- 440 名前:atheist mailto:sage [2023/01/29(日) 22:29:30.28 ID:rnh7T5A4.net]
- >>436
元々は否定神学に関しての鹿野園さんの問題提起というか解釈から始まってますが わたしもこの議論はけっこう楽しかったです これはわたしの個人的な関心になってしまうので、直接信仰に関することではないのですが わたしは最初、鹿野園さんが(無)矛盾律を否定しようとしているのか、排中律を否定しようとしているのか よく分かりませんでした(どちらとも取れるような表現の仕方だったからです) ただこれをきっかけにこの両者の否定についてちょっと考えてみました 二値論理の枠内では、排中律の否定は論理的に無矛盾律の否定と同値になってしまいます (¬(P∨¬P)をドモルガンの法則を使って変形すると¬P∧¬(¬P)、つまりP∧¬Pとなってしまい これは無矛盾律(¬(P∧¬P)の否定、つまりP∧¬Pとなってしまうからです) でも命題をベン図(よくある2つの円が交わっている図で、一方の円をPとし、もう一方を¬Pとする) を使って処理すると分かりますが、無矛盾律の否定は2つの円の交わりが空集合であることを表し、 排中律の否定は2つの円をすべて塗り潰した以外の部分、つまりは2つの円の補集合の部分が 空集合であることを表します(図を書けば一発で分かるんですが、文字だけだとえらく煩雑になってしまって すみません) 同じ空集合(その領域で成り立つ命題は存在しないということ)であっても その領域は異なるので、二値論理を超えて思考する場合は 無矛盾律の否定と排中律の否定は表さんとすることが異なることがわかります なんか本文長すぎで投稿できないので、ふたつに分けますね
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