- 189 名前:琴 mailto:sage [2023/01/26(木) 19:47:45.85 ID:83JUkPpP.net]
- コズモさん、こんばんは。
本文も読んで(聞いていただいた)いただいたようです。 >>159 >1.宗教者は神が殺人命令を下した場合、信仰上それを回避することはできない。 >(神への信仰は、神がなせと命じたことは、倫理・道徳を超越していると信じているから。) そうですね。その宗教の神を信じるということは、自分の判断は放棄します。 オウムの林氏が、「違うな」と感じたのに、 教祖とその神を信じたという自分の信仰の基盤を失う事は、 自己否定に直結しますから、 そもそも、「違うな」「疑う」は、成立しない。 論理矛盾をきたすようなところに立脚できないのが、「真の信仰」であり、 自由などありません。 そして、林氏は、自分の心をナキモノとして、従う事で真の信仰者としての 在り方を貫いたのです。 ここで佐倉氏が言われている、「真の信仰」と「偽りの信仰」は言葉の問題として、 アイロニー的示唆をを含んでいる表現です。 >2.聖書の旧約においての、神の殺人命令が、正しかった信じる、 >近代のキリスト者は、 >旧約の神の殺人命令を根拠に、近代においても、 >戦争や侵略や殺人を正当化して実行してきた。 ええ、正当化して実行してきたのですが、佐倉氏の視点は、 そのような行動をしてしまう、神への信仰とは?に切り込んでいおられるのです。 つまり、正当化や言い訳は、彼らにとって正当化や言い訳でなく、 正当な事を言っている、という彼らの主張に着目するのです。
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