、真理真実に適った希望を正念および真理真実に適った安定を正定
というのである。
 因果の実体はないという真理真実に適う方法が正しいといわれるのである。


595 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/15(日) 14:42:26 ID:xXe3tuim]
因果の実体がないというのを正法というのである。
この正法を人に教えること、これを法布施と言うのであるが、これ以上の布施は無いのである。
この正法により安息を得ないものは居ない。病気もしも老いることも生じることも、一切の
苦しみを滅する教えだからである。
 

596 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/15(日) 21:56:29 ID:xXe3tuim]
>>592
>因縁果報は心の想念体に経験として遺されております。
この世とあの世を輪廻転生し永遠の生命として因縁果報の法則は貫かれています。

>愛の思いは善の行いになり良き因縁果報の流れをつくります。

愛の思いというのが曲者です。愛の思いと言うのは、相手があって生じるもので、つまりこれを
因果と言うのですが、別に縁起とも言いますね、このように相対的なものは、真実にあるものではないのです。
従って、愛の思いが生じたら、それをこれは嘘であると断定して、その思いを滅するようにしなければなりません。
それをこれは良いものであると判断し、それに戸主対馬スト、それが、原因となって結果を生むことになります。
原因が虚妄なものですから、結果も虚妄なものなのです。そしてこれが実体あるものと、はじめに
愛の思いは善いものと断定した人のものとなり増す。しかし、愛には実体が無いのですから、
決して愛と獲得することはできないのです。このために悩み苦しむ結果になります。
 そのようなものではなく、真理真実に基づいて行為することを訓練すべきです。愛の実体が無いのに
実体があると妄想し、それを他者に与えるという行為は、正しく無く迷惑なものなんです。それは相手に負担を課すもの
ものである事を知るべきです。しかし真理真実に従って、愛を実体あるものと妄想しないで、そのようなもの
を与えないなら、あなたと他者は真理真実の関係にある異なるのです。
つまり、一体の関係です。これこそ望むべき関係です。八正道に言う
正思惟および正念と言うものがこれに当たります。

597 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/15(日) 22:00:18 ID:xXe3tuim]
>>596訂正
それに戸主対馬スト→それに固執しますと



598 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/15(日) 22:08:42 ID:xXe3tuim]
キリスト教の神が唯一であるとするなら、彼らの神が霊であるなら、それは真理と解釈しなければならない。
その真理は、真実である神を理解させるもので無ければならない。であるなら、その真理は必ずしも
言葉である必要は無い。
 またキリスト教の愛は、一般に言う愛と解釈してはならない。それは
真理真実つまり神の中での一体を得させるもので無ければならない。つまり
無償の愛である。見返りを求めない行為である。つまり因果関係を形成しないもので無ければならない。

599 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/15(日) 22:17:49 ID:MJGk5ItR]
長いな。

600 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/15(日) 23:19:26 ID:Jn8cBkRV]
592さんは gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1210349648/685-686 にて論破
されてますね。
さて
>真理真実に適っている見方を正見、つまり、正しい見方と言うのである。
説明になっていない。
>因果の実体がないというのを正法というのである。
実体が無い因が縁を伴って果を生む。 その法則を正法という。

>キリスト教の神が唯一であるとするなら、彼らの神が霊であるなら、それは真理と解釈しなければならない。
真理とはありのままの法であり 唯一か霊であるかとは 何の関係も無い。なぜなら唯一の偽りも在り
霊であるかどうかも あるがままであるかどうかとは関連させ論ずることが出来ないのです。

分かりましたか。


601 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/15(日) 23:29:05 ID:xXe3tuim]
>>600
自己中なことを勝手に言ってるだけで反論になっていないねw。
もう少し真面目に質問したらどうw?

602 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/15(日) 23:36:42 ID:Iyf6s4mo]
そういうのがまさに外道だな。

603 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/15(日) 23:47:01 ID:xXe3tuim]
>>602
自己中なことを勝手に言ってるだけで反論になっていないねw。
もう少し真面目に質問したらどうw?


604 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/16(月) 21:53:03 ID:GNsMOBm3]
.............

605 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. [2009/02/16(月) 23:15:29 ID:nFdetH2E]
一切が苦悩の無い喜び、平安・安らぎ、欲の無い所、五感も第六の思考も無い存在、「軽安」「長寿」と仏教
にあるように、思い煩い無く心軽やかにして長寿。その何でもできる神、神通力世界は、微妙にこの世に現れ
る。

 病気の時は、貪欲にならず安静にすること。
 快楽や享楽、物質的な欲望を満たす時、ほとんどの人がその人を善人とか清浄とか思わない。
 誰もいない静かな所で、心の安らいを味わうように努めたら、熱のような悩みも少なくなる。
  そういったことが、つくられざる存在(唯一の神)とともに在ることで、自己がつくられない以前を感
  じて無意識に行っていることである。

欲の無い所に安住できなかった者が、悪しき者、妄執に導かれ、悪も行うことのできるそのままの人間となっ
た。そして、世間は物質的な物を欲しがり、五欲の対象を享受することを喜び、それらを得ることにあくせく
する者となり、他人を罵り、傷つける、損をさせる人を憎んだり、その他悪を行うことのできるありのままの
人間にさせられた。

善いと思っている人にも善悪のはからいは無く、良い者も悪い者も正しい者も正しくない者も区別無く、あり
のままの世の中となった。


606 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. [2009/02/16(月) 23:16:39 ID:nFdetH2E]
■いけにえ
 「ひとがこの世で一年間神をまつり犠牲をささげ、あるいは火にささげ物をしても、その全部をあわせても
 〜行いの正しい人々を尊ぶことのほうがすぐれている
 たとい〜慈しみの心の功徳の十六分の一にも及ばない〜生きとし生けるものどもを憐れむ功徳の十六分の一
 にも及ばない」(感興のことば)
 「雄牛ややぎなどの血は、罪を除き去ることができないからである」(ヘルブ人への手紙)

 神を信じていけにえをささげても、私たちのつくられざる戻らねばならない姿は「一切が苦悩の無い喜び」
 である。いけにえをささげても悪しき者、妄執を乗り越えていない。

 だから、人には悪しき者から得た人間の機能の他に、つくられざる存在、つくられざる者となれる要因を
 持っている。この世で他人の苦悩を取り除くことは善いことだと思える慈悲やあわれみ。
 行うべきだと考え、思い上がって善人だと自任して、そのはからいを求めても無いが、行いの正しい人を
 尊ぶことにより、保持できる。

無所有で静かな自然の中でわずかな食物で暮らす生活を守り、
「一切の生きとし生ける者をあわれむブッダに罪過は存在しない」として釈尊と修行僧を尊ぶようにさせた。
荒野で断食をして、権威と栄華という悪しき者に従わず、 
 イエスはあわれみの行いをして信じさせた。

 つくられざる者のような行いをした人を尊ぶことによっても、つくられざる状態に少し近づくことができ
 る。世俗的なことを捨て去って、信仰に集中すれば更に近づくことができる。



607 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. [2009/02/16(月) 23:17:45 ID:nFdetH2E]
□自分の持ち物を売って、施しなさい
 「善い人々は僅かであっても、正しくわかち与えるならば、多くの人々に勝つ」(感興のことば)
 「自分の持ち物を売って、施しなさい」(ルカ)
□あくせくするな
 「いかなることにもあくせくするな。他人の従者となるな」(感興のことば)
 「何を食べ、何を飲もうかと、あくせくするな」(ルカ)
□財を蓄えることなく
 「財を蓄えることなく」(感興のことば)
 「盗人らが押し入って盗み出すことのない天に、宝をたくわえなさい」(マタイ)

 つくられない者であるなら、欲望無く、それらの執着心から解き放たれ、清く正しく悩めること無く、
 「生じたもの、有ったもの、起こったもの、作られたもの、形成されたもの、常住ならざるもの、老い
 と死との集積、虚妄なるもので壊れるもの、食物の原因から生じたもの、―それは喜ぶに足りない」
 この世のことは全て愚かだと思えるほどの境地に至る。そこに安住できず罪を犯した。

 権威や栄華を他を打ち滅ぼしても得ようとする悪しき者・妄執に従い、それらを得ようとあくせく働く
 人間となり失楽した。
 全てを捨て去ることをしない人間であることの機能にある人は、つくられざる存在を正しく善いものと
 して、自分を愚かだとするならば、まだ救われている。多くの人は中間的な生き方しかできないだろう。




608 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/17(火) 08:48:31 ID:GhEqgd6Y]
>>600
>真理とはありのままの法であり 唯一か霊であるかとは 何の関係も無い。なぜなら唯一の偽りも在り
霊であるかどうかも あるがままであるかどうかとは関連させ論ずることが出来ないのです。

唯一とは理論低に説明できる。しかしありのままと言うのはこちらには少しも理解できない。
そのようなものは、人によりけりであると思うのだ。そこには論理的な説明はあり得ないし、ありのままと言う主観的な見解に、
は説明は不要であると思う。従って、ありのままと言うのは真理ではない。
 あなたはこういう論理的に説明できない主観的見解を、真理と良い、論理的に説明でき誰も反駁できないものを
無意味なものにしている。これは真逆ではないか。

>唯一の偽りもあり
唯一とは絶対と言う意味であることを知るべきである。
Aと言う人は二人といないことを以って、Aさんは唯一である、と通常解釈される。
つまりBさんCさんと区別し、AさんはBさんCさんではない、というのである。
しかし、BさんCさんがいないならAさんのAさんたる所以は無いのである。AさんはBさんCさんがいて初めて
Aさん足りえたのである。つまり相対的存在なのである。相対と絶対は常に真逆である。
 唯一なものが偽りであるということはありえない。偽りと言うなら、真なるものがあると言うことである。
これらは相対的な存在である。唯一なものでかつそれは偽りなものである、というのは矛盾してるのである。
故に唯一は常に真実で絶対なもので無ければならないのである。

609 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/17(火) 22:49:16 ID:GhEqgd6Y]
突込みがあるかと思っていたが全然無いな。

610 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/17(火) 22:58:21 ID:5gWjVJX8]

リンゴがココに在るから食べれる そして餓死しない。

それにより リンゴがあるという真理が確認できるのでそれは主観ではない。
主観を排しないと 真理は得られない。従って、ありのままと言うのは真理であると言う事ができる。
イエスが再臨するというのは 誰の主観だか知らないが 真理とは到底呼ばれる資格が無い。

>キリスト教の神が唯一であるとするなら、彼らの神が霊であるなら、それは真理と解釈しなければならない。
キリスト教の神が唯一であるとする根拠が弱すぎる。
信じなければ永遠の命を得られるというのが唯一の真理ならば 信じて永遠の命を得た者がすぐさまココで証言でき得る
はずだが 何千年経っても未だそのような者が独りも現れないこのありのままの真理をみると

とんでもない似非説法だと認め謝罪すべきだろう。彼らにその  勇気が在ればのはなしだが。


611 名前:tibyaku [2009/02/18(水) 00:26:52 ID:Gjscbqti]
592>と596>のコピペの誤字訂正します。
想念体は想念帯が正当でした。申し訳ございませんでした。


因果は実体がないから修行もないことになれば話にならないので
あくまで修行精進するのが本則とするならば因果の理法は
法則であり、修行の思い行いの積み重ねによって自己責任が生じ
良きにつけして悪しきにつけ因縁果報は公平に法則として
働くのであります。


612 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/18(水) 21:54:08 ID:DENdtMBu]
>>610
あなたの言うところは、すべてあなたの過去に存する原因に基づく結果のものである。
それゆえに、その原因も結果も相対的存在であるから、実体の無いもの、
すなわち、虚妄、嘘である。私にはこのように思え、または、そのようの思ってはならない、ということは、言っても、
その効果は無い。あなたの自身のことであるから。しかし、そのように思うのは、そのように思う原因があるのであり、
その原因と結果は、相対的関係(因果関係)にあるものであるから、それゆえに、その原因も結果も実体を持たないもの、
であるから、あなたはその原因にも結果にも固執してはならないばかりか、それを嘘であると破棄すべきである、とは
教えるのが慈悲と言うものであると信じる。

>キリスト教の神が唯一であるとする根拠が弱すぎる。

このれも前答と同じである上に、キリスト教自体が、神は唯一であるといっていることを言いたい。
モーゼも唯一と良い、イエスも唯一といっている。唯一といわないなら、キリスト教には何の価値もない。

613 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/18(水) 22:13:41 ID:DENdtMBu]
>>611
一切が因果(縁起)であるとするのなら、そして因果には実体がないということを理解するのなら、
それからの修行はどのようなものであるのか、に正しい解答があるはずではないか?
 それは因果を知らず、因果には実体がないということを知らなかったゆえの、今までの態度を変えなければならない、ということに異議は無いでしょう。
今までは因果に執着していたのでしたね。因に、果に。どうして因を解消しようかとか、別の因を造ろうかとか、
それは因に実体があるものと盲信していたからと言うべきでしょう?
でも今、その因が元々無いのであり、今後からもその存在を主張するものではないと判ったのです。そうすると単に自分が
その因に実体を妄想していただけであるということを知るべきです。
ですから、その妄想を止めるようにするのが修行と言うべきでしょう。
その妄想を垢と言います。穢れのことです。妄想を泊めることが垢を洗い落とすことになるのです。
妄想を止めることが修行なのです。今までと反対です。今までは妄想を積み重ねることでした、そして、
それが修行であると思っていたのです。真逆でしたね。
 解脱とは、因果から解脱することなんですね。

614 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/18(水) 22:22:29 ID:DENdtMBu]
結果を生じる行為は、それが良いと一般に言われ認められるものであろうと、
反対にみんながよくないというものであろうと、結果をもたらすものである以上
良いと思う思い、悪いと思う思い、は妄想で、実体の無いものを実体のあるものと思っている
正しくない見解なのです。
 世に、よいこと悪いことの判断基準、正しいこと間違ったことの判断基準は、厳然とあるのに
世は知らないでいるのです。しかし、今は、その基準は、無相一相空相であることを理解したのではないですか?
自分に都合の良い結果をもたらすものをよい原因としていたことを恥じるべきです。
それが正しいなどと、客観的正義であるなどと、言っていた自己中心の、
自分を恥じるべきときではないでしょうか?

615 名前:tibyaku [2009/02/18(水) 23:17:17 ID:ItgcCDhX]
因・縁・果・報は法則であり、法則の中に既に真理価値の物差しがあって、自らが
勝手な正しさをもっての行動であろうと、自らが正しさを知らず善悪の認識が無く
無智であろうと、仏法真理の価値に則して生きることであろうと因果の理法は公平
に働くのであります。


因果の解脱は、もうあの世からこの世に生まれて来ないことを意味している
のではなく、因果のカルマとしてカルマの修正にあの世からこの世に生まれ
ることではなく、自らの使命の意思により、この世に生まれ使命を果たして
行くことを言い、因果の解脱は如来の悟りを持たれた方の事を言うのである。



616 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/18(水) 23:53:16 ID:DENdtMBu]
>>615
問題は、どのような因をつむのが正しいか、と言うことです。


617 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/19(木) 00:02:39 ID:FaoIBo3W]
>612
過去を過去と認識するのは体験であり、その体験を形造るのは自らの識である。
ならば識は唯一のものであり複数である。
そこで真と言うべき物は複数であるはずだが 賢者はそれが唯一であると認識するのは、自らの識によってではなく
我見を排斥した時に自動書記される、いわば物理学の範疇に存する物事そのものであるはずである。
そのものは要素(色)として存在するというのが仏教であるわけだが キリスト教の場合は、要素ではなくそれが個
として存在すると言うところで1つの破綻がある。 要素(因縁から成る)はそれが自性を保てないが故に
物事を瞭察する際に自らをも排撃されるので、誰かのように独断を進めることが在り得ないから、それが衆生からみれば
慈悲と見えてしまう。
信じればどうなる、という教えからは不遜が生まれるが 我見を排する教えからは実相が生まれてしまうのは
皮肉であるが、残念ながらこれが似非と実体の差となる。





618 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/19(木) 00:06:56 ID:1FXyREH4]

>613
戯論が戯論と呼ばれるのは、事実でない場合と仮想の虚空にマボロシを見たい人の我侭を重く見てしまう
ことからである。ならば、それを要素に分解してみるとその正体が現れ出るとしたところに仏教の
蘊奥がある。
因に実体が無いというのはその仏道の先にある結果であり、道そのものである。しかし、どこだかの教義は「信」を勧めるところに
その哀れさがあるのであって、仏道とは隔たるというのはあなたでも分かるだろう。
そしてそれは唯一でもあるはずがない。

>614
善い悪いというのはそれこそ流転するので、そこで必要とされるのは、繰り返すが因縁を意識して、更には
万物を解体することに他ならない。
しかし何とか教徒は何それを信じることで、真理に近付くことを拒否しているのに真理だと言う。
さてそこで真理の定義だが 信仰と真理は同居しない。
つまり、精神のバイアスを主体とする615のような思索は 思索ではないと知るべきでしょう。



619 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. [2009/02/19(木) 20:02:00 ID:7tRGpASj]
「悪魔は初めから罪を犯しているからである。神の子が現れたのは、悪魔のわざを滅ぼしてしまうためで
ある。すべて神から生まれた者は、罪を犯さない。神の種が、その人のうちにとどまっているからである。
また、その人は、神から生まれた者であるから、罪を犯すことができない〜わたしたちは互いに愛し合う
べきである〜彼は悪しき者から出て、その兄弟を殺したのである」(ヨハネの第一の手紙)
「あなたがたは、むさぼるが得られない。そこで人殺しをする。熱望するが手に入れることができない。
そこで争い戦う」(ヤコブの手紙)

□種類
 「地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ〜
 神は海の大いなる獣と、水に群がるすべての動く生き物とを、種類にしたがって創造し、また翼のある
 すべての鳥を、種類にしたがって創造し、また翼のあるすべての鳥を、種類にしたがって創造された〜
 家畜と、這うものと、地の獣とを種類にしたがっていだせ」(創世記)

 「草や木にも種類の区別のあることを知れ〜はうものにも種類のあることを知れ〜水の中に生まれ水に
 棲む魚どもにも〜翼を乗り物として虚空を飛ぶ鳥どもにも、種類のあることを知れ」(ブッダのことば)

□天のおおぞらに光
 「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため〜地を照らす光と
 なれ」(創世記)
 「今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気持ちもよく起き上がった」(ブッダのこと
 ば)
 「作られざるものを知り〜人のいない林は楽しい。世人の楽しまないところにおいて、愛著なき人々は
 楽しむであろう。かれらは快楽を求めないからである」(真理のことば)

620 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. [2009/02/19(木) 20:03:45 ID:7tRGpASj]
□慈しみ・足ることを知り
 「あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ」(ルカ)
 「ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである」(テモテへの第一の手紙)

 「足ることを知り、わずかの食物で暮らし、雑務少なく、生活も簡素であり〜諸々のひとの家で貪るこ
 とがない〜いかなる生物生類であっても、怯えるものでも強剛なものでも〜長いものでも〜目に見える
 ものでも、見えないものでも〜これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、
 幸せであれ〜慈しみの意を起こすべし〜この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ」(ブッダのことば)

■悪魔
 権威や栄華を貪る欲念。賢くなり煩悩の可能力を得て、それに向かってあくせく働く。損をさせる者に
 憎しみを抱いたり、富に仕えたり、栄華の拡大を願い争う。それらはつくられざる存在には無いものな
 のである。
 権威や栄華の拡大を願い、富に仕え「肉の欲、目の欲、持ち物の誇り」を得て悪魔を正しいと感じてい
 る人々もいるが、「色かたちと、感受作用と、表象作用と、識別作用と、形成されたものと―わたしは
 これではない〜わたしはそれらについての執著を離れる〜悪魔・悪しき者は、尊師はわたしのことを知
 っておられるのだ」と離れようとする人もいる。

他人の過失(あやまち)はゆるすが、富に仕えるばかりで肉の主人に誠実に仕えないのはおかしい、
肉の欲、目の欲、持ち物の誇りを貪ること無く、自然の中は心が安らいで楽しい、生き物を慈しむことは
本当は善いことだ、冷酷・残忍・無慈悲なことは悪いことだ、敵意や憎しみを抱いて争うこと無く、平安
を喜ぶことは善いことだ、怒りや世の思い煩い無く、安穏な心でいる時は楽しいなど、人の内につくられ
ざる存在を持っており、そういったことの維持・努めのため教えがあり、つくられざる者となる。無意識
に身についてしまえばよいのである。何ものか(偶像を抱けるもの)のためにしているわけではない。
 
 ただ信じただけで、つくられざる者となるわけではない。肉を越えないと肉のまま土に帰る。


621 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. [2009/02/19(木) 20:05:02 ID:7tRGpASj]
得ようとして額に汗して働き、名誉や権威を得ようとして努力する。生活のこころづかい、世のこころづ
かいのために尽くす。悪しき者を乗り越えておらず、つくられざる世界を知ることなく土に帰る。
釈尊も神の子なのである。無所有で自然の中で妄執を乗り越えるために修行僧らと暮らした。離欲を目指
した。それができない多くの人々のためにイエスは、滅びることを信じないといけないと教えたのである。
徐々に教えに導いていかないと多くの人々が離れていくからである。釈尊を信じて素直に行う修行僧と、
信じないと離れていく多くの人々の違いがある。
―富むことを願い求めず、わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきて去っていく。非我なるものを
 我とせず、欲念を捨てただ衣食があれば、それで足れりとすべきである。肉も無い神の人は、この世で
 寛容や慈悲を追い求め、悪魔の煩悩の可能力に苦しめられても、煩悩の可能力をもって対抗せず忍耐強
 いことを追い求めなさい―

 「神は〜人間の中でだれも見た者がなく、見ることもできないかたである」(テモテへの第一の手紙)
 「彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這う
 ものの像に似せたのである」(ローマ人への手紙)

神は人間で無い状態にならないと全く知ることもできないが、悪魔によって肉となり一切が苦悩の無い喜
びを捨てた。朽ちる人間のような存在と思うなら、知恵が無い者なのである。

□多くの財産のある人々は貧しい人に分け与えよ
 「貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう」(ルカ)
 「身に悪事をなさないで〜飲食豊かな富んだ家に住んでいるならば、まことあり、柔和で、よく分かち
 与え、温かい心でいるならば」(神々との対話)

 富などへの執着心無く、肉で無いなら一切が苦悩が無いから、この世であわれみの心はつくられざる
 存在、つくられないその人を知っている。偶像では描けない存在なのである。その人のつくられなか
 った状態は偶像では描けない。

622 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/19(木) 20:06:08 ID:0s9jlOG4]
死後はやっぱ火葬され植物の栄養になりたい。  天国要らない。

623 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/19(木) 20:45:03 ID:/f9lIp/1]
因果によらなければ諸法は存在し得ない。印画による諸法は、実体が無い故に幻である。
幻は虚妄:嘘である。嘘を生み出しているのは因果の理法である。諸法が嘘であると知ったものは、
処方を捨てなければならないが、それの根本である因果の法則を捨てなければ、処方という幻を
捨てることにならないことを知らなければならない。仏の知恵とは因果の法則が嘘偽りの母であることを知り、
それを認めるべきものではないということを知ることである。
 大乗教に空即因果(縁起:色等の五蘊)とあるが、これは間違いである。
空:一相:無相という真実と因果(縁起)の法則とは何の関係も無いのである。

624 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/02/19(木) 21:15:58 ID:q18WiBzJ]
お釈迦様とイエス様は同じ境地に至っていたのは、個人的に結論出てるんだけど
今の課題は、凡夫の私がどのように生きればその境地に近付けるかが現在の課題だ。

625 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/02/19(木) 21:20:19 ID:q18WiBzJ]
岩波文庫のバガヴァット・ギーターもいいよ。
日本では聖書や原始仏典よりマイナーかも知れないけど内容は負けてないと思う。

626 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/02/19(木) 21:40:39 ID:q18WiBzJ]
バガヴァット・ギーターじゃなくてバガヴァッド・ギーターでした。

627 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/19(木) 21:46:34 ID:/f9lIp/1]
>>624
諸法は恐ろしい悪魔の誘惑であることを肝に銘じて接することである。
諸法から離れることである。諸法に首を突っ込んではならないのである。
諸法に捕まえられてはならない。



628 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/02/19(木) 21:56:19 ID:UoGDNt4M]
>>621
道徳を実行しても天国には逝けないよ

629 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/19(木) 22:07:55 ID:sfVp7KRY]
>>624
自身を凡夫と認識できている、あなたの賢明さ、素直さ、正直さによって

いつの日か、その求める境地に少しでも近付けるかと思われます

この世の、「真理」「摂理」によって人は、その境地にいたることになると思われます

630 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/19(木) 22:54:26 ID:/f9lIp/1]
>>628
道徳行為だけで天国にいけるとは、そういう教えは無いだろう。
しかし、道徳に反する行為をするものが天国(ニルバーナ)には入れるとは
、そういう教えはないし、それでは天国に入れないと、言う教えはある。
 つまり、神を認めない限り天国には入れないのである。
 神は一相無相であるから、その真実に反して、有無(諸法)に囚われた行為、これが不道徳な行為となるんであるが、
これでは、神を認めていないのであるから、神が受け入れるということはありえないのである。
 人を殺すという行為は、殺すことにより、何かを求めるということであるから、それでは
無相に反して、獲得するものがあると思っているのであるから、無相という真実に反しているのである。



631 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/02/19(木) 23:05:32 ID:UoGDNt4M]
>>630
神の言葉である聖書には姦淫した女は石で叩き殺せとあるそうですか、キリストは
そのような殺人は止めろと教えています。どちらの言うことに従えば天国にいけるのでしょうか?

632 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/19(木) 23:26:18 ID:/f9lIp/1]
>>631
聖書の規定は知りませんが、お言葉のとおりとしますと、
キリストはその規定を無視したのではなかったでしょう?つまり意思で殺せという
神の言葉を無視してはいない、でしたよね、新約聖書では。
罪の無いものが、その女に石を投げつけよといわれたのでした。そしたら誰も殺そうとするものがいなかったのでしたね。
イエス自身も、私もあなたを罰しない、今後罪を犯さないように、と教えて許されたんでした。
みんなが罪を犯しているから自分も罪を犯しても、誰も同じなのだから、罰せられることは無い、と言う事実は
ありえるのですが、この世間で罰せられないということが、天国に入れるということではないようですね。
天国に入るためには、神に罪を犯さないことが必要であると言うべきでしょう。

633 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/20(金) 01:23:32 ID:aMkNHAqT]
>その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう〜なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい」
>(マルコ)

このようなイエスの嘘に     人は酔い痴れる。 仏教は科学的ですが。


634 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/20(金) 07:56:57 ID:TgMi6CVp]
>>633
仏教は科学的というのは仏教を馬鹿にするものです。
科学と言うのは、ある一定の範囲を自分で決定し、その範囲内での考究に過ぎません。
しかし仏教は、範囲を自分勝手に決定するなどと言う、恣意的な考究ではないんですね。
今範囲を自分で決定するといいますが、これを正しく言いますと、人間が生活する範囲
を考究の範囲と決定するということです。簡単に言うと、便宜的な世界なんですね。
その範囲外のことは、人間にも、あることはわかるのですが、まったく白雉なんですね。

635 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/20(金) 08:10:29 ID:H8g70sp/]
www.hiron-room.jp

こいつ神かもしれないよ

636 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/20(金) 08:35:42 ID:TgMi6CVp]
ここだな。

1121> そこで、ペテロは思い出してイエスに言った、「先生、ごらんなさい。あなたがのろわれたいちじくが、枯れています」。
1122> イエスは答えて言われた、「神を信じなさい。
1123> よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。
1124> そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられると信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。


637 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/20(金) 08:49:54 ID:TgMi6CVp]
つまり、諸法は幻であるから、幻なら、どんな風にも造り替えられるのであり、
それは、人のねがいにもとづくいがいにないのである。



638 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/21(土) 00:25:28 ID:bGo651yX]
またまた戯言を。

では 人類が存在しない場合山は隆起するか。 無人の山岳は崩れるのか。そのように考えて見なさい。

そして仏教は 形而上学には触れない。もし触れたならその者は 病に倒れてしまうだろう。  なぜならば

彼にはそのような彼岸を認知でき得ないからである。 寝言は就寝後に呟くべし。


639 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/21(土) 09:34:06 ID:9O/KAChd]
イエスがどんな奇跡を起こしたとしても、それは原因結果の関係にあるもの、つまり、
縁起現象に過ぎなかったのである。故に、かれの奇跡は、他の縁起関係にあるものと、
同じものであったのであり、実体の無いものであったのである。
 かれの処刑も縁起現象であり、実体の無いものであったのである。
 縁起現象と因果と言うものは同じ意味のものであるが、因果と言う表現は
現在の時代に、よく使用され、その範囲はあらゆる部分に及んでいる。
同じ意味の縁起と言う表現は、現代では、因果と言う表現とは、異なるものとして
使用されている。ここを見ても、縁起と因果の理解が仏教として行き渡っていないのである。
現代では因果の理法が支配し、その因果から脱出することはできないものと思われている。
ここを見ると、日本および世界には、仏教が死滅しているといっても過言ではない。
上座部仏教ではどうかと思うが、同じであるといって良いとおもう。なぜなら、
仏教のありがたみの感謝の思いが、今まで聞かれたためしがないからである。
正法を認めないものは、永遠に輪廻するが良いのだ。

640 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/02/21(土) 10:10:14 ID:5tioWko0]
イエスの教えを間違って伝えたのは、イエスを非難しメシアと認めなかったファリサイ派や律法学者みたいな権力側の人たちだろうけど
表面上は博識で熱心なくせして、文字すら書けないイエスの周りの人たちのほうが実際は善良で神から愛されていた。
これは現代でも変らない、だからイエスがもし再臨してもこういった人たちは気付かないし認めない。

641 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/21(土) 10:33:36 ID:Fyrw3AxF]
ノーシスっていう公民館でやっている教会みたいところで性の英知を教えないキリスト教や仏教はみんなインチキだと教えられました。
ということはノーシスが本当のキリスト教だとか仏教だといいたいらしいけど・・・。
雰囲気がおかしいですね。金星に人が住んでいるとかいうと、資料を送りたいからとしつこく連絡先とか聞いてきます。
なんだか怖くなりました。
(変な雰囲気の変な人たちの中に引き込まれそうな感じで・・・)
いろいろありますね。
www8.plala.or.jp/KgnosisAC/
6523.teacup.com/68/bbs
www31.ocn.ne.jp/~gnosisjp/
sorinsalala.web.fc2.com/



642 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. [2009/02/21(土) 11:34:59 ID:YBRtu8Wf]
□悪魔の征服者(善悪)
 「悪魔の征服者です〜煩悩の潜在的な可能力を断って、みずから彼岸に渡りおわり〜善悪の両者に汚され
 ません」(ブッダのことば)
 「へびは女に言った〜神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです。女がその木を
 見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから」(創世記)

 「色かたちと、感受作用と、表象作用と、識別作用と、形成されたものと―わたしはこれではない〜悪魔・
 悪しき者は、尊師はわたしのことを知っておられるのだ」(悪魔との対話)

 不死の境地は、思考も及ばず、神は知者の知恵を滅ぼし賢い者の賢さをむなしいものにする。五感も無い、
 第六の思考も無い。平安の境地、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安。一切皆苦を悟り、
 一切の苦悩無き喜びに満ちている。快楽などを享受せず安らぎに満ちている。
 軽安・長寿というように、病気の人が欲望を享受せず、静かに安静にして病を治すという現象で解脱しな
 い人にも神通力・何でもできる神の影響を少し受けている。
 肉体から離れ、つくられなかったら欲望も無く、あなたがたは何でもできる。

つくられざる存在から離れ、権威や栄華の拡大という妄執(悪魔)を得て欲望を持ったつくられた人々は、
得ようとして働く。五欲の対象・物欲・快楽を満たし、楽しみ暮らす。損をさせる者に敵意を抱き怒り争う。
殺人や盗みといった悪も生じ、悪を制するために争う。肉が肉を制して、煩悩の可能力が煩悩の可能力によ
って世を制する。


643 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. [2009/02/21(土) 11:36:11 ID:YBRtu8Wf]
《軽安・長寿》
■形あるものの信仰対象物を捨て去ること
 「この世またはかの世におけるいかなるかたちでも〜魚を殺すために餌が投げ込まれた」(神々との対話)
 「偶像礼拝は貪欲他ならない」(聖書)
■くどくどと祈るな・呪文を唱えるな
 「多くの呪文をやたらにつぶやいていても〜内心は汚物に汚れ」(悪魔との対話)
 「異邦人のように、くどくどと祈るな〜みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように」(マタ
 イ)

 人を殺す形あるものの信仰対象物を捨て、呪文やくどくどと祈ることを捨て、願い事はもう叶えられたと
 して自分の思い煩い・欲念を捨てることに努め、
□世も自己の煩いも自分ではない
 「この身は泡沫のごとくと見よ、この身は陽炎のようなはかない本性と見よ〜世の中は泡沫のごとくと見よ、
 世の中は陽炎のようなはかない本性と見よ」(仏教)
 「あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない」(ヤコブ)
 「買う者は持たないもののように、世と交渉のある者は、それに深入りしないようにすべきである。なぜな
 ら、この世の有様は過ぎ去るからである〜思い煩わないようにしていてほしい」(コリント)

□誰もそなたのために働かない、富に仕えるな 
 「苛酷なることなく、貪欲なることなく万物に対して平等」(仏教)「公平とあわれみと忠実」(聖書)
 「そなたのために仕事をしてくれる人々がいるのではない」(仏教)「働こうとしない者は、食べることも
 してはならない」(テサロニケ)

644 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. [2009/02/21(土) 11:37:19 ID:YBRtu8Wf]
□慈しみのこころづかいが崇高
 「母が己が独り子を命を賭けても護るように〜上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを
 行うべし〜この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ」(ブッダ)
 「敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ〜恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ
 深いからである〜慈悲深い者となれ」(ルカ)

形あるもの、偶像礼拝に肉となって殺されること無く、願い事をくどくどと祈り、また呪文のように意味の無
い言葉をつぶやく明らかに智慧の無い者とならず、既に叶えられたと信じて、供え物を霊が食べるなどと思わ
ず、宗教的行為によって功徳があると思わず、葬儀によりつくられざる者となると思わず、

 実際、つくられざるものの世界では過ぎ去るものは虚妄として、この身と世の中を泡沫のごとくと観じて、
 自己とこの世の思い煩いを捨て去るように努め、偶像礼拝やくどくどと祈る行為を捨て去ること。買うと
 か生活のこころづかい、世のこころづかいのある者は、ないもののようにせよ。雑務少なく、生活も簡素
 なもののようにせよ。それらから実際遠ざかり離れることにより、思い煩いを捨て善となる。形あるもの
 の信仰対象物は人を殺す。

 万物に対して平等・公平だと心得、富に仕えず、欲するものがあれば仕事をせよ。肉の主人に誠実に仕え
 よ、耐え忍べ。母が己が独り子を命を賭けても護るような慈しみは素晴らしいと思え。人によくしてやり、
 何も当てにしないで貸してやることは善いことと思うではないか。人がつくるものより、つくられざるも
 のに従え。他人はその人のものだ、誰でも自分の思考が正しいと思うな。他人の過失を探し求めず、あや
 まちをゆるしてやれ。

      つくられたものに従属せず、他を頼りとせず自らを頼りとすることができる。
  つくられざるその実があれば、言葉を聞けば、それが善いことだとわかり、後は自制心によって救われ
  る。つくられざるものを持たない人は、つくられたものの救いを探し求め滅びに至る。


645 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/21(土) 20:50:16 ID:WixefKra]
だから仏教とキリスト教は水と油なのか。

646 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/21(土) 22:03:13 ID:9O/KAChd]
>>645
きっとそうなんだ、どうして二つを分けたものでしょうかあ?


647 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/21(土) 22:23:29 ID:9O/KAChd]
>>638
五蘊は縁起現象であるから、実体が無い空相であるということを認めるか?



648 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/21(土) 22:27:31 ID:n7jDahHF]
いえ 結局はキリスト教のような嘘から人類は離脱するでしょう。

649 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/21(土) 22:52:52 ID:9O/KAChd]
五蘊が空であることは、般若経の説くところであるし、般若心教の説くところとして有名である。
五蘊が空であることを認めないとすると、どのようは反論があるのか?

650 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/21(土) 23:34:52 ID:t0m2KF6e]
まず 書いてあるから正しい      それが非仏教であるところから理解せよ。

651 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/21(土) 23:38:38 ID:9O/KAChd]
書いてあるから正しいとは言ってないだろう?
お前がどうして同意しないのか、と聞いてるんだ。

652 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/21(土) 23:42:39 ID:9O/KAChd]
返事が遅いんだよ。
判らないで、言っていたんだ、と言う返事もありだな?

653 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/21(土) 23:52:22 ID:CDhBxoRb]
まとめて書け。

654 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/21(土) 23:57:37 ID:9O/KAChd]
何だ、お前の正体が判ったぞw。
疲れたからそろそろ寝るが、お前はには、なんでも質問したら答えてやる。明日までに準備して於け。

655 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. [2009/02/22(日) 13:40:30 ID:juyqArCZ]
肉体無い世界があって、「一切の苦悩の無い喜び」なのである。そこは地上の苦悩も存在しない。悪しき者
につくられなかったら、一切の苦しみも悩みも無い境地とともに在り、
「生じたもの、有ったもの、起こったもの、作られたもの、形成されたもの、常住ならざるもの、老いと死
との集積、虚妄なるもので壊れるもの、食物の原因から生じたもの―それらは喜ぶに足りない。
 それらの出離であって、思考の及ばない静かな境地は、苦しみのことがらの止滅であり、つくるはたらき
の静まった安楽である〜これは最上の究極であり、無上の静けさの境地である。一切の相が滅びてなくなり、
没することなき解脱の境地である」(感興のことば ニルヴァーナ)

 「一切の苦しみから解き放たれた境地」により、悪しき者につくられた人間の思い冷酷・残忍・無慈悲
 に反発する、人間の状態では慈悲のかけらがある。

 しかし、愛・慈悲だとか幸せだとか平和だとかで物質的な喜びや享楽、五感の喜びがある者は、土に帰
 るだけである。人はそこを見ずに終わる。

神の言があって、《物質的な喜びや享楽、五欲の対象》を享受している時に、「そのようなことをしている
と、朽ち土に帰る」悪魔のわざを滅ぼさないと、神を信じようが信じまいが土に帰る。地で生き続け、下界
から脱出できないと。

656 名前:素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. [2009/02/22(日) 13:41:40 ID:juyqArCZ]
生活のこころづかいのためにあくせく働いても、肉の欲・目の欲・持ち物の誇り、衣食があれば足れりと思
うように欲求から離れ平穏な心の内に満足していないと、人間というものは土に帰るということだ。
肉の思いの者は、全て土に帰る。その神の摂理に反する者はいないということだ。
信じたら神の摂理を認め、そのように努めるしかないのだ。中途半端な「なまぬるい」者は、その人に何も
益をもたらさないと語る。

まだ、無信仰で、この世の重荷に堪え、死んだら終わりを覚悟して、正々堂々と生きている人のほうが、そ
の人にはまだ益がだろう。

「ひとを下界(欲界)に結びつける五つの束縛 貪欲・瞋恚・有身見(われ)とか(わがもの)とかいう観
念を離れぬ我執・誤った戒律や禁制を正しい修行方法であると執着すること・疑い」
 「一切の事物は我ならざるもの」世も自己も。諸々の欲望に関する貪りを離れ、怒り・敵意・憎しみと
 いう肉の思いから離れ、邪まな見解を抱かず、静かに瞑想などをして安穏な心に満足して暮らす。
 つくられざるものの存在は、諸々の欲求から離れて、静かな安らぎに努めれば、妄執を乗り越えつくら
 れざる者となる。神の右となれると。

イエスは下界に生まれ被造物となる人々が、殺人、盗み、無慈悲で苦しむのを防ぐために「愛」を説いたの
であり、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去って、衣食があれば足れりとする思いとならないと、神の
望みである下界の暗闇からは脱出できない。

現代に至っては、信仰しても物質的な喜びあり、享楽やその他の諸々の欲望に関する貪りのある人々は、
「形ある札を拝んで」「くどくどと祈る」人々となんら変わりは無いと、神は語るのである。
死んで終わる人の慰めとしての「御利益宗教」となんら変わりは無いということだ。貪りのある人は、どの
ような人も死んだら終わりと覚悟して生きること。


657 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/02/22(日) 15:22:06 ID:Mn0RfmhY]
釈迦は涅槃について一言も解説していない、ただ「それ」を涅槃と言っただけ。



658 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/22(日) 20:56:58 ID:tfGRBfRW]
仏教を語ってる その増上慢が非仏教      という事に気付かないのではこりゃ駄目だw


だからおまえは

659 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/02/22(日) 21:30:33 ID:NsookkH0]
package Shinri;
public class Iesu extends Shaka{
public void Muhannmado(){
System.out.println("Allaahu akbar!");}}

660 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/23(月) 18:25:47 ID:y/6EmWIW]
>>658
仏教は、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ
だよな。他人をたよりとした仏教なんて有り得ない。

661 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/23(月) 19:44:02 ID:CWEsWw6Z]
>>660
自分を島とするのは良いとしても、同時に法を頼りとしなければならないのですが、
自分と法とが一致しなければ矛盾分裂しますね?どのように整合性を説明できるのでしょうか?

662 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/23(月) 19:48:47 ID:1/cuyoq1]
660「仏教は、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、
法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ 」

@確か中村 元氏の考え方で以前テレビの教育番組「島」の認識が掴めませんでした
 ので詳しく「島」は河の中州のことかと思いますが、「自らの島とし」「法を島とし」
 の所を解りやすくお教え願いますでしょうか?
 

663 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/23(月) 20:42:55 ID:y/6EmWIW]
>>661
一切の相をこころにとどめることなく、一部の感受を滅ぼしたことによって、相の無い心の統一に入ってとどまる。
真理・真実は空相・無相であるから、世間における貪欲と憂いとを除け。
釈迦は精神の安定統一のため瞑想修行させたでしょ。
今でも、またわたしの死後にでも、誰でも自らを島とし、自らをたよりとし、人をたよりとせず、法を島とし、法
をよりどころとし、他のものをよりどころとしない。
人をたよりとしてはいけないから、自分で法を求めること。法でもいろいろあるよ。衣食は働いて正しく得ること
なども仏教の法。世間における様々な憂いを自分で除こう、ああだろう、こうだろうと思わないようにするとか、
仏教は他人をたよりとしてはいけない。自分で学んで考えて行動できるようにした。
なんかの動物のたとえで、自らの尾を大切にすることで人に狩られる、無知なため他人に従属させられてしまう。
釈迦は、そんなことのないように、自分で考えて行動できるように法を説いた。

>>662
ひとつのことに執着しこだわらないほうがいいよ。それも仏教の知恵。自分をたよりとし、法をよりどころとして
だけでもいいと思うよ。欲のない話で世間における貪欲と憂いとを除くものだから、仏教でも執着しこだわり、そ
れが憂いとなると、無意味になる。





664 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/23(月) 21:55:46 ID:CWEsWw6Z]
>>663
>一部の感受を滅ぼしたことによって

どのような感受でしょうか?

665 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/23(月) 22:22:20 ID:IBOeMm/p]
頼むならそれなりの提題を示しなさい。

666 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/23(月) 22:48:09 ID:CWEsWw6Z]
>>665
どういう意味でしょうか?

667 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/23(月) 23:03:16 ID:y/6EmWIW]
>>664
仏教経典の流れを見ればわかるだろう。
真理・真実は空相・無相であるから、世間におけるこだわりや憂いに導く感受を滅ぼすことだろ。
釈迦は理法がわかるようにしたが、あまりにもわからない人を愚鈍と説いた。
貪欲も憂いに導くものだから、それを取り除くために熱心だったでしょ。そのような欲求に熱心な
人は釈迦を尊敬していない人だ。つまり仏の教えを学んで行おうとする人ではない。
働いて財を得た人が、全く使わぬことも自然ではないから愚劣だと説く。
そこらへんから、信者は貪って止まぬ激しい欲望に気をつけねばならないと思うのが普通。
仏教は自分の苦しみをどう取り除くのか、自分で考えられるようにしてあるのさ。
自分の今ある状態と、法とが一致する部分を自分で見つけて、愚鈍愚劣極まりない行いをす
るなってことだよ。
仏教は他人に従属せず自分で学んで自分で考えて生きなさいという教えだよ。人を迷わない
ように熱心に説法しただろ。
あまりにも愚鈍だと釈迦が生きていたら泣くぞ。愚鈍愚劣極まりない信者が、迷わないよう
に教えた私の説法に迷ったと。
釈迦を尊敬するなら、自分をたよりとして、他人をたよりとするな、これは当たり前のこと
だろ。





668 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/23(月) 23:06:54 ID:CWEsWw6Z]
>>667
法に頼るのと、自分に頼るのと、どちらを 先行させるべきでしょうか?

669 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/23(月) 23:23:25 ID:CWEsWw6Z]
>>667
>真理・真実は空相・無相であるから、世間におけるこだわりや憂いに導く感受を滅ぼすことだろ

どんな感受なら良いのでしょうか?

670 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/23(月) 23:37:47 ID:64brmZyu]
↑ このような個人的趣味

671 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/24(火) 19:12:42 ID:h2IYRJ+s]
他人に盲従、自分で考えて行動できない人は畜生として法を説いたのが釈迦。
内的な心の安らぎを求めさせ、精神を安定統一させた。
内的な心の安らぎを求めず、精神が安定統一できていない人は、迷ったり苦しんだり
して、他に拠り所を求める。

そこでヤクが自らの尾を大切にすることで人に狩られると。
もうその人は家畜のように、他を頼りとしてしか迷いや苦しみから逃れることができ
ない。他人に従属し家畜のようになる。

672 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/02/24(火) 19:53:37 ID:WCrJzDoV]
●リチャード・コシミズ 【広島座談会2009.02.21】Richard Koshimizu
video.google.com/videoplay?docid=-6891360202794305694

673 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/24(火) 21:21:02 ID:8DWNxnTf]
>>663
>一切の相をこころにとどめることなく、一部の感受を滅ぼしたことによって、相の無い心の統一に入ってとどまる。

一部の感受だけを滅ぼしてでは、それでは、無相の世界に入れませんよw。

>>667
>真理・真実は空相・無相であるから、世間におけるこだわりや憂いに導く感受を滅ぼすことだろ

これを言うならむしろ、想及び行が良いのじゃないかな?

そして、五蘊の一部を滅することは、五蘊の全部を滅するよりも難しいw。

674 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/24(火) 23:11:01 ID:h2IYRJ+s]
>>673
釈迦ってのはなあ、バラモン教の反発だ。そこらへんがわかってないなWWW
あんたが釈迦を本気にするなら、出家修行しろよ。そういったことは否定して、パソコンに向かって修行かいWWW
仏教修行僧のようなふりをして、三食きちんと食べ、世間の中で住んでいる。そういうグズどもは世の中にいらない
としたのさ。
働かないで他人の家から貪る。働かないならわずかな食物で満足して暮らせと。貧しい人の慰めと、他に拠り所を求
めて他人に従わないといけない宗教形式から、内的な心の安らぎを求めさせ、恐れや不安、悩みを取り除く修養をさ
せた。苦悩があるなら、静けさを求めそれらの苦悩を取り除くために修養する。そういった修養形式を残すための修
行僧であって、自然体の癒しを唱えただけである。変な宗教をさせないように自然の中で自然体の癒しをさせた。

あんたらのような三食食べ、所有物有り、パソコンに向かって仏教修行僧のふりをして無相世界に入れませんよなん
ていうくだらない人間をなくすためだ。

修行僧は自分をよくととのえて自分の主になる、諸々の幸せを得る、自然的な修養によって悩み、迷いなどを除いた
人は、あんたのようなくだらないことを言う人より、迷いや悩み少なく世の中を歩んでいるだろう。
なぜ、修行僧は自分をよくととのえて自分の主になり、諸々の幸せを得ると言った?そこらへんの流れを自分で考え
て見極めない人間は、世の中でくだらない修行をさせるだけだから、釈迦に従って世間から離れてきちんと修行せよ。













675 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/24(火) 23:35:41 ID:8DWNxnTf]
余白の空けすぎじゃないか。無駄を止めろ屋。

676 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/25(水) 00:22:12 ID:6E9Cw3We]
まあ  649のような似非仏教者には674のような良薬が必要だということだ。

677 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/27(金) 08:23:05 ID:9TmFVLHR]
>>674
>修行僧は自分をよくととのえて自分の主になる、諸々の幸せを得る、自然的な修養によって悩み、迷いなどを除いた
人は、あんたのようなくだらないことを言う人より、迷いや悩み少なく世の中を歩んでいるだろう。
なぜ、修行僧は自分をよくととのえて自分の主になり、諸々の幸せを得ると言った?そこらへんの流れを自分で考え
て見極めない人間は、世の中でくだらない修行をさせるだけだから、釈迦に従って世間から離れてきちんと修行せよ
 
 どのように、何を目的に、修行するかわからないなら、いくらお前のように修行修行といっても、
困惑するだけなのだ。親切に、修行と言うものを説明してもらおうか?



678 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/27(金) 20:19:02 ID:dbgxtwBF]
釈迦の修行法は正しい。

人里離れた所でわずかな食物で瞑想する。
 ウデーナ霊樹の地は楽しい。ゴータマカ霊樹の地は楽しい。七つのマンゴーの霊樹の地は楽しい。
 美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気持ちもよく起き上がった。
 日も盛りの時、鳥どもが枝にとまっているときに、大きな森が鳴りひびく、それは、わたしには楽
 しみと思われる。
 人のいない林は楽しい。

 正しい修行法により、最低でも森や林が憩いの場と感じられ、人の言論や言語表現された教えに執
 着しこだわらない。
 何も知らずに、世の人が欲求や快楽を求めず、自然の中での安らぎを感じることは、まだ仏を知ろ
 うとしている。

更に静かに瞑想する。
 世の中は泡沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ。世の中をこのように観ずる人は、
 死王もかれを見ることがない。
 身体は泡沫のごとしと見よ。身体はかげろうのごとしと見よ。身体をこのように観ずる人は、死王
 もかれを見ることがない。

 更にその安らぎを楽しみながら、このように観ずるようにしている人は、やがて死王も見ることの
 ないニルバーナを知る。世の中がどうであれ、他人の言論がどうであれ、順応や反応もない絶対的
 な境地に至る。


679 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/27(金) 20:20:22 ID:dbgxtwBF]
常にそのようにしている人々は、死後もそのように絶対的な境地に至る。

しかし、多くの人々は、
 妄執が人を生まれさせる。人の心が走り廻る。生存するものが、輪廻に堕している。人は、苦悩から
 解脱しないのである。
  ということも悟る。

業(行い)によって、生存者世界(欲界)は良くも悪くもなる。欲を絶たなければ再び欲界に生まれ、
苦悩も欲もある生存状態となる。
この欲界では、人の行いによって成立するわけであるから、
 身に適したふさわしいことを為し、重い荷に堪え、努力する人は、財を得る。誠実をまもることによ
 って、良い評判を得、ものを与えるならば交友を結ぶ。

悪い行いをするな良い行いをせよ。求めて得られるものを悲しむな。劣っているとか勝っているとか、
中くらいであるとか迷うな。貪欲のために悩むのは愚かである。欲望を貪り、熱中し、溺れて、吝嗇で、
不正になずんでいが、死時には苦しみにおそわれて悲嘆する、「ここで死んでから、われらはどうなる
のだろうか」と。だから人はここにおいて学ぶべきである。世間で「不正」であると知られているどん
なことであろうとも、それのために不正を行ってはならない。

 人が死んで簡単に苦しみを受けないということはない。安らぎを求めて欲を絶つ修行を行っていな
 いと、妄執という邪魔ものに打ち負かされて、再び生存状態に陥る。
 林や森の中で静かに瞑想し、欲を絶つよう修行するか、この世ではありのまま何が人が暮らしにく
 くすることか、幸せになることかなど、オカルト宗教に頼ることなく、人が経典から学べばよい。
 世間で妙なこと、不自然なこと、オカルト的なことに囚われる必要はない。
 オカルト的な行為は、オカルト的な行為が残るだけ。そのような行為よりも、まだ欲や快楽を制し、
 自然の中で楽しむか、世と自己とのこだわりを捨て、迷いや苦しみを取り除き、安穏な心に満足し
 ているほうが、その人は救われているだろう。真理・真実に忠実な救いである。


680 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/27(金) 20:43:24 ID:dbgxtwBF]
釈迦は世尊でもあり、釈迦を信仰した人々がこの世で業(行い)の悪い人をなくす。
或いは釈迦と同じように、欲念を捨て去って、世間の諸々のことよりも静けさを楽しみ安住できる人
が、ニルバーナに至るということ。誰もその人を助けてくれるわけではない。
世間にあるものよりも、安らぎは虚妄ならざる真理であり、静かに瞑想を楽しみ、妄執を乗り越える
ことができるのは、その人次第なのである。

それよりも目的があって生き生まれる人は、経典に書いてあるような善い行いができるようになれば
よいのである。オカルト的な行為が、人々の目的を達成できる善い行いということではない。


681 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/27(金) 21:39:32 ID:9TmFVLHR]
>>678
>釈迦の修行法は正しい。

オヨヨヨw。ま、真面目にたくさん言ったものヨノ〜。
だが、だいぶ間違ってないかい?

682 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/27(金) 21:53:58 ID:9TmFVLHR]
釈迦が悟りを開いたいきさつを知らないのか?原始経典を基に、解説などに紹介されているが。

683 名前:神も仏も名無しさん mailto:age [2009/02/27(金) 21:57:50 ID:tPukBrGL]
【修証義】
sugano.web.infoseek.co.jp/butu/syu-0.htm

◆第一章◆(総序)
@第一節 仏教のねらい

 生を明らめ 死を明きらむるは 仏家一大事の因縁なり、
 生死(ショウジ)の中に仏あれば生死なし、但(タダ)生死すなわち涅槃と心得て、
  生死として厭(イト)うべきもなく、涅槃として欣(ネゴ)うべきもなし、
 是(コノ)時初めて生死を離るる分(ブン)あり唯一大事因縁と究尽(グウジン)すべし。

684 名前:神も仏も名無しさん mailto:age [2009/02/27(金) 22:01:52 ID:tPukBrGL]
【修証義】◆第一章◆(総序)@第一節の大意

 若い人であっても老人であっても、人生とはどうゆうことか、死とはどうゆうことかという人生の意義をあきらかにし、
自己のいのちとは何かという真実を求めて参究するのは、仏教徒にとって、もっとも大切なこころがけなのです。
この人生は無常なものではあるけれども、仏の教えを信じ行ずるのであれば、現実の苦しい人生にふりまわされません。

この生死という苦しい現実も、涅槃というやすらかな彼岸の世界も表裏であり本来同体であって、さとりに対して迷いの生活があるというのではなく、
このいのちの事実そのものが、そのまま、仏の世界であると得心して、人生を苦しみときめつけてきらったりすべきでもないし、涅槃のみを求めたりして、こだわりおぼれるのもまちがいです。

この無常なる人生そのまま涅槃(サトリ)と心得るべきです。このとき、はじめて、現実の迷いから解放される道が開けるのであり、無窮なる仏道修行がもっとも大切な心がけなのです。

685 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/27(金) 22:09:30 ID:C9zZ3ZdW]
>人が死んで簡単に苦しみを受けないということはない。
?
>安らぎを求めて欲を絶つ修行を行っていないと、妄執という邪魔ものに打ち負かされて、再び生存状態に陥る。

>林や森の中で静かに瞑想し、欲を絶つよう修行するか、
>この世ではありのまま何が人が暮らしにくくすることか、幸せになることかなど、オカルト宗教に頼ることなく、人が経典から学べばよい。
? 
>世間で妙なこと、不自然なこと、オカルト的なことに囚われる必要はない。
? 
>オカルト的な行為は、オカルト的な行為が残るだけ。

>そのような行為よりも、まだ欲や快楽を制し、自然の中で楽しむか、
>世と自己とのこだわりを捨て、迷いや苦しみを取り除き、安穏な心に満足しているほうが、その人は救われているだろう。
>真理・真実に忠実な救いである。
偽タオイズムですか?

686 名前:神も仏も名無しさん mailto:age [2009/02/27(金) 22:10:22 ID:tPukBrGL]
◆第五章◆(行持報恩)D第六節 行持の報恩は仏の道

 謂(イワ)ゆる諸仏とは釈迦牟尼仏なり、釈迦牟尼仏是れ即心是仏(ソクシンゼブツ)なり、
 過去現在未来の諸仏、共に仏と成る時は必ず釈迦牟尼仏と成るなり、
 是れ即心是仏なり、即心是仏というは誰(タレ)というぞと審細(シンサイ)に参究すべし、
 正に仏恩を報ずるにてあらん。

687 名前:神も仏も名無しさん mailto:age [2009/02/27(金) 22:13:27 ID:tPukBrGL]
【修証義】◆第五章◆(行持報恩)D第六節の大意

 今まで述べた諸仏とは、釈迦牟尼仏のことであります。
釈迦牟尼仏とは、2500年前のインドで覚られ仏陀となられた歴史上の人物と考えるのはまちがいで、
釈尊のさとりとは、生きている自分自身の純粋ないのちとこころそのものです。
過去、現在、未来にも、諸仏がさとられ仏になるときには、みな釈迦牟尼仏となられるのです。
これが即心是仏(ソノママノ心コレ仏)という仏であります。
このそのままの心是仏という仏とはいったい誰のことをいうのであろうか。ねんごろに真摯に実参実究することです。
たゆみない浄心精進の行持こそが、仏恩に報いることとなり、仏の道となっていくのです。



688 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/27(金) 22:17:40 ID:AMLucO16]
で     経典は知っているがさっぱり悟ってないのだろ?おまえ。

689 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/27(金) 22:22:25 ID:AMLucO16]
さらにいえば     修行に耐えられないからここでのたまうのさ。その自覚無しに。



690 名前:神も仏も名無しさん mailto:age [2009/02/27(金) 22:23:29 ID:tPukBrGL]
─ 道元禅師著『正法眼蔵 現成公案』より ─

仏道を習うというは、自己を習うなり
自己を習うというは、自己を忘るるなり
自己を忘るるというは、万法に証せらるるなり
万法に証せらるるというは、自己の心身および他己の心身をして脱落せしむるなり

自己をはこびて万法を修証(しゅしょう)するを迷とす、
万法すすみて自己を修証するはさとりなり。
迷を大悟するは諸仏なり
悟に大迷なるは衆生なり。
さらに悟上に得悟する漢あり、迷中又迷の漢あり。

691 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/27(金) 22:27:17 ID:9TmFVLHR]
>>678
かわいそうだから少しは良いところも言ってやらなければな。ま、方向は間違っていないよ。


692 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/27(金) 23:21:39 ID:9TmFVLHR]
>>678
釈尊は29歳で出家し、35歳で常道したといわれている。これは定説で信用して良いだろう?
さて、その成道だが、成道というのが正しいかどうか問題があるのだ。
つまり、35歳頃に、今までの自分を苦しめる修行の無意味さを悟り、もの(諸法)の真実を悟ったのである。
諸法は、縁起によりなっている幻に過ぎない、真実(実相)は、空相無相一相である、と知ったのである。
しかれば、ここでまずいわ無ければならないことがある。それは、釈尊のそれまで6年間の修行と言うものの、
無意味さである。真実を知らなかったが故に、無駄な修行をしていたということである。
お前はこの無駄な修行と、お前が言う修行を分別していない。それはなぜか?
真実の修行を明確に認識していないからである。それでは、釈尊が6年関してきた無駄な修行
に迷い込む恐れがあると言うべきだろう。お前は間違った修行方法に人を導く恐れが多大にあるのだ。

693 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/27(金) 23:48:21 ID:M4ol0fCL]
読んでない。

694 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/28(土) 00:01:36 ID:RifbRE1U]
>>692続き
釈尊は諸法の実相を知ってから、一週間ほど、座禅をしそれから成道を遂げられたのである。
その一週間に、正しい修行をされたのである。真実に至る種行を正しい修行と言い、
真実に至らない修行を間違った修行と言い、それは、釈尊の6年間の修行であり、外道の修行である。
そして正しい修行を八正道および12支縁起の法門としたのである。
八正道を中道とも言う。

695 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/28(土) 08:54:06 ID:RifbRE1U]
>>694続き
釈尊は6年間の修行されたが、その修行をさせたものは、信仰であった。
おそらくブラフマンを教えるバラモンへの信仰であったに違いない。
 で、現代人がバラモン教を調べてみるなら、釈尊の心の内面を推定することができる。
バラモン教では、釈尊の言うような、理法が無いのである。理法こそブラフマンで無ければならないのに。
故に、理法を説かない、理法に基づかない修行を信仰とみなし、そのような信仰を、捨てよ、と釈尊は
教えるにいたったのである。これはまず最初の教えとなった。
 
 キリスト教のイエスも、実は釈尊の言う理法により、真理真実を獲得するにいたったものであることを知らなければならない。
原始経典の「大パリニッバーナ教」にこの理法によらなければ、いかなる人も
真理真実に至れない、ことが述べられている。
 この理法は優しく易しく苦しみを滅する方法なのである。
 キリスト教は、縁起という理法を説かないのが欠点であり、これはバラモン教と同じである。
しかし唯一と言う真実を説く点で、バラモン教と異なる。このようなわけで、キリスト教は
修行と言うよりも信仰を強調することになるんである。キリスト教の信仰は盲目的な信仰ではない。
唯一を掲げる限り。

696 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/28(土) 16:54:42 ID:RifbRE1U]
因果の理法なら、釈尊当時、知れ渡っていた。しかし、因果関係にあるものなら、
因の実体もなく、かの実体もない、と言う理法は、なかったのである。
これが釈尊の特異な点である。

697 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/28(土) 21:38:43 ID:zt/z46kq]
あいかわらずだな。        695-696は半分当たり。しかし根拠無い言い切りがあるので


そこはプゲラ以上でも以下でもない。



698 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/28(土) 21:46:24 ID:l/mLGYcx]
>>695
仏教教祖は信者を小馬鹿にしていたということだろうね。
涅槃寂静や諸行無常という仏教は完璧のように見えて、臆病な者だけの救い。
キリスト教の愛は、そんなことは乗り越えて、人に奉仕できるような立派な
人間になれるようなことを目標に教えたのだろう。
死んだらなんて思っているろくでもない奴のための涅槃寂静の仏教思想。
自分の苦しみを取り除くために精一杯の人のためだけの教え。


699 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/28(土) 22:29:45 ID:RifbRE1U]
>>698
人が正しい人になるということは、どれだけ周囲の人を利益することになるか、を考えてみるべきである。
そして、その利益は、限りなく伝播するのである。
ある人が自分の苦しみを解消した、とするなら、その効果はその人自身に留まらず、周囲すべての人に
影響するのである。それは同時に、理法による解消であるのだから、その理法が広まることになるのだ。
大乗でも、理法を広める以上の布施行はない、といっている。
 さて釈尊の教えたり法の修行は、世間の考えるようなものと、まったく反対の方向を目指すものである。
世間ででは、努力と言うと、欲が導く努力である。釈尊の言う努力は、無欲の努力である。
一切は空相無相一相であるので、それに反して、目に付くまたは心に残ることは一切してはならない、というのが
正しい努力になるのである。盲目なものは、目明きを求めない努力するのである。
病気のものは、病気の回復を求めない努力をするのである。求めるものがないようにする努力なのである。
これほど、簡単な易行があるだろうか?キリストの教えもこれなのである。

700 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/28(土) 22:39:11 ID:hWm+f07P]
馬鹿だな、お前ら
仏陀もイエスも同じ所から来た使者だ
教えが違うのは遣わされた民族・文化が異なるからだよ
やろうとしていたことは同じだが方法が違うだけのこと

701 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/28(土) 22:45:32 ID:RifbRE1U]
諸法の真実が空相無相一相であるということの根拠は、諸法とは因果関係にあるものであるということである。
そこで、人が考える一切は因果関係にあることを認めなければならない。
自分のことだけが因果関係にあるのではない。他人の考える世界も因果関係にあることを知らなければならないのだ。
此れゆえに、誰かをうらむとか、怒りを潜ませるとか、このようなことを思うものは、
未だ諸法の実相が空相無相一相であることを理解していないものといわなければならない。
また自分の過去の過ちを後悔するのも、同じに実相を理解していないものである。
また、個人のことに止まらず、国家からの抑圧と言うものを恨む事もあってはならない。
自分であろうと、他人であろうと、国家からのもんであろうと、いや世界からのものであろうと、
一切とは、これらすべてを含むものを言うのであるが、これらすべては、縁起、因果関係にあるものであると知り、
それゆえに、実体がない幻であることを理解し、幻であるが故に、嘘であるとみなし、
今までのように、それに固執してはならない。それ以上にないものとみなさなければならないのである。
かくして人を支配するものは一切ないことを知らなければならないんである。こうして人は自由になれるのである。
無相一相こそ真実なのである。あなかしこ、あなかしこw。

702 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/28(土) 22:54:47 ID:hWm+f07P]
仏陀もイエスも見た目はふつうの人間の姿をしていたが、実際には人間ではない
また仏陀もイエスも特定の修行によって聖者になったわけではない
仏陀が瞑想の結果悟りを開いたなどというのは後世の人々が作り上げたたわ言だ

703 名前:神も仏も名無しさん [2009/02/28(土) 23:00:09 ID:RifbRE1U]
>>702
>また仏陀もイエスも特定の修行によって聖者になったわけではない

真理真実が唯一なものである以上、真理真実を否定しない方法と言う点で、
特定な修行になると思われるが?真実は無相。

704 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/02/28(土) 23:05:04 ID:hWm+f07P]
ID:RifbRE1Uよ、あんたは字句に囚われすぎている
真理真実などと言葉で言うのはたやすいが、では真理真実とは何か?
無相?w
やはり特定の語句に囚われている
自分の言葉で真実を語るがよい
全ては幻などというのは少なくとも我々一般人のレベルでは詭弁だよ

705 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/01(日) 00:11:27 ID:fJq0eT5G]
>>704
>無相?w

 お前は最大の間違いをしてる。
なぜ無相一相空相が真実ではないと思うのか?

706 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/01(日) 02:33:08 ID:EN6ikHX3]
705いいぞ そのまま一人相撲を続けなさい。それでこそおまえだ。

707 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/01(日) 02:36:51 ID:EN6ikHX3]
702と700はさらに上行く大馬鹿者だな。   本人はさぞ幸せだろう。



708 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/01(日) 08:10:51 ID:fJq0eT5G]
★「まことでないものを、まことであると見なし、まことであるものを、ま

  ことでないと見なす人々は、誤ったおもいにとらわれて、ついに真実に

  達しない」



709 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/01(日) 10:12:53 ID:ZNopofmt]
>>704
自分の言葉で教えを語るから、教えが捻じ曲げて伝えられる。
>>702
仏陀もイエスもまことでない修養方法から、荒野での修養法を語った。
自分の悩みがあって信仰する人の依存的な宗教体質では、何も改善されないからだ。
修養している人は、恐れや不安を抱いて依存的な宗教に頼らない。

仏陀はあわれむ修行完成者、母が己が独り子を命を賭けても護るような慈しみを崇高
として説き、イエスも慈悲を説き、イエスは殺されて信仰対象となった。
自分の悩みで信仰しなくなった人は、次にあわれみ深い者となれ、慈悲深い者となれ
ということだ。




710 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/01(日) 11:59:24 ID:ZNopofmt]
>>699
>大乗でも、理法を広める以上の布施行はない

大乗経典
 ・・・余のために、塔を建てたり、僧院を建立したりする必要はなく・・・
 ・・・僧の集団へ供養する必要はない・・・

釈尊の一定した態度
 塔を建てなかった。僧院を建立しなかった。
 修養している間は、わずかな食物で暮らし、その人に食物を与えることで与える人も慈悲あり。
 八正道により、
  僧は人の家で貪らない。衣食は働いて正しく得る。

 日本の大乗仏教僧に習ってはならないのが、ひとつの教えの施与。
 
 

711 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/01(日) 12:38:38 ID:fJq0eT5G]
>>699
正しい人になろうとしないで、今のままでいるとするなら、今のままと言うのは、
隣人に悪を働いている状態と言うことであるから、悪を働いている以上
常に悪が身に寄せているのである。

712 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/01(日) 12:40:03 ID:fJq0eT5G]
以下に、因果の世界と無相の世界が説かれている。
ルカ
0627> しかし、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎む者に親切にせよ。
0628> のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。あなたがたの頬を打つ者にはほかの頬を向けてやり、
0629> あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。
0630> あなたに求める者には与えてやり、あなたの持ち物を奪う者からは取りもどそうとするな。
0631> 人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。
0632> 自分を愛してくれる人を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。
0633> 自分をよくしてくれる者によくしたとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、それくらいの事はしている。
0634> また返してもらうつもりで貸したとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でも、同じだけのものを返してもらおうとして、仲間に貸すのである。
0635> しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また、何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも、悪人にも、なさけ深いからである。
0636> あなたがたの父なる神が慈愛深いように、あなたがたも慈愛深い者となれ。


713 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/01(日) 12:47:41 ID:ZNopofmt]
信者はこの世の悩みや苦しみがあって信仰する。
その信者から、僧院の建立、僧の衣食住、自動車、子供らの大学進学などで
布施を求めることなど仏教では有り得ないわけだ。

釈尊の一定した態度で、世の中の悩みや苦しみがある人は、修養者として、
欲望を制し、荒野など人里離れた所で修養する。
わずかな食物で暮らす修養者に対し、食を与える人は慈悲ありと教える。
また、世の中でも食乞う者に食を与える人は慈悲ありと教える。

修養者も修行を完成して、一切の生きとし生ける者をあわれむ者となり、
他人の家から貪らず、衣食は働いて正しく得、母が己が独り子を命を賭け
ても護るような慈悲を崇高として世の中を遍歴する。

釈尊の教えを正反対にしたのが、日本の大乗仏教僧である。


714 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/01(日) 13:27:15 ID:ZNopofmt]
空相無相一相という言葉すら消滅するものだから、
世の中で悩み苦しむ人を荒野など人里離れた所で修養させた。
苦しみを滅する法は、自己の沈黙を目指すしかないのである。

世の中に戻って、或いは世の中でそれほど悩みのない人は、
敵意や憎しみにより争うことは悪いという心があるだろう、
僅かな者に執着し、取り戻そうとして争うことは愚かだとわかるだろう、

人によくしてやることが善いこと、何も当てにしないで貸してやることが
善いことだとわかるだろう、
我が物と執着せず、分かち与えることを善い教えだとわかれ、
母が己が独り子を命を賭けても護るような慈しみは素晴らしいとわかるだ
ろう、

修養しない信者にも、そういったことを教えた。

715 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/01(日) 13:39:21 ID:fJq0eT5G]
正しいというのは、関係が正しいということに他ならない。
正しい人は、関係を正す人である。あらゆる関係を正す人である。
このような人が、利己的な人であるはずがないだろう?
 正しいとは、真理真実にかなっているということである。
正見とは、真理真実である無相に適って見るということである。
無相という判断基準があり、かつそれが目標である場合、自分の今見てる状態
が正しいか正しくないか判るのである。

716 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/01(日) 17:06:45 ID:ZNopofmt]
正しいのは有りのままの行動。

世の中に悩み苦しみがある人は、世の中から離れて悩み苦しみのないように
修養する。有りのままの行動により、苦悩を滅する。貪欲から離れれば平等。

その悩み苦しみを抑制できた人は、肉の主人に仕え誠実に働く。誰もその人
のために働いてくれる人はいない。
自分が豊かに食しているのに、目の前の人が飢えに苦しみ乞うのに、少しも
食物を分け与えないことは、普通しない。

他人の意向や思考もその人のものであり、自分の意向や思考が他人にも正し
いことであるということはない。だれかが、あなたをしいて一マイル行かせ
ようとするなら、その人と共に二マイル行きなさいと。求める者には与え、
借りようとする者に断らないことをよしとして受け入れよ。

他人との関係を正せる人は、相手の意向や思考を尊重できる人であり、
その人の意向や思考が、その人自身を害したり、他人を害したりする場合
は、母が己が独り子を命を賭けても護るような慈しみで、注意したり止め
させようとすることも大事なことである。

人の意向や思考が人々を制することはない。もしもできているなら洗脳さ
れているからである。互いに他人の意向や思考を尊重できるようになるこ
とが、人と人との関係改善なのである。

人々が互いにゆるし、相手によくしてやろうとするような慈しみがあれば、
世の中で人に対する悩み苦しみも少ないから、教えを信仰させた。


717 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/01(日) 17:11:35 ID:ZNopofmt]
他人との関係を正せる人は、相手の意向や思考を尊重できる人であり、
人々の意向や思考を制覇できるほどの、意向や思考はない。



718 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/01(日) 23:45:12 ID:Y/+63qD8]
つまり イエスと仏陀は相通じないということか。

イエスは根拠無い妄想を説き      仏陀はありのままの真理を説く。根拠在り。

719 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/02(月) 18:20:26 ID:8/5kh9Ws]
イエスもありのまま。
 健康な人は医者はいらない、いるのは病人である。
 病人には医者はいるし、言うことを聞かない殺人者には妄想でもなんでも
 抱かせて信仰させる。

仏陀はありのまま。
 貪欲を捨て、悩みなく自然は楽しいという人は健康的な精神。 

720 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/02(月) 21:53:31 ID:rHAjzf69]
>健康的な精神。

こんなものあるの?

721 名前:tibyaku [2009/03/02(月) 22:02:45 ID:NeqXVvp3]

 健康な人が病気になるのは、70%心の病いが原因で身体が病気になります。

 心の健康を回復したらそれに遅れて身体も健康になります。


722 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/02(月) 23:13:05 ID:rHAjzf69]
どんな心が健康なの?

723 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/02(月) 23:17:34 ID:rHAjzf69]
先ほどNHK ロシアのキリスト教復活の事案を取り上げていた。
キリスト教が論理的なものであることがぜんぜんロシア教会においても、
説明されていない事実を見た。此れでは、宗教はアヘンであるといわれても仕方がない。
本当の宗教こそ絶対の科学なんだがね。

724 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/03(火) 05:22:58 ID:UUemFDCq]
だったら科学やれよ。

725 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/03(火) 07:46:39 ID:6iBlYQdz]
本当の科学とは本当の宗教なんだよ。

726 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/03(火) 19:09:19 ID:4Q3n6pZL]
富に仕えず、肉の主人に仕えること(聖書)・・・
誰もそなたのために仕事をしてくれる人々がいるわけではない(仏教)
  世の盛衰(仏教) 法に従えば、全ての人々が互いに仕えられ、財などを貪る人々、仕事をして得た以上に物や
  快を貪る人々が増えると、バブルの崩壊など世の盛衰が発生する場合がある。

科学でも根底には、生きとし生ける者の幸福や安穏、安楽な暮らし、慈しみのこころづかいがないということではな
い。
 科学や物質文明の発展のために働いても、多くの人々に苦悩を与え、苦しみに導くようなことをしない。
 世の中の根底にあるものは何かを教え、環境や状態が変化しても捨て去らないように維持させる。

諸行無常(仏教) 神の右(聖書)
 苦しみがあって信仰する人々は、地上のものを貪らない。生じて滅びる性質のものより、それらが静まるのが安楽
 であるという現象を根拠として。

貧窮なる人々・食乞う人々・宿のない人々に分け与える(聖書 仏教)
 衣食のない人には分け与えるであろう。(生存権の保障)

 預言者として法を説く者として、根底にあるものを説いて信じさせた。


727 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/04(水) 17:11:52 ID:Lcl7/+zr]
苦からの解脱を体得したと言いながら、食中毒で苦しみながら
もその苦しみを紛らわそうと瞑想とかやったけど、結局
苦からの解脱などできてなくて、苦しみぬいて死んだのが釈迦wwww
ま、宗教の教祖なんて今も昔もこんなもんwww




728 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/03/04(水) 17:19:12 ID:lFxSbEMO]
暴れて死刑になったアホのキリスト

729 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/04(水) 17:42:48 ID:giwAuN0B]
だから、昔は信仰よって何か頼れものと信じていたから、
自然には勝てないと身をもって示したのだ。

730 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/04(水) 21:50:58 ID:giwAuN0B]
対象物信仰などにより死ぬ時期が長引くことはない。
信仰により死ぬ時期が長引くというのは現代の嘘宗教。
嘘宗教に毒されていた時代も、命を救う宗教はないと
教えた。信じるなら自分の命を憎め、死ぬ時期の到来
を願う、ということで、自分の命の存続を願える宗教
はないと示した。
なぜ、人は頼ろうとする宗教をするか?その原因のひ
とつが我が身の存続であるから。

731 名前:tibyaku [2009/03/04(水) 22:00:42 ID:HaqbC8kk]
722>「どんな心が健康なの? 」
   
    @さわやかな心で煩悩から離れている心、清らかな心ですね。

732 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/04(水) 22:09:26 ID:zKs9oPdV]
識すなわち心が縁起してるもの故に空であると教えた人が、食中毒の経緯を
識と認めなかった、ということはない、のではないか?食中毒の苦しみを識と求めるなら、
それに取り合わない態度をとることは、当然で、そのような態度で50年ばかり過ごしてきた人
には、容易であったろうと思う。この態度が、禅定瞑想であったのだ。
生前から、自分を肉体と見るもの、及び音声と見るものは、自分を見るものではない、とも教えている。


733 名前:tibyaku [2009/03/04(水) 22:30:54 ID:HaqbC8kk]
 
 救世主は使命を終えたら死後肉体の牢獄から自由になって、
 
 いと高き心の故郷の救世主の世界へ還るのですから。

 肉体の存続の勝利ではなく、心の向上といかに良き感化力

 を成したかであります。

 救世主は世界の三大聖人として、世界宗教となるべく教えを

 説かれ精神的最大遺物を遺されています。
  
 それが、後代の心の指針となって限りなき感化力を与え続け

 ています。ありがたいことであります。


734 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/04(水) 22:47:33 ID:giwAuN0B]
物欲しさのためにあくせくする。食べ飲みそれらの楽しさの追求のために
あくせくする。
貪るという煩悩に生きるより、あくせくしないほうが長生きする可能性は
高い。
死ぬ時の到来を願う、自分の命を憎む。
自分の命の存続のために、必死になって何かにしがみつくこともない。


735 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/05(木) 21:58:40 ID:jPc6Xxri]
怒りすぎると死ぬ 米名門イエール大学の医療研究結果に世界が騒然

736 名前:神も仏も名無しさん mailto:age [2009/03/05(木) 22:05:23 ID:Q8qgWztL]
【コラム】 エロ業界って不景気に強いの? (R25)
news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_r25so__20090304_6/story/r25column_details_id_110000006208/

上司のグチが増え、ボクのストレスも増加中の今日このごろ。内容は、もっぱら不景気のオハナシです。もういい加減に勘弁してくれー!

と、すさんだ心でアパートに帰ると、ポストにデリヘルのチラシがドッサリ! 日々のストレスについつい心が動きそうになりつつ見ていると、当然ながら1枚ずつ別の店のチラシなわけです。
もしや、エロ業界ってこの不景気のなかでも儲かってるの?

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デリヘルは2兆4000億円の市場!?
下半身マーケットが拡大中!? 景気と何か関係あるの?(2007年7月19日号)
「下半身産業は90年代から拡大し続けていますが、実は景気の影響を比較的受けにくい業種です。
好景気のときは他の産業よりも潤いが早く、不景気のときはストレスの発散として利用される。
バブルのころは高価格路線の店が主流でしたが、いまは所得格差が開いているので、サービスの設定料金は低価格と高価格に二極化しています」(『世界の[下半身]経済が儲かる理由』の著者・門倉貴史さん)
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もしかしたら、このご時勢にもまだ拡大してるかもしれないんですね…。 やっぱり、エロは偉大なり!?

737 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/06(金) 20:54:17 ID:BHfKMlQ3]
やっぱ、解脱の最大の障壁は、情欲かも。



738 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/07(土) 08:52:37 ID:HWZZkgtO]
現代は人の誕生日を祝うのが普通になっている。特にこの風習はヨーロッパから来たものであろう。
仏教から言うと、このような行事は、真理真実に反するものである。キリスト教でも同じなはずである。
結婚や子供の誕生を祝う行事は、どのような原因から来ているのだろうか?
それは真理真実からではなく、固体保持本能と言う有身見から来ているのである。
この有身見がエロスと関係があるのだ。有身見がエロスなのだ。

739 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/07(土) 10:09:31 ID:ZvHJiJTE]
人間関係の悩み・ストレス
 ◎遅効性
   慈悲・寛容・愛・謙遜・柔和・あわれみを身に着ける小さな集団の中に属し生活活動
   を行う
 ◎速効性
   有身見・諸法非我・諸行無常・涅槃寂静・一切皆苦
   独り安らいを楽しみ狂おしい悩みを解決する

上は素晴らしい、欲界である地は、罪を犯した者の愚かなたわごとの楽しみに過ぎない

 他人の妻との性交は悪
   

740 名前:tibyaku [2009/03/07(土) 10:23:05 ID:++0UeWiV]

 >>737 
  @確かに一理はありますが、情欲を消すことはこの世の生命の死を意味しま
   す。情欲を無くすることはできません。いかなる難行苦行をしても無駄で
   あります。情欲を調えることはできます。
   それには「八正道」の反省修法をすることで偏りの無い中道の心になれば
   出来ます。
   既に解脱し大悟なされた、大救世主大川隆法総裁の幸福の科学の元で三帰
   者(仏・法・僧三宝帰依し直弟子)になり、日々の正しい信仰生活や宗教
   生活の中に四正道(愛・知・反省・発展)の愛の発展に向けて実践でをす
   ることによって霊的人生観の確立することで、心のコントロールが出来る
   ようになります。 そうすると情欲をコントロールできてまいります。
   情欲に振り回される状態は心が煩悩に支配されてはなりません。
   心が煩悩を支配することが心の王国を支配することになります。また胆力
   で耐え忍びの精神力の強さも要求されます。正しい仏法真理を自分のもの
   にして府に落とすことも大事であります。エル・カンターレ信仰を通して、
   正しい瞑想を通して「明鏡止水」の心境の継続の時間が延びてくれば、卒
   啄同時のように卵の内側から突いて卵を割ろうという行為が、親鳥が雛に
   なる鳥が突いている方に突いて卵を割った行為を解脱と言います。
   第一段階の解脱は阿羅漢の境地であり、誰でも可能性のある境地です。
    解脱は得ようとして得られるものではありません。解脱の時期は御本人
   には解りませんが解脱に近づいていることは解ります。
   解脱の時期はその時期に相応しい状態になる時に神仏からあたわるもので
   あります。阿羅漢の解脱の境地でも安心はできません。
   増上慢という魔境が、信仰の試しが待っています。日々感謝の思いの積み
   重ねと謙虚さが問われてまいります。
   感謝と謙虚さ(主への篤い信仰心)があれば絶えず利他愛他の立場を
   確認することができます。信仰心が無くなると感謝や謙虚さが無くな
   り、後与える愛が知らず知らず奪う愛に摩り替わります。
   日々の正しい反省があれば未然に防げます。
   解脱に向けて頑張ってみてはいかがでしょうか?

741 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/07(土) 18:10:09 ID:HWZZkgtO]
解脱といっても、仏教の解脱には、解釈の相違があるのではないでしょうか?
大川氏の解脱、仏教の理解は、どのようなものでしょうか?

742 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/07(土) 23:43:10 ID:HWZZkgtO]
因果はない。

743 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/07(土) 23:49:44 ID:HnooNjxE]
宗教の歴史
www.youtube.com/watch?v=-_eLaY-fQgE
www.youtube.com/watch?v=slFLPC_Xtt4&feature=related
www.youtube.com/watch?v=nyGGjIyE4NQ&feature=related
クリスチャンじゃないけど衝撃受けた。

744 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/08(日) 10:16:13 ID:MCj9xzxT]
われわれはキリスト教のイエスの犠牲と言う意味について話したことがない。
ここにキリスト教の特徴がある。ここが仏教と決定的に異なるところである。
イエスの犠牲と言うことが真理真実とどう関係があるのか?
回教では、この意味を認めていない。

745 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/08(日) 13:19:58 ID:MCj9xzxT]
イエスは「真理は人を自由にする」といった。しかし此れが現実に認められたことがあるといえるだろうか?
無いとすれば、何故なのか?
 

746 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/08(日) 22:20:50 ID:uumC0Uxz]
>>741解脱といっても、仏教の解脱には、解釈の相違があるのではないでしょうか?
     大川氏の解脱、仏教の理解は、どのようなものでしょうか?

     @たしかに解脱には幾通りの段階があります。「悟りの階梯」と言います。
      幸福の科学の教えは、真の幸福はこの世ととあの世をつらぬいた幸福を
      目指しています。
      真の幸福になるためには四正道(愛・知・反省・発展)の思いやり・優しさの与
      える愛の発展が真に幸福になり利自即利他の実践で、心のユートピアから社会の
      ユートピア・国のユートピア・世界のユートピアへと「愛と悟りと地球ユートピ
      アを目指しています。
      仏法真理の学びを通して真理の物差しを構築し愛の発展繁栄を目指し自己責任の
      もと自助努力から悟りを目指し幸福になってその余力でユートピア運動を展開し
      ています。仏法真理の学び無くして解脱(悟り)なしであります。
 1 誰でもが解脱が可能な「阿羅漢の悟り」があります。
      与える愛の実践で指導者としての生かす愛の実践が確立し許す愛に向けての菩薩行も
      しつつ真理の学びも深めて反省で八正道)によって心の塵やホコリを取り心の波立ち
      がなく、心が統御され継続して煩悩の支配から自由になり、爽やかな心の安心立命の
      継続できる境地です。
 2 阿羅漢果の解脱です。菩薩になった悟りであります。
 3 梵天の解脱による悟りであります。
 4 如来の解脱による悟りであります。如来の上もありますが
   人間として解脱できるのは如来までです。 
   解脱の内容は菩薩の解脱から割愛します。幸福の科学の大川隆法著「太陽の法」・「黄金
   の法」・「永遠の法」・「仏陀の本心」にも解脱について詳しい内容が書かれてあります。
   大手書店にあります。500冊以上刊行されています。幸福の科学の入門としては「幸福
   の法」などがあります。

   

747 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/08(日) 22:42:55 ID:MCj9xzxT]
>>748
理法と言うものを前面に出さないのは不審ですね。
理法がすべての根本なのですから。



748 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/08(日) 23:19:59 ID:vzk14N5+]
>>745
教えに反する人の信仰対象となった。
仏教の慈悲、他人の過失を見ない、イエスの慈悲、あやまちをゆるす
平安の境地に達してからの仏教の慈悲、健康な人は医者はいらない、あわれみであっていけにえではないイエス
一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者の仏陀

五感や第六の思考・意向のみならず、それぞれ違った形態、考え方がある。
たとえば、わが妻は従順であるという人よりも、自分をよくととのえた人が互いを自由にさせる。
益に縛られるよりも、互いに与え合う人々のほうが、公平・平等。
世の中と自己に悩み苦しむよりも、そこから離れて貪らないほうが心が縛られない。

人の思考や意向、利益を貪る思いなどが、言葉(教え)より勝る世の中のため、人は自由になれない。


749 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/09(月) 08:05:23 ID:MoeNecXX]
>>748
>利益を貪る思いなどが

真理真実を知らないから、貪るのである。

750 名前: ◆JBLfMwCXhY mailto:sage [2009/03/09(月) 08:20:18 ID:QBubUeOL]
 
ここも大川総裁の話で盛り上がってるんですか?(藁)
 

751 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/09(月) 21:55:35 ID:MoeNecXX]
まだ、そこまで行ってないw。

752 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/10(火) 23:38:37 ID:Ek/bmhZ7]
真理・真実
 言語表現できるこの世で最高の理想状態が自分の命を捨てても、一切の生きとし生ける
 者への慈悲。友のため自分の命を捨てる人より大きな愛はない。
 少なくとも隣人を愛し、最低でも暴力、罵ること、害を加えること、わざと悩まそうと
 しない。他をならかしめて自分の利益を欲さない。

 しかし、自己の存在しない世界のように涅槃寂静、諸行無常、諸法非我を求めて、世の
 中から遠ざかり離れるような心得で、離欲を心得ようと努力し、静かに暮らすことも善
 いこと。

753 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/14(土) 15:45:57 ID:jXq49rBk]
この世界は虚妄の世界であるから、何をしても良いのだ、と思う人が居る。
このように思う人はどのようになるだろうか?思い実行する人は?

754 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/14(土) 22:23:40 ID:82g5RU51]
善なる人格的神の支配なら、この世界に善悪は無い。そこで人は神に対し罪を犯した。
肉体の欲するものは虚妄に過ぎず滅びに至る思いである。
しかし、その他に対する善悪を捨て、他に対するあやまちをゆるすなら、他人に対する思い煩いも
無いし、人は互いに自由である。
欲するより与え、肉の主人に誠実に仕え益を得る。恩を知らぬ者は、人々がその人から離れていき、
孤独になるだろう。
永遠の命の命令といっても、現代では理で学んで、自制心を身につけるしかない。

仏教ではカルマ。悪いことをすれば、一時的には幸せが得られるが、それが積み重なって悪いこと
が返ってくると。

そうでもないかもしれないことを信じることが信仰心。
善悪業を捨て、他人の過失を探し求めることは真理から離れ苦悩を伴うのでやめるよう諭され
行えるようになるのが、何ものも信じないで自分の心を制する修行者の生き方。

現代では殺人や盗みといったことを平気で行う人々は少ないので、妄想より理のほうが健全な
精神を保てるだろう。




755 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/14(土) 22:41:35 ID:82g5RU51]
そして「安かれ」と言われた。
盗みや他人、人々から取ろうとすること、他人のあやまちをゆるさず、他人を見下したり、過失を責め立てたりする
ことは、心の苦しみや多大な労力により苦悩する。
多くの人はその苦悩を避けて、無意味なことをやらないように暮らしている。


756 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/03/15(日) 00:57:33 ID:tZJwUdsr]
dubai.2ch.net/test/read.cgi/emperor/1228909654/220

757 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/15(日) 09:10:32 ID:7BeRH9h1]
王室を尊敬しなければならない理由はないだろう。
王室がない国は、そもそも存在しており、それもまた多数に上るのだから。
そして王室のない国が繁栄している。先進国で王室があるのは日本ぐらいであろう。
先進国で王室があっても、それを尊敬してる国はない。



758 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/15(日) 13:44:58 ID:CSNEzCBq]
>>641
>ノーシスっていう公民館でやっている教会みたいところで性の英知を教えないキリスト教や仏教はみんなインチキだと教えられました。
>ということはノーシスが本当のキリスト教だとか仏教だといいたいらしいけど・・・。
>雰囲気がおかしいですね。金星に人が住んでいるとかいうと、資料を送りたいからとしつこく連絡先とか聞いてきます。
>なんだか怖くなりました。
>(変な雰囲気の変な人たちの中に引き込まれそうな感じで・・・)
>いろいろありますね。


新約聖書のコロサイ人への手紙は、使途パウロが当時の教会に入り込んできたグノーシス思想との戦いの書であると
言われていますね。

>あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で、人のとりこにされないように、気をつけなさい。それはキリストに従わず、世のもろもろの
>霊力に従う人間の言い伝えに基づくものにすぎない。(コロサイ人への手紙 2.8)

そのノーシスの創設者のサマエルアウンベオールという人の思想も当時のグノーシス思想と共通する部分があるみたいですね。
原語は両方ともギリシャ語の「GNOSIS」だし、両者とも善悪二元論という点では特徴が一致しているようです。


759 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/17(火) 20:53:03 ID:DD2F3sY9]
二元論と言うのは、不二一元論、不二の法門に通じるのではないかな?

760 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/17(火) 22:13:03 ID:DD2F3sY9]
善悪=有無=神悪魔=真理虚偽==因果=縁起


761 名前:tibyaku [2009/03/17(火) 22:13:49 ID:vBOsUoQj]
>>759二元論と言うのは、不二一元論、不二の法門に通じるのではないかな?
 
 @二元論は「善」「悪」の善悪の判断力もと悪を捨て善を成していくことが
  二元論であります。
  不二一元論は二つとない光一元の意味であり、不二の法門は二つとない法
  の教えの門の意味でしょうか。

  「善・悪」二元の意味を熟知しその上位に光一元があります。
   二元論から一元論に通じています。

  法門は法の教えの門はお釈迦様が8万4千の法門があると言われていますので、二つとな
  い法門は個々に二つとはない法門かも知れません。 

     

762 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/18(水) 18:59:18 ID:sLEAaIcf]
真実に至らしめる教えはすべて真理の教えであり、それは8万4千以上あるといえる。


763 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/21(土) 22:35:26 ID:N+ns662e]
1つですけど。

764 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/22(日) 14:22:48 ID:iVGGM/CM]
>>763
論拠?

765 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/03/22(日) 18:17:11 ID:5t2ig2La]
聖書をよく読めばイエスは人でなく神だったのがわかります。
死後数分でなく何日も経た傷んだ細胞が復活しての蘇生ですから、それが意味するところは人の力を大きく超えていたということで
悪霊、天使、聖霊,神の右の座とかもただの例えで、天の国も宇宙に到達した時点でただの例え話だったことがわかります。
実際の本当のところは、神の力が宿らないと知りえないことになりますね。
イエスが親切であったからこその例え話が、逆にキリスト教を混乱や妄想に導いたわけです。
つまりは蟻には人間の生活は理解できない、理解できないからこそ例えで話したわけです。
釈迦もイエスも死時に雷鳴や地響きが起こったといいますから、自分本位な聖書解釈や仏典解釈がそもそもの争いの火種だとも言えます。

766 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/03/22(日) 19:04:40 ID:5t2ig2La]
イエスの言葉は、実はほとんど全部例え話だった。
死後何日もたった匂うような死体を蘇生させることが出来る者が、本当のことを言っても人が理解できるわけないから
実際は神や魂の存在に無記で通した釈迦以上に無記だったのです。

767 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/22(日) 23:11:01 ID:kdcD1JyG]
呼んでません。



768 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/23(月) 00:32:01 ID:gt94ABlr]
>天の国も宇宙に到達した時点でただの例え話だったことがわかります。

馬鹿すぎる。     例えかどうかがお前に分かるんなら お前こそ神だわな w よお神。元気か?


769 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/03/23(月) 19:07:03 ID:c5Fv4AMM]
もちろん、天の国は在るのかも知れないが、それは宇宙飛行士から地球を見た
地球は青かったといったような、漠然とした象徴的な言葉でしかなくグーグルアースのように細かくそれを説明しているわけではない。

770 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/24(火) 02:05:41 ID:0F5Lw1w8]
あいかわらず会話ができないなきさまは。w

771 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/03/25(水) 20:48:33 ID:8c7+hID/]
はじめから在った神も、たぶん自分が一体なんなんだか知らないだろうな。
人が「自分は一体なんなんだ?」という欲求も神からくるのかもな。
自分が神だと、神とひとつだと気づいた、
あるいは実感し神とひとつになったとしても、そっから先はどうなるんだろうな。

772 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/25(水) 22:59:37 ID:AqyXMyd1]
サタンが、神と同じ知恵を持つようになるとか言って、イヴを誘惑したのは、
自ら神を知らないからであった。神は唯一名存在であるのを知らなかったのである。
善悪なるものはないのを知らなかったんである。知恵なるものがないのが神であるということを知らなかったのである。
単に外観にのみ囚われ、単に恐れのみに恐れ、そういう存在の理解が悪魔の神の知識(理解)であったのだ。
 今ここで、神を理法により説明しないものは、このサタンに他ならない。

773 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/03/26(木) 10:46:01 ID:8+6Q55u7]
いままで、福音書の成立時期ばかりに気をとらわれて、マタイ、マルコ福音書ばかりを重要視してたけど
予想だけど、まだ、使徒が存命してて、直にイエスの教えを説けれたから
福音書の内容そのものは、そこまで重要ではなかったのかも知れないな。
外典に隠されたイエス像を疑ったこともあったけど、
ヨハネ福音書のイエスが一番優しさがあり、福音記者の文章も丁寧で思いやりが感じられ、
実はヨハネ福音書こそ、おそらく後世に書き記そうと一番試みているように思う。
それと死海文書を見る限り、割とみな信心深く、改竄とかしないものなのだとも理解出来た。
実はヨハネ福音書こそ、本当のイエスの姿を克明に描いていたのだね。
そしてよく注意すれば、ヨハネ福音書はグノーシスや仏教とも、割とその思想が似ているのにも気付く。
キリスト教も国教になったあたりで、小乗のような禁欲的な修道院生活から、大乗のように似て非なる変化を遂げたのかも知れないね。




774 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/03/28(土) 14:06:43 ID:v88A+cW0]
イエスも釈迦も、ローマ帝国やユダヤ教、外道やバラモン教の存在で
言いたいこといえなかったけど、本当の真理は一つだよ。
日本でも、天皇とクリスチャンとか、信仰の自由がなかったくらいだからね。
それは、察するべきだ。


775 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/29(日) 21:01:48 ID:eMaxSH4u]
つべで、666.xjohn.comを検索し
666-Part5 signを見るとイエス・キリストと仏教が

776 名前:神も仏も名無しさん [2009/03/30(月) 21:36:59 ID:Sx3t771h]
なるほど。 ゆえに、仏教とキリスト教は真逆なんだな。

777 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/03/31(火) 00:55:58 ID:28rEm1oO]
正確に言うと、聖書も仏典も後の世の人間がまとめたと言う事。
即ち、伝記と思えばよい。真理はいくつか含まれているが、それが全てではない。
キリストも仏陀も分を弁えていた。



778 名前:神も仏も名無しさん [2009/04/01(水) 21:58:36 ID:1xN+NoV6]
そういえば、沈黙と言う題名の小説があったね。沈黙とは真実であり神である。
どうしてそれでは神の言葉があるのか?それは真理である。神の使い(預言者)の教えである。
・・・・と言うのはどうだろうか?


779 名前:神も仏も名無しさん [2009/04/04(土) 16:00:52 ID:KScu2p8l]
『神の沈黙と不在』
  朽ちる人間と同じような神と説くなら、善なる神は世界に存在しない。

―あなたがたは下から出た者であるが、わたしは上からきた者である。あなたがたはこの世の者であるが、わたしはこの世の
  者ではない― イエス
―あなたは悪魔の征服者です・・みずから彼岸に渡りおわり・・麗しい白蓮華が泥水に染まらないように、あなたは善悪の両
  者に汚されません― 仏教

 上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし
 いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたが
 たも慈悲深い者となれ

―ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである― ―足ることを知り―

 貧しい人々のほうが信仰に富んでいる。貧しい人々も真っ直ぐな見解を抱くなら、貧しからずと呼ぶ。


780 名前:神も仏も名無しさん [2009/04/04(土) 16:01:59 ID:KScu2p8l]
『この世の者ではない神』
  この世の者ではない神と説くなら、この世にいる人に影響を与え続けている。

世に打ちひしがれた人々、世の中から遠ざかり離れて、静かな安らぎを楽しみ、狂おしい悩みも無くなる。
世の中のどこにも害いを見ない。罪に定めず、さばかず、ゆるしてやる。他人の過失を探し求めない―自分自身に気をつける
人々が増えれば、互いに自由となる。更に、他人の過失に思い煩うこともない。

食べること、飲むこと、享楽、快楽、持ち物を誇ること―そういったことを行っている時、誰も賢者だ、善人だと思わない。
神と富とに兼ね仕えることはできない。働こうとしない者は食べることもしてはいけない。誰もそなたのために働いてくれる
人々がいるわけではない―人々が肉の主人に誠実に仕えるから、世の人々は誠実に仕えられる。財を欲する人々が、世間を輝
かせているわけではない。

あくせくしない。欲求のためにあくせくしない。他をならかしめて自らの利を欲さない。あくせくさせない―富に仕える人々
と働く以上に持ち物など得ようとあくせくしたために、世に苦悩が生まれた。

貧窮なる人々に分け与える―自分のことばかりで生きるのではなく、貧しい人々にも配慮がある世の中となる。

 見ようとしても見ることはできず、考えてわからない思考の外の存在で、自分のために意識しても自分に利益がある存在
 でもなく、人の内に宿り世に漠然と影響を与えて、自分の利得のために信じる人を釣る存在。


781 名前:神も仏も名無しさん [2009/04/05(日) 22:03:50 ID:KsTSqACb]
怒りすぎると死ぬ 米名門イエール大学の医療研究結果に世界が騒然

怒る=肉体 怒ることがない=この世の者意外の生存=神

宗教は科学も全ての人類がやがて認めるものとなるか?

宗教は一部の人の考えを評価し、少数の人が自分たちの信じたもの、
学んだことは他の宗教、宗派より正しいと思い続けるものだけとなるか?


782 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/04/06(月) 13:37:05 ID:hRp8yjG6]
トマス福音書のイエス語録はガチ
物質界には救いがないとしたグノーシスの人たちが、ヨガマスターの境地
ニルヴィカルパ・サマーディなんて知ってるわけないから創作文書などではないのは明白
本当のイエスを理解したいなら、ヴェーダーンタを学ぶべき
エドガーケイシーの透視も参考になる。


783 名前:神も仏も名無しさん [2009/04/08(水) 07:38:09 ID:4KpvmvCD]
日本に原子爆弾が二個も投下されたと言う事実は、日本人の真実に対する無知が、
処罰されたのだ、と解釈すべきだ。

784 名前:神も仏も名無しさん [2009/04/08(水) 09:39:05 ID:M97snzc1]
783は相手の事情を汲むのがオトナのマナーだって意味でOK?

785 名前:神も仏も名無しさん [2009/04/08(水) 13:20:14 ID:sscAj04Y]
>>783
ていうか、キリスト教徒のあんたらが落したんでしょ。

786 名前:神も仏も名無しさん [2009/04/09(木) 18:28:00 ID:0jhBw4k9]
>>785
盲目的信仰である神道が、罰せられたと言うのだが。
戦争になる前から、日本は負けると診断されていたのだ。
それを戦争に駆り立てたのは、神道だろう?
盲目的というのは、真実に対して無知であることを言う。
これをはずすなら、残るものは欲しかないんだよ。欲が神様になるのだよ。
今の創価のように。その欲は何か突き詰めると、有身見なんじゃない?
有身見とは何かと突き詰めると、情欲なんだよ。

787 名前:神も仏も名無しさん [2009/04/09(木) 22:30:55 ID:Xpxhp2zt]
執着が苦なんですよ
ご苦労様



788 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/04/09(木) 23:14:38 ID:JaGSHsy7]
>>786
君の思考は病的だね。
実際精神を病んでいるのではないか?

真実に無知なのは君自身だ。

789 名前:神も仏も名無しさん [2009/04/10(金) 01:24:47 ID:XnYpIz4X]
まあ 786はここでだけ強いからな。強さを求めている情欲なんだよ。

その情欲が 一生彼を縛り続ける。 仏教というのは 彼にとっては画に描いた餅として、掲げられ続ける。

790 名前:神も仏も名無しさん [2009/04/11(土) 00:31:40 ID:DJuOrLOe]
世のことに苦しみ自殺する→世のことから遠ざかり離れ冷静になる

信じて戦争をする、世のものに執着心あり戦争をする、正義で戦争をする→敵意も憎しみも争うことのない正義

独裁者が武力で人々を制圧する→生ける者どもの幸福・安穏・安楽な暮らしのために働く

足ることを知らず貪り満足せず幸福感が得られない






791 名前:神も仏も名無しさん [2009/04/16(木) 20:50:50 ID:ofrVpHa/]
仏教の一切は平等であると言う真理は、縁起してるものは空性であるから平等で差別がなく、一相であると
言うだけでは、現実に適用できないのではあるまいか?
 一切が平等であるとは、確かに縁起している存在に付いて言っているのであるが、
お互いに他が無いと存在し得ないものであるが故に、どちらに重点があるとか、優れているとか、
良いとか、悪いとか、言えないと言う理解なのであり、それゆえに、その判断を究極のものとして
、平等であると言われるものではあるまいか?これであれば、変化してるものを故意に無視すると言うことは、
変化に囚われていることになって、逆効果となり、むしろ変化してるものに囚われないようにするためには、
先の見方が良いということにならないか?いずれにしろ、優劣、善悪と言うものを追求しないことが前提であると思うが。

792 名前:神も仏も名無しさん [2009/04/17(金) 12:10:33 ID:/uuMzLNr]
哲学板から来た者だが、おまえら、このオサーンの発明した「実験」ていう項目読んで理解できたなら
宗教なんぞに頼らなくても全て悟れるよ↓
www.ne.jp/asahi/headless/joy/

793 名前:NAS6 ◆kl1JWE6W72 [2009/04/17(金) 13:01:13 ID:J2rwa9oS]
一切が平等とは快苦が表裏一体、等価交換だからですよ

794 名前:神も仏も名無しさん [2009/04/18(土) 00:39:08 ID:J+SYS0CH]
釈迦は一切の幸福と安穏と安楽に到達し慈しみのこころづかいにより法を説いた。
イエスも一切の幸福と安穏と安楽に到達し神は愛と語り、人の命は限定的で偶像で信じることはできない存在と
示した。その実があれば受け入れることができ、人の思考は神を受け入れることはできない。

地のものから離れた一切の存在は、物質的なものから離れ平等。
地のものでも苛酷なることなく貪欲なることなく万物に対して平等、公平は善いと自然体ならある。
他人に苛酷だけ強要して平然とはしない。その代償として与える。人々に仕えて偉い者となる。富に仕える者は、
人々に苛酷を与えるだけになるから、公平ではない。
多くの人々の望みに仕え、なんらかを与え(施与)し交友を結ぶ。また、正しく財を得た人は、自ら喜ばせ楽し
ませ、妻子、他人を楽しませ、父母を養い、という教えもある。

世に打ちひしがれた人々も、より信仰を増し、世と世にあるものは過ぎ去る、執着心を捨て去り何事も思い煩う
なという地のものを離れた癒しの言葉もある。

この世で幸せを求めている生きとし生ける者どもに対しては、互いにその人の幸福だと思うことに仕え、一方が
自分の利益のために他方を支配しない。また、仕えて益を得なければならないということはなく、苦しんでいる
人は、世のことから離れ、信仰を増しなさいという真理の教え。そしてまた、生存権の保障という教えもある。



795 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/04/18(土) 12:19:42 ID:xX4MEDao]
釈迦とイエスは同じ真理を悟ってる
聖書は難解だがよく読めば理解できる。
特にヨハネ福音書は、多くの弟子が去った後も残ったイエスに近しい弟子が記した貴重な書

796 名前:神も仏も名無しさん [2009/04/18(土) 15:41:36 ID:J+SYS0CH]

「人のいない地域に清涼な水があっても、それを飲まぬならば、涸れて消え失せるように、愚劣な人が富を得る
と、自ら用いることなく、他人にも与えない。健き人・智慧のある人は、富を得たならば、自ら用い、またなす
べきこをなす。牡牛のような人であるかれは、親族の仲間を養って、人から非難されることなく、天の場所にお
もむく。」(仏典)

信仰を増すということは・・・命じられたことを皆してしまったとき、「わたしたちはふつつかな僕です。すべ
き事をしたに過ぎません。」(聖書)

死体を葬ることは死人、葬儀をしない。くどくどと祈らない、多くのことばをやたらにつぶやかない。
供え物をしない、供え物は霊は食べない。誓うな。

富を得た人が用いることがないから生じる世の中の苦難や、肉の主人に誠実に仕えるから、人々は誠実に仕えら
れる現実。決して富を貪ることやその他の欲求のためにあくせくすることが、人々を幸せにすることではない。
世に打ちひしがれた人々や、貧しい人々が信仰に富んだ者となり、衣食があれば足れり、この世の有様は過ぎ去
る、思い煩わない。

くどくどと祈ってどうなるのか、死んだ人は人の手では届かぬもの。オカルト的な宗教を批判し、現代でも起き
ている人々の苦難の解決。世に思い煩わない人が世のことから遠ざかり離れて思い煩わないように、言葉に従っ
ている人は神にあってなされたこと、平安の境地から説いたこととして、自ら慈しみのこころづかいによって教
え信仰対象となった。

797 名前:神も仏も名無しさん [2009/04/18(土) 19:17:07 ID:J+SYS0CH]
神を信じている人が、自然災害などで苦しむ人々を天罰だと思うとする。
貧しい人々は、神に愛されていないとする。

 宿無き人々、食物のない人々、裸である人々、乞う人々に宿を貸し与えよ。貧窮なる人々に与えよ。
 真理を行っている人々は光に来る。その人の行いが神にあってなされたということが明らかにされるためであ
 る。自然災害などでも苦しんでいる人々を助けた人々が神にあってなされた。

 何も持たない人々は楽しんでいる。貧しい人々に福音。
賢くなった人がその思考で信じられる神ではない。人は自然のままでも行っている神で、自分のためにくどくど
と祈ったり、多くのことばをやたらにつぶやいていたり、供え物、誓い、葬儀で天国を批判した。
世に悩みがあるなら信仰に富んだ者となり、世から離れ世の悩みをなくす。貧しくとも、所有物にこだわらず、
自然などで安らいなどを楽しむ人々もいる。

五欲の対象を享受したいなら、誰もそなたのために働いてくれる人はいないとして働き、富を得ても自ら用いる
ことなく、妻子を喜ばせず、友人を喜ばせず、父母を養うことなく、何人にも与えないなら健康な精神ではない。
肉の主人に仕えた以上に富を得て、自ら用いることなく、何人にも与えようとしない不健康な精神の人々が世を
暗くする。

 釈迦とイエスは現実的にある法、神である。




798 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/04/20(月) 19:56:18 ID:MjvXKUhh]
エドガーケイシーは預言者
聖書に親しんだ西洋人で、あの透視は凄い
先入観無く、イエスが輪廻で魂を完成させたとか、インドで修行したとか
透視で報酬も無く、日曜には教会に奉仕してたクリスチャンだから、むしろ信憑性がある
異端発言して得るものが無いから

使徒が記したヨハネ福音書には
釈迦が影響受けたウパニシャッドに相通じる思想を感じさせるし、まさに真理は一つなのだろう

799 名前:神も仏も名無しさん [2009/04/20(月) 22:19:56 ID:6+xBywbk]
>>792
欧米人は禅とかインドのヨガとかベーダンタとかの哲学に親近してるんだね。
しかしもう一つ判らないな。この人は仏教、ベーダンタ哲学に精通しているよう灘ね。
自分の説はこれらの哲学を基礎にしているのに、これらの哲学を少しも顕わさないんだね。

800 名前:神も仏も名無しさん [2009/04/20(月) 23:40:18 ID:6+xBywbk]
>>798
ヨハネがグノーシスに近いとかその思想を取り入れてるとか、あなたのようにウパニシャッドに通じるとか
今まで聞いてきました。具体的にどこがそれに当たるのでしょうか?

801 名前:神も仏も名無しさん [2009/04/21(火) 00:31:13 ID:RiFw+tu4]
イエス  「とにかく祈り 信じなさい 信じる者は 救われる」

釈 迦  「信じ 祈ることでなにか得られるものがあるならば 何もせず祈っていてください」(微笑)

jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/4145/1210417061/


802 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/04/21(火) 08:07:58 ID:0qJn3uvC]
ウパニシャッドやら釈迦やイエスの教えの本質は難解だからね
イエスの弟子は最後まで例えで話されて、理解できなかったくらいだから、
釈迦のほうが弟子の数も多く、教えてる時間も長かったから、釈迦の真意は伝わってるハズ

803 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/04/22(水) 12:51:50 ID:roQrA5Iv]
唯一の創造主や隣人を自分のように愛すとか驕り高ぶりや欲、執着を捨てよとか
それらをひたすら守れば難しくない。意味や結果を求めたら難しくなる。

804 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/04/23(木) 10:21:06 ID:MqFKjfkO]
意味や結果(因果応報)が大事だからね。

805 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/04/24(金) 14:15:10 ID:0P5Z30oB]
欲や執着がなくて愛に満ちた善人なら、それだけでいいの
それはイエスも釈迦も説いた共通の真理

806 名前:神も仏も名無しさん [2009/04/26(日) 01:12:13 ID:H9sBFCDk]
>>805
健康な人は医者はいらない、いるのは病人
自然のままでの律法、かれらにとっては自分自身が律法

究極の理想に通じた人が平安の境地に達して・・・母が己が独り子を命を賭けても護るような慈しみ
一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者仏陀に罪過は存在しない

かれらは律法がわからず殺人を犯した
魚を釣る

 善悪を悪魔と説いている。他人のあやまち(過失を探し求め)ゆるさない、見下す者は真理から遠
 く離れている。不正に得た名声・利益=悪魔ナムチ 
 
科学・現実の教えを説いた、そして人間は欲念があり理屈だけでは駄目だとして信仰させた
怒る・悩む(肉)=短命 怒ることない・悩まない(肉体外) ストレス無く、自然は美しいとか楽
い・快楽などに耽溺しない健康な精神の人 物質的な形のこだわりや所有物の有無に悩まず、死んだ
どうなるのだろうかと悩まない

なんらかの施与(与えて)交友を結び、苛酷なることなく貪欲なることなく平等を思う
宿や食のない人々、貧窮者への配慮  恣の肉欲にならず、自制する
そういったことができなかったので釣りながら信仰させる

807 名前:神も仏も名無しさん [2009/04/26(日) 01:55:20 ID:H9sBFCDk]
唯一、平安や安らぎといった真理を感じることを人間は持っている

一切の幸福と安穏と安楽は、人間はこの世では大切だと思っている

敵意や憎しみ、他人のものを盗んだり争うとをに嫌悪を抱き、自分の思考・意向に反する者・利害によ
り互いに対立しない

食べること、飲むこと、快楽・享楽を満たすこと、肉欲を満たすことで偉い、崇高な者としない
病気の治療は、むしろそれらの貪欲から離れて、静かにする

科学でも、何でも、人々の不幸や安穏、安楽な暮らしを奪おうとしない  むしろ人々の幸福や安穏、安
楽な暮らしに努める
人によくしてやること、何も当てにしないで貸してやることが悪く、人に悪くしてやること、自分の物は
自分の物だから誰にも与えないことは善いことだとしない

自分だけのことを思う身体作用、自分の考えが正しく自分の意向のみに生きる、飲み食い快楽を楽しむ以
外の全ての幸福と平安や、欲求のみに生きることなく、安らぎを楽しむ身体以外のものが働いている




808 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/04/26(日) 13:54:29 ID:LC98L8dE]
イエスの弟子は多くても1万人くらいで、しかも多くは去ったから
残った数人の弟子よりかは、何十億人に1人の逸材の釈迦やシャンカラ
のほうがイエスの悟った境地に近かった理解していたと考えたほうが自然だろうね

真理はひとつ、世界中どこにいても重力や空気の働きもひとつだし

809 名前:神も仏も名無しさん [2009/04/27(月) 18:44:51 ID:KaA4EdFO]
仏陀もイエスも特定の時代、特定の地域・文化の人々に向けて教えたのだ。
もし今現れれば全く別の教え方をするだろう。

810 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/04/27(月) 22:46:16 ID:YbDPaFqp]
教え方は違っても「教え」は同じだ。
人間の脳の構造が同じである限り。

811 名前:神も仏も名無しさん [2009/04/28(火) 15:48:08 ID:C9u1cQWl]
イエス  「とにかく祈り 信じなさい 信じる者は 救われる」

釈 迦  「信じ 祈ることでなにか得られるものがあるならば 何もせず祈っていてください」(微笑)

jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/4145/1210417061/


812 名前:神も仏も名無しさん [2009/04/29(水) 10:00:57 ID:3tDmBA5v]
(1)教祖として金銭を要求しない
    働こうとしない者は食べるべからず  修行者よ諸々の人の家で貪るな

(2)無所有・尊敬
    何も持たずにこの世を去る
     地では肉の欲・目の欲・持ち物を誇るが、霊的な勝利者はそれらから離れて悩み・苦しみがない
     自分が豊かに暮らしながら、貧しい人々に世と世の富をは過ぎ去り、何事も思い煩うなとしない

(3)くどくどと祈る・呪文や意味の無いことばをつぶやくことを否定
    教えを祈りに、理法を詩に、唱えて意味のわかることばを唱えさせ教えを学ばせた

(4)葬儀否定・供え物否定
    死体を葬ることは死人・霊は供え物を食べないなど霊や人の死後について非科学的な行いを否定した

(5)誓い・宮・僧院否定
    誓いをしてはならない・釈迦のために僧院を建立する必要はない・宮を否定し、貧しく、或いは苦悩
    のために信仰している人々から、宗教的行為で雑務をさせないようにした

(6)神通力・不法
    学び修めた賢明な人・修行完成者。奇跡で人の病を治す人を不法者として、言葉を行えとした


813 名前:神も仏も名無しさん [2009/04/29(水) 10:01:39 ID:3tDmBA5v]
(7)知恵・善悪を知る人こそ賢者
    学び修めた賢明な人は食乞う人々に与えたり、宿の無い人・貧窮な人に宿を貸し与えよ
    富に仕えず肉の主人に誠実に仕え、誰もそなたのために働いてくれる人々がいないとして働け
    母が己が独り子を命を賭けても護るような慈しみは崇高、人によくしてやり何も当てにしないで貸し
    てやれ
    他人を見下し、過失を探し求めることは真理から遠く離れる。世の中のどこにも害いを見ない。罪に
    定めるな裁くなゆるしてやれ
     財を欲することが益をもたらすのでなく、一切の生きとし生ける者の幸福や安穏や安楽、肉の主人
     に誠実に仕える、富を得たら自ら用い他人にも与える、貧窮な人にも配慮のある世の中や、敵意や
     憎しみを抱かない、互いに他人の過失を探し求めずあやまちをゆるしてやる、自分に気をつけ、ひ
     とりひとりを尊重させる教え

(8)神の国はただ中にある
    かの世もこの世も望まない 感謝 
    そういった教えを行えることが神の国として、できない人への信仰配慮、釈迦はかの世を望むことは
    悪魔ナムチの褒め称えることとして、人里離れたところでの瞑想、安らぎを楽しむ


814 名前:神も仏も名無しさん [2009/04/29(水) 10:19:14 ID:SEPwVI+B]
以上、共産主義国では仏教がこう教えられる。

815 名前:神も仏も名無しさん [2009/05/01(金) 06:20:02 ID:EMLpZwRD]
自分が生きる、自分のためなら宗教でもなんでもしがみつく。
そんな欲の深い人間に正反対のことを教える宗教教祖。
過去でも今でも自分のためにといって執着する愚鈍で愚劣な信者
が、自分の信じたもののほうが正しいといって争う道具となった。

816 名前:神も仏も名無しさん [2009/05/01(金) 18:21:36 ID:GzfYYXlx]
仏陀もイエスも、いや宗教そのものが誤解されている。
本物の宗教は絶対に我々と同レベルから発生することはない。
つまり仏陀もイエスも我々よりはるかに上方から来たのだ。
仏教徒とかキリスト教徒というのは厳密にその教えに従って生きることが可能な者を意味する。
しかし実際には(ry
無論チンケな金儲け目的の新興宗教など論外である。

817 名前:神も仏も名無しさん [2009/05/02(土) 00:33:30 ID:9NY+ZbzB]
七覚支を楽しむ
 真実を選び出し、偽りを捨て去る修行法 → 教えは弟子たちに任せた。

諸行無常・諸法非我・一切皆苦・涅槃寂静
 「わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去っていく。
 ただ衣食があれば足れりとすべきである。」
 「今からは妻のある者はないもののように、泣くものは泣かないもののように、世と交渉のある者は、それ
 に深入りしないようにすべきである。なぜなら、この世の有様は過ぎ去るからである。」

善いことをした人々は善いところに生まれる、他の人々はこの世で道を修して、汚れを去り、安らぎに入る
 修行者として世を厭い離れ、肉の思い=怒りや憎しみ、物欲、快楽、享楽など人間の身体からくるありとあ
 らゆるものを捨て去ることに努め、静けさを目指した。これも仏教の真実である。

この世では
 慈しみのこころづかいが崇高。一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者仏陀。
 人がこの世でなす善と悪の両者は、その人の所有するものであり、人はそれを身につけておもむく。
 学び修めた賢明な人は、食乞う人々に飲食物を与えよ。貧窮なる人々、旅行く人々、宿無き人々、乞う人々
 に施しとして与えよ→イエスもそのようなことを教えた。

  ※慈悲・分け与えの教えは仏典の多くに記されている。これも仏教の真実である。
   これを否定する人は仏教を否定する人。イエスも慈悲深い者となれと教えた。

この世で悩み苦しみ、或いは汚れを捨て去り安らぎを目指す人は、離欲を達成し涅槃寂静への道。
この世にあって善悪の両者をよく考える人は仏典に書いてある修行完成者をよしとする人、学び修めた賢明な
人、御言を受け入れる人。







818 名前:神も仏も名無しさん [2009/05/02(土) 09:27:57 ID:vb1XpVKS]
皆さん、去年の暮れにはサーズとかのインフルがパンデミックすると言われていました。
寒いからそれに相応したインフルと言えると思っていました。しかし、今のインフルは
発生地が暖かいメキシコで、さらに寒い冬を脱し、春になった今、パンデミックと言うのです。
 しかし、真理を学び真実を知ったわれわれは、インフルのパンデミックなるものも
身の回りの変化してる色、自分の身体に基づく心の変化と異なるものではない、実体のないものであることを
知り、信じ、恐れないでいましょう。

819 名前:神も仏も名無しさん [2009/05/11(月) 17:26:11 ID:alT6wWL5]
・・・・・・

820 名前:神も仏も名無しさん [2009/05/12(火) 18:19:33 ID:oJYOEzLc]
日本の明治時代を築くのに、皇国思想というものが取り上げられたと言う。
皇国思想と言うは、仏教を排斥した上での思想なんだな。カモマブチとか?
で、かれは、仏教とは因果の思想であるとし,それ以上に出てないみたいなんだよ。
仏教は一相無相空相が真実であると言う思想なんだ。これを言わないのは、
日本の仏教が因果の思想であると言う教えに止まる、そんな教えがあるからではないのか?
因果を超越するのが仏教なんだ。 

821 名前:神も仏も名無しさん [2009/05/12(火) 18:41:28 ID:JMMPFcy7]
>つまり仏陀もイエスも我々よりはるかに上方から来たのだ。

おいおい 釈迦とイエスを一緒にすんな。 イエスは生き返ったり水上歩行するんだろ?

釈迦はただの人間だ   自らを整えてありのままの真理を説いたに過ぎない。 イエスみたいな妄想道化とは違うんだよ

jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/4145/1210417061/


822 名前:NAS6 ◆kl1JWE6W72 [2009/05/12(火) 20:43:08 ID:MWKPsodn]
お釈迦様は悟ったとか言う割には二度と母の胎に宿る事は無いですもんね
そんなに生まれたくなかったのかね?

823 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/05/12(火) 20:49:42 ID:aH7mp1Na]
こんな糞のような世に生まれたいと思わないだろ悟った人は
イエスは糞だから二度生まれようと思ったようだが

824 名前:NAS6 ◆kl1JWE6W72 [2009/05/12(火) 20:59:19 ID:MWKPsodn]
なるほど生まれたくなかったと後悔する事が悟りですか?
馬鹿丸出しですね


825 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/05/12(火) 22:01:51 ID:aH7mp1Na]
二度と生まれようと思わないのが悟りね
よく聞くように

826 名前:神も仏も名無しさん [2009/05/14(木) 22:14:51 ID:lkG+KKft]
>>825
はいわかりました教祖様(^^)/

827 名前:神も仏も名無しさん [2009/05/14(木) 22:21:23 ID:0trLMaRT]
仏陀はその教えから真実では無い



828 名前:神も仏も名無しさん [2009/05/15(金) 00:04:29 ID:ILSZbqy8]
>二度と生まれようと思わないのが悟りね

え? 違いますよ  輪廻するという「妄想」から解脱するのが仏道でしょう。

jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/4145/1210417061/172


829 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/05/15(金) 02:25:58 ID:qRhDDWwG]
ここの住人バカばっかだなあ。
感心する。。

830 名前:神も仏も名無しさん [2009/05/15(金) 13:26:07 ID:3MZjL/bX]
仏陀の説いた無心・無我・はっ衝動なるは自己暗示のガラクタに過ぎず。
イエスの説くは真理真実で真の導きをなす。

831 名前:神も仏も名無しさん mailto:sage [2009/05/15(金) 14:07:29 ID:CZJtXpoq]
イエスの説くは真理真実   のように見せかけた妄想と思いつきの産物。合掌。

832 名前:我は”福音派”! ◆9lDu49QCPQ [2009/05/15(金) 17:30:56 ID:3MZjL/bX]
福音は罪人を救うためのものである

833 名前:神も仏も名無しさん [2009/05/15(金) 18:02:42 ID:V4xDvjv4]
福音は人を欺くためのものである

834 名前:一在家通りすがり [2009/05/16(土) 08:30:40 ID:vJCV3rsW]
各福音書や文献の示すイエス様像
参考:@「禁じられた福音書−ナグ・ハマディ文書の解明」青土社
   A「ナグ・ハマディ文書U 福音書」岩波書店
(イエス様像と人)
マタイ:神に任ぜられた王 ※内、パウロは未来のイスラエル王と認識
ルカ:祭司としての役割を強調
マルコ:神の預言者 ※コーランのアラー神示もこれと同じ
ヨハネ:神自身 (注)2世紀〜4世紀に正統派の基準とされた
トマス:神の子。全ての人は神の似姿に創られ神の光を共有
ユダ:弟子達の祈るこの世の最高神よりも至高の神を知っている義の教師
死海文書:(エッセネ派ユダヤ教)全ての人に光の霊と闇の霊が宿る

最古層の福音書と言われるマルコでは、大祭司が裁判でイエス様を尋問し、
「お前は神の子か?メシアか?」と訊ねた際に、イエス様は、「そうです。」
と答えて、自らを「人の子」と呼ばれました。


835 名前:一在家通りすがり [2009/05/16(土) 08:41:23 ID:vJCV3rsW]
>死海文書:(エッセネ派ユダヤ教)全ての人に光の霊と闇の霊が宿る

法華経「如来寿量品十六」より、
釈尊曰く、「すべてのものは、生まれ、かつ死に、必ず変化する
ものでありますが(無常の意)、それはただ現象の上だけの
ことであって、如来の眼をもってすべてのものごとの実相を
見れば、すべては消え去ることもなく、現れることもありません。
(中略)また、ものごとが常住するもののように考えるのも迷い
でありますが、現象面だけを見て、常住のものがないと考えるのも
浅い見方です。」

「方便品第二」
釈尊は、「すべての人は仏になりうるという最高の真実を悟っている。
(中略)とはいえ、最高の真理をそのまま説けば、無智の人は混乱し、
思い惑い、まっすぐ受け入れることができない。」と舎利弗に説く。

以上より、肉体も精神も無常で固執すると苦しみを生じますが、
アートマン(霊魂、仏性)は常住だという説法だと認識致しました。

イエス様の師匠だった洗礼ヨハネは言行からエッセネ派ユダヤ教
だったという説が増えてきております。
聖書でもパリサイ派とサドカイ派の名前は度々出ますが、ご自身が
エッセネ派だったのかも知れませんね。

エッセネ派ユダヤ教と法華経の共通点は、
「すべてに人には神性(仏性)が宿る」という共通真理でしょう。


836 名前:神も仏も名無しさん [2009/05/16(土) 18:33:40 ID:nh0FfANq]
自治会町内会、子ども会、もうイラネ!二十二丁目 [生活全般]
PTAの違法性について4 [育児]

これが御仏の導いた道なのか?wwwww






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