- 814 名前:鹿野園 mailto:sage [2020/06/19(金) 14:40:45.76 ID:wJ7k9j3l.net]
- 義浄の訪印(AD672〜677)
グプタ朝(AD320〜550年頃) グプタ朝はヒンドゥー教を国家の柱として位置づけ、(中略)一方で、ナーランダ僧院がこの時代に設立されるなど、仏教などほかの宗教が迫害されることはなく、これらも庇護を受けた。 しかし、インドにおける仏教は教学研究は盛んになったものの、この時代から衰退に転じるようになった。 パーラ朝(AD750〜1162 or1174) パーラ朝の歴代の王は、仏教を保護し、当時の北部ベンガルには、ヴィハーラ(僧院)が多かったため、のちのビハールの語源となるほどであった[17]。 8世紀の後半に、インド哲学の巨匠シャーンタラクシタと大密教行者パドマサンバヴァなどを、チベットへ仏教使節を派遣した。 パーラ朝時代の仏教は、密教としての仏教がさかんでいわゆるタントラ仏教であったため、チベット仏教もその影響を強くうけている。 また、芸術を保護したため、絵画、彫刻、青銅の鋳造技術が著しく進歩して、仏教美術では、「パーラ式仏像」を生み出して世界的に有名となり、その美術は「パーラ派」や「東方派」と呼ばれ、優れた技巧と典雅な意匠で知られている。 とはい
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